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地中海に浮かぶ無人島,サンタクロースの島「ゲミレル島」へ行ったときの記憶をもとに記事を書きました.東ローマ帝国の画家が残した聖母マリアの像は,脳裏に焼き付いています.きっとこれも猫のお導き,ということで.

ニュースレター「STEAM NEWS」

金谷一朗(いち)

TEDxDejimaStudioファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授

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00:00
市ですおはようございます
このポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースレター
スティームニュースの音声版です
スティームニュースでは科学技術工学アート数学に関する話題をお届けしています
スティームニュースはスティームボートのりくみーのご協力でお届けしています
改めまして市です
このエピソードは2022年2月26日に収録しています
このエピソードでは前回お伝えしきれなかったサンタクロースの島へ行ったお話をさせていただこうと思います
僕は奈良先端科学技術大学院大学
通称ナイストであったりとか奈良先端大という奈良の先端にある大学院の
3期生だったんですね設立3年目の学生だったんです
奈良先端大がどのぐらい先端かというと
入学当初はまだ待ち開きもしていないぐらいだったんですね
とはいえですね大学では学部アンダーグラジュエートでは応用物理を学んでいた僕だったので
憧れだったコンピューターサイエンスそしてハッカー文化これあのアメリカ西海岸東海岸もですかね
コンピューターサイエンスを学ぶ学生たちが作り出した文化特に西海岸に色濃かった文化だと思うんですが
そのハッカー文化を本格的に学べるとあって大学がどこに立っているか
立地は気にならなかったんですね
奈良に引っ越して驚いたことは奈良では考古学者が偉いっていうことなんです何せ日本で一番古い都市が地下に眠ってるわけですよ
掘れば何かが出ます掘るだけじゃなくてまた例えば家を建てようとして基礎工事をしようとすると
何かが出てくるわけですねそしてその何かを掘り当てれば文化財保護法によって警察署と
文化庁への報告義務が生じるんです 家を建てるとか道路工事をするとかで地下から文化財が見つかった場合は工事を一旦中止
03:08
して文化財を保護する必要があるんです これ工事期間も伸びますし保護であるとか調査であるとかの費用も当然
国が出してくれるわけではないのでかかってきます そこで呼ばれるのがいずれにせよ
考古学者なんですねその これは文化財であるのかどうかって判断もしないといけないしそのまま
保護します調査しますという時にも考古学者が必要なんです というわけで工事をすると必ず考古学者がやってくるわけですとか呼ばれるわけです
で 工事ですから非常に大きなお金が動くわけですから考古学者がここは大事だねとか
まあこれは埋めちゃってもいいねとかいう まあうじゃらうじゃらな話があるわけでそれで考古学者
偉かったわけですねそんな事情もあって僕はコンピューターサイエンスと考古学の 狭間に興味を持ち始めたんです
そして強く念じていればそれにあれこれ アピールを続けていれば
願いはどこかで叶うもので遺跡調査のチャンスというのが回ってきたんですね 最初に訪問することになったのが
トルコのゲミレル島というね前回のエピソードで少しお話をさせていただいた 島です
地中海に浮かぶ無人島で トルコの南沿岸部にあるんですが地図で見ると地中海を挟んでエジプトのアレクサンドリアの
ちょうど真向かいにも位置します 一言で言うと古代ギリシャの神々の
庭ということになるでしょうかね ただまあ僕たちがその時興味を持っていたのは東ローマ帝国時代の遺跡と美術です
古代ローマがまあライジングして沈んでいって 次にローマですねローマの時代がやってきて
やがて共和制ローマはローマ帝国になりそうですね 4世紀前後に東西に分かれ東ローマ帝国の方がその後1000年以上に渡って
存続するんですがその東ローマ帝国 成立した当初の美術でありキリスト教会というものに興味があったんです
特に僕たちが探し求めていたのが聖ニコラオスという聖職者の教会です サンタクロースのモデルになったという聖ニコラオス
06:06
英語では聖イントニコラスですね彼は一体どこに教会を作り一体どこに埋葬されているのか それを探り当てた日本人考古学者そして猫の話
前回のエピソードでお伝えしたところです その部分少し振り返ってみましょう
僕は調査隊のリーダーだった朝野和夫先生に直接伺ったのですが この島どうやって発見したかという話ですね
彼の指導教授が猫のお導きによってこの無人島に引き寄せられたそうなんですね その猫ちゃん
聖ネコラオスと呼んでもらっていました まあダジャレなんですけれどもねひょっとしたら猫神様だったのかもしれません
今僕が住んでいる長崎には猫神神社がありますので猫にねまたお礼に行っておこうかなと思っています
この聖ニコラオスの眠るゲミレル島へと向かったのは2001年の夏のことだったんです その後何度も利用することになるイスタンブール国際空港へ降り立ってそこから最寄りの
街 まあこれはゲミレル島の最寄りの街であるフェティエという街へタクシーで向かいました
結構ね距離はあります 車だと本当に一晩までは行かなくても6時間7時間ぐらい
かかる感じですかね で到着がそこそこ遅かったのと翌日の朝からの調査に参加したかったという理由もあって
あの調査隊先乗りしていてあの僕たち少しね遅れていったので まあできるだけそのダウンタイム短くしたくて
夜タクシーで 移動したんですね当時急速なインフレが進んでいた時代でした
トルコリラなんです一度出の身はやったと思うんですがまぁ今
2022年から振り返ると旧リラというね トルコリラが使われていた時代なんですがやはりインフレがものすごく進んでいて
タクシーの料金メーターあのタクシーね乗る時にあの値段交渉する乗り方もあったんですが まあぼったくりもいるだろうということでメーターであの乗らせてくれという風にまぁこれは
ベテラン航空学者の方が 交渉してお願いしたんです
でメーターがまあメーターの桁数もちょっと多くはあったんですが フェティへ到着前に料金が99999999999
09:07
リラを超えたところで桁が足りなくなってしまったんです つまり1億リラを超えたわけですね
お札は当時一番大きいものが100万リラ札だったので100万リラ札を100万以上支払う必要が出てきました その後ですねトルコでは当時まだなかったんですが2000万リラ札まで発行されたそうです
でこの1億リラどのぐらいの値段かというと まあ当時の日本円に換算すると1万円ぐらいだったんですまぁ一晩タクシーのて1万円
ならまあまあありかなという値段ではあるのですがまあメーターがね 桁触れしちゃってもわからなくなっちゃってるのでちょっとそこは
運転手さんと航空学者が戦ってまあなんとか値段の調整はね してもらいました
でここからがややこしいんですがイスタンブールとフェティエではインフレの進み具合が 結構違ったんですね
フェティエではなんと100万リラ札に100万円近い値打ちがあったんですよ いやこれうかつに使えないですよねというか100万リラ札見せた途端になんかもう
奪われるんじゃないかと思って目の色変わるんじゃないかと思って まだって
日本人同士でも 例えばなんかこうピザ買いましたって言って100万円の束からじゃあこれって渡されたら
いやいやってなっちゃいますよね いや怖かったですで未明にホテルについた僕たちなんですが数時間だけ寝ようと
いうことで 部屋に入って寝たんですけれどもベッド脇にですね靴箱が置いてあったんです
海外のホテルで靴箱ってあまり磨けないじゃないですか でまぁ靴箱あるやと思って靴を入れてで蓋も閉まるんですね
で蓋も閉めて数時間だけ寝て浴帳を先入りした 調査メンバーたちと顔合わせたんですが
挨拶もそこそこに 今朝靴をトントンしましたかって聞かれたんです
かつて調査隊メンバーの一人が靴の中に隠れていたサソリに噛まれたことがあったそう なんです
そのため靴箱を靴にしまい込んでも必ず靴をトントンしてサソリを追い出してから履きなさい ということだったんですね
靴箱これも蓋をすることでサソリが入らないようにということではあったんですが まあね扉の隙間とかからでもサソリ入ってくるのでお気持ちサソリ避けだったわけですね
でホテルからマイクロバスで港へ行って雇った船でゲミレル島に渡ったんです このゲミレル島かつてはこの境界があった島
12:10
なのですがイスラム世界に汲み入れられてから長いですから 境界は放置されていてキリスト像の顔というのも破壊されていました
それでも東ローマ帝国時代キリスト教時代の遺跡というのはずっとね 残っていたんですね本当に美しかったです
このゲミレル島は無人島ではあるのですがヨーロッパからは比較的近く 物価も安いリゾート地として人気のスポットでした
水も電気もないのですが観光客が泳ぎに来たりとか ピクニックみたいにね食事を持ち込んで数時間滞在して帰っていくという感じでした
境界があった時代もおそらく水は手に入らなかったと思うんですね島の中では 陸地が近かったこととあとですねあのスイカが手に入るので
水分を取るということはできたようですそれからね ヤギが住み着いていて
ヤギはこの玉ねぎを掘り返して食べるんですね それでヤギミルクを出すので人間そこそこ暮らしていけたんじゃないかなぁとも思います
早く行きたければ一人で進め遠くまで行きたければみんなで進めという言葉座があるそう なんですが僕は中国人師匠からこんな教えを教わったことがあります
遠くへ一人で行きたければヤギか羊を連れて行けでした 特にねヤギのサバイバル能力っての各違いなので
ヤギさえいればこっちのものということかもしれません ゲミレル島を後にして日本に帰るぞという夕方
フェティエの街の行きつけのレストランのテレビが ニューヨーク市のワールドトレードセンターの爆破映像を流していました
9月11日のアメリカ同時多発テロ事件だったんです ニュース映像はトルコ国営放送のものでしたが
なぜかドラマチックな bgm がつけられていたんですね そして突然画面が切り替わって
茂野部久子が大写しになったんです 日本籍軍ですよね
で英語の通じるトルコ人店員に聞いたところ アメリカが攻撃された日本人の仕業だということだったんです
まあそういうふうにトルコ国営放送が言っていたわけなんですね そして僕たちの横でボソッとよくやってくれたって言ってくれたんです
15:04
調査隊メンバーの間ではもうこれはもう日米国交断絶かっていう風なね 雰囲気になっていたんですがまあともかく日本に帰ろうということには当然なりました
イスタンブールへ戻って英字新聞を買い求めたのですがどれも日本がアメリカ本土を 攻撃したというね
報道だったんですトルコ政府は新米路線ではあったんですがトルコ国民にはやはり 反米感情っていうのがあってで新日感情はもともと強いこともあって僕が日本人だと
分かるとよくやったっていう風にまあ会うたびにこう握手求められたりとかですね 褒められました
結局日本籍軍は今回の件に関して関係なかったと知るのはまあ僕たちが帰国後になります
でこのゲミレル島のエピソードこれで終わってしまうとなんか911の記憶だけになって しまうので最後に
ゲミレル島調査での一番の思い出をご紹介しようと思います ゲミレル島からさらに少し離れた無人島に船長と考古学の先生と乗り込んだ時のことなん
ですね その考古学者
がんぺきのツタを手でよけてですねもうインディージョーンズが映画でやるみたいに こう手でこう
さーっとこうツタを避けていて現れたギリシャ文字を読み始めたんですね 聖母マリアのためにとこなんかかっこいいですよね
そして僕たちは島の頂上付近まで登ったんです 目の前市中海です太陽さんさんと輝いています
まあ今でこそ僕はの再開というかまあ再開で東シナ海のことなんですけれども とても綺麗の海ですねこの東シナ海を見慣れているんですが当時は瀬戸内育ちだったので
いやもう地中海と瀬戸内海は違いすぎますねち中かすごい綺麗ですよね でまあ広いからだと思うんですが
もうその眩しい景色の中で古古学者が 水を僕にお越しなさいって言ったんですよ
ペットボトル持ってたのでペットボトルじゃなくて水筒だったかもしれないんです けどもでその水をその古古学者の方が口にこう
一口飲んでプーって目の前の岩に吹きつけたんですねこう 霧にしてスプレーにしてその瞬間
壁から聖母マリアの像が現れたんです まあこれあの
埃っぽくてあの普段ほんのただの真っ白な壁に見えたんですけれども 水がつくことでこの顔料の色が現れてきてですねセブマリア像が現れたんです
18:03
本当にこう海と空の真ん中にパーンと現れたんですね その時のね写真っていうのは残っていなくて当時ねまだデジタル
カメラで初めの頃で僕はの念のためフィルムカメラを回していたので
まだデジタルかねどっかにされているはずなんですけれどもデジタルデータをあの 持ってなくてお見せできないんですが
メールでお送りしているニュースレターの方にはまあよく似た作品あの美術作品とそれから まあ僕が
思い描いた心象風景をコミッドジャーニーに書いてもらった人は2つあげています いやーもうびっくりですよ海の上に行こうセーブマリアがバーンと現れたっていうの
いやーもう考古学者かけーってなるじゃないですか これも猫のお導きだったのかもしれないです
結局ですねその時から僕は考古学とコンピューターサイエンスの間にどっぷりと はまっていくことになりました
実はここまでの話ニュースレターとニュースレターに先行して youtube の方でもお話をねさせていただいているのですが
ここからはそのどちらにも残していないお話その後について少しね お話をしてみたいと思います
このトルコのゲミレル島調査の後またいろいろうよ曲折がありまして そうですねその次がカンボジアだったんですね
カンボジアの話もなかなかね大変ではあったんですよ まあそもそも
まあクメールルージュによる内戦が終わった直後ということもあって まだねあちこち大人時代が残っているであるとか
一般市民が兵器を持っているとかね そんな時代でした観光地はね大丈夫なんじゃないの例えばその僕たちが調査に
たアンコールはとアンコールともなんか大丈夫なんじゃないのと思われるかもしれないの ですがカンボジアには
浮きがありますで浮きの旅に上流から大人時代が流れてくるということがあるそうなん ですね
で観光シーズンである換気になるといったんその大人時代を一斉にこう叩いて 爆破させて除去していくそうなんですがまぁ完全にそれではね取り切れないことがある
ということで 歩く場所には気をつけろというかですね足跡以外は絶対踏むなというふうにね
21:00
言われました 僕はカンボジアへはの関西空港から行ったんですが
カンボジア行く便当時タイを経由して行ったんですが 深夜の便で
25時とかですかね26時とかだったかな で関西空港てま24時間空港とはいいつつもまぁだいたいあの終電が23時ぐらいでそれ
すぎると思う空港の明かりも消えちゃうんですね 唯一の明かりがあの渡航情報を表示するターミナルで
外務省の音発表している渡航情報が出てくるんですけどもで寄せばいいのにそれで カンボジアって調べると
なんかね 20何歳女性
10で打たれ重傷とかですねまぁそんな情報ばっかり出てきてまぁ余計ね 関空で一人だし明かりもついてないしそんな中心冷える情報しか入ってこないし
て心細かったんですが まあ無事ね
カンボジアについてでまたこれも現地集合ではあったんですが 日本の調査隊と合流できて
なんとかね調査をしましたまあその間んですね いろいろ事件もありました
の水草ってね書いてあったメニューを食べたら 結果としてマリファナーでマリファナーだったということを気づいたのがもう20数年
経ってからなんですが バッドトリップしちゃったりとかっていうこともねありました
僕もね現地の方と一緒に井戸水飲んでたんですがその井戸水を飲んでいた 小さな子供がなくなってしまったりとかということもあったり
しましたそれ以来ね僕はペットボトルの水を飲むようにはしたんですが そんな過酷な現場でもありました
でメンバー結構ねバタバタ倒れはしたんですが僕はですねそれ結構あの就職が かかってたとかねちょっと事情があってですね
まあその間の話はご興味があればまた こっそりねお話ししたいなと思ってるんですが
倒れるわけにはいかないと日本に帰らないといけないという事情があって 頑張って帰ってきたところ
お前丈夫やなということで次はエジプトやということでエジプトにね派遣される ようになったというねストーリーなんです
でエジプトで5年ぐらい調査していて本当にね 現地ギザで日本人国語学者川行のり先生とお会いして今に至るという感じですね
今回も最後まで聞いてくださってありがとうございます皆様良いお年をお迎えください 1でした
24:02
me me
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植え上げた状態で、 ステッカーの上で仕上げをしています。
結果、一度重ねてみます。
びっくりしましたね!
Thank you.
24:58

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