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8月ですね.日本が,そして人類が体験した核爆発と,それにまつわる科学者の動きについて書いてみました.そして,核爆発が考古学さえも永遠に変えてしまったことも,ご紹介します.あと「祈りの花瓶」もご紹介します.

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改めましていちです
このエピソードは2022年8月4日に収録しています
このエピソードではSteam News第90号から
核兵器開発と科学者と高工学者の関係についてお届けします
ドイツの物理学者オット・ハーンと
同じくドイツの物理学者フリッツ・ストラスマンは
1938年にウランが核分裂を起こすことに気づきました
2人はこの発見をオーストリアの女性物理学者で
ドイツからカーン一発スウェーデンに脱出していた
リーゼ・マイトナーに手紙で知らせました
マイトナーはオイの夫ロベルト・フリッシュとともに理論を立て
またフリッシュは実験によって理論の正しさを証明しました
結果はドイツ語の科学論文史 『自然科学』
1939年1月6日号
そして英語の『ネイチャー』
1939年2月11日号に発表されました
なおオッドーハーンはこの発見によって
1944年のノーベル科学賞を受賞しています
核分裂の論文は物理学者たちの間に強い関心を呼び起こしました
デンマークの物理学者ニールス・ボアがこのニュースを
一足早くアメリカに伝え
アメリカではノーベル賞受賞式のついでにイタリアを脱出した物理学者
エンリコ・フェルミーを招いて
第5回ワシントン理論物理学会議が開かれました
これが1939年1月26日のことです
03:02
同じ頃ハンガリー出身のアメリカ人物理学者
レオ・シラードはドイツで発見されたこの核分裂が
発電や原子爆弾のための膨大なエネルギーを乱すことができる
核連鎖反応を作り出すことができることに気づきました
シラードはアメリカに渡っていたノーベル賞物理学者
アルベルト・アインシュタインにある手紙をアメリカ大統領へ書くよう依頼しました
これから読み上げる手紙は1939年8月2日付で
アルベルトからフランクリン・ルーズベルト大統領へ送られたものです
閣下、原稿として私のところに送られてきましたエンリコ・フェルミとレオ・シラードによる最新の研究は
ウラン元素が近い将来、新しい重要なエネルギー源となるかもしれないという期待を私に抱かせます
このことによりもたらされる状況のある点は
注意深く見守り、必要とあらば政府当局による迅速な行動を起こす必要があるものと思われます
よって、以下の事実と提案とに閣下のご注意を遡すのが私の務めであると考えるものです
過去4ヶ月の間にフランスのジョリオまたアメリカのフェルミとシラードの研究によって
大量のウランによる核連鎖反応が有望なものとなってきました
このことによって極めて強い力とハラジウムに似た大量の新元素とが生成されるでしょう
これが近い将来に成し遂げられるのは現在ほとんど確実なことであると思われます
またこの新たな現象は爆弾、それもあまり確かとは言えないのですが
考えられることとしては極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません
船で運ばれ港で爆発すればこの種の爆弾一つで港全体並びにその周辺の領域を有に破壊するでしょう
ですがまたこうした爆弾は航空機で運ぶにはあまりに重すぎることがわかるかもしれません
合衆国には程々の量で極貧弱な質のウラン鉱石しかありません
06:05
カナダとチェコスロバキアにはいくつかの良い鉱石がありますが
最も重要なウランの供給源はベルギー量コンゴです
この状況に照らして閣下は政府とアメリカにおいて連鎖反応を研究している物理学者のグループとの
より継続的な接触を保つことが望ましいと考えになるかもしれません
これを達成するための一つのありうる方法は閣下の信頼にたる
そしてまたおそらくは非公式な地位で働くことのできる人物にこの仕事を託すことでしょう
この人物の仕事はいかのようなものとなるでしょう
a.今後の開発の情報を政府機関へ逐次伝え
また合衆国へのウラン鉱石の供給を保障する問題に特に注意しつつ
政府の施策に対しての提案を行い政府機関への接触をすること
b.もし資金が必要ならこの目的に貢献しようと望む民間人との接触を通じてその資金を供給することにより
またおそらくは適切な設備を持つ企業の研究所の協力も得ることによって
現在大学研究室の予算の制限内で行われている実験研究の速度を上げること
私の知るところでは実際ドイツはドイツが接収したチェコスロバキアの鉱山からのウランの販売を停止しています
こうした一早い行動をドイツがとったことはおそらくはドイツ政府の外務次官フォン・バイズ・ゼッカーの施策が
現在ウランに関するアメリカの研究のいくつかを推ししようとしているベルリンのカイザービルヘルム研究所に所属していることを根拠として理解できるでしょう
という手紙でした
この手紙がアメリカの原子爆弾開発の理由になったかどうかは議論の余地があります
この手紙がなくてもアメリカは結局原子爆弾を開発したかもしれません
しかしアルベルト・アインシュタインは晩年この手紙を出したことを後悔していました
ハンガリー出身の物理学者レオ・シラードは
核分裂を利用して発電や原子爆弾のための膨大なエネルギーを生み出すことができる
09:06
核連鎖反応を作り出すことができることに気づいた最初の一人です
この計算にはアルベルト・アインシュタインの有名な式E=mc²がそのまま使われました
cは光の速度つまり秒速30万キロメートルです
mは質量eはその質量から生み出されるエネルギーです
もし0.1gの質量がすべてエネルギーに変わったとすると
9テラジウルこれおよそ2.5ギガワット児という意味不明なぐらいのエネルギーになるんですね
シラードはエンリコ・フェルミと組んで
コロンビア大学で天然ウランを原料とする原子炉を建設しました
そして原子炉を作るには大量の炭素とウランが必要であること
材料さえ手に入れれば成功するだろうことをシラードは確信しました
一方シラードはドイツの科学者もこの実験を試みるのではないかと懸念していました
特にベルギー寮コンゴはウランの最高の供給地であるため
ベルギーに警告を発するべきだと考えました
シラードはアルベルト・アインシュタインをよく知っていたので
先ほどご紹介した大統領への手紙をアルベルトに書いてもらったんです
彼は他に中米ベルギー大使にも手紙を送っています
そんなさなかの1939年9月1日にドイツによるポーランド侵攻があり
第二次世界大戦が始まります
アルベルトの手紙はルーズベルト大統領に届き
同大統領は私はこのデータが非常に重要であると考え
基準局長及び陸海軍の選ばれた代表からなる委員会を招集し
ウランの元素に関するあなたの提案の可能性を徹底的に調査することにしたと伝えています
ルーズベルト大統領はウランに関する指紋委員会
S1ウラン委員会の設立を許可しました
ただし1939年の時点ではまだ積極的な兵器開発には手がつけられていませんでした
1942年6月にアメリカ合衆国陸軍マンハッタン公兵官区が
12:02
マンハッタン計画としてS1ウラン委員会の研究を引き継ぐと
原子爆弾の開発が本格化します
マンハッタン計画を進めるよう大統領に強く進言したのは
計算機科学者バネバ・ブッシュでした
マンハッタン計画の科学者リーダーに選ばれたのは物理学者ロバート・ペンハイマーです
アルベルト・アインシュタインは平和主義に傾倒しすぎているという理由で
マンハッタン計画には呼ばれませんでした
オッペンハイマーはニールス・ボアー、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンといった
当時すでに有名だった科学者のほか
若きリジャード・ファインマンも呼び集めています
そしてご存知の通りオッペンハイマー率いるマンハッタン計画は
1945年7月16日に世界初の核爆発実験
トリニティ実験を成功させます
ロバート・オッペンハイマーの弟のフランクはドキュメタリエが
トリニティ実験の翌日の中で当時のロバートの心境について語っています
ロバートは世界に使うことのできない兵器を見せて
戦争を無意味にしようと考えていたのですが
結局人々が新兵器の破壊力を目の当たりにしても
それを今までの通常兵器と同じように扱ってしまったと絶望していたそうです
戦争が終結した後ロバート・オッペンハイマーは赤狩りの大将となり
事実上公職から追放され死生かつもFBIの管理官に置かれました
アメリカ側から見たら多大な功労者なのですが
アメリカその後の扱いはひどいものですよね
ロバート・オッペンハイマーがマンハッタン計画に呼び寄せたニールス・ボアは
元々デンマークの物理学者でした
彼のデンマーク時代の弟子に日本の西奈・ヨシオがいます
西奈は1928年に帰国し
理科学研究所で原子核の研究を続けます
1937年には本使ボアを日本に招待もしています
この頃サイクロトロンという実験装置の初号機を苦労の末に完成させたりもしています
サイクロトロンの設計に関して西奈は先行するアメリカを調査するために人をやったりもしていました
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そのためか技術力に優れるアメリカとの開戦に西奈は反対し続けていました
また1938年のウランの核分裂の発見を知ると西奈もまた追試に成功しています
しかし太平洋戦争前年の1940年陸軍が新型爆弾の研究に乗り出すと
西奈も徐々に巻き込まれるようになっていきます
1943年になると陸軍は西奈に本格的な原爆研究
通称「二号研究」を実施させます
この研究は1945年4月13日のアメリカ軍の空襲によって西奈の研究設備が破壊されるまで続きました
そして1945年8月6日アメリカ軍によって広島に新型爆弾が落とされます
西奈は8月8日に広島に入り原爆が使われたと断定します
その翌日長崎にも新型爆弾が落とされますが
西奈は8月14日に長崎入りしやはり原爆が使われたと断定します
もし西奈が原爆の研究をしていなければ日本は原爆を使われたことすら気づかなかった可能性もあります
彼が広島長崎で原爆が使われたことを知った時の絶望がどんなものだったのか僕には少しわかる気がします
それに原爆を研究していた西奈ですから現地に入るということは被爆するということを知っていたに違いありません
西奈が苦労して組み上げたサイクロトロンは兵器開発とは関係なかったにもかかわらずGHQによって東京湾に投機されました
西奈は1951年肝臓癌で亡くなっています60歳でした
マンハッタン計画の主要科学者もまた多くが50代から60代で癌で亡くなっています
原爆の研究は科学を一気に押し進めた面はありますが同時に偉大な頭脳を一気に失わせた面も忘れてはなりません
そして何より人類にとっては扱い切れない武器を作ることになってしまったんですね
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なんかこう上手い具合に破棄する方法はないものかなと僕も考えてしまいます
核兵器の危険はうっかり使ってしまうことばかりではありません
それがブロークンアローと呼ばれる核兵器をなくしてしまう事故です
例えば1950年にカナダのブリティッシュコロンビア州に墜落したアメリカ空軍のB-36爆撃機はマーク4という核爆弾を搭載していました
このマーク4は現在に至るまで行方不明です
一応起爆用のプルトニウムが外されているので核爆発の心配はないとされています
実はブロークンアローはもっともっとたくさん知られています
詳しくはメールでお送りしているニュースレターの方をご覧になっていただければと思います
核兵器をいきなりゼロにすることは無理にしても例えば国に一つだけにはできないのでしょうか
そうしたらもうちょっと慎重に扱うような気もします
もう一つ1945年が考古学者そしてアートの世界にも大きな影響を与えた話で締めくくろうと思います
考古学者は放射性炭素年代測定法という技術を使います
この技術は木材とかミイラとか生体に残った炭素を調べることで
それが現在から何年前に呼吸を止めたかを知る手段です
これは考古学者が年代を測定するためのほとんど最終兵器とも言える方法なんですね
残念なことにこの放射性炭素年代測定法は1945年までの異物にしか使えません
1945年とそれに続く核爆発が大気中の放射性炭素の比率を変えてしまったからです
ロバート・オッペンハイマーはトリニティ実験の後
我々には以前と同じ世界に戻れないことがわかったと言ったそうです
彼はもちろん戦争のあり方について言ったのでしょうが
この作者にとっても元の世界に戻れない線が1945年に惹かれているんです
21:01
2013年イタリアの美術館に所蔵されているフランスの画家
フェルナン・レジェガー1913年から1914年に制作した作品の一つが原作であると判明しました
この作品には核実験の痕跡が残されていたんです
考古学では1945年から遡る年数表記をBPと呼びます
例えば1900年は45 BPと書きます
BPはBefore Physicsつまり物理学以前という意味です
我々はもう元には戻れない世界に来てしまったことを忘れないようにしたいものです
8月ということで原爆の話をお届けしました
ちょうどこのエピソードを収録している期間なのですが
長崎県美術館でデザイナーのマイングマ・ナナエさんの祈りの花瓶プロジェクトの展示をしています
僕もお手伝いをさせていただいていますし
僕のエジプト方面の恩師である登校台の亀井博之先生も協力されています
これどんなプロジェクトかというと
長崎の原爆投下で被爆したガラスの花瓶
熱で形が変形してしまって
物によっては放射能も帯びてしまっていて
これはもう触ることができないものなんですが
それを3Dスキャンして
そして3Dプリンターでレプリカを作って触れるようにしたものなんですね
なおかつ長崎のハサミ焼きという陶器で
花瓶として家に持って帰ることもできるようにしたものです
展示だったり写真だったりするとなかなか実感がわからないものなんですが
直に触ると原子爆弾の熱というのは
これだけ硬かったものをこんな風に変形させるんだということが分かったり
これを使っていた日常生活の中で使っていた人がいたんだということが
直に肌に触れられたりとかして
まさにこの祈りの気持ちというものが
花をいけることによってまた蘇ってきたりもするんですね
すごくおすすめの展示です
ぜひ祈りの花瓶調べてみてください
今日は聴いてくださってありがとうございました
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