チョコレートの歴史
いちです。おはようございます。今回のエピソードでは、チョコレートについてお届けをします。このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレター、
スティームニュースの音声版です。スティームニュースでは、科学、技術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。
改めまして、いちです。このエピソードは、2025年2月16日に収録しています。このポッドキャスト、スティームfm、そしてニュースレター、スティームニュースは、スティームボートの取り組みのご協力でお送りしています。
このポッドキャスト、今回のエピソード、2025年2月14日にお送りしたニュースレター、スティームニュース第221号から、チョコレートの話題をお届けします。
この2月24日、もちろんバレンタインデーですよね。 バレンタインデーといえば、日本ではチョコレート、
まあ、現在ではね、自分用にチョコレートを買ったりとか、友達、あるいは家族にチョコレートを買ったりということもあるのかもしれないですが、
僕が10代の頃、平成の時代、平成の前半ですね。 チョコレートっていうのは、バレンタインデーのチョコレートっていうのは、女子が男子に送るもの。
もちろんね、ギリチョコの習慣すでにありましたけれども、友チョコとか、ほんと一瞬でされた逆チョコの習慣っていうのはなかった時代なんですが、
僕は、2月になるとチョコレート売り場にチョコレートを買いに行って、好きな女の子に送るということを毎年やって、毎年
玉砕していました。まあそもそもね、チョコレート買いに行くのが恥ずかしいんですよね。あの時代まして10代のね、男の子ですからね、この女性に囲まれて
一人でチョコレート買うっていうのも、そもそも恥ずかしかったということもあるんですが、
チョコレートを送って、ドン引きされて、売られるというね、そんな悲しい思い出もものすごいあるんですけれども、今回はそんなチョコレートの話題についてお届けをしていきます。
昨年亡くなった僕の父は戦中生まれで、戦後新中軍にチョコレートをもらったことがあったそうです。
ギブミーチョコレート世代ですね。 空腹の少年にはさぞうまかっただろうと思って味を聞いてみたところ、
あの時代でさえまずかったとのことでした。 アメリカ軍兵士がプラバクの方がよほどうまいと言ったのは本当だったかもしれません。
プラバクというのはプラスチック爆弾のことなのですが、主成分のRDXという爆薬が甘みを持っているそうで、実際に舐めて中毒症状を起こした兵士も、これは日本にもそれからアメリカ軍にもいたようです。
現在では法律によって爆発物マーカーというものが添加されているのですが、それが非常に不味いそうで、間違って爆薬を舐めるということはないようなのですが、
戦後すぐはですね、その爆発物マーカーが添加されていなかったので、実際にプラバクを舐める、かじるということもあったようです。
話をチョコレートに戻します。 チョコレートが日本人に初めて伝わったのは、記録がある範囲では1797年の
旧暦3月末日のことです。 長崎の遊女大和人がデジマでホランダ人から固形のチョコレートを6個もらっていまして、
それをショクラート6つとして記録に残しています。 残念ながら美味しかったかどうかの記載は残っていません。
その3年後に、今度は蘭学者 広川海が
長崎で出会ったチョコレートをショクラートとして記載しています。
彼はこんな風に記録を残しています。 色、アセン薬に似たり、
その味わいは、タンナリ。 現代風に訳すと、
色は成長薬に使われるガンビールのようで、味はタンパクですとなります。 ガンビールというのは、画像を検索していただくと、
どんなものかどんな色か見えると思うのですが、 今だと逆にチョコレート色という風にね、呼びたくなるような茶色い色をしています。
で、その味わいはタンナリ。 味はタンパクですというところ。
僕はちょっと疑問に思ってしまったんですね。 当時の日本人の味覚からしてチョコレートがタンパクってことはないだろうと、
まあ思ってしまったわけなのですが、後で述べるように、 この時代はまだ板チョコあるいはチョコレートバーは発明されていないため、
チョコレートドリンクの原材料であるカカオマスのことを、 ショクラート、あるいはショクラトーと呼んでいたのかもしれません。
この時代に長崎武行を務めた教科士にして職通、 教科士というのは狂った歌の師匠ですね。
教科を書くアーティストであり、職通であった食産人。 僕は尊敬の念を込めて食産人先生と呼んでいるんですが、
この食産人先生によると、出島で飲んだコーヒーは焦げ臭くして味悪にあたわずなのですが、
チョコレートの感想は残していないんですね。 おそらくチョコレートも食べるか飲んだかしたとは思うんですが、
記録には残していませんでした。 そんなチョコレートはメソアメリカ原産、つまりはメキシコ中央アメリカ原産で、
西洋世界に登場するのは1544年のことと見られています。 チョコレートの日本伝来はヨーロッパへの伝来から253年後ということになります。
253年という期間、考古学的にはそんなに長い期間ではないというか、むしろ一瞬とも言えるのですが、
ヨーロッパにおける梅毒のアウトブレイクが1494年で、 日本での流行記録の初出が1512年ですから、
こちらが18年でヨーロッパから日本に伝わっていることになります。 もっと言うとチョコレートの原材料であるカカオもそれから梅毒も
コロンブスが新大陸からヨーロッパに持ち帰ったというふうに言われているんですね。 コロンブスが新大陸に到達したのが
1492年ですから、その2年後にヨーロッパで梅毒のアウトブレイクが起こっていると。
その18年後に日本で梅毒が記録されていると、つまり20年で梅毒はこの新大陸からヨーロッパを経由して日本に
やってきたということに、このアメリカ紀元説を信じればそうなるわけですね。
梅毒とチョコレート
チョコレートに関して言うと、およそ250年、300年は経ってないにしても
300年弱経っているということを考えると、用意論が一緒だとしますよね。1492年のコロンブスの新大陸発見。
発見というのはヨーロッパ人の目線で、アメリカンネイティブたちは元からそこに住んでいたわけなんですが、そのヨーロッパから見て発見があってから
梅毒がわずか20年でこの極東まで伝わっているのに対してチョコレートは300年弱ですから
15倍早くチョコよりエロが伝わったということにもなるかもしれません。この時の1492年に
コロンブスがヨーロッパに持ち帰ったもの、またコロンブスがヨーロッパからこのアメリカ大陸に持っていったもの、これをコロンブス交換
コロンビアンエクスチェンジと呼ぶのですが、この時にもう信じられないぐらい大量の種類のものが
植物、動物、病気、人工物、ありとあらゆるものが交換されています。
有名なところではヨーロッパにジャガイモとかトマトがもたらされたわけですね。それから唐辛子ですね。レッドペッパーが持ち込まれています。
逆にヨーロッパ経由でこのアメリカ大陸、新大陸に持ち込まれたものは現在でいう家畜、
牛とか馬とかヤギとか羊とか、それから意外なことにサトウキビとかも、サトウキビはニューギニア原産でインドに到着していたそうなのですが、それが持ち込まれたりとか、
あと猫ちゃんですね。猫ちゃんはアラビア原産と言われていますが、その可愛さを武器に、天敵もいないですし、世界を接近していくんですが、この1492年、船乗りの友として行ったんでしょうかね。
このアメリカ大陸にもたらされたというふうにも言われています。
またね話がそれちゃったので、チョコレートの話に戻っていきたいと思います。
メソアメリカやヨーロッパのチョコレートはもともと飲み物でした。 特にヨーロッパのカトリック修道会では
イースター前の断食期間中も液体なら摂取できる決まりがあったそうなんですね。 で、需要に富むチョコレートは飲み物といってもこのドロドロの状態になっていたわけなのですが、
これは固体か液体かという論争の末に、 液体ということになったんです。
この時代、この時代というか非常に長い間、 チョコレートというのは飲み物として受け入れられていました。
現在でもホットチョコレートというと、英語でねホットチョコレートというと日本でココアのことですね。 なのでチョコレートというのは飲み物という時代の名残が残っています。
固形のチョコレートは1847年に イギリスのJSフライ&サンズ社が売り出したチョコレートバーが最初だと考えられています。
19世紀半ばということで産業革命真っ只中なんですね。 理由の一つが産業革命によってチョコレートの製造過程の
多くが機械化され価格が劇的に下がったことが挙げられます。 これはカカオの豆を発酵させた後引き潰すというところですね。ここが機械化されたということ。
さらにイギリスの労働者たちが酔っ払わないリフレッシュメントを求めていたということもあるそうです。
これはイギリスの労働者たち。イギリスご存知の通り 日本に比べるとイギリスだけじゃないですね。ヨーロッパ全体、日本に比べると水が悪いので
あまりこう水飲んで うまいってはならないんですね。
上流階級はお茶が大流行するわけなんですがお茶非常に高価でしたから 労働者たち何を飲むかというとアルコールですね
ビールなのかエールなのかあるいはジンを薄めたものなのか そういったものを飲んでいたようなのですが場合によっては朝から飲んでいたそうです
アルコール飲んでも多少力は出るところなんだと思いますが飲みすぎるとやっぱり酔っ払いますし
平均すれば日本人よりはお酒に強い人が多いかなぁと思うんですが それでも酔っ払いますし経営者としては
労働者が酔っ払うの困りますから何か酔っ払わない飲み物あるいは食べ物が欲しかったということで
チョコレート、チョコレートバーですね血糖値を上げるというニーズが非常にあったということなんだそうです
市場が一気に拡大して他社もチョコレート市場に参入します
1935年には現代の日本でも大人気のキットカットがラウントリー社から発売されています
キットカットって今でも4連のキットカットを売ってますよね まあ日本だとね2連のものもたくさんありますが4連がオリジナルだそうです
このキットカットが4連になっているのは忙しい労働者がパキッと追ってサクッと食べられるように考案されたものでした
日本ではねキットカット受験生の縁起物にもなっていますが これは九州の言葉でもう僕ね九州に住んでるんですけどちょっと九州の言葉が真似できないので
聞いてらっしゃる方いたらあの下手な 発音で申し訳ないんですけれども
キットカットがキットカットあの 下手でごめんなさいあの
カットってカツってカツって意味ですね でこの
縁起が良いということで受験勉強のお供 受験生の縁起物という風になっています
これでもね受験生もパキッと追って食べて まあその気合を入れる血糖値を上げるという意味では
キットカットの誕生
縁起物だけではなくて実用面でもね あの
ぴったりなものなんじゃないかなと思います この1935年のオリジナルのキットカットからやはりあの中身は変わってなくて
甘さとかはね変わってるかもしれないんですが作り方は変わっていなくて ウェアハウスをチョコレートでコーティングするというね
作り方今はあの製造メーカーも ネスレに変わっていますがそこは変わっていないそうですもうすぐね
100年デビュー100年経ちますが大ベストセラーということになろうかと思います メールでお送りしているニュースでた
スティームニュースには今週の書籍というコーナーがありましてそこにまあ市川歩み さんのチョコレートと日本人というね
書籍をご紹介させてもらってるんですが このチョコレートと日本人というね書籍の中では
キットカットの種類が日本では一番多い夢 日本ではじゃない世界で日本が一番多いっていうね
記述がありましてなんか日本人キットカット大好きだよね ことも書いてありましたチョコレートジャーナリスト市川歩みさんのチョコレートと
日本人とすごくね面白い本でしたので このニュースレターでご紹介しているんですがこのスティーム fm でもご紹介をさせて
いただきました
同じくですねニュースレターの方ではこのチョコレートの歴史の話の後 チョコレートとアートの関係についてもご紹介をしています
インスタグラムを中心にねチョコレートアートで活躍されている アーティストの方のご紹介をしていたりとか
あとですね 18世紀の画家たちですねこの時代
飲み物 チョコレートドリンクですねチョコレートの飲み物
があったわけなんですが当時は高級な飲み物だったので 絵のモチーフになったわけですね
チョコレートを運ぶ娘という絵の写真であるとか あるいはあの個体のチョコレートが一般的になった後
チョコレートが溶ける様子からインスパイアされた サルバドール・ダリの作品であるとか
それからですねまぁ現代アーティストで スコットランドのアーニャ・ガラチオというね
女性アーティストがいらっしゃるんですが 彼女はこの部屋をチョコレートコーティングする作品で有名な方なんですね
壁とかね天井とかをチョコレートでコーティングしちゃって もちろん触ったりとか削ってチョコレート彫ったりとかできるんですが彼女日本でね
展示した時に インタビューに答えていらっしゃるんですが
日本人はどちらかというと控えめな人々だと聞いていたけれども チョコレートの壁を舐めたのは日本人だけでしたみたいなね
びっくりしましたみたいなねことをインタビューに 答えていらっしゃったりとかもして
チョコレートとアートの意外な関係 まあ意外じゃない関係も含めていろいろねご紹介をさせていただきました
バレンタインデーの思い出
ニュースレターの方にはね写真も掲載しているのでそちらもよかったら見ていただければと思います
というわけで このエピソードではチョコレートそしてアートのお話をねお届けしました
このエピソード 冒頭にねお話しした通り2月16日に収録していまして今年はね
2025年は2月14日が金曜日 平日だったんですがで僕も職場に行ったんですが
チョコレートは 一つももらえませんでしたまあねその期待しているわけではないんですが
もうてかもう今の時代に例はもう7年ですからね あのギリチョコってね
もうそんな習慣はとっととしたれればいいと思っているんですが あの
まあ僕らねおじさんはねチョコレートをもらった個数を 自慢するというかマウンティングの材料に使った世代なので
反省しないといけないですね あの正確に言うと一つだけもらいました
あの夕方に インドとノルウェーから来られてたお二人の教授の歓迎会を
大学の近くのレストランで開催して 帰り際にお店のテーブルに
チョコレート あの明治ミルクチョコレートだったと思うんですけれども
小分けされているものですね でご自由にお取りくださいっていう風にあったので一つだけもらって帰りました
今年のバレンタインデーのチョコレートはそのご自由にお持ち帰りくださいの チョコレートでした
ねえっとまぁ冒頭ねご紹介したお話で言うと そうですね平成の前半ですから1990年代ですかね
まだねあの女性から男性にチョコレートを送るというのが習慣として根付いていて まあ根付いたかどうかわかんないですけどそういうブームだった
時期で でまぁその後ね
そういった習慣は去られていっても去られたんですかね あの僕の周りでは去られていって
このチョコレートメーカーもねあの友チョコとか逆チョコとかでそれも売れなくなって ご褒美チョコなんてキャンペーンをしていた時代もあったように記憶していますが
まあそのずっと前ですね で僕は
そのチョコレート売り場行くのが好きで
チョコレートまあめちゃくちゃ種類あるんですねでそんなに高くなかったんですよまあ 時代はねバブルでしたからむしろ
あのホワイトデー商戦の方が盛り上がっていましたね 家の方がねあの最低でも2000円からとか
バレンタイン商戦って本当にね500円ぐらいからチョコレートがあったように記憶してるんですが ホワイトデー商戦は最低でも2000円からとかそんな時代じゃないですかね
で チョコレート買ってそこそこいいチョコレート買って
好きな女の子に送って振られるというねことを してました
でその頃の経験がもとで大学生になってから
テーマパークまあ当時ねテーマパークと呼んだのか 単になんとかパークだったのか覚えてないんですが
そういうまあ例えば家族連れとかカップルで行くようなところに男一人で行くと チョコレートねあの女性ばっかりいるところに男一人で入っていって
買うという恥ずかしい行為に耐えた 結果ですね一人テーマパークが平均になって一人で行くということがねできるようになって
一人でまああの何度も行きました 僕はねそれを実績解除というふうに呼んでたんですけれども
カップルとか家族連れで行くところ男一人で行く あれって難しいですよねなんかこう女性同士女の子同士友達同士
女友達同士だとねたまにそういう組み合わせを見かけたので女の子同士だったら 入れるんだなぁってね思いながら
男同士てねまず見かけませんでしたし男一人なんてね あの一人だったんですが周りをね見渡した範囲ではただまぁ
なんかね行くとねほんとねあの鍵が外れる音がするというか心の鍵が外れるんですよ 実績解除なんです
ねえ まああの一時期ねあの美大で教えていた時とかに今学生たちも男の子の学生たちに
いいか君らこれが実績解除やって言ってね ぜひやりたまえって言ってねお話ししてたんですがあの
僕の教え子の男の子がこの前先生 僕も実績解除しましたってねあの伝えてくれて
嬉しかったです エジプト国語学者の音可愛い雪のり先生にも
雪さん実績解除した方がいいっすよしたら私には無理だなというふうにね あっさりと断られてしまいました
というわけでね何がというわけかわかんないけれども まあこれからね受験される受験生の方も
活躍を祈っていますのでぜひね 力を出し切ってください今回も最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次のエピソードでお会いしましょう市でした サムタイン
you get サーフィンぐるーにゅうどんのわーい サンター
ブーイング
uh アフィーウェア
ブーイング
goo ああああああ
♪ There's nothing that's holding us down, you and me
♪ As good as could be
♪ Living this dream that we found
♪ Look at us now
♪ Oh, look at us now
♪ There's so much
♪ Waiting before us we've yet to find