建国記念の日とその意義
いちです。おはようございます。今回のエピソードでは、建国神話についてお届けをします。このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレター、
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スティームニュースは、Steamboatのりくみーのご協力でお送りしています。改めましていちです。このエピソードは、2025年2月9日に収録しています。
2月9日というと、日本の建国記念の日、2月11日まであと少しという日なんですね。
この建国記念の日というのは、日本の建国神話に深く結びついています。
アメリカ合衆国を除くほとんど全ての国に建国神話があります。このエピソードでは、その日本の建国神話とそれを受け継ぐ日本の
公室についてお話をしていこうと思うんですが、その前に少しですね、僕の住む長崎のお話をしてみたいんですが、ちょうど今ですね
旧正月春節、春の節分と書いて春節ですね。春節を祝うランタンフェスティバルが開催されています。
旧正月というのはね、英語ではチャイニーズニューイヤーというふうに言いますが、旧暦のお正月で長くね
中国をはじめとする中華文化圏でお正月春節のお祝いだったので、英語圏から見るとチャイニーズニューイヤーというふうな呼び方をするわけですね。
チャイニーズニューイヤーというよりは、アジアのお正月という方が正しいような気はするんですが、その旧正月春節と建国記念の日
すごく近いんです。これなぜかというと、どちらも旧暦のお正月、旧正月そのままね、旧暦のお正月で旧正月なんですが、建国記念の日も
日本が建国されたとされる年の旧正月なんですね。それで2月にあるということになっています。この日付を決めたのは明治政府なのですが、ちょっとその根拠はまだ怪しいところはあるかなとも思います。
それも含めてお話ししますね。 改めて日本の建国記念の日についておさらいをしておきたいと思います。
毎年2月11日は建国記念の日となっているのですが、これは日本の初代天皇が即位した年の旧正月にあたります。
つまり初代天皇は当時の小読みで1月1日元旦に即位したということになっているのですが、もちろんこれは旧暦、大印暦の1月1日です。
旧暦の1月1日が現在我々が使う新暦、太陽暦の何月何日になるかというのは、これは月の運行で大印暦が決まっているので、毎年ずれていくことになります。
なので春節、これは新月の日に決まるわけなのですが、太陽暦では新月の日というのがどんどんずれていってしまうので、毎年違う日になっています。
もちろんね、長崎のランタンフェスティバルも旧暦に合わせて行われているので、毎年開催日が違うことになります。
一方ですね、この建国記念の日というのは、これは初代天皇が即位した年の元旦ですから、日付、計算で求まるはずなのですね。
実際に明治政府が計算をして、最初に決めた時は確か1月31日だったのですが、その翌年から2月11日ということで固定をしています。
明治政府が求めた初代天皇の即位は、紀元前660年旧暦1月1日ということになっています。
古事記と日本神話
この紀元前660年という推定の根拠なのですが、これは古事記、日本書記の記述からこの辺りだろうというふうに求めたわけなんですね。
もちろん考古学的には紀元前660年というのは弥生時代にあたります。縄文時代とする方もいらっしゃるんですが、弥生時代と呼んでおいて間違いないと思います。
またですね、和国の女王というふうに大陸側、中国側の書籍で書かれている卑弥呼王の罪が、これも3世紀前後ですので、それに比べてもちょっと古すぎるかなということで
紀元前660年日本建国説には疑問が投げられています。ただしこれは神話、建国神話なので突っ込むのは野望かもしれません。
世界の建国記念日を見ていくと意外なことにですね、イギリスに建国記念日がないということに気づきます。
むしろ多くの国でイギリスから独立した日を建国記念日にしていることを考えると、イギリスどんだけ世界を支配しとんねんというふうに思ってしまうわけなんですが、
日本はその独立記念日ではなくて、神々が日本という国を作ったという神話があるということですね。ここらへん、ギリシャ神話、ローマ神話にも近いかもしれません。
冒頭でご紹介した通り、比較的若い国家であるアメリカ、合衆国以外の国には建国神話というものが基本あります。
その国の神話というのはその国に住む人々のアイデンティティにもつながっています。
ところでですね、以前カナダアラスカ先住民をテーマにしたアート作品を制作、僕一人じゃないです。仲間と一緒に制作させていただいた時に、
カナダアラスカ先住民のシャーマンの方にお会いして、いろいろお話を伺ったんです。作品のテーマはカナダアラスカ先住民が持つ
神々との交流をテーマにした作品だったんですが、そのシャーマンからこんな話を聞きました。
カナダアラスカの人たち、自分たちを特定の呼び方をして、ある地域の人は自分たちのことをイヌイットと呼ぶし、ある地域の人たちは自分たちのことをエスキモーと呼ぶんだけれども、統一した呼び方はないそうです。
その彼ら先住民たちとイギリス人たちが交易を始めました。これはイギリス側から交易をしようという話があったそうなんですが、
このイギリス人たちとても礼儀正しく、そして公正な取引をして、彼曰く他の国と違ってイギリスは公正だったみたいなことを言っていたんですが、
その上に子どもたちのために学校も作ってくれたし、スーパーマーケットも作ってくれたし、とても生活は良くなった。
なんだったら、教会も作った。キリスト教の教会ですね。イギリスだからプロテスタントの教会でしょうね。
教会も作った。
すごく生活は豊かになったんだけれども、その時に
彼ら、カナダアラスカ先住民のシャーマンたちは
気づいてなかった。イギリスがやったことは神話の継承を奪うということだった。
神話の継承を失うということは民族のアイデンティティを失うということだ。
彼らの、つまりイギリス人たちが作った学校では
カナダアラスカ先住民の神話が教えられることはなかったということを伝えてくれて、僕たちはカナダアラスカ先住民の神話を伝える作品、タイトルは
ミラーオブトランスフィギュレーションというふうに英語でつけたのは、カナダアラスカ先住民の方々に体験してもらいたくて、
それから現在カナダに住んでいる子供たちに体験してもらいたくて、英語のタイトルをつけていたんですが、そういった話を伺ったことがあります。
そのカナダアラスカ先住民の神話っていうのは
人々はこの動物と変身することで神と交わる、神様は動物の姿をしているので
シャチであったりとかカラスであったりとか変身することで神々と交わるという神話を持っていたんですね。
それが西洋社会、特にイギリスによってこの文化的な侵略を受けたんじゃないかということを話してくれました。
その時にね、イギリス以外の国っていうのは割とわかりやすく侵略を、つまり資源を搾取しようとしたりしてきたんだけれども、
イギリスは国際価格で買ってくれた。だから自分たちはイギリスを信用した。だけれどもその裏で文化的侵略を受け入れてしまったというようなことを言ってくれたんですね。
で、その国民の結束、カナダアラスカ先住民は国民という概念も持っていない。それは平和だったからだと思うんですが、国民という概念持ってなかったかもしれないけれども、
ただその神々の神話によって繋がっていた。それが失われてしまったということなんでしょうね。
神話っていうのは、僕はもう、たとえおとぎ話に過ぎないとしても、人々がおとぎ話を信じるときに生まれる力、これが僕は無視できないと思います。
これ僕の言葉じゃなくて、イギリスの作家であり神父であったG.K.チェスタトンという方の言葉なのですが、そんな力というものが神話おとぎ話にはあるんじゃないかなと思っています。
ところでこの日本の建国神話を文字にしたものといえば、古事記と日本書紀になります。
特にね、僕は古事記面白いと思っていて、この神話の部分ですね。あの古事記ってもちろんこの神話から始まって人々、人間の世の時代まで書かれていくんですが、神話の時代すごく面白いと思うんです。
神武天皇と日本の歴史
漫画にもなっているので、ぜひね、日本に住む人、日本語を話す人を一度目を通してみてはどうかなというふうに思っています。
古事記によると男神、男の神様イザナミと女神、女の神様イザナミの2人の神様が最初にオノゴロ島という島を作るんです。
その島で2人は結婚して、最初に島を生んでいくんです。このオノゴロ島という島も実在とする説もあって、
その島というのが和歌山の友賀島か、あるいは淡路島の南にね、ちっちゃな野島という島があるんですが、そのどっちかじゃないかというふうに言われています。
で、このイザナミとイザナミが生んだ島々を大谷島、大きな8つの島で大谷島と呼ぶんですが、
淡路島、四国、沖の島、九州、市、津島、佐渡島、本州、この8つなんですね。
まあそのちょうど中心にね、友賀島とか野島が位置するので、オノゴロ島っていうのは大体ここら辺の場所の島なのかもしれないです。
で、イザナミとイザナミが島々を生んだ後に神々を生みます。
そのうちの代表的な神様が女神アマテラス、オオミカミ、そして弟たちツクヨミとスサノオですね。
アマテラスオオミカミは日本神話の最高神、ギリシャ神話でいうとゼウス、ローマ神話でいうとユピテルに相当しますね。
日本神話の場合は最高神が女神となります。
古事記によるとアマテラスオオミカミの孫ニニギがタカチホエアマクダって地上世界の神となります。
そしてこのニニギの非孫、アマテラスオオミカミから数えると五聖孫が日本の初代天皇こと神武天皇になります。
神武天皇はこの日向、ヒュウが現在の宮崎県に生まれ、大和、現在の奈良県ですねまで移動して、
遠征してですかね、そこで都を開いて天皇に即位したとされています。
神武天皇の即位はこちらは日本初期に日付が書かれているのですが、
カノトトリの年の元旦と書かれているんですね。
このカノトトリというのが古代中国の年の数え方、エトですね。
60年に1回回ってくるんですが、なのでどの年なのかってはっきりはわからないんです。
明治政府は60年ごとにイベントを計算していて、紀元前660年2月11日ということにしたんですが、
これは日本の考古学では流石に紀元前660年ってことはないだろうというふうに考えられています。
もちろん神武天皇が実在したかというのも考古学的な証拠は見つかっていないので、
実在を疑う考古学者もいるというか、多いです。
実在したとしても紀元前660年ではなくて、もう少し最近の時代、紀元前後じゃないかとする説もあります。
日本初期に書かれた第21代天皇の雄略天皇は実在が確実しされています。
雄略天皇の在は5世紀なので、これは世界史で見ても記録が残っていて全然不思議ではない時代ですし、
日本にも文字による記録が残っていますので、実在は間違いないと考えられています。
ただし雄略天皇の断経の地筋は耐えています。雄略天皇以前の天皇については考古学的証拠がないので、ここは遡りづらいのですが、
少なくとも第26代天皇の経代天皇以降は断経で現在の考室までたどることができます。
経代天皇は6世紀に即位していますので、僕たちの生きる21世紀は経代天皇の時代から1500年経っていることになります。
金城天皇は経代天皇の53世孫です。53世の断経の孫です。
日本の断経継承
これは記録に残る限り世界最長となります。記録に残ってないものも含めて、53世、1500年というのは世界最長と考えるのが自然でしょうかね。
もちろんヨーロッパにはカペー町という、カペー家という、現在でも続く断経継承が続く長い家系がありますが、それでも1500年ということはないので、やはり世界最長ではあるんじゃないかなと考えます。
これだけ長きに渡って断経継承ができたというのは、もちろんヨーロッパに比べれば王室が戦争に巻き込まれることが少なかった日本であったということもありますし、即室が認められていたということもあるでしょう。
ヨーロッパの場合はどうしてもキリスト教の影響が強くて、あまり大広げに即室の子供を四次にするというのは難しかったと思いますから、日本の場合はそこが若干緩かったということもあるとは思います。
ただしですね、安定した江戸時代、かつ日本最大規模の奥を持っていた徳川将軍家でさえ断経継承、結構難しかったみたいなんですね。
二代将軍徳川秀忠の断経断死は四世孫の家継で途絶えています。徳川家康の非孫、徳川義宗の断経断死、義宗は八代将軍ですね。八代将軍義宗の断経断死も五世孫の家継で途絶えています。
やはり江戸時代の徳川家を持ってしても断経継承というのは難しかったというふうに言えると思います。
最後の将軍徳川義信が徳川家康の十世孫で、これは上手く継承できたケースなんですが、これは水戸徳川家ですね。
家康より夫妻、その後続いていく水戸徳川家。
これ奇跡的に子たくさんの家系なんですよ。本当にね、各代みんな子供がたくさんいて、それゆえこの断経継承が十世まで成功したということなんだと思います。
そういう意味では、断経継承に絞るというのは非常に難しい、奇跡的なことなんだと思います。
ここに、日本だと中国から儒教の影響を受けて、この四次が繋がっていくというのは徳が連続していく。
神徳の徳ですね。徳が連続していくからという思想と相まって、この断経継承を尊いものとする発想になっていたと思うんですが、それ自体ね、珍しいということは間違いないと思うんです。
始まりが建国神話ですから、天照大神や女性ですが、その後ずっと断経で続いていったというのは、合理的な理由。
断経継承が続いたから神聖なんだとか、徳が続いているんだとか、偉いんだとか、という合理的な理由はないと思うんですが、建国神話なので、僕はある程度このエモさ、
そのファンタジーを信じる強さ、信じる人の心の強さというのも考えると、自然に続く限りは、こういうの断経継承を認めても、こだわってもいいんじゃないかなと、僕個人は感じました。
このエピソード収録にあたって、またスティームニュース第220号建国神話の執筆にあたって、一からね、僕も古事記、日本書紀を勉強しました。
長崎と津島の歴史的意義
で、僕自身ね、長崎に住んでいて、長崎って皆さんどんなイメージ持たれているかわからないですが、一つ言えることは国境の街、国境なんですね。
アメリカで言えばサンディエゴみたいな感じで、国境なんですね。で、津島っていう島が長崎県にはありますが、仕事でね、たまにですが津島に行くこともあります。
津島ってもう韓国にすごく近いんですね。実際津島の北部からは、プサンが肉眼で見えていますし、観光客も韓国人の方が圧倒的に多いです。
で、鎌倉時代から津島を支配していた曹氏、お殿様ですね。大名ですね。曹氏は江戸時代を通して朝鮮貿易を行っていました。
江戸時代ね、よく家光以降鎖国したと言われていますが、学術的にはこれは鎖国ではなくて貿易続けてます。長崎がね、オランダと貿易していたのは有名ですが、他にも津島は朝鮮と貿易していますし、
ロシアとの貿易もあったというふうにね、松前の方ではあったというふうにね、言われています。で、その津島のお殿様、曹氏なんですが、日記を残しているんですが、まだ解読100%解読されてないんですね。
で、それを解読するとひょっとしたら二重外交みたいなことをしていたかもしれないので、韓国側の主張としては地理的にもそれから経済的にも津島は韓国の一部でしょと主張する方もいらっしゃいます。
もちろんね、これもヨーロッパでも地中海の島を巡ってこの島はどっちの国だっていうのも歴史上いくらでもあるので、その韓国の主張というのが一方的にけしからんというわけではないのですが、その時に僕は古事記によくぞ津島のことを書いておいてくれたと、日本側としては思うわけです。
国海の神話ありましたよね。津島行き、そして九州はつくしの島というふうに書かれていますが、この日本の神々が生んだ島として津島を書いている。
これは外交のやりとりの時に古事記に書いてあるでしょうというのが根拠になるかどうかは僕はわかりません。例えばギリシャ神話にキプロス島が書かれているからアフロディーテがキプロス島に降り立ったと書いてあるからキプロスはギリシャのものとはならないので、
古事記に書いてあるから日本だと100%主張することはできないかもしれないが、ただ文化的にここは昔から日本なんだと主張することはできるし、何より津島に住んでいる日本人のアイデンティティとして、
自分たちは大谷島の一つに住んでいるんだ、ここに生まれたんだということを主張できる強い根拠になると思うんですね。
考古学がよく政府の助成金とかで発掘をするのってなぜそんなことをするんですか、無意味じゃないですかっていう批判を受けることもあるんだけれども、こういうこともあるわけなんですよ。特に国境だとそれが際立っているんですけれども、
どんな地域でも考古学というものがその地域住む人のアイデンティティにつながる神話との接続につながるということも、僕はこのポッドキャストそしてニュースレターで主張を続けていけたらなと思っています。
ニュースレターにご寄付いただいている方々にお送りしているニュースレターの別冊では、そこらへんちょっと厚苦しく書かせていただいているので、よかったらそちらも読んでみてください。
ではsteamfmのいちでした。
steamfmのいちでした。
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