アンセル・アダムスの紹介
一です。おはようございます。今回のエピソードでは、写真家アンセル・アダムスから現代のコンピュータグラフィックスに繋がることというテーマでお送りをします。
このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレターSTEAMニュースの音声版です。
STEAMニュースでは、科学、技術、工学、アート、数学の話題をお届けしています。
このエピソードは、2025年11月28日に収録しています。このポッドキャスト、STEAM FMは、スティームボート乗組員のご協力でお送りしています。
改めて、今回のエピソードは、STEAMニュース第261号から、写真家アンセル・アダムスから現代のコンピュータグラフィックスに繋がることという内容でお送りをしていきたいのですが、
テーマは、写真、絵画、コンピュータグラフィックス、画像の話です。
音声メディアでお話をしているところなのですが、キーワードを拾っていただいて、よければ画像検索していただくと、このことだったのかというふうに気づいていただけるかなと思いますので、お手間ではありますが、ぜひ画像検索もしてみてください。
とても素晴らしい写真であったり、絵画であったり、見ることができると思いますので、そういうことなのね、というふうに気づいていただけるかなと思います。
今日の2025年11月28日、2025年も終わろうかなというときに、このアンセル・アダムスのお話をしているのは、ちょっとしたきっかけがあったんですね。
というのも、コダック、老舗カメラメーカーで、今は自社ではカメラを作ってはいないのですが、コダックブランドのカメラを販売している会社で、もちろん写真、フィルムも作っている会社なのですが、
新しいフィルムカメラの発売を検討中という報道がつい最近あったんですね。
コダックブランドのフィルムカメラ、すでに出回っていますし、日本のペンタックスブランド、これリコーですね、今のリコーが販売しているペンタックスブランドのフィルムカメラもあるのですが、
この2025年も終わろうかというときに、フィルムカメラの新製品ですか?というので、ちょっと驚いたので、そのフィルムカメラといえば、やっぱりアメリカの写真家、アンセル・アダムスかなと思って、取り上げてみたくなったわけですね。
アメリカの写真家、アンセル・アダムス。アンセル・アダムスで検索していただくと、おそらくトップにヨセミテ公園、あるいはヨセミテ渓谷の写真が出てくるんじゃないかなと思います。
森の向こうに、この絶壁が立ちはだかっているという、これはクライミングの聖地でもあるのですが、ヨセミテ公園のエルキャピタン、なんて発音するんでしょうね、エルキャピタン、スペイン語ですよね、船長とかそういう意味のエルキャピタン、キャピタンであっています。
オランダ語でカピタンですよね。エルキャピタンという絶壁が描かれている、描かれているじゃないです、写真で撮られている写真が出てくると思うんですが、
これはアンセル・アダムスの代表作の一つで、その壮麗な自然風景と卓越した写真技法を象徴している一枚になっています。
彼はヨセミテ国立公園をたびたび訪れ、刻一刻と変わる光と影、そして広大な渓谷の荘厳な美しさをカメラに収めました。
このヨセミテ渓谷の写真では、この雲が渓谷を包み込むドラマチックな瞬間が捉えられています。
ゾーンシステムの影響
遠くにそびえる花崗岩の岩壁、木々の微細な質感までが、深いコントラストと精緻なディテールで描写されています。
これは特にアダムスの開発したゾーンシステムという考え方による明暗のコントロールが存分に発揮されていまして、
黒から真っ白までの幅広いトーンが自然なグラデーションとして再現されているからでもあるんですね。
もう一つ、彼はパンフォーカスといっても手前から遠くまで全てにピントを合わせるという写真技法でも有名です。
ゾーンシステムについては、このエピソードの中でもう一度説明をしたいと思います。
このヨセミテ渓谷の写真の鑑賞者は、写真の奥行きと精筆さ、そして自然の持つ力強さと静けさを同時に感じ取るんじゃないでしょうか。
本作は単なる風景写真を超えて、自然環境の騒音さや尊さを改めて認識させる芸術作品として広く知られています。
またアダムスはこのヨセミテ写真を通して自然保護活動にも大きな影響を与え、多くの人々にアメリカ西部の自然の美しさとその保存の重要性を訴え続けた人でもあるんですね。
アンセル・アダムスのゾーンシステムというのは、彼が開発した写真の露出と現像に関する理論と技術なんですね。
彼はこの方法を公開しているので、写真の明暗、それからコントラストをきめ細かく、意図した通りに表現できるようになったんです。
この取り組みなのですが、後のデジタル画像処理、コンピューターグラフィックスにも大きな影響を残しています。
なぜこんなゾーンシステムという考え方が必要になったのかというと、これは人間の目の方に秘密があります。
人間の目にはダイナミックレンジという感じられる明るさの幅があるんですね。
フィルムカメラ、それからデジタルカメラで使われている受光素子にもダイナミックレンジはあるのですが、人間の目のダイナミックレンジの方がうんと広いのです。
ダイナミックレンジが広いほど、真っ黒から真っ白まで細やかに区別ができるのです。
人間の目は一度に見える範囲としておよそ4,000から1万6,000倍の明るさの差を知覚できると言われています。
ただしこれは一つのシーンに限った話で、人間の目というのは暗闇に目が慣れたりとか明るさに目が慣れたりとかしますから、
トータルで見るとおよそ100万倍以上の明るさの差を認識可能とも言われています。
ところがカメラに使われるフィルムや印刷された写真、それから現代だとコンピューター画面、スマホの画面などがそこまでのダイナミックレンジを持っていないのです。
人間の目に比べるとどうしても性能が低いということになります。
なので写真家が一番表現したい明るさの幅をどこに持っていくのかというのが、まあ突き詰めるとゾーンシステムのエッセンスになるわけですね。
アダムスと現代のCG
ただ万全と写真を撮るのではなくて、ここは白にしよう、ここは黒にしよう、じゃあ中間のグレーはどこに持っていこうかということをきっちり計算して撮影する、現像する、プリントするという考え方。
これ現代でもデジタルカメラ写真でも一眼レフのデジカメですね、なんかだと現像というプロセスを一旦踏んで画像にすることが多いのですが、その現像プロセスでどこにこの明るさの中心を持ってくるかというのを操作します。
そこがアンセル・アダムスのゾーンシステムの知見が活かされる部分なんですね。
で、振り返ってみるとアンセル・アダムスというか、写真発明以前からこういったゾーンシステムのような考え方というのはありました。
カラバッジョの精、マタイの照明、レンブラントの夜景、フェルメールの真珠の耳飾りの少女なんかがですね、その代表的な例と言えると思うのですが、
油ですね、油による絵では、人間の目が捉えられるダイナミックレンジ全てを絵の具で表現することはこのキャンバスの上ではできないので、
いかに鑑賞者に想像させるかというところを掛かっているんですが、今挙げたようなカラバッジョ、レンブラント、フェルメールなんかはもうその名人の技で想像させているんですね。
そこらへんもまた一種のゾーンシステム、当時は当然ゾーンシステムという名前はないですが、
現代の言葉で言うと、現代のコンピューターグラフィックスの言葉で言うとトーンマッピングになりますね。
ダイナミックレンジの狭さをどこでカバーするかというところ、途中の媒体、メディアが持っているダイナミックレンジが狭いんだけれども、人間の目はダイナミックレンジが大きいので、
その足りない分をどうやって補うかということを、これを画家たちは天然に、天然にということはないかもしれないですが、計算していたんでしょうけれども、
そういった数学的なバックグラウンドはなしに作り上げていたし、それを緻密に計算することで写真に反映したのがアンセル・アダムスであったし、
現在のコンピューターグラフィックスの中では、一つ一つの明るさというものが、この数学的な関数という、数学を使って表現されているということですね。
メールでお送りしているニュースレター、スティームニュースの方では、このゾーンシステムの考え方を図解で説明もさせてもらっているんですが、
この図もコンピューターによって自動生成してみました。AIのナノバナナというシステムを使って説明してもらったんですが、
これもなかなかよくできていたので、そのまま採用させてもらいました。
もう一つここで皆さんにお願いがあって、先ほどのカラバッジョとか、それからフェルメールとかも検索していただきたいんですが、もう一つお願いがあって、アンセル・アダムスの写真。
これはあまり日本では知られていないかもの写真なんですが、アンセル・アダムスのプレジャー・ガーデン・オブ・ムーンという名前の写真、1943年の写真を検索してもらえたらなと思うんです。
彼の作品にしては珍しく、日本庭園が収められた写真なんですが、この日本庭園、日本ではないんですね。アメリカです。
1943年という時代から、ピンと来た方もいらっしゃるかもしれないですが、太平洋戦争中です。
アンセル・アダムスと日系人共生収容所
太平洋戦争中に日本庭園があったのというと、これ実はあったんですね。どこかというと、日系人共生収容所の中です。
美しい写真を残した芸術家であり、ゾーンシステムを開発した技術者でもあったアンセル・アダムスですが、彼にはもう一つ社会から与えられた役割があったんです。
ナイジジ世界大戦中、アメリカ政府は日系アメリカ人を強制的に収容所に収容しました。収容所はリロケーションセンターというふうにアメリカでは呼ばれていました。
日系人を強制収容したというふうに歴史的には言われているんですが、実は僕の大叔父も収容されていたんですね。
彼は日本人だったので、日系アメリカ人だけじゃなくて、たまたまその瞬間アメリカにいた日本人も収容していたということなんだと思います。
アンセル・アダムスはこの第二次世界大戦中、マンザナー日系人共生収容所、アメリカの発音ではマンザナーですが、
現地の方は確かマンザナールというふうに呼んでいたと思います。僕たち日本人もマンザナールという呼び方をすることが多いです。
マンザナール日系人共生収容所の写真をアダムスは精力的に撮り続けました。
彼がマンザナール共生収容所を撮影した理由なのですが、写真による記録を通じて社会的な真実を伝える責任を強く感じていたからです。
彼は日系人共生収容をアメリカにおける民主主義の危機と考えて、この出来事を忘れ去られないように記録に残したいと強く願ったんですね。
彼はマンザナール共生収容所を訪れて、そこで暮らす日系アメリカ人の生活や家族の姿、労働の様子などを丁寧に撮影しました。
これらの写真は単なる悲劇や被害者という側面だけでなく、困難な状況の中でも尊厳を持って生きる人々の姿を浮き彫りにしています。
アダムスは彼ら、日系人の強さ、誇り、日常性を伝えることで、差別や偏見の無意味さと人間の尊厳を訴えたかったんです。
その記録は1944年の写真集、Born Free and Equal、自由にして平等に生まれるという写真集として発表されました。
アダムスはこの活動について、これまでの写真で最も重要なものの一つと語っています。
文化の記録と継承
ジャーナリストとして、ストーリーテラーとして、芸術家として、社会的責任を果たすという信念からこの作品が生まれました。
モノクロ写真、あるいは白黒写真というのは、言ってしまえば方眼紙を一マスずつ違った濃さの鉛筆で塗りつぶしたものにすぎません。
それでもアンセル・アダムスのモノクロ写真が時代を越えて僕たちに語りかけてくるのは、
これは僕の感想なのですが、アンセル・アダムスがロジカルなメッセージを美しいグラフィックに収めたからだと思うんですね。
僕は永遠にアンセル・アダムスを超えられないとは認識はしているんですが、それでも生涯の目標にしたいなと思っています。
僕自身、アンセル・アダムスの後を追っていたわけではないのですが、長崎大学に着任させていただいて、偶然のご縁ではあるのですが、
アメリカの日系人共生収容所の記憶を残す研究に取り組んでいます。
この2025年、強い政治的圧力があって、日系人共生収容所の記録というのがなかったことにされつつあるんですね。
アメリカ政府のウェブページから消されたりとか閉鎖されたりとか、もともと砂漠に作られていたので埋もれてきているのを放置されていたりとか、このままだと本当になかったことになってしまうのかもしれない。
その日系人共生収容所には、アンセル・アダムスが撮影したように、日本庭園が作られた跡があったんですね。
これ、共生収容所という極限環境下で収容された人々が、母国の文化を残そうとした究極のアーカイブの跡地でもあるということなんです。
一度、アメリカが抹殺しようとした日本人のアイデンティティというものを、ひょっとしたら日本を知らない日系2世とか3世とかが人捨てに聞いて、あるいは日系1世に教わって、何とか手持ちの材料で日本文化を残そうとしたということですね。
アンセル・アダムスが写真を残していなかったら、こういった記憶も早く失われていたかもしれないです。
もう一つ、これも手前みそながらなのですが、僕がTEDx京都に関わらせていただいたときに、日系アメリカ人俳優ジョージ・タケイさんによるトークを収録させてもらったのですが、
彼も子供の頃、リドケーションセンター、日系人強制収容所に入れられていて、そのときの記憶についても話してくれているのです。
そういった活動も、極限環境下の日本人たち、外国人たち、外国人ではないですね、アメリカ人だったので、外国ルーツを持つアメリカ人たちが自国のルーツを残そうとしたという活動として、
アーカイブ記憶に残っていくというところで活動させていただいていて、ジョージ・タケイさんがあえて語ってくれなかったら、やはり一歩傍客に近づいてしまっていたんじゃないかなということもあって。
今、僕たちは日系人強制収容所の跡地を発掘したりとか、デジタル化してアーカイブにしようとしているのですが、
そこにいた人の思いであるとか、形に込めた思いを後世に残すにはどうしたらいいのかなというのも同時に考えていて、その一つがアンセル・アダムスの写真であり、もう一つはジョージ・タケイの表現であったりもするのですけれども、
何か出会えたなと思いました。このスティームニュースのメールでお送りしている方のニュースレターの原稿を書いていて、僕はこれをしたかったんだなというか、答えは目の前にあったんだなというのを感じました。
長崎大学で、あとはアメリカのコロラド州のデンダー大学と共同で行っていく研究なので、またご報告できると思います。どうぞご報告をお待ちください。
というわけで、今回も最後まで聞いてくださってありがとうございました。スティームニュース、スティームFM1でした。