共感的理解の実践
どうもおはようございます。まーくんでーす。今日は12月24日水曜日ですね。
まーくんコーチの屈伸チャンネル始めていきまーす。 今日のテーマは、
車の運転と共感的理解というお話です。 共感的理解っていうのが
心理学用語としてありますね。
カール・ロジャーズという心理学者の方がいました。
僕今コーチングやってますけど、
現代のコーチングの土台になるような理論を築き上げた人ですね。
その理論の一つが共感的理解というものです。
相手の立場になって、ものを見ましょう、考えましょう。 相手の立場に立ちましょう、みたいな、
すごくざっくり言うと、そんな意味の言葉ですね。
共感的理解っていうのはコーチングの基本中の基本でありながら、
徹底するのが難しいって言うとあれだけど、
まあ終わりがないですよね。 共感的理解、俺は完璧だって思った瞬間に共感的理解から遠のくと思ってます。
理解したと思った瞬間にもうそれ以上理解が進まないんでね。
どこまで立っても終わりがないような探求だと思うんですが、
奥深いものだと理解して日々取り組んでるんですけど、共感的理解って。
先日車の運転してて、ああこういうことだよな、共感的理解って、って出来事があったのでシェアしたいんですけど、
車運転ってされます? 運転してて、
まあストレスなく運転できることもあるし、
なんだこいつって運転する人がいたりとかするとちょっとイラッとしたりね、
することがある。 で僕はね先日感じたのが、なんか運転してて、
あのー、信号じゃないのに止まって動かねえなーみたいなことがあったんですよ。
で、何個か前の車、1個前の車かな。さすがになんか前ずーっと並んでたら、
あのー、あー渋滞してるのかなとか、なんか前で起こってるのかなって考えが及んだりするんですけど、
1個前の車が全然動かないと、あれなんだこいつってなっちゃうんですよね。
で、あのー全然動かないんですよ、前の車が。あれ?と思って。
で、しばらく経っても動かなかったんで、若干ちょっとイラついてくるんですよね。
あ、自分イラついてるって思いながら、その場で待機してるんですけど、
あのー、動かねえなーと思って。
しばらくしたら動いたんですけど、何があったかっていうと、結構細い道だったんで、
自分が走ってる道の脇から車が出てくるけど、
あのー、1個前の車を左折しようとしてたわけですよ。
左折しようとしてたけど、左折する先の細い道からも車が来ていたので、
あのー、曲がれないと。
左折先の細い道から車を先に出してから、
僕の1個前の車が左折しましょうみたいな、多分そういう段取りを想定して、
僕の1個前の車は待ってたんですよね。
なわけで、ちょっと進むまで時間がかかりましたっていう、
ただそれだけの単純な話なんですけど、
やっぱなんかね、あるじゃないですか、そういうのって。
見えないとこで、自分が見えないとこで何かが起こってるんですよね。
で、自分の見えないとこで何かが起こってるのは、
旗から見たら、何だそれ、何やってんだ、早くしろよって思うわけですよ。
でも違うんですよ、ちゃんと前の車もわけあってそうしてるんですよね。
で、共感的理解ってこういうことだよなって思ったわけですよ。
自分が見えないところで何かが起こってて、
その見えないがゆえに、全然旗目から見たら理解できない行動にも
ちゃんと理由があったりする。
そういうところに思いを巡らせたいなって思うんですよね。
生活における共感的理解
職場でもそうだし、子育てとか家庭の人間関係でもそうだと思うんですけど、
自分がよくわかんない行動、今なんでそれやってんのとか、
もっと他にやることあるじゃんとか、優先順位それじゃないじゃんとか、
もっとちゃっちゃっとやればいいじゃんとか、いろいろ思うことはあるですよね。
そういうときにもきっと何かが起こってるんですよ、その人の中で。
何かその人なりのつまずきポイントだったり、段取り、優先順位があって、
今は違うことやるタイミングなのかもしれないし、
自分が考えている段取りと違う段取りで考えている。
そういうことってあるあるだと思うんですよね。
そういうときに、何だよこいつって思う前に、
思ってしまったとしても、いやいや、
なんかきっとこの人なりの事情があるんだなって思いたりたいですよね。
っていうのもあるし、何だこいつって思わなくても、
人はみんな自分自身と違う考え方、もののみ方で生きてるんですよね。
だからたまたま、何だこいつおっせえなとか、
自分の中に引っかかりがあったときは、
じゃあ相手の立場になって考えてみようとかいうスイッチが入りやすいんですけど、
普段も自分の中でストレスなく過ごせてる間も、
相手は自分とは全然違うもののみ方で生きてるわけですよ。
たまたま自分のそういうイラッとするポイントとか、
違和感を感じるポイントに引っかからないだけで、
普段から他の人は全然自分と違う考え方で生きてるんですよね。
だからそういうときにも、思いを巡らせたいですよね。
一緒にいるときも楽しそうとか、自分が楽しく過ごせてるときも、
相手もきっと楽しく過ごせてるのかな、わかんないけど。
自分が違和感を感じないところでも、共感的理解を働かせたいなって思うんです。
それはきっと、違和感を感じる部分に共感的理解を働かせるより難しいかもしれないですよね。
スイッチが入らないから。入りづらいっていうか。
イラッと、違和感があるって言った瞬間にスイッチを入れるのと、
常時スイッチオンで過ごすのとでは、
普段から常に共感的理解をしようとして過ごすのは、
一個レベルが上がる感じがしますよね。
でもそこを目指したいなって改めて感じたんですよね。
車の運転もそうだし、子どもとの関係もそうだし、
パートナーとの関係、あとは職場の人間関係、上司、部下、同僚。
そういうところでも、違和感を感じる部分以外のところ、
普段の日常の部分、気分よく過ごせているときでも、
きっと相手は違う世界を見ながら生きている、
自分と違う考えを持ちながら生きているっていうところにも、
改めて思いを巡らせながら過ごしたいなと感じた、
今日このところでございます。参考になれば幸いです。
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