声で届ける起業家の物語 Startup Now-MCのお稲荷です。
本日のゲストは、株式会社スーパーワーム代表取締役 古賀勇太朗さんです。
スーパーワームさんは、昆虫由来のタンパク質、バイオ燃料を開発提供されているスタートアップでございまして、
2025年の7月、プレシリーズAラウンドで2.8億円の資金調達を発表されたばかりとなります。
古賀さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今回ご出演いただいた経緯なんですけれども、第86回アンデスの藤田さんと
トラストスミス&キャピタルの安藤さんの配信をSNSで告知したタイミングで、
古賀さんからぜひうちも取材してほしいというふうにおっしゃっていただきまして、大変ありがたいなと思っているんですけど、
これ番組自体は元々ご認識とかいただけていたものなんでしょうか。
すいません、全然知らなかったんですけど。
そうですか。
なんか面白い番組あるんだなというふうに見てまして、それでぜひと思いました。
むしろそれはありがたい認識だなと思って、正直知名度はまだまだだなと思いつつ、
そういう新しく知ってほしいのもあって、SNSとかもやっていてですね、大変ありがたいなと思います。
そしてぜひ今回ご一緒にさせていただいて、
スーパーワームさん、古賀さんの回すごく面白くなりそうな予感がしてますんで、
ここでまた認知も増えたら嬉しいなと個人的には思っております。
前編では古賀さんの人生の物語そのものを紐解いていきたいなと思っております。
その前にですね、まずは事業について1分程度簡単に教えていただけますでしょうか。
はい、初めまして株式会社スーパーワーム代表の古賀と申します。
弊社はですね、宮崎県に拠点がありまして、スーパーワームという昆虫を大量に養殖して、
昆虫から油を絞って、その絞った油をバイオ燃料の原料にすると。
それがサフと呼ばれるバイオジェット燃料になったりとか、あとバイオディーゼル燃料。
何なら重油の代替みたいなところになっていくというような事業をやっておりまして、
今宮崎県ではまだ少ない量しか養殖してませんが、大体年間1000万匹ぐらい養殖していると。
そんなことをやっております。よろしくお願いします。
お願いします。
1000万匹って単位がわからなすぎてすごく多そうだなとか思うんですけど、この辺りってのは実際どういう規模感なんですか。
年間10トンという量で、ただ燃料という業界に切り込もうとするのであれば、
まだ全然個別以下のような、そんな小さい規模でまだ研究開発としてやっております。
とはいえ、創業は2023年とかでしたっけ。
の5月です。
5月ですよね。だから2年強。
そんな規模が量産の手前なのかもしれないですけど、作れてるって結構早いんじゃないかなとか思ったりするんですけど、
この辺りのスピード感とかってどんな感じなんですか。
そうですね。比較的、一応ディープテックと呼ばれるカテゴリーかと思うんですけれども、
ディープテックのスタートアップにしては割と早いスピード感で進められているのかなという感覚ではおりますが、
まだまだもっと早く進めたいなと思ってます。
いいですね。なぜその領域なのかはちょっと多分後編中心なのかなと思いますので、
一旦ここで区切らせていただきつつ、続きまして小賀さんの幼少期だったり学生時代とか、
ご経歴とかを中心としたような自己紹介、1、2分ぐらいでいただけますでしょうか。
ありがとうございます。私は小さい頃は好奇心旺盛な少年でして、
特に今の事業と繋がるんですが昆虫が大好きで、昆虫博士になるとか、
生物とかも好きだったり動物博士になるとか、そういったことを夢見ながら生きていた少年でございました。
基本切り口としては生物学という切り口が私の人生でありまして、
高校では生物部というものに所属していて、日型にいる白いカニを、今弊社のCTOの餅月という人間がいるんですが、
その2人で日型にいる白いカニをひたすら観察して、
学校は一緒だったんですか?
そうですね。生物部でひたすらそれの研究をしていたりとか、大学に行っても生物学を専攻して、
そのCTOの餅月と結構仲が良かったので、一緒にいろんなプロジェクトを走らせたりとかしながらいろいろ遊んでいたというような時期がありました。
その後、私は熊本大学に行ったんですが、普通の学生というのは大体教員になったりとか会社になったりすると思うんですが、
私はもう最初から起業するというふうに決めておりまして。
なんでですか?
私、祖父が両方とも起業家でして、どっちも増援業と、もしくは土木業みたいなことをやっておりまして、
なので起業という選択肢が比較的身近にあった環境で育ってきました。
なので最初から起業するぞというような思いで東京に出てきて、最初はブロックチェーンの事業をやって、
その時はDAOのプラットフォームを作るぞみたいな。
その時から普通のビジネスではなくて、社会に大きなインパクトを与えるような、社会変革を起こすような事業を行いたいというふうに思って、
最初はDAOのプラットフォーム。
ただそれも意外と難易度が高くて、それで難しかったので、その次の年に、私その時タイにタイ人の彼女がいたんですよ。
なのでタイに行って、東南アジアでもっと大きな事業を立ち上げるかというような思いでタイに企業ビザを取得して行って、
その時はシステムエンジニアのフリーランスみたいな事をしながら、ゲーム配信のプラットフォームみたいなのを作ろうかなと。
日本で言うとミラティブみたいな感じですね。
と思ってそういった事業をやっておりました。
というのもタイ人って仕事中でも何をしている時でも常にスマホを開いてゲームをやっているみたいな、
そういった自分の中での発見というか観察していた上で分かったことがあって、
なのでいわゆる無駄な時間ではないですけれども、それを配信して他の人が見て、
そこが価値になったら面白いなというのでそれをやってたんですが、
ただその時に半年ぐらいその事業を進めていた時にコロナが始まったんですよ。
なので日本に帰国して、
次はタイでもう事業はできなくなっちゃったんで、
次何しようかと思っていろいろ考えていましたと。
その時に私がんになったんですよね。
がんですか?若いのに。
25歳の時にがんになって、
足にイボができて切り取ったらがんであると。
足のイボってがんあるんですか?
珍しい。
なんか結構症例になるレベル、症例の写真とかに載るレベルで珍しいらしいんですけど、
それががんになって。
今は感慨して元気なんですけど、
25歳でがんになって、
もうあと例えば3年とかで死んでしまうかもしれないと思った時に、
僕は思ったのは別に落ち込まなくて、
どうせ死ぬんだったら何か成し遂げてから死のうと思って、
世界一周して、
世界中の美しい景色を見てから、
この人生に終わりを告げようかと。
なんかそんなヒロイックな気分にもなりまして、
世界一周してきたと。
ただその世界一周、輝かしい色んな景色を見ることもあったけれども、
結構物憂いとか、
食のサステナビリティみたいなところとか、
あとはその時にちょうどウクライナの戦争が始まっていたので、
エネルギーのサステナビリティとか、
そういったところに世界の課題があるということに気づきました。
そこに関してすごく興味、関心があって、
日本に戻ってきた時に、
私のがん、幸いにもある程度治っていて、
大丈夫そうだったという中で、
私は宮崎県出身で、生物学が専攻で、
そのような大きな体験をして、世界の課題にも気づいたという中で、
自分にできることは何だろうか。
この命を燃やしてできることは何だろうかというふうに思った時に、
この事業、昆虫というものにたどり着いたということです。
昆虫というのは、タンパク質も作れるし、油も作れる。
これは食とエネルギーのサステナビリティを解決する、
キーマンじゃないかみたいな、
そういったピントを閃いたとか、
いろいろリサーチしている中で発見したということですね。
そんな感じの人生を送ってきました。
ありがとうございます。
今の起業の話、また戻っていきたいんですけど、
もうちょっと遡っていくと、
僕、今、保育園に通っているような子どもが2人いるんですけど、
そこでもやっぱり昆虫博士的な子っているんですよね。
めちゃめちゃ昆虫好きで、これ何?って聞いても名前わかるしみたいな。
まさに小川さんはそういう少年だったってことですかね、当時は。
そうですね。当時はそういった少年だったと思いますね。
そこから、とはいえその子たちが全員研究者とか、
そういう領域で起業するかというと、そこまでじゃない気もするんですけど、
そのまま本当に昆虫少年になり、生物部とかに高校で入ったりとかは、
なぜそんなに昔から生物が好きだったのかとか、
ちょっと言語化しづらいかもしれないですけど、こんな感じなんですか?
そうですね。やっぱり子どもにとって、
昆虫っていうのは身近にいるすごく不思議な存在だと思っていて、
その中でも、高校のときに餅月と出会ったこともあって、
その餅月がすごくプログラミングの天才だったんですよ、当時から。
当時から世界大会に出て、
インテルの世界大会で発表してくるみたいな、そういうやつだったんですけど、
その餅月に影響を受けて、プログラムというものを自分も学んでみて、
その生物というものが、実はただ動いているわけじゃなくて、
遺伝子とかそういったもののプログラムによって動いているというようなところが、
すごく自分の中で興味を持っていたというようなところがありますね。
あとは、自分が生物に限らず研究者に最初なりたいと思っていた。
そういうところもあって、高校では生物部に入って、
普通の人が運動部に入っている間に、
自分はもっと研究領域で何かのスキルを手に入れたいなと思って、
そういった部に入ったというような感じです。
最初の起業が、とはいえ、ブロックチェーンとかダオだったんですよね。
それは生物じゃなくて、そっちに。
起業するとまたもう一段階アクセル踏んでいる感じがするんですけど、
そっちに行ったのはどうしてなんですか?
その領域だった理由とか。
そうですね。
まず大学2年生までは、自分は研究者になりたかったんですよ。
ただ同時に、やっぱりどうせ何かするのであれば、世界一になりたいと。
そういう思いがありまして、ただ研究者で世界一といえば、
ノーベル賞というものはその時はすごく頭に浮かんで、
ノーベル賞を取るのって、結構偶然の要素が大きいんじゃないかと。
その時の仮説として思って。
そうであれば、企業のほうが、自分の身近にあった企業という選択肢のほうが、
より自分の意思とか自分の行動によって、
世界一というものをつかみ取る可能性が上がるんじゃないかと。
そんなところで、まず起業しようと決めたのが最初なんですよ。
その上で、私が起業しようと思ったのが10年くらい前なので、
その時のトレンドといえばITですよね。
起業といえばITみたいな感じだったんで、
そのITの中でもその時のトレンドがブロックチェーン、仮想通貨みたいなところだったので、
学生で新しいものとか、そういうの好きじゃないですか。
だからそこに飛びついて、
もちづきと一緒に仮想通貨で売買できるメルカリみたいなのを作って、
2000ユーザーくらい集まって、
小さい額ですけど、数百万くらいで事業場として見るみたいな、
その一連のサイクルを学生時代に回せたっていうことがあって、
すごく起業って面白いなみたいな。
すごく小学校しか卒業してない祖父なんですが、
すごいそういう勘は鋭いんで、
自分はその祖父に結構信頼を置いているので、
そういった後押しもあって、この事業にバッといったっていうことなんです。
最初から昆虫も用途がいくつかある気がしていて、
僕みたいにあんまりディープテックの領域を知らないと、
逆に2Cって目線で知るのって、いわゆる昆虫食とか、
2Cのそっちもイメージしたりもするんですけど、
最初からそういう事業領域っていうのは割と2B寄りで見られてらっしゃったのかとか、
当時はどんな感じだったんですか?
そうですね。切り口として、
マーケットイン的に、資料とかエネルギーという領域で昆虫という切り口もあれば、
昆虫が面白い、プロダクトアウト的に、
昆虫という見方も当時どっちも持っていて、
プロダクトアウト的に見た時には、
昆虫食というものがやっぱり最初に出てくるわけじゃないですか。
そういった時に、昆虫食というものを結構調べたんですよ。
結構一生懸命調べた中で、
僕の中では、昆虫食って本質的に意味がないというふうに思いました。
っていうのも、昆虫って、
タンパク質の素性でアミノ酸がありますが、
その中でメチオニンというものがどうしても少ないんですよ。
メチオニンが少ないっていうことは、
大豆とかもメチオニンっていうのは少なくて、
同じ面積があった時に、
例えば、カイコを育てますって言った時に、
クワを最初育てなければいけないと。
クワを育てて、クワを昆虫にあげなければいけない。
だとしたら、クワの面積がどうしても必要だよねと。
じゃあそのクワの面積で大豆とか育てればいいんじゃないみたいな、
そういうロジックで、
他の視点あるかもしれないけど、当時は考えて、
あとは昆虫食っていうものが、そんなにスケールするイメージもなかったですね。
食べたいかっていうと、お肉の方が食べたいなみたいな。
そう思う人が、僕もそう思ってたんで。
なので昆虫食っていうものが、あんまりスケールする未来が見えなかったんで、
一旦は置いといたんです。寝かしといたんですけど、
ただもう一回、マーケットインっていう視点で考えた時に、
資料とか燃料っていう観点だと、
すごく有望な、いわゆるバイオマス増幅装置みたいな見え方をしたわけなんですね。
そうすると、これはかなりいけるんではないかっていう自分の中の確信に変わって、
そういった資料とか燃料っていう領域に飛び込んだと。
なるほど。本当にじゃあ、プロダクトアウトとマーケットインをかなり一致しながら、
非常にユニークで面白いなってことを思いました。
そのまさに、プロダクトがどういう課題を解決してるかだとか、
マーケットってどんなマーケットなんだろうみたいなところは、
多分後編でより扱ったほうがいいかなと思いますので、
前編ここまでとさせていただきまして、後編では小川さんが展開されている事業について、
そういった課題、マーケット、その他諸々ですね、
担当の投資家さんを交えながら魅力に迫っていきたいと思います。
小川さん、そしてお聞きいただいたあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。