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2025-10-16 52:58

#122 LA仕込みのショート映画で映像を自由化する物語/株式会社SAMANSA 代表取締役CEO 岩永祐一さん

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SAMANSAは、ショート映画配信サービス「SAMANSA」を展開されているスタートアップ🎬 2025年9月、シリーズAラウンドにて総額7.4億円の資金調達を発表されました!

学生時代のバックパッカー精神で、映像の本場LAで学び映画監督へ。コロナ禍で帰国後はUber eats配達で凌ぎつつ、ショート映像で起業された岩永さんの物語。せひお聴きください🎧


▼トピック
・鳥取の田舎育ちで「なぜここに?」と疑問を抱く
・祖父が映画館と配給業を営んでいた家系
・チャップリン映画に幼少期から熱中
・高校の文化祭で初めて映像制作に挑戦
・大学時代に40カ国をバックパック
・南米の村でアベンジャーズに夢中な子供たち
・新卒でリクルートに入社し営業を経験
・ロサンゼルスへ単身留学して映像を学ぶ
・コロナで帰国後はUber Eats配達員に
・撮影機材シェアと脚本アプリを検討
・共同創業者とショート映画の可能性を議論
・ネタ動画のバズがEast Ventures金子さんとの出会い
・TikTokで予告編がバズり月間30万人が訪問
・長編を短編シリーズ化する新しい試みも
・有料会員5万人、作品数600本まで成長
・「映画を自由化する」が現在のビジョン
・ユーザーの「人生変わった」投稿が原動力

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-HP
https://about.samansa.com/
-採用情報
https://www.wantedly.com/companies/company_5722556
-資金調達プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000051.000082116.html
-岩永さんX
https://x.com/U10101
-SAMANSA公式X
https://x.com/samansajpn

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-決まる商談が増える 有効商談オートメーションSaaS「イメディオ」
https://www.immedio.io/
-immedio浜田さんX
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サマリー

株式会社SAMANSAが提供するショート映画配信サービスの背景と、代表取締役CEOの岩永祐一氏の成長物語について説明します。岩永氏は鳥取県で育ち、祖父母の影響を受けながら映画や演劇に興味を持ち、起業の道を歩みます。株式会社SAMANSAの代表取締役CEO、岩永祐一氏が映像制作の自由化について語ります。彼は高校時代から映像制作を始め、その後の大学生活やバックパッカー経験を通じて、映像業界への情熱を育んでいます。株式会社SAMANSAの代表取締役CEO岩永祐一氏が、アメリカでの短編映画制作を経て、日本の映像業界に新たな価値を提供しようとする試みについて話します。アメリカでの経験から得た刺激を基に、短編映画市場を開拓するビジョンとその背景を探ります。株式会社SAMANSAの代表取締役CEO岩永祐一氏が、ショート映画を通じた映像の自由化の取り組みについて語ります。映像業界の検証プロセスや、国内外からの映画集め、さらにクリエイター支援の方針についても触れています。株式会社SAMANSAの岩永祐一CEOが、映画業界の自由化とショート映画の可能性について語り、挑戦する人々へのメッセージを伝えます。

SAMANSAのビジネスモデル
声で届ける起業家の物語、Startup Now、MCのお稲荷です。
本日のゲストは、株式会社SAMANSA代表取締役CEOの岩永祐一さんです。
SAMANSAは、ショート映画配信サービスSAMANSAを展開されているスタートアップで、
2025年の9月、シリーズAラウンドにて総額7.4億円の資金調達を発表されたばかりとなります。
岩永さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
この番組は、決まる商談が増える、イメディオの提供でお送りします。
問い合わせ直後や、資料を読んでいるホットな顧客と、画面上で商談を自動で設定、
リードの商談転換率がグッと改善する有効商談オートメーション、
LayerX、ハコモノ、アイブリーといった成長企業が活用中です。
33時代の先輩浜田さんが、インサイドセールスの課題を解決するために始めた事業です。
ぜひ、イメディオのウェブサイトで資料請求して、スムーズな商談設定を体験してみてください。
本日の配信では、岩永さんの人生の物語を紐解いていきたいなと思うんですけれども、
その前にですね、まずは事業についても教えていただけますでしょうか。
サムアンサーなんですけども、短い尺で完結している映画だけを、
世界中から集めて配信しているサブスクリプトサービスになります。
それは、もともと短い映画を集めてきてるんですね。
そうですね、もともと短い映画ですね。
今までショートフィルムとか短編映画と呼ばれていたジャンルの作品ですね。
海外には、たくさんそういうフォーマットが作品としてあるんですか。
そうですね。
僕もともとサムアンサーさんのことをまだよく知らない時に、
いわゆるショート動画の文脈って、スタートアップもたくさん出てきているじゃないですか。
その文脈なのかなと思ったんですけど、
ショート動画というよりかは、ショート映画。
つまり、ショートが流行っているからというよりかは、
映画の見せ方としてショートがあって、そこに注目されているみたいな順番ということですか。
そうですね。
なので、うちで配信しているものは、SNS向けというよりは、
基本的には映画館で見るようにクリエイターも作っていますし、
間の詰め方とかもSNSの詰めて詰めてというよりは、
ちょっとゆったりしているのが多いですね。
海外では短編映画も映画館で流れているんですか。
国によりますね。ヨーロッパとかだったらあったりしますし、
日本でもちょっと前まで東京でそういう映画館があったりとか、
ちょいちょいできてはなくなり、できてはなくなりみたいな感じですね。
なるほど。
あと、そもそもの映画のビジネスモデルみたいなものも、
ちょっとよくわからない部分があって、
なんとなくイメージしているのは、
たぶん作っている制作の人たちと、配給と呼ばれる人たちがどうやらいるらしいみたいなところとか、
映画館、ネットクリックスみたいなVODとか、
そういうののイメージなんですけど、
今でいくとサマンサはどこになっているような形なんですか。
配給とサービスとしてのサブスクのお金をいただくっていうところですかね。
なるほど。
これはまた今後拡張する可能性とかも場合によってはあるんですか。
そうですね。
ありがとうございます。
じゃあそのあたりもまた追って聞いていきたいなと思っています。
ありがとうございます。
早速岩永さんの人生についても迫っていきたいなと思っておりまして、
生まれてから幼少期どんなふうに過ごされていたか、
だいぶ昔の話かと思うんですけれども、
このあたりからよかったら教えてもらえますでしょうか。
鳥取県に生まれて、すごく田舎なので、
本当に海とか山に囲まれた場所で育ったっていう感じですね。
祖父母の家とかすごく近くて、
毎週遊びに行って好き勝手暴れまわってたという感じですね。
おじいちゃんおばあちゃんってやっぱり甘いじゃないですか、孫とかに。
本当に思いっきり甘えて育ったという感じですかね。
どんな遊びをしてたとか覚えてます?小さい時。
子供の頃のビデオを見ると演劇、桃太郎ごっこみたいな。
桃太郎の格好とかおじいちゃんとかが作ってくれて、
それでテレビの上からジャンプしてみたいな。
昔のテレビってちょっと厚みがあるじゃないですか。
そこからジャンプして飛び降りて、
人を斬るっぽいことをやって、おじいちゃんがうわーって倒れるみたいな、
なんとかごっこみたいなことをやってたりとか、
近所に自転車で探検に行ってとか感じですかね。
いろいろ記事とか拝見してると、
それこそ鳥取があまりにも田舎というか、
こんなところに生まれたんだろうみたいな、
疑念を昔から入れ替えたみたいな。
実際に壁に世界地図があったかどうかわかんないんですけど、
僕の中の記憶では、
たぶん本当に物心ついた時ぐらいに世界地図を見てて、
なんで世界こんなに広いのに、こんなよくわかんない島に生まれて、
しかも東京じゃなくてなんでここなんだって、
すぐ思ってた記憶がありますね。
映画制作の始まり
それも本当に幼稚園とか小学校で。
たぶんそんぐらいだと思いますね。
じゃあなんとなく外への憧れじゃないですけど、
そういう意識っていうのはあったんですね。
そうですね。
あと、祖祖父が映画館と俳句業を営む家庭だったというところも、
お伺いしたんですけど、
これは地域の映画館みたいな雑魚という感じですか?
そうですね。
もともと祖祖父は九州で生まれて、
育ったのも九州なんですけど、
当時、鳥取の僕の実家らへんが、
新しい商業の街みたいな感じだったらしくて、
そこに商売するために祖祖父が一家で来て、
まずは御服屋から始めたんですけど、
そっから歌舞伎とかの劇場工業とかを始めて、
その延長で映画館も始めて、映画の俳句も始めて、
っていうのを鳥取県各所でやってたっていう感じです。
映画ビジネスっていうのは当時は結構盛んだったりもする?
そうですね。本当に映画が一番伸びてた時期ですね。
結果的にはその事業自体は縮小?撤退されたりとか?
そうですね。逆に今度はテレビが出てきて、
みんながテレビを見るようになって、
どんどんお客さんが減っていったっていう感じですね。
時間軸でいくと、お世話は今長さんが大人になってから
亡くなっていったって感じですか?
それとも幼少期の時からそういう姿っていうのは見ていたというか?
いや、もうね、僕の父親が子供の時にはもう畳んでたみたいな。
そうなんですね。
じゃあ実際に映画館でやられてらっしゃるとかを見てたわけではない?
全然見てないです。
じゃあそういう話は聞いていたみたいな?
いや、でもそれも本当に思春期過ぎたぐらいに認識したっていうか、
なんか祖父の家にチャップリンのビデオがあったりとか、
ポスターとかあった記憶はあるんですけど、
そういう授業をやってたっていうのを明確に知ってたかっていうと、
そんな感じじゃなかった気がしますね。
まさにさっきおっしゃっていただいた、
チャップリンとかの映画もすごく見られていたっていう話で、
僕、幼少期そういうのを熱中した記憶が全くなくて、
あと実は今娘たちもいるんですけど、
娘たちもいわゆるアンパンマンとか、
プリンセス系とかプリキュアとか、
そういうのばっかり見てるなと思ってて、
チャップリンにハマるお子さんってすごいなっていう感覚なんですけど、
これはどういう熱中の仕方をしたというか。
いや、でもそれも本当に物心ついたときから見てたので、
面白いコメディーのおじさんっていうか、
動き方が面白いっていうか、
っていう感じでしたね。
で、例えば、
志村健さんのコントとか、
ドリフのコントとか、
いろんな映画を見たときに、
あ、これチャップリンから来てるなっていう、
なんかすごいおかしかった。
影響を受けてるなっていうのをすごい感じてたりっていう、
映画の源流を結構見てたので、
すごい影響を感じてるものとか、
別に映画だけじゃなくて、
そういう目はしなわれてたかもしれないですね、
子供の頃から。
映画、演劇とか、
広くエンタメとか、
お笑いとかそういうのが入ってくるんですか?
そうですね。
例えば最近、
ジョーカーって映画があったと思うんですけど、
あれもすごく影響を受けてて、
随所にチャップリンの。
ジョーカーっていう主人公自体が結構似てるんですよ。
コメディアンで、
ちょっと恵まれない境遇。
チャップリンってホームレスの役なんで、
そういう境遇とかも含めて。
たぶん、
ジョーカーってエンタメ作品の、
あの役の一番最初、
始祖がたぶんチャップリンみたいな、
オマージュはすごいありましたね。
チャップリン、僕なんか勝手に、
面白おかしい系のイメージが多かったんですけど、
結構それ、資料深いというか、
深い部分をテーマとしては大きいんですか?
そうですね。
当時、ヒトラーを批判した映画とかも作ってましたし、
コメディが有名ですけど、
どっちかというと社会風刺とか、
感動ドラマとかっていう部分の方が、
好きな人は好きなんじゃないかなと思います。
それをじゃあ幼少期から見てると、
結構影響を強めに受けそうですね。
そうですね。
で、小学校、中学校とか、
例えば、
熱中してたこと、
映画以外に何かあるとか、
部活とかそういうのってどんな感じでした?
何ですかね、
結構運動も好きで、
幼稚園の時から掛けっ子とかも結構、
1番か2番ぐらいだったりとか、
小学校とかも水泳と体操やってたりとか、
結構体動かすこと好きであったし、
これも映画の影響ですけど、
ジャッキー・チェンとか、
そういう漢風映画とかアクション映画の影響を受けて、
弟がいるんですけど、
ずっと常に格闘ごっこというか、
そういうのを、
中学校はさすがにやってないですけど、
中学校はずっとやってたと思いますね。
中学校に入ってからは、
結構でも勉強も好きだったんで、
結構座学で勉強を粛々とやってた感じもありますね。
特に何の教科とかあるんですか?
全部好きだったんですけど、
特に好きだったのは歴史とかですかね。
あとは図画工作とかもすごく好きでしたね。
歴史は確かに映画とかに若干通ずる要素もありそうですけど、
何が好きだったとかってあります?
今スタートアップやってるのもそうですけど、
昔言った偉人とか、
起業家でも部長でも何でもそうですけど、
何かを成して名前が残ってる人を調べるのがすごい好きでしたね。
なんでこうなったのかとか。
今はなっちゃったから後出しですけど、
結構昔から渋沢栄一こそ1万円なんじゃないかってずっと思ってて。
なんでですか?
やっぱり日本の近代の基礎を作ったのが渋沢栄一っていうか、
彼が始めた事業が100個以上形になって今残ってたりするので、
思想は福沢諭吉かもしれないですけど、
実際に具体的に作り上げたのは渋沢栄一だなって結構昔から思ってたので、
やっぱり1万円になるよなと思いました。
結構ロールモデル的な存在目指してますか?
すごい好きですね。
でもいっぱい好きな人はいますね。
あとは高校ぐらいから映像制作ちょっとずつし始めたみたいな話も見たんですけど。
高校の最初、その前からやってたと思うんですけど、
明確にはっきり覚えてるのは文化祭用にコメディ映画というか、
そういうものを作ったのが結構最初のきっかけかなと思いますね。
映像を高校生とかで始めるって全然イメージつかないかも。
ツールとかもまずないですし。
どういう風な始め方だったんですか?
どういう始め方だったんだろう。
でもクラスのみんなで映画作りたくてみたいな感じになったんだと思うんですけどね。
そっからホームビデオとか、多分学校にあったやつを借りて、
こうやって片手で回すとこから始めてって感じだったんですね。
それも他のクラスとか先輩たちも映画とか動画、そういうのも作ってたんですか?
映像制作の出発点
他のクラスとか先輩とかは見てないですね。
多分記憶にはないですね。
僕のところだと高校で文化祭劇とかを先輩たちもライブやってて、
じゃあ自分たちも劇みたいな感じだったんですけど、そういう話ではないんですね。
どこから出てきたんでしょうね?
確かに1年生の時、お化け屋敷みたいなの作ったんですよ、クラスで。
あらわれですね。
僕、高校の時3年間同じクラスだったんですけど、
多分それだるいなってなったかもしれないですね。
映像作って終わりでいいんじゃない?ってなったのかもしれない。
ちょっと全然覚えてないですけど。
それで初めて映像作るってこともやってみて、
でもそれはもう文化祭きりって感じですか?
その後も趣味でやってたとかも特になく?
高校の時はそれだけだったと思いますね。
バックパッキングの影響
大学で行くと、慶応ですか?
大学入ってから趣味でもっと映像作るようになったっていう感じですかね。
趣味で映像作るってのはどういう感じで作っていくんですか?
そういうサークルに入ってたとかそういう話でもないんですか?
そういうサークルではないんですけど、
所属してたサークルの記録ビデオとか、ちょっとしたコメディというか。
記録の動画って結構ある気がしますけど、コメディとかまで作るんですね。
面白いなって。
そうですね。CMのパロディ映像とか、
本当に内輪で笑えるようなものをただ楽しく作ってたという感じですね。
学部はでも理工なんですね。これはどんな感じだったんですか?
歴史が好きって言ったんですけど、物理とかもすごい好きで、
物理勉強しに入ったんですけど、でも本当にやりたいことが決まってなくて、
慶応も理工と経済が受かってたんですけど、
本当に当時偏差値が理工の方が高かったからっていう理由だけで理工入ったって感じでしたね。
勉強自体は学部の専門で熱中したというよりかは他のことでって感じですか?
そうですね。学校の授業とかに熱中したというよりは、
単純に自分で個人で物理の本を読むとか、そういうことがすごい好きでした。
でも物理自体もやっぱり好きだったんですね。
物理もすごい好きですね。
そっちの方の道に行くとかはあまり抜いたことはなかったんですか?
やっぱり大学4年生とか研究室に入るようになってから、
仕事にしようとするとやっぱりすごい狭い分野になっていくんで、
それで一生終わるの嫌だなって直感的に思って。
でも多分好きな人はそれが一番好きなんだろうなっていう。
でも僕に合わないなっていうのをすごく感じましたね、大学の後半で。
一番熱中してた理工とバックパックですか?
そうですね。やっぱり鳥取で生まれて、早く東京行きたいと思って東京来たら、
今度は海外が見てみたいってなって、大学4年生の夏にインドに行くんですけど、
そこで本当に世界の広さとか、国が違うとこんなに違うんだっていうことを
本当にリアルに体験して、すごいハマったっていう感じですね。
所定のインドも結構渋い選択だなって気がしますね。
東南アジアに行くとか、よくあるあるで行きやすいとことか行く気がするんですけど、
それって何でだったかとか覚えてます?
当時、本当はマチュピチュに行きたいねって高校の友達と行ってて、同じ東京に進学した。
で、マチュピチュに行くチケットを取ろうとしたんだ。
理由は忘れたんですけど、なんか結局取れなくて。
で、じゃあどうしようかってなった時に、2番目の案がなぜかインドでした。
多分なんか普通じゃないとこに行きたいって思ったんだと思うんですけど。
行ってみてどうでしたか?
まあ、大変でしたね。
多分1週間か2週間ぐらい行ったんですけど、1日2日目でもう早く帰りたいなって思ってましたね。
まず、糞尿臭いし。
匂いですね。
あと、基本的にみんな日本人を騙してくるっていうか、
タクシー乗っても料金もごまかされるし、
ここに行くって言うんだけど、全然違うとこに着いたりとか。
ごめん、聞き間違えてたとか言って、それでタクシー料金を多めに取ろうとしてくるとか。
そんなのが日常茶飯事だったんで。
後半はでも慣れてきて、そうでもなかったんですけど。
そういうの気にならなくなるとか、うまい塗りこなし方みたいなのがあるってことですか?
それが当たり前になると何も感じたくなってくるっていうか。
でも、刺激が好きなのかもしれないですね。
インド行くと好きになる人ともう二度と行きたくない人、分かれるんですけど。
僕は割と好きになりましたね。
何が好きでした?
すごくエネルギーを感じるっていうか、
インドってストリートチルドレンの人たちいっぱいいるんですよ。
行ったけど、すごい楽しそうなんですよ。
目もキラキラしてるし。
一方で東京で電車とか乗ってると、みんな疲れた顔してるじゃないですか。
僕はテレビとかインターネット上の情報で、インドはすごく貧しいとか、
今はちょっと違いますけど、貧困の子たちがいてみたいな、
悲しいイメージで現地に行ったときに、すごくエネルギーを感じたりとか、
まっすぐキラキラな目を見たときに、
体を動かして見に行かないとわからないことっていっぱいあるんだなっていうことが、
すごく自分にとって新鮮だったし、刺激になったし、
カルチャーショックになったというところですね。
キャリアの選択
それは本当に大切な現代圏というか、世界に出る大事さ。
そうですね。
あと、40カ国ぐらい行ったみたいなのを見たんですけど、
めちゃめちゃ多いなって思ったんですけど、これは本当にハマっていったって感じですか?
もうそこから長期休みになるたびに、長期で行って、
前半、エジプトから入って、
エジプト、ヨルダン、シリア、イスラエル、
トルコ、アゼルバイジャン、ズベキスタンみたいな、
結構複数カ国を一回でバーって回るっていうのを、毎休みでやってたっていう感じでしたね。
今だったら、目指したら入りづらそうな国とかもね。
そうですね。シリアとか結構今はね、大変かもしれないですよね。
そんだけいろんな国たくさん回って、
特に印象深い国とかエピソードとか、さっきのインド以外とかにも何かあったりします?
いろんなジャンルがあるんですけど、
大きいところで言うと、ペルーで全部荷物を吸われたことがあって、
やばすぎますよね。
その当時はだいぶメンタルきましたね。
どう立て直したんですか?
3日ぐらいは落ち込んでましたよ。落ち込んでたけど、
こうしててもしょうがないなっていう。
桃鉄ってやったことありますか?桃鉄でスリーのギンジって出てたじゃないですか。
あれをすごい現実でやられた感じですね。
桃鉄のシミュレーションが。
桃鉄って現実に即してるんだなって思いましたね。
山中さんがお一人で行ってたんですか?
それは弟と行ってましたね。
なんとか弟のデバイスがあるし、お金も多少あるしみたいな状況でしたか?
お金はなかったんですけど、東京から送金してもらって旅を続けたっていう感じでしたね。
それはなかなかな体験するすごい。
あれはすごかったですね。
でもなんとかなるっていう感覚も。
そういうバックパッカーの体験を通して、なんとかなるんだなっていう世の中、現実。
人生なんとかなるんだなっていうのはそこで結構培ったかもしれないですね。
あとは南米の村の子どもがアベンジャーズを教してるところを見たみたいなのも。
これはどんな話なんですか?
やっぱり僕中学ぐらいからやりたいことが見つからないっていうこともそうだし、
早く自分にとっての天職というか、これと思うものを見つけなきゃっていうすごい焦りがずっとあって。
そういうこともあってバックパッカーしていろいろ自分探しみたいなことをしてたんですけど、
南米で駄菓子屋さんみたいなところにでっかいテレビが置いてあって、
そこでアベンジャーズが流れてて、地元の子どもたちがもう微動だにせず直視して見てるのを見て、
映画って国境を越えるんだな、エンタメって国境を越えるんだなっていう。
自分も元々映画好きだったし、ここに自分のやりたいことのヒントがあるんじゃないかなっていう。
当時はそれぐらいの感じでしたけど、
そういう自分の中にざわつきというか、これかもしれないっていうヒントを得たっていう感じでしたね。
それでグッと映画とか映像エンタメ領域に至ってるか、本当にまずは何かを感じたぐらい。
そうですね。ここに何かあるっていう直感的な何かを感じたという感じですね。
将来そういう映像系のこと、映画系のことをしたいとまでも芽生えてないんですか?
いや、映画系をやりたいんだけど、でも次はその中で自分が何をしたいんだろうっていうフェーズに入ったという感じですね。
じゃあ一定そこの領域っていうのは決まったわけで。
そうですね。
そこから新卒とかで映画とか映像系の会社に行ったわけではないんですよね?
そうですね。ただリクルートに新卒で入るんですけど、リクルートがダメだったら映像制作会社を受けようかなと思ってましたね。
1.9の制作会社とか、なんか世界回れる映像系の会社行ったら楽しそうだなと思ってましたね。
じゃあもし持ち寄せたら全然そっちにショテリーって言った可能性は?
そうですね。それこそバックパッカーしてる時にそういうクルーの人とかにちょこちょこ会ってて、楽しそうだなって。
仕事で世界回れるんだなってすごい良さそうだなって思ってましたね。
とはいえリクルートを受けてたってのはどうしたんですか?
大学生の時にインターンをリクルートしてて、なんか面白そうな会社だなっていうのはなんとなくあって、
映画をやりたいんだけど何をやりたいかっていうのは決まってなかったから、
なんとなく自分の中で渋沢栄一とか、企業家に対するちょっとした憧れもあったんで、
遠回りになるかもしれないけどリクルートで学んでやれることあるんじゃないかなってすごい思ったっていう感じですね。
企業家になりたいがあって、それに目指すために必要なパーツを学べることがありそうだっていうのは結構大きかった?
企業家になりたいってその時強く思ってたわけじゃないんですけど、そういう道になんとなく進みたいなってふわっと思ったっていう感じですね。
リクルートは今で言うキャリアでしたっけ?何をされたんですか?
リクルートキャリアって当時カンパニーで人材系の営業をやってました。
それは法人に対して?
そうですね。
何年くらいいたんですか?
何年くらいいらっしゃったんですか?
3年くらいですかね。
からスタートアップに転職ですか?
そっからリクルートにいる間に、次何やるかっていうのをずっと考えてて、
映画なんだけど、やっぱり海外で映画をちゃんと一回学びたいなってすごい思って、
20代のうちにアメリカに行って、映画を学ぶっていうのを決めてから、
そのままアメリカに行くか、一回日本の中で映像系の会社に入って経験するか迷ったんですけど、
結果一回国内で映像系のスタートアップに入ったって感じですね。
それはどうして直で行かなかったんですか?
なんでですかね。
当時ウェブ動画みたいなのがすごい伸びてて、
今ね、消灯ドラマの市場がすごい伸びてますけど、
当時はウェブ動画を代理店挟まずに企業と直接やり取りして、
それがビジネスとして伸びるみたいなので、そういう会社がいっぱい出てきた時期だったんですよ。
そこに今しかこの業界でしかやれないことがありそうだなと思って入ったって感じでしたね。
そこに入ってみて、そこは何年くらいいたんですか?
そこは1年もいなかったです。
それはもう次のステージが見えてきて動いた?
やっぱりアメリカに行きたいなって。
入ってから思ったって感じですよね。
例えばリクルートにいる時代とかスタートアップに行った時代って、
ある意味元々企業も興味あったら、いわゆる事業家というか、
その映像を、ある意味興味をなくしていっちゃう可能性とかも、
場合によっては人に出るのかなって思うんですけど、それはなかった?
企業にしても映像で企業したかったって感じだったので、
大学の前半ぐらいは企業家に憧れちょっとあったんですけど、
じゃあでも企業して何やるの?ってすごい自分の中であって、
アメリカでの経験
何の志もないのに企業家になっても何にもなれなそうっていうのがふわっとあったんで、
そういうものを決めたいって感じだったんですよね。
だから後半にリクルート入った時は、映像でやるぞっていうのは決めてたって感じ。
で、その後実際にアメリカに行く。
しかもあれですよ、行ってどの学校に入るとか何するって明確に決まってたっていうよりかは、
どっちかっていうとまず行ったみたいな。
割と僕、いろいろ計画したり最初にするんだけど、
もう行った方が早いよなって思って行っちゃうっていう感じですね。
確かにね、選択肢、今ある選択肢しか取れないですもんね。
そうですね。
現地に行って分かることもたくさんあるだろうし、
っていうのはやっぱバックパッカーした経験もあるかもしれないですけど、
日本にいて情報いろいろ喋ってもあんまり意味ないよなっていう思いもありました。
行く時は何歳ぐらいですか?
20代後半でしたね。
27、8とかじゃないですか。
それぐらいのタイミングで、
場合によっては、それこそリクルーとかスタートアップ行ってると結構出世してきてるとか、
友達がいたりだとか、そこに対してある意味、
もう一回身を捨ててじゃないですけど、
新しい挑戦をする怖さとか不安とかっていうのはなかったんですか?
いや全くなかった。
全くないですよね?
全く。
あんまり僕、人のこと気にしないっていうか、
逆にでもアメリカ行きますって当時映像機のスタートアップにいるときに先輩とかに、
今から一体どうするの?ってすごい心配されて。
否定とかじゃなくて心配?
心配されることなんだこれって思いましたね。
現地行ってもやっぱりロサンゼルスだと短期留学の大学生とかいっぱいいて、
え、脱サラしてきたんですか?って思って、
これ確かに美容によっては確かに脱サラなのかみたいな。
僕的には何の不安もなかったですね。
実際現地に行ってどんな立ち上がり方というか、
大衆短編映像の学科とかに入っていると思うんですけど、
どんなプロセスでそこに立ち着いていくんですか?
アメリカ行くって決めたときはあんまり起業したいとかはなくて、
監督になろうと思って行ったんです。
なので映画の学校に入ったっていうことですね。
最初は語学学校とか?
そうですね。語学学校を日本にいるときに入学の手続きだけして、
その語学学校の付属の寮みたいなのがあったんで、そこに入って、
1日目着いて、同じ部屋になった人がいたんですけど、
その方も先にちょっとちょい前からそこにいて、
すごい勉強してたんで、何勉強してるんですか?って言ったら、
こういう映画の学校があって、そこに入りたいから今、
入学試験に向けて勉強してるんですって聞いて、
これもなんか縁だし、その学校をとりあえず目指そうみたいな感じで、
そこから方向転換して、語学学校を辞めて、そっちに転入したっていう感じでしたね。
その学校は語学学校の寮なわけですから、
別に映像を聞けない人たちがいっぱい集まってるわけでもないのに、
本当にたまたまってことですか?
でもやっぱりロサンゼルスってだけでそういう人多かったですね。
映像をやりたいとか。
そういう街だからってことですね。
映像系かダンスかみたいな感じでしたね、学生とかは。
ダンス留学で来てる人もいました。
映像の学校は入れるもんなんですか?
僕が入ったところは、TOEFLとか、
英語の試験をパスできれば入れるって感じでした。
2年とかですか?何年くらいですか?
2年半、2年くらいですかね。
どういうカリキュラムというか、
どういう感じで学んでいくもんですか?
結構自由に授業を選べるんですけど、
座学もあれば、実際に映像を撮る授業もあったりとか、
いろいろありましたね。
あと演技の勉強とかも、
自分が演技する側で、
即興で英語で演劇をするって、
本当に苦痛でしたね。
めちゃめちゃ難しくないですか?
洗濯授業で撮ったんですけど、
なんで俺これ撮っちゃったんだろうって。
周りの授業を受けてる人は、俳優を目指してる人なんですよ。
僕は俳優を目指してないんで、なんでこれやってるんだろうって。
本当に地獄でしたね。
周りから見ても、なんで受けたの?ぐらいの。
でもね、ちょいちょい演技も学びたい、
監督として演技を学びたいみたいな人もいたんで、
2、3人は監督志望の人もいたんですけど、
僕は本当についてすぐそこに入ったんで、
英語もそんなにめちゃくちゃできるわけじゃないのに、
映像ビジネスのアイデア
それをやってて、本当につらかったですよね。
挫折とかはなかったんですか?
そのまま辛いとかなかったんですか?
いや、日々挫折だったんじゃないですか、多分。
映像への思い、揺るがないものがあったんですか?
そのままくじけることはなくというか。
そうですね。やっぱり人生の前半で何やりたいかすごい悩んでたんで、
決まったからにはこれをやり遂げるぞって意思はすぐあったかもしれないですね。
周りもすごい多彩な人たちがきっと集まるんだなって思いますけど、
そこも別に周りと比べて悲劇することもなく、
ただ単に刺激というか切磋琢磨できるような環境だったんですか?
そうですね。
東京にいたら周りの人、そんなに僕ほど映画好きな人いないっていうことが続いてたので、
ロサンゼルスに行って自分よりもすごい若い人がめちゃくちゃ映画見てる人っていっぱいいたんで、
それが単純に楽しかったですね。
楽しかったですね。いいですね。
結果そのまま本当に監督とかディレクターの方に行くんですか?
そうですね。
その時は別に企業とかも全く考えてなくて、監督になろうという思いしかなかったです。
それは卒業して、そういう団体というか組織に属してみたいな感じですか?
どういう動き方になるんですか?
アメリカでもフリーでやってましたね。
それできるもんなんですね。
一応ビザ取れればやれますね。
そこから何年ぐらいして帰国されるんですか?
でも1年半、2年経たないぐらいだった気がしますね。
コロナでも完全に帰国してということでしたね。
帰ってきてからこっちで映像の仕事とかってあるもんなんですか?
コロナだったんで、3密回避で全くなかったです。
多分半年から1年弱ぐらいは全くなかったですね。
結構長いですね。大変ですね、期間外じゃ。
そう、だからUber Eatsの配達してましたね。
当時は阿佐ヶ谷に住んでて、そこから西東京をママチャリで回りまくってました。
それも生活はできていた?
そうですね、なんとかそれでやれていて。
でも3ヶ月ぐらいしたらお尻痛くなってきて。
しかもママチャリだし。
でもお尻痛くなってきてやばいと思ったぐらいでやっとまた映像の仕事が戻ってきて。
そこからまたスイッチしていった。
そのまま一旦日本で映像制作の仕事をしばらくするんですか?
してたんですけど、自分が映像を作る以外でも
日本の映画業界とか映像業界に対してやれることがないのかなっていうのは
ずっとアイデアベースで考えてて。
映像系のスタートアップにいたっていう話があったと思うんですけど
日本の代表にアメリカから帰るたびに
アメリカはこんな感じですよっていう状況報告とかしてて
アメリカではこういう映像のビジネスがあったりとか
っていう話をしてるうちに
日本にもこういうのあったらいいのになっていうところぐらいから始まって
いろいろビジネスのアイデアを並行して考えてたって感じでした。
映画とか映像という領域に関連するスタートアップっぽいビジネス
進行ビジネスが向こうでは結構たくさんある?
そうですね。例えば僕がいたときに
亡くなっちゃったんですけどめちゃくちゃ良かったのは
ムービーパスっていうサービスがあって
月額1000円で映画館行き放題
それで毎日映画館行ってました。
そういう新しいサービスがね
今だとループってあると思うんですけど
全然アメリカでは昔からみんな乗ってましたし
割と新しいビジネス
4,5年は先にやってることが多いんじゃないかなと思いますね。
山中さんが実際に着手したものとか
本格的に検討した事業とかもあるんですか?
ありますね。最初に考えたのは
撮影機材の個人館でのシェアリングサービスを考えて
アメリカだと本当に個人館で結構高い
数百万種類のカメラをスーパーの駐車場に車に乗り付けて
そこから後ろの開けてカメラのやり取りをするみたいな
パッと見何かの取引してる感じなんですけど
そういうの僕もやってましたし
100万のなんて簡単に個人とかで買えないですよね
やっぱりロサンゼルスって映画の都なんで
持ってる人もたくさんいたりとかして
それを借りてやりたいインディーズ系の人もたくさんいたので
東京でもそういうのやれるんじゃないかなと思ったんですけど
色々調べるとやっぱりプライベートに
自分の私物をあんまり人に貸したくないっていうのが
やっぱり結構日本人は強くあるっていうのが分かって
それは結局アイデアの段階でやめちゃって
次は映画の脚本を簡単に書けるアプリサービスみたいなのを
これは実際に作ってリリースをして
すごい監督として成功されてる監督さんにも当時使っていただいて
ショート映画市場の開拓
これもっとアップデートしていってくださいみたいな感じで言われてたんですけど
これもやっぱり日本で脚本を書く人何人いるかって考えた時に
あんまりこれを育てていくっていう内容ではないなってちょっとなっちゃって
その次にサマンサーってアイデアが出てきたっていう感じでしたね
どんな感じで思いついたんですか?
僕もアメリカで短編作った、ショート作ってたし
共同創業者の東山もプロデューサーとしてそういうのやってたんですけど
なんか日本ってそういう環境ないよねって話になって
もっとそういうものが見れる場所作ったら見てくれる人いるんじゃないかみたいなことから始まりましたね
カジュアルに短編の映画を見れる?
そうですね
当時アメリカだとそれこそサマンサーみたいなサービスがちょっと出始めだったりしてて
全く同じものではないんですけど
なんか日本の人って忙しい人多いから
なんかそのそれこそ電車通機の間に
隙間時間で映画見るみたいな体験合うんじゃないかみたいな話をしてたし
僕はやっぱ日本とアメリカギリギリしてて
才能は同じぐらいあるのに
なんかすごいハリウッドの人はみんな俺らハリウッドにいるぜっていう
モチベーション高いんですけど
東京の人ってなんか
言い方悪いですけど
ここじゃいい映画作れないよみたいな雰囲気がすごいあって
飲みに行ったりとかしてて
ちょっとこう日本の映画業界に対する愚痴というか
すごい聞いてて
なんかここに対してやることあるんじゃないかなと思っている中で
既存の長編映画の市場ではなくて
新たなショート映画っていうものの市場を作ることで
ここにいい影響を与えられるんじゃないかな
という風になんとなく思って
まずはテストから始めていったっていう感じですね
当時の周りの方々との
なんかやっぱ悔しさとか何なら怒りじゃないですか
なんかそういう感覚なんですか
どういう気持ちでというか
それですか
悔しさですかね
日本にいてもやりたいことやれないみたいな
でも僕からすると
でもそうは言っても
愚痴って言うだけでも何もならないから
行動しなきゃいけないんじゃないのってちょっと半分思ってて
でもそれを思っている自分も同じだから
だったらじゃあ自分が動いてみようっていう感じで始まったかもしれないですね
そう思っている人本当にたくさんいましたね
それはもう若手の方だけじゃなくてベテランとかでも
ベテランの人はもうちょっとね諦めてるっていうか
怒りの感情もない感じとか
あとは昔僕も映画のコンテスト優勝してこともあるんだよ
みたいな
よくあるじゃないですか
映像業界の検証プロセス
昔のVUでも語るみたいな
もうあんまり現状変えるっていうよりは
って感じの人が上のネームレースは多かった気がしますね
そうでしょうと
だったらいけるかもしれないプラットフォーム
それは最初の事業の検証とかはどんな感じでしていくものなんですか?
最初はYouScreenっていうサービスを使ってて
自分でプラットフォームを月額安い金額で作れるサービスなんですけど
そこに本当に最初は友人から借りた映画とかをアップロードしてて
それをSNSで予告出して
どれくらい人が来るかを検証することから始めました
友人が自分自身で作った映画とかですか?
そうですね
それは見られるものなんですか?
ちょこちょこ見られてて
そこから今度はもう友人じゃなくて
本当にウェブ上とかにいい映画を探しに行って
実は今こういうテスト段階だけど
こういうサイトを今作ってて
映像業界を良くするために
こういう思いでやってるんだっていうのを
世界中の人にDMで送り始めて
そこから作品を集めて
最初は本当に売り上げの8割を全部還元するから
タダで貸してほしいみたいなので交渉して
だんだん数を増やしていって
多分それが夏ぐらいに始めたんですけど
9月ぐらいに結構TikTokで予告がバズり始めて
めっちゃ早いですね
そこからお客さんが来るようになったっていう感じでしたね
外国の方々にDMしまくった後に
やっぱり日本には作品も少ないし
まだ良い作品もなかったりとかそういう状況だったんですか?
そうですね
日本の作品があんま見つからなかったっていうのがありますね
それは海外の短編映画をキュレーションして
それをサマンサ側でショート動画とかを作って
宣伝してたみたいな感じなんですか?
今もそうですけど
買い付けして集めた映画
全てサマンサ内で予告編を作って
それをSNSに毎日上げてる
買い付けっていうのは
本当にまるっと買っちゃうものもあれば
ある意味成果補充的に返すものもあればみたいな?
そうですね
どっちもありますね
ありがとうございます
海外との交渉と作品集め
海外のところはそこで
当時の検証のところはどこまで
検証のプラットフォームでどれぐらい行って
本格的にやるかって意思決定されたのか
調達のタイミングとかってどこだったのかなとかも気になるんですけど
一番最初はサマンサ始める前に
エンジェル投資家とかもありながら
アイデアベースで壁打ちしてて
その時に
スカイプCEOが
Zoomでブチ切れるっていう
コント動画があるんですけど
それをYouTubeで上げたら
それがバズってヤフーニュースになったんですよ
それをきっかけで
イーストベンチャーズの金子さんに
最初出資していただいて
それを作ったのが山永さんのところですか?
それを海外のコント動画を
勝手に僕らYouTubeに上げて
それがバズってヤフーニュースになったんですよ
Zoomにブチ切れてるみたいなやつ
それで金子さんが
この人たちありそうだって興味持ってくれて
出していただいたって感じでしたね
金子さんの時は事業も検証してる最中で
その時はまだ参加っていう構想はなくて
海外の動画を使ってメディア作りますみたいな
結構フワッとした内容でしたね
もちろんさっきおっしゃってた検証の段階では
シールの調達とかしてる状態でしたけど
そうですね
でTikTokでバズってお客さん来るようになってから
次また調達に動き始めたって感じでしたね
もうグッと伸びていく感じなんですか?
その9月でTikTokバズって
次の10月くらいには
無料のサイトだったんですけど
お客さんが30万人くらい月間で来るようになって
これはなんかいけそうだなってなって
ダブルベンチャーズさんに入っていただいた
今後の話とかでいくと
基本はサマンスはプラットフォーマーであり
キュレーションしてくるっていうのは主軸でありつつ
あとはクリエイティブのレーベルとかも
作られるような動きもされてたりとか
そうですねオリジナルで自社制作でっていうのも
初めてですね
それはプラットフォーム作るのと
結構プレイが違うというか
大変そうな感じはしますけどそこは生きるものなんですか?
大変ですよ
やっぱり投資家さんが新規で調達するときも
今からオリジナルやるべきなのか?
みたいなのが毎回言われるので
プラットフォームに集中した方がいいんじゃないか
でも僕らとしては両輪を回すってことが
すごく重要だと思っていて
ネットリックスもやっぱりローマっていう作品が
アカデミー賞を取ってから
ネットリックスの知名度とか
プレゼンスがすごい上がったし
A24っていう背景会社もそうですし
やっぱり世の中の映画系の
背景会社だろうがプラットフォーマーだろうが
やっぱりオリジナル映画が当たったときに
一気に上がっていくので
そこはもう今から狙って動いているという感じですね
やっぱりクリエイターは新しい映画を作りたいので
クリエイターの支援と未来
彼らを支援したいという気持ちもありますし
僕あと気になっていたのは
ショート動画短編の映像を作って
映画を作っていくというところの
未来を作りに行っているのか
あとは袖を元にした長編の映画とかも
出て始めているとか聞いたことがあるんですけど
そっちを目指しているのかみたいな
ここは決して二項対立ではないのかもしれないですけど
そのあたりをもうちょっと整理して教えてもらえますか
そうですね
僕らはショート映画っていうものが
長編と同じくらいかそれ以上に見られる世界が
来ると思っていて
でもクリエイターを支援するとか
クリエイティブな業界に貢献していくという時に
別にショートに執着する必要はないなと思っていて
クリエイターも長編を作りたい人もいれば
もしかしたらミュージックビデオを作りたいという
情熱を持っている人もいるかもしれないし
そういう人たちを支援するという意味では
メインはプラットフォームとしては
ショート映画をやっているんだけど
それ以外のことも関わって
彼らを支援していきたいというような
関係性ですからね
ショートか長編かどっちのゴールとか関係なく
ひたすら作り手たちを応援する術として
そうですね
例えば今まだ実際には動き出していないんですけど
長編を作っちゃって
それをチャプターに分けてシリーズにして
サマンサでは短編のドラマシリーズとして出すとか
なんかもっと新しい映画の作り方とか
公開の仕方があるんじゃないかということを
日々議論しているという感じですね
今までの海外の事例とかでは
基本は短編から長編に伸びることが多くて
今おっしゃっていたような長編を
短編にしちゃっているケースもすでにあったりするんですか
アメリカでコロナ前ぐらいに
コロナ中かな
クイビーというサービスが出た時は
本当にスピルバーグとか監督して
長編の尺で作ったものを
切り分けて出すみたいなのは
ちょっとやってたりします
スピルバーグとかがいる前提というのは
基本的にはすごくコストがかかっちゃうということですよね
長編先にやるということは
そうですね
そういう人を見つけつつ
いろんなものを試してみるということですね
あとはやっぱり今AIの技術がすごいので
映画とかアニメを作るということにも
当然これから始まっているし
やっている
NetflixもAIを使って作っていると言っていますし
そういう部分でも
これから新しい機会が
どんどん出てくるんじゃないかなと思っています
今掲載されている本数とか
あとユーザー数とかでいくとどんな感じなんですか?
今先に500,600本ぐらいで
有料会員でいうと5万人前後
めちゃくちゃいってますね
順調そうには聞こえてしまいますが
事業立ち上げてからの
いわゆるハードシングスというか
これきつかったなとかあります?
常に
常に
本当に社内で今月が勝負だって
創業してから毎月言っている気がしますね
今で言うと
言える範囲でいいですけど
特に何が困っているとかそういうのはありますか?
今で言うと
今で困っているのを言うと
困っているというか
どうやっぱり伸ばしていくかということを
どう検証してスピード感を持ってやっていくかということを
日々議論しているところですかね
あとはSNSでうちお客さんを集めているので
どうしてもSNSの良し悪しがあって
バズるバズらないというのは
一定量やっぱりどうしても出てくるので
それで数字がちょっとフラットになっちゃったりとか
場合によっては有料会員ちょっと減っちゃったりとか
ということがあるので
なかなか未来予測を立てにいく部分もあったりとか
アルゴリズムに踊らされる部分もあるかもしれません
そうですね
そこに依存しない体制をどう作っていくかとか
そういうのも含めて
本当にいろいろありますね
ありがとうございます
結構実はいい時間にもなってきて
最後にメッセージももらいたいなと思うんですけど
その手前にご出演者の皆さんにお伺いしたい
ちょっと恒例の質問を最近用意しておりまして
山永さんがスタートアップの企業家として
ご自身としてこれからどんな風な人生の物語を
紡いでいきたいか
どんな風に生きていきたいかとか
ちょっと抽象的ですけど
この辺りってどうですか?
答えも抽象的でシンプルになっちゃうんですけど
僕やっぱり最初子供の頃からやりたいことがわからないとか
早く転職を見つけなきゃっていう
アステリーがあったんです
今はもうこれだっていうものが決まって
中で自分としていつも思っているのは
自分のすごい得意な形とか
自分が最大限貢献できる形で
世界の役に立ちたいっていうのが
本当に真ん中にあって
それをどう最大限やっていくかっていうことを
繰り返したんですよ毎日
だから将来どうなっていない
山永さんのビジョンとか人生のビジョンはあるはあるんですけど
それよりも今どんだけ自分が貢献していけるか
っていうことを常に大事にしているという感じです
すごく綺麗な話だなって思うんですけど
貢献したいっていうか役に立ちたいっていうのは何でなんですか?
でもやっぱりそれこそ中古の頃から
渋沢栄一の辞伝とか読んだりとか
あと岡田と高橋コレケヨっていう
同じぐらいの時期の人なんですけど
辞伝とか好きで
なんかやっぱ彼ら
実際に辞伝なんでよく見せてる部分もあるかもしれないけど
なんかこう世の中のためにやるってことが
一番の幸せなんだなっていうのを
なんとなくそういうのを読んでて思ってて
自分のために生きるってつまんなそうだなって
なんとなく昔から思ってたんですよね
なんかそれで人生満足できるかなと思った時に
なんか違うなっていうのがあって
なんかだんだん多分そういう気持ちが芽生えていったって感じだと思うんです
今でいくとクリエイターのため
そしてそれを見る方々のためって感じですか?
そうですね
やっぱりそれこそ毎日ハードシングスあって
本当に辛いみたいなことも
最近は慣れてきてあんま感じないですけど
けど最近ビジョン変わっちゃったけど
10分で人生変わる映画を世界にっていうのを
ずっと掲げてきて
Xとかでお客さんがサマンサ見て
人生変わったってつぶやいてるのとかを見て
すごく役に立ってるかもしれないって実感がすごく感じるんですよ
映画の自由化と挑戦
それがどんなハードシングスも乗り越えられる
やっぱりそこは大事だなってすごく思います
さっき変えたっていうのはどう変えていくんですか?
今はビジョンとしては映画を自由化するっていうのを掲げていて
ショート映画が基本ではあるんですけど
ショートだけにとらわれない
映画業界自体を自由化していくんだっていうものを
一番に掲げています
その目的があった上での手段として今短編に挑んでいる
そうですね
ありがとうございます
ちょっと今重なる部分あるかもしれないですけど
ご自身の挑戦に対する改めての宣言だとか
あるいはここまで50分くらい経ってるんですけど
聞いてくださった方々へのメッセージとか
そういったものがあったらお願いできますか?
本当に学生時代悩んだけど
今本当に楽しくて幸せなんで
今すごくやりたいことが見つからない人とか
ある意味絶望してるような方がいらっしゃったとしても
必ず諦めなかったらやりたいこととか
自分の道が開けると思うんで
焦らず頑張ってくださいっていうのはすごいお伝えしたいですね
僕自身で何か本当に役に立てることがあれば
いつでも役に立ちますんで
相談してください
ありがとうございます
これはちょっと学生にも聞いてほしいですし
何なら僕自身もこの番組用にね
ちょっと今動画化するぞっていうタイミングとか
やっぱりメディアビジネス本当に難しいなって思って
毎日やめたほうがいいのかなとか
結構思いながら
すごい刺さりましたねこれは
やっぱり一番の確信というか本心が
どう思えるかどうかがすごく重要で
どうしても表面上数字がこうなったりとか
役に立つのかと思うけど
やっぱり大元の自分の格がどうなっているかが
すごく重要かなと思いますね
それをもう僕はやっぱり対談をしている最中にも
そういうものを改めて感じますし
同じように実際に学生企業家さんとかで
この企業家さんの話を聞いて
ちょっと自分も授業うまくいかなくて
ビボットしてそのまま病んでいきそうになったけど
そこで話を聞いて刺激をもらって
ちょっともう一回立て直したみたいな話を聞いたりして
そうなるとちょっと遠いんですけど
やっぱり社会的な価値はあるんじゃないかなと
ちょっと信じてやっぱりやってる部分があるので
ちょっと頑張りたいなと
頑張りましょう
本当に僕も日々それを考えてやってます
ありがとうございます
そうしました概要欄各種リンク記載しますので
ぜひご確認いただければと思います
そして配信気に入っていただいた方は
ぜひ番組のフォローだったり評価
SNSでの拡散もお願いできればと思います
今永さんそしてお聞きいただいた
あなたもありがとうございました
ありがとうございました
52:58

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