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2025-03-25 20:20

#70-前編 日本のアートをグローバル水準へ。法学部からアート起業家へ転身した原体験/株式会社HARTi 代表取締役 吉田 勇也さん

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HARTiさんは、「感性が巡る、経済を創る」を企業理念に、文化産業のインフラ創造を目指し、スマートプリ機「HARTi Photo®」を提供されているスタートアップ📸 2025年2月、鈴木おさむ氏が率いるスタートアップファクトリーから6,000万円の資金調達を実施されました。

▼トピック_前編
・広島の田舎育ちで起業とは縁遠くも好奇心旺盛な幼少期
・中学2年生に夜行列車で向かった東京で受けた衝撃
・東大受験生向けフランス語スクールで起業し売却
・イギリス留学をきっかけに、アートの世界へ転向
・ロンドン市長のメッセージ「アートは市民の福利厚生になる」
・日本のアートを欧米並みに引き上げる使命を持ってHARTiを起業
・六本木でアートギャラリーを開設し、インフルエンサーとアーティストを繋げる
・創業わずか数ヶ月で「すごいベンチャー100」選出
・日本の文化産業全体のGDP向上を目指す

▼ご出演者様/企業様の各種リンク
-HP
https://harti.tokyo/
-HARTi Photo®︎
https://harti.tokyo/photo/
-資金調達プレスリリース https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000099.000042267.html
-吉田さんX
https://x.com/yosshii_1
-HARTi Photo®︎公式X
https://x.com/hartiofficial

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-サービスサイト
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-株式会社プロダクトフォース(ユニーリサーチ提供元)
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-採用ページ
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-代表取締役CEO 浜岡 宏樹さん
⁠https://x.com/unii_hamaoka⁠

▼パーソナリティ
-中山悠里(独立系VCアニマルスピリッツDirector)
https://x.com/yurinakay
-稲荷田和也 (JobTales株式会社 代表取締役 / StartPodsプロデューサー)
https://x.com/oinariiisan

▼企画制作
『StartPods』スタートアップ専門ポッドキャスト企画制作(運営:JobTales株式会社)
https://jobtales.co.jp/StartPods

▼パーソナリティからご案内📣
資金調達の発表を控えているスタートアップ企業は、ぜひ出演のご相談をください。1~2ヶ月前を目処にご連絡いただくことで、発表に合わせた配信も可能です。

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▼問い合わせフォーム(Startup Nowへのお便り)
https://forms.gle/vJbT4RMSea5HK6Ec7

サマリー

株式会社HARTiの代表取締役、吉田勇也さんは、広島から東京への移住の経緯やアート業界への転身に関する体験を語ります。彼のアートへの関心やスタートアップへの志向がどのように形成されたのかが焦点となり、彼の成長過程や経営理念についても触れられます。吉田勇也さんは、法学部からアート起業家へと転身した自身の実体験を通して、日本のアートをグローバル水準に引き上げる可能性について考察します。特に、イギリスでの留学やアートの社会的役割が彼の視点に与えた影響についても言及されています。日本のアート業界には優れたクリエイターが存在するものの、評価体系が欧米に比べて未成熟である点が指摘されています。吉田勇也さんは、アートとスタートアップを融合させた事業を通じて、この課題を克服し、日本の文化産業のGDPを向上させることを目指しています。

吉田勇也の自己紹介
Startup Now🦄、資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業紐解くポッドキャスト、パーソナリティーの StartPods 稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト中山です。
本日は、株式会社HARTi代表取締役 吉田 勇也さんにお越しいただきました。
HARTiさんは、感性が巡る経済をつくるお企業理念に文化産業のインフラ創造を目指し、スマートプリキュアHARTiフォトを提供されているスタートアップでして、
2025年2月、鈴木 治氏が率いるスタートアップファクトリーから6,000万円の資金調達を実施されました。
吉田さん、よろしくお願いします。
吉田 はい、よろしくお願いいたします。
吉田 吉田さんとの接点ですね、実は僕が今、パートアップのコミュニケーション支援だったりポッドキャストの仕事をメインでやってるんですけれども、
ちょっと前のキャリアがWeb3とかNFTの業界に身を置いておりまして、
そのタイミングで吉田さんと出会わせていただいたというようなきっかけになっております。
吉田 はい。
吉田 そして共通の友人も今PRで働いていまして、そこでも結構結びつきが強くてですね、
今回新しい展開がどうやらあるぞというところで、ぜひ出ていただきたいなと思いまして、
お声掛けをさせていただいたような背景でございます。よろしくお願いします。
吉田 ありがとうございます。お願いします。
吉田 前編では吉田さんの追い立ちや創業までのプロセスと、後編ではHARTiさんの事業や展望をお伺いしますので、ぜひ併せてお聞きください。
この番組はユニーリサーチの提供でお送りします。
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スタートアップナウのヘビーリスナーでもある創業者の浜岡さんは、全職で新規事業に挑戦。
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それでは吉田さん、まずは吉田さんの人生やご経歴などを中心とした自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
広島と東京の対比
はい、ありがとうございます。改めまして株式会社ハーティ代表の吉田と申します。本日よろしくお願いします。
お願いします。
はい、私はですね、もともと18歳までは広島で、広島の田舎の方だったんですけども育ちまして、
ちょうど中学2年生の時ですかね、天皇誕生日に今でも覚えてるんですけど初めて夜行列車で東京に朝5時に着いて、
ちょっと東京を見てみたかったんですね、人生で。
小説みたいなストーリーティング。
ぐらいの本当に田舎の育ちで、そこから東京に初めて12月23日に来て、
その時に歩いた渋谷とか、見た東大の赤門とか、いろんなものが衝撃的すぎて、
これはもう人生で、どこかで東京で勝負がしたいなっていうのをその時に思ったんですよね。
親も含めて周りもそうですし、東京と全く縁がなかったり、全然大学ってものにも縁がなかったりしたような家系なんですけど、
そこから本当に新しい人と出会いたいとか、新しいものを見たいっていう、好奇心だけで、
本当に高校も町の方に出て、そこから大学で東京に出てくるんですけど、
たまたま大学浪人一浪して予備校に通ってて、結構なのでその時点で同期と1年ずれるというか、
ストレートにはいけないなっていうところをその時に思って、
じゃあ同期に勝つじゃないですけど、違うフィールドで戦えるものを探してみたいなっていうので、
そこで大学1年後に入った時に初めて起業をしまして、
それが今で思うとすごいニッチなんですけど、東大の受験生向けのフランス語のスクールっていうのをやってまして、
東大入試を英語じゃなくてフランス語で受けようという塾みたいなものをやってて、
まさに僕は2年連続東大フランス語で落ちてるんですけど、
その経験があったので後輩をサポートするみたいな、そこからスタートして、
そこから当時は全然スタートアップみたいなこともないですし、
本当にバイトよりかはそういう仕事の方がいいかなっていうのでスタートしたのがきっかけで、
ただやっていくうちにどんどん司座がどんどん高くなってきて、海外にも出てみたいなとか、
やっぱりそういう語学系のことやってたので、僕それでイギリスに長期で1年ぐらい行ってたんですけど、
それがすごくきっかけで、僕がいた町がロンドンっていうまさにアートあふれる、デザインあふれる町というか、
今までそこまでデザイン、アート系の経歴もなかったので、
なんかすごい自分が興味あるか微妙だったんですけど、知れば知るほどめちゃくちゃ面白いなっていう、
逆に海極にある世界で、僕大学側の邦楽部だったので、
それでアートの道にピボット、人生初のピボットというかして、
そこから日本に1年後帰国して、なんでここまでアートが流行ってないんだっていう衝撃を持って、
それが今のハーティの起業の現体験になっているというとこまでが、
簡単にいうとザックリな生い立ちにはなっています。
好奇心とアートの道
ここまで滑らかかつ濃密に話していただいた方はいない気がしていて、
もうどこから聞こうかとゾクゾクしてるんですけれども、
すごく面白いなと思ってます。
まず一番最初に聞いていきたいのは、大学も中央大学の邦楽部法律学科、
弁護士とか目指す方はたくさんいらっしゃるような学部学科だと思ってます。
実際に弁護士とか政治家を目指されてたところとかも拝見してたんですよね。
それから勝手に想像したのは、やっぱりご両親が昔そういう職業に就かれていたとか、
そういう感じだったのかなって思ったので、さっき話を聞くともしかしたら違うのかなってことも思っていて、
もしかしたら使えなければ家庭環境というかご両親から受けている影響とかってどんなことがありそうかとか教えていただけますか。
そうですね。そこで言いますと逆に、すごくのびのびとさせてもらったっていうところが一番大きくて、
それも本当に平凡なサラリーマン家計っていうところが実家だったので、
よくこういう企業家って経営者がおじいちゃんいますとか、お父さんが会社やってますみたいなのが多いと思うんですけど、
うちはもう全くそういうことはなく、ただ、何ですかね、やっぱり真面目度で言うとめちゃくちゃ真面目な家族だったと思うので、
やっぱりそういった意味で実績に努力をできる環境というか、いわゆる新学校ライフといえば新学校ライフみたいな感じを
高校生までは本当にすごさせてもらったなっていう、まあいい意味でそういうところだったので、
そこはもう東京に出てきて結構衝撃を受けたというか、これだけ幅広い家族像があるんだとか、
なんか逆に羨ましいなと思ったことも結構ありますし、他もそういう意味ではもう一から本当にスタートだったなっていう感じですかね。
本当に好奇心を抑えるチャレンジもたくさんされるような方だったんだなというふうに思うんですけれども、
ご両親は結構真面目なご家庭だったということで、一方で昔のノートをちょっと拝見したんですけれども、
小さい頃の思い出といえば決められたおもちゃで遊ぶのが楽しくなくて、
家の近くの雑草だらけの売ってる土に友達と秘密岸を作って遊んだりとか、結構他にもいくつかそういったエピソード、
なんかだいぶ尖った幼少期だったんじゃないかなと思ってるんですけど、
これはなんかどんな感じだったのかとか、どうしてちっちゃい時からそういうちょっと違うことができたのかみたいなところ、
思いつくところとかがあったら少し教えてほしいです。
そうですね、一番大きいのが多分こういう方々って特別じゃないけど、
なんか周りとちょっと違うっていう認識を結構持つ人が多かったみたいなのを聞くことが多いんですけど、
僕も結構それに近くて、単純に悪い意味で話があまり合わない感じを結構ちっちゃい頃に感じてしまったというか、
やっぱこう自分の趣味ってどっちかっていうと好奇心のベクトルで、
やっぱり4歳ぐらいの時にはもう英語書いてたりとか漢字書いてたりとか、
そういうのが好きだったんですよ。
高速道路の看板を書いて家中に貼ってたりとか、
なんかそういうのがすごく多分自分の外の世界の好奇心がもっと多かったんでしょうね。
で、4歳5歳ぐらいから英語もスタートして、習い事とかもやってましたし、
結構それももう全部自分でやりたいみたいな感じでスタートしたとこだったので、
それだけ情報量がなかったんですよね、自分の周りに。
だからもう家にあった語学の本とか何かむさぼるように読んで語学習得したりとか、
結構そういう感じだったので、仮面ライダーベルトでみたいな感じの遊びとかあんまりしてこなかったのも、
今となってはね、エンタメの仕事って悪いんですけど、
結構そこはちょっと周りと違う感じは当時からあったかなっていうのは覚えてますね。
幼少期の思い出と東京への憧れ
そうやって聞くと完全に異常値というか、聞いたことない幼少期を過ごされてるなっていうふうに思ったんですけど、
でもそこは3歳4歳の記憶なんで、あんまりどうしてそうなのかわからないですよね。
そうですね、本当に単純に好奇心でしかないでしょうね、今思っても。
別に教育でそうさせられたとかでは全くないので。
へー、面白いですね。
たまたまって感じですね。
稲荷さん、自分の3、4歳の頃とか覚えてます?
いや、全く覚えてないですよ。
私も全然覚えてない。
そうそう、覚えてるのがすごいですよね。
すごいなー。
それだけもうたぶん、こじられた環境だったので、その記憶しかないみたいな感じですよ、もはや。
冒頭におっしゃっていただいた、東京に行かれたみたいなエピソードいただきましたけど、これはどうしてだったんですか?
これは、そうですね、都会を見てみたいっていうのがあって、
それまではもう、出身広島なので大阪が一番の都会だって、
たまたま高校から東京に行ってみたいってちょうどその時思ってたんですよ。
で、それこそ東京の高校のオープンスクール行ってみたりとかしてみたいなっていう中で、
もう中学校2年生だったので、来年受験だなみたいな感じで、
今年行っとかないと多分来年行けないっていうのでもう思い立って、
本当にその日、母親を連れ出し、夜8時ぐらいだったんですけど、
もう今から行くぞって言って、名古屋まで新幹線で行って、
名古屋から夜行列車で、ムーンライトながらって、今もないのかな、夜行列車乗って、朝5時。
で、東京来るっていう、結構衝撃的な今でも覚えてますね、その日は。
お母さんはびっくりしなかったというか、止めなかったんですか?
そうですね、止めなかったですよね、よく。
縁もゆかりもない途中だったから、行ってみようみたいなノリもあったと思いますね。
フランス語オンライン塾の起業
ありがとうございます。学科もさっき申し上げた通り、
法学部で弁護士政治家を目指されたみたいな話もありつつ、
フランクス語のオンライン塾を起業して、これも事業状ともされて、
で、大学1年ぐらいのタイミングで先鑑金があったっていうのも記事とかで拝見したんですけど、
そのあたりのエピソードも少しいただけますか?
そうですね、一番最初にやっぱりスタートは、
自分のポジショニングを決めるっていうところのスタートだったかなと思っていて、
やっぱり東京に出てきて圧倒的に人が多いじゃないですか、
中央大学、東大オチみたいな子たちがすごく多くて、
なんかこう、ちょっといがみ合う感じもあったんですよね、
自分たちはちょっと違うんだみたいなのもあったので、
そこは自分もなかったわけではないんですけど、
なんかもう少しこう、全然違うステージで勝負がしたくなってたタイミングでもあって、
こっちは普通に就職、インターンして、就活してみたいな、
もう見えるじゃないですか、一個上の子たちが。
現役の子たちがそれやってるんで、
なんかそこじゃないところで自分はやりたいなっていうのが一番大きかった。
ところで、フランス語っていうのももともと結構広島出身で、
結構広島ってグローバルに誰が聞いても知ってる街だと思うので、
やっぱりグローバルに広島出身として何かやっていきたいなって思えば当時から、
国際関係とか、それで法学部行ったのもあるんですけど、
結構そこもあってフランス語みたいな経緯もあったので、
そこからなんとかそれを自分で授業にできないかというか、
っていうところから最初はもう本当に言語の授業だったんですけど、
次はもう少しグローバルスタンダードな授業をやりたいっていうのが、
大学2,3年ぐらいの時から芽生え始め、
その時からいろんな留学の説明会行ったりとか、
2年生ぐらいから行き始めたっていう感じですかね。
東京への憧れとかグローバル目線を手に入れたり、
海外行くまではすごく分かって、
とはいえ一番得意だったのっておそらくフランス語だったわけじゃないですか、
そこに対して留学行かれたのは別にフランスの大学ではなくて、
イギリスのウエストミンスター大学行かれてて、
これすごく不思議だなって思ったんですけど、
どうしてここを選ばれたんですか。
これがですね、今の弊社の株主でもあるんですけど、
IBP、国際交流委員会っていう、
いわゆるICCって言われてる留学のプログラムがあって、
これがフランスがなかったんです、当時。
で、個人的にはフランスにもちろん行きたかったんですけど、
フランスがないんで近いとこ行こうかなみたいなノリでイギリスを選んだ。
なんかもうぶっちゃけ言うと失敗。
で、たまたま奨学金のプログラムで純得体制みたいなのをいただいて、
学費もなくなっていけるっていうので、
それだったらこうやってしとけばいいんじゃないみたいな感じで、
それでも生活費めちゃくちゃ高かったんですけど、
それで無事イギリスに行けたっていうのが裏側って感じですね。
アートとの出会いと留学の影響
先行もうこれアートマーケティングっていう領域で、
そんなのあるんだっていうのがすごくびっくりでもあったんですけど、
これ選ばれた理由はあったりするんですか。
そうですね。最初はめっちゃ言うと国際関係とかめちゃくちゃ取ってたんですよ。
最初の1、2ヶ月ぐらい。
で、やっぱりその時って英語もほぼできないし、
国際関係ってもう向こうのいわゆるエリートがたくさん集う学科なので、
言ってることがわかんないんですよ、そもそも。
っていうので、議論なんないなっていうところで悩んでたときに、
たまたま寮のフラットメイトが、
ゆうやって何やってんの?みたいな話を聞かれて、
日本ではそういう法律とかポリティクス関係やってるよみたいなの言ったときに、
なんでそんなつまんないものやるの?みたいな話から、
結構そのフラットメイトが関与にアート系の子たちで、
じゃあ何やってるの?って言ったら、
私はアートで、私はデザインでみたいな。
それがイケてるよね、クールだよねみたいな価値観があったんですよね、結構ヨーロッパの。
で、ローとか金稼ぎの一番そういう人が行くものだみたいな感じのこと言われたときに、
その価値観って結構日本と真逆というか、
美大芸大に行く人と音楽部に進む人って全然真逆じゃないですか。
なのでそこまで言うんだったらちょっと一回やってみるかみたいな、
ちょっと悔し紛れに講座を受講し始めたみたいなところがスタート。
で、そこからいろんな現地のミュージアム行ったり、
あと一番違うのは、結構科学的にアートを探究できる授業だったので、
やっぱり僕は感性がそこまで、
で、自分に言っといてあれですけど、めちゃくちゃ高い人間ではないと思ったので、
そこがアートに面白みを感じた一歩目みたいな感じでしたね。
確かにウォートの方でも、昔はアート全然興味なかったみたいなこともおっしゃっていて、
で、今のエピソードでも実際にやっぱポリティックスローとかそっちに行こうとしたところで、
急にアートで周りに影響されたっていうのは当然あると思うんですけど、
とはいえ一歩踏み出してみて授業を受けてみて、やっぱ面白くないなとか全然あると思っていて、
そこでやっぱり確かにアートクールだわ、自分ごととして今後も一生懸けてやっていきたいわ、
みたいに思われたきっかけとか、こういうイベントごととか、もしそういうのがあったら聞いてみたいです。
そうですね、やっぱ一番大きいのが、ロンドンっていう街を本当に好きになったんですよね、一年間で。
あまりそれまで一つの街に好奇心を覚えるって東京でさえもそんなになかったかなっていうところで、
なんでなんだろうっていうので、いろいろ自分の中でも思ったときに、ロンドン市長の発言を見て、
ロンドンって美術館が無料だったり、いろんな場所、博物館無料で行けたりするんですけど、
アートの無料開放が市民の福利構成につながるっていう、これ多分ロンドンの前の市長のメッセージとして、
それを読んだときにめちゃくちゃビビッときたんですよね。
つまり、アートっていわゆる見て楽しむとか感じ楽しむっていう方面もあるけど、
いわゆるうまく活用すれば、都市政策とか、いわゆるもう政治なんですよね、そこまで来ると。
というところで、人の生活をよりウェルビングにするみたいなところでアートを使っていく。
まさに感性を超えた機能的なアートの使い方みたいなものを知って、
これは日本でもそういう考え方を持てれば、もっとスタートアップ的なやり方とか、いろいろできるんじゃないかなっていうのを感じて、
そこで一気に惹かれていったっていう感じですね。
アートとスタートアップの融合
それでもう留学が終わって帰って、即起業した、その領域で起業されたっていうような時間軸ですか?
いや、帰国して1年ぐらいは助走期間があったので、
そのときはもういろいろ起業塾みたいなとこ行ったりとか、
いろんな投資家の、エンジェルの、今入ってくださってる方もそこで出会うんですけど、
会ったりとか、もう全く何も関係値がなかったので、もう一からのスタートでしたね。
ここから後編に行くタイミングでプリキュアの話とか出てくると思うんですけれども、
一番最初からずっとプリキュアやってたわけではないと思っていて、
言える範囲でどういう感じで事業を動かしてきたらとか、
どういう意思決定でその領域に入っていったのかとか、
そのミッションビジョン的なところでもいいんですけれども、
どういうことを大切にしてきたのかとかも教えていただけますか?
そうですね。一番最初に、間の弱なんですけど、
広告不動産人材ゲームの4領域はいつでもできるんちゃうかなっていう勝手な過信があって、当時。
みんなそこだったんですよ。メディア作ったりとか、
でね、すごくバーイアウトみたいな感じで。
でもちょっとそこの間の弱な感じがあったんで、
僕はもうアートで行くみたいな、誰もやったことがない領域。
やってますね。
だし、逆に言うと、そこってね、
例えばすごいベンチャー100に乗ろうとか、
フォーブズアンダー30に乗ろうとかしても、いっぱい企業がいるじゃないですか、そのタグって。
だからそこって絶対取れないタグだなっていうのを当時思って、
じゃあ誰もいないかつ、これをスタートアップっていう新しい手法でやるっていうところで、
一回ポジションを築いてみようかなっていうので、
アートかけるスタートアップっていうところで2019年スタートして、
本当にそれがたまたま、タイミングもよくっていうところで、
もう創業4ヶ月、5ヶ月ぐらいですごいベンチャー100に乗らせてもらったりとか、
結構そこからキックスタートできたっていうのもあるんですけど、
もう思いの本質としては、日本ってそこまでいいクリエイター、アーティストがいるのに、
やっぱり評価体系が欧米と比べてなってないんですよね。
いわゆるメジャーリーグと、草野球っていう方も本当にあれですけど、
やっぱりちゃんとメジャーのやり方をしていくとか、
まさに中国とかそうなんですけど、欧米のスタイルじゃない、
SNSを活用してアーティストを伸ばすとか、
やっぱりニュールルールを持ってきてるところは成長してるんですよ。
だからそれを最初やりたいっていうので、
自分たちでアートギャラリーを六本木に2年ぐらい出してたんですけど、
それが最初のメジャーな事業って形で、
まさにインフルエンサーに作品を持ってもらって、
YouTuberの裏にあるアートとか、そういうのをコーディネーションしたりして、
間接的に見たことがあるよねとか、
っていうところから作家の人と人気を、
まず最初の認知を作るみたいな活動をしてみたり、
または作家さんのオンラインサロンの運営とか、
開発みたいなことで、コミュニティみたいな、
ざっくりしたものを見える化していったりとか、
本当にいろんな努力をその時はしてて、
もちろん上手くいったものもあれば、そうじゃないものもあって、
ただ、ベースは今も変わってない。
やっぱり日本的な感性ってもの、文化産業全体ですけど、
そこを全体のGDPを引き上げていきたいっていうのは、
当時から変わってないですね。
事業の展望について
かなり熱い思いも伺いできたところで、
まさに事業に話が聞きたくなってきたタイミングではございますので、
一旦前編ではここまでとさせていただきまして、
後編ではそんな吉田さんが展開される事業深掘りしながら、
今後の展望なんかも伺いたいなと思っております。
吉田さん、そしてお聞きいただいたあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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