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2022-12-20 32:05

魚のお仕事#7-1「発展途上国の水産コンサルタント:麦ちゃん」群馬生まれの魚好きがインドネシアの漁業サポートをするに至るまで

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インドネシアやモーリシャスの水産コンサルタントして活躍している麦ちゃんがゲストに来てくれました!

なぜ群馬で生まれた麦ちゃんが、海外の水産業をコンサルする仕事につくに至ったのか?その経緯と現在の仕事内容について伺います。

麦ちゃんと知り合ったきっかけ/麦ちゃんのご経歴/水産の道に進んだきっかけ/「磯」の衝撃/青年海外協力隊応募のきっかけ/就活全くしなかった/好奇心だけで動いてる/ナミビアでティラピア養殖/NPO法人で漁業復興/東日本大震災/大学院進学のきっかけ/魚を扱う知識が使えない/福島県浪江町の復興事業/そしてOAFICへ/モーリシャス国石油流出事故のフォロー/漁民の生計を改善するって?/インドネシアの漁業サポート/インドネシアの漁協運営/現地との人間関係/日本という国の信頼/自然とうまく付き合う/今は種苗生産をしてないの?/漁業への経済的視点からの協力/次は質問コーナー!

麦ちゃんが勤めるOAFIC株式会社では中途採用をおこなっています!
気になる方は是非こちらの
ホームページ記載のメールアドレス(toranomon@oafic.co.jp)から応募してみてください!

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OAFIC株式会社 阿高麦穂さん

かにへー(@kanihey55)

なおたこ(@naotako_wiener)

00:05
カニ兵です。
タコです。
早速ですが、本日はこちらのコーナーです。
魚のお仕事、発展途上国の水産コンサルタント、ムギちゃん。
このコーナーは、魚食の裾野を日々広げてくださっている方にお話を伺うコーナーです。
タコさん、今回はなんと、海外で水産業のコンサルタントをやっているという、
日本に収まらない世界の魚食の裾野を広げている方が来てくれました。
オアフィック株式会社の、あたか麦穂さんです。どうぞよろしくお願いします。
こんにちは。麦ちゃんです。
こんにちは。
麦ちゃん、ありがとうございます。今回は。
こちらこそありがとうございます。本当にこの回を楽しみにしてました。
話すの、本当に久しぶりですね。
この前会ったのは、門中の見越しの…
そうですね。うちの町内会の見越しを担いでいただいた以来ですね。
で、谷平さんとはですね、大学院の時に私の同期の友達の
友達として研究室の魚食パーティーに来たのが最初だったんじゃないかな。
そうですね。北大の水産業同期だった友人が東京海洋大に進学して。
で、その後多分ね、玉川に行ってうなぎ釣りをしたと思うんでね、一緒に。
そう、うなぎ釣り。あれね、手長エビかな。
手長エビ系のうなぎ釣り。
そうそうそうそう。
多分、手長エビを中心に狙ってて。
手長エビ取れたら、うなぎを、それに手長エビつけてうなぎ釣ろうみたいな感じだったと思う。
あ、そんな感じでしたね。
すごい非常に懐かしい。
あの後、ババ先生とガサガサみたいなのも行った気がして。
いや、行きましたよ。もうね。
行きましたよね。なんかそんなのもありましたね。
いや、ほんと玉川のあの摩天楼の下にね、素晴らしい魚たちがいるっていうね。
みんな知らない。
みんなカフェとかでゆっくりしてる場合じゃねえよっていう感じなんだけどね。
そうでしたね。
行きましたね。もう多分その時は僕もう社会人になって状況してたかなと思うんですけど、
なんか、その時に学生のノリでそういう遊びができてすごい楽しかったなって思い出が非常にありますね。
知り合って8年ぐらい?6年?7年ですかね。
いや、もうそうですね。9年ぐらいですかね。
そのくらいになりますね。
そんな感じですが、今回久々に色々と話ができるということで非常に楽しみにしてました。
ゲストさんの麦ちゃんの紹介をお借りさせてお願いします。
わかりました。今のね、一応今回主題としては麦ちゃんの仕事の話をしていきたいなと思うんですけど、
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その前に結構ご経歴が面白いので、5、6回転職されていたりとか。
やっぱ転職してなんぼでしょみたいなね。
いやすごいですよ。なので、ご経歴を割と詳しめに紹介したいなと思います。
お願いします。
麦ちゃんこと渡川麦穂さんは、1983年群馬県にお生まれ、北里大学水産学部を卒業後、
岩手県の宮古栽培漁業センターや群馬県水産試験場で様々な魚の飼料生産に携わります。
そして2008年、25歳の時に青年海外協力隊へ参加。
アフリカのナミビアに渡り、2年間でティラピアを養殖するプロジェクトを企画し実施。
帰国後はNPO法人に就職し、漁業の復興事業に携わり、2012年には東京海洋大学の大学院へ入学。
その後2013年30歳になる直前に一般社団法人、マリノフォーラム21へ転職。
国内外の水産コンサルトンとしてご活躍され、2017年9月に今も働くオアフィック株式会社へ転職。
その間も学業を続け、2019年には東京海洋大学の博士号を取得。
博士論文のタイトルは、東日本大震災から水産業復興における民間支援のあり方に関する研究。
現在は発展途上国の開発コンサルタントとして、
モーリシャス国沿岸域ブルーエコノミーの持続的開発を通じたコミュニティ生計改善プロジェクトや、
インドネシアの離島6島の水産現場をサポートする仕事を任され、
1年の半分を海外で過ごしながらご活躍されています。
職業生産から養殖の実践やって、復興事業やって、大学院の研究みたいな、徐々に現場から上流にいってるみたいなイメージを持ったんですけど、
そういう想定で動かれてたんですか?
いや、そんなことなくて、今はもう現場ですね、やっぱり。
コンサルタントって聞くとデスクワーク的なイメージがあるんですけど、現場なんですね。
もちろんもちろん。やっぱり現場をやるためのデスクワークは必要なんですけど、基本的にその元にあるのは現場ですね。
じゃあちょっとその今の現職に到達するまでのところ、もうちょっとキャリアパスを深掘り、まずしていきたいなと思いまして、
すごい濃厚なキャリアなので、まず本当まずの話で、群馬ご出身なんですね、麦ちゃんって。
そうです、海梨県群馬です。
かなりどっぷりもう今水産に使っている印象を受けるんですけど、なんで群馬から水産に行こうかなと思ったんですか?
06:06
いや本当に小さい幼少期のきっかけはですね、やっぱりその海水浴ですね。
海水浴?そこなんですか?
はいはいはい。
海で泳いで気持ちよかったっていう。
全然、それもあるんだけれども、やっぱり群馬で大好きな趣味が釣りなんですよ。
釣りもやってたんですね、その時。
川とか湖とかで釣りしてたんですよ。
で、年に1回海水浴で海行くじゃないですか、群馬だって行くんですよ。
新潟の海とか。
日本海側。
で、行ってやっぱり磯あるじゃないですか、磯に普通に生物っていっぱいいません?
いますね、磯は。
あれがもう衝撃的で、私の行った群馬の川とか湖で、そこを水を覗いたら生物がいる環境ってあんまりないですよね。
それで、なんじゃこりゃと、生物めっちゃいると、魚めっちゃいるみたいな。
海ってすげえ。
そういう生物の豊かさにもう撃たれたというか。
もうそこからやっぱり海への道が始まりましたね。
それで北里大学の水産学部に行かれて、魚を育てるところまで、一旦魚を育てる、修行を生産してたんですね。
そうですね、バイトみたいな形で学生のときに行って、そういう近くに栽培漁業センターっていうのがあって、
実際岩手県の大船渡市っていうところで大学生活3年間、1年生のときは相模原北厚大学で、神奈川県の相模原でいたんですけど、
2年、3年、4年と大船渡市に行って、いわゆる漁村で生活しました。
そこから先、修行センターとかに就職されて、そこまでわかるんですけど、その後一気に海外に、青年海外協力隊っていうところがキャリアとしてはジャンプなのかなっていうところは思うんですけど、
急に海外に、25歳のときに海外行こうって思い立ったのって、これまたきっかけってあったんですか?
大学中にみんなやっぱり普通に就職活動するじゃないですか。
しますね。
私は全くしなかったです。
でもやっぱり就職、卒業したら大学を抜けるわけで何かすることを求めなきゃいけないじゃないですか。
自活していくには。
自分好きなことをやりたいなと思って、なんとなくやっぱり研究室が生物の多様性とか、水系生態学の研究室だったんで、いわゆる魚の生態で多様性みたいなのを研究してたんですよ。
09:07
で、私は浮きゴリっていう魚をやってたんですけど。
食べる魚じゃないんですね。
で、そこで多様性やってたんで、他の日本の海の多様性っていうのはわかってたけれども、他の海、海って広いじゃないですか。
そこのいろんな世界の海の多様性、すげえ見たいなと思って。
どっちかっていうと、なんか好奇心なんですね。海外行きたいってなったの。
そうなんですよ。私、今もそうなんですけど、好奇心のみで動いてるんですよ。
なるほど。
かっこいい。
そうですか。それでアフリカのナビビアに携わることになったっていう。
そう、そこでやっぱり海外を行きたいっていうことで、やっぱりそこで海外に行くのって、普通に就職したら、なかなかすぐに海外でいろんなことってできないわけなので、
自分のできる範囲、今の力量でできることっていうので、青年海外協力隊っていうのがあるというのを何かきっかけで知ってですね、
じゃあ青年海外協力隊の試験受けますっていうことで、どういうところに就職するんだみたいな感じでなったときに、青年協力隊に行きますと。
そうですか。
なるほど、それまでは試験上で結構アルバイト的な生活だったっていう感じなんですね、さっきちょっとおっしゃってましたけど。
そこで何をやるかっていうところで、青年海外協力隊に行きますってなって、あれは2年が任期なんでしたっけ、決められた。
任期2年ですね。
その中でティラピアを養殖するプロジェクトをやられてたっていうのは、その修行の経験を生かしてやってみようって、自分で発案してやることになったんですか。
その一応、青年海外協力隊っていうのは先方政府、いわゆる途上国の人たちがこういう人材が欲しいっていうものをあげてるんですね、協力隊の事務局の方に、JICAの方に。
で、その中で私が応募して、私の力量だとこれとこれとこれとこれが受けられるっていうのがもうあるんですよ、養成所っていうのが上がってて。
それでナミビアっていうのが私の力量だとできるということで、ナミビアが受かったって感じです。
私最初はですね、コスタリカとかフィリピンとかを希望してたんですよ。
そうですか。
でもナミビアっていうのを指定されてですね、行ったって感じですね。
難易度はやっぱ違うんですか、その国に。
全然違いますね、全然違います。
内水面だったり海面だったり、はたまた資源管理とかだったりとか。
ナミビアでティラピア養殖するっていうのは難易度的にはそこまで難しくないっていう感じ?
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そうそう、養殖の中で言ったらティラピアって素包養殖で、非常に簡単に鯉とかね、ナマズとか雑食の魚と同じように飼う。
最も簡単に増やせるタンパク源の魚としてはやっぱりティラピアとかヒレナマズとか、そこら辺が今、雑肉係数が高いっていうのはあるしね。
アメリカのウォルマートでも安い白身のヒレって言ったらティラピアみたいな、なんかそういう世界的にももう使われてる安い白身の代表格っていうイメージは確かにあります。
日本だって昔はね、いっぱい入ってきてたわけだし。
そうだね、それも知らなかった。日本もティラピアやってたんですか?
やってもいましたし、海外からも入ってきて、泉台っていうので売られていましたし、タイの代表格ですね。
そうですね、輸入してましたね、確かに。
なるほど、青年、キャリアの話に戻しまして、青年海外協力隊から戻ってきた後は、今度はNPO法人で漁業の復興事業に携わったっていう。
国内の水産業にまた貢献する仕事に戻ったというか、海外から日本になったんですか?
これは大きなきっかけがあって、やっぱり東日本大震災で。
そっか、その年ですね。
はい、戻ってきて、私結構ゆっくりした性格なんで、全然また就職活動もせずに、ベトナム行ったりとか、いろんな国行って養殖現場見たりとかしてたんですね。
そんなことをしていて、1年ぐらい放浪してたんですけど、そんな中で東日本大震災で、自分のやっぱり水産の形成、知識がそうそう、岩手県があんなに、漁師さんとか仲良かった漁師さんとかがすごくつらい思いをして、
ということで、その時にNGOが水産業の復興のために専門家っていうか知ってる方、知識のある人を求めているっていうのを知ってですね、応募していきましたね。
宮城県の方に携わりました。
その後に東京海洋大学の大学院に入学するのは、これまたどうして?
やっぱり復興の現場とかをボランティアというか、そのNGOとしてやってた時に思ったのが、私、生態学の研究室で海外育成の協力隊で養殖とかもやってきて、どっちかっていうと、技術というか魚を扱うことはすごく得意だったんですけど、
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漁業とか産業を復興させるっていうのは全然違うわけですよ。
経済活動の領域ですね。
そうそうなんです。で、自分の知識っていうのは全然使えないっていうのがわかって、やっぱりそういう漁業の専門がわからないと、これどうにもならんなと思って、海洋大に漁業経済学の先生の門を叩いたんですよ。
なるほど。その時に私は出会ったですね。
そうです。
で、またその後、30歳になる前に転職もしたのは、マリノフォーラム21に転職したっていうのは、この会社も一応そういう復興関係の仕事をやられてる会社だったんですかね。
そうです。で、やっぱり東北のNGOの事業もプロジェクトなんで終わりがあるわけですよね。で、一応相手の漁協さんとの仕事は終わって、で、その後にまた大学院に戻ってたんですね、研究のほうに。
で、その時にまたそのマリノフォーラムさんが浪江町、福島県の浪江町で原発から一番近い漁港があるんですけど、浪江町に池戸漁港っていう、で、そこの復興事業を浪江町から事業でですね、やるっていうことになって人材を探しているというお話を聞いて、
私、大学院行きながらですね、仕事させていただいたんですよ。
なるほど。ほんとタイミングタイミングで。
そうですね。ほんとに好きなことができる場所を求めて、依頼やあそいがいろいろ来てですね、で、それに身を委ねていったって感じですね。
ちょうど思いとニーズがかぶったっていう感じしますね。
で、そして博士号も取得して、あれですね、それで2017年に今度また海外の水産系のコンサルタントをやってるオアフィック、海外のことをやってる会社に戻ってきたっていう感じなんですね。
これまた浪江町とかのプロジェクトが一段落ついたっていうところで、また考え直してっていう。
それでその一緒にプロジェクトに参加していたそのオアフィックっていう会社もいました。
その時からオアフィックとの付き合いもあったんですね。
はい、丸のオーラムの。
オアフィック自体が国内も、国内の案件も手掛けてる会社。
国内はその浪江のことで少しやったぐらいで、それはなんでかっていうと、海外の知見、海外の途上国支援の現場のことが今回の復興事業でも活かされるということで、
丸のオーラムを通して海外のコンサルタント会社が入って、途上国の支援を復興支援に役立てる、日本の復興支援にも役立てるというコンセプトの中で実施したわけです。
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その中にオアフィックも一メンバーとして入ってきました。
これはオアフィックが求められた機能っていう部分だと、ゼロイチでその水産業の施設やフローを作るみたいな、そういうところの知見があるっていう。
そうですね、アオジャシンづくりですね。
そこがやっぱ発展途上国がやってると、基本何もないところから作っていくから、強いっていう部分なんですかね。
なるほど、ありがとうございます。それで今オアフィックで働かれてて。
そこもまた声かけいただいたって感じですね。
うちに来ないかっていう感じになったんです。
じゃあオアフィックでやってる仕事について、次は深く掘っていきたいと思うんですけど、2つ今プロジェクトとしては担ってるんですか。
そうですね、私が主にやっているのは2つの最初にご紹介あったプロジェクトをやってます。
1つがモーリシャス国沿岸域ブルーエコノミーの持続的開発を通じたコミュニティ政権改善プロジェクト。
こっちの方はモーリシャス国だからアフリカ?アフリカの方?
そうですね、インド洋、アフリカのインド洋に浮かぶ島国ですね。
これどういうことなんですかね。
そうですね。
ちょっとタイトル見ただけだとどういうことか全然わからないですね。
マダガスカルの右側ぐらいにある小さな島なんですけども、モーリシャスという天国みたいな島があるんですよ。
海が綺麗なんですか?
もう海が綺麗でですね、素晴らしい自然がいっぱいあって、珊瑚礁の海でという形で。
ヨーロッパ人のハネムーンをあげるところみたいなので有名なんですけども。
そうなんですね、リゾート地じゃないですか。
リゾート地なんですけども、そこで日本のワカシオっていう船が座礁した事件を覚えてますかね。
いや、全然覚えてわかんない、記憶にないですね。
覚えてないですか、2年前、2年ちょっと前ぐらいになるんですけど、そのタンカー、日本の会社が所有するものだったんですけど、
それが座礁して沿岸が油まみれになって、すごく漁師さんとかが勤労になったりとかですね、
結構被害を受けたんですよ。
へー、そうだったんですね。
で、それのリハビリテーションと、あと沿岸の漁業者さんの復興というものも含めてですね、
オリシャスの漁師さんや水産に関わったり、沿岸にいる人たちの整形工場を目的としたプロジェクトを一から作っていくという案件になります。
なるほど、じゃあ日本の事業、日本がやってる事業が迷惑かけちゃったから、そのお詫びとして、いろいろと今、人材含めた支援をしているってことですね。
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そうですね。
あれか、オイル、すごい綺麗なところを石油か何かで汚しちゃったみたいな、そういう。
そうですね。
なんかありましたね。
今はだいぶ綺麗になってきてるんですか?
もうやっぱり自然の回復力ってすごくて、オイルって基本的に自然のものじゃないですか。
そうなんですか、そんなに言い切っちゃっていいのかわからない。
制御されますけど、もともとは地球に埋もってたものじゃないですか。
なのである程度は微生物が分解したりですね、良くなってはいますが、
それの影響調査とかそういうのも違うプロジェクトで動いていますね。
環境のリハビリテーション。
我々はその沿岸の漁師さんや漁民の人たちの生計向上を助けるようなプロジェクトなんですが、
自然の環境を回復させるプロジェクトも同時に走ってますね。
生計を改善させるって難しくないですか?
新しく商売を作ってあげるというか、つなげる?紹介してあげるとかそういうところをお手伝う?
もちろんそういうのもあります。
何ができるかというのは行って調査して、どんなところにシーズニーズがあるかとか、
どんなポテンシャルがあるかとか、こういったところをコンサルタントとして調査して、
その結果を含めて提案していくんですね。
相手は国政府と一緒に。
これやっぱ麦ちゃんが動くことで、画期的に生活改善された人とか中にはいるんですか?
今回まだ1年目で調査で終わってます。
これからその調査の結果を含めてどうしていくかっていうところを話し合っていく。
なるほど。これから面白くなってくるような感じですね。
それが1つですよね。それだけでも結構大きな仕事な感じしますけど、
もう1つインドネシアの水産現場をサポートする仕事もやってるっていうのは、
これどういう感じのことをやられてるんですか?
インドネシアはですね、離島6島。
インドネシアってすごく広い海洋国家じゃないですか。
離島の6島を中心に水産業のインフラである漁港施設を日本が
無償資金協力というスキームがあるんですけど、それで作りました。
日本のお金で支援したんですね。
その建物や漁港がうまく使われるように、今度はソフト面の支援をする必要があって、
人材育成だとか研修を行って、あと私の場合はタイトル漁協運営なんですけど、
24:07
そこに定期に漁協って日本でも漁協ってあるじゃないですか、
組織的に漁業の底支えをする組織を組織化したりとか、
そういったところを支援する仕事をしています。
そもそも漁協があるんですか?
はい、漁協あります。
あったんですね。
それは別にムギちゃんがその前からインドネシアでも漁協という仕組みを作ってたっていうこと?
はい、ありますね。
でもやっぱり現場行ってみると、組織が脆弱であまり組織の手を出していないという現状があって、
その漁協じゃ漁師さんサポートできないよねっていうのが見受けられるんで、
そこをちゃんと組織強化して、
組織として漁師さんを支えることができるような事業を行ったりとか、販売事業とかですね。
あと漁船のリース事業とか、
あと製氷器をちゃんと使って、
鮮度管理をできるようにしたりとかね。
そういったことをやっぱりそうやってやれるのって組織がしっかりしてないとできないじゃないですか。
日本ってすごく組織しっかりしてますよね、漁協は。
そう言われると、それができない世界が逆にイメージつかないというか、あんまり。
みんなやっぱり魚の選択肢で。
基本的に私、全然何もないとか全然できないっていう地域がターゲットなので、
そこを支えするためにビルドアップさせてあげるっていうのが我々の発展途上国での主な仕事なんで。
ソフト目やるって。
できてるところは我々行く意味ないんですよ。
そうですね。
人を動かすってかなり人間関係重要ですね。
めちゃめちゃ重要ですよ。
日本でもそうですけど。
どう入り込むんですか?海外からなんかちょっと変な人来たみたいにならないですか?
なるよね。
なりますか?
なる。
なるんですか?
なりますよね。
もちろんね、現地政府と一緒にやるので、現地政府のサポートがあって、我々が日本から専門家が来てやってくれますみたいなそういう紹介があってやっていくわけですけど、
現地にしたらそんな知ったことじゃないですよね。
そうですよね。
なんか外から来てバーバー言ってると、なんかこれやれあれやれって言ってるということにはなりますね。
なるんですね。
なりますね。
それはなるけどめげずにがんばれってそんな感じなんですか?
そう、だけど今やっている国では結構インドネシアは特に日本がすごく親日でですね、日本人のことすごくリスペクトしてくれる土壌がありますので、非常に働きやすいです。
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みんなやっぱり日本の仕組みとか習いたいとか、日本の漁具漁法知りたいっていう人がもうばっかですね。
それはすごい大きいですね。
日本っていう国は本当にすごいって認識されてます、やっぱり土壌国行くと。
じゃあ、たこさんなんか聞きたいことあります?
なんかあんま聞いていいのかわかんないですけど、逆にこの国だと日本人としてこうなかなか課題感というか、ぶっちゃけやりづらかったみたいなのあったりするんですか?
日本人としてっていうやりづらさっていうのは特にはどこもないですね。
やっぱり対人間とやるときにはやっぱり信用って重要なので、しっかりとこっちはデータで示したりとか、対話をして相手をリスペクトしてやっていくっていうのはもう基本中の基本なので、それさえしっかりしていればやりづらいということはなく。
コミュニケーションめちゃくちゃ大事だと思うんですけど、言語としては通訳さんを入れたりするんですか?
もちろん通訳さんを入れます。インドネシアとかインドネシア語。漁師さんなんか英語あんまりしゃべれないので、インドネシア語の通訳さんと一緒にやりますね。
で、政府の方たち、いわゆる役人さんは英語しゃべれるので英語でやりとりしたり。
で、モーリシャスの場合は英語もフランス語もしゃべれるので、みなさん結構英語で、現地の人とも英語でおしゃべりしてコミュニケーションとりますね。
ちょっと仕事の話からブレるかもしれないですけど、インドネシアって自然災害めちゃ多いイメージあるんですね。
この前も火山がジャバ島で噴火してたりしてましたし、日本以上に結構自然の仕事ってハードなのかなっていう、予測不可能なこと多いのかなと思っていて。
水産業者さん、そういう火山たくさんあるから不安だなみたいな、そういう感情とかってないんですかね。
やっぱり生まれ育ったところがそういう場所だし、みなさんね。みんな大丈夫ですね。そこまで不安。
そこまで不安。
もちろんインドネシアね。バンダーチェとか前津波被害あって、すごい津波でやられちゃった地域もあるし。
あるんですけど、やっぱりみんな自然とうまく付き合う。やっぱり水産業、自然を相手にした産業っていうのはやっぱり自然とうまく付き合うしかない。逃げられないというか、しかないじゃないですか。
なので、現地の人たちはそれをちゃんとやっぱりわかっていて、うまく付き合っていると思いますね。
なるほど。ありがとうございます。
狩猟とかの、狩猟生産とかも、青年海外協力隊のときとかも養殖までやったりしてたじゃないですか。
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そこらへんのスキルで手伝うとかは、今はあんまりないんですか?
はい、私今はそこまで、やっぱり当時青年海外協力隊でやってたのって、専門家としてやってたわけじゃなくて、あくまでボランティアとしてやってて、そこまで知識がない、いわゆる専門家じゃなかったので、そこから帰国して、専門の道ではやっぱり漁業経済学、漁業経済ってなったので、
今はどっちかっていうと、産業、漁業とかの仕組みだったりとか、漁業の運営だったりとか、経済的漁業の経済的な視点からの協力っていうのが私の専門分野なので、
なんかそれって結構、
今はそっちのほうが収束してますね。
発展途上国のみならず、日本でもそういう方って必要とされてますし、どこでも水産を経済的に成立させられるかって、どこでも必要とされそうなスキルですね。
そうですね、それが実施できればね、いろんな弊害はありますが、それ実施できれば、でもビジネス、本当にビジネスベースでやってる方っていうのが一番の専門家だと思います。
我々、それを科学して客観的にアドバイスをするというのが仕事なので、それを実際に do するのは現場の人たちっていう形ですよね。
なるほど、ありがとうございます。ちょっと時間が、もっといろいろ聞きたいことがあるはずなんですけど、時間もしてるので、ちょっとリスナーの方々から集まった質問を聞きたいなと思います。
はい。
32:05

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