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2024-02-11 31:27

自分の畑は自分で作る 前編 | motoさん(農家) with mog

第二回目のゲストはHeartich Farm代表の賀川元史(moto)さん。国内最大手のエンジニアリング会社から脱サラして実家の農業を引き継いだmotoさん農業にかける想いと、そして働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くってなんだろうを考えます。

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サマリー

このエピソードでは、アティッチファーム代表の香川元郡さんがゲストとして登場しており、彼の働き始めてからのキャリアの経歴や日記から農業に転身するまでの経緯について話されています。横浜で働いていた農家さんが、英語に苦戦しながらもプロジェクトマネジメントの仕事に挑戦し、そのままプロジェクトマネージャーとしてのキャリアを築いていく様子が描かれています。彼自身は、自ら決定権を持つことを好んでおり、それが可能なのがプロジェクト部門だと考えていました。組織内で決定的な立場に立ちたいという性格であり、プロジェクトマネジメントが彼に適していると感じました。

キャリアの編歴と転身
スピーカー 1
こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は、毎回違う働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうと考える番組です。
本日のゲストは、アティッチファーム代表、香川元郡さんにお越しいただいております。元さん、よろしくお願いいたします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
では、早速お話を聞いていきたいんですけれども、まずこの番組のルールというか、1つ決まりがありまして、冒頭に2つ質問をさせていただきますと。
はじめにこの2つの質問に答えていただいた後にですね、お話していただきたいなと思いますので、よろしくお願いいたします。
ではまず1つ目の質問なんですけれども、元さんの働き始めてからのキャリアの編歴ですね、キャリアのヒストリーを少し簡単にお話しいただけますでしょうか。
スピーカー 2
キャリアという意味ではですね、大学の卒業からでいいかな。地元が栃木県なんですけれども、そこ栃木には高校まで行ったんですが、大学で東北大のほうに進学しまして、東北大には院まで行ったんですね。
そこでは機械系の専攻だったんですけれども、就職を海外で活躍できるサラリーマンみたいなのに憧れまして、就職先としてはあんまり機械系というのは関係ないんですけど、国内では一番大きいぐらいなんですけど、エンジニアリング会社の日記株式会社のほうに就職しました。
そこから17年間ずっと日記でエンジニアリング畑を歩いてたんですが、40歳を機にそのエンジニアリング畑から本当の土の畑にキャリアチェンジしまして、ということでエンジニアを辞めて日記を退職しまして、
農業を始めて現在に至っているところですね。
今年で農業を始めて5年がたつところなんですけれども、今、ナスを中心に栽培しているハーティッチファームという形で、夜行で立ち上げて、JA出荷を含めて、
あとはその他、ECサイトとかですね、ネット販売もやりながら経営を進めているところです。
スピーカー 1
はい、ありがとうございます。もうすでにですね、日記から、あの日記から農業というところでそのお話ですね、興味津々なんですけれども。
全然違うところに来られました。
日記というと少し知らない方向けにお話しすると、エンジニアリング会社、あのプラントですね、石油プラントとか。
そうですね。
本当に特殊な巨大建造物を一から立ち上げるというようなエンジニアリングの会社かなと思うんですけれども、そこから農業、違う畑に入られたということですね。
ありがとうございます。ちなみに一つ、ここで、この後がぶりなんですけれども、日記にいたときのお仕事的にはどういった役職というか役割というか、そういった、どういったお仕事だったんですか。
スピーカー 2
一番入社した最初の1年は、プラント。私たちはプラントって呼んでるんですけれども、石油とかあるいは天然ガスを、普通に皆さんが使える形の燃料にするために生成する工場を、私たちの会社は設計して建設する業務をやったんですけど、
農業を始めるまで
スピーカー 2
その中に使われる一部の機材を、ベンダーといって下請けして作ってくれる会社とのやり取りのような、その会社に要求する仕様の機械を作ってもらう部署にいたんですよね。
っていう仕事をしてたんですけど、3年、4年目ぐらいから、ちょっとプロジェクト部のほうに移動しまして、プロジェクト部というのは何をやってるかというと、そのプロジェクト全体のスケジュール管理とかですね、あるいは各専門部署の専門部とのやり取りのコーディネーターのような形の仕事をしてたので、
もう本当プロジェクト全体を見るような職種で15、6年いた感じですね。
スピーカー 1
そうだったんですね。ありがとうございました。初めは外注の先のベンダーの管理というかやり取りのことをやられていて、そこからPMというプロジェクト管理のほうに入ると。
スピーカー 2
そうですね。何年もずっとスケジュールとかお金を含めてプロジェクトマネジメント系の仕事をしてました。
スピーカー 1
そうなんですね。そこも少し職種的にはかなり大きな変化があったりとかいうところかなと思って、ここもお伺いするのすごい楽しみだなと思っておりますのでよろしくお願いします。
こちらのお話に入る前にもう一つですね、質問があるんですけれども、こちらの質問何かというと、キャリアではなくてですね、これまで住んできた最寄駅ですね。
返力をぜひ教えていただきたいなと思うんですけれども、お願いします。
スピーカー 2
ちょっとさっきのキャリアのところでも触れてしまったかもしれないんですけれども、そういう所在地というか住んでいた場所の返力でいきますと、生まれが栃木県儲川市で生まれまして、そこで実家ですけれども、そこで高校生まで住んでおりました。
大学に進学するのを機に宮城県仙台市ですね。仙台市の方に移りまして、仙台で大学院まで行ったので6年間住んでいました。
その後はですね、就職日記、私就職は一社だけなので日記の方に移ったんですが、本社が横浜ですので仙台から横浜の方へ行って、最初の4年ぐらいかな、会社の寮にいたんですけれども、
最初の4年の間にも、日記自体に17年ぐらいいたんですけど、そのうちの半分ぐらいは海外駐在してたんですね。
なので17年のうちの8年ぐらいは海外駐在してまして、本社は日本にいるときは横浜に普通に住んでたんですけれども、入社後カザフスタンに行ったり、あるいはカタールに行ったり、
中国、オーストラリア、アメリカ含めて4,5カ国駐在しながら、2,3年ずつ繰り返すみたいな生活をしてまして、最終的には横浜、日記の方を退職して、今はまた栃木県毛河市の方に戻ってきて農業をやっている感じです。
スピーカー 1
ありがとうございます。じゃあまさに世界を飛び回って、そして栃木、毛河市に戻られた。
スピーカー 2
そうですね。戻ってきちゃいました。
スピーカー 1
ありがとうございます。その後の話もですね、たくさんお聞きしていただきたいなと思いますので、よろしくお願いします。
日記から農業への転身
スピーカー 1
では早速なんですけれども、働くというところにフォーカスさせていただきたいと思うんですけれども、まずやはり一番気になるのはまま日記という会社が選ばれたというところで、
どういう軸で、何がしたくてその会社、その当時、覚えている限りで構わないんですけれども、どういう思いで、もと青年であった元さんは日記が選ばれたのかというと、どんな感じだったんですか。
スピーカー 2
そうですね。あの頃、普通大学、私の同級生、みんな機械系の仲間とかはですね、やっぱりどこに行く人が多いかというとメーカーだったんですね。結構メーカーに行く同僚同期が多くて、
車でトヨタ、ホンダとかあの辺の大手のところも含めて、あるいは重工系とかですね、そういうところがやっぱり選ばれがちだったんですけど、私は大学出るときにちょっと仕事をいろいろ探したとき、何が一番イメージとしてあったかというと、
本当に世界を股にかけて活躍するようなサラリーマン。そういうのがめっちゃかっこいいと思ってたんですね。でも、大学のときの私は英語も全くしゃべれないです。全然英語をしゃべる環境には、もちろん授業程度の英語は勉強ずっとね、高校からとか中学校からやってますけど、しゃべれないわけですよ、そのぐらいじゃ。
私の研究室には海外から留学生とかもいませんでしたので、普段英語をしゃべる環境にはなかったんですけど、そういうのもあって英語はしゃべれなかったんですね。
っていうのもあって、逆にそういう環境に飛び込めば、嫌がる上にも英語がしゃべれるようになるだろうと思ってた。っていうのもあって、英語をしゃべれるようなかっこいいサラリーマンになりたい、そのためには何かといろいろちょっと探したところ、
まず日記っていう会社、海外で仕事をするような会社が目に留まり、たまたまその日記からの、あの頃はまだダイレクトメールっていうのがあったんですよ。DMがホストに、普通の手紙のDMですよ。ホストに入っていたわけですね。
スピーカー 1
で、そこに載っているパンフレットの、プラントの夜景、見たことありますかね、もぐさん、プラントの夜景ってどういう感じですかね。
スピーカー 2
ないですね、それは。
夜景の映画ですね、写真がめっちゃ綺麗だなと思って、それにも惹かれて、日記っていう会社の面接に飛び込んだっていうのが、あの頃日記を選んだ理由ですね。
スピーカー 1
どうだったんですね、じゃあもう運命的な出会いというか。
スピーカー 2
そうですね、ちょっと考えた時にダイレクトメールっていうのはいい本当にきっかけでしたね。
スピーカー 1
そうですよね、たまたま考えているときに、そのタイミングでダイレクトメールが入っていなければ、もしかしたらいかなかったかもしれない。
スピーカー 2
いかなかったかもしれないですね。
スピーカー 1
面白いですね、ありがとうございます。
スピーカー 2
園児会社って日本に実は3社あるんですけど、園児専門の会社が3社あるんですけれども、その中でも私が就職するタイミングでは、あの頃結構不況で、就職難の時代でもあって、日記しか採用をやってなかったってのもあるんですよね。
それで結局日記になったっていう感じで。
はい。
スピーカー 1
その世界に又をかけるっていうところ、そしてたまたま日記のダイレクトメールが入ってたってところ、すごく運命的だなってお話を聞いていて思ったんですけれども、
一つ思うこととして、とはいえこのプラントを作るってそんなに馴染みがない領域じゃないですか。
なかなかそれよりめちゃくちゃ詳しい大学院生っていない。
スピーカー 2
いないですね、そんな授業ないですね。
スピーカー 1
そうなんですよね。
そのなんかよくわからないっていうようなものに対して、飛び込もうと思えたっていうのは、やっぱりそれは偶然ダイレクトメールがあったからなのか、
それこそおっしゃっていただいた通り、周りの同期は自動車の会社とかわかりやすいところに行かれる中でプラントっていうのはどういう感じで最終意思決定されたんですか。
スピーカー 2
もちろん一番最初は日記だけじゃなくて、他の会社とかにも面接とかは行ったんですよね。
今だからこそ行っちゃうかもしれないですけど、他に受けたところの一つはですね、鉄道総合研究所、鉄道総研っていう、
要は新幹線の車体の設計とかしてるとかっていう、そういうところも受けたりしたんですけど、
いろいろ受ける中で感じたのが、鉄道総研とか行ってみるとなんか暗いんですよね。
そういう人に怒られちゃうかもしれないですけど。
大学と一緒の研究所ってほんと研究所っていう感じの、シーンとした感じのなんですよ。
入社とプロジェクトマネジメントへの興味
スピーカー 2
なんですけど、日記行ったときには、オフィスが桜木城のど真ん中でもう私たちの頃が経ってる頃で、
その社員さんたちも、みんな生き生きして見えたんですよね。
その面接の中で、重役の方とかとどんどん上がっていくと面接するんですけれども、
その中の話でも、結構社風として自由にやれるなっていうのも感じていたし、
あとは結構プラント業界っていうのに実際に踏み込んだ一つの理由の一つは、
メーカーとかに入って、何て言うんですかね、ほんと開発部門とかに入ると、
一つの開発って結構数、長年こうドーンとやってるとか、あるいはその部門に入ると、
ずっとそこの部門でやるとかね、長いスパンで考える研究職とか多いかもしれないんですけど、
日記の場合のプロジェクトっていうのは、短いものだと2、3年、長くても5年とかでくるくるくるくる新しいプロジェクトに、
どんどんどんどん回っていって、新しい体験できるみたいな、そういう感じの仕事のやり方なんですね。
プロジェクト単位で動くんで、なんで新しいことに次々次々やれるみたいな、
そういう仕事のスパンの楽しさも感じて、実際には全くほんと研究とは違うことでしたけど、
そのプロジェクトっていうものを動かしていくことが楽しそうだなと思ったのは決めたきっかけではありますね。
スピーカー 1
どうだったんですね、じゃあそのどっちかというと会社の分かりやすさとか大きさとかそういう見た目のところではなくて中身、
まずは社員の方々が生き生きと働いていると、自由である風のところと、もう一つはこのプロジェクト、
短期間でいろいろなものを見れる、いろいろなものを売りたいというところ、結構その内面的なところ、会社で言ってもそこを重視されて入られたという。
スピーカー 2
そうですね、最終的には。
スピーカー 1
ありがとうございます。じゃあいざ入るわけじゃないですか、それこそその当時の元さんは世界にまたをかけるんだと、
そして生き生きと働いていたいと、あとはこの新しいものをどんどん見たいというところで入られて、
スピーカー 2
まず配属されたのがベンダーのコントロールだったんですよね。
スピーカー 1
ここはいかがだったんですか。
スピーカー 2
いやね、めっちゃ大変でした。最初入った1,2年は何が大変かって、英語ができないのが大変。
英語ができないのでそんな会社に入るなって言われるかもしれないですけど、
いや本当、一般の方はなかなかベンダーという言葉がなじまないかもしれないですけど、
その下請けで機械を作ってくれる会社にいろいろ自分たちの作ってほしいものを要求を出して、
図面が出てきたりとか、あるいはそういう質問が来たりとか、いちいち対応しなきゃいけないんですけど、
その会社は全部海外なんです。
しかも全部海外です。私が少なくとも担当したのは全部海外の会社で、
しかも要はイタリアだったりとかスペインだったり、なんていうのかな、英語に癖がある人たちばっかりなわけですよ。
それを電話でやりとりするのがめっちゃ大変で。
肌でさえ英語わからんのに、鉛のあるものを電話で聞くっていう。
なんでね、本当最初の数ヶ月、実際にベンダーさん、海外のエンジニアたちと電話で話し始めた最初の数ヶ月は、
本当聞き取れなくて、ストレス溜まりました。悩みましたね。
それはね、一番最初大変だったなと思っていう記憶ですね。
本当メールも全部英語なんで、そういうのにいきなり飛び込んで、
本当実地で覚えていったっていうか、体に入ってきた感じですね。
スピーカー 1
これは凄まじいですね。いや、お話を聞くだけで凄まじい体験をされてるなと思ったんですけど、今でこそチャットGPとか、翻訳ツールがすごく優れているので、メールベースだとなんとかなってしまうみたいなところもあるじゃないですか。
英語に苦戦する日々
スピーカー 1
だけれども、当時そんなものは当然ない中で、加えて電話。
電話がきついです。
きついですよね。私も海外で少し仕事をしてたこともある中で、やっぱり一番何が嫌って、電話が嫌なんですよね。
そうですよね。
分からないんですよ、電話が。
スピーカー 2
分からないですもんね。
スピーカー 1
そうなんです。なんで、電話が凄い。これ結構皆さん海外、初めて海外で仕事される方、皆さん言うところかなと、電話が嫌だっていうところだなと思うんですけど、それがお仕事なんですもんね。
スピーカー 2
そうなんです。
スピーカー 1
凄まじいですね。なるほど。
スピーカー 2
だから本当、最初の1、2年でもう英語付けの日々、書類も全部英語ですしっていうのに本当に慣らされた感じですね。
スピーカー 1
そうなんですね。でもそういう意味だと、その仕事自体は大変だったっていうところあると思うんですけれども、やりたいと思ってたこととのギャップみたいなのはそんなになかった?
スピーカー 2
そういう意味では、本当、海外で活躍するサラリーマンみたいなのを夢見て、この会社を選んだこともあったので、配属自体、そういう部門にできたっていう、慣れたっていうこともあって、やりたいことはそのままできていたような感じではありますね。
スピーカー 1
そうなんですね。じゃあもうその仕事どうにか、もう英語になんとかっていうところで食らいついていった。
スピーカー 2
そうですね。もうこれやってりゃ英語できるようになると思ったね。
スピーカー 1
そうですよね。ありがとうございます。
もう少し気になるのが、ただその仕事だけで英語を覚えるってなかなか難しいんじゃないかなってちょっと思ったんですけど、なんかご自身でも、例えば休日にちょっと学ぶとかそういったことも並行してやられてたんですか?
スピーカー 2
全然。仕事だけです。
スピーカー 1
そうなんですね。
スピーカー 2
いやもうね、英語できるようになるためには、使う必要があったら必然的に覚えますか?
あのね、ペーパー上の教科書の勉強、もちろん耳からは鳴らすために、なんかこう、なんていうのかな、リスニングの教材とかずっと聞いていたりするとかっていうのは、とてもいい効果があると思うんですけど、
本で読むとか必要ないですよ。たぶん仕事やってれば、仕事で使ってればできるようになります。
スピーカー 1
これはいい話ですね。話したければ仕事で使える。
スピーカー 2
仕事で絶対使わなきゃいけない環境に身を置けば絶対できる。
スピーカー 1
そうですよね。学ぶ前にとりあえずやっちゃうといってしまうっていうのもありますよね。
なるほど。じゃあちょっと話をですね、キャリアの話に戻していくと、その当時は横浜で働かれていて、英語図形の毎日であると。
そこから3年くらいそこにいらっしゃった。
スピーカー 2
そうですね、その部署には2年、3年弱ですかね、そのくらい。
スピーカー 1
そこから3年くらい経つと、もう英語はだいぶ大丈夫に。
スピーカー 2
うん、もうアレルギーはなくなって、嫌がる上にも喋るようにはなっているみたいな状況ですね。
もうその間に駐在も入ってたんで、カザフスタンに行ったのが1年半くらい経った後だったので、もう駐在も終わっている頃とかいう感じだったので。
スピーカー 1
そうなんですね。横浜からカザフスタン駐在みたいなものも挟んで、じゃあもう一回ししたなみたいな。
ところにはなっているときにプロジェクトマネジメントの方に。
プロジェクトマネジメントの移行
スピーカー 2
そうですね、そっちの職種に移動した感じですね。
スピーカー 1
なるほど、その話を聞くとプロジェクトマネジメントって全く別のスキルというか能力が求められる。
今度は英語にプラスアルフをして、そのまさにプロジェクトマネジメントの管理の能力が求められるようなところに全く新しく行かれたってことですよね。
どうでした、その当時。
スピーカー 2
そこの本当の意味で行ったきっかけというのが、会社の組織改造というか組織変更だったんですよ。
私がもともといた部署がプロジェクトマネジメントグループに吸収された感じになったので、それで移動っていう感じだったんですけど、組織としては。
ただ、ショーに会ってたっていうのが、それまでいた1年半、2年ちょうどやっていたベンダーとのやり取りの部署というのが、
部品一つを作らせるベンダーではなくて、装置一体を作らせる必要があるベンダーなんですね。
そこの中にはいろんな部品、鉄のパイプがつながっている配管だったりとか、電気工事も装置の一部として作らせなきゃいけないし、
部品をただ作らせるんじゃなくて、いろんな部門とちゃんと話しながらそのベンダーさんとコーディネートするみたいな、
ちっちゃなプロジェクトマネジメントをやっているような装置を作る部門だったんですよ。
そういうのもあって、若いものはプロジェクトマネジメントのほうに吸収みたいな感じの組織の流れになったんですけど、
っていう意味で、それまでやってたベンダー対応なんですけど、コーディネーションをやらなきゃいけないしっていう意味では、
そのままもう社内のプロジェクトをマネジメントするっていう素養を、その2,3年でつけてたところがありますね。
スピーカー 1
そうだったんですね。なるほど。
じゃあもうそこは会社の人事もわかった上で、ここにいたまもとさんたちであれば、こっちの会社のプロジェクトマネジメントもできるでしょっていうこともあったんですね。
スピーカー 2
そうですね。それは多分、組織改革をやっている中でもうここは一緒でいいだろうとは思ってたんだと思いますね。
スピーカー 1
そういうことだったんですね。
で、少し気になったのが、省にあってたっていうお話もその中で出たと思うんですけど、今のお話聞くとつまりはもとさんって、
プロジェクトマネジメントが結構仕事の中心というか軸に据えているような形なのかなとお話をお聞きして思ったんですけれども、
このプロジェクトマネジメントって仕事自体、省にあってたっていうところがあるって感じなんですかね。
スピーカー 2
これもあんまり会社の日記を選んだ頃は別に考えてなかったんですけど、
日記の中でプロジェクトっていう仕事に関わりながらやっていく中で、あるいは同僚と話しながら気づいたのが、
同じ日記の社員、同期の中でも専門部、例えば専門部っていうのは電気は電気、
経営機、センサーとかそういう経営機をやる人、あるいは配管、機械とかいろんな部門があるんですけど、
そっちだけをやりたいっていう同期もいるんですよね。
ただ、私は違うなと。私はどっちかっていうと、そういう人たちをコーディネートしながら、
中心的に物事を決めて進められるっていう部署のほうが好きだったんですね。
リーダー経験からプロジェクトマネジメントへ
スピーカー 2
あんまり細かい専門部のことよりも、全体を大雑把に把握して、いろんな意見を聞きながら判断するみたいな、
そのほうが醍醐味があるというか楽しいと思って、っていう意味で、
自分ってプロジェクト向きなんだなって思った。そこはやりながら気づいたと思うんですね。
スピーカー 1
やりながら気づいていったってことなんですね。
それって、どっちが良い悪いはないじゃないですか。つまり一つのものを突き詰めていくっていうのも必要なことですし、
モデルエンタリー管理者にとっても必要な役割なのか。で、やりながら気づかれる。
それこそ日記に入る頃はそんなことあまり考えてなくて。
スピーカー 2
考えてなかったね。そういう触手があるってこともよくわかった。
スピーカー 1
そうですよね。
ちょっとひるがえって考えてみたときに、この俯瞰してみるの自分好きだなっていうのは気づかれていったと思うんですけど、
それって一体なぜなんだろうって、今だと何でなんだと思いますか。
スピーカー 2
例えば昔、自分の学生時代の生き方とか、何かしらそれが好きになった、元になったものとか、原体験とか何かあったりするんですか。
なーんで、なかなかなんでだろうな。原体験がなんかって、なかなかパッとこれっていうのが思いつかないんですけど、
ただ、絶対的にそっちのほうがいいなって思ってる理由は、
やっぱり自分で決められるっていう権限を持ってることが好きなんだと思います。
決められる。
結局、自分でいろいろいい案とか出したけど、それの方向に進まないとかが嫌なんです。
最終的には責任取ってでも、自分で決めてやりたいっていうほうが良くて、
それができるのが、私自身はね。
それができるのが、うちの会社の中ではプロジェクト部門だと思ったんですよね。
ぶっちゃけ言うと他のいろんな意見もあるんですけど、
専門部の人は専門部の人で、結局自分たちが決めてると思ってるし、いろいろあるんですけどそれは。
なんですけど、最終的にいろんなことを考えて決めてるのはプロジェクトだと私は思ってたんで、
そこが一番やりがいがあったんですよね。
じゃあなんでかっていうと、子供の頃から考えてると、
結構私子供の頃、学生時代も小学校中学校とかもずっと生徒会長はやってたんですけど、
なんかね、やっぱこう、何ていうのかな。
別にそれがステータスってわけじゃないんですけど、
一応リーダーみたいな、長みたいな形になって、
で、なんかやるっていうのは、
性に合ってたし、自分ではできると思ってたし、
そういうのに慣れてたから、やっぱり組織の中で決められるポジションに立ちたいっていうのは、
その頃から思ってる性分なんでしょうね、きっと。
スピーカー 1
なるほどですね。
プロジェクト部門での活躍
スピーカー 1
いや、でもそのプロジェクトマネジメントが決められるっていうところ、
ここがいいんだっていう、それこそ2期入るときは思ってなかったけれども、
フィットするところが見つかった。
それをそよってひるがえってみると、
学生の頃からのリーダー経験みたいなものがあって、
そこがこう紐づいていって、プロジェクトマネジメントっていうものをたまたま見つけたっていう感じなんですね。
スピーカー 2
そうですね、たぶんね。
スピーカー 1
ありがとうございます。
いや、なかなか面白い話が既に聞けているんですけれども、
一旦ですね、お時間になりましたので、前半はここまでとさせていただきたいと思います。
後半はですね、これからこのプロジェクトマネジメントって言われている本さんが、
どのような形で農業に関わるのか、そこのお話を聞いていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
31:27

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