前編では前田さんのおいたちや創業までのプロセスを、
後編では匠池健工業さんの経営や事業についてお伺いしますので、
ぜひ併せてお聞きください。
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それでは前田さん、まずはご経歴などを含めた自己紹介を1分程度よろしくお願いいたします。
はい、改めて匠池健工業で代表を務めております前田翔太と申します。
実はですね、私自身最初からスタートアップの創業っていうのを志していたというわけではなくて、
幼少期から弁護士を志しておりました。
というのも、私の父と祖父と三つ舌の妹がいるんですけど、
全員ちょっと弁護士になるという家系でして、
ある意味弁護士を目指すのが既定路線みたいなところもあったので、
大学も法学部の方で卒業しています。
ただですね、私が在籍していた東京大学が、
2019年頃もですね、スタートアップベンチャー企業の育成・配置に非常に力を入れていくと、
東大総長も昔は官僚を多く輩出していた大学でしたけども、
どんどんスタートアップ目指して社会の壁を解決していくという、
そういうメッセージを強く発信していたということもありまして、
大学のですね、部活の動機と一緒に卒業したというところが経緯になっています。
実は大学時代はですね、体育会のラクロス部というところに所属をしておりまして、
朝から晩まで学生日本一を目指しながら、ラクロスの演習に明け暮れていたというところでございまして、
そんな動機のメンバーと一緒に大学のですね、いわゆるアントレプレナーシップ教育というか、
いろんな企業家の帯の方が講演に来てくださるという、そういった授業を受けていく中で、
社会課題の解決の手段としてのスタートアップがあるんだなというところを初めて知りまして、
これは今このメンバーで仲間で挑戦できるのは今しかないなというところも感じてですね、
まず大学院を休学して、創業して、やっぱりそれがもう、何ていうんですかね、非常に面白くなっていって、
ここで自分たちは挑戦していくんだということで、大学院を中退して事業に勤しんでいくと、
今に至るとそんな感じの背景でございました。
ありがとうございます。
前田さんはノートもたくさん書かれていらっしゃって、まさに創業の経緯とかも書かれていらっしゃったので、
ここまでスムーズに質高くというか、無駄なく話される方いらっしゃらないなと思って、
僕は感動しながら聞いていまして。
いえいえ、ありがとうございます。
その上で、とはいえノートとかも書かれてるんで、そこにないようなところもぜひ深掘っていきたいなと思ってまして、
まず初手でお伺いしたいのはですね、大学でラクトロスに熱中されたって話があったんですけれども、
逆にそれまでは野球もずっとやられてたって話とかもあって、
その方向までの話ってそこまで触れられてない気がしておりまして、
なんかどんな少年だったのかとか、やっぱり野球一筋でやってきた方だったのかとか、
そのあたり教えていただけますか。
はい、ありがとうございます。
そうですね、中高は実は野球部に所属をしていまして、
将来は東大でじゃあ野球をやりたいなみたいなことも思っていたりもしたんですけど、
やっぱり大学入った時に一方で新しいスポーツに挑戦してみたいなとか、
いわゆるフィールドスポーツというか、選手が入り乱れるようなチームスポーツもやってみたいなというところもありまして、
さらに東京大学がラクロスが結構強豪だったというところもあったので、
そういった新しい挑戦をしていこうかなという意思決定をしたというところがあります。
このあたりは今日お話しすることもあるんですけど、
せっかくなんでもう少し幼少期という小学生、中学生くらいまで、
めっちゃ気になります。
遡ってみたいなと思ったんですけど、
よく起業するとなんか減体験なんですかとか、なんかそういうの聞かれるんですけど、
僕の場合はなんか、今の製造業をしっかりと盛り上げていこうというこの事業の減体験みたいな、
それ自体がそこまで強くあるっていうわけではないんですけど、
一方で自動車とかロボットとかそういうのがすごい好きな少年で、
道を歩いたりお父さんに連れられてドライブしている時に、
もうひたすら道行く車の車種名をこうなんか言っているとか、
あとはロボットも、
例えばホンダのアシモとかソニーのキュリオとかそういうのが好きだったので、
日本科学未来館の年間パスポートを取ってずっと通っているみたいな、
そんな感じの少年でした。
ただ、僕小学校の頃は図工とか体育とかがすごい好きで、
逆になんか座学的な国語とか算数とかそこまでっていう感じだったんですけど、
だんだん中高と現実社会を見ていくにつれて弁護士行くのかなみたいな、
異形少年からだんだん文系の方に行くみたいなそんな感じでしたね。
基本もう自分は弁護士だろうっていう、徐々にそういう風になってたんですね。
やっぱ親御さんの影響でってことですか。
そうですね。逆に言うとなんかそれ以外の選択肢ってやっぱり小中学生とかって、
自分の親が一番見えている世界としては大きいってところがあるので、
それ以外の選択肢はあんまり考えたことがなかったなっていうところもあったので、
逆に大学入って民間就職って選択肢もあるなとか、
あるいは観光庁に行く官僚になるって選択肢もあるんだなとか、
その辺も見えてきたときに、果たしてどういう道に進んでいったらいいんだろうかっていうのは、
むしろ初めて迷ったっていうところはありました。
なんかアニマルスピリッツの中でよく言われているのが、
前田さんめちゃくちゃいい子だよねっていうところで、
息子にしたいみたいなのがもうキャピタリスト、朝倉も荒木も含めてみんな言っていることで、
どうしたら前田さんみたいな子に育つんだみたいな話が結構頻繁に出てくるんですけど、
今の前田さんを形作ったといいますか、影響のあった親御さんの教育の仕方とか、
今の前田さんの素晴らしい前田さん像を作り上げるのに影響があったことって、
どんなことがあるのかなっていうのが、すごい雑な質問なんですけど教えてください。
ありがとうございます。そう言っていただいて本当にお揃い多いなというところなんですけど、
僕自身も結構親の期待は裏切っちゃってるんじゃないかなと思っていて、
例えば父親は大学でも野球をやっていたので、当然僕が大学でも野球を続けると思っていたら、
まずラクロス部に入りましたというところで一つ裏切っていて、
当然息子が弁護士になるだろうと思っていたら、当然起業するとか言って裏切ったりしていて、
そういう意味では親から見た時にどういう子供なのかっていうのは、ぜひ聞いてみたいところではありますけど、
ある意味そういう自分の意思決定を尊重してくれるというか、
頭ごなしに否定するとか反対するとかっていうことはなく、
常に尊重してくれたなというところは改めてすごくありがたいことだったなと思っています。
小学生の時とかも夏休みとか外連れ出してくれたりとか、
自由研究とかも結構自由にやらせてくれたりしたんですよね。
例えば海の近くに行って、夜に夜行中っていって、刺激を受けると光るっていうのがあるじゃないですか。
あれの光る条件をいろんな海水とまみずでやったりとか、光のところでやったりとか、
そういうのを自由にやらせてくれるみたいなそんなところもあったので、
常にこう、あえて原告するんだったら知的好奇心を常に引き出してくれるみたいな、
そういうところはすごくサポートしてくれたんじゃないかなというのは思っています。
親御さんの期待を、まず裏切ったって裏切るって言葉がそもそもあんま出てこないんじゃないかなと思っていて、
そこからもう誠実さみたいなものが変えば見えますよね。
そうですか。
ちなみに僕も96年生まれなんで、おそらく同い年なんですけれども。
同い年ですね。
そうなんです。にもかかわらず、すごい大人だなってすごいなって聞いてました。
そんなことないです。ちょっとまだ猫かぶってるかもしれないですけど。
本当ですか。
大人話で言うと、前田さん学生企業だと思うんですけど、あるインシデントがあったときに、
そのインシデントを起こした人を責めるんじゃなくて、悪いのは仕組みだみたいなことをリーダーシップとして発揮されたっていう逸話がありまして、
それもこれってどこで学んだのかなみたいなところはすごく気になっていて、
どういうふうにその辺を学んだんですか。
そうですね、どういうふうに学んだかって結構難しくて、
例えば大学でそういう雑学がありましたってなっても、
それって自分自身が実践して失敗しないと、本当に花見を持って気づけないところってあるんですよね。
なので組織をどう作っていくか、どうマネジメントしていくかとか、
企業のゼロイチにおけるセオリーとかってあるとは思うんですけど、
結局なんかそれも自分で失敗を経験したときに初めて学んだなっていう感覚があるなっていうところは思っています。
あとは結構リアルな人と会って話すとか、
やっぱり今の同じ我々の株主からの出資先の横のつながりの企業家の先輩の方にお話を伺うとかもそうですし、
あとは弊社に個人投資家として入られている方、株主として入られている方に
いろいろディスカッションの機会をいただいたりとかっていうこともありますし、
インプットとしては、例えば僕も朝倉さんのポードキャストをずっと聞いてたんですよ。
そういうところで、こういうふうに考えるんだなみたいなところにインプットさせてもらったりしていますね。
ちょっと話脱線しますけど、実は朝倉さんに、アネマスピースさんにご出書いただいたきっかけというのも、
元をたどればポッドキャストで、僕がずっと朝倉さんのポッドキャストを聞いていて、
すごい考え方、近しいのはちょっとおこがましいですけど、すごく勉強になるなっていうふうに思っていて、
いつか朝倉さんと一緒に授業参画してくれたら嬉しいなっていうところを思っていた中で、
2年前か3年前のIVSっていうイベントがあって、そこでぜひ朝倉さんお話したいですっていう形で、
ジェネシャベンチャーズの担当の市内さんにお願いしたところをうまくつないでくれて、そこが多分最初のご縁だったような気がするんですね。
そこから定期的にディスカッションの機会をいただいていて、朝倉さんがアネマスピースのファンドを立ち上げるっていうタイミングと、
前回ラウンドが重なったので、ご出身に立ったっていうところもあったりするので、
そういう意味では、何ですかね、このポッドキャストってそういう縁を生んだりとか、結構深いパーソナリティのところに入り込んでいくっていうことが、
やっぱりこの音声コンテンツの特徴かなとも思っているので、そんな感じのご縁でしたというところが、すみません、余談でしたがありました。
関係者全員を幸せにする前田さんのトークえげつないですね。
いや、ほんとそうなんですよ。
朝倉さん、中山さん、みんな嬉しいだろうなって思ったら、僕もポッドキャストの可能性みたいな、嬉しいみたいな気持ちになっちゃいました。
ありがとうございます。ちょっと戻っちゃうんですけど、ラクロスにどうしてここまで熱中できたのかなというか、
シンプルにそこがすごく気になるんですけれども、何に魅せられてというか、燃えたぎってそんなに頑張ってらっしゃったんでしょうか。
そうですね、ラクロス時代のことを思い返すと、会社においてもミッションビジョンバリューみたいなことすごい大事って言うじゃないですか、
あの部活のカルチャーみたいなところがすごい強烈だったなって思っていて、
例えば、大学1年生の時、新入生で入る時に全員同じプロモーションビデオみたいな動画を見るんですよ。
熱狂的な、日本以上目指していくぞみたいな、ある意味その同じ絵が浮かんでいる状態で同期のメンバーが4年間やっていくっていう、
ある意味そのミッションとかビジョンが映像化された状態でみんな頭の中に持っているので、これを持ちながら目指していけるっていう集団ってすごい強いなと思っていて、
僕もやっぱりそこに魅せられたというところがありました。
あんまりラクロス部の話に深く外ですることってなかったんですけど、
僕自身はラクロス部で学生日本人を目指していくっていうそこのミッションにはすごく共感して熱狂していたんですけど、
一方で1プレイヤーとしてはやっぱり活躍しきれなかったなっていう、そういう後悔とか悔しさだったりとか4年間通じてあって、
実は僕はオフェンスはすごい得意というか、シュートはかなり自信のあるプレイヤーだったので、点を取るということに関しては長けていたんですけど、
一方でディフェンスの部分が非常にザルというか弱いというところもありまして、
なのでこの辺り、次じゃあビジネスパートソンとして本当に社会でやっていくためには、
いかにそういう初手から努力し続けるかみたいなところはすごい大事だなっていうのは、
自分部活時代の反省としてありましたし、一方でそういった強み弱みみたいなところをカバーしていくみたいなところもチームスポーツにおいてはすごく大事だなというのも思っているので、
実は僕はオフェンスは得意でディフェンスはめちゃくちゃ下手くそで、一方で今うちのCTOをやっている伊坂、これもラクロス部の同期なんですけど、
彼らはディフェンスに特化したミッドフィルダーなんですね。
ディフェンスはできるけど、一方で彼はオフェンスは得意じゃなかったっていうこともあったので、当時からこの2人が補完関係じゃないですけど、
オフェンスで僕が球を失った瞬間にベンチにバーって帰ってきて、代わりに今のCTOの伊坂がディフェンスで出るみたいな、結構2個1みたいな感じで、
当時から補完関係みたいな感じでやっていたりもしたので、そんなところで色々学ぶこともあり、ある意味今のチームの信頼関係も築いたりとか、
ちなみにうちのもう一人の共同創業者の原というものがいるんですけど、彼が当時Bチームのヘッドコーチをやっていたりもしたので、
むしろ僕と伊坂が原のコーチの下でプレイしているみたいな、そんなこともあったっていうのが当時の私たちでした。
ラクロス部のプレイヤーとしての皆さんと、今共同創業的にやられている皆さんはやっぱり補完関係というか、同じような関係性で仕事をされていらっしゃるんですか?
そうですね。同じようなカルチャーとか、やっぱりとにかくミッションに対して熱狂してストイックにやっていく、そういったところは変わらないと思いますし、
各自のパーソナリティとか、お互いの強み弱みというか得意不得意みたいなところが補完的になっているっていうところは、当時から変わらないところかなというふうに思っています。
同じラクロスにいて同じカルチャーを共有していても、例えば僕と原って全くタイプが違っているので、僕がガッとアクセルをすると彼が結構衛生に見てくれるみたいなところもあったり、
そういう上手いバランスだったということは、本当に今振り返ってもラッキーなことだったなと思っていますし、
特に起業するってなった時に共同創業者どうしようっていう悩みを抱えるスタートアップの方が多いとは伺っているんですけども、
私たちの場合はそこがクリアされた状態でスタートできたっていうのは非常にラッキーだったなと思っていて、
それ故に今しかないとこのメンバーでできるのは、このタイミングを逃したらもう後はないだろうというところで、
3人が意思決定に踏み切れたかなというところはあるかなと思っています。
中山さんが本当に匠義賢さんって良いチームっていう顔でずっと見られてましたね。
本当に3人の絆が強くて、なんか結構創業メンバーをどう探すかみたいなところってスタートアップのよくあるある質問の一つだと思っているんですけど、
しかも中山さんアントラーでそれをマッチングさせたわけですもんね。
そうなんですよ。そこで良い例として私よく挙げるのが匠義賢工業の3人だったので、
こんな風なチームワークだったんだっていうのがすごい興味深かったです。すみません感想です。
最後絶対に聞いてみたかった質問があってですね。事業内容については後編で外観も含めて多分深掘っていただくと思うんですけれども、
その前段の話としてですね、委員にいらっしゃるときに起業され、その後今の事業にすぐたどり着いたわけでは当然なくて、
10個以上の事業だったりプロダクトっていうのをかなり具体的に検証されたりとかもされたと。
その中で2020年の12月にすべて撤退をされて、今の領域にフルベッドされたっていう話をノートで拝見をしたんですけれども、
とはいえ相当なヒアリングをかなりの業界さんに深くされていらっしゃって、実際に検証までやるものもあって、
それと今やられていらっしゃるこの製造業の領域、ズバリ何が違ったのかとか、やっぱりこれだって思いっきりアクセル踏んだ理由っていうのを改めて聞いてみたいです。
ありがとうございます。ノートもかなり読み込んでいただいたというところで非常に嬉しく思っていますが、
そうですね、本当に創業してから1年、1年半ぐらい結構いろんな事業を立ち上げてピボットしてということがあってですね、
やっぱりその時に我々の反省として強く意識していたことが、やっぱり顧客ないしはユーザーの強いペインというか、
課題を起点に事業を作っていくべきだなというところを感じまして、当初はですね、例えばこういうソリューションがVRとか、
AIならAIでもいいですし、それがその武器があるから、じゃあ世の中どういう課題を解決できるかさせていけるかみたいな、
そういう発想で事業を作っていったんですけども、そうするとある意味自分たちのエゴを押し付けてしまうっていうところがやっぱりあって、
架空のニーズを作り上げてしまうって結構あったんですね。そこでやっぱりうまくいかなくてピボットしたりっていうことがあったので、
もう次、全事業を撤退してから次にやるときには、やっぱりユーザーないしは顧客の熱狂的なペインがあるところでやろうと、
例えばそれのソリューションがオフトウェアじゃなかったとしても、それはそれでむしろ放出だよねっていう、それぐらいのペインの解決というところをやっていこうという形で、
スタートしたというところがありました。なので、本当にいろんな業界を断してですね、不動産業界とか保険業界とか運送卸売小売とか、
マーケットが大きくてレガシーで、というところをいろいろヒアリングをさせていただきまして、
ただやっぱりそれぞれの業界にそれぞれの課題があるなというところは感じました。
ただその中でも特に現場の方の課題感が強いとか、あとはもうそれが次元的に今やらなければいけないと、
ただ製造業だったら本当にグローバルな競争環境の下、もう多分5年以内に勝負決まってしまうと、
日本がしっかりデジタル化も含めて技術証券も含めて、段階世代が引退していく前にそういったことを実現できるかどうかというのもそうですし、
これどんぐらい今危機迫ってるかっていうのって、まさに今日産と本田が系統を検討し始めましたって、これもう本当にエポックメイキングだと思っていて、
それぐらいオールジャパンで戦わないと製造業っていうのが待ったなしの状態になってるって、これが多分現実だと思っています。
そんな中、その課題っていうのを業界の中の皆様方が一言じゃなくて、
これ自分ごととして解決しなきゃいけないんだっていう思いがやっぱり一番強かったのが製造業だったなと思っていて、
もちろん大企業から中小企業までその広い業界ですけど、今このうちの工場のこの工場の技術をこの熟練工が70代の方が引退する前に引き続かなきゃいけないんだとか、
昨今のこういった経済状況を踏まえて価格転換しなきゃいけないんだっていう、そういったやっぱりペインが一番強くて、
初期ですね、それ解決できるようになったらいくらでも協力するから一緒に作るよっていうふうにおっしゃっていただいた、
初期のユーザーさんにもすごい恵まれたなというところがあってですね、今のこの製造業に至ったというところで、
ある意味偶然のそういったご縁だったりとかが一番後押ししてくれてるなというところは感じています。