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皆さん、おはようございます。野菜が繋ぐ人と人、ハーティッチファーム代表 もとです。
本日も、農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川基組が、
40歳を機に脱裸収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話すチャンネルです。
はい、皆さん、おはようございます。毎月第1、第3月曜日は、私の周りで農業や農業関連で活躍されている方々にインタビューをする
キラノンさんいらっしゃいのコーナーでございますが、
10月第1週目の月曜日にお送りするのは、今回ね、本当に楽しい話が聞けました。
もうね、ずっとね、お話聞きたかった人に聞けたんですよ、これが。
あの私、いくつか配信でお話しておりますが、地元で地域を活性化するコミュニティを作って、
マルシェとかそういう楽しいことやれないか、みたいな、そういうことを考えておるんですけれども、
本当に地でそれを行っている組織が、栃井県神馬市。
私の住んでいるところ、猛火市なんですが、そこから車で40分ぐらいのところで行われていて、
今日はそのマルシェを行っている、もう責任者ですね。
もう先陣切ってそれを動かしている方にインタビューを聞いております。
本当にね、本当に楽しかった。
ということで、次のチャプターからそのインタビューをお聞きいただければと思いますので、お楽しみに聞いてください。
それではどうぞ。
はい、皆さんこんにちは。
今日はですね、私がとてもとても話を聞きたかったお方にインタビューに来ております。
神馬の方まで来てるんですが、
今日ね、ちょっとお話を伺うのは、柳島ゆりさんという地元のコミュニティづくりとかね、
そういうところで活躍されている方にインタビューしたいと思います。
柳島さん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いいですね、なんかすごくおしとやかな感じでしゃべり始めた。
おしとやかじゃなかったみたいじゃないですか。
そんなことはございません。
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よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、私もね、以前Zoomで柳島さんとお話ししたことはあるんですが、対面で話すのは今日初めてでございまして、お初にお目にかかります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ柳島さんちょっと簡単に自己紹介をお願いできればと思いますので、よろしくお願いします。
鹿沼市磯町で町おこしをしています、いそごう未来の会副会長の柳島です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今ね、ちょっと名前が出ましたが、いそごう未来の会という、これは何て言ったら、地元のどういう
ボランティアで有志で集まっている団体というかチームというか。
別にひげ入り団体とかで組んでるわけじゃなくて、ただ地元の有志で集まっている組織ということですね。
そこで副会長をされている柳島さんでございますが、この柳島さんと私が出会うきっかけは、実はですね、
今私のご褒美なすでパンフレットとかあるいはホームページで写真を使っているんですが、そのモデルさんで、モデルさんでいらっしゃいます。
うちのご褒美なすの箱を開けている手元とか、なんていうのかな、おしとやかな主婦の方のようなイメージで写っていらっしゃるのが柳島さんでございますので。
まだその時は香川さんとお会いしていないんですけど。
今でもたくさん使わせていただいておりますので。
柳島さんのこの開催されている、いそごう未来の会の方で開催しているマルシェ、そこで私のホームページだったりとか商品の写真を撮ってくれている中原井ももかさん。
ももちゃんがやはりそのマルシェの方に絡んでいるんですが、そのももちゃんが柳島さんにモデルを依頼してくれて、それで撮ってくれたっていう、そんな出会いの経緯もありまして。
そうですね。ももちゃんも最初からいたわけではなく、私の家で後々お話ししますけれども、個人的にやっているフェスにももちゃんが来てくれて、一つ手に。
その時にちょうどマルシェが始まる時で、チラシをどうするのかっていう話があって、私が頼まれそうだったんですよね、チラシ担当。
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とても苦手分野で、そしたらそこにひょっと現れたフォトグラファーでデザインの方が中原さんで、やってくれないって初対面でお願いしたらやりますって二つ返事でやってくれて、その一回目からずっとお世話になっているももちゃんでございます。
ももちゃんもカヌーマに住んでいるももちゃんの地元でもあるんで、そういう関係で中原さんとももちゃんと柳島さんもつながっているというところで、そこに私もつながらせていただいたという形で今日に至っておりますが、
今日は何を聞きたいかというと、本当に急ごう未来の会の活動というか、それも含めまして、要は昨日の配信、昨日の配信じゃない、先週の配信でも言ってたんですが、私も地元でコミュニティを立ち上げてマルシェなんかをやりながら地元を盛り上げたいなっていう思いが個人的にはあるんですが、
それの本当に先を行っているというか、先駆者としてそれを体現されているこの急ごう未来の会、そこの副会長柳島さんにそのコツというか、立ち上げ時の経緯だったりとか大変な思いもいろいろされたと思っているんですけど、そういうのも含めて本当に今日私は楽しみに来ましたので、
いろいろ明るい部分も闇の部分もいろいろ聞かせていただければと思いますので、
そうですね、いろいろ話せることを話したいと思っています。
大丈夫です。話せないことは有料放送に回しますので。
皆さんよろしくお願いします。
皆さん有料放送もお気にしてください。そういうところが出てくるかもしれませんから。
そうですね。
ちょっとその辺も含めて聞いていきたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
それでは最初に簡単に柳島さんが所属されている急ごう未来の会の活動とかその辺を具体的に紹介していただければなと思うんですが、
急ごう未来の会ってこれ面白いですよね。
急っていうのは漢字に海の急に急町。これが町の名前なんですね。
急町という名前だと。
そこの急ごうというのはGoはLet's goのGoですけど、急ごうびっくりマーク。
そして未来の会っていうそういう会名前で立ち上げていらっしゃいますが、この活動方法。
まず名前これどこの段階で誰がどう決めた。この立ち上げの時のね。聞いてくれないかもしれないけど。
そうですね。これは最初は町づくり会議みたいな感じで、この急町の未来を心配している不安がある自治会長が人を集めて急町の未来を考えていこうの会みたいな感じで何回か会議がある中で、急町はイチゴの農家さんがたくさんいらっしゃるので。
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イチゴの農家さんが多いんですね。
なのでこのイチゴをゆくゆくブランド化したいねとか、そのイチゴを売る場所を作ったらどうだろうかとかっていう、そういうちょっと軽めの話から始まって。
その前にですね。前後しちゃうんですけど。私がコロナ禍の時に自宅でフェスっていうか、皆さんヤナフェスって呼んでるんですけど。
ヤナフェスを開催してたんですか?
ヤナフェスを開催してたんですよ。家で。
それは個人的に?
個人的な趣味です。
面白いと言われた。
もう個人的に急町未来の会が云々関係なく。
全然できてない時。まだその集まりが、その未来の会じゃなく急町をどうしようか考えていこうよ、ちょっと集まれないですかぐらいの段階の時にはもうヤナフェスは始まって。
始まってた。それは個人的に趣味で始めたフェス。
コロナ禍きっかけに人と接する機会がなくなっちゃったら寂しいなぁ。じゃあちょっと個人的にもっと集まる機会を作ろうって言って始めたってことですか?
それはきっかけはコロナ禍で学校が休校した時に地元にすぐ隣町に学校給食パンがありまして、学校がお休みになっちゃって毎日生産が止まるっていうので。
みなさんすごく人気のある学校給食パンで普通にイオンですとか町の駅的なところでも買えたりするので、それを受注販売とかしてちょっと手助けできないかなっていうようなことを思いついてですね。
で、募ったら結構買いたい人がたくさんいるってなって。私自動車屋にとっついて自営業なんですけれども。
お家は自動車屋さんなんですね。
そうなんですよ。
ちょっと先ほど電話で旦那さんと話してその内容から自動車の修理やられるのかなと思いましたが。
自動車屋にとっついてきたものなんですけれども。
事務所にいるのでそこでパンを受注販売するのをきっかけに、受注じゃなくても普通に何個か発注して外で勝手に買いに来るっていうシステムをやりたいなと思った。
事務所の外に?
事務所の外にタープ立てて。
勝手にそこで買ってってくれと。
どうですかっていうので。
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ちょっとSNSとかLINEとかで呼んで人でパンを買いに来てもらうっていうのをちょっとコロナ禍の時に始めてる時にもうこの磯町どうしようかの会がだんだん進んできていて。
並行してね。
並行して進んでて磯町には磯山神社っていう紫陽花祭が有名な神社がありまして。
そこの時にテレビでも取り上げられたりするんで県外からも市外からもたくさん人がいらっしゃるんですけれども商業施設がないとかお店ないですかとかかなり聞かれるんですけども。
紫陽花祭は素晴らしいんですけどもそういうものがなくて。
周りに。
何もないんですよ磯町。
お土産屋さんとかも。
何もない。
自動販売機もないんですよ。
今時自動販売機が。
自動販売機もないんですよ。
コミュニティセンターに来ればあるんですけど神社にはなくてわざわざバスとかも来るぐらい人がたくさん来るんですけど。
たぶん近くでイチゴ狩りをして磯山神社寄って紫陽花祭見て日光へ行くみたいなバスツアーのコースもたぶん間に入ってたりするんでしょうけど。
とにかく商業施設がない。
何かないですかとかご飯屋さんないですかとか聞かれても何もなくて。
それもちょっと問題視している部分があったんです。
集まりの中で。
磯町を考える会話ね。
やっぱりそんだけ人が来てくれるからその時に何か売ったりとかしたらいいんじゃないかっていう話をしているのが並行して進んでたので。
その会議の合間にもちょっと自分でいろんなキッチンカーにオファーをかけてたんですよ。
個人的に。
勝手にね。
それはまだその時には磯町の未来を考える会には柳島さんもその会員として入ってたというか。
入ってたんです。たくさんいたんですその時は地元の方がいっぱい集まってくれて。
そういうことですか。考える会として理事会長がちょっと考えようって言って声をかけた有志が参加したい人が集まるみたいなそういう会議だったんですか。
最初は来てよって言って来てくれてる人から同じ思いで集まって。みんな何なのこの会っていう感じでほとんどの人が。
何話すのみたいな感じで最初に来るけどね。
私も何か呼ばれたから行ったくらい感じで。
最初はそんなきっかけだね。
最初はもうそんな感じで行ってたんですけど何やら何かを始めるらしいってなって。
会を増すごとにやっぱり長を決めたりとか、服を決めたりとか。本当に何かをやるんだったら市の広報館馬っていう広報誌があるんですけど。
そういうので宣伝してもらったりした方が人が来るんじゃないかとかっていう考えがあって。
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集めようと思ったってね。
それを申請するときに会の名前が必要だってなったんですよ。
それでその会の中でいろいろ募ったんですけど。
もう一人の副会長の鈴木幸祥さんの鈴木さんっていう方の奥様が。
いそごう未来の会っていう名前を考えてきてくれて。
ポケモンGOみたいな。
ポケゴー的な感じのノリで私もいいじゃんって思って。
いそごうっていうのはちょっと駆け足でいろいろやっていくよっていう。
そういう意味も含めて。
あるんじゃないみたいな感じで。
いそはいそにして。
未来はひらがながいいんじゃないなんて話しながらその会の名前が決まったと同時に。
じゃあやっぱり役職を決めないとってなって。
ツイッチ会長が会長さんで私と鈴木さんが副会長で会計さんがいて。
JA担当者がいたり社協の関係者がいたり駐車場の係りがいたりとかってみんな係りを決めて。
ギュッとなった人数でリスタートっていうか本当に始まったのが大体それは1,2,3,4,5,6,7,8,9,10人いないぐらいのメンバーがギュッと固まって。
その話し合いには結構他の方もいたけどとりあえず役員決めて本当の中心メンバー10人ぐらいでもう一回本当に何やるか話そうと開始しようと。
なので常に5人から5,6人ですかね本当に会議に来て主要のメンバーとして今いるのは5,6人でいつもこう話し合ったことを卸して。
当日その今までいたメンバーも当日手伝ってくれたっていう感じ。
元々は本当に自治会長さんが中心にちょっとこの街をどうにかしようって言って集まった中からじゃあ本当に何かやろうって言って立ち上げた。
なんでそこで副会長というか柳島さんがそれに立候補したのか推薦されたのかわかんないけど結構立ち上げようとしているメンバーの会議って言ったら街全体制法じゃないけど大変じゃないですか。
なかなかそういうところの住職というか役職決めるのって誰がやるんだとかしてこんなになっちゃう。
結構なすり合いみたいになるじゃないですか。
それがですね。私先ほども言いましたけど自営にとついてですね。
自営にね。
同居もしてるんですよ。
そのお父さんお母さんを含めて。
もう先代はなくなっちゃってるんですけど自営の同居をしていて事務所で働いていてですね。
結構小さい会社の小さい事務所でずっと1日中デスクワークとかしてるのは多分向いてないんですけど。
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何だってだって。
ヤナフェスやっちゃうぐらいですね。
ヤナフェスやっちゃうぐらいですから。
そういう。
うずうずしちゃってるんですけど。
うずうずしちゃってたんですね。
だけど大人しくしてたわけですよ。
結婚して以来。
10年以上。
10年ぐらいは。
10年以上。
大人しくしていたんですけど。
ちょっと集められた時にコロナ禍になって。
あれよあれよとパン売っちゃうとか。
自分でオファーかけたコーヒー屋さんがちょっとヤナフェスに行くよなんて言って。
コーヒーとパンが揃っちゃったりなんかして。
やり始まったらそのうずうずがですね。
もうちょっとこれはやりたい。
これはもうちょっとやりたいってなっちゃったんですよね。
ヤナフェスで味しめちゃったっていうか。
ヤナフェスなんかちょっと面白くなってて。
面白くなっちゃって。
来客数が増えてきたっていうか。
日に日に買いに来てくれる人が増えて。
住まちの方ですけどね。
南押し原地区の方なんですけど。
知り合いにしか連絡してないので。
最初はね。
知らない人は来ないんですけど。
それをやっているのを自治会長が見て。
それを自治会長が聞きつけてというかね。
来てくれて。
いつも来てくれて。
お客さんだったんですね。
そうなんです。
応援して来てくれてるんですよ。
よくやってくれてるねって感じで来てくれて。
それをこの会議の時に思い出して。
あれをあのまま。
柳島さんがやってるあれを。
いっそうまちのイベントとして持ってきて。
なるほどなるほど。
そういうことなんですね。
もうあのままこっちでやったらって。
言われたりしていて。
柳島フェスあるんだから。
柳島フェスあるんだから。
それをもうちょっと希望を大きくして。
同じことこっちでやればいいんじゃないの。
この会議の下でっていうようなイメージだった。
なんかやりたいでしょっていう感じ。
もうなんかやりたそうな顔が。
顔が出てたんだよね。
それでもうなんかさっと副会長になった。
っていう感じ。
もう別にやりますって言ったわけじゃないけど。
もう会長さんもそういうの知ってたし。
いいですよってことで私もやります。
柳島さんちょっとその方向で。
わかりましたみたいな。
そうですね。
まあそんな流れで。
そうですか。
でなんかその外。
私もともとイベントに行くのも好きで。
そういう外の管轄。
外部とのやりとりをずっとやりたいと思って。
人と関わりたいって思って。
我慢して生きてきたので。
柳島ちゃんね。
そっちにこもってたから。
そうなんです。
それがもう弾けちゃったりする。
そうなんです。
だからそっちは私が責任を持って管轄としてやります。
っていう感じで。
なるほどなるほど。
もうなんかちょっとこういろんな楽しい想像が。
いいです。
なっちゃって。
でなんかもう一人の副会長さんは大工さんなので。
やっぱりこう空き家が多いんですよね。
21:00
磯町って。
どこもね社会的に人口減少。
少子高齢化。
空き家の増加とか社会全体がそうであるように。
磯町もやっぱりこのままではね。
どうなのかっていうことで。
大工さんがそちらの管轄を担ってくれている。
なるほど。
なんとなくそうか。
この磯町としてちょっとこう問題がありそうな。
その空き家関係はもう一人の会長さん。
はいそうです。
売り場というか商店街とか何もないっていうのは柳島さん。
みたいなそんな。
そう。
そんな感じで。
そうですね。
管轄として。
自分の責任の部署。
同じことを会長の指示でやってるっていうよりは。
会長は行政とか市とかのパイプ役。
私たちの知らない仕事をやってくれていて。
空き家の方とか。
私もそれこそ私も分からないですけど。
そっちも分かんないけど。
の方は鈴木さんがやってくれていて。
なるほど。
一見華やかに見えるこの外部の。
外部のマルシェですとか。
なるほど。
そういう細かい打ち合わせですとかは全て私がやります。
なるほど。
ということで一応その3人が集団で動いてるっていう感じ。
行政との接点とか障害関係は全部柳島さんがやってるんですか。
会としての接点は。
そうですね。
そうなんだ。
じゃあそこの外省関係ほとんど。
他との接点は全部担当されてるってことですね。
そうですね。
それはそれでなかなか大変ですが。
なるほどね。
でもそうすると今このいそごう未来の会として。
マルシェとかちょっと他にいろいろ活動もやってるのかもしれないですけど。
メイン活動の一つのマルシェは完全に柳島さんが責任者というか。
そのマルシェとしての動かす運営の一番動いてらっしゃる方という感じで。
運営として。
運営としては。
そうですよね。
なるほどね。
活動の内容としてはざっくりマルシェとしては。
その話し合いが立ち上がろうよって言ってたのは一昨年。
去年の1月から本当は6月のアジサイ祭りにやろうよって言ってたんですけど。
ヤナフェスがそのままできるんじゃ1月からいけるんじゃない?
いちご売れるんじゃない?1月だからっていうようなことで。
結局1月にスタートをしようっていうことになって。
コーヒ屋さんですとか地元のパン屋さんですとか本当に何店舗しかないようなのといちごを売るっていうようなのをジェンジャーでやってみようと。
そういうから始まったんですね。
そうです。
でも絵とかしかないチラシをももちゃんに作ってもらってもう手探りでこれでいいんじゃないっていう感じで作って。
1月から去年は8回。
2023年の間は1月から8回。
8回もやるマルシェってないじゃないですか。
ない。
大体ね。
年に1回とか。
街としてのマルシェをね。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
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1月に3といちごのシーズンぶっとしでやろうってなって。
でそのまま6月ドカンって紫陽花祭りをやって。
でもうその紫陽花祭りっていうだけで1000人ぐらい来場者が来たんですね。
そこで。
これ何日か1日だけですか。
1日です。
マルシェ1日だけで。
マルシェ1日で1000人ぐらいお越しいただいて。
でその前後もちろん6月中はすごい人数来てるんですよ。
渋滞するほどに。
紫陽花祭りを見に。
でやっぱり有吉の番組で取り上げられたりだとか結構してるのでお客さんはいらっしゃるんですけど。
6月の来場者で多分このマルシェが少しこう。
認知が上がったじゃん。
認知が上がって。
ただその時全然インスタですとか絶対立ち上げて開設してなくて。
まだその頃は。
そうなんですよ。
でなんとなくねそんなそんな風にこんなに早くこんなに人が来るイベントになるとは自分たちが一番びっくりする感じで。
すごい。
思ってなかったので。
もうその6月のオファーかけるにも。
その1月からそうですけど1,2,3,6って。
ずっとその自分の足でイベントに行って。
私こういうものですって言って。
6月にイベントをやるんですけど出ていただけないですかってことで。
そのキッチンカーを回って。
あなた誰ですかって顔されながらまだ名刺もなくて。
なんていうんですか趣旨を待ち起こしで分かってくれる方とえーっていう方もいるのでその心よく快楽してくれる方がとつながって。
6月までに何店舗かバーッと揃えなきゃっていうことで。
そうですよね。
それは全部急にDMしたりとか足運んだりとかして集めたのが最初の6月なんですよ。
それは本当に足運んだと思います。
すごい。
かなりいったと思います。
1月に開始してその6月のアジサイ祭りへのマルシェルのために。
4月頃までには。
めっちゃ準備したんですね。
めっちゃ準備して。
結局その6月の最初のアジサイ祭りのマルシェルの時に何店舗ぐらい出てたんですか。
最初はですね結局いっぱい出たんですよ。
ざっくりでもいいですね。
でもキッチンかその時も何台かバーッと読んで。
そうですそうです。
店売る人たちも何人か集めてという感じで。
14店舗です。
14店舗全部で。
はい。
14店舗読んでその前までは本当に4店舗とか。
そのぐらいだったのを6月には14店舗まで。
そうですそうです。
余分店を増やして。
そうなのでオファーをかけるのは結構頑張ったかなっていう。
いやーすごい。
最初の立ち上げっぷりすごいですね。
そうですね。
勢いがあったし誰もやってくれないこと。
自分で責任持ってやろうっていうのに突っ走ってた感じなので。
27:03
すごい。
誰にも頼めないし。
いそごう未来の会会長さんいて副会長お二人で。
マルシェ担当っていう感じでは。
柳島さんがいろいろと指示出しというか計画からやって。
そこには何人かぶら下がっているんですか。
はい。もちろんです。
私がマルシェの会議で皆さんにこう言ってるというよりは。
その5人とか6人いつもの種のメンバーが会議をするんですけど。
マルシェに向けてその前になると。
すごい会議なんですよね。
その未来の会のメインの5、6人が。
メインの5、6人がまず会議をして。
その時すごい意見が飛び交うんですよ。
全然静かな会議じゃなくて。
すごいんですよ。
生き生きとした会議で。
すごい意見が飛び交って。
じゃあじゃないか。こうしようってなったものを。
当日分かるようにしておいて。
当日来てくれる。
今まで1回目とかに来てくれてた。
その奥様方とか。
家族の人たちとかが手伝いに来てくれるので。
その方たちから枝分かれした。
またその知り合いの方たちが20人とか来てくれるの。
当日は。
そういうボランティアの感じでみんな手伝ってくれてるのね。
そう。
が磯町のテントで物産したっていうのは。
なるほど。
なのでそこまでの企画と運営と指示とかはネットで言って。
当日ここでこうですね。
なるほど。
今や皆さんね。売り手ももう。
もうだいたい分かってるから。
自動的に動いちゃうみたいな。
素晴らしいです。
もうみんな何も言わなくても分かってるっていう感じで。
その運営と磯のことだけ相変わらず決めてますけど。
手伝いに来てくる方は慣れてるっていう感じ。
なるほど。
じゃあそっか。
運営のほんと磯でやってるのは5、6人が計画練って。
そこにもちろん柳島さんも入ってて。
はい。
当日はもう何人かボランティア集めて。
そうですそうです。
そこでやってもらうというか。
はい。
でもそのキッチンカーの声掛けとかは完全にもう自発的というか。
はい。
もう柳島さんが一人で全部声回る。
そうですそうです。
駆け回ってたって。
駆け回ってて。
そう。
それはなんか全部一人で最初の頃はほんとにずっとオファーしてやってたんですけど。
だんだん回数が増えてくれば増えてくるほど
それを聞きつけたのかな。
マルシェを知ったキッチンカーとか出展者の方がDMをくれるようになって。
逆に向こうから。
アジサマチマルシェに出たいですということで。
もう超感激ですよね。
今までは自分から声かけてもらってたのに。
そうなんですよ。
それで出たいっていう声を一件ではなく。
30:01
ポコポコポコ。
はいはい。
それはそのアジサイ祭りの後ぐらいからですか。
そうですそうですそうです。
やっぱすごいですね。
そう。
一回そういう。
そのアジサイ祭り。
それごろっと変わるきっかけはもちろん店舗が多く出てっていうのはあるんですけど。
それがやっぱりメディアで取り上げられたみたいな。
そういうのが大きいんですか。
そうですね。
メディアで取り上げられるのはアジサイ祭りの方で。
マルシェはケーブルテレビと地元の広報ですとか新聞と。
そういうのでやっぱり見てる人は見てたり。
あとはそのキッチンカー界隈でかなりこう。
あれいいよみたいなそういう話が。
そうそうそう。
噂というかこのマルシェ出たよっていう話が広まるのか。
なるほど。
そういうね。
そっちのコミュニティがあるんですね。
そっちのコミュニティがあるんですって。
で、雰囲気が良かったよっていうことで聞いてるとか。
いいですね。
そう。
で、出てみたいっていうのがダイレクトに来たり。
もう今は昔本当に一人でやってたのにキッチンカーで仲良くなった皆さんがキッチンカーがキッチンカーを呼んでくれてですね。
すごいですね。
それすごい。
そうなんですよ。
それで私のところにその情報を送ってくださって。
こういう方が出たいって言ってるんですけどどうですかっていう感じで。
もうなんかいろいろと。
もう昔はね。
そうなんです。
探し回ってくれてもらったのに。
今や勝手に情報が来て。
待ってもらってるようになって。
取捨選択できるような立場になった。
すごい。
ありがたい。
本当に皆さんのおかげでここまで来たなっていう感じはあります。
本当にキッチンカーに関してはもう全然一人の力でここまで来てないです。
最初は駆け回ったのが一人のあれですからね。
そうですね。
いやすごいな。
怪しかったと思いますよ。
最初はね。
DMとかして。
いきなりDMとかね。
そうですね。
いいですね。
ちょっと今日はここまでマルシェの最初の立ち上げの頃のきっかけとか聞きましたが。
明日、次回はちょっとその辺の立ち上げの時の。
今ちょっと一部苦労話、大変だったような話もありますが。
その辺の立ち上げの時の苦労話だったりとか。
実際にこのマルシェを開催してて本当に嬉しいことがね。
その辺のマルシェの運営のところを聞いていきたいと思いますので。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。