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みなさんこんばんは、REDです。 今回第3回目ですけれども、ゲストの方にお越しいただいています。
ゲストの方、自己紹介をお願いします。
こんばんは、魂の道カフェの店長をやってます、ヤックンです。 よろしくお願いいたします。
ヤックン、第1回に引き続きということで、前回は思いっきり僕の名前を暴露するという。
そうですね。REDさんのことを、いつも当然名前で言うんですけど、飲み会の席だしちゃうので、ここをやっぱ散らかしちゃったなと。
踏まえながら今日は話をしたいなと。
なんか、わちゃわちゃした感じはすごく良かったんで、聞いてて。 めっちゃ楽しかった。
完全にただの宅飲みでしたからね、あれ。
いや、そうそうそう。出だしからあれでいいのかっていうのもあるんですけれども。
結果は終わってみて、一升瓶が1本転がってるのを見ると、わずか2時間だか3時間とかの間でとんでもない状態だったなっていうのが、反省点なのかね。
反省点なのか。それいつもの日常でしょ、本当に。
そう言ってしまうと、少し足りなかったかなと。
そうだね。1本で足りないっていうのが僕らの飲み方なんですけれども。
なので今日は、素晴らしい若者会議の活動の拠点であるミチカフェ。
前回もちょっと話出てきましたけれども、ミチカフェについて略に話を聞いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
まず、ミチカフェってなんでできたみたいに、その辺りの経緯、できた経緯とか教えてもらえると助かります。
経緯ですね。
そうですね。そもそもこのミチカフェ自体が、たまし若者会議の企画の一つでした。
そこは企画をして、実践まで移すっていうのが当然目的の場所ではあるんですけど、
その中で大学生から、こういう若者の交流するための場所が欲しい話があって、
それを形にするために、いろいろ活動した結果が、ミチカフェっていうものになっていったという。
そんなのがまず最初のコンセプトでしたね。
ありがとうございます。
ちょっと補足をすると、たまし若者会議っていうのは、たまし役所、市の事業として、
若者の住みたい町を作るということで、3年間の期間限定で動いてたものです。
あれは1年目で出たんでしたっけ?
そうですね。1年目が2017年で出て、そこで企画が出たと。
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2年目に実行に移す。そして3年目に起動に乗らせるっていうのが、
この若者会議の3カ年授業の大きな流れではないかなというふうに思ってますね。
はい。ありがとうございます。
実際に2年目から実行のフェーズということで、
若君は2年目からいたっていうことでしたっけ?
そうですね。僕も2年目から、なんかおもろそうだなみたいなところで入ってたんですけど、
入るとですね、当時めちゃくちゃわちゃわちゃしてたんですね。本当に。
いい意味でいろんな大学生がいて、ちょっと大人もいてみたいなぐらいで、すごいバランスがいいなと思った。
あと、ここにはいないんですけど、恩師が1人そこにおりましてですね。
その人がやっぱりパワーがすごい人だなというのを思いながら、実際に実行してたっていうのが2年目の活動かなというところですね。
なんか例の越智将がまた出てきましたけど。
あ、そうですね。越智将ね。
なかなか。なんかこの番組視聴してくれてるみたいなんで、どっかで。
突然ハードル上がったなと思い。
聞いてるらしいっす。だからヤック君の回も、この回もちょっと聞いて感想をもらいたいなと思って。
いやー、ちょっとあの、だったらもっと真面目に撮っとけばよかったな。
いやいやいや。それはそれでいいんすよ。
だからその実際の実行フェーズっていうのは、具体的に僕はその時はワークショップには参加してたんですけど、
実際に中にいなかったんですけども、中にいるコアメンバーっていう実行部隊の人たちってどんな動きをしてたんですかね。
そうですね。やっぱりお店作るっていう話になるんで、一番ポイントだったのは金どうするっていう話でしたよね。
金どうする。で、金があって、その後どんな店にするとか。
そういったところっていうのは、より具体的な話を考えなきゃいけないとか、実際にどうやって動くとか、そこら辺がすごい2年目の中では話題になったというふうに覚えてます。
じゃあ結構コンセプトの話もしてたんですね。
そうですね。ざっくりこんな感じっていうのは出来上がってたんですけど、実際にそこで何するかとか、具体案っていうのは当然狙われてたわけじゃないんで。
やっぱりいろんな人がいろんなことを思って、アイディアはいっぱいあるんですけど、何で風呂敷に畳もうかっていうのは、いろいろ議論されてたなって覚えがありますね。
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ありがとうございます。で、実際にさっきお金っていう話がありましたけども、どうやって調達したんですか?
基本的には小川さん…
いいっすよ。もういいよ。カットしないからいいよ。
これまたやっちゃいましたけど、
鶴野さんみたいに大人がいっぱいいるってわけではなくて、基本大学生が多かったっていうところがあって、そこからね当然お金取るっていうのは現実的じゃないよねと、こういうところがあって。
じゃあ大人に負担させるかとか、例えば市役所に出してもらうかとか、いろいろあった中で、落ち着きどころは流行りのクラファンですね。
クラファンディング。
そうですね。そこに落ち着いて、クラファンをやるためのチーム編成みたいなのもあって、そこが具体的に、実際に僕らレディフォー使ったんですけど、レディフォーの方に来てもらって、実際にどんな具合なのかとか調査をして、その上で実行に移っていったっていうもんですね。
はい、ありがとうございます。実際、ギリギリまであれですけど、最終的には200万目標?
目標は確か150だったかな?だったと思うんですよね。で、終わってみると215万6千円ということで変更、ありがたい結果にはなったっていうところですね。それを元手にということで、お店の回収をしていくというようなところがありました。
はい。で、ちょっと補足すると、今ミッチカフェって賃貸物件なんで、持ってるわけじゃないんですよね。
そうですね。
はい。で、それを内装、特に水回りとかですかね、お金かかるんですかね。
これはね、結構当時見た人がいれば共感してもらえるんですけど、本当にひどい物件だったんですよ。
いや、そうですよ。僕初日いましたもん。
あ、いました?
いましたよ。僕初日に市役所の方に呼ばれて、行ったんですよ。片付けすると。
レッドさん覚えあると思うんですけど、正直お化け屋敷みたいな感じだったね。
だから出だしの仕事は蜘蛛のさらうことだったんですよ。
そうですよね。コックポップは張ってるわ。なんか天井からわけのわかんないケーブルがいっぱい起こってて、何のケーブルだろうみたいな。
本当に大丈夫かと思って、あの店。
そうですね。そんなような中だったんですけど、いろいろ自分たちで掃除したりだなんたりしてたんですけど、
これで終わりじゃなくて、だんだんいろんな問題がまた新たに見えてきたりして。
例えば、そもそも書面の自動ドアが開かないぞみたいな。
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マジで?
自動ドアのはずなのに、自動ドアが動かない。
テンサーが壊れてたのかな、確か。
人が近づくとですね、開こうとしたり、突然閉じたりするんですけど、出るときが嫌に勢いが良くて。
さっきお化け屋敷みたいだったけど、出ようとするとカシャンって挟まれるみたいな。
本当にね、ちょっと呪われてるのかなみたいな。
ちょっと呪われてそうな場所にもありますね。
上がね、ちょっと嬉しいことにね、スピリチュアルなお店がある。
スピリチュアルなお店でしたからね、最近変わりましたけど。
でもあれはあれで目印としてすごくいいなと思ってるんですよ、個人的には。
そんなのもありつつ、雨漏りもあったりだとか、さっきレッドさんが言った水回りがあったりとか。
地下が、地下にあるんですけど、その地下のさらに下があって、そこに油とかを溜めとく層があるんですけど。
そこに水が入り込んじゃってたりとか、すごいことになってて。
そもそもなんでそんなことになってんだろうっていう話を調べてみたら、前のお店がバーみたいな感じだったんですね。
で、バーっていうのも危ない雰囲気を醸し出すバーだったじゃないですか。
ゼゲーバーって聞いたけど。
当時、魂の中ではそこそこ有名だったみたいなんですね、悪い奴が集まる場所。
そんな場所だったらしいんですけど、そのせいかな、いろんな残地物もあったりして、苦労したなっていうのが覚えてありますね。
最初は本当どうなることやらと思ったんですけど、でもなんだかんだで、自分たちでちょっとDIYとかもしながら。
ただ、そんな状況だったんで、僕らも200万あればそこそこいいお店作りできるんじゃないかって、結構淡く期待したんですけど。
状況が状況だったんで、当然それじゃ全然足りずにみたいな。
某エッジお師匠様にポケットから投資をしていただきまして、それにプラスアルファできるだけコストを避けるためにDIYをやって、それでやっとここ、お店としての形を作ったというような感じだね。
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いいよね、本当に。いろいろ実際の仕事に僕は携わっているんですけども、なかなかワークショップとかやっても、それを実現させるってなかなかないじゃないですか。
たぶん一般的な考え方だったら、市からお金をもらってそれでやるみたいな。そういうのってよくある話なんですけれども、事業をやるのにお金ってすごい大事なので、そこをもう自分たちでやろうっていうふうに踏み切ったのがすごいなと。
全国的にいろんな他者団体とかと話することが多いんですけど、やっぱりそこすごく言われますね。過去の失敗だみたいな話でテーマに上がると、やっぱり継続できなくて一番の理由ってお金なんですよね。
だから、そういう中では会社にしとけばよかったみたいな話って結構聞いてて、だけど当時そこまでやる必要があるのかとか、いろいろ揉めた結果やらなかったので後悔していますみたいな。どこ行ってもそういう話聞きますね。
ありがとうございます。オープンが2019年?
2019年だったかな? 3年目に入るちょっと前だったかな?3年目の最後だったっけ?
事業自体が2017年に始まってるから、僕ね2018年だったかなってちょっと思ったんですけどね。
なんかね、ウェルカムパーティーを冬にやってた気がするんですよね。
あー確かに、そうですね。
2019年の春オープンみたいな、そんな感じで。でも本当に3年間の授業で。
そうですね。年度としては2018年度なんですよ。
2019年の2月とか3月とかそのくらいだったかな?に一応仮オープンみたいな感じで一旦やったんですね、あれ。
懐かしいですね、オープニングパーティー。市長とかも確か来てくれたら覚えられない。
僕行けなかったんですよね。
あ、あん時レッドさんいなかった?
あ、そうそう。いやあのね、どっか出かけた。その時は。
どっか出かけてた?
テニスしてるから?
旅してました。
旅してました?
旅してました。九州にいた気がします。
なるほど。まさかH賞のおじさん元の方に。
いや、その日はH賞はそのウェルカムパーティーにいたはずなんで、別の福岡かどっかにいた。福岡か大分かどっかにいたはず。
なるほど。
そうなんですよ。だから一応僕もだからクラウドファンディングはしていたので、お金は出してたので、紹介は来てたんですけど。
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レッドさんのいいところってそれぐらいしかないですかね?
いやいやいやいや、もうちょっと探してくださいよ。もっといいとこあるんじゃないですか?ないですか?
いや、どうでしょうね。若いわけでもないですしね。
まあまあ。これも補足になるんですけど、たまちの若者会議の授業が年齢制限があって、その当時40歳以下っていう制限があったんですよね。
で、私その若者会議始まった時点で40を超えてたので入れなかったんですよ。
まあだから近くにはいたけどメンバーじゃないみたいで、そのコアメンバーがどんな話をしてるかっていうのは分からなかった。
ああ、そうなんですね。
そうですよ。
あれ、そもそも年齢制限って、何度も出てきて申し訳ないんですけど、エディットの年齢なんですよね。
そうそう。で、僕はエディット長同級生だから足切りされる。
僕はたまちの授業で、子供を若者を総合支援条例とかやったんですけど、毎回そういうところに行くと若者の定義みたいなのが揉めるんですよ。
こうでもねえ、ああでもねえとか、いろんな議論が出るんですけど、うちそういう面ではいいですよね。俺よりとつき下みたいな。
理屈じゃない。
理屈じゃないと。俺よりとつき下が若者だみたいな。
でも、例えば若者っていうとやっぱり学生だったりとか、結構若者の街づくりやってるところって学生までっていうところも結構あるじゃないですか。
結構多いみたいですね。学生団体っていう捉え方するからそうなんでしょうけど。
でもね、実際地域出てみると、いつもどこが若者かっていうと全然よく分かんなくなるじゃないですか。
分かんない、分かんない。
50、60のおじさんでもね、70くらいの国かなって。
地域によっては60代若者っていうところもありましたね。
よくあれあれネタかもしれないですけど、そういうの見てると、どこが若者なんだろうっていうのはね、すごく難しいところでもあり、面白いところでもあるなっていう。
でもなんかエッシオの感覚ではあるんだけど、やっぱり魂の課題として、魂で育った人が子育て世代になっても帰ってこないっていうのがあるから、
そう考えると、やっぱり40で1000引くっていうのは一つ正しかったのかなっていうふうに思いますよね。
そうなんですよ。これちょっと余談なんですけど、さっきちょっと言った常例の検討みたいなやつやってるときもね、
いろいろあだこだ言って、結果論的には40以下を若者にしようってなったんですね。
そうなんだ。そこは常例と一致したんですね。
そう。これ別に僕の資産とかそういうのは全然入ってなくて、真面目に大学の先生だとか、いろんな企業で活躍されてる人とかが話して問で、
ああでもない、こうでもないやって、出来上がったのが39歳以下までにしようっていう話になったんですね。
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偶然一致したっていう話なんですけど。そこらへんが、やっぱり見えてて話してるのか。
当時僕らからすると、より多種したり一言で済まされてるっていう。
それも技術かもしんないですけどね。一応考えが合ってたけど、分かりやすいやん。
分かりやすくそうやって言ってくれてたのかなみたいなね。
ちょっとお天道様は遠いですね、さすがに。
さすがやなと思って。
ちょっと脱線しましたけど、2年目でもう器もできたと。道カフェもできたと。
3年目結構いろんな人が運営しながら回してますよね。僕も結構行けるときは行ったりしてたんですけど。
あの時は参加年事業の一番最終年ということで、僕はオープニングパーティーとか、実は店長をやってたりしてて。
あ、そうなんだ。やっぱりその時から。
そうなんですよ。初回一発目実は僕がやってたんですと。
その後も当番制みたいな形、日替わり店長制っていうのも。
ここでやりたいことがある人が手を挙げて、スケジュールを合わせてお店へ回していくっていうやり方を採用しました。
それも確かに2年目の最後のワークショップで一日店長っていうのがアイデアとして出た気がする。
そうですね。そういうのをやっていこうということになってたんで。
やっぱりいろんなことをやりたいと思ったし、みんな新しい感じで考えてたから。
やっぱり最初の一緒年度すごくいろいろ盛り上がって、いろんな人がイベントをやってくれてっていうような場所になりましたね。
だから結構いつも行っても知らない人でも飲みながら話せるみたいな。
僕はあんまり一人で飲み行ったりしないんですけど。
でも誰か知られるし、知らない人行ってもそこだったら話せるなみたいな感じで。
どちらかというとお客さんサイドで楽しんでた感じなんですけどね。
やっぱりこのコンセプトが交差点、街づくりの交差点っていうのがあったんで。
結果論ですけど、今も街づくりに関わる人とかそういったところの人は結構たくさん来てくれていて。
お互い知らないけど、この店に来ればその人たちと交流できるみたいな。
そういう相反効果っていうのを狙ってる場所っていうのがうちのコンセプトですよね。
だからうちらだけじゃなくて、中身もそういうふうにうまくできてたなというのが当時感じてました。
市の事業が3年間で終わったじゃないですか。
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だからその後どうするみたいな、やっぱりコアメンバーで議論してたんですか?
ちょっと結構生々しい話もありましたよ。
言える範囲でいいですか?
そもそも当時のファシリストのH市長は言うわけですよ。
お前らこの後どうすんねんみたいな。
なりますよね。
なんでそんな話するかっていうと、当然クラファまでやってお店作って、
そういう目的のもとで作ったお店だけど、
俺らはあくまでこの3カ年の事業の中でやってるっていうふうに明確に線引きしたんですよね。
僕らは結構後ろから棒でぶん殴られたみたいな感覚を持ってはいるんですけど、
そういうことなんだから、じゃああと次どうするかっていうのは自分たちで考えないといけないよっていう話を受けて、
さあどうするみたいな。そこから。
結果的にはまあまあというところでしたけど、
その話をする上で、お店の営業を続けていくため、あの場所を続けていくためには、
さっきも言ったけどお金の話も出てきますし、
あとその実際誰が回すんだみたいなことがあるし、
もうちょっと細かいとこ行くと、例えば食品の衛生管理どうするとか、
防災の話とか法的な部分とかもやらないといけないとか、
そういうところがね、ただいろいろ出てきて、
そういうのも含めてひっくるめて、本当にどうしようどうしようみたいなのが、
営業開始した3年目に突然突きつけられた僕は。
でもなんか本当だから、そうやってH賞が、
多分契約名義H賞の会社になってたと思うんですけど、
そういうのがあったからやれって言ったけど、
じゃあそれをなくすっていきなり言われたらどうすんねんって感じですよね。
そうですね。やっぱり出し方が上手いんですよね。
ちゃんと線引きしてくれるっていうところ。
で、あそこって、今僕線引きして冷てる人だなみたいな感じを受けるかもしれないんですけど、
思いとしては、ちゃんと地元の人にやってほしいっていうのがちゃんとあるんですよ。
そうですよね。
だから俺がこれ以上関わるのは筋違いだっていうことで、
地元の人が関わっていけるような場所にするために、
自分は手を引くっていうような、そういう考え方ですね。
だから方向としては、自分たちでまずは続けるっていう判断があって、
じゃあどうやって続けるのって言ったときにどういうふうにしたんですか?
今は続いてはいるからあるんですけど、
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結果的には続けていくためにいろんな選択肢があって、
例えば遮断法人に作るかとか、NPOにしましょうかとか、
それとも会社にしちゃいましょうかとか、
いろいろアイディアはあるよねって言ったんですけど、
今現状もご存知の方いると思うんですけど、
道ラボという会社を立ち上げて、
そこに営業権を移すために置いていくっていう判断を僕らはしたというところですね。
道ラボに関しては余談ですけど、
たまし若者会議を今後継続していくって言ったときに、
私の事業から離れた。
さっき言った力強い師匠さんもいないという中で、
自分たちでやるぞっていう意思表示をするために、
作った会社っていうふうな捉え方もできるかなというところですね。
道ラボ自体が、専業の人がいないというか、
みんな副業でやってる方で。
お金儲け、一応合同会社なんでね、
お金儲けしなきゃいけないんですけど、
残念ながら役員さんはね、
一銭足りても今のところ受け取ってるかなっていう。
まだ報酬ないの?
貴重な会社です。
分配ないんですか?
分配今のところないですね。
僕にとってはね、お金以上の価値を。
そうなんですけどね。
でも、そこで法人化までするっていうのはすごいですよね。
本当にそのメンバーが。
やっぱり、さっきもちょっと出てきましたけど、
存続する時に失敗したっていう時、
一番課題をクリアにするためのやり方が、
やっぱり会社にしちゃうっていうことだったのかな、
というのが僕らの決意でしたね。
それが2019年度が終わって、
2020年度になっていくと。
2020年度って言ったらあれですよね。
そうです。
コロナですよ。
そうなんです。
これは波乱万丈な面白くて、
意気揚々と、よし独立すると言って、
旗は挙げたはいいけど、
突然大雨が降る。