#18 プロジェクト・へイルメアリーから見る映画と小説、それぞれのよさ
2026-05-09 23:45

#18 プロジェクト・へイルメアリーから見る映画と小説、それぞれのよさ

小説が「原作」の作品はたくさんありますが、「原作」があって、映画というもう一つのジャンルの違う「作品」があるということはどういうことなんだろう? ということを、話題の作品「プロジェクト・へイルメアリー」から考えたという話です。まあ、なにはともあれやっぱりエンタメはサイコーですね。

<大体のチャプター>

今日の話/ 小説の「映画化」/ 大好きな作品「のぼうの城」の例/ 近年の「原作リスペクト」の流れ/ 小説と映画、それぞれのよさ/ 映画「プロジェクト・へイルメアリー」の感想/ 「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーとオードリー・ヘップバーン(村上春樹の訳者あとがきより)/ 「プロジェクト・へイルメアリー」は主要登場人物が少ない!/ 映画と小説を同じものとして考えない方が作品を楽しめる/ ジョン・レノンの名言で締め

感想

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サマリー

このエピソードでは、小説を原作とした映画化について、特に話題作「プロジェクト・ヘイルメアリー」を例に、小説と映画それぞれの良さや違いについて考察しています。映画化は原作から変更が加えられることが多く、それは監督が作品として伝えたいことを表現するためであり、小説と映画は別物として捉えることで、どちらもより楽しめるという結論に至ります。また、「ティファニーで朝食を」の例を挙げ、俳優のイメージが原作のキャラクターに与える影響についても触れています。最終的には、人生について考えている時ではなく、何かに夢中になっている時こそが人生なのだというジョン・レノンの言葉で締めくくられています。

はじめに:映画化について考えるきっかけ
どうもこんにちは、私スタマーの田中嘉人と申します。 スタマーというのは、喫音の人という意味です。
そんな喫音の人である私が、一人で喋っていくポッドキャストです。 今日の話はですね、よく小説とかを映画化するっていうことがあると思うんですけど、それについて
考えたことを話していきたいと思います。 きっかけは、今話題になっているプロジェクト・ヘイルメアリーという映画を見まして、原作も読んだので、
あ、映画化されるってこういうことなんだ、みたいなことを結構映画を見ながら考えたんですね。 それをちょっとアウトプットしておきたいなと思って
録音機というか、MTRを回しています。 なので今日は、本と映画、
あと映画化ってどういうことなのかなということについて、自分なりに考えたことを話していきたいと思います。 よろしくお願いします。
映画化における変更点とその理由
プロジェクト・ヘイルメアリーの中身とか、その感想とかを話すわけじゃないんですけど、
ずっと見たいなと思っていて、 公開期間ギリギリに来ましたね。
たぶん2日後とかには、私が住んでいる地域では、
きっともう終わっちゃうと思うんですよね。 で、いろいろプロジェクト・ヘイルメアリーについても、
2月とか、3月とかから、映画になるとか、映画を見たとか、そういう感想がいろいろ
ポッドキャストとかでも聞いたりしてて、これ見たいなと思ってたんですよね。 で、小説も読みたいなと思ってて。
小説で言ったらね、もうたぶん 5年ぐらい前ですかね、に話題にその時に行ったなってるんですよね。
で、見てきて、当然、小説と映画、原作と映画は違いますよね。
原作って言い方をそもそもしますしね。 元々の作品はこうで、描かしたらこうですよ、みたいな、そういうのがやっぱりあるんでしょうね。
で、よく小説を映画化した場合に起こることっていうのが、物語がちょっと変わる。
それはやっぱり、しょうがないんですかね。でも、たぶんすごい忠実に作るものもきっとあると思うんですけど、
2時間とか3時間にまとめなきゃいけないから、 それは変わりますよね。
カットされるシーンとかもあったり、ちょっと、 これ本だと2つのシーンで分かれてたけど、
これいっぺんに描いてるんだなとかっていう場面があったり、 これはプロジェクトヘルメリーに限らずですけど。
で、あと順番入れかかってんな、このエピソードとこのエピソードが、みたいな。
このエピソードの時に主人公が、 話の中で一番大事なこの行動を起こすようにしたのかっていう。
きっとですけど、映画の方は監督が一番大事だと思ったこととか、 監督が作品として伝えたいことを表現するために、
ちょっとそういうふうに、改編というか編集というかアレンジというか、 そういうのをするんだろうなとは思いました。
で、それってどういう感じなのかなと思って、 AIで調べてみたら、
まあいろいろなパターンがあるらしいですね。 まず、
原作者がその著作権者になって、 一応映画っていうのは二次的著作物にあたるみたいですね。
二次創作ってことなのかな? ちょっとそれはわからないですけど、
それやっていいですよっていう権利を原作者が持っていると。 映画監督は映画という新しい著作物の
著作者の一人となるっていうことで、 映画自体は監督のものっていうか、
監督の著作物っていうそういう扱いなんですかね。 なんかいろいろあるみたいですね。これはまあその AI
がまとめてくれたものを見てますけど、
「野望の城」を例にした映画化の考察
完全に原作者が
全権を監督に任せちゃうよと。 映画と小説は別物ですよとかね。
そういうのがあったり、あとはお互い協力して、 設定の矛盾とかを防いだり、原作のファンを大事にしたいっていうので、
協力して作っていくパターンとか。 あとは原作者自らが脚本を書くっていう。
僕、野望の城っていうのがすごい大好きなんですけど、 野望の城のDVDボックスを持ってるんですが、
それのなんか限定品みたいなやつを買った時に脚本入ってましたね。 あれは作者の人が書いてるやつなのかな。
ちょっと話ずれますけど、この映画家ってこうなんだっていうのを一番最初に
強く思ったのは野望の城っていう作品なんですよね。 それが小説で読んですごく面白くて感動して
パワーをもらったりして、これ映画化されるんだみたいなと思って。 その時いろいろあってね、東日本大震災がちょっと前にあったりしたから
すぐ映画化されなかったんですよね。 で何年か経って映画化されて、原作とは違うシーンがあって、あれ?って思って。
でも、野望の城に出てくる武将の一人になんか軍師みたいな人がいるんですけど、
その人が戦術を駆使して戦っていくっていう、その戦術が違ったんですよね。
でもその人の軍師的な兵士をすごい読んでて、いろんな作戦を知ってるみたいな、そういうのを表現するには
そういうのは十分に表現はできてはいたんですけど。 なのでこうやって、ちょっと変えてじゃないけど。
テーマとかそのシーンの魅力とか、その人物の魅力とか、元々のお話の魅力は伝えるけど、伝え方はちょっと変えるもんなんだな、みたいな。
そういうのを野望の城で感じたんですよね。 なので別にこのプロジェクトヘルメアリーを見て、
だからなんか原作と違うところがある、がっかりってする人もいるんでしょうけど、別にこのAIの解説にもある通り、
映画と小説は別物と考えると、そう考えた方が両方楽しめるんじゃないのかなとは思います。
近年の原作リスペクトと映画制作の葛藤
何の話でしたっけね。
それで、やっぱり
原作者と監督の間では葛藤がやっぱり起こることがあると。 これはAIの文章を読みますけど。
小説は読者の想像力に訴え、登場人物の内面を言葉で掘り下げますが、映画はカメラに映るものと音で語らなければなりません。
監督は映画的リズムを作るたびにエピソードを大胆に削ったり、新しいキャラクターを追加したりすることがあります。
そうですよね。 でもなんか最近は、近年は原作者リスペクトがより重視されるようになっているので、
っていう風潮らしいですね。 僕も個人的には原作をリスペクトしてるやつの方が好きですね、すごく。
でも原作を読まない人にとってはね、その映画だけ見て、そのお話の魅力とかを伝え、作品の魅力を伝わってほしいわけですから、そういう人には。
そういうところでいろいろ監督の人とかも考えるんでしょうね。
あとは、どの作品かって例に出して言えないですけど、 監督さんがこれすごい感動して、
それをそのまま表現したいっていう、 自分のリスペクトがすごいあるから、みたいな。
映画監督の頭の中ってどうなってるのか知りたいですけどね。 勝手に想像する素人、メディアとか作品作りとか創作とか何もしてない、本当に素人が考えると、
リスペクトをして、 これをぜひ映像にして伝えるんだ、広げるんだっていう思いがあるか、
あとはその原作からインスピレーションを受けて、 二次創作物として
自分の表現にしていくか、みたいなので分かれるんですかね。 そういうのを考えていくと面白いなっていうのは思いますね。
小説と映画、それぞれの良さ
あと、どっちがいいかって話は、 僕は個人的には本の方が好きなんですよ。
好きだなって思ったんですよ、今回やっぱり。 それは映画が嫌だってわけではなく、映画には映画の良さがあるんですけど、
本ってもともと個人的に物語が好きなんですよね。 物語をより詳しく知りたいから。
そうなってくるとやっぱり本なんですよね。 設定とかを細かく、背景とかね知りたいから。
あとは、ちょっと今回この考えは変わりましたけど、 映画館よりも自分家で見たいっていうのはありますね。
なんか自由にトイレ行けるし、なんか自由に食べられるし、ゴロゴロできるしみたいな。 好きな時間に見られるしみたいな。
自分家で見たいなっていうのはあるんですけど、映画館の迫力とか、 みんなで一緒に見る一体感とかっていうのよりも、
物語を知れればいいから、自分家で見たいな。 ネットフリックスとかになってくれないかな、みたいなのは思ってます。
が、今回のプロジェクトヘイルメアリーは、 これは映画館で見てよかったなとは思ったんですけど、
その世界にやっぱり没入しますね。 これまた何の話だったかっていう。
物語が私は知りたいんですよ、詳しく。 そういう人にとっては原作とかの方が、本の方がやっぱりより面白く感じるのかなと思います。
妻と一緒に見に行ったんですけど、やっぱり妻は原作を読んでないので、 でもお話の筋はやっぱり妻には伝わっていたので、
原作読んでなくてもわかるように作られてるんだなとは思いましたけどね。
「プロジェクト・ヘイルメアリー」の映画体験と原作との比較
これちょっとここのところわかる?みたいなのはちょっと上からというか、 原作読んでる人マウントじゃないですけど、
ここわかった?みたいなことを聞いたらわかってましたね。
プロジェクトヘイルメアリーでいうと、地球を危機にさらす微生物、宇宙に存在する微生物が燃料にもなるから、
ものすごいエネルギーを燃料にもなるから、 なんで地球に害を及ぼすやつをめちゃくちゃ増やしてるの?みたいなのが、
あんま詳しく映画では説明されてなかったからわかったかなって思ったんですけど、
それわかってましたね。さすがというか、 描き方で話の流れとか映像とかでわかるようにはなってるんでしょうね。
あと妻とかはそういうふうに映画で細かいところまであってわかるタイプですけど、
僕はわかんないんですよ。一回見ただけじゃ。 だからやっぱり原作読みたいかもしれないですね。
多分僕だったらわかんないんですよ。 なんで?って話がよくわかんなくなっちゃうからね。
複雑な設定とかがあると。
あと、プロジェクトヘルメアリーで映画ですごいなと思ったのが、
どんどんどんどんエピソードをテンポ良くまとめて表現してましたよね。
そこに音楽も良かったから音楽が入ってきたりね。
あとこれ、原作にはないノリみたいなやつもちょっとありましたよね。
主人公と相棒になる異星人とのコミュニケーションというか、
二人の空気感というか距離感というかノリがより映画だとわかりましたよね。
あとはやっぱり俳優さんの魅力もすごい感じましたね。
どうしてもイメージが変わるところはありますけど、
地球に残っている司令官、ストラットっていう名前だったかな。
女性司令官。
映画の方がすごく温かくて人間っぽい。
人間味を感じさせてくれました。
小説の方が鬼司令官でしたね。
全ての世界の国々の元首を超える権限を持ってて、
何でも思い通りにできて、
仕事に厳しいというか人類を救う仕事をしているから当たり前ですけど、
鬼だなと思いましたけど、
映画で見たら温かい人で人間的魅力を描いているんだとは思いましたけどね。
だから俳優さん、脚本なのかな。
脚本とか俳優さんの演技とか監督がどういう演技をさせるか、
どういう雰囲気にするかによっても、
全然小説等は変わってきますよね。
「ティファニーで朝食を」から見る原作と映画のイメージ
でも最近は原作リスペクトの風潮なので、
やっぱり全然違うじゃんっていうやつはないですよね。
何とは言わないけど昔はあった気がしますね。
全然違くない?これみたいな。
でもそれ違う作品だからいいんでしょうけどね。
あとこういう話を著名な人とかも知ってますよね。
そういうことを考えて思い出したのが、
トルマン・カポーティのティファニーで朝食よっていうのを、
有名な話というか小説ですけど、
それを村上春樹が訳したっていうのの、
その本の役者跡書きで村上春樹さんが言ってましたね。
何言ってたかっていうと、
このトルマン・カポーティが描いた主人公ホリー・ゴライトリーは、
映画がやっぱり強すぎるから、
オードリー・ヘップバーンの映画が強すぎるから、
どうしてもオードリー・ヘップバーンのあのイメージになっちゃうと。
もうホリー・ゴライトリーイコールオードリー・ヘップバーンになっちゃうと。
そのことについてこう言ってますね。
これは小説にとってはいささか迷惑なことであるかもしれない。
と村上春樹さんは後書きで書いてますね。
ティファニーで朝食の映画バージョンは、
これも村上春樹さんの言葉ですけど、
映画は原作とは結構違った話にはなっているものの、
なかなか小粋なラブコメディに仕上がっていてって書いてありますね。
作者トルマン・カポーティは明らかに
ホリー・ゴライトリーをオードリー・ヘップバーンのようなタイプの女性としては設定していないからだ。
見てない僕からしても、
この原作を読んで、
まああれなんですよね。破天荒なんですよね。
ホリー・ゴライトリーは。
オードリー・ヘップバーンのあの感じじゃないんじゃないかなと思って。
だから今このティファニーで朝食を読んでた時の気持ちが何か思い出してきたんですけど、
やっぱオードリー・ヘップバーンの映画っていうのは知ってたから、
ああいうラブコメというか、
ドラマ的な話なのかな。
芸作じゃないけど。
そういう話なのかなと思ったら全然違って、
すごいなんか片破りで破天荒な主人公を描いてるんじゃんみたいな。
ああじゃあ、主人公は破天荒で片破りなホリー・ゴライトリーに振り回される男の作家の人だったかな?
もし違ったらあれですけど。
なんですけどね。
村上春樹さんはおそらくホリーの持っている片破りの奔放さや性的開放性、潔いいかがわしさみたいなところが、
この女優には本来備わっていないと思ったのだろう。
この女優はもちろんオードリー・ヘップバーンですけど。
だから村上春樹さんは本のカバーにはできれば映画のシーンを使ってもらいたくなかったって書いてありますね。
とかっていうね、このティファニーで朝食後のホリー・ゴライトリー、それからそれを演じたオードリー・ヘップバーンっていう例もありますけど。
だから俳優さんの魅力が強すぎたり、脚本が何て言うんですかね。
見てないくせにあれこれ言ってますけど。
俳優寄りになっちゃったんですかね脚本が。
そういうのはありますよね。
でもそういうやつだって面白いですけどね。
だからその全く違うジャンルのものっていう風に小説と映画のことを考えた方が両方楽しめるなっていう。
「プロジェクト・ヘイルメアリー」の登場人物と小説の構成
結局そこに落ち着くんですけど。
やっぱそのプロジェクトヘルメアリーの映画の話に戻ると、これ登場人物が少ないっていうか、ほとんど主人公だけですよね。
あとその相棒の異星人ロッキー。
もうほぼこの二人、人間は一人。
ほとんどライアン・ゴズリングさんでしたっけ。
その俳優さん一人で進んでいくので。
そういう意味でもびっくりしますよね。
僕小説の作り方とかにも興味があるんで、そういう本とかも読んだりするんですけど。
小説のハウトゥー本みたいな。
松岡圭介さんの小説家になって億を稼ごうっていう本では、小説の主人公はだいたい5人か7人。
7人ぐらいはいないと話が回らないって書いてましたね。
そこにサブキャラクターを5人足して、合計12人ぐらいで初心者が書いていくのがいいですよと言ってましたね。
いろんな物語を見ると、だいたいそのくらいの数になってますよね。
でもね、このプロジェクト・ヘイルメアリーほぼ一人っていう。
すごいえーと思ってましたけど、また話がずれていきましたね。
結論:映画と小説は別物として楽しむ
ということで、この辺で今日は終わりですかね。
何の話だったかというと、映画と小説は違うっていう当たり前の話。
で、両方いいところがあるっていう。
同じものとして捉えちゃうと、原作ってこうなのになぁ。
俺は原作の方が好きなのになぁとか。
いや、映画の方が良くないあれみたいなって話になるけど、そういう話じゃないんだなっていう。
そういうことを特に感じましたね。
そういう話を今日はしたかったんです。
ジョン・レノンの言葉とエンタメの話
ということで、今日もどうもありがとうございました。
少しね、ずっと最近仕事とか人生とか、
自分の適応障害という病気とかとの向き合い方とかね、の話ばっかだったんで。
今ゴールデンウィークに収録をしてるんですが、
そういうエンタメというか好きなものの話、仕事とか人生とか生活とかね、
そういうのから離れた話ができたのは良かったです。
なんかあれですね、これジョン・レノンが言ってた言葉だと思うんですけど、
人生について考えてるときは、人生じゃないんだよって。
自分の人生ってこうだよな、俺の人生これからこうしていきたいなとか、こういう人生じゃなとか、
しんどいなとか、人生とか生き方自体について考えてる瞬間。
今って結構そういう時代になっちゃってると思いますけど、
すごい生き方についてみんな向き合うとか言ってますけど、
そういうのを考えてる時間に人生はないんだとジョンは言ってますよね。
これわかんないですけど、真意はわかんないですけど、
何かに夢中になってるときこそが人生なんじゃないかとジョンは言いたいのかもしれないです。
偶然プロジェクトヘルメアリーの話がビートルズと関係してますからね。
関係してるっていうか、ビートルズ出てきますからね。
偶然そんなまとめになりました。
それでは今日もどうもありがとうございました。
これで終わりです。
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