1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #120 武士道とは美意識と見つ..
2025-05-04 07:16

#120 武士道とは美意識と見つけたり

サマリー

武士道の概念について、二戸稲造の分析を通じて義、礼、忠義などの重要な要素が考察されます。また、武士道がどのように生まれたのか、その思想の背景にある普遍的な価値についても触れられます。

武士道の基本概念
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は、武士道です。
武士道って知ってるようで、じゃあ武士道って何ですか?って聞かれたら、上手に答えられない気がします。
それに武士道っていうものに対するイメージって、多分人によって少しずつ異なると思います。
もしかしたら、江戸時代の武家屋敷でちょんまげに和服の武士が鍛錬をしている姿を単にイメージするかもしれないし、
あるいは葉隠れなんかを連想するかもしれません。
葉隠れっていうのは、武士たるもの、このように生きるべきだっていうのが書いてある、武士の教科書みたいな本のことです。
武士道というは、死ぬことと見つけたりっていうフレーズが有名です。
だから意外と捉えづらい抽象的な概念だと思うんだけど、
まず手がかりになりそうなのが、二戸稲造による分析です。
二戸稲造は、昔の御前演説の人で明治大正に活躍した教育思想家です。
二戸稲造は武士道っていう本を英語で書いて、海外の研究者が武士を研究するみたいなことも起きてます。
この武士道という本によると、武士道とは、義、優、仁、礼、誠、名誉、忠義の7つに分解できるそうです。
これらを一つ一つ解説することはしませんが、最も重要なのが義です。
義によって助け立ち致すとか言うでしょう。
これは人間としての正しい道を歩みなさいという指針で、
要は人として卑怯なことはしてはいけないよということです。
他にも儒教が根底にあるから、礼、礼儀の礼ですが、礼も大事です。
まあ全部大事と言えば大事なんだけど、
武士たるもの、礼儀がなってなくてはならないというのは、武士のイメージ的にも直感的にわかりやすいですよね。
一方でイメージはできるけど、なかなか理解しがたいのが忠義だと思います。
時代劇とか中心蔵とか、創作の中における忠義はかっこいいんですけど、
でも、君主のために切腹しなきゃいけないとか、自分がやれと言われたら嫌じゃないですか。
忠義は実践しなきゃ忠義にならないから、理解して実践するのはかなり困難な感じです。
そんな感じで、義理堅く礼節を守り、忠義を尽くすのが武士道みたいな感じなわけですけど、
僕が興味があるのは、なぜこういう思想が生まれたのか、どういう構造から必要とされて生み出されたのかという点です。
結構似たような考え自体は割とよくあります。
例えば、主君のために死ぬみたいな考えだったら、
アリストテレスも、国家は個人に先んじて存在していて、個人は国家の一部分として生まれたものだから、
個人は国家のために生きて死ぬべきであるって言っているし、
騎士道なんかもあるわけだから、そんなに珍しいということでもありません。
珍しくないということは、ある程度普遍的であるというわけで、普遍性のある部分からまずは解釈してみます。
念のため申し添えると、今までのことは手元にニトベイナゾーの本と歯隠れがあって、それを読みながら喋ってたけど、ここから先は僕の解釈です。
武士の正当性と統治
そもそも武士っていうのは、武力を独占している支配階級です。
めっちゃそもそもなんですけど、国家統治っていうゲームの勝ちパターンって武力を独占することなんですね。
身も蓋もない話ではありますけど、統治機構が悪政を志向が善政を志向が究極的には関係なくて、
武力さえ独占していれば反乱を起こされても鎮圧できるわけですから、軍事力を独占していくという、そういうルールのゲームをしているわけです。
これは戦国時代のような昔も現代でさえも変わらない部分です。
北朝鮮とかソビエト連邦のような先制国家では、わかりやすく秘密警察とか支援隊とか武力を抑えている集団が武力を持たない民衆を抑え込むことで統治しているし、
民主制国家も人を逮捕したり制圧したり刑務所に閉じ込めることができるのって公的な警察とか軍警察だけでしょう。
民主国家でさえも突き詰めると武力を独占することで国家統治をしていることがわかると思います。
ちなみにこういう国家統治のための武力のことを専門用語だと暴力装置って言います。
この辺興味がある方はネットでマックスウェーバー暴力装置とかでググってみても面白いと思います。
話を元に戻すと、語弊を恐れずに言えば、武士って軍事訓練を受けていて武器を保有している軍人階級の人たちなわけだけど、
じゃあ武力さえ握っていればいいのかというとどうもそういうわけでもありません。
効率的な支配をしようとした時、必要となってくるのが統治の正当性です。
この辺も同じくマックスウェーバーの支配の三類型なんかを参照してもいいんだけど、
まあ統治するのに正当性がいるっていうのは割と直感的にわかるんじゃないかと思います。
正当性とは、なぜその人たちが民衆を統治するのかって疑問に対してちゃんと答えられるということです。
ヨーロッパだと王権真珠説とか、
自分ら王族は神様から言われて王様やってんだよって正当性を主張していたけど、そういう感じの、
日本も昔から、統治者は天皇陛下からお願いされたからやらせていただいてるんですよって形をとっていたし、
実は正当性って大事なんです。
というのも、何の正当性もなしに、単に武力によってのみ支配すると、形とすると、
何の正当性もない蛮族が暴力によって支配してるって形になっちゃうから、
そうすると反乱も起きやすいし、外国からの介入の口実にもなります。
やはり何らかの正当性がある方が効率的なわけです。
ちょっと長くなっちゃうので、一旦ここで切ります。
次回に続きます。
07:16

コメント

スクロール