途上国支援の課題
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回の続きです。
途上国支援の課題として、もう片面、重要な論点があるという話をします。
途上国支援をたくさんしても、途上国が先進国並みの経済的発展を全然見せてくれないという課題があります。
一般論としては、それは教育がまだ足りないからだとか、設備投資をするための開発援助がまだ足りないからだとか、従来は言われていたわけですが、それじゃ分析としてまだまだ浅いという話が展開されます。
結論から言うと、貧しければ貧しいほど、処理しなければいけない情報量が多くなってしまう、情報のカオスの中で日々暮らさざるを得なくなってしまうからだそうです。
先進国と途上国と比べたとき、僕たち先進国の国民って驚くほど頭を使わなくても生活することができます。
つまり、情報処理コストが低い状態で生活することができるんです。
どういうことか。
例えば、予防接種は病気の予防に極めて有効なわけです。
それなのになぜ途上国で予防接種を受ける人が少ないのかというと、まずは抗体とか免疫とかそういう生物学的な知識が国民にないというのがあります。
ただそれ以上に厄介なのが、先進国や日本みたいに母子手帳に書いてある通りに保健所に行って言われた通り注射すればいいという状態にない。
僕たちの場合、ワクチンとか免疫とかそういう難しい情報処理は地方自治体やお医者さんが代わりに全部やってくれているわけです。
それは自治体や医者がそれなりに信用できるから頭を使わないで全部お任せすることができるというわけですね。
でも途上国の場合、そんなふうに誰かが代わりに全部やってくれるという状態にありません。
自治体も医者もいまいち信用できないから、あそこの医者は予防接種に使う注射器の針を使い回ししていないとか、注射器の針を水洗いしているだけじゃなくて、ちゃんと使い捨てにしているとか、そういうレベルから考えないといけないんです。
だから考えなきゃいけないことが多いわけですね。
そもそも医師免許が先進国みたいに厳格ではないから、本物の医者なのかそうじゃないのかもよくわからない。
医療に関するルールも統一されていないから、本当にこの病院にかかるのが適切なのかから考えて、実際に治療を受けるかを自分で意思決定しないといけません。
しかも基本的に貯金なんてないから、なけなしの手持ちの現金を使うかどうかっていうかなり重たい意思決定です。
情報処理コストも意思決定コストも先進国よりずっと重たいんです。
貯金といえば、途上国では貧乏人は銀行に口座さえ開設することができません。
運よく口座が開設できたとしても、銀行口座使用料を押し払わされたりして、実質的に銀行預金ができる状態にないわけ。
じゃあどうやって貯蓄しているかっていうと、現金が余ったらレンガやモルタルをまとめて買って、
家を少しずつ建築したり増築したりしていくという方法で、実質的に貯蓄に変えたりしています。
僕たち先進国の場合、貯蓄したければ銀行口座にATMから入金して、お金放り込んでおけばそれでOKなわけで、
非常に簡単かつシンプルに貯蓄が行えるわけだけど、
途上国の場合、貯蓄一つするにしてもシンプルに行うことができない。
何をするにしても処理コストが高いというのが、途上国支援を行う中で見落とされがちな重要な論点だっていう指摘が本の中でなされています。
生活環境の影響
はい、まとめると、途上国では、ただ生活するだけでも考えなくちゃいけないことが多すぎるという状態にあるという話です。
しかもそれって、水とか病気とか、すぐさま生命に直結する話だからね。
後回しにすることはできません。
この状態で将来のために国語算数、社会理科の勉強を落ち着いてできるかっていうと、
それって人間の能力の限界を超えているんじゃないかという感じがします。
中には、生まれつきクソほど処理能力が高くて、
先進国に生まれてれば、なんかハーバードとか東大とか行ってるような人だったら、
この情報のカオスを全て処理しきってしまうということもできるかもしれません。
でもそれって、全体の何パーセントもいないじゃないですか。
残り90何パーセントの普通の人は、
生活するだけでも処理しなくちゃいけない情報が多すぎて、
頭がパンクしそうな状態がデフォルトになっているという指摘は、
個人的にかなり目から鱗でした。
というわけで、今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。