非認知能力と教育
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。前回からの続きです。
前回は、非認知能力の、そもそもの福祉としての側面の話をしました。
一方で、最近の流行りとして、教育に非認知能力向上を取り入れようとしている人って、明らかに教育熱心な層であるように見えます。
ここで、教育熱心な家庭に福祉的な話は関係ないのでは?という疑問が出てきます。
この辺を読み解いてみたいと思います。
まず、SES、またはSESスコアという概念があります。
SESとは、Socio-Economic Status、日本語で言うと家庭の社会経済的背景です。
これは、家庭所得、職業、父親の学歴、母親の学歴などの変数を合成した指標で、文化資本や経済資本、学歴資本の総量を表す指標です。
この辺はブルデューノ会の時に言いましたね。
資本には文化資本と経済資本と学歴資本があるって。
これまでというか、今もそうかもしれないけど、基本的に高教育というものは認知力テストの結果、つまりはどれほど賢いかを重視します。
だから、到達度テストを実施して、学力が一定程度に到達しているかを見るわけですね。
で、SESスコアが高い家庭の子はテストの結果も良く、SESスコアが低い家庭の子はテストの結果も悪いという傾向にある。
これはニュースとかでもよく言われることだから、皆さんご存知のことだと思うけど、
じゃあ、SESスコアの高い家庭をロールモデルにして、幼少期から塾や習い事をいっぱいさせまくって、
教育にたくさん課金すればいいのかっていうと、それはそれで違うという気もします。
おそらくなんですが、非認知能力が注目されるようになった背景として、本当に勉強だけしかしてこなかった子が大人になって、
会社勤めとかするようになってから苦労するみたいな実例が社会に一定量蓄積したことによって、
認知能力だけじゃダメなのかもしれないというコモンセンスがなんとなく形成されつつあるというのが背景にあるような気がしています。
ペリー修学前プロジェクトと、あとアベセダリアンプロジェクトっていうのもあるんだけど、
ヘッグマンが根拠にしている実験結果が示唆するのは、賢さも大事なんだけど、
人生における成功は賢さ以外の要素に結構左右されているっぽいということなんです。
それが意欲や長期的計画を実行する能力、他人との共同に必要な感情の制御といった非認知能力。
育児と親の役割
前回言ったように、非認知能力というきちんとするということができる能力っていうのが、
将来の賃金や就労の継続年数、大学進学、健康管理などに影響するらしいというところまでわかってきた。
ただ、合成を期すために言うと、いわゆる非認知能力が何をすれば効率よく高められるかはまだわかっていません。
わかっているのは、どうやら6歳以下の幼児に対して、
親が親密なコミュニケーションを普段から継続的に取ってあげると良さそうというところまでです。
非認知能力向上に効果があるとされる親が取るべきアクションを具体的に言えば、
絵本の読み聞かせなど、文字に親しむように促す姿勢が見られる。
毎日同じ時間に寝て、同じ時間に起きるなど規則正しい生活習慣を整える。
知的な好奇心を高めるような働きかけを行っている。
行事やPTA活動に参加するなど、共同体に対する神話的な姿勢が見られるなどです。
要は繰り返しになるけど、非認知能力とはきちんとする能力のことだから、
きちんとした人間のロールモデルとなる、きちんとした親になることが、
幼児の非認知能力向上をさせる方法だと言えます。
本の中にも、SESスコアの高い家庭への大卒の母親は、低学歴の母親よりも育児により多くの時間を割き、
彼女たちは我が子への読み聞かせにより多くの時間をかけ、
一緒にテレビを見る時間はより少ないとあります。
また、家庭における読書活動、規則正しい生活習慣に関する働きかけ、親子間のコミュニケーション、
親子で行う文化的活動はいずれも、認知活動にも非認知能力だけじゃなくて、認知能力にもプラスの影響があり、
特に家庭における読書活動が子供の学力に最も強い影響力を及ぼすそうです。
ヘッグマンは割と残酷なことを言っているんだけど、
子供の非認知能力にとって必要なのは、お金よりも愛情と時間だそうです。
ということは、フルタイムで長時間ハードワークする必要がない父親もしくは母親が、
たっぷりと時間をかけて、きちんとした親としての振る舞いをして見せてあげることが、
今現在わかっている範囲での非認知能力を向上させる効率的な方法なようです。
これはなんというか、また新しい格差が生まれそうだよね。
僕は非認知能力のことをきちんとする能力と形容しましたけど、
また別の言い方もできると思います。
子供は6歳までの幼児期に非認知能力というスキルを獲得して、
その子も様々なスキルを身につけていきます。
勉強のスキル、運動のスキル、それからコミュニケーションのスキル、
ネゴシエーション、交渉をするスキル、創意工夫をするスキル、
人に指示をするスキル、要領よく人間関係を構築するスキル。
で、おそらく非認知能力っていうのは、
それら複数のスキルを統合して把握したり、
別々のスキル同士を組み合わせて応用するみたいな働きをするという風に読み取れるんです。
論文ではこういうポップな言い方はしないけど、
スキルを使うためのスキルが非認知能力と言えるんじゃないかと。
複数の個別のスキルを同時に操るメタ的なスキル、メタスキルとでも言いましょうか。
個別の様々なスキルよりレイヤーが一つ上にある感じ。
例えば、ポーカーなどのカードゲームでも手札を強くすることも大事ではあるけど、
プレイヤーが強くならないと勝てるようにはならないでしょう。
成長するとともに手元に蓄積する様々なスキルを扱うためのメタスキル、
いわゆるプレイヤースキルが非認知能力と結構近いんじゃないのかなというのが僕の読解です。
最後に、ヘッグマンは親の愛情と時間が大事だと言いましたけど、
これは案に保守的な家庭の方が有利と言っているんですよね。
夫婦とも働きで両親ともハードワークしている家庭より、
親のどちらかが専業主婦またはパートタイムジョブっていう古いタイプの家庭の方が有利だと示唆しているわけだけど、
ここが一番ぼかされている部分かと思います。
特にアメリカなんかは、そういう伝統的な家庭像は否定しないといけないっていうイデオロギーが強いから、
下手に専業主婦を徴用すれば地雷を踏むことになりかねませんから。
実際、本の中でもヘッグマンは明らかに政治的地雷言を避けているって指摘されています。
まあそういうわけで、今回はいろいろぼかされている部分も含めてつまびらかに読んでみたという話でした。
というわけで今回はここまでです。次回もよろしくお願いします。