アノミーの基本概念
ストーリーとしての思想哲学 思想染色がお送りします。
前回の続きでアノミーの話です。 アノミーとは、規範が衰弱すること。
社会的な混乱によって、今まで通用していたゲームルールが通用しなくなると、人の活動が規制されなくなります。
最も端的な例が共産主義革命で、僕たちのあらゆる活動は資本主義経済を前提としていますよね。
ということは、あまりに当然のことなので普段は意識しないけど、営利企業だったら、会社は競合他社からシェアを奪うために競争するとか、
あるいは消費者として、物やサービスを買うにしても、安くていいものを選ぶことで提供する側に競争を促すとか、
こういう枠組みの中で活動しているよね。 本の中では、こういう枠組みのことを規制と呼んでいます。
社会には、超そもそも論として、こうした枠組みや規制があって、その規制が僕たちの振る舞いや活動に方向性を与えてくれます。
そうですよね。 資本主義経済における市場競争という規制がそもそもあるから、会社は競争するという方向で動くし、
消費者も会社が競争することを前提として、安くていいものを選択するという方向で動くことができるようになっています。
で、アノミーは、社会における規範が衰弱するということでした。
この場合であれば、革命によって自由競争という規制が衰弱するということによって、アノミーがもたらされていると言えます。
ここまで極端じゃなくても、アノミーがもたらされる例はいくらでも出せます。
例えば世界恐慌や金融危機が起これば、失業率がめちゃくちゃ上がって、真面目に働いていれば生活していけるという枠組みが衰弱します。
日本だったら、最も端的な例として、日本が戦争で敗戦した時の天皇の人間宣言なんかは、既存の規範を激烈に衰弱されたということで、
アノミーがもたらされた例として挙げられるかと思います。
重要なのは、アノミーがもたらされると、規制や規範が衰弱すると、アノミー的自殺と呼ばれるタイプの自殺が増えるという点です。
これ、実はかなり直感に反する事実です。
自殺と社会変化の関係
というのも、例えば世界恐慌とか金融危機なら、貧困のストレスとか、仕事にありつけずに密地も察地も行かない苦しさで自殺が増えるという気がするじゃないですか。
直感的には、貧困に由来する苦しさが自殺の原因であろうという感じがするけど、そうではないというのがデルケムの理論です。
そうではなく、あくまでも今まで通用していた規範が衰弱してしまったという事実、ゲームルールが変わってしまったという事実が人を死なせるんですね。
もう一回言いますね。
直感的には、ゲームルールが変わったことによって、それによって貧困がもたらされて、貧困によって自殺が増えるという感じがします。
でもね、社会が貧しくなると自殺が増えるという事実はないんです。
これは直感に反すると思うんですけど、ゲームルールさえ変わらなければ社会が貧しくなろうが自殺は増えないということをデルケムは統計分析によって明らかにしました。
さらにですね、逆にゲームルールが変わってしまうと、それで仮に社会が豊かになったとしても自殺は増えてしまいます。
したがって、ゲームルールが変わるという事態は、人間に文字通り死ぬほど苦しい精神的打撃を与えるということなんです。
これがデルケムのアノミー理論です。
一般論として、人間は変化を嫌うとか言いますが、アノミー的自殺をしてしまった人からしてみれば、変化によって文字通り死ぬほど苦しい精神的打撃を受けたのだと言えます。
ここがアノミー理論の分かりづらい点だと思うんですけど、ポジティブな変化であっても自殺は増えるんですよ。
僕たち西側諸国の国民からしてみれば、ソビエト連邦のような全体主義国家が民主化するのは喜ばしいポジティブな変化でありますが、それによって実際ソ連では自殺は増えました。
もうちょい解像度高く言うとですね、自殺が増えるというのは、自殺だけが増えるわけではありません。
原因はアノミー的苦痛なわけだから、苦痛を紛らわすためにですね、ドラッグ依存、アルコール依存が増えます。
そして自殺が増えるという、こういう基準になります。
社会の複雑性と変化
ゲームルールが変わるということは、今まであまりに当然のこととして信じていた、いわば神話が崩れてしまうということですからね。
一番最初にアノミーの概念は社会の複雑性を理解するのに役立つと言いましたが、それはこういうことです。
一般論として、僕たちは変化の多い時代を生きているのだから、ゲームルールが通用しなくなるのは当たり前だみたいな論調もありますが、
一方で、それはアノミー的苦痛をもたらすということも、それは事実です。
まあ、ルールチェンジには光と影とがあると言ってしまえば、そりゃそうだよねって感じではあるんですけど、
ただ、アノミーの概念を知らないと、ルールチェンジについていけないのは努力が足りないからだとか、余ったりてるだけだみたいな精神論に飛びついてしまいがちです。
実際、精神論が大事な時というのもあるから、精神論が無意味だとまでは言わないですけど、
でも構造を見落として精神論だけで物事を捉えようとするのは科学的な態度とは言えません。
あくまで科学的な態度で社会の複雑性を捉えようとするなら、ルールチェンジ、ルールブレイクはアノミーをもたらす。
そしてアノミーは人間に精神的打撃をもたらすという、こういう構造をすでにデュルケムが指摘しているということを知っておいたらいいと思ったので、
それでアノミーに特に焦点を当てて紹介したという次第です。
最後に一応言っておくと、別に変化は悪だって言ってるわけじゃないですからね。
いや往なしに社会というものは変化していくし、変化しない社会は弱いです。
実際、変化しない社会は変化する社会に滅ぼされてしまうというのが歴史の常です。
だからといって変化が手放しに素晴らしいというわけでもない。
ルールブレイクによる変化は、そこに暮らす人々にアノミー的苦痛をもたらします。
このルールブレイクするということは、大きなアノミー的苦痛を与えるということであると、これを自覚するだけでもかなり違うんじゃないかと思います。
苦しんでいる人たちを見て、あいつらは変化を嫌う、時代についていけない奴らだと思うのか、
あの人たちはアノミー的苦痛を受けているのかもしれないと思うのとじゃ、やはり解像度が違います。
ただ、こういうのは全てグラデーションだから、100%アノミーのせいというわけでもない。
ここが難しいところなんですが、社会はいや往なしに変化しないといけない必要性というのもあるから、社会に暮らす人々はやはり少しは頑張らないといけない。
こういう全てはグラデーションとバランスなんだと思います。
これが世界の複雑性ということなんだと、そのように思います。
というわけで、今回はここまでです。
また次回もよろしくお願いします。