2021-02-12 34:30

【GMV 318】自分の何が気に食わないのか?

自分に対する不足感がナルシシズムを生み出す。、
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
空っぽになっておりましてですね、
昨日、あれをアップしなきゃよかったなと、今少し思っているわけですが、
まあ、これをイリュージョンと言いますけどね。
あの、まあいいや、3月の6日に第2回のシーズン2のグッドバイブス勉強会をやります。
で、多分これはお題が価値マックスというやつで、
実はお話いただいているのがありまして、
全て平等だというなら、みんなが価値マックスでもいいけど、みんなが価値ゼロでも同じじゃないかという議論があるんですけど、
これはあれですね、あの、
いわゆる2比率というやつで、私も大学の時代は
絶え間なくこのことをなぜか考えていました。
まあ、いろんなものがあるんだけれども、私の場合はですね、私の場合は、私の2比リズムは完全に強烈な反抗期によるものですね。
なんとかして、
親と戦いできれば勝ちたい。
そのためには、価値ゼロという考え方が一番やっぱり有効な武器だったというところかなと思います。
あの、あれじゃないですか。
結局、あるなしがすなわち価値ですよね、ウィン。
ウィンに結びつくわけですよ。オセロで言えば1つでも多くのコマを取った方、コマの色にした方が価値なわけですよ。
オセロ自体のゲームに価値ゼロであれば、どっちでもいいことになるじゃないですか。
私はもうこれしかなかったんですよね、当時ね。
えーと、多分16、7、8ですね、だと思うんですけど、別にタスクシュートで記録取ってたとかいうわけじゃないので、思い出せません。
もうちょっとずれてるかもしれないですね。
で、まあそういうこともあったりして、価値マックスとか、価値マックスっていうのはでも、生きていく上ではやっぱりですね、えーと、ゼロじゃ生きていけない気が、私なんかはします。
あの時は非常に逆説的ですが、逆説的ですって言ってもありふれた悩みなんですけど、価値ゼロじゃないと生きていけない気がしたんですよ。
この辺がやっぱり、えーと、ナルシシズムってやつの難しさなんですけれども、今日はポンポン喋ってますが、つまりですね、ネタがないわけですよ。
で、しょうがないので、えーと、昨日なぜかテレビで何度かずっと見ていた、えーと、辞任の話と少し絡めてやるんですけど、
まず、えーと、まあTwitterを見ていてもその話題かなり入ってくるんで、まあ嫌でも大でも目にしますよね。
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で、えーと、一つこういうのがあると思うんですよね。男だから冷静でいられるという、この話なんですよね。
で、この時私はカジマックスというのが最終的に必要になるなど、最終的にというか、常になんですが、えー、男だから冷静でいられるという考え方というのは、えーと、
本件、本件においては当然出てくるわけですよ。で、これ精神分析の世界では、えーと、あなたは親との関係に恵まれているからそうやっていられるっていう理屈になるわけですよ。
あの、精神分析でやっぱり一番問題になってくるのは、えー、親子関係が難しかった家庭ですね。
絶対に虐待だとは限らないんですよ。えーと、虐待は当然問題になりますが、えー、全く表面上虐待はなくても問題になることは多々あるし、えー、
例えばうちなんかも、私と妹では親に対する考え方が全然違います。同じ親なんですけどね。
で、やっぱり同じことを私は言われるわけですよ。えー、お前には親は良くしてくれたからそうやっていられると。
この言葉はですね、えーと、何回聞いたか分からないほど聞いてます。で、その都度こう、なんていうんですかね、やっぱり
力度を受けるわけじゃないですか。力を感じるわけですよ。面白いんですよね。これ、ただの言葉なわけですね。
言葉だから、えーと、言葉というものはよく心を傷つけるとか、トラウマになるって言いますが、えーと、そのようなものを
具体的に確認した人っているかも分からないですけど、ほぼいないですよね。私も一度も見たことがありません。
このように、えー、言われて、いや、私には親は厳しく、あんたには親は優しかったって言われると揺さぶられるけれども、
その時じゃあ、脳の例えば、A11バンチの部分に新しいダメージが発生しましたとか、そんなのは確認したことはないじゃないですか。
えーと、よくウッドワイブスでクラズノケイゾーさんが、心は傷つかないという話をされて、多分、ここに異論反論が
あるという方がいると思うんですよ。だって心は傷つくっていうのは、もうやたら言われていることですよね。
私はあれを聞いた時、なるほどと思ったんですよ。 えっと、クラズノさんは心が傷つくという言葉を聞いたことがないはずは絶対にないじゃないですか。
そもそも本作るところにいた人ですから、心の傷って言葉はごく当然のように
目にしてきているはずで、心が傷つかないと言うからには、これにはよほど何かの背景があったはずなんですよ。
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で、私がこれをよく考えるんですよ。 当然この流れで、精神分析ではこれをどう表現しているのかと。
そうすると精神分析というのは、皆さんが普通にイメージされているほどトラウマとか心の傷とは言わないんですよね。
言わないんですよ。やっぱりこうナルシシズムっていう表現から来るんですね。
で、ナルシシズムっていうのは、
やっぱり私は一番わかりやすいのが、
この番組ではもはや一つの支えになっているマイケル・バリントなんだけど、
何の条件もつけず、いかなる評がましいことも言わず、
要するに無条件であって、絶対的に私を愛するようにっていうふうに、赤ちゃんは生まれてくるんです。
というのが彼の言い分なんですよね。
受け身的対象愛というんですね。 説明的難国ですね。
一時愛というふうに彼は言い換えたんですね。
で、これを甘えと言うんだけど、とにかくそういうものとして生まれてきたと。
でも親がそのことをちゃんと受診してくれないと、
何か批評がましいことを言うと、目が細すぎるとか、私昔言われてたんですけどね。
耳が横に立っているとか、これも私言われてたんですけど、つまり耳がもっと寝ていればもっと愛せるのにとか、
目がもっとぱっちりしていればもっと愛せるのにとか、批評がましいわけですよ。
まあ親がそうだったと言うわけじゃないですけどね。
でもやっぱりいろいろあるじゃないですか。もっと病気をしなければもっと愛せるのにとか、
もっと頭が良ければもっと愛せるのにとか、いろいろあるわけですよ。
もっとアトピーじゃなければもっと愛せるのにとかね。
で、批評がましくなってくる。
で、そうすると批評がましい部分に欠損が生まれると言うんですね。
マイケル・バリンとは。それを規定欠損という言い方をしたりするんですけど。
説明がましいんですけど、規定は要するにそれが土台だよと言っているわけですよ、心の。
そこの欠損があるというのがナルシシズムを生むんだよと。
彼はそういうふうに言うんですね。
ナルシシズムというのが本人を絶え間なく恐れと不安を植え付けるんだよというのが彼の理屈で、
そこでどんな欠損があったのかを昔に戻って考え直して、
その欠損を修復するべく新規巻き直ししましょうと。
それが精神分析の治療なんですと。そういう考え方ですね。
で、その欠損があるわけで、欠損があると何が起こるかというと、
人が愛してくれないんだから自分で自分を愛そうと。
これをナルシシズムと言うんですという話ですね。
池田里央子さんの漫画に女帝エカテリーナというのがあるじゃないですか。
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あるんですよ。愛憎版で昔やたら分厚いのを持ってたんですけど、
彼女が、夫がちっとも自分を愛してくれないから、私が私を誰よりも愛してあげようという決意をするシーンがあって、
それで自分で自分を抱きしめてるという、彼女は上手いんですよね、そういうのを描くのが。
すごくドキッとした記憶があるんですよ。
絵が大事なシーンだったから、たぶん1ページぶち抜きくらいでそのシーン描いてたんですけど、
婚輪際夫に愛してもらおうと期待するのは一切やめようというふうに、確かそういう決意なんですよね。
そして私が私を誰よりも愛してあげるからって言うんですよね。
あれをナルシシズムと、普通は大きくなってから言語的にそういう決意表明をする人はまずいません。
彼女は追い詰められてたからそうなってたんであって、赤ちゃんは別に言語的に私が私を愛してあげるからなどとそんなことは言わないんですよね。
おぎゃーと言ってるだけですよ。
つまりそういう頃に起こりやすい事柄なんですよね、この既定欠損というのは。
で、その既定的に欠損されている部分があるもんだから、当然それが大概は思い違いなんですけど、コンプレックスになりますよね。
私も一時耳が横に立っているのは嫌でしたからね。これは多分親のせいではないと思うんですけどね。
で、結局これって、話がすごくようやく乗ってきたんで、そうするとそもそもなんでこの話をしているのか忘れるわけですが、
親が良くしてくれたから、その人は余裕を持っていられるというのは本当なんですが、
なぜならばナルシズムが少なくて済みますから。
これオッドはオッドじゃない、今回のジェンダーの話で言えば男だから建設的だの、冷静にだの、余裕ぶっかましてられるんだというのも同じですよね。
つまり男はことジェンダーに関しては女ほど嫌な目にあってきてないと。
だからナルシズムの部分が少ないんですよ。精神分析的に言うならば。
自分で自分を愛するなんてことをしなくても、男だと言うだけで世界から愛されていると。だから余裕をかましてられると。
で、これじゃダメじゃないですか。 これじゃダメなんですよ。
これってつまりあれですよ。何者かであれば余裕でいられるという。
だから何者かにならなければならない理論になっちゃって、つまり価値の上下がそこに強烈に発生しているわけですよね。
白ばっかりの時のオセロのプレイヤーは余裕でいられるというのと全く同じことなので、
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転落すればダメになっちゃうと。
で、このことをカウンセラーやっている人とか精神分析家は突きつけられるわけじゃないですか。
私は女で、しかも
5人兄弟の5番目でひたすら親に酷い目に合わされたり、ニグレクトされてきたからこうなんだと。
あんたはもっといい生活をしてきて、いい親に恵まれて、
すくすく育ってきたから精神分析家やってられるんでしょっていうことになってしまうわけじゃないですか。
という話を出た時のために精神分析家は先に精神分析を受けておいて、自分にどういうナルシズムとどういう欠損があったかを
いちいち掘り起こしていくわけですね。そうすることでですね、
いつでも平静でいられると。たとえ
ある状況に置かれて恵まれないということが起こったとしても、それとは関係なく自分の価値を信じていられるっていうことを先に訓練によってですね、
確信しておくと。そういうことなんだと思うんですね。
今まさにじゃないですか。今まさにそのように突きつけられるわけですよ。
あんた男だから余裕でいられると言われているこの事態が余裕がない事態を生み出そうとしているわけじゃないですか。
攻撃されているわけですよね。私が妹に時々言われていたことですよ。
あんたは親に良くしてもらったから
そうやって結婚して家建てたりしていられるんだと言われると、そこに危機が生まれるわけですよね。一つの心理的な。
で、それが見縁だからまた厳しいわけですよ。厳しく感じるんですね。これが意味付けなんですけれども。
その時に自分が自分のこう、一番こうなんていうのかな、一番ではないんだけれども、きついなという部分を思い出してしまうわけです。
で、ここで議論に乗ってはダメなんですよ。ここで、いやいや私だってまあそういう議論に乗っちゃってましたけどね、昔からね。
いやいや自分だって母にはずいぶんこうされて、ああされてっていう、なんか不幸自慢大会みたいになっていくんですよ。
で、なぜこうなるのかというと、余裕がなくなるからですよね。
男だから余裕があると言われると、男は余裕を失いますよね。それを真に受ければね。
男だから余裕があるわけではいけないわけですよね。親に良くしてもらったから余裕があるわけではダメなわけですよね。
ここで難しい問題になるじゃないですか。そうするとあんたは生まれつき優秀で強いのかって話になってくるわけですよね。
これもダメなんですよ。優秀だから余裕があるようではダメなんですよ。
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で、強いから余裕があるのもダメなんですよ。心が弾力線に飛んでるから余裕があるっていうのもダメなんですよ。
それらはすべて価値の上下ですし、価値の上下であるということは一番途中で強調したいバリントの言い分と真っ向から反してるじゃないですか。
彼が言ったのは条件によらず評価ましいことを言わず愛されたいというふうに願ってきているというふうな話だったじゃないですか。
つまりこれってどういうことかというと価値マックスということじゃないですか。他の表現の仕様がないと思うんですよ。
ただしこれは2社以上の関係において価値マックスですよね。1社だけであればそもそもそんなことは問題にならないですよね。
自分の面倒を見てくれる人はいないんですから。でもいると。
しかも耳が横に立ってようと目が細かろうと万全の準備をしてくれると。
それは自分に価値があるからですよね。これは男だからではないし、優秀だからではないし、心が弾力性に富んでるからではないし、
あらゆる理由に寄らないわけですよ。寄ったらダメなんですね。寄るということは欠損される可能性があるということで、
その可能性に恐怖を覚えるから既定欠損という状態が発生してナルシズムに走るしかなくなるわけです。
しょうがない耳がでかい分は親の好みに合ってなかったから俺が俺を愛してあげようになっちゃうわけですよ。
こうなってしまうと
何かを身につけなければならなくなるわけです。 優秀であったり顔を良くしたり耳寝せてみたり、
二重にしてみたり、私一重ですね。二重にしてみたり、
様々なことをしなければならなくなるわけですよ。それってつまりそうじゃなければ愛されないという意味ですよね。
そうでなければ価値がその分下がるという意味ですよね。 男でなければ、女性なんですけど、その分価値が下がるということを
案に認めることになるじゃないですか。 ここに陥らないためには価値マックスだと言わざるを得ないんですよね。
これをなんていうのかな、しかもこの価値マックスは二者以上の関係において価値マックスなんですよ。
だからこれを甘えと呼んだんだけど、 日本敗戦で多分甘えが崩壊したので、崩壊したというか徐々に
崩れていってしまったので、まあやっぱり崩壊か。 だから私はグッドバイブスの方面に
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力点を移しているわけですね。とはいえ私はずっとつまり甘えで生きてきたんだけれども、その認識はなかったんですよね。
他の多くの日本の人と同じように自分が甘えで生きてきたということは知らなかったんですよ。
今私たちは甘えが崩壊しかけているので、急いで別のものを探しているわけですね。
見つからずに困っている人が多分HSPであったり、 発達障害であったり、処人欲求であったり、
そうですね、変質パラノイダであったりしてるんだと思うんですね。
それぞれみんな戦略なんだけれども、まあなかなか難しいわけですよ。
それなしでやる。それなしでやるということはつまり自分には価値がないという話になっていてしまって、
途中の話で言うと欠損があるということなんで、 欠損があったら辛いわけですよ。
しかも欠損があり得るということはですね、 価値ゼロのに近い人もいるということも案に言うことになるわけですよね。
自分がそれだったらえらい大変ですよね。 多分自分がそれなんじゃないかという恐怖心がHSPという現象を生み出すし、
逆にですね、自分はここはいいしあそこはいいが、あっちはダメでこっちはダメで、
下もいっぱいいるみたいなのが多分ADD的なものを生じさせるんだと思います。
結局それは能力主義になるしかないと思うんですね。今の時代であれば。
例えば耳とかだって寝せたければお金いっぱいかければできます。 ということはお金がいりますよね。
だから欠損を埋めるためには金がいるっていうことになるんですよ。 金があればいくら欠損してても心配はないわけですよ、いざとなればね。
例えば、その欠損についてうるさくつく人がいるならば、
職場に転職すればいい。優秀ならば。 あるいは、
男だから余裕ぶちかましていられるんだと言われて腹が立つならば、男だけの会社を作ればいいわけです。
優秀ならば。こういうふうに能力というのは必ず承認欲求と結びついてくるはずなんですよ。
で、承認と甘えは全然違います。 甘えというのはさっきも言った通り、価値があるとかないとかいうこととは関係なく価値を認めてくれるという話なので、
だから能力の有無、スキルの有無、顔の良し悪しとかそういうものが一切関係なく
価値マックスのものとして認めてくれるという話なので、承認じゃないんですよね。 承認というものははるかに超えたものだと思うんです。
承認欲求というのは何か訳があってその人を承認するわけですよね。 ということはその人のことを本質的に好きなわけじゃないんですね。
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少なくとも愛してるわけじゃない。 愛と承認って程遠い感じがするわけです。私なんかには。
だからこれまでは承認してやっていたが、何か絶果事件を起こしたらもう承認は取り消す。
愛はそうはいかないんですよ。ひょうがました一切なしにですから。 そういう問題発言をするとかしないとか関係なく価値マックスなんですよ。
多分それを 昔は私たちはですね、それを多分
昔の日本人は忍者と呼んだんですよ。 でこの忍者を支配の世界でやっていこうとして、大掛かりな戦争で失敗したので
こういう路線はダメだということになり、進歩的な世界では義人忍者みたいなものは脱却してですね
能力というもので 絶果事件を起こしたりはしないと。そういうところから承認されるかされないかで
価値というものを決定するようになったんだと思うんですよね。 判定するようになったんだな。判定するから承認するんですもんね。
だから何者かにならなきゃいけないわけですよ。 安心して生きていくためには。最近こう安心
社会とか、えーと違うな。 心理的安全性か、あれ私ちょっとチェックしかけております。
つまりあれは西洋でも甘えというものをかなり切実に必要とするようになったものなのか
それとも新しい承認欲求を満たすこう仕組みのようなものなのか、その2つは結構違うと思うので
思うんですよね。 あの
多分ですけれども
均質性で甘えを成立させるということは今現在無理じゃないですか。 きっと無理だと思うんですよ。昔の日本の復活みたいなの。
ただのイリュージョンでしかないと思うんですね。
ただこの 本当に
この甘え脱却みたいなのが進歩的かというとこの点は私は
かなり グレーだと思うし判別つきにくいんですけど今の感じで言うと
ドイタケオさんははっきりですね、対抗と呼んでいる。要するに後退していると言うんですよね。
進歩的だと信じているかもしれないけど、こうやって能力主義と、彼はもう亡くなってますけどね
能力主義と個人主義と承認欲求で生きるというのは人類的には後退だというふうに最終的には書いてるんだけど
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私はまだそこのところはわからないんですけど、なんといってもやっぱり西洋的というのが進歩的という
ふうに押し込まれてきた世代ですので
感覚的にわかりにくいんですよ、そこが。 義理人情ってすごいダメな感じしかしないじゃないですか。
ただあの装置には間違いなく甘え支配の社会ってのが
あって、イメージされていて。
今回も明らかにゼッカ事件などというのは甘えが引き起こすものなんですが、しかもそこの背景には甘えがないという、甘えが成立できてないというね。
できてないから炎上しちゃうんで、甘えというのは結局親子関係において、しかも健全な親子関係というものを理想としているんですよ。
バリンとの言った通りで、お互いが絶対的な行為で裏切ることは決してないという前提で、それにふさわしく振る舞おうねと。
だからふさわしくない振る舞いをしてしまうと、どっちにしてもあまり良いことではないんですけど、ふさわしくなくたって、それによって壊れたりはしちゃダメなんですよね。
一番これと逆の方向に向かうのが、やっぱり対人関係の中で落ち着かなくて敏感だっていう方じゃないですか。
最近それをHSPと呼んでるんですけど、そういう人は昔からいたわけです。
落ち着かなくて敏感なんですよ。例えばそうですね、どっか一緒に食べに行くじゃないですか。
で、私が何でもいいんですけど、なんかラーメンとか頼んだとするじゃないですか。ここで悩み出す方っていらっしゃるでしょう。
佐々木はラーメンを頼んだ。大体こういう人は佐々木さんはって言うんですよね。
ラーメン頼まれたから私もラーメンにしないとダメかと思いましてとかっていう話になるわけですよ。
これが甘えが欠損してしまっている時の心理状態なんですね。
引きずられてしまうというのかな。よく自分がないとか言うんですけど、自分がない割にはものすごく自分のことを意識しているという、
ある意味こう非常に製品分析点を打ってつけていますが、難しい心理状態にあるんですよね。
私は最初はサンドイッチにしようかと思ったけどやっぱりラーメンにしますとかになってしまうわけです。
私が、佐々木がですね、気を悪くする。それによって自分がもしかすると感じていたかもしれない行為を失うんじゃないかという恐怖感があるわけですね。
さっき言った通りで親子関係によってそういうことはあり得ないんですよ。
あり得ないというのはつまり親が子供を嫌うことがないって話じゃないですよ。
親子関係において、本当に嫌だからと言って子供を放り出したら子供は即死なので、親子関係は壊れないというのかな、なくならないということなんですね。
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日本人はそれに全ての人間関係を準じさせようとしたんですね。親子関係に準ずる関係と。
友達でも、親しくなれば親友になるわけですよね。親友と。
これをやろうとして頑張ってるんだけど、まあ難しいわけです。
なぜなら、そんなものはダメなものだということになったので、何か訳もなく承認しちゃいけない、訳あって承認するということになったので、
それによって敏感な人はすごく敏感になるしかないわけですよね。
私は好かれる理由がないとか、そういう話にだんだんなっていくわけです。
だから、これも引きずられる人に時々、これは僕自身はあんまり経験ないですけど、でもどっかで経験してるのかもしれませんけどね、
私の知ってる人で、自分と帰り道が全然違う方向なのに、
そっちについて行っちゃうという人がいらっしゃったんですよ。
でもそんなところとして、反対側まで行っちゃったら、帰り庭になるんじゃないですかって言ったら、夜中になっちゃうんですみたいな、そういう話をするんですね。
つまり、例えばですけれども、私の家は大宮なんだけど、私が仲良くしたい人は品川の方に行ってるんで、
一旦品川まで、恋人とかじゃないですよ。一旦品川まで行ってから、改めて大宮方面に向かうんですみたいな、そういう人がいらっしゃる。
これは私は大変HSP的だと今風に言えば思うんですけど、
土井さんなら間違いなくこれは甘えが欠損しているという言い方をすると思うんですよ。
つまり、相手の好意がどういう理由で損なわれるかわかったもんじゃない。
これをやったからといって、相手が好意的であってくれるという理由には全くならない気がするけれども、普通の感覚では。
多分、私たちはそれだけ人に甘えているんですね。
パッと池袋で別れたって相手は自分を嫌いにならないだろうっていうのは甘えなんですよ。
言語化はしませんよ、このレベルの甘えは。 普通に甘えているわけです。
これに対して、いやその程度のことで嫌われるならば別れた方がマシだっていう甘えもあるんですよ。
私はこっち側がADD的だと思ってるんです。
だから品川まで行っちゃいましょうっていうのがHSP的かなと思ってるんですよ。
相互の好意というものは、人間関係ではもうどこかでベースになるしかないんですよね。
だからどこかで甘えるしかないんだけど、一切それが信用できないという時には、人は多分、神経症にはまず間違いなくなる気がします。
それが、要するに甘えというものがもう成り立ってないワールドであって、
こういう風になってしまうとどこにいたって落ち着かないし、何をしても不十分な感じがすると思うんです。
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着ていく服がおかしいかもしれないし、持ち物に忘れ物があるかもしれないし、
ADD的になってきてると思うんですよね。
今やっている仕事のやり方は正しくないかもしれないし、
今やっている仕事がそもそも今やっていてはいけないものかもしれないし、となるわけですよね。
相手に嫌われない、嫌われるかもしれない、こういう事例、こういう文章では嫌われるかもしれない。
いちいちいちいち条件が入ってくるわけです。
こういう条件を満たせば好かれる、こういう条件を満たせば好かれる。
やることによってようやく甘えとは違う相互の行為みたいなものが成立する。
これが多分承認ということなんだろうと思うんですね。
多分これが自己肯定感と呼び直されているものだろうと思うんです。
自分がないとかって言うじゃないですか。
でも品川まで行って改めて大宮に向かうというのは、自分がないともとても思えなくもあるけど、
日本的にこれを自分がないと言うんですよね。
それは甘えに振り回されているということでもありますよね。
こういうことがあるので、起こっちゃうので、
ナルシシズムというものを少しでも、
やっぱり治療なんだけど、精神分析で言えばですね、
ナルシシズムというものを脱却していくのかな、そういう感じなんですよね。
ナルシシズムでは人は生きられないということですね。
そういうようなことをやっていたら、どこまでも人のために頑張らなければいけないじゃないですか。
逆説的というか、逆に思われるかもしれませんが、
ナルシシズムなわけですよ、言ってみれば。このHSPというのも。
だから嫌われたくないから、人のためなら何でもするということになるんですよ。
多分一般に考えられているナルシシズムというのとはすごく違う感じがすると思いますけれども、
欠損を埋めるという意味では、これがナルシシズムなんだと思うんですよ。
ジョテ・エカテリーナなんですよ。私が私を愛してあげるしかないですからね。
人が自分を決して愛してくれないのならば。
そういうことのためにですね、条件。
条件を自分にいちいちつけないと。
この条件を自分にいちいちつけないということは、今私耳とか目とかいろいろ
しゃべりましたけど、やっぱり精神分析の手法なんですよね。思い出してみるしかないような気がするんです。
昨日のジェンダーの話を読んでいても思いました。思い出してみるしかない。
本当はみんなやったらいいんじゃないかなと思わなくもないんですよ。
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思い出してみるしかないんですよ。自分の何に不満なのかということですよね。
だってそれが欠損している部分じゃないですか。欠損していると思い込んでいる部分ですよね。
そこが自己愛なわけじゃないですか。
自己愛という言葉じゃわけわかんないからナルシシズムなんですよ。そこがナルシシズムですよね。
他の人はこの耳を気に入らない。私が私をこれを愛するしかない。でもできないみたいなそういう問題ですよ。
私は今はその辺のことはないんですよ。さすがに。やっぱりこの肉体の問題で真剣に悩むのは多分恋愛が絡むからなんでしょう。
今はそれはないんですよ。でも昔からの出来事なんていっぱいあるじゃないですか。
自分についての不満というやつですね。ここがこうなっていれば、そこがなっていればっていうのは全てナルシシズムなんだけど、
この皮をですね、これはドイタ共産なのか精神分析家の言葉なんですね。
5枚引っペガスみたいな言い方があるんですよね。精神分析を受けるってことなんだけど、この皮を5枚、ナルシシズムの皮を5枚ぐらいグッと引っペガスと
なんかいけるようになるみたいなそういう話がある。私はそれを多分グッドバイブスでやってるんだろうなというふうに
今は思っているんです。
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