デュルケムと自殺論の紹介
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は、デュルケムの自殺論について、その中でも特にアノミーという概念について紹介します。
アノミーは社会学の概念で、社会の複雑性を理解するのにめっちゃ役に立つと思うおすすめの概念です。
まずは、アノミーという概念を提出したエミール・デュルケムについて、軽く説明します。
デュルケムは、1858年に生まれて、1917年まで生きていたフランスの社会学者です。
タイトルの自殺論っていう本が有名で、1897年に出版された本です。
すごい昔の本だけど、いわゆる古典的名著というやつです。
まずは簡単に、自殺論の内容についてさっと説明します。
ただ、この本は古典的名著だけあって、実は僕たち現代人は、もうこの本の中身を結構知ってるんですよ。
例えば、未婚者は寄婚者よりも自殺に晒されやすい。
農村部より都市部の方が自殺が多い。
要は、孤独で社会的な繋がりが弱いと自殺が発生しやすいとかですね。
この辺のところは、義務教育なんかでも口をすっぱくして言われることだし、
厚生労働省とかが作ってる啓発ポスターなんかにも書いてあることです。
一方で、アノミーという概念は、まだあんまり有名じゃないという感覚があります。
なので最初に自殺論の中身について簡単にさらっと紹介して、
次にアノミーに焦点を当てて説明するという構成にしたいと思います。
この本は、自殺論というタイトルの通り、自殺について真面目に研究しているわけですが、
デルケムは自殺には一種類だけの自殺があるのではなく、統計データを見ると四種類に分類分けできると言っています。
自殺という悲しい結末に至ってしまうには、相応の原因というものがあって、
その原因を大きくパターンに分けると、四種類に分けられるということです。
とりあえず全部言うと、一つ目が自己本位的自殺、
二つ目が集団本位的自殺、
三つ目がアノミー的自殺、
四つ目が宿命的自殺と言います。
なぜ四類型に分かれているかというと、デルケムは統計を使っているから、
x 軸と y 軸がある四省元のグラフを使って分析したからです。
で、x 軸と y 軸は、
片方は個人と社会との結びつき、繋がりの強弱、要は共同体と結びついているかです。
もう片方は社会や共同体がもたらす枠組みによる規制の強弱です。
これで2×2で四省元だけど、ちょっとまだわかりづらいかと思うので、
順を追って説明します。
一つ目の自己本位的自殺は、個人と共同体との結びつきが弱いと起こりやすくなる自殺のことです。
昔はご近所付き合いとか、村の隣組だとか、そういう共同体がありましたよね。
他にも宗教的な共同体もありました。
アノミー的自殺の理解
ヨーロッパだとキリスト教だし、日本だとお寺とか神社でした。
でも近代以降そういうのってなくなってきたじゃないですか。
そうすると人っていうのは、繋がりが希薄になると孤独になるし、
もはや自分のせいにその存在理由を認めることができないという状態にもなり得ます。
これが一つ目のタイプです。
次に二つ目のタイプ、集団本位的自殺。
集団本位的自殺は、逆に共同体が強すぎる場合に起こります。
これは日本人ならピンとくると思うんだけど、
武士が自らの忠義のために切腹するとか、そういう類の集団のための自決がこれに当たります。
次に三つ目、アノミー的自殺。
アノミー的自殺は一つ目、二つ目とは異なる、特殊なタイプの自殺だとドゥルケムは言っています。
一つ目の自己本位的自殺と、二つ目の集団本位的自殺は、X軸に基づくものです。
一方で三つ目のアノミー的自殺はY軸に基づくもので、軸が違うんですね。
Y軸は社会におけるルールの強弱です。
社会のルールがすごく弱くなった時、端的な例で言うと、ソビエト連邦が崩壊した時とか、革命が起こった時とか、世界恐慌が起こった時とか、既存の社会のルールが無効化された時に発生します。
アノミーとは日本語で言うと、無規範状態、規範が通用しなくなるという意味です。
これまで信じていたものが衰弱するということだから、革命ほど極端じゃなくても、金融危機とか経済危機とか、今まで通用していたゲームルールが通用しなくなる時にアノミー的自殺は起こります。
ここは後で詳しく言いますね。
最後に四つ目、宿命的自殺。
こちらも軸で言うと、さっきのY軸に基づくもので、社会的な規範が強すぎることでもたらされる自殺という意味です。
例えば、身分違いの濃い上に、結婚することができずに心中するとかです。
悲劇ではあるけど、直感的には理解しやすいですよね。
一方で、理解しづらいのがアノミー的自殺だと思います。
社会的な規範が弱い、つまり自由すぎても人は自殺してしまうということです。
今回は一旦ここで切って、次回、アノミー的自殺を詳しく掘り下げます。
では次回に続きます。