1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #103 パーマカルチャーの思想
2025-01-05 09:34

#103 パーマカルチャーの思想

サマリー

このエピソードでは、パーマカルチャーの思想の定義や背景、関連性が紹介されています。特に、持続可能な農業やエコロジー、全体論的な視点が重要なテーマとなり、パーマカルチャーが支持を集める理由についても考察されています。

パーマカルチャーの定義と背景
ストーリーとしての思想哲学 思想染色がお送りします。
今回からパーマカルチャーという思想を紹介します。 パーマカルチャーは農業に関する思想で、持続可能性とか人道主義とかと距離が近い思想です。
エコロジーやオーガニック、有機農業とも少し似ています。 僕は思想の話をするときはニュートラルにしたいと思っています。
結論から言うとですね、自分としてはパーマカルチャーは非常に高前な精神を備えてはいるけれど、今現在の人類には達成できないだろうと考えています。
実際、パーマカルチャーは理念的すぎる、頭でっかちな思想だという批判もあります。 ただ一方で、オーガニックもそうだけど、パーマカルチャーのような思想って結構な数の人が賛同しているわけですよ。
なかなか達成は難しそうだなーって思ったとしても、批判ばっかりになってしまうと、なぜ結構な数の人がパーマカルチャーに賛同しているのかが見えなくなってしまうから、
なぜ支持を集めているのか、また思想的にはどの辺に位置するものなのかっていうのを明らかにしたいという態度で臨むことで公平性を担保したいと思います。
なので聞いてくれている方も、例によって言い悪いの価値判断を停止して、構造を把握するつもりで聞いてくれると学びがあるんじゃないかと思います。
では最初にまず、パーマカルチャーとは何か解説します。
特定比営利活動法人パーマカルチャーセンタージャパンによると、パーマカルチャーとは永続性パーマネントと農業・アグリカルチャー・文化・カルチャーを組み合わせた造語で、
永続可能な農業を基に、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法だとのことです。
で、最初にパーマカルチャーという概念を提唱したのは、オーストラリアのビル・モリソンという人とデイビッド・ホルム・グレンという人で、
彼らは共著で1978年にパーマカルチャー1という本を出しています。
エコロジー主義に関係するということで引き合いに出すけど、レイチェル・カーソンの《沈黙の春》が1962年に出てますから、その16年後と考えると結構最近ですね。
あと、デイビッド・ホルム・グレンは両親が共産党員だったそうで、そういう老いたちも若干この思想に関係していそうです。
本によると、パーマカルチャーとは生態系、エコシステムをデザインすることだそうで、
現代の農業に加えて土壌を持続可能な状態に保ったり、野生動物が住み家を追われないようにしたり、農業という概念を拡張して、射程を広くすることだと読み取れます。
頭痛がする時に頭痛薬を飲むんじゃなくて、頭痛薬を薬を飲むという対象療法をするのではなく、
そもそもの自分の食生活や運動習慣を改善することで根本的に感知させることを目指すみたいな、こういう態度で環境問題にあたるということですね。
なんだかふわっとしているように聞こえると思うんだけど、実際パーマカルチャーという概念を明確に定義することは難しいです。
というのも、本の中でも強調されているんだけど、これは全体論なんですよ。
全体論というのは、すごくたくさんの領域を合体させるということで、
持続可能な農業、エネルギー効率の良い建築、再生可能エネルギー、共同組合の在り方、倫理学、地域通貨、
はては代替医療やヨガ、アートや音楽までひっくるめて合体させて、美しい人生哲学としてパッケージした全体的で包括的な理論ということです。
正直、宗教観とかが入っているから、若干スピリチュアルな感じがするし、うさんくさいような感じもすると思います。
実際その感覚は科学的観点から見たら正しいと思います。
ただここで考えるべきは、なんかうさんくさいから嫌だなということではなく、スピリチュアルな感じが若干するにもかかわらず、
なぜこれほどまでに世界中にコアなファンを獲得できてきたのかということです。
これを過去の歴史や哲学を用いながら、メタ的に分析してみることに価値があると思います。
まずそもそも、いろいろな広い領域をひっくるめるという全体論的な手法は、現代の科学とは根本的に考え方が異なります。
レビストロースの回で話したように、科学というのは客観的観察に基づくと同時に因果関係の適用範囲を制限しています。
例えば、農業で得られた知見を人間関係に生かすとかは科学ではありませんよね。
逆に、大学で勉強した美学の知識を農業に適用するっていうのも、これも科学ではありません。
科学的であるということは、農業で得られた知見は農業の中で反映させるみたいな、因果関係の適用範囲をその中だけに制限して、外には持ち出さないということです。
一方で、同じくレビストロースの回でやったように、人間はそもそも100%科学的思考をしているわけではありません。
それどころか、そもそも人間の思考能力というのは、野生の思考と呼ばれる思考方法が大きなベースとしてあって、
その上に科学的思考がちょこんと乗っているという構図になっています。
パーマカルチャーの支持と批判
したがって、むしろ全体論的な思考方法の方が、そもそもの人間の思考回路にマッチするんです。
それに、科学的思考には科学的思考の良さがあるように、野生の思考にも野生の思考の良さがあります。
野生の思考は人間に人生哲学を与えてくれます。
僕もそうだけど、基本的に現代人は科学的思考の肩を持つ傾向があると思うんで、
新たな視点を提供するという意味であえてこういう言い方をするけど、科学的思考は人生哲学は提供しないよね。
レビストロースも言ってたけど、野生の思考よりも科学的思考の方が優れていて、優越しているわけではありません。
人間が尊厳を持って暮らすには人生哲学が必要だし、人生哲学を提供してくれるのは野生の思考です。
はい、それでもなお、科学的思考と距離がある全体論的な思想が受け付けられないという人もいるかと思います。
しかしパーマカルチャーがそれなりの数の人に支持されているというのも事実です。
このギャップをどう捉えればいいかというと、これはインマイオピニオンですが、アートだと捉えればいいんです。
パーマカルチャーで画像検索してもらえればわかるけど、写真で見るとすごく美しい田園風景の中に小規模な農園をこしらえて、
比較的若い人が楽しそうに暮らしている感じの写真が出てきます。
たくさんある写真にはまあまあの頻度で子供もよく出てきます。
なんというか、都市部で労働に勤しむみたいなライフスタイルを反転させた感じ、
俗世間の嫌なことから離れて、ユートピアのような自然の中で平和に暮らすという夢です。
これはこういうアートなのだと考えれば理解できるのではないでしょうか。
アートには様々な形式があるけど、ライフスタイルアートとでも言いましょうか。
何が言いたいかというと、パーマカルチャーの思想に賛同してもいいし、反論してもいいんです。
でも反論するならば、科学的ではないという反論にはあまり意味がなくて、
野生の思考的な全体論であると認識した上で反論した方がいいでしょうね。
あるいは、アートの文脈から批判するというのも聞きそうです。
ちょっと長くなってきたので、ここら辺で一旦切ります。
ということで、次回に続きます。
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