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2022-03-30 13:48

今日の10分de1テーマ「『人新世の資本論』を読んだけど…」について⑤

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

[beats by P.J INLAND]

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エイドリアン太郎の続きです。
進化論的に考えると、常に人間を含めた生物は、その場の最適というのを選んで出していく。
その結果として、人間は資本主義という状態に突入しているわけですよね。
その結果、とんでもないことがいっぱい起こっていて、特に環境破壊という一番とんでもないことが起こっているのですが、
それは人間の生物としての能力の限界という制約があるという話をしていました。
この著者がマルクス経済を語っているので、優位物主観という考え方からすると、物の面から人の精神というのは規定されているという考え方なわけです。
この著者は、「こういう価値観で考えるべきだ。こういう価値観になるべきだ。人の精神はこうあるべきだ。」というふうに語り方をしている。
でも実際に人の精神というのがその形になっていないということは、物の面から考えてまだその形に到達していないということだと思うんですよね。
多少違和感が出てきているから、この本がベストセラーになるぐらいの土台はあるけれど、
著者がこうあるべきだということを、よっしゃ実践しよう、確かにそうや。というふうになるような状態に、物の面ではなっていないということだと思うんですよね。
逆に言うと、物がなっていないように見えるという人間の認識の能力の限界に差し掛かっているというか、
もっと人間の認識能力ではすごく大きかったら、
根拠変化はマジやべえじゃん。このままじゃすぐやめた。よし明日からすぐ。もう自給自足だみたいな感じになるわけですけど、
そういうものは持っていないので、物の面を見ていてもまあまあこんなもんでしょう。
この本でも読んどこうかなぐらいなのが今の関の山でしょう。というふうに思います。
仮になんですけど、この作者が言うような価値観の変換ですよね。
というのが、起こるには物の面でどれくらいの変化が起こっていないといけないんだろうというのを想像したら、
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例えば食料機器で人口が半分になったとするじゃないですか。
そしたらブルシッドジョブはすべて消えると思うんですよね。
エッセンシャルワーク、つまりご飯作ったりとか、人のケアをしたりする人の給料がめちゃくちゃ上がると思うんですよ。
価値じゃなくて、使用価値もめちゃくちゃ上がる。
ご飯とか生活必需品なわけですから。
もっと言うと、誰もメタバースの土地とかを数千万で買ったりしないですよね。
みたいな感じで、これくらい壊滅的な状況が物の面で揃っていたら、
それは作者の望む通りのような精神状態、精神に。
作者が言わずとも勝手になると思うんですよね。
逆に言うと、物の面が変わってないのに壊るべきだと言ってもどうしようもないなと思うわけですよね。
作者が頑張ってこんなことを色々調べて、壊るべきだと言っているのを
逆に言うと、壊るべきだと言われてもどうしようもないよと却下するんだったら、
じゃあどうすればいいんだという話なんですけど。
僕もそんなに専門家とかじゃないので、やれることはめちゃくちゃ少ないなと思うんですよね。
あと、これも悲観的に聞こえるかもしれないですけど、
現実的に危機の回避、危機ってなんだと言ったら、不可逆的に急激な気候変化が起こることですよね。
その結果人類が甚大なダメージを受けるということなんですけど、
そういう危機の回避というのは難しいだろうと思っているんですよね。
本当にラッキーなシナリオとして、
例えば全世界が急に高度な教育が求められて、
養育費が全世界的に上がって、
その結果想像以上の速度で超少子化に全世界的に突入したみたいな、
超ウルトララッキーみたいなシナリオでもない限り、
ちょっと難しいんじゃないかなと思うんですよ。
何がやれるのかということを考えたんですけど、
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僕は本当にこれぐらいだなと思ったんですけど、
そういう資本主義に対して正しく疲れるとか、
しらけるとかして踏ん張らないことかなと思ったんです。
本当にこれぐらいかなと思ったんですけど、
資本主義っていうのは新しい差異を発見し続けるという宿命を背負っているわけですよね。
この差異を見つけろという資本主義というのは生存ルールなので、
その生存ルールがとにかく差異を見つけろと、
差異を見つけて利益を埋めという指令を出してきて、
その生存ルールの中で生きている僕らとしてめちゃくちゃプレッシャーを与えられて生きていると。
生存ルールだからしょうがないんですけど、
マルクスの時代は労働者が搾取されているとか言われていたけど、
今は搾取されている、ある種の搾取なのかもしれないですけど、
差異を見つけるマシンにされているという感じがするわけですよね。
僕らは差異を見つけるために高度な教育を受けて、
さらにその後社会に出たら、
結局差異を見つけられる人というのは結構一握りで、
その一握りの人もずっと見つけ続けなきゃいけなくて、
逆に差異を見つけろよ、見つけろよと言われて、
社会に放り込まれたけど見つけられない人というのは、
もう差異を見つけられないんだったら黙って働けよという感じで、
そういうところに追いやられるみたいな感じですね。
なかなかそういう状況だと思うんですよね。
そういう状況に対して、ちゃんと疲れると、
ほとんど疲れるわと、
しらけると、アホらしい、やってられんわみたいなと、
思ってですね。
思ってて別に思わなきゃいけないとかじゃなくて、
冷静になったらそう思うと思うんですよね。
なんだよこれ、ほんと疲れて、ほんとしらけるわみたいな、
っていう気持ちになれると思うんですけど、
そのことをちゃんと口に出して言うと、
ちゃんと自分の気持ちを見つめて、
ほんとの自分の幸せを考えるってことぐらいしか、
マジでやることねえなと思うんですよね。
しかも臭いですけど、
でもほんとにそれぐらいしかやることないと。
あまりに生存ルールなので、
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生存ルールどうかと思う、こうあるべきだっていうのが、
そういう反応がやっぱり弱いんですよね。
そうじゃなくて、なんていうんですかね、
生存ルールみたいなものをしくずしにするような態度っていうのを、
別に取るべきだとかではなく、
なかなか結構つらいっちゃつらい、きついっちゃきついから、
冷静にですね、自分の気持ちをちゃんと見つめてたらですね、
やだな、疲れたな、みたいな気持ちがあるはずなんで、
それをですね、ちゃんと表明してですね、
自分のやりたいことをやって、自分の幸せを考えてですね、
で、みんなが少しずつそうなっていけば、
少しずつその生存ルールっていうのが変わっていくはずだと思う。
ぼんやりとですけど、みたいなぐらいな、
とは思うんですよね。
逆に言うとそれぐらいしか思いつかないっていうか。
今の日本はですね、
差異を見つけるゲームっていうのは世界的には負けてきてるわけですよね。
実際100円ショップ行ったらですね、
結構なものが日本製に切り替わりつつあると。
以前は中国とかにどんどん製造業を押し付けてたわけですよね。
なんですけど、製造業はですね、
郊外と一緒にですね、また日本に戻ってきてると。
一旦60年代とかにですね、
製造業で頑張って郊外行ったり流したけど、
ちょっと産業が高度化してですね、
それがなんか目に見えない外国に行ったかと思ったらですね、
また戻ってきましたみたいな感じなんですけど。
そういう予感の中でですね、
よっしゃ、また大和魂見せたるぞとかね、
なんかそういうようなですね、
なんか感じじゃなくてですね、
ああもう疲れたなと、
ああもうええやろと、
ああもうなんかアホらしいわと、
いうような精神が持てるくらいには、
まあ日本はですね、
良くも悪くも物の面の条件が揃ってきてるんじゃないかなという気もしてるんですよね。
でですね、
だから精神を変えうるんじゃないかなという風に思うんですけど、
でですね、僕はもう本当に日本の人口ってどんどん減っていくと思ってて、
まあ本当にですね、
化学費用とか化石燃料とか見つかるまで、
大体日本ってずっと、
多分確かそうだったと思うんですけど、
最大人口3000万人くらいだったわけですよね、国土的に。
で多分これが日本の器なんですよね。
でですね、
まあ思っていると僕はね、将来的にですね、
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不可逆的な気候変化くらいのことが起こってですね、
人類が甚大なダメージを受けるってことを避けられないんじゃないかと思っている派なので、
器以上の人口を抱えてるっていうのは将来的にリスクになるんじゃないかなと思ってるんですよね。
で、急激な変化っていうのにやっぱ耐えられるぐらいにですね、
スケールダウンしといたほうがいいと、
その器に合った状態にしといたほうがいいと。
器に合わない状態でね、
例えば今の日本の1億2000万人状態で、
エネルギーの輸入が完全にシャットアウトしてですね、
ストップしてですね、
さらに食物の輸入も全部ストップしたらですね、
もう本当に目も当てられない、地獄とかしますよね。
それじゃなくて、
ちょうどこれぐらいのスケールだったら、
日本だけでも暮らしていけるわ、ぐらいな感じですね。
なっても、別に僕は構わない。
その結果、経済がめちゃくちゃ衰退しても別にしょうがないと思います。
どうでしょうね。
あんまり共感してくれる人はいない気もしますけど。
というわけで、すごく長くなりましたけど、
人身性の資本論化の感想となります。
以上です。ありがとうございました。
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