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2024-10-04 14:14

783.塩中一成さん(大阪市市会議員)

【法律を変え、社会を支える!挑戦し続けるリーダー】

今回のエピソードでは、大阪市の市議会議員であり、全国100店舗を展開し、マザーズ上場を果たした鍼灸接骨院経営者でもある塩中一成さんをゲストに迎えました。経営者として成功を収めながらも、法律の課題に直面し、鍼灸接骨院業界の未来を変えるべく政治の世界に飛び込んだ彼の壮絶な挑戦の軌跡をお聞きします。

市議会議員として2期目を迎えた塩中さんは、法律を変える難しさを実感しながらも、市民や行政との信頼関係を大切にし、誰もが笑顔で暮らせる社会を目指して活動を続けています。また、経営者の経験を活かし、従業員が豊かになり、市民にその豊かさが広がる社会づくりに情熱を注いでいます。

「ノーマライゼーションの父」として、誰もが心配なく生きられる世界を夢見て活動する塩中さんの情熱に、ぜひ触れてみてください。障害者支援に真剣に取り組む志に共感すること間違いなしです。エピソードの詳細と、さらなる挑戦について知りたい方は、ぜひお聴きください!

【今回のゲスト】
大阪市市会議員 塩中一成(しおなか・かずしげ)さん
https://goen-omusubi.com/charlie

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経営者の志
こんにちは、こえラボの岡田です。
今回は、大阪市の市会議員の塩中一成さんにお話を伺いたいと思います。
塩中さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。塩中です。
ぜひ、まずは自己紹介からお願いいたします。
私は年齢1971年生まれの、今53歳の塩中一成と言います。
もともとは新旧石骨医をさせていただいてまして、
その業界では、北海道から沖縄まで100店舗を作りまして、
その後、マザーズ一部上場というふうな形でさせていただきまして、
その後ですね、法律がやっぱり古いというので、業界の法律を変えたいというので、
維新の会にカバン持ちから入らせていただいて、
今は当選2期目の市会議員をさせてもらっております。
じゃあ、もともとは新旧の石骨医で、店舗数は本当にかなりの数までいったんですが、
これも結構苦労されて、やっぱり広げていったんですかね。
もちろん苦労しましたね。
店舗展開というところで言えば、新旧石骨医を増やすというイメージというのはあまりなくてですね、
乗れん分け制度でやっていた業界だったので、
そういう中ではフランチャイズというのは新しい取り組みですし、
そういったオーナーさんであったりとか、そういう方々にも非常に喜ばれたというところはありますね。
そしてね、さっきの自己紹介の時もありましたけど、やっぱり法的な部分がどうしてもやっぱり、
いろいろ気になるところがあってっていうところでおっしゃってたんですけど、
やっぱりそのあたりってどういったところで詰まっていったとかされたんですかね。
例えば整体院と石骨院の違いというふうな感じで言われても、一般の方々ってあまり認識なくてですね、
石骨院とか新旧院、柔道制服士、新旧士っていうのは国家資格があるんですね。
整体師さんっていうのは国家資格は、資格はなくてですね、
例えば岡田さんが明日からやるって看板掲げてやっても大丈夫な業種なんですね。
例えば宣伝広告にしてもですね、整体院の方は肩こりいくら、60分なんぼみたいな、
そういうふうなことは宣伝どんどんできるんですけれども、
我々は法的な部分でですね、広告の制限というのがありまして、
そういったことが一切できないというふうな業界でしたので、
法律に守られているのか締め付けられているのかちょっとわからない部分があったので、
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やっぱりそういうところを改善していただきたいなというふうな思いから議員を目指しました。
そうなんですね。一般の人からすると同じように見えがちなんだけど、
やっぱりそういった国家資格の部分と自由にできる部分はあるけど、
やっぱりなかなか資格としてはない整体の方と、そこを競争していくにはやっぱり大変になってくるわけなんですね。
そうですね。保険が効くっていうような強い面はあってですね、
高齢者の方々っていうのはたくさん来ていただけるんですけれども、
保険が効くっていうふうなところから、じゃあ実費であったりとかっていうと、
なかなかやっぱり出しにくかったり。でも若い方々は、
じゃあ整体でもいいのでバーッと行こうというような感じだったので、
そこをちょっとわかりやすくしたいなというふうに思いました。
これ結構昔からじゃあ法律っていうことなんですかね。
そうですそうです。昭和44年のままなので、結構全然変わってないぐらいの法律だと思います。
これなかなかやっぱり法律を変えていくっていうのは大変なことなんですかね。
一つはですね、議員の中にそういう資格者がいなかったっていうので、
なかなかやっぱりそこまで自分の身を手にしてですね、
強く言っていく人がいなかったっていうのは一つ、今までの問題、課題だったかなというふうには思います。
じゃあそこから自ら変えていこうということで、本当にカバン持ちからというと、
全然ね、常時副企業の役員からするとまた立場が全然変わるのかなと思いますが、いかがでした。
まあそうですね、逆に僕はそういうことをさせてたのかなっていうふうに感じましたね。
そういう役員の時ってやっぱり、どうぞどうぞみたいな感じになってて、
まあ鋭気になってますよね。で、ちょっと遅かったらお前何してんねんみたいな感じで、
早く来い!みたいな感じで言ってた自分がですね、反対になるとですね、
歯を食いしばるというか、我慢しないといけないというか、
なんかこう嫌な気持ちになりましたので、そういったことをまあ今までしていたんだなぁみたいな感じで思いましたね。
じゃあそこからも学びがあって、それで今は司会議員さんということですけど、
なんかそこに司会議員になるきっかけとかもあったんでしょうかね。
そうですね、今そのカバン持ちになって、国会議員というふうな部分を目指してて、
秘書で勉強させていただいてたんですけれども、大阪市の中央区っていうところで、
司会議員の枠が空いたので、そこで挑戦するかしないかっていうふうな選択肢があってですね、
それでは挑戦させてくださいというふうな感じでお願いをさせてもらって、
そこで当選、初当選させていただきました。
どうですか、司会議員になって活動としてはいかがだったでしょうかね。
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そうですね、最初全くわからない業界でしたので、
あってるのかあってないのかもわからないですし、皆さんがやってる真似はさせてはもらってますけれども、
それが本当に正しいのかどうなのかとか、
いろんな方々からお叱りの声であったりとか、そういうのもいただくような形にはなったので、
やっぱりそこは全然違うというか、そういうのはありましたね。
じゃあそこから徐々にいろんな人との関係性も作っていきながら、
今ではどうですか、活動としてはどんなことを中心にされてらっしゃるんでしょうか。
そうですね、町の方々からのお願いであったり、
例えば公園の木が揺らいでるであったりとか、
ここをどうにか道路の部分がガタガタになっているので直らないのかなとか、
根っこが今バッと出てきて、道路の部分、歩道の部分がぐちゃぐちゃになっているからであったりとか、
あとは今水道工事であったりとか、そういったものをしている中で、
まだ早く工事が終わらないのか、いつ終わるのかとやったりとか、
そういったことをいろいろ苦情と言いますか、ちょっと一遍聞いてほしいというふうな感じで言われて、
そこに間に入らせていただいて、市役所の方々と相談しながら、
こういう困りが出る方々がいるので、どうにかならないかみたいなことをお伝えしたりとかはしています。
市民の方ともお話しすることもあるし、市役所の方ともいろいろお話したりとか、
結構そういった方たちといろいろ調整したりとかお話を聞きながら進めていってらっしゃるということなんですかね。
そうです、そうです、そうです。
どうですかね。市役所の職員の方ともいろいろ交流ができていくと、
いろいろそういった市の役割の部分とかも、何々とやるべきことが見えてきたというところもあるんでしょうかね。
そうですね、やっぱりその動いていただく方に対してですね、
こうしろああしろっていうふうな、昔はね、結構なんか上から言えてたみたいで、
それもまあ従わなければいけないみたいな構図だったらしいんですけれども、
やっぱり今はそういう時代ではないので、やっぱりお仕事もたくさん持ちながら、
やっぱり議員がパッて間に入ってくると、また仕事が増えた。
そういうふうなことを思われるのも、ここ強くね、働いてもらえないかなっていうところがあって、
今どんな状況で、どういうふうなところに困っていて、
例えばどういうものが片付けばですね、こうなるかっていうふうな計画的な部分っていうのもお話しさせていただきながらやっていくとですね、
まあそんなことであんまり、僕の中では当たり前なんですけれども、
そういうことあんまり言ってくれた人がいないんでっていうので、結構なんか丁寧に接してくれますし、
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割とこう普通にというか、なんで松永さんそんな感じでみんなとこう仲良くできるんですかみたいな、
ちゃんとなんか松永さんだけ言うことよく聞いてくれるけどなんでですかみたいな、
なんかコツあるんですかみたいな。
これはどうですかね、今まで経営していた、そういった経験もやっぱり生かされている部分はあるんでしょうかね。
そうですね、やっぱり100店舗してるとですね、オーナーさんであったりとか、
特に下の方のオーナーさんと僕喋ることが多くてですね、結構お叱りをずっと受けながらですね、
改善をしていって、どんどんどんどん上に上げていくっていうふうなこともさせてはいただいてたんで、
そういうふうなところからすれば、僕の中ではそんなに厳しい意見じゃないんですね。
その時の意見の方がやっぱりすごく厳しかったので、
そういうところを経験させていただいたからこそ見えてきてるというか、
そういうのはあるかもかもですね。
なるほど、この番組は経営者の志という番組ですので、
ぜひ塩中さんの志についても教えていただけるでしょうか。
はい、経営者っていうふうなところで言えばですね、
アメリカンドリームがあるのになんでジャパニーズドリームはないのか、
というところもあってですね、税制であったりとか、
三代続かない日本のそういう仕組みみたいなものもあってですね、
もっと言えばですね、やはり経営者に厳しい法律なんですね。
従業員に優しい法律になっているところがあって、
でもこれってね、他の国では考えられずに経営者が結構文句言うんですよね。
でも日本っていうのはそうではなくて、そのまま来てるわけですよ。
これってね、すごいなと僕感じているのは、
経営者を守る法律ではない日本の企業が、
全世界の中でも結構長く続いている会社が多いですよね。
で、僕これってなんでかなと思って見てるんですけれども、
やっぱり経営っていうのは従業員であったりとかお客様っていうのを
第一に考えながらするのが経営なんだっていうふうなところと
引っ付いたというか結びついたというか、そういうふうなところがあるので、
やはり誰のために経営をしてるかっていうところが一番志になっていただいてですね。
で、多くの従業員が喜ぶ。多くの従業員が豊かになる。
その豊かになった従業員たちがお客様であったりとか街の方々に広げていく。
お仕事って楽しいんだよっていうことを子供に教えていく。
そういうふうなところを私は持っていましたね。
だから一見経営者に厳しいようにも見えるんだけど、従業員を大切にすることによって
会社としては長く繁栄していけるような企業になっていってるっていうことなんですね。
だと感じてます。
素晴らしいですね。これからは潮中さんどういうふうに活動を進めていきたいとか、
将来的に思いとかあれば教えていただけますか。
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僕は死ぬ日を決めてまして、2067年の7月23日に死ぬんですけれども、
僕が96歳の時なんですね。
その時にノーマライゼーションの父、ここに笑顔のまま眠るっていうのを母席に放っていただいてですね、
ノーマライゼーションっていうのは何をする社会かというとですね、
障害者であったりとか高齢者であったりとか弱い方々であったりとかそういう方々が
分け隔てなく過ごせる社会のことをノーマライゼーションって言うんですけども、
障害者の方々ってやっぱり日本って恥ずかしい恥の文化みたいな感じだって隠す隠す、
親たちはこの子を死ぬまで私たちは死ねないみたいな、そういったところがあるんですけれども、
やっぱり障害者の方々が自立できる、そういう方々を温かく守ってくれる社会、
そういうふうなものができればですね、何も心配しなくても何も怖くなくても、
本当にお互い、原始時代の心に戻れるような、そして近代的な生き方をするっていうふうな、
人間の当たり前の生き方が、そういうふうな社会競争とかそういうのがないまま過ごせる世界っていうのは、
本当に僕は理想の社会だなというふうに思っていますので、
障害者の支援であったりとかそういったものを今、一生懸命させていただいております。
本当にそういった世界になると、皆さんが過ごしやすい、いい社会になっていくのかなって思いますので、
これからの活躍も期待しております。
ありがとうございます。
このポッドキャストの説明欄のところには、塩中さんのホームページのURLも掲載させていただきますので、
ぜひそこからもチェックいただけたらと思います。
今回は大阪市の市会議員、塩中和重さんにお話を伺いました。
塩中さんどうもありがとうございました。
今日はありがとうございました。
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