アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを送り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、ちひろ美術館の松方さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
はい、ということでご出演いただきまして、どうもありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ、まず改めて自己紹介からよろしくお願いいたします。
自己紹介?
自己紹介、はい。
1分とかでいい?
いいですよ、何分でもいいです。
ちひろ美術館東京の松方路子と申します。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
松方さんと、僕が今不定期でやってるキッズウィーケンドっていう子ども向けのオンライントークをやってて、
いろんな美術館や博物館と中継企画シリーズが始まって、
これを多分この収録の2ヶ月、3ヶ月くらい前ですよね、松方さんにお声掛けして出ていただいて、とにかく子どもを盛り上げていただくという。
とにさん盛り上げて。
いやいやいや、松方さんがすごいなと。
ここでやってる時はもう、普通のいつもの松方さんって感じで。
じゃないですか、なんとなくね、僕はこうやってて。
で、オンライントーク始まったらいきなりグラサンみたいなのかけてて。
キャラになりきってて。
キャラ?
お子様向けになのか、あれなのか。
すごい陽気な感じでやってて。
すごい盛り上がったので。
そうですか、ありがとうございます。
これはもう松方さんぜひ呼ばなきゃなと思ったのと、
あともう一個あれですね、これも自分事ですけど。
なんだなんだ。
僕が今オンラインで、オンラインで自分が自主開催してる月一の投稿やってるんですよ。
で、なんか、申し込みの時、基本皆さん名前でね、たぶん実名でやられてるんですけど。
なんかちょっと、おちゃらけた名前の人がなんか申し込みが入って、誰だこの人はぐらいに思ってて、終わった後に松方さんだってこと。
普通にお金を払ってオンラインの時に来てくださってて。
いやいやいや、すごい充実の内容で、その後フォローしてます。
そういう繋がりがあって、これも松方さんにいよいよこの番組に出ていただかなきゃと思いまして、今回オーバーさせていただきますので。
それを応援です。
今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
そういうことで千尋美術館東京という話が出ましたが、改めてこれどういう美術館なのかというところから教えていただきたいなと思います。
はい。千尋美術館は世界で最初の絵本専門美術館と私たちは言っておりまして、千尋美術館の千尋っていうのは岩崎千尋の名前から取ったんですけれど、千尋の作品だけでなくて、世界と日本の絵本画家の作品を収集、美術館などで展示、公開、研究しているところです。
名前も最初から千尋美術、下の名前だけというか。
そう、いい質問です。最初開館した、もう来年で50周年になるんですけれど、1977年の時は岩崎千尋絵本美術館というちょっと長めだったんですけれど、ちょっと短くして今千尋美術館と言うんですけど、東京と安住野が、あ、安住野は安住野千尋美術館と言いました。
千尋美術館中黒東京です。
でもさらっと言うと、絵本の美術館が初めてだった。今でこそもう絵本の美術展とか美術館なんて、言い方あれですけど、ドル箱というか。
今ちょうどやってますけど、エリックカーテンなんて、とんでもなく人が入ってグッズも売れてみたいな。もう展覧会の一つの形式として成立してるけど、それが最初は、しかも世界圧。
そう。できた時には、今の状況が、トニーさんおっしゃったような状況じゃ全くなくて、千尋が1974年に亡くなったんですけど、その後、展示を美術館とかでもできたらということで、遺族が相談しても、何ですかそれは、みたいな感じで、どこも取り合ってくれなかったので。
で、じゃあ、自分たちで作るかという状況で、それでできたという経緯があるので、まだ絵本の作品っていうのが、美術と結びついていなかった時代だった。
このアプリ、岩崎千尋さんについて掘り下げていきたいなと思うんですけど、岩崎千尋さんは生前、岩崎千尋テーマやってないんですか、美術館で。
そう、いいポイントです。だから、亡くなった後に立ったので、何やってるの、みたいに思われてる感じ。
美術館からは、みたいな感じですか。
亡くなった後に、その展示をギャラリーとかでいつかやったんだけど、美術館ではやっていないので。
じゃあ、もう自分たちで美術館開こう。その時は基本的にはご家族の方が立ち上がった感じ。
そう、ジヒーローの夫や一人息子をもちろん中心になってるんですけど、それ以外にもファンの人とか、あと文化人、今の環境では狂いなき哲子さんも入ってますけど、
いろんな呼びかけ人が、わーっと、今でいうクラウドファンディングみたいな、こういうところを立てたいので、皆さんご協力お願いしますと言って、
呼びかけて、それでお金と署名運動みたいなのをして、それなりの3万人以上の署名と、1200人から622万円余りが寄せられた。
もちろんそれだけじゃ足りないんですけど、それなり、皆さんがあーって賛同してくださって、それをもとに、もうその時に財団というのが、財団じゃなくて記念事業団というのを作って、個人というよりそういうグループで活動してたんです。
それをもとに準備して開館したという経緯。
で、その最初から千尋さんのアトリエ兼自宅だった場所に作ろう。でも亡くなった時に、今言ったように旦那さんとか息子さんがいらっしゃったってことは、住んでたわけじゃないですか。
千尋 そうなんですね。その一部を壊して建てたっていうのが、私もその当時の建物見てないんですけど、当時はドア開けると隣の家にそこに入れるけど、まあ人は入っちゃいけないけど。
岡田 一個家族のスペースもあったんですか。 千尋 そこは非公開ですからね。だから比較的くっついて、家みたいな。今もちょっと家みたいな感じがありますけど、そういう建物でスリッパに書き換えて中に入るって感じだったみたいで。
岡田 でもその時に、これが来る時になるんですけど、千尋さんのことを小沢美術館作りましょうって。岩崎千尋さんの岩崎千尋美術館でいいよなっていうのが変ですけど。普通に考えたらそうなるのに、絵本の原画も集めようってなったのはどのタイミングになったんですか。
千尋 ああ、もう当初から考えてて、北京人の一人の岩崎千尋の一人息子の松本たけしは産老して芸大に入って、そこで絵本をテーマに卒論を書いたので、その絵本をもっと芸術的価値を広めたい、本文化を発展させたいっていう意識はあったと思うんですけど。
最初まず千尋から始めるけれど、いずれはそういう研究とか、世界の絵本の作品の展示とかしようという考えがもうすでにありました。なのでそういう名前を、こんな長い名前を作ったんだと思います。
その時、絵本の原画も今とんでもない数ある。2万8000点。アジア、ヨーロッパ、アメリカなどか。
千尋の作品も入れてなんですけど。 千尋さんがだいたい9500点って今手元の種類とか。 ヤンヤン今9600点なんか少しずつ超えて、最新の数が。 だから3分の1がだいたい千尋さんの作品で、3分の2が書く絵本。
多いほうなんですよ。でももうその第一号がこちらってことですからね。そう考えると。さっきねりまにありますって言って、もう一つあずみのにありますって言ってたじゃないですか。あずみのはどういう岩崎千尋さんとの関係すると。
千尋 あーよく聞かれるし、どっちかしか知らない人もいるんですけど、千尋の両親の生まれ故郷が、あずみのと言っていいのかな、松本市の、今松本市のあずさ川村っていうところだったので、
千尋 あとその千尋の両親が第二次世界大戦後、開拓のみとして移住したのが松川村なんですね。なので千尋の心のふるさとと私たちは呼んでいって、そこに東京だけだと今だんだん狭くなってきたので、20周年目に立てたのがあずみの千尋美術館です。
コンセプトはちょっと違うんですか、東京とあずみの。
千尋 かなり環境は違うので、例えばここだと千尋が最後の22年間を過ごして暮らして働いた場所だって、そういう位置づけで、あずみのはここのふるさとってことだと周りが結構、あずみの千尋公園っていう広いところにあって、
東京と環境が違って山が見えたりして、ゆっくり1日のんびりしていられるっていうところが、タイプが違うかな。
僕もあずみの何回か行かせていただいたんですけど、一番最初に行った時に、僕は電車で行ったんですよ、公共交通。で、電車の最寄りの駅から、途中にある松川村役場みたいなところに岡本太郎の壁画があったから、それ見てから行こうと思って、テクテク歩いて行ったんですよ。
30分くらいかかるんですよね、多分。で、着いた時に、入り口のところで、来ましたって言ったら、なんかみんながザワザワしてて、なんかそれは裏口みたいなところだったんですよね。多分、駅から一応最寄りで考えると。で、みんなは当然車で来るだろうと思い込んでたから、入り口で待っててくださったらしいんですよ、みなさん。
とにかくなぜか裏側から来たぞみたいな感じで、なぜ見たくなってたか、あとで聞いて。そうそう、基本みなさん車で行かれる人が多いって言ってて、それですごく僕は印象的だったなと思ったのが、なんか何もしなくていい美術館みたいなコンセプトがあるからか、あれなんですけど、他の美術館では見たことない、なんかリゾート地でしか見たことない、なんか寝っ転がれる椅子みたいな。
寝椅子みたいなのが6、7個並んでるんですよ、なんかバルコニーみたいな場所に。そこにお父さんが2、3人寝てるんですよ。見たら、みなさん車で長時間運転されてきて、お母さんとお子さんは遊んでて、お父さんはそこでも何もしなくてもいいよっていうね、あのホスピダリティーはもう素晴らしいなってすごい感動したのがあって。
そうですね、よくご存知。
あれ最初からそういう感じだったんですか。
そうですね、絵を見なくてもいい美術館って。
絵を見なくてもいい美術館って。
何もしなくても似てますよね。なので、全体を味わってほしい。一つ一つ絵を見て、見てもらえばそれはそれでいいんですけど、周りの環境やら、場所を味わってほしいっていうコンセプトで立てられてる。
かなり館内の雰囲気もちょっと違うかなと。
確かに。本当にリゾート感っていうのもあるかもしれないですけど、すごくゆったりしてて、そこがすごい僕も好きでよく行かせていただくんですけど、あとでも旅館とも共通してるのはあれですよね、お子様、ファーストミュージアム。
キーワードが。
結構知ってますね。
すごい知ってます。
よく来てるから。
18歳以下無料って、だんだん増えてますけど、そういうこともありますし。
最初から立ち上げからそういう。
途中から、何年になったかな、ちょっと私が入った後に、そういう風になったっていうのを覚えてるので、2000何年かからなんですけれど、子どもたちが最初に出会う芸術館、絵本だって私たちは言ってるので、
美術館としても初めて来てもらう、その美術館が千尋美術館であってほしいなっていう思いから、子どもは無料ですし、お子さんが来ても、絵を見なくても子どもの部屋で遊んでるとか、その辺で本だけ読んでるとか、そういうことがいろんな楽しみ方ができるようにしたいと思っております。
今日も日曜日に収録させてもらって、僕は基本的に内覧会の日とかに見させてもらうから、普通の時に来るの久々だったんですけど、本当にお子様がたくさん美術館にいらっしゃって、普通の美術館でもそういうところ増えてきたなと思うけど、やっぱりお母さんがちゃんと手繋いで、離れないようにしてねって言うところだけど、ここは結構いい意味でみんなが自由に。
それを良しとしてるし、普通の美術館だったらそうでいいはずなんだけど、美術好きの一部の方が、やっぱりそういう子どもの音がとか言うのが、ここはそれ込みで自由な美術館ってみんな思ってるから、お客さんも全員、お子様連れじゃない人も優しいし、すごい平和な美術館を作るたび思う。
そう、そうありたいと思っていて。あそこにちっちゃな中庭がありますけど、そこでこの子がわーって走り回ってるのを見て、それこそトニーさんがおっしゃってるように、他のお客さんがいいですねーって言われて、あー良かったい。
そういう心が現れる。あとなんかその子供さんのですごい印象的だったのが、こちらの館長のね、黒谷哲子さんが設置した鏡みたいな。
設置したっていうか、本人が自ら設置したっけじゃないか。ちょっとそういうのがあるといいわねって言われて、ヘンテコ鏡っていうのかな。別に特注じゃないんですけど、どこかで売ってるものなんですけど。
子供の部屋と、ちょっと大人だったら気づかないけど子供だったら気づきそうなある場所に置いてあって、子供だけじゃなくてティーネイジャー、自分の姿見るのが好きなティーネイジャーもこうちょっと。
やっぱり自分の姿が変に変わって映る、鏡が。
そうそうそう。
この館内にある。
あるんですよね。それ結構人気だったりして、そういう仕掛けもあって、今さっき言った中庭にも千尋じゃないんですけど、中野茂さんという彫刻家の作品。
作品。
作品です。
作品があって、ポニーとリトルジョーって小っちゃな。
少年かな。
と馬があるんですけど、その馬も乗っかっていいって。
あれ乗っかって大丈夫なの?
子供が時々わかってないのか乗っかって楽しんで、そういう隠れた楽しみがあるかな。
お子様連れの方も多い一方で、やっぱり岩崎千尋美術館のコアなファンというか、やっぱり岩崎千尋さんの育った世代の方というか、岩崎千尋さんをたぶん知らない日本人っていない?
いますよ。
いますか。
あれ前トニーさんに言ったかもしれないけれど、何年前か小学生が授業の一環で、見学みたいなので、うちの美術館に2名やってきて取材を受けて、この千尋美術館、千尋って何ですかって言って。
説明したら、人の名前だったんだっていうことで。
千尋の名前とも思ってなかった。
平仮名千尋だから。
千尋も知らなかったんじゃないかな。人の名前だったから、なるほどねって言って、それがそんなに遠くない学校の小学生だったらね、もっと一生懸命勉強しなきゃなって思った。
名前はもしかしたら知らないかもしれないけど、この絵柄を見たことない人はいなくないですか。
どうかな。
別に美術にハマったのが大学生とかだったので、多分岩崎千尋って名前もしかしたら知らなかったかもしれないんですけど、でも展覧会とかこの美術館に来たときに、国語の教科書で見た人だなっていう、教科書でこの絵見たなっていうイメージなんですよ。
いいですね。
こういう人多いんじゃないですか。
教科書ありがとうって感じですね。
今教科書とか、あとグッズもあるので、レターセットとかに貼ってたとか、あと今さっき話に出た黒柳哲子が作者の窓際のトットちゃんの絵が慈広だとか、そういうところでどこかで見てるのかなというのと、
あとやはり世代に伝わるのかな。母が好きでした。よく聞くんですよ。お前はどうなるかって言いたくなるんですけど。
母が好きですね。
ごめんなさい。
いわゆる昭和っぽい豪雪室が残ってるような家に行くと、どっかじらにありませんっていう、なんかそういうイメージありますよね。
この前西武線の駅の待合室にもかかってたみたいで。
カレンダーで見たとか、なんかそういう、やっぱり一回見たら忘れられない絵柄だなと思う。
ちなみにあれですよね、トットちゃんの、有名な窓際のトットちゃん、帽子かぶった女の子、描き下ろしじゃないんですよね。
そうなんですよね。不思議なことで、黒柳哲子さん、トットちゃんの作者と絵を描いた岩崎慈広は一回も出会ってなくて。
それを聞いてびっくりする人がいるんですけど。
ちょうど慈広が亡くなった時、そのことが新聞に載っていたみたいで、哲子さんが郵便を受けに行って、新聞見たら、あ、岩崎慈広が亡くなった。
そこで知って、会ったこともないのに、涙が出た。
それでそれをきっかけに、慈広の遺族にお悔やみの手紙を出したら、花も送ったのかな。
それで、慈広の遺族と繋がりができて、ある時に黒柳哲子さんが、自分の子供時代の友絵学園っていう学校のことを。
自由が丘になったっていう、電車の車両を買うみたいな教室にしてたところですよね。
描きたいと思って、描くなら慈広さんに行ってお願いしたいと思ってたんだけど、亡くなってしまってって話をしたら、
あ、絵はいろいろ残ってますから、見に来たらどうですかって、慈広の一人息子の松本崎氏が言って。
当時、哲子さんは、ベスト10とかいう番組の。
で、それが終わったら、車で来て、松本崎氏と一緒に美術館の中で、朱雀庫の中で、こういうエピソードなんだけれど。
連載をちょうど、雑誌に窓険を取ってちゃんと始めるときだったので、そのことに作品を選んで、それに載せるっていうのを繰り返すとしたので。
何の話してたんだっけ。
そういうのもあって、だからどんどんどんどんみんなに知られていくのもある。
そうですね。
ここから、岩崎慈広さんについてどんどん聞いていきたいんですが。
当然、生前から人気の方ではあったと思うんですけど。
僕ここに来て一番びっくりしたのは、よくも悪くもというか、お母さんが、うちのおかんも大好きだとか。
お母さん世代が好きな人ってイメージがあって。
だからちょっと尖ってる男子だった。
僕の若い時なんかは、岩崎慈広なんて、おかんが好きなやつじゃないかみたいに思ってて。
すごく優しい絵だなと思うけど、正直すごく言い方難しいですけど。
芸術家として、例えばいろんな楽観を一方で展覧会見て、ピカソとか見てるのと、岩崎慈広さんは、僕なんかは別だ。
芸術家として見てなかった。僕の中で。
ところがここでいると知っていくと、まあ誰よりも芸術家。
生き方もロックだし、芸術家だなってことに気づかされてきて。
やっぱりそこですごくイメージがどんどん変わってたんですよ。
だからなんかそうやって岩崎慈広さんって、いい意味でやっぱりみんな知ってるから、なんかみんな知った気になって。
芸術家像までたどり着かれてない人でもある気がするんですよね。展覧会来るとわかるけどっていう。
そうですね、おっしゃる通りで。
慈広は広く、それこそピカソみたいに、誰かのための特別な学物に入った作品というよりは、
印刷媒体、絵本とか絵冊とか、壁芝居とかそういうものを通して、自分の多くの人たちに見てもらいたいっていう気持ちを持っていた画家だったので、
その辺は、まあそういうふうに取られるのはわかりますけれど、
うーん、なんていうのかな。
まあ慈広もそこら辺を意識していたんじゃないかなと思って、
やっぱり絵本画家というと少し低く見られるっていうのを、ちょっと思い出せないんですけど、
最近出てきた文章にそういう文章が、彼女が書いた文章があるので探したけど。
でも元々は画家を目指してたんですか?
3人姉妹の長女で生まれてた、まあ大正7年生まれたんですけれど、絵が好きで、
岡田三郎介という芸大の油絵の先生に、スケッチと油絵を習わせに行ってもらって、お母さんです。
で、絵がだんだん描きたい、画家になりたいと思ったんだけど、
その時代というか、この彼女の家庭環境で、女性が画家なんてダメですということで、
そういう時代なんですね。
まあお嫁に行く、無婚養子をもらうんだけど、結婚が悲劇に終わり、
また第二次世界大戦の定め方だったので、日本が侵略していた中国満州というところに何度か行って、
何とか行き帰って戻ってくる。で、日本が敗戦した。
で、それを知ったのが、相川潔の両親の故郷の松本だったんですが、
そこで、戦争が終わって、今までの考え方が全部変わって、崩れて、また絵を描きたいという思いで、
たまたま新聞に見つけた芸術学校という共産党権の学校の広告を見て、これに学ぼうと思って、
もう一回東京に行きますということで、誰も知らせないで、本当かなと思って東京に行って、
それで、今ちょうど展覧会に出てますけれど、新聞記者として絵を描きながら、記事も書いたり、
そういう働きながら、だんだん紙芝居の話が、絵を描いてくださいって言われたり、
そういう子供のための雑誌とか、そういう印刷物の世界で認められていくようになるっていう経緯ですね。
そういうことで、なんか画家を目指して、その若手の時というか若い頃なんかでいうと、あれですよね、池袋モンパルネスの原爆のマルキク祭にも習ってたってこと?
絵などで、その辺でいろいろな画家にも会ってますし、いろんなグループ展とかにも出していて、油絵を出したりしているので、
画家の道を歩んで、戦後にそっちの道を歩み始めたと言えます。
なんか、ドキュメンタリーにもなってる、なんか29歳の。
27歳の旅立ちかな。岩崎知事が27歳の旅立ちで。
それの多分関連展みたいなのをやった時にもあったじゃないですか。
ドキュメンタリーやるからかなんかで、多分展覧会も連動したみたいな。
生誕100年の時かな。
その時に衝撃だったのが、当時の27歳は今で言うとアラフォーぐらいの感覚だからみたいな、今のアラサーとちょっと違ってみた。
その中で一回、最初の結婚があったばついちで、アラフォー。
アラフォーじゃないんだけど、27歳でアラフォーみたいなもので、しかも結婚相手が、その後の旦那さんになる人が、まだフリーターみたいな状態で。
職なしで。
職なしでみたいな。その中で頑張っていくみたいな。朝ドラ見てるみたいな。
そうですよね。ドラマにしてもいいくらいで。
だから旦那さんとはどういうきっかけで知り合うの?
それこそ共産党の集会みたいなとこで知り合って、ビラ配りとかで。
お互い年齢とか知らないで、千尋は結構同眼だったので、まさかアラフォーじゃないけど20代後半とは思われなくて。
それでだんだんあるとき、お互いの誤解でっていうらしいんですけれど、プロポーズか誤解の。
誤解でプロポーズ。なぜかそのドラマチックな。
それで一緒になって、彼女は再婚すると思ってなくて、結婚すると思ってたんだけど、7歳半年人の。
そんなに離れてるんですか。
結構離れてますね。
それで一緒になって幸せな結婚になった。
何回か、ここだけじゃなくて千尋さんの展覧会みたいな。
それと埼玉、茨城近備でもらってたし東京ステーションギャラリーでもらってたし、そういうときに展示してあった。
今のちょうど実は展覧会でも展示してますけど、2人の結婚ご過剰みたいな。
結婚制約書じゃない?
あれ衝撃的。
いろいろとルールを2人で決めてみたい。
妻の芸術家としてのことを尊重するということが、あと健全な経済的な、あんまり無駄遣いしないみたいなことが書いてあったり、それを毎週1回見直す。
土曜日か何かですね、これを1回見直す日を設けることみたいなことが書いてあったりとか。
でもあれが結構当時流行ったみたいで、
そういうふうに2人で。
1回女性の芸術家の奥村誠さんという人と彼女を千尋の組み合わせで展覧会をしたときに、やっぱり奥村さん夫婦を、そういうような制約書があって、そういう流れだったのかもしれませんね。
そうやって仕事としてやっていく中で、僕らがイメージするの、絵本作家、絵本画家の千尋さんになるのはどういうきっかけでなっていくんですか。
絵本といえば福音館書店で、今も続いているんですけれど、子供の友っていう、もう亡くなられた松井忠さんという編集者が、書き下ろしで1冊丸ごとを、
文章と画家という、当時経営の画家で第1号が堀文子さんの絵だったんですけど。
日本画家の堀文子さん。
そういう月刊絵本をスタートしてたんですけど、そこに千尋もパーンと寄養されたのが、彼女の絵本デビューで、
それで、一人でできるよっていう、男の子が顔洗ったり歯磨いたり、そういうことできますよっていう、一常の生活を描いたお話なんですけど、
千尋に絵を描かせるために、編集者の人は、作者にこの人をっていう、よく考えてマッチングさせたんです。
最初文章は別の、だから文章は、千尋さんは絵って分かれてたんですね。
そうなんです。でもちゃんとこうしていて、それがデビューで、あともう一回、子供の友のために描いたんですけれど、それがきっかけで、
子供を描くのが上手、子供を描くのといえば千尋だねって言って、絵本デビューでだんだん依頼が増えてきた。
それまでも子供の絵は描いてはいた?
千尋 あっ、子供の絵は結構描いていて、本人が言うには、子供の時から小学校の時で、誰かに千尋ちいちゃん、絵を描いてねって言われたら、子供で描いてたっていうので、
別に母親になったから、もちろん母親になったら、我が息子がかわいいので、スケッチして、いろいろありますけど、ちっちゃい時から子供が好きだったりとか。
おもしろい。だから、根っからの子供好きで、子供の絵がいっぱい描かれているっていうのは、そういう彼女の好きなものを描きたいっていうのが、ちゃんと反映されているんじゃないかなと思います。
いや僕、たちひろさんのエピソードですごい好きなのが、子供の絵描き分けがすごすぎて、赤ちゃんの月齢を描き分けれるって。僕は子育て経験ないから、そもそも何歳か見分けもつかないんです。
10ヶ月だろうが8ヶ月。それが描き分けられたってエピソードがありますよね。
そう、でもそれは、突然そうできるようになったわけではなくて、育児書のためのカットを頼まれて、まだ今もあるんですけれども、絵はついてないから、そのために何ヶ月とか何歳とか、その時はこういうこと、いろんな年齢の子供を描かなきゃいけないので、
これは大変ということで、近所のお育児園、幼稚園に取材に行って、写真撮ったり、スケッチしたりして、そういう積み重ねがあって、そこでいっぱい描くわけですよね。だから、あと一人息子も、たけしもだんだん大きくなっていくんですけど、そういうのが重なって、やっぱりたくさん描くことによって、だんだん何歳をとか、そういう考えずに描けるようになった。
スペシャリストですよ、そこ。だから、もう見ないで描けた。モデルがいなくても、もう描けるようになってたってこと。
たけし もう、あとはね、最初は、でも、そうですね、最初から見ないで、でも、だんだん見ないで描けるようになっていった。
じゃあ、基本的にはモデルはいない、特定のモデルはいないと考えた。
たけし いい質問ですね。子供一般と思うんだけれど、分かる人から見ると、これは、そうそうそうそう、また出てくる、一人息子の松本たけしが、子供がいっぱいいる千尋の絵を見ると、これは近所の何らちゃんで、これは何らちゃんならって分かるんですよ。私たちから見ると。
たけし これは僕だなと。本当?なので、モデルはいないけれど、頭にあったかもしれないし、そこにいなくても思いながら、自然と描かれてたりしたのかなって。
だから、たけしさんから見れば、そういうふうに分かるってことは、描き分けてるってことですね。キャラクターというか、ある程度なんか、ってことなんですかね。
全部は全部そうじゃないんですけれど、何かあったと思いますね。
そう、かなり。
いろんな人出てるんですよ、本当に。
これちょっと気になる方は是非これを見ておいていただいて。
衆映写。
千尋美術館も今チラチラ、ミュージアムショップも充実してますもんね。
ありがとうございます。いろいろなところと組んで、グッズとか作って、やはりね、
私たちは入館料も貴重な収入源ですけど、いろいろなグッズとかも貴重な収入源ですし、
皆さんに何か思い出を持って帰ってもらいたいなっていうのもあるので、ミュージアムショップは結構大切です。
千尋さんのグッズはここでしか買えないですか?千尋美術館でしか。
よくね、電話かかってくるんですよね。なんとかなんとかが欲しいんだけど。
結構いろいろな、本当に種類があるので、そのものによってここですよ、ここですよって案内してるので、
千尋美術館でしか買えないものもあるけど、いろんな店舗、ウェブサイトのショップ。
うちの美術館じゃないですけど、で買えるものもありますね。
あと結構。
何ですか、何ですか。
なんか、願作じゃなくて、うーんっていう、海外でそういうものが出会ったりして、大変ですよね。
だから千尋美術館に来れば、ちゃんと公式のものが売ってるってことですよね。
そういうことです。
当たり前です。
そんな千尋美術館で今開催中の展覧会を最後にチラッと教えてもらっていいですか。
今は東京から行きましょうかね。東京では2つ展覧会をしておりまして、長いタイトルなんですよね。
岩崎千尋、とても素朴なんだけれど大切なもの、それが絵本の中にはあるんです。〇という展覧会。
長いタイトルですね。これはなんか文章の一節みたいなもんですか。
彼女の言葉にフォーカスして、それで千尋の人生を覆うような展覧会なので、結構千尋の言葉が似たあるところにチラップ、散りばめられていて、
今日岩崎見たら一生懸命メモしてる人いましたね。言葉言葉。
あともう一つは、これ面白いんですけど千尋美術館コレクション、魔法の絵本、イコール。
絵本の魔法。これは千尋以外の今何カ国かな、それなりの20人ぐらいの作家、9カ国20人だったかと思うんですけれど、
の中で魔法、魔女とかそういうテーマのものと、絵本の中でそういうものが描かれているものを展示してて、結構マニアック。
でも面白かったですね。魔法っていう切り口で。さらにあれですよね、コナンドイルのおじさんとお父さんの作品も養成画家だったっていう。
ちょまど そのお父さんの方は結構、後にアルツンになって、うつになって精神病に行っちゃったっていう話を聞いてから絵を見れた。
養成な絵を描いててね。
ちょまど あれ発出出展じゃなかったかな、絵みたいな。
貴重なものが。この展の中に2つだから両方見れるってことですね、7月20日まで。
ちょまど はい、そうです。
そしてあずみの館の方でも。
ちょまど これ6月12日からですね、9月6日まで。これもやはり2つあって、どっちを先に言おうかなっていう感じですか。
ちひろの方は、とっとちゃん広場10周年記念展。みんな一緒だよ、まる。ということでこれ。
とっとちゃん広場っていうのは。
ちょまど 行ったことあります?
僕はたぶん行ったときにはできてましたね。
それこそ、黒谷さんが、ともえ学園を模して電車の教室が再現されてるっていう。
その広場が10周年なので、改めてとっとちゃんのこととか、とっとちゃんの通ったともえ学園の校長先生の考えっていうのを、
ちひろの絵も混ぜて、もちろんちひろの絵も展示しながら紹介していくっていう。初心者も大歓迎みたいな。
ちょまど 当時としては最先端の教育というか、今はそういう教育も増えてきたと思うけど、それの走りみたいなとこですよね、ともかく。
ちひろ 結構教育者、海外の中国とかインドネシアとか、教育者に響くみたいで、学校で先生が呼んでくれたとか、
シンガフォールか何か行って言われて、特別な教育を受けたとっとちゃん、哲子さんだったんだな。
だから今、あのお子さんを育ててる方で、教育どうしようかなって悩んでる方にもおすすめの展覧会。ヒントが得られるかもしれない展覧会ですよね。
ちひろ そうですね。
そしてもう一つ。
ちひろ これはね、おすすめで、ようこそ!ザ・キャビン・カンパニー新収蔵作品展。長い。学校に間に合わない。中黒。夕焼けに溶けていく。
これ大分の二人組で、瀬戸内芸術祭とかにも立体作品出してる、若いお二人の作品、絵本、原画を新たに、ちひろ美術館を収蔵したので、バーンと全部見せますぜって。
そんなことない。数年前に千橋美術館でもね、ザ・キャビン・カンパニー展って、僕見に行きましたけど、それとはもう別なんですね。
ちひろ そこにも展示されていたと思うんですけど、そこの中の二冊の絵本、学校に間に合わないと、夕焼けに溶けていくっていうのをピックアップして、いろいろ深掘りするみたいですね。
最新の時には多分始まってるのかな。ちょうど始まったばかりで。
ちひろ 失礼します。
今収録のこの中では絶賛準備中ってことですね。
ちひろ そうですね。
だから厚見野館と東京館はまた展覧会も違うから、両方やっぱり行っていただきたいですね。
ちひろ 皆さんどっちかに行ったことがあるって方もいますしね。
住む場所によってどっちが近いとかありますけれど、もし両方見て比べていただけるといいんじゃないかな。
年間パスとかいうものもありますし。
あ、あるんですか。
もう告知することないので大丈夫ですか?
ちひろ うん。何か、トニーさん。
カフェあるじゃないですか。ちひろ美術館のカフェ。
コロナでね、一回ちょっとお休みになってたけど、なんかちょっとずつ復活してきて。
ちひろ 少しですね。東京の方もこの前、ホットケーキを始めたらすごい人気で。
いい匂いが、香りが香りを呼ぶのか、他に食べるものがないからなのか、結構いいですよね。
あれは復活したんですか、ババロアは。
ちひろ ババロア、あーちょっと、あずみのに調査してみないと。
ちひろさん側も好きなんですよね、いちごババロアが。
ちひろ えー、番組にも出たという。すみません、ちょっと。
あれですよね、グレーテルのかまどかなんかにも出てたんですよね。
ちひろ あずみのではいろいろ工夫をしてるから、ちょっとすみません。
でもあずみのかの方が、カフェとしては普通に営業してる。
ちひろ なかなか難しくて、昔を知ってる人は、あれまたこれまたみたいになって、あの時のあれが食べたくない、ごめんなさい。
今は多分ないと思うんですけど、昔ちひろ美術館に来て、結構衝撃だったというか、印象的だったのが、カルピスがあった。
ちひろ へー、何年ですか。
多分2010年代とかじゃないですか、濃いめのカルピスがあった。
カルピスウォーターでしか最近飲まないけど、そういえば小学生の時とかって、なんかおセイボでできたカルピスを、ちょっと濃いめで作って、なんか飲むの楽しかったみたいな。
ちひろ あずみの?東京?
東京でカルピスを飲んだ覚えがありますよ。
ちひろ ちょっと確認しておきますね。
これ違ったら僕が記憶間違えてただけですからね。
ちひろ へー、カルピス。
コーヒーとか紅茶とかある中で、カルピスがあった。
あ、カルピスだっていうのがすごく印象的だった覚えがありますね。
ちひろ 絵とか見たりすると疲れるから、カフェって結構大切だなと思って。
今日もね、カフェに来る時に、カフェにみなさん座ってらっしゃった人も多いので、そこもね、合わせて楽しんでいただけたらと思います。
ちひろ そうですね。
ということででは、この辺りで前半は収録を終えたいと思います。
ということで、改めて告知を最後にもう一回、タイトルだけお願いいたします。
ちひろ はい。千尋美術館東京では今開催中、岩崎千尋、とても素朴なんだけれど大切なもの、それが絵本の中にはあるんです。
あと千尋美術館コレクション、魔法の絵本、絵本の魔法、両方とも7月20日まで開催中です。
そしたら、あずみの館。
ちひろ あずみの千尋美術館は、とっとちゃん広場10周年記念展、みんな一緒だよ。
もう一つが、ようこそ、ザ・キャビン・カンパニー新修造作品展、学校に間に合わない、夕焼けに溶けていく。
こちらは9月6日まで開催中です。
はい。はい、ということで、次回も松下さんとのトークを続けていきたいと思います。