さあ、ということで、この番組後半では、いつも皆さんに聞いているんですが、いつから美術に興味を持っていましたかと。
おー、そう、この質問。
あの、トニーさんもよくいらっしゃると思うんですけど、内覧会というのに、ちっちゃい頃、家族に連れられて行って。でもあれ美術って言うのかな。美術館に行きますよね。
そうすると、こっち側にいるけど、向こう側の人たちは何やってるんだろうって。
そういう。 あ、気になってた。 あ、あっちの方が面白そう。そういう視点なの。 いや、ご両親もあれだったの?美術関係者だったんですか?
うーん、美術館から招待状というのをもらって、いい時代だったんでしょうね。今、あまり招待がケチケチしてるみたいなんだけど。そういう時代で連れて行かれたとか、もう置いていけなかったのかな。
まあ、小学校だったから騒がないと思ったのか。連れて行かれて、なんだなんだって言って。
結構いろんな美術館行ってたんですか? ある美術館。あとそれだけじゃなくて、内覧会じゃなくて、親がどっか行く時には美術館に連れて行かれるので、見て、美術館面白いっていうふうになって、それが最初かな。小学校の時かな。
その最初の小学校の時に行った展覧会で覚えてる展覧会ってありますか?これ行ったの。
アメリカに4年間住んでて、父の仕事の関係。それで、ボストン美術館とかよく行ったので、そこで浮世絵行って、なんじゃこりゃ。
あそこの馬のお尻があって、東海道かな。そこで見たのが衝撃的で、それで浮世絵が好きになった。
この番組で前に出てくれたギャラリストさんも、アメリカに武者修行行ったけど、ボストン美術館見て日本美術に帰ってきたっていう。この話、結構いろんな人が聞くんですよ。アメリカのボストン美術館で日本美術の良さに目覚めて帰ってきた。
なんかあるあるのようになるぐらい。やっぱそれだけすごいんでしょうね、ボストン美術館の日本美術って。
あれフェナルサだっけ。結構いろんなものも持ってるし、見せ方とかもちゃんと知ってたのかなっていう印象に残りましたね。
その最初に連れてかれた美術館もアメリカの美術館だった?
それは日本の美術館で、あんまりない覚えてない。
子供ですからね。でも子供の時って美術館なんて退屈とか思う方が多いじゃない、どっちかというとですけど。ここに来てるね、広美術館の子供たちはみんな楽しそうだからあれだけど。
どうなんだろう。退屈と思うのも面白そうですけどね。どうして退屈って思うだろうかなって。
その時の状況とか、嫌々連れてかれるとか、学校でとか。
そうそう、そのイメージが。松倉さん別にそうでもなかった。
そうですね。特に課題を知るとか、何か強制されてっていうわけじゃなかったので、いろんな美術館の雰囲気っていうのを楽しんで、こんないろんなものがあるんだ。ラッキーだったのかもしれません。
もうそのまんまでは美術館にはよく通うことはあって、そのまま学生時代とか小中高と進んでいく感じですか。
もう小中高ってずいぶん前のことで忘れちゃったんですけど、多分そんな感じだったかなと思います。
で、大学はどういう進路に進むんですか。
そうなんですよ。でも美術が好きだから、そうなんとかっていうのを全然考えてなくて、心理学を勉強しようかなと思ったらダメで、それで近い文学部教育学科っていうところに入って、
でも教育学科でもう先生になりたいわけではなくて、学芸家庭というのがあるぞって言って、それは抽選だったんですよ。落ちたらどうしようと。
なんとか入って、学芸家庭の資格を取るのを受けながら、社会教育、障害学習とか障害教育っていうところを勉強していた。
じゃあ別に美術館で働きたいわけでは、そのときはまだなかった。大学時代はあんまり。
でも大学のとき気がついたら、先生になるのって聞かれると、うんうん、学芸になるって言ってたから、よくわかんないですよね。
なんかキャリアがしっかりしてない。
いやいやいや、でもそのときの学芸になるは、今絵本美術館の学芸なんですけど、最初はいわゆる絵画とかそういう彫刻とかの道の方に行くイメージだったんです。ここではまだ絵本には出会ってないんですよね。
そうですね。でも博物館になるって美術館だなと思ってたんですけど、すごい、ああ、そうだそうだ、また話がちょっと戻るんですけど、
あと浮世絵に興味あったので、浮世絵の美術館、あと話がまたごちゃごちゃになるんですけれど、
小学校のときにいた友達、アメリカで会ったのがポーランド系の委員だったので、ポーランドに興味があったので、
ポーランドと浮世絵をガチャってくっつけたときに、ポーランドのクラクフにある、今は日本美術技術センター漫画っていうのかな、そういう美術館が、磯崎新田の建築の美術館があるんですけど、そこで働きたいと。
もう言って、ポーランドと浮世絵って結びつかないなって一瞬思ったけど、よく考えたら、去年でしたか一昨年だかで、京都国立近代美術館でポーランド絵画展ってやってて、
そのときに、やっぱ向こうで浮世絵の影響、いわゆるジャポニズムの影響、ヨーロッパの人は受けてたようにポーランドも受けてて、ポーランドの画家も受けてましたよって言って、
浮世絵の影響を受けた作品と、ポーランドの美術館が持ってる浮世絵が一緒に展示されてたんですよ。
だからやっぱ影響はあるんですね、ポーランドと。結びつくんですね。
そうそう。で、そのジャポニズムのヨーロッパの流れに乗って、ポーランドのヤシンスキーっていうコレクターがいて、その人が集めた作品がクラクフにありますっていう新聞の有刊の記事を見て、
おーって思ったの。それで何か国語の授業の作文で書いた気がして。
それ、何歳の時ですか。
あれ、中学か高校か、その競り合いの時ですね。
果敢な時期に見つけたんですね、それを。たまたま。
クラクフ、クラクフとか。
じゃあ、ずっとどっかで、もうそれは心の中にあったんですね。いつか行けるとしたらクラクフの美術館の学員となりたいみたいな。
でも、別にポーランド語を勉強にそっちの道に行ったわけでもないし、ちょっとわかんないですね。
で、大学4年、卒論も別に美術系の卒論じゃなくて。
卒論も、大学の時1年交換留学っていうのをしていて、戻ってきたらもうみんないなくなってて、ああそうかそうかみたいな感じで、
合わせてすぐ卒論書かなきゃっていうのは、障害学習と障害教育について真面目な論文を書いてたんですね。
交換留学はどちらに行かれたんですか。
それはカナダかな。
それは、成人教育とかを勉強しながらでも、文化人類学で、あちらのギャラリーで展示に関する授業とかを受けて、結構面白かったですよね。
でも、ちょっとずつ学芸員さんになるような道はありそうだけど、かすりながら、まだ学芸員になる、まだあれは見えてこないんですけど、卒業してどうなっていくんですか。
それでみんな就職活動してたのなーみたいな時に、あ、そうだそうだ、ポーランド政府給費奨学制みたいなのを募集していて、あの例の、クラクフに行きたいみたいなのがあったので、
その介護大でお世話になったっていう先生に推薦状みたいなの書いてもらって、ダメ元で応募したら受かったので、やったーってポーランドに行ってきました。
で、クラクフに。
そうなんです。
そのポーランド、行ったことないからあれなんですけど、ポーランドへの憧れがその中学、もともとアメリカからの時に、何がそんなにポーランドに惹かれるものがあったんですか。
ねー、よくわかんないですね。なんかポーランドポーランドって言って騒いでるだけで。
その移民の人たちのコミュニティがやっぱ優しかった、ポーランドの文化に憧れたとかそういうことは。
その一人の友人が親友がお父さんがポーランド人でお母さんはスペイン人だったかなって、よく仲良く家に遊びに行ったりしてたんで、
それでどういう背景なのかなっていうの、そこの印象でポーランドってどういう国だろうってアンテナを持ってたってそれだけのこと。
絵で憧れのポーランドに何年くらい行くんですか。
えーと、その政府給費は2年間出してもらえたんですけど、それだと途中で帰ってくる気分なので、収支もやりたいっていうことを申請して4年、5年行って。
4年、どうでしたポーランド。その憧れのポーランドって。
ねー、まあ、当たり前だけどポーランド人わかんないから。
それは行かなくてもわかりますよ。4年もかけてそんなこと。
数年前からずいぶん発展してましたけど、何せもちろんむしろもっと社会主義の国だったので、そういう影響があって、お店とか行くとにこやかに日本と違ってブスーとかして。
本当にそういう感じなんですか。イメージなんか、このちょっと暗いというか、ちょっと暗いって言い方もちょっとあれですけど、なんかそういうちょっとイメージ、むすっとしてるような表情のイメージあるけど、本当にそういう感じ、実際。
全員じゃないですけど、結構そういうのが多くて、まあそれ今はずいぶん変わったと思うんですけど、でも物価も安かったし、
授業の傍ら、クラコフっていうのを日本で言うとコトの京都みたいなので、いろんなところに行って、映画館とか、いろいろ日本の映画とかそこで見て。
でも日本は好きなんですか、ポーランドの皆さん。
あ、あの、変なジョークがあって、日本とポーランドは隣国である間にロシアという大きな森があるだけであるとか、なんか日露戦争でロシアをまかした日本とか、まあそれはちょっと古いんですけど、比較的いいイメージがあります。
ポーランドはやっぱりロシアが独立してるから、ロシアに対してちょっとこう思うところがある以上、日露戦争で勝ったあの国って思ってくれるんですか。
そうです。
ああ、なるほどな。
それだけじゃないかもしれないけど、まあでもやはり東洋人はまだ少なくて、道歩いて明らかに、中国人か日本人かよくわかんないけど言うとなんかいろいろ言われたり、そういうことはありますけども、
他の国もそうかなと。
ちなみにポーランドでは何を学ぶんですか、4年間って。
その最初行ったときはまず語学を他の留学生と一緒にこもってやってたんですけど、2年目から自分の好きな学科に行っていいよってことで、私は美術史のほうに行ったんですね。
あ、そこで。
それで結構難しい授業とか、建築とかロック美術とかいろいろ必死でついてたんですけど、そしたらその後どうするかっていうときに、あちらの先生にここで続けたいって言ったら、
君はきっと嫌だったんだと思うんですけど、日本で教育やってきたら教育学院行ったほうがいいよみたいな、いろいろ言って。
ああ、ここで学ばないでみたいな感じで。
断られたっていうので、あちらの教育学科の中で、文化を普及させるっていう不思議な。
ポーランドの文化、それとも別に自国の、それだったら日本の文化を。
文化と言っていたので、特に限定してない、そういう学科があって、美大の学長さんが来たり、演劇の専門家が来たり、公民館の人が来たり、
いろいろな話をしてくれる、そっちの学科部、教育学部の中のそういうとこに入りますと。
なんか日本ではありそうでない?
ないですかね。
学部というか学…。
もっとかっこいい名前なんじゃない?アートマネジメントとか。
ああ、そういう感じなの?
そんなに、そんなかっこいい感じはなかったです。
その時になってた同期の皆さんみたいな人は、どういう道にその後行ったとかって聞いてた?
全然知らないですけど。どうしたんだろうなって。結構途中でいなくなっちゃったりね。でもみんな真面目だったかなと思いましたね。
学芸員さんにいる、その向こうの学芸員さんがいる人がそこで学んだわけではない。その人たちがやっぱり美術史を学んでた。
どうかだ。たぶん、学芸員の人は美術史かなと思うんですけどね。
でもそういう学部が。
で、その担当の教授は詩が専門だったんですね。
詩芸、詩芸。
はーっと思って。他の先生がよかったんですけど、なぜかそこから。
他の先生。まあまあです。
でもまた、それで、でも自分は描きたい、関心のあるのはそのあちらの美術館のそのコレクションとそこのテーマだって言ったらなんとかそっちに寄せて論文を書かせてもらったので、ありがたかったかなと思っています。
でも実際その4年間行ったポーランドのなんか一番思い出とかカルチャーショックとかなんかありますか?ポーランドでの思い。
どうだろう。まあ冬になると本当に夜が早いんですよね。だからもう3時とかでおー暗くなってしまって。
そんなに早いの?
そうするとやっぱりこう気分が、私は大丈夫な時落ち込む人もいたりして、だからきっとアルコール飲む人多いのかなとか。
でも当時はまだポーランドの社会が変化してるところでまだ西洋、西側に追いつけっていう感じだったので、それこそ美術館に行くと誰も人がいなくて、
リオナルド・ダ・ヴィンチの有名な作品を。
白点を抱く女があるんですね。
あれがあるチャルトリスキー美術館に行くといなくて、おばさんがこう監視していて、私がいる時にパチって部屋の電気をつけて、いなくなるとパチッと現実。
そんな時代があったんですね。
ああ、そうですか。もう数年前に行ったらさまがわりしていて、あれは幻だったのかなっていうような感じです。
このポーランド知らなすぎてないんですけど、食べ物ってどういう感じですか、ポーランドが。
あまり刺激的ではなくて、どっちかというとロシアローリとドイツ料理のあいのこみたいで、水餃子みたいなものとか、じゃがいもとか。
ドイツ、どっちか。
乳製品とか、その辺が結構多くて、やっぱり輸入してるけれど、あんまり野菜とかそういうものよりは、色が淡色系、そんなこと言っちゃいけない。
でも、美味しかったですよね。
やっぱり4年間楽しかった、ポーランド。会ってました、自分には。
そうですね、結構友人たちに支えられて、向こうで知り合った、同じ大学の映画学っていう、その人たちと仲良くなって、今も連絡したりするのはそこの人なので、感謝しております。
ポーランドって行ったことなさすぎたりなんですけど、もし行くとしたらどこ行ったらいいです。
おすすめ、観光で一週間行けるようになったら、まずどこ行ったらいいですか。
どうですかね、いろいろな場所があって、皆さん必ずこういうのは、アウシュビッツってドイツ語読みだけれど、あれもポーランドの中の遺跡というか遺産として、語らずにはいられないところなんですけど、
そこをもちろんですが、私としてはクラクフ大好き人間なので、そこのぜひ美術館をいっぱい見てください。
クラクフは、ポーランドの首都はどこなんだろう。
ワルシャワ。
クラクフは2番目の都市ぐらいな感じ。東京、東京、こっちで日本で言うと京都ってことは。
そうですね、古都ですね。
日本と似てる部分もあるんですか、こういうとこ日本と似てる。
日本と似ている部分、なんだろう、礼儀正しくはないか。
違うことが多いかなと思うのですが。
何でしょうね、ちょっとすぐには思いつかないかな。
でも4年間暮らしてられたっていうのは何かしっくりするものがあったと思います。
クラクフ、じゃあ行ってみようと思ったら、あとじゃあこの言葉を覚えておいた方がいいよってあります?
言葉。
ポーランドは何、ポーランド語になる。
そうです、ポーランド。じゃあ、こんにちはみたいな。
でもこんにちはって言ってもね、ありがとうとか言わないからね。
何の番組なんだろう。
いやいや、ありがとう聞いて。
ジンクウィエン。
ジンクウィエン。
なんか良いセリフ言ってますね。
合ってるんですか、ジンクウィエン。
ジンクウィエン。
ジンクウィエン。ちょっと中国語っぽいですね。
ごめんなさい、中国語、ちょっと不思議な。
シーンがいっぱいあって、なかなか難しいので、きっと言うと喜ばれます。
わかります。ポーランドの美術を見た時に、本当に初めて見る作品が多かった。
えっと、何でしたっけ、マテイク。
国民画家。
ここぐらいしか知らなかったんですよ、ポーランドの作家。
知ってたってすごいですね。
スタンチクっていう、多分国民的道化師みたいな人がいて、その人の絵描いてる人っていうので知ってたけど、
あとの作家はもう全員ほぼ初めて知る人だったし、そもそもポーランド人で知ってる人が、コペルニクスとあともう一人ぐらいって書いてあったんです。
なんか日本で知られてるのが。
キューリフジンとか。
キューリフジン、そうそう。
ショパン。
あ、そうそう、ショパンもそう。でも芸術家っていうと意外と知られてない、みたく書いてはありましたけどね。
そうですね。
でもそのポーランドのこともちょっと今わかったとして、ポーランドから4年学びました。
ポーランドの最初の予定では、ポーランドの技術家の学芸になりたい夢もあったんじゃないか。
どうなったんですか、そこからポーランドの4年が。
そこで実習させてもらって。
実際行ったんですか。
かなうもんなんですもん、すごい。
それで実習させてくれって言って、いろいろして。
あ、でも日本人としてここで残って働くのは難しいかなと思ったので、引っ張り諦めて。
それがなかったら、もしかしたらポーランドでそのまま暮らすっていう選択肢もあったんですか、松本さんの中で。
どうなんだろう。
でもやっぱり、かなり異国で、外国で日本人として生き延びるっていうことの難しさをポーランドでいろいろ感じたので、帰ろう。
帰って戻ってこられて、そこはどうなるんですか。
戻る前に卒業論文というか終始論文みたいなのを書いてたときに、たまたま日本にいる友人が、私が向こうでポーランドの絵本っていうものを知って、その魅力で、日本でこんなことを伝えたいみたいなことを言ってたら、
こんな美術館があって、僕の自由美術館のこと募集してるよって言ったら、へーって、なになに?というところで、
応募してみた。
そういう流れなんですか。ポーランドの世の中で文化を紹介っていうのを学んでるときに、絵画とか絵本に興味持ったと。そこでじゃあ。
たまたま友人、向こうの美大に行ってる友人が、こんな面白い画家がいるんだよって紹介してくれて、そこでポーランドの絵本を少し知って、
それからハマって、いろんな古本屋さんに行ったり、図書館に行ったりして、見たり集めたり、その人に会ったりするようになって、
ポーランドの絵本って、今まであんまり知らなかった世界を、自分も好きだから、それは日本にも知らせたいみたいな。
ポーランドはそのヨーロッパの中でも、やっぱり絵本が充実した国ではあるんですか。
えっと、今年きっとどっかで展覧会すると思うんですけど、ポーランド結構ポスターの世界でそれなりに知られてるみたいで、
そのポスターのグラフィックアーティストが絵本を描いていて、なんていうのかな、ちょっと独特の世界ですごい知られてるわけではないんだけど、
その社会主義時代に、自由な表現を求めていた人たちが、ここなら自分が好きなようにできるという場所が絵本だったんです。
子どもたちの絵本とか絵冊だったので、それなりの充実度があって、あの人があって思うような画家や、
その理大で学んだ人たちが、子どもたちの本音を手掛けつたという感じで、だから、世界的にポーランドの絵本が有名かと言われてはそうではないかもしれません。
そのポーランドの絵本作家で覚えておいたほうがいいっていうか、その第一人者って誰だったんですか。
私が好きなんだけれど、でも千尋美術館のコレクションじゃないので、言っちゃいけないのかなと。
言っちゃいけないことないです。そんな厳しい美術館なのに、そのコレクションなかったら。
日本で雫の冒険っていう絵本があるんですよ。
雫。
の冒険。雨の時期になるとよく本屋祭に出てくるんですが、それの絵を描いたポフダン・ブテンコっていう。
どこで区切っていいかもよくわからない。ボクダンで止めてるんですか。
ポフダン・ブテンコっていう人がいまして、かなりポーランドに行くとみんな子ども時代に彼の、
ああ、見たとか。漫画も描いていて、アニメーションもしていて、ああ、ああって言って。
国民、人気の人がボクダン・ブテンコ。
じゃあもしポーランドの方に会ったら、ブテンコの読んだよって言うともう、日本で言うと鳥山明のドラゴンボール見てるみたいな感じなんですかね、いわゆる。
どうなんだろう。みんな知ってるかな。知ってるかな。聞いてみてください。
会う機会が。会いに行った方がいるってのはどなたですか。
その人ですね。
どんな方なんですか。
ひょろーってした。ひょろーとした調子で行くの。
まず見た目から。
ちょっとダンディな感じで、非常に丁寧に質問とか要してたら答えてくださって、ちょっときちっとした感じかな。いわゆるアーティスト、わはははっていう感じではない方でした。
でもチキール美術館にその方の作品はないとは言い間がってましたけど、チキール美術館にあるポーランドの作家さんとかいる?
はい。それがほぼ同時代なんですけれど、もう展覧会終わっちゃったかもしれないんですが、ユゼフ・フィルコンという、今年96歳の画家で、
彼はポーランドだけじゃなくてドイツとかフランスとか、そういうところで絵本のための絵を描いて、ポーランドに住んでいながらヨーロッパで知られるようになった画家の作品で、
その100点以上、千尋美術館にあって、さらに日本の他の美術館に合わせると数百点。
結構日本に、本国当然ポーランドにも寄贈というか作品はあってと。それとも日本が多いんですか?
本国にいくつ、96歳だからそれなりの作品があると思うんですけれど、今年か来年か美術館を建てるらしくて、でも日本に数百点作品があるっていうのはもう変えられない事実だから。
日本、翻訳されてる絵本もじゃあ日本で結構出てる。
そうなんですよ。だから70年、80年代、90年代、30冊ほど翻訳、彼の絵本がいろんな出版社から翻訳されて日本で紹介されたんですが、
残念ながらほとんどオークが今、重版されずに、図書館に行かないと見えないみたいな風になって、七名ども育ってしまったという。
そのイルコは結構、安住の地、広美術館には、彼が作った、トニーさんもご覧になったんじゃないかな、立体的に魚が上に泳いでたの見ませんでしたっけ。
そういうとこ、動物が楽器を吹いていて。
広い展示室に入る前上のところ、天井みたいなところに。
そうそう、あれを作った人なんだ。
そうなんですね。あれは千尋美術館のために作ってくれたんですか。
いやいや、そうじゃなくて、コレクションとして購入した。
今さらっと出てきたポーランドの作家さんの作品が70年代、80年代、日本で翻訳されてたっていう。
日本っていうのは、絵本の文化としては、かなり世界的に見ても水準高いんですか。
そのわざわざポーランドの作家さんの翻訳して販売してた。
すごい貪欲なんじゃないですかね。日本にやはり関心がある人が多いので、
いいものを、もうすでに千尋が生きていた時代から世界から取り寄せて、それを広めていこうっていう、
出版社も編集者も多いから、そういう動きになったのかなと思います。
世界的に見ても、やっぱり日本は誇るべきことなんですか、やっぱり本文化。
うん。六次世みたいなものもあって、特に第二次世。
まあでも大正時代からすでにいろんな画家たちを活躍してたけれど、
第二次世界大戦後、改めて子供たちにいいものを届けようっていう動きがあって、
その、絵本とは何かとか考えながら、みなさんを模索して作っていったので、
最近はどんどんいろんな国が立派な活躍する画家たちを輩出してますけれど、
日本もそういう、絵本の歴史っていうのはかなり厚いものがありますね。
じゃあその、向こうで絵本を学んでというか、絵本を開花して、日本の美術館に行った、千尋美術館に入ったときって、
そこから日本の絵本とかも学んでいくんですか。
そうですね。
千尋さんとはだからどこでこう、今までだからまだ千尋さんに出会ってないんですけど。
だから不思議な、不思議ですよね。
そうそう、千尋さんとはどういう、ファーって。
入ってからかな、入ってからかな。
まあ知ってはいた、外。
入る、入るというか、まだその前段階で千尋美術館ということを知るためにいろいろ勉強した。
はーって、うちはあんまり岩崎千尋の絵本を読んでなかったので、
トニーさんと違ってなんか、千尋とか、でも教科書で見たかもしれないけれど、
そこで、あ、岩崎千尋という女性画家も、その作品からスタートしてるんだなっていうことを知って、
非常に共感したので、
あと、いろんなしっかりした理念、こう、子供たちの平和と幸せとか、
絵本文化を発展させようという、
あ、こう、しっかりした柱を持ってるんだなって、
見直して、ここなら、ちょっと受けてみようかな。
まあ、落ちるかもしれないけどね、って思いました。
その時はもう千尋美術館開館してどれくらい経ってたんですか?
えー、もう、アズミノができていたので、
20年は経って、20数年、30年近いくらい。
なので、それなりにも、しっかりしてたときですね。
これ、一発アラートなんですけど、千尋美術館って2館あるじゃないですか、東京とアズミノ。
学芸員の募集入ったら、もう東京かアズミノか選べる。
入ってからどういうシステムなんですか?
面白いですよね。
これはどうなってるんですか?
入ってから、あなたはこっちに行けって、「はーい!」って感じ。
そうなんですね。
あ、そうなんですね。
だから、どっちに行くかわからないんですよ、最初の段階で。
結構、怖いですよね。
怖いってなるんですか。
でも、基本学芸員の皆さんは絵本を学んで入ってきた人が多いんですか?
結構、他の美術館の学芸員と話すとき、うちの美術館にいたんですからって、よく話すんですけれど。
ちょっと特殊で、いろんな背景を持った人がいて、学芸募集というより、七尾美術館で働く人を募集していますという形で募集して、
そこからもう少し違うかなと思うのと、それこそ、とにかく法律を学んだ人もいるし、経済を学んだ人もいるし、
美術史を学んだ人もいるし、
すごい様々な背景を持った人が入って、ここで生まれながら成長していきます。
なんか、七尾美術館のスタッフさん、学芸員さん、皆さん優しいイメージ。
ほんと。
やっぱ、七尾さんの影響なんだろうなって思うぐらい。
よかった。
ほんとなんか、あまりエキセントリックな人は見ないじゃないですか。
別にそれは褒め言葉だけど、この美術学院さんって、やっぱりもう、ザ研究職みたいな人もいらっしゃるじゃないですか。
それはそれで学芸さんとして素質として素晴らしいなと思うんだけど、そういうなんかもう、研究者ですっていうタイプの人じゃない感じが多いです。
もちろんみなさんそれなりに研究されてるんだろうけど、
雰囲気は千尋さんの絵のイメージだなと思うから、それすっごく前から思いますね、七尾美術館のために。
やはりその、千尋とその千尋美術館の理念に共感する人を求めますっていうので、
そこでこう、淘汰されて、淘汰されて、変だけど。
で、私たちもそれに共鳴して、
いろいろなプログラムをしたり、展示をしたり、みなさんに接してるので、そうなるのかなと思いますけどね。
やはりでも当たり前なんですけど、みなさんね、やっぱ千尋さんリスペクトになってくる人多いですよね。当然ですから、大抵。
でもこうね、冷静な視点も持たなきゃいけないなとは思いますけど。
でも担当する展覧会は千尋さん、ここって前半でもそういう話出たけど、展覧会結構2本立てが多いじゃないですか。
片っぽは千尋さんに関する展覧会、片っぽは絵本コレクションみたいな感じの、まあ1本もある場合の時もあるけど、
それで別れるんですか、2人と。千尋さん専属の学院さんと絵本、みんなどっちもやる感じです。
そうですね、結構、なんていうのかな、民主的にやって、今回これやったからこれみたいな、もう特に専属っていうのはないかな。
もう千尋さんのことだけをやりますっていうよりは。
みんなそれぞれに、安住野にも東京にも、学芸担当っていう人たちが何人かいて、その間でローテーションっていうのをうまく分担しています。
他の館の方はどうなんですか、やっぱり。
いや、どう。
専門がいますよね。
岡本太郎、美術館だったら岡本太郎だけをやる人とか、いそうな感じはしますけど。
じゃあ、はいって今までいろんな展覧会されたと思うんですけど、第一回の展覧会ってなんだったんですか。
なんかあまり思い出したくないです。
ちょっと、アンデルセンとグリムっていう2人の童話の作家に関する展覧会を千尋美術館のコレクション中心に組むっていうのがあったんですけど。
自分の中ではちょっとこう、腑に落ちない部分が。
ちょっと、まだ暗中もさくってですかね。
自分の中でここからちょっと自分変わったのじゃないけど、自分の中の分岐点じゃないけど、あの展覧会は印象深いなっていうとこなんですか。
なかなかこう、過去を振り返ることが苦手なのですけれども、ロシアのアニメーション作家でユーリー・ノルステインっていう人がいまして、彼がアニメーションだけではなくて、
日本のためにアニメーションから絵本を福音館書店っていうところから出したんですね。
これもやっぱ日本で出てるんですね。
そうなんですよね。
で、それと会ったからならば、それでノルステインの絵本作りというのを担当して、その時は本人に会いにモスクワに通訳の方と一緒に行ったり、
その作品を借りたり、その福音館書店の編集者の方にいろいろ話を聞いてやったり、あと薄いんだけれども、パンフレットを必死で作って、なんかこうジンマシンが出て、非常に大変だったという。
けれど、ファンが多いのかな、それなりに。
日本にもファンが多い。
で、パンフレットも結構売れたし、展示も、高畑勲さんはアニメーション作家でノルステインをしているので、初めはこんな展覧会どうなのかみたいなことを言って、
いやーって思ってたのが、始まって、まあ面白いねって言って、わーわーわー、よかった、というように非常にいろんな面で印象深い展覧会がそれでした。
このノルステインさんの絵本も、これは未だに販売されてるんですか。
なんかこの前、その作品、一部美術館でコレクションしてるんですけれど、その絵本がもう、ジュルファン見て、とかいう噂を聞いてて、結構絵本というか、エイコー先生で、うーん、悲しいですね。
エリック・カールはなんであんだねってぐらい、とんでもなく。
人気ですよね。
うーん、なんだろう。
これはその東欧の作家が、あんまり今日本で受けてないっていう、それとも全体的に今、もう全体的に海外の。
いやそんなことはなくて、なんだろう、エリック・カール、みんな知ってるから?
あーまあまあまあ。
こんなこと言ってはいけないけど、知ってる人は知ってる作品は一気に。
確かに確かに。
そういう話しかないとね、うーん。
東欧の作家さんは絵が暗いとかそういうことはないです。
勝手な意味は、もっとこじつ、決めつけみたいな言い方が良くないですか。
でも独特な特徴はあって、今東京で展示している絵本の中にも何か、ポーランドとかチコとか、スローバッキーを見たかな、の作家。
こう、少し不思議な暗さというのかな、こう、あの、カラッとはしてないかもしれない。
例えば、その東欧で言うと、チェコで言うと、ミューシャーが多分みなさんのイメージ。
ミューシャーってフランスにいるときはあんなに華やかな絵描いてるのに、
自国に戻るとスラブジョジシの作品になると、やっぱ東欧らしい、なんか暗さというか、
闇とは言わないけど、なんかそうなるじゃないですか。
やっぱりその、西欧と東欧でなんかやっぱりちょっと違うのかなっていうのは、なんかミューシャーとか見てると思うんですよね。
歴史かな、なんかそういうものを追っていて、なんか無意識にそれが筆から出ているのか。
でもそういうのを好きな人もいるんですよね。
ヤンシュ・バンク・マイエルのあの世界観が好きな、みたいな感じとかね。
だから、そういう人たちがいるから、いいなと思っています。
松倉さんはでも、基本いまだにポーランドとかその周辺の絵本が好きなものなんですか。
でも色々とこう、ここで色んな作品出会ったことによって変わっていくものなんです。
そうですね。千尋美術館に入って、それこそ色々な展覧会を担当させてもらって、
韓国だとか中国だとか、色々だんだん視野が広がっていくうちに、
ポーランドは面白いけれど、もう他の国もすごいっていうのが多いようになって。
いやー、絵本の奥深さっていうのは追い切れなくて大変です。
これ絵本の美術館の学芸員さんって大変だなと思うのは、もうまだ調査範囲というか対象範囲が広いじゃないですか。
もちろん絵画ももちろん広いけど、どうするんですか。絵本はだから出版するたびにチェックしに行くものなんですか。
いやー、そこをおっしゃるの本当にそうで、図書館の人は新しい本が来たら、
ああーって見てるけれど、私たちは本当に自分から見ていかないと見ていけないし、
日本の絵本だけじゃなくて海外の絵本とかだと、ああーみたいな風になるので、ちょっと勉強不足がいつも苦しい。
普段どうするんですか。展覧会を見に、絵本展を見に行く感じなんですか。
いやー、そうだけじゃなくていろいろな展覧会を見たり、あとそうですね、今上野に国際子ども図書館とか、そういう専門の図書館もありますし、
あと今本当にウェブサイトでいろいろなところの各国の館とか、最新情報とかがあったりするので、そういうのを見ていかれるんだけど、ああー、目の前のことで精一杯で、もうちょっとため息をついています。
だから、追うの大変ですよね、そう考えると。
でも、他の美術館の方もそうだと思うので、でも面白いですよね。
でも、それこそこの番組のオファーを送らせていただいたら、番組のこと、そういえば田村雄一郎って、美術館田村雄一郎って行く前に聞いてましたよって教えていただいたじゃないですか。
だから、ああいう感じで現代アート展もちょこちょこ行かれるんです。
美術館とか美術展に興味あるので、誰かから面白いよとか聞いたり、情報を見て気になるものはなるべく足を運んで、刺激を受けていますので。
トニーさん、ありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ。
じゃあ、展覧会見に行くとか絵本以外で趣味って言ったらどういうことですかね。
そうですね、結構絵とか目を使うので、そういうわけじゃないんですけれど、趣味っていうか、音楽とか語学、耳から入ろうと。
例えば今、アマチュアオーケストラに所属して、週1回練習に行って、全くタイプが違うね、絵の勉強に。
楽器は何をされてるんですか。
楽器はバイオリンです。
それ、昔からやってたんですか、それとも。
昔からかな。
なので、また違うストレス発散になりますし、聞いたりすることもありますし。
ここで演奏はしないんですか。
まずいですよ、それは。
まずくないですよ、ぜひぜひ。
1回実は、プログラムといろんな交付協議機能のイベントでやろうかなって言ったので、テキが出まして、もうそれ以来反省して。
それは1回演奏聞かせたところ。
いや、聞かせる前でテキが出て、そうだなって。
音の関係でってことですか。
いや、そういうことをやってはいけない。そうなんですよね。なので、もうそれ以来。
では、聴くのは趣味というか。
楽しくオーケストラでやっております。
オーケストラの演奏会に出るときもあるってことですね。
はい。頭の中が音楽でいっぱいになっているとか思いますけどね。
で、いろんな分野の。
でもやはり人が作ったもの、音楽も芸術もだから。
あと、あずみ野の千尋美術館に長くいたので、山の近くにいたりするので、自然が恋しくなって、もっと山とか登ったりしたいなと思って。
あずみ野のときに始めたけど、もっと山に登っておけばよかった。
でも今からでも遅くないんですか。時々行くんですけど。
結構、あずみ野にいたときも、他の館の学園さんとかで山に登り行きにわざわざ長野に来るとしておりまして。
そんないいとこだったなって、東京に来てから。
東大元ぐらいじゃないけど、地元だと気づかない。
自然は好きですか、とみさん。
僕は、この番組の月一レギュラーだったら、あらいまるさんっていう子は山好きなの。
山、いいですね。
僕はないですね。
けっぱで。
なんかで行けって言ったら、もちろん行きます。
その、体力はあるんで、あれなんですけど、僕は旅行も海外旅行あんま興味ないんですけど、
これ全部理由がはっきりしてて、行きは楽しいんですよ。
目的地に向かって行くのはまだ、まだいいんですよ。
一日ぐらい。例えば海外行くために。
山も一日、まあ一日もかかんないかもしれないけど、頂上に向かって。
その帰りは何をモチベーションにしたらいいんだろうなと。
帰り。
頂上に向かって行くわけ、登るというのはモチベーションはなんかわかるんですよ。
あの頂上を向かって。すごい大変な思いをして、3時間ぐらいかけて登るとするじゃないですか。
そこでワープしても下に戻ってこれるなら、行きたいんですけど、その下山、家に帰るというこの下山の何をモチベーションに、
それをそんな長時間、海外旅行もそうで、一日かけて海外行くのはいいんですけど、
家に帰るまで一日がもう無駄に感じちゃうんで。
おもしろい。
温泉旅行とかも興味ないのは、温泉入りに行きたいという気持ちで行くのはわかる。
あとその同じぐらいロールかけて家に帰るって何?みたいな。
時間が無駄に感じてしまう。
だから本当あれです。どこでもドアみたいなのができたら、行きはちゃんと旅を楽しみたいけど、
帰り、ショートカットできるんだったらいくらでも遠出してみたいなって思う。
山登りもそれなんですよね。なんか下山って何?
それなんです、僕は。
おもしろいですね、すごい。そういう考えの、なんか目がバッチリ暗く感じる。
良くない考えです。
登山楽しんでる人たちには本当に申し訳ないですけど。
美術館とかそういう目的がいっぱい繋がってればいいんですよね。
だから美術展巡りとかは、一日何回巡ってるとか言うと、
例えば僕、公式で番組とか出たときとかに1年700、800行ってますって言うと、
そんなに行ってるんですか?みたいなこと言っていただけるんですけど、
行くときにも2、3個まとめて行くほうがいいんですよ。
それはそうだよね。
1行って戻る。1行って戻る。戻るをなるべく減らしたいからっていうことだと思います。
僕はだからその帰りの時間っていうのが非常に嫌なんですね。
でも下山して温泉行ったりダメですか?そこですか?
登ってる最中はすごくあそこに向かってっていう。
もちろんその下山の温泉の次のシーン、多分温泉なんです。
多分この降りてるシーンはもうなかったことになるというか、
もうあんまりモチベーションがない感じがするんですよね。
でも風景は違って見えますけどね、行きそうに帰れる。
もちろん実際行ったら楽しむと思うんですよ、下山も。
多分ね、それは全然僕は楽しめるほうだと思うんだけど、
そもそもそう考えちゃうから、計画しないって感じなんですよね。
さあ、ということでいろいろと聞いて。最後にもう一個だけ聞いて。
将来チャレンジしたいこと、やってみたいことってあります?
いろいろしたい展示、展覧会とかはあるんですけれど、
今さっき言ったようにポーランドの絵本っていうのがずっとついて回ってるので、
日本にあんまり紹介されないけれど、
紹介したい絵本、つまり翻訳も一冊だけしたことがあって、
次の翻訳、準備をされるんですけど、
仕事じゃないので、本業じゃないので、なかなか時間が取れなくて、
それをうまく日本で翻訳出版できればいいなっていうのがあります。
その言える範囲で、今松嶋さんが推してるポーランドの絵本作家って、
じゃあこの人今度推したいって。
その例の今先出た、どこで切るかわからない、
普段、武田くんの、ちょっと古い本なんですけれど、
ポーランドでは復刊されていて、結構いいんじゃないかと思って。
普段日本ではまだ未発表、未翻訳。
未翻訳。
なのでそれを翻訳して、編集者の人にどう?って聞いてみたいと。
それはどういうような話?ざっくり。
ポーランドの有名な詩人が、あるところで起きた火事の天末を一つの詩にして、
その流れが絵本になってるんですね。
日の見合うから。
ハッピーな話ではあるんですか?
一応、火は消し終わって、やれやれって。
大丈夫。
でもいいですね、なんか。
そういうのも、ちょっとやっぱりポーランドっていうのは結構もう、松片さんにとってはやっぱり大事なんです。
第二の故郷?
国立近代美術館っていうのなんか、京都の僕、あれも行かれて。
行きました。
懐かしいなって感じ。
あっ、見たなーっていう話がありますね。
じゃあ今度、千尋美術館でポーランドって文字が出てきたら、これ松片さんが。
たぶん間違いなく松片さんがやってるんだろうなって、みんな思いますね、この聞いてくれた方。
ぜひぜひ、今後もポーランドと千尋さんの魅力を。
それだけじゃない。
文化を広めるように広めていただけたらと思います。
ということで、そろそろ収録が終わりということでございまして、改めて企画展の告知をお願いいたします。
はい、じゃあ、あずみんから言おうかな。
あずみの千尋美術館では、現在、とっとちゃん広場10周年記念でみんな一緒だよと。
そうそう、千尋美術館コレクション、星の下の物語。
2つだけじゃないの、これ2つ目で、もう1つ。
ようこそ、ザ・キャビン・カンパニー新収蔵作品展、学校に間に合わない夕焼けに溶けていく、を開催しております。
これは前半の時に、星の下の物語、これはどういう展覧会、せっかくなので後半では言いましょう。
展示室、千尋の部分と、それがとっとちゃん広場で、企画展も2種類あって、ババーンっていうのと、ちゃららーんって。
雰囲気ですね。
少し規模が小さいけれど、これもちゃんとやってますよっていうので。
星の下の物語展覧会もやっています。
楽しそうですね。
そして東京館の方では。
東京館では2つですね。千尋美術館コレクション、魔法の絵本、絵本の魔法と、岩崎千尋、とても素朴なんだけれど大切なもの、それが絵本の中にはあるんです、という2つの展覧会をしております。
特にこの岩崎千尋さんの展覧会の方は千尋さんの言葉と千尋さんの作品、本当にもう絵を始めた頃から、まだ作品が見れません。千尋さんの人生が終える展覧会ですよね。
あと会期中に千尋の言葉を、今一生懸命集めて黒く出す準備をしていて、それがババーンと発表できるらしいです。
それも一般の方が購入できるものとしてということですね。
千尋さんの言葉もすごい素敵な言葉がたくさんありましたので、絵だけじゃない千尋さんの魅力が築ける展覧会になっておりますので、ぜひ皆さんこちらにも足を運んでいただきたいと思います。
さあ、ということで前半コーハン終わりましたけれども、松下さんいかがだったでしょうか。
なんかあっという間に100年が過ぎたって感じです。
何の魔法がかかったんですか。そんな壮大なあれでしたけど。
でもトニーさん、さすがですよね。私がいろいろあちこち行くのをちゃんとふーっと静かに戻して。
ありがとうございます。
子ちゃんも楽しくやらせていただきましたので、またいつでも遊びに来ていただきたいと思っております。
いつでも。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
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