はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、板橋区立美術館館長 松岡希代子さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
はい、ということで前半お疲れ様でした。ありがとうございます。ありがとうございます。引き続き後半ということでございますけれども、毎回聞いていることがありまして、
いつから美術に興味を持っていましたか?というのを聞いているんですけど、前半でちょっとイタリアで図像学みたいな話がありましたが、興味自体はいつからあったんですか?
もう本当に子どもの時からって、まあ皆さんそんな答えじゃないかと思いますけど、お絵かきしたり、工作が好きだったですね。
幼稚園に行く頃からですかね。
もう本当に長いんですね。
作ったり書いたりっていうのは延々とやってました。
でもそこから美術部とかにも入ったりとかですか?
いや、家の近所のお絵かき教室に行ってましたね。
幼稚園の時も行ってたな。
小学生になってからも、また別のお絵かき教室が近くにできて、そこに行ったりしてたんですよ。
そしたら夕方になると、かっこいいお姉ちゃんたちが来て、油絵とか描いてるんですよね。
かっこいいなと思って。
聞いたら、女子美っていう学校があって、絵ばっかり描いてる学校なんだってって言われて、
そうなんだ、そういうとこいいなと思って。
母親に、私も女子美の中学行きたいんだけどって言ったんですよ。
中学から女子美なんですか?
母親に言ったら、うちの母親も結構面白い人で、うちのお姉たちも何もダメとか言う人じゃなかったんですけど、
女子美もいいけど、あんまり中学から行くとつむしが効かなくなる。
ということを、小学校の時に聞いてるってことですね。
だから、ちょっと様子を見た方がいいんじゃないのって言われて。
ダメとは言わないけど、中学校は普通の。
でも、中学も私立の付属中学に入ってしまいまして、
それで、ずっと上まであるところに入ったんですよ。
でも、その時は別に美術専門じゃないんですか?
じゃないです。
それで、つむしが効かなくなるから。
そんなことを小学生が考えるから。
普通の中学行ったんだな、みたいな思ったんですけど、その学校が超合わなくて。
なんか三つ編みが好きで。
みんな三つ編みで、あと靴下は三つ折りなんですよ。
なんでみんなそんな三にこだわるのかよくわかんなくて。
三つ編みと三つ折りで。
高則なんですか?
高則です。
昔ながらの私立の私立の。
ミッションっぽい感じですか?
ミッションじゃないんですけど、私立の学校で。
もう本当に嫌で。
その感じが。
もう中学だけで失礼させていただいて。
もう中学だけで辞める人ってほんの数人しかいないんですよ。
その数人になって。
数人になりまして。
もう失礼させていただいて。
で、やっぱり私この学校嫌だから女子美受けたいんだけどって母親に言ったら、
母親はまあそうねってなって、それで女子美行ったんですよ。
その時はプレイヤーというか核側で入ってるんですか?
だってここですもんね。
普通に絵を描いたり。
ここでも絵画コースとデザインコースに2年から分かれるんですけれども、
それで女子美受かって入って、すごい楽しくて。
でもうちの母親とかも気に入っちゃって、いいわねこの学校みたいな。
もう他人の先生とかも紫のドレス着てて可愛くってね。
三つ編みの時からしたら大変化ですね。
大変化ですね。
会ってたんですね、水にやって。
会ってました。楽しいなと思ったんですけど、
高校1年の1学期が終わる頃には、これは自分はダメだなと。
なんでですか?
辞儀が下手。
周りと比べるということですか?
そう。だからもうこれは自分は辞儀では立ち行かないなっていうのが、
高校1年の1学期で見えちゃったの。
なかなかの挫折でしょ?
なかなかですね、楽しかったはずなのに。
でも基本は楽しいのよ。
だからそのプレイヤーとしてはっていうのをそこで知っちゃったんですね。
隣に座った人とかね、今でも作家活動している野村直子とかね、
もう本当にいい絵描くんですよ。
もう線一本引いても違うんですよ。
でもそんなのが隣にいたんですね。
もうこれはダメだなと思ったんですけど、
でも女子見のいいところは、やっぱり美術系の学校だったんで、
美術に関する情報がいっぱいあるんですよ。
先生たちも進路指導じゃないですけど、
いろいろこう、美術もちろん絵画だけじゃなくてデザインもあるよ、工芸もあるよ、
ディスプレイデザインとかもあるよ、
実際に描くんじゃなくて美術の先生になったりとか、
美術館とか博物館には学芸員という人がいて、
人々と美術をつなげる役割をしている人がいるんだよと教えてくれたんですよ。
それで、あ、これだなと。
それも高1の時には、夏にはそこで決まったというか。
そうです。ほぼそうです。
でも、そういうことを教えてくれる授業もあるんですか?
教えてくれる授業っていうか、
やっぱり付属だけど、大学には推薦で何人しか行けなくて、
あと受験しなきゃいけないとかっていう、
先々のことっていうのは常々いろんなことを、
保護社会とかもたぶんあったんだと思うんですよ。
いろいろ教えてくれるんですよね。
そういう中で、大学のコースを選ぶときに、
教員やるんだったらこういう単位が必要だし、
学芸員だったら何でとか。
短大ではこういうコースがあって、大学ではこういうコースがあって、
いろいろ教えてくれる。
そういうものの中でたぶんあったんだと思います。
授業としてはでも描く、描いたりとか、
そういうことをやってはいるけど、
美術士の授業だとかもある。
そういうこともありました。
でももう頭の中では、自分はそっち側に行こうと決めたんですね。
その学芸員の方の道に。
だって下手なんだもん。
でもじゃあそこから大学上がって、そこで美術。
どうするんですか?
電話も取れないじゃないですか。
社会人経験もないわけですからね。
場所の説明とかもできないし、自分だって分かんなかったんだから。
確かに。板橋の場合、どこを曲がってどうとか言えないんですもんね、場所が。
どこからも遠いから。
当時は電話の問い合わせの9割くらい、どうやって行くんですかっていう。
今もGoogle先生でみんな来るから。
そうか。しかも別にその当中っていう、携帯電話で聞いてるわけじゃないですもんね。
携帯電話って生まれてから聞いた電話なんだ。
これ家電ですよね、きっと。これから行くにあたってどう行ったらいいんですかっていう。
どう説明したらいいんだろう。
ホームページもないわけだから、ホームページ見てくれても言えないし。
3日目くらいからやることはなくて、
ポツンと机に座ってたら、安村さんが
ここに座っててもしょうがないから、展覧会でも見てくればって言われて、
それで、えーとか思った。
そしたら、地元の深井孝先生っていう彫刻家の先生。
深井さんが今、エビスで展覧会やってるから、
国内作家の展覧会とかも見てもらわなきゃいけないから、行ってきたらいいよって言われて、
エビスのまだシャビができる前ですよ。再開発の途中みたいなところ。
ガーデンプレイスがないわけですね。
ないです。あれ作ってる頃ですよ。
そこで、深井さんがスペースで展示してるのを見に行って、
すごい心細い。私、明日からどうしようみたいな。
別に手取り足取り教えてくれる人もいないし。
いないし、それで深井さんの展示を見て、
いろいろ銀座のギャラリーとかもあったりするんだなーみたいな。
学芸員ってこういうことをやるのかな?みたいな。
学芸員ってこういうことをやるんだ。
全然研修とかもしてくれないし、みんな忙しそうにしてるし、
みんなそれぞれが勝手に点でバラバラのことをやっていて。
入ったのが何年って言ってましたっけ?
1986年です。
だから79年にオープンして、美術館としてはもう7年。
もう軌道に乗ってるっていうか、モンパルナスの展覧会やったりだとか、
江戸の展覧会やったり、ボロン予定もやったりとかしてて、
教育普及とかもやってて、
その中に突然来て、何やったらいいかわかんない。
でもとりあえず教育普及の予算は講座10回分ぐらい取っといたからとか言われて、
え?みたいな感じで、
とにかく実技の講座をやってくれって10回分取ったっていうから、
実技の講座を企画するってところから始めて、
それは私は実技の経験が一通りあったので、
女子美の高校と大学でも実技をやったので、
彫刻も調査もやったし、版画もやったし、写真とかもやったし、絵画もやったし、
一通りやったんで、それはものすごくいきました。
それは区民の方向けの講座としてやってたってこと?
そうです。子供だったり大人だったりの、
区民のための実技講座っていうものを企画する。
それが結構最初の大仕事という。
そうですね。それは今でもいろいろやってますけれども、
そこから始まって、
それで次の年には明治時代の展覧会やってもらわなきゃ困るからみたいな感じで。
けいちろんはレポート書いたけど。
で、どうしようと思って。
そしてまた私が困ってたら、
安村さんが道真くんのところに相談に行ってきたらいいよって言われて。
道真くん?
佐藤道真さん。
芸大の先生で定年退科されましたけど、
佐藤道真さんがOBなんですよ。
ここに佐藤道真さんいて、
その後文化財研究所に行かれて、
その後芸大に行かれたんですけど、
当時は文化財研究所にいらして、
それで黒田世紀の映画飾ってあるのは、
今はカフェの角がカフェになっている。
上島コーヒーになっている。
いわゆる黒田記念館みたいな。
黒田記念館。
あの重々しい立派な建物の奥に道真さんいらして、
それで相談に乗ってくれるから聞いてきたらって言われて、
で、私も安村さんが道真さんに相談して、
なんか考えてくれるって言うんですけどっていう感じで、
いやそうだよね、板橋で明治の展覧会か。
部屋が2つあるからさ、明治美術会と博物会と2つやったらいいんじゃない?って、
道真さんが決めてくれて、
2人でその後焼き鳥屋みたいなところで食べたりとか。
その展覧会やったんですか?
やりました。
明治洋画団の巨匠たち展っていうことで。
それが初展覧会ですね。
初展覧会。
そういうので、なんかそうやってなんとなく学芸員になる、
お仕事を覚えてた感じなんですか?
そうですね、そういう感じです。
あと僕はちゃんとこういう場で謝んなきゃいけないなと思ってたのが1個あって、
公式にはこういう場でちゃんと言わなきゃと思ってたんですが、
過去にコネクトっていうTBSのラジオで板橋区立美術館を紹介させていただいた回があって、
それももちろん皆さんが板橋区紹介してありがとうって言ってくださったんですけど、
板橋といえば江戸美術、江戸美術といえば板橋のキャプションがちょっと面白キャプションが多いみたいな。
僕はもう勝手に思い込んでて、やっぱり江戸美術で面白いキャプションを書くのを始めたのは、
この話何度も出てきた安村さんが始めたとばかり思い込んで、
それをTBSラジオで放送に載せた後に、
考えたのは実は松岡さんですという訂正のあれが来て、
これはいつかこの番組ではちょっともう訂正できなかったので、
このオンエア上に載せてちゃんと公式にあれは違いましたよというのを言わなきゃと思ってたので、
すみません、改めて申し訳ありませんでしたってことなんですが、
板橋区立美術館というと江戸美術面白キャプション、
それを松岡さんが考えたきっかけみたいなのもあったんですか?
本当に大した情報もなく板橋の美術館に就職したら、
この美術館は古美術をやっている美術館だったんですよね。
それも知らずによけるかって、今まで実験する人はちょっと怒らせるんですけど。
こういうのあるんだと思って、
私は全然日本の古美術とかに興味がないっていうか、
ほぼ接点がないままここまで来てたんですよ。
私の母親って英語の仕事をしてた人っていうか、
若い頃通訳をやってて、家でもずっと英語を教えてたんですよ。
だからすごく横文字系のものが好きで、
私も高校時代からヨーロッパに連れてってもらったりとか、
すごいラッキーだったんですけど、
日本っぽいものっていうのが家の中になくて、
床の前だとかそういうのもなくて、
布団よりベッドよみたいな、そういう人だったんだよって母親が。
知らなかったんですよ。
ここに来たら、掛け軸とか屏風とかいっぱいあって、
へー!みたいな感じになって。
ところが見たら、まあ難しい、難しい。
わかんないんだけど、キャプションに書いてあるでしょって言われて、
キャプションを見たら音読できないんですよ、教養がなさすぎて。
タイトルがどうですか?
タイトルも、技法の説明も、
あ、そっかそっか、全体的に。
四本とか書いてあって、何ですか、この紙本って。
確かに確かに。
六極一層とか、形状六極一層とか、は?って。
やってる方にとっては当たり前でも使ってるけど、
知らないともうわかんないですもんね。
まあそんなことを知らないで学芸員になったのかって言われそうだけど、
いや本当に知らなかったんですよ。
で、なんで、これちょっと何かわかんないんだけどって言ったら、
いやこれは六枚折りのことだよって。
一石は一個で、一層だと六枚折りが二セットだからって。
安村さんってすごいリベラルな人で、
そういう物の知らない松岡みたいなやつの、
新規な質問に全部答えてくれて、
そうだよね、こう言葉難しいよねって、
一応同意してくれたんですよ。
それで、じゃあちょっと乾燥品展で、
すごいわかりやすい感じで乾燥品展で小美術出してみようかと思うんだけど、
いい?って聞いちゃったら、もう乾燥品展だったらいいんじゃない?みたいな。
それでまた、じゃあちょっと展示考えようかなと思って、
いろんなところをぐるぐる回ってたら、
みんなが見るためにヒントになるようなキャプションにしたらどうかなと思って。
全部書き換えてもいい?って聞いたんだよ。
あとタイトルとかも、流行図とか書いてあって読めないし、
分かんないんだけど、
これって書いてもいい?って聞いたら、
いいよって。
だってこれ着た時、
かけ物とかしか箱に書いてなくて、
これ自分が付けたとかって言うんですよ。
伝来してない。
この美術館で決めたってこと?
そう。
大体古来からあるフォーマットに沿って付けたぐらいってことですよね。
伝わってるものもあるのかもしれないけど、
自分が付けたとかって言うんですよ。
言ったらさっき言ったような屏風が日用品として使われてるものだから、
別に日用品に名前付けてないようなものですよね。
あと四季花鳥図とかって、みんな四季花鳥図。
それはそうですね、確かに確かに。
だから別にいいよって言われて、
流行図とかはドラゴンバーサスタイガーとかにしたんです。
それが何年ぐらいのことですか、最初にやった?
やったの90年代の初めですね。
ちょっと調べないと忘れちゃったけど。
でもその頃に。
そう。
僕が最初にアートテラーってやり始めたのは2010年とかで、
それこそ美術に興味がないのにこっちに世界に来て、
やっぱりキャプションとかって難しいなと思ってたから、
じゃあこういうことやったらいいやと思って自分がアートテラー始めたわけですよ。
やっぱり世の中の当時の美術館のキャプションは硬いのが多い中で、
なるほど、やっぱり僕はこういう仕事必要だなと思ってた中で板橋に来たら、
あれ、すでにやられてたみたいな。
いたんだ、こういうことやってる人はと思ったんですよ。
板橋のキャプションって変わってるなってずっと思ってて、
ある時ぐらいからちょっと世の中のキャプションが緩くなったじゃないけど、
わかりやすくなった時に千葉市美の方がしたのかな。
なんか板美っぽくなったよみたいな感じで、
キャプションが緩くなるイコール板橋区立美術館っていう認識が業界にはあるんだなと思ったんですけど、
この取り組みはどうだったんですか、リアクションというか。
最初やった時はさすがに例えば古い業界からしたら、
いやいやそんなことやるなよって言われたのかどうでした?
そういう難しい方との交流はあまりなかったせいもあるんですけれども、
その重々しいタイトルとか、重々しい技法表現みたいなのが好きな方向けにもちゃんと載せましたんで。
大きいキャプションに両方。
だから子供語って言ってたんですよ、子供語のタイトルと説明と。
あと当時金さん銀さんっておばあさんが流行ってたんで。
タスキンのCMでね。
金も100歳、銀も100歳。
金さん銀さんの似顔絵を書いて、それがおばあさん一人だと100年前。
何年作ったんじゃなくて何年前でカウントする。
なるほど。
おばあさん二人描いてあったら200年前。
単位なんですね。
おじいさん、男性の方は単名なんで恐縮なんですけど、
おじいさんは50年にして。
単名、もう50はおじいさんですよ。
200年前のものはおばあさん二人とおじいさん一人のイラストつけて200年前。
250年ですね。
250年前っていう風にしたの。
逆にわかりづらくない。
なるほどね、でも面白い面白い。
あと屏風もいろんな風な形に変じして、
座ってみてねとか座敷を、
御座みたいなものを張って座敷を作って、
上がってみていいよとか。
あと光によって金屏風の光が調整できるような装置を作って、
動かすと暗くなると金がふわっと生えて、
明るくするとまた普通に見えるっていう実験できるようなコーナーとかも作ってやりました。
でもやっぱりそれは一般の方のリアクションはどうでしたか?
なんか無料の乾燥品店だったので、
それをめがけてくるって人がいたのかどうかちょっとわかんないです。
でも小美術の時にはあんまり来ない。
あと学校の先生ともずっとコラボして、
1年間ぐらい学校の先生と一緒に研究会、
軽く言ってますけど意外にしっかり作っていまして、
学校の先生たちと月に1回ぐらい、
こういう作品を子どもに伝えるためにはどういうふうな表現したらいいかとか、
それに合わせてどういうワークショップをやったらいいかっていうことも、
ここで研究会をやってたんですね。
なので学校の先生たちもたくさん子ども連れてきてくれたりとか、
福田美蘭さんなんかもずっと一緒にやって、
芸術家の福田美蘭さんも。
一緒に企画やってくれて、
美蘭さんが子どもたちに扇に絵を描くみたいなワークショップとか、
美蘭さん子どもにやってくれて、
そんなことをやったりとかで、
普段小美術を見ない人たちが来てくれたかなっていうのはあります。
これはでもだから未だに続いているってことはやっぱり、
もう一つの軸にはなりましたよね、そう考えると。
そうですね。
安村さんはすごい気に入ってくれて、
キャプションだとかこういう考え方っていうのは面白いから、
松岡ちゃんとこれで論文を書けと。
安村さんは俺に触れて私のプライベートのことも含めて、
いろいろ的確なアドバイスをくれるんですよ。
もうその中の一つで、
これで論文をちゃんと書けって言ったんだけど、
私がサボって書かなかった。
今日に至る。
まだ書いてないですか?
書いてないです。
20年以上前の話のネタとして古くなって、
でも皆さんすっかり共有してるっていうか、
大きなキャプションを作って、
それに分かりやすくするっていうこととか、
あと東博なんかでもね、
屏風に光を変えると、
東博では照明の専門家の先生もいらっしゃるみたいですが、
光によって近屏風の見え方が変わるなんていうのも、
もう絵本も買ってくれるし、グッズも買ってくれるし。
いいことですよね。
本当にありがたいです。
あと板橋さんで言うと、この話を聞きたいなと思ったのが、
広中さんがやった展覧会、
多分美術館ちょっといい話みたいな展覧会のときに出てた、
ハンビコンっていう謎の言葉が出てきて、
何だろうと思ったら、
皆さんで、
まあ言ったのは飲み会みたいなもの。
飲み会です。
ちょっと説明していただいていいですか、ハンビコン。
ハンビコンって、私も実態はよくわからないんですけれども、
この地域に住んでて、
谷原田さんとかがね、
宇都宮の館長さんやられて、美術評論家だった方で亡くなられましたけど、
谷原田さんなんかが中心になってて、
この辺りに住んでた現代美術を中心としたアーティストの方とか、
なんとなく縁のある人たちが集まっては、
変な民謡酒場みたいなところでですね、
飲み会をやってたんです。
ハンビコンは何の略になるんですか。
板橋美術懇談会。
懇談会か。
板と美と懇談の懇で、ハンビコン。
別に野球をやったりとかしてたらしいんですけど、
私が来た時はもう本当に飲み会ちょっとやるぐらいで、
その後だんだん亡くなってしまっているんですけど、
広い職務調べてましたよね。
それが展示のこんなのがありましたよみたいな。
でもそうやって交流的な、
この周りの人たちとの交流みたいなのも結構あったって言いますよね。
芸術家たちとの。
そうですね。やっぱり中心じゃないっていう。
私これも一つキーワードだなと思ってるんですけど、
住みっこ力っていう言葉を使っておりまして、
板橋美術館が曲がりなりにももう50年近くなりますけど、
生き残ってきてたっていうのは、
やっぱり住みっこにあるからの住みっこ力があるなって思っているんですね。
それはやっぱり、まず大きく見たら、
日本っていうのが世界の中でもアジアの中の住みっこ、東の住みっこにあるし、
東京ですって言ってるけど、東京の中の住みっこじゃないですか。
うーんと言いづらいけど、はい。
板橋区ですって言ったって板橋区の中でも住みっこなんですよ。
全部住みっこなんですよ。
でも今トニーさんも住みっこって言ったら、住みっこですよねとかって肯定しにくいような言葉を選んでいましたけど。
ここ最近は住みっこ暮らしとかね。
アニメとかキャラクターもあるから、そんなに昔ほど悪いイメージないですけどね。
でも住みっこっていうのは、面白いことってどこから起こるか。
終身からじゃないでしょ。
面白いことはやっぱり周辺から起こるんですよ。
で、やっぱり周辺って何なのかって言うと、言ってしまえば管理が行き届かないとかね。
まあまあ自由がある。
自由があって、それでなんかこう面白い新しいことをやりたいみたいな人たちが集まれたりとか、
乗ってきたりとか、なんか勝手に起こしちゃったりとか、そういう余地があるんですよ。
だから板橋の美術館が本当に日本の東京の住みっこ板橋、板橋の住みっこ赤塚、ここにあったっていうのは本当にある意味ラッキーなこと。
ここでやってるから、住みっこで気がつかれないように。
気がつかれないようにいろんなチャレンジができる。
いろんなチャレンジができる。
そういうなんとなくしょうがないなみたいな感じで認めてもらえるっていうのが、ここまで来れた力だなというふうに思います。
だからまさに住みっこ力。
それこそ古澤祐美さんっていう芸術家との交流をしたおかげで、
ロビーが今ものがあるんですよね。
ちょっとその説明をぜひ。
古澤先生は池袋モンパルーナスの中のお一人ですね。
寺田正明さんとか井上長澤浦夫さんとか立派な先生、画家の先生がいらっしゃって、
池袋で皆さん若い頃暮らされてた方が、
書体を持ったりするとちょっと広いところがいるっていうんで板橋に越してこられて、
板橋の前の町に古澤先生はお家を持たれたんですよ。
すごく素敵なお家で。
古澤先生は絵を描くモチーフで家具なんかもすごく集められて、
スプリンの伝統的な家具なんかたくさん持っておられて、
古澤先生はすごく美術館のことを近しく感じてくださってて、
年中電話がかかってくるんですよ。
美術館にですか?
美術館に電話がかかってきて、
住んでた絵が近かったもんですから、年中先生のところに電話がかかってくると言ってたんですよ。
どういう内容の電話がかかってくるんですか?
例えばですね、年末になると、
お正月用の絵を描いたから取りに行きなさいとかって。
寄贈してくれるってことですか?
色紙みたいなのをいろんな人に配ってて、
それで色紙を描いてくださるんですよ。
美術館用に?
みんなに。みんなに何枚もくださる。
すごい画家なのに。
すごい画家なのに。いろんな人に配ってた。
それで、私が取りに行くの分かってるから。
古澤先生は女性のヌードが得意。
はいはい。
すごいエロチックな絵だった。
でも先生も面白くて、私もまだ若かったんで、
ちょっとあんたにはヌードだと思って、鼻の絵を描いておいたって。
私には鼻の絵をくださる。
他の安村さんとかにはヌード。
ヌードの方がいいなと思ってた。
そんなこととか。
あとは、私が面白くてよく覚えてるのは、
すごい勢いで電話がかかって、
木が伸びちゃったよ。植木屋さん紹介してくれないかなって。
なんでも屋さんみたいな扱いを受けてますけど。
そのくらい親しかったんですよ。
植木屋さんですか?ってちょっと調べて、紹介して。
さっぱりしたとかね。
そういう感じでね。年中やりとりしてた。
ところが先生が亡くなりになって、お家も亡くなった。
テーブルは先生がまだ元気なときだったな。
それもある日突然電話がかかってきて、古澤先生から。
うちのテーブルはあるんだけどね。
テーブルをどかして、そこに布を敷いて、
水木画を描こうと思って、邪魔だから取りに来てって言われて。
もう廃品回収業者みたいなことになってるじゃん。
でも古澤先生から何か言って、分かりましたしかないんで、すぐ行ったんですよ。
そしたらすっごい立派な木のテーブルで。
1人で運べないレベルの。
3人ぐらいだって動かせないぐらいの、1枚のムックの立派なテーブルで、本当にすごい良い作品ですよね。
ムックぐらい立派なものですよね。
あらーと思って。
ちょっとトラック手配してきますって言って、
区役所のトラック借りて持ってきて、美術館のロビーに置いたんですよ。
回収前のロビー。
ずっとそこのロビーにあって、ロビーの主みたいな。
2019年に回収する時に、
区民の方が行えるようなラウンジを作ろうっていう構想になって、
そのラウンジは、私の中では古澤先生のテーブルをメインにしてデザインしようと思って、
それで設計の人に提案したんですよ。
こんな感じのレイアウトにしたいけど。
テーブルを真ん中に。
そしたらそうしましょうってことになった。
そうこうしてたら、今度は先生のお家を壊すことになる。
そこに中にあるものを欲しい人がいたら、あげるからって素晴らしい回があって。
素晴らしい回ですね。
いろいろ書籍だとか、作品なんかもご寄贈いただいたりして。
アトリエの中を見ていたら、カップボード。
小さい棚、低い棚があって。
棚だなと思って。
ドロッドロで、見えないぐらいドロドロだった。
表面が汚れちゃって。
ほこりの上に泥がこみついて。
剥がしてみたら、手彫りの彫刻が素晴らしい。
うわ、いいなと思った。
自分にもらいたかったね。
最初は。
うちの玄関あそこに置いたらいいかもと思って。
そしたら、重いのが大きくて。
いくら私の家が大きくても。
うちには置けないな。
個人宅には。
美術館のラウンジに置こうと思って。
ちょうどいい感じだったので。
ラウンジのテーブルの隣にカップボードを置くというレイアウトを考えて。
持ってきて拭いたら、すっごい綺麗なもので今置いてある。
その上にチラシとか置いてあるところだ。
板橋美術館に来て、皆さん基本的にはすぐ展覧会場に行くかもしれないですけど。
ラウンジにあるテーブルと。
テーブルとカップボードは古澤先生の旧造品で。
それを分かってもらうために、その後イーゼルも脇に置いて、古澤先生の説明をそこにするように。
松岡さんいろんな功績があるけど、あれも功績の一つですよね。
あとのぼりばたも考えた。
そうか、板橋といえば面白のぼりばた。
あれもある時、キャッチフレーズみたいに出したらいいなと思って。
これまでも遠くてごめんねとか、永遠の穴場とか隠れ掛け美術館。
僕ブログで何かそれを紹介してたら、ある時に月曜から夜更かしって番組から連絡が来て、
板橋特集であの画像を使っていいですかって来たぐらいですけど。
あれは第1回は何だったの?
あの時は何だっけな、ちょっと忘れちゃったけど。
確かにいろんな話を聞いてきて、最後にこんな話なんですけど、みんなに聞いてるんですけども、趣味とかはありますか?
私ね、最大の趣味がお料理なんですよ。
それは意外って言ったらあれだけど、意外なことはないですけど、そうなんですか?
お料理大好きで、やってると時間を忘れます。
だからかなり忙しくても、本当にかなりちゃんとお料理してます。
何料理が得意とかじゃないですか?
作るのは家庭料理的な日本料理とイタリア料理です。
一番得意料理って言われたら何ですか?
得意って別に得意ではないんですけど、イタリア料理は普通に作ってます。
うちは多分半分ぐらいはイタリア料理ですね。食事が。半分より多いかもしれないけど。
それは昔からなんですか?料理好きは。
料理好きは昔からです。子供の時から好きでした。
例えば板橋さんって、いろんなものがある板橋さんですけど、カフェがないじゃないですか?
カフェはちょっとやったりしたりとかはしてたんですけど、やっぱりお客様の少なさで成立しないんですよ。
この改修の時にもカフェを入れようということで、いろいろ努力して探したりしたんですけど、やっぱり無理。
そうしたらコロナになっちゃったり、ますます難しくなっちゃったり。
やっぱりカフェはここでは無理なんですね。
ここでテイクアウトのものがあれば公園とかで食べられたりするじゃないですか。
松岡館長の弁当とか売ればいいんじゃないですか、その料理。
そうしたら休まないと美術館。
休まないと、そうかそうか。
でも作って持ってきたりはするんですか?差し入れ的なものとか。
いやー、持ってきたこともないわけではないですけど、
館にはあんまり持ってきてないかな。家で人を呼んだりとかは結構しますね。
それは好きなんですね、料理する。
好きです。すごく好きです。
イタリアとか出張とか個人で行くことが多いんですけど、その時も帰りはもう食材ですね。
食材ですねってパンパンに。
スーツケースの中は。
それは絶対これ買うぞって決めていくのか、
それとも珍しいものがあったら買ってとりあえず家で。
普段の買い物と同じで、あそこに行ったらこれとこれとこれを買うみたいな。
あるんですか。
イタリア、行くのはボローニアが多いってことですか?
飛行機を乗る直前に買わないといけないので、だいたいローマで買い物をするんですけど。
何がおすすめですか?
スーツストックみたいなものとか、あとサフランの粉とか、あとチーズとか、
あと今寄生が厳しくてお肉系は一切入れないので、寄生が大丈夫なものですね。
あとはバルサミコ酢とかもちょっとこれだなっていうのがありまして。
そういうものはかなりストックしてあって、
コロナでしばらく外国に行けなかった時期は本当につらかったんですけど、
ストックが減っていくのを毎日見ながらですね、どうしようみたいな。
今回のレオレオ二転では、館長のセレクトショップみたいなのができないんですか?
いやいや、食材はやらないので、ミュージアムグッズっていうかグッズ屋さんはやりますけども、そういうのはないです。
でもやったらいいんじゃないですか?館長が選ぶイタリア食材。
いや今ユーロ高いんで、高くなっちゃうんですよ。
なるほど、やっぱり向こうで買う?
向こうで買っても高いんですけど、やっぱりなかなかね。
これは絶対買った方がいいよ、じゃあ一つお勧めするとしたらなんですか?
イタリアに行って、この食材。
食材っていうのは難しくて、その人がお料理をする人か、
あとそのイタリア料理を食べることに慣れている人かどうかによって全然違うんですよね。
イタリア料理好きな人で。
イタリア料理好きな人だったら、やっぱりイタリア行ったらバルサミコ酢と、
あとはパルメザンチーズ。
それは日本で買うよりとも全然違うんですか?
そうですね、いろいろ何年寝かしたっていう、25年ものだとか、5年ものとかいろいろありますし、
やっぱり鮮度もね、やっぱり切りたては美味しいので、そういうものとか、
あとはグリスイーニっていう細いハリハリしてるやつとかも、
工業製品のグリスイーニじゃなくて、焼いてるところのグリスイーニがすごく美味しいんですよ。
でもそれ持ってくるのが一番大変で、バリバリに割れちゃうんで、
なのでちゃんとエアキャップとかを持って、
箱の中に入れてエアキャップやって、持って帰ってきます。
美味しいグリスイーニ屋さんがある?
それとも向こうに行ったら基本全部美味しいんで。
美味しいグリスイーニ屋さんがあります。ローマンのお店とか。
なんてお店なんですか?
ロシニョーリ。
ロシニョーリで検索するとわかるんですか?
そうです。有名な食材屋ですけどね。
そこに売ってるグリスイーニが?
美味しいですね。
これは貴重な情報。
これはでもちゃんとした趣味ですね。
すごい趣味です。
イタリアから帰ってきた、だいたい午前中に到着する飛行機に乗って帰ってくるんですけど、
その日の夜には買ってきたものを使ってイタリア料理を作るっていう。
この人どこまで好きなんだろうっていう。
向こうでイタリア料理食べてきてるわけですよね。
だから普通はよく聞くのは、帰ってきたら日本食食べたいなとかあるじゃないですか。
よく帰ってきて海外が。
全然なくて。
じゃなくてやっぱりイタリア料理が食べたい。
だって食材買ってきたら新鮮なうちに作った方がいいじゃないですか。
なるほど。
パンとかも買ってくるんですよ。
買ってきたパンすぐ出して、買ってきたチーズすぐ出して。
だから本当にイタリア好きなんですね。
そういうのも含めて。
国も好きだし料理も好きだし。
最初に行った国ですから、高校生の時に見てやっぱり面白いなと思って。
その後本当にご縁ができて、イタリアの人たちと仕事をするっていう、
ほとんどの方たちが望まないスリリングな日々。
でも向いてたんですね、それがね。
そうですね、向いてたと思います。
いろいろ大変でしたけれども、
私今まで一度も揺らぎられたことないです。
それはイタリア?
イタリア人。仕事をしてて間に合わなかったとかできなかったとか。
困ったことは山のようにあります。
間に合わないんじゃないかとか。
だけど間に合わない、どうしようってなった時に必ず助けてくる。
最終的にはってことなんですね。
そうです。
ゴッドファーザーの世界です、完全に。
だから関係性さえ、絆があればってことなんですね。
でも家族みたいなもんなんですね。
顔と顔でつながっている世界なので、
このことはこの人に頼めばいいっていうのが見えていれば、
スッといくんです。
でもその関係性があるからこそ、最後にお話戻します。
レオ・レオニー展もそこからスタートして、
いろいろとなって、今回また展覧会ということで。
レオ・レオニーさんのご遺族はアメリカに住んでいらっしゃるんですけれども、
おばあさんはイタリア人ですから、イタリアも混じったアメリカの方ですし、
あと他にもイタリアのコレクターの方とか、
イタリアの研究者の人たちとか、すごいみんなに助けられました。
最後にぜひ改めてそのレオ・レオニーの告知をよろしくお願いいたします。
レオ・レオニーと仲間たちということで、
レオ・レオニーさんという人がどういう人だったのか、
それから20世紀をまさに生き抜いた方なんですけれども、
その20世紀の文化の中でどういう立ち位置の方だったのか、
歴史とそれから作品等を見ながら楽しんでいただける展示になっています。
皆さんの好きな絵本原画もたくさんありますし、素敵なグッズもあります。
ぜひ板橋区立美術館でレオ・レオニーの世界を楽しんでください。
お待ちしております。
グッズも早くしないと職員さんたちが買っちゃうかもしれないですからね。
うちの職員みんな買いますね。
職員に割引とかないんで。
みんなと同じ。
みんなと同じ立ち位置で買ってますんで。
会期が2025年1月13日まで行われております。
ぜひ皆様、明日は板橋の隅っこまで来ていただければ。
板橋ね、絵本の町ですから。
絵本の町板橋、よろしくお願いいたします。
さあ、ということで、そろそろ収録終えようと思いますが、収録はいかがだったでしょうか?
いやー、座るとまたじっくりと喋れていいですね。
そうですね。確かに面と向かってこんだけ喋ることなかったので、
いろんなお話、貴重な話をたくさん聞かせていただきました。
あと2回ぐらいやるんですか、これ。
やりますか。
これ終わりですか?
一応終わりなんですが、もう2時間以上喋ってますから。
でもまたいつでも遊びにいらしてください、この番組には。
先輩ですから、お待ちしておりますということで。
ということで、どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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