実際に手を動かすんですけど、
私はこの作品にあまり関われなかったんですけど、
作り方とか、詳細はずっと関わっていて、
自主制作はまさこがやっているんですけど、
言っていることがわからないと言いながら、
まさこをしている感じがしますね。
生地の配置とかも。
多分それは技術面として、
これはできないよということも言うんですよ。
そもそも制作無理だよみたいな。
やりたい、こうしたいって言われるんですけど、
技術面でちょっとそれは難しいっていうことを言って、
じゃあこうじゃダメって言って、
ちょっとこれはダメみたいな、
そういうやりとりを結構していて、
もうちょっとこういうことを言って立って、
私も一緒に手を動かすと、
なるほどね、みたいになって、
進んでいくんですけど、
でも最後の大きい部分と小さくなっていく部分も、
すごい話し合いが必要で、
終わりをどうするっていうイメージなのかとか、
あと色の変わっていくグラデーションとか、
本当に二人で決めないと最後だねって、
実際に手を動かして、
最後こういう形になって、
私は壁面に置いてあるものの想像もできてたんですけど、
分かんないってずっと言って、
その段階でね。
小さくなっていく方が、
もっと短くていいかってすごい言われたんですけど、
時間も迫ってきてて、
でも私はそれだと作品にならないみたいな話を、
本本的に作品にならないみたいな話をしてて、
分からないみたいなのが続いて、
でもなんとかやってほしいっていう、
見えてる形を形にしてほしいっていう感じだったんで、
やってもらって、
ここに初めて展示した時に、
切ってることがやっと分かったって言ってて、
逆もあるんですよ。
私はずっとこの鏡の作品が、
角に来るのは違うって思ってたんですけど、
配置したら、
そういうことだったんだって思った。
それはお互いやるっていうこと?
このコーナーじゃないとダメだってずっと言ってて、
でも私は結構完成形が見えにくいタイプっていうか、
分かりにくいタイプで、
ポーラ美術館とかにインターネットをした時に、
あき子がこだわってたところが分からなくて、
展示が出来上がった時にやっと分かるんですよ。
だいたいそういうことが多くて、
このコーナーは本当はちょっと分かってなかったんですよ、
完成形は。
でも絶対ここにやらなきゃいけないっていう風に、
空間を今まで経験してきた中では、
この空間にはこうしなきゃいけないっていう、
直感で言い続けて、
結構自分では分かんないのに言い張ってたんでしょう。
これでも不思議なのが、お互い分かんないってことがあるわけじゃないです。
その時に妥協はしないんです。
相手側が分かんないから、相手側に合わせようはお互いないんですか?
絶対にないです。
絶対にない。
妥協させてくれないっていうか、
さっきの私が時間的にも難しいかもって言っても、
もう何とかしてみたいな。
なるほど、なるほど。
それはもう時間作ってでもいいや。
いないでもいいやってくらいの感じで。
でもそこが作品の要になるって思ってたんで、
その要になる部分に外れてしまうことは絶対にしてはいけないと思って言ってるんで、
絶対妥協できないっていう。
これはでもお互い相当ですね、そういうことですよね。
お互いに得意分野はあったりするんですか?
この二人が違うってことはよくわかってきたんですけど。
基本的にまさこは手芸に関わることがすごく得意だったと、
あと色は絶対に。
色彩感覚とか。
色彩はまさこの方が絶対にあります。
ただ不思議なんですけど、
その型紙の作品は、
グラデーション作るのにまさこの方がわかんなくなってたんですよ。
物によっても得意・不得意が出てきたんですか?
そうなんですけど、初めてって。
自分のが。
色彩感覚でどうやっていいことかって。
葉っぱを観察していると、葉の中にたくさん色があるんですよ。
それを見すぎちゃって、私はもう混乱していっちゃって。
色彩感覚が多すぎて。
あき子の方が多分それを大まかに捉えていたんじゃないかなって。
だから私が見えているより多いんじゃないかって思います。
それで混乱してて。
私の方が鈍感だから結構よかったかもしれないですね。
でもまさこさんから見るあき子さんの強みはどこだ?
あき子さんからは色彩感覚が研ぎ澄まされているってことはありますけど、
あき子はでもやっぱり完成形が結構見える感じで、
私はいつも模型作ろうよって結構言っちゃうんでしょ。
空間の中でどう配置されているかとか分からないみたいになって。
図面にイメージをはめ込んだりとかも、
私もその技術はやったんですよ。
でもやってもちょっとこれなんか出来上がりが見えるのに見えないみたいな感じで。
まさこは絶対大丈夫だからって結構言うんですよ、インスタレーションをやる時に。
模型もなんならいらないみたいな感じで。
それは絶対私には結構出来なくて。
やっぱり制作していると空間に実はもったより小さいんじゃないかとか、
ちょっとはみ出しちゃうんじゃないかとかすごく不安になるんですけど、
その絶対みたいなのが私の安心材料になるのでありがたいなと。
学能力というか、そこは適当。
お互い本当にベストパートナーってベストパートナーですね、そういう意味で言ったら。
そうですね。
長年やってきてだんだん分かってきたことみたいな感じがあって、
初めからそれが分かってうまくお互いそこを生かしてたっていうわけじゃない。
そうですね。やりながらやっと分かってきた。
でも20年くらいになりますね。
学生生から卒業して20年近くになりました。
僕が多分、高田姉妹の二人の作品を最初に見たのは、川崎市民ギャラリーで、
迷路の作品とかありましたよね。
外にの作品が何か。
一つは、木に小さいツリーハウスをつけている作品と、
あとは修復という作品で、壊れた箇所に同じ素材で縮小したパーツを作って、それで修繕するという作品があります。
その時からスケールはテーマになったんですか?
スケールはイギリスからテーマが決まっていて、
なんでスケールになったかという話をしているんですか?
いえいえ、全然いえいえ。
それはダメですって言わないですよ、さすがに。
してください、好きな話を。
長くなっちゃった。
外れてしまいそうだから。
前半入り切らなかったら、展示の話は後半にも行けますので、いくらでもしてください。
後半の方がそれがいいと思った。
イギリスで生活していると、本当に物の大きさが違うって感じて。
自分の体に合わない?
日本人サイズとイギリス人サイズみたいな。
取手とか高かったりして、天井も高いのでドアがすごく大きくなったり、重いんですよ、それで。
椅子とかも高いし、トイレとか全部高さが違って。
自分たちが日本でも小さいのに、さらに小さくなったような感覚になったり、
ロンドンの街に慣れていないので、ずっと地図を持ち歩いて、自分たちを地図上で俯瞰して見ているみたいな。
今ここにいるから、次ここに行きたくてっていうのも、いつも地図を持ち歩いている感じだったので、
アリスみたいな、不思議なアリスみたいな感覚になっているっていうこともあり、
日本とイギリスっていう、自分たちは日本人で日本に慣れているけど、
イギリスに今行って、朝目覚めるとちょっと分からなくなる時とか、
今どっちにいるのかなみたいな。
一時帰国して帰ってきた時とか、どこにいるのか分からなくなったりとか、
不思議な感覚に時間も空間もなるので、
そういうことが実体験として作品にできないかっていうのを考えていたのと、
それでそういう作品に向いたっていうのもあるんですけど、
あと環境っていうことが結構テーマにあって、
パーズ・オブ・テンとか、イームズのパーズ・オブ・テンとか結構好きで、
宇宙から体の中まで同じような、似たようなイメージになったりするっていう、
イームズの作品に影響を受けたりとかして、
私たちが生きているのは日常だけど、
世界は拡大も続いているっていうことを作品にできないかっていうのを、
その時から考えて、それでスケールがテーマだよねって、その時の文章に言われて、
そういうことなんだって。
だけど、日本ってスケールって言葉を使うときに、
あまりイギリスで言うところのスケールと少し違うなっていう感覚もあって、
スケールはノーション・オブ・スケールって概念であるみたいな言われ方を、
イギリスの先生に言われて、
概念というか思想というか、単純に縮尺とか比率とかじゃなくて、
物の大きい小さいだけでもなくて、
時間と空間も含んで、物の大きい小さいとか時間の長さとか、
すべてのものにおいての感覚っていうのを話してくれていて、
それを日本でも作っていくのは難しいなって思いながらも、
日本にもそういう文化はなくもないし、
何かそこを伝えていける作品を作れたらいいなって、
日本でも引き続きスケールを使っていきたいですね。
確かに、スケールって言うと、本当の言葉の意味では物差し的なニュアンスのスケールもあるけど、
お前、スケールが大きいなとか、スケールが小さいなみたいな感じで、
その概念的な使い方もしますもんね。
そうですね。なので、何かしらのきっかけはあるんじゃないかと思って、
作品は作り続けようとしています。
今回は一応、先週体制と言いましたが、
今の現時点のいろんなスケールをテーマにした作品が展覧会には散りばめられているということですね。
せっかくなので、入り口のところから作品を説明していきますか?
一つ一つというよりも、今回の展示において、
動線というか、流れもあり、空間的な構成もあると思うんですけど、
流れとしては、階段を降りていくと始まりは、
地下になるからですよね、展示室が初めて来る方々が。
まず1階から地下に降りてくる。
降りていくにつれて、まずはじめに、
宇宙に関係するような天体の規模とか、地球の磁場のような作品があるんですね。
そこをまた降りていくと、今度は地上というか石の作品があって、
時間についての作品があって、この大きい大展示室に入ると、
光にまつわる作品があって、一番最後に地下ということもあって、地層の作品があるという流れになってきて、
全部で4ブロック、階段の踊り場から始まって、下に降りて、階段の下、大展示室、小展示室、4パークあるわけですね。
一応、最後に壁面に宇宙を思わせる作品があるという感じです。
これはどれくらい準備されたんですか?
2年くらい前にお声掛けくださって、そこから学員さんと何度も何度も打ち合わせを繰り返し、
今回は空間においてどういう展示構成にするかというのは、本当に学員さんと深く話し合って決めました。
結構、気合も入っているんですか?
はい、入っています。
入っていませんと言われたら、学員さんがここにいるからね。
本当に気合が入っているなと思いました。見た瞬間。
私たちにとっても、すごく起点になるような展示になると思って作り上げました。
気合が入っているなと思うのが、もちろん作品もなんですけど、
資生堂ギャラリーは展覧会のコンサートに行われていますが、あまりギャラリー的にはズロく作るという感じではないんじゃないですか?
今回はちゃんと作るというのも聞いているし、それだけすごい資生堂ギャラリーからも気合が入った展覧会だなと思って見ています。
始めの打ち合わせの時から、私たちにとって今までの作品を整理して、重要な作品がちゃんと揃っているような展示にしましょうというのを学員さんがおっしゃってくださったので、
私たちも本気でやりました。
本気だなというのがよくわかる展覧会ですので、せっかく皆さんに来ていただきたいなと思うので、
どうしますか?作品を順番に紹介しますか?どれがやりやすいですか?
作品全部だと20点で、代表作的なところからいきましょうか?
時間も限られていますね。
でも、入りきらなかったら、次にも行けますので、大丈夫ですよ。お好きなだけ、気合が入った展覧会ですので。
最初にこの作品を出したいというふうに決めていた作品が、ストラータで地層の作品で、
その作品を、今回の一つのメインといってもストラータにしていたのは、
この空間が地下に降りてくるというのもあって、地層の中に入っていくみたいなイメージと、
踊り場のところと、ここの焦点実質がシティドギャラリーの特徴になっているので、
そこの踊り場と地下の空間を一体化させるという使い方が
シティドギャラリーになっているので、大きな展示室から見ると、
地下の展示室と踊り場がちょうど見えるんですよね。
今、僕らが収録している場所が展示室の真ん中です。
この空間を活かそうということですね。
この作品をまず展示したいというのは決まってきて、
それから踊り場から立ったら必ずこの大展示室が見えるというのも意識していて、
鏡の作品を、最初は先ほどのコーナーではないのか、
逆に駅名に持ってきて踊り場から見えないようにするという考えもあったんですけど、
そこで見えてくるものが何であるべきかをしっかり考えて、
鏡の作品がいいんじゃないかという風に構成を決めています。
では、どっちから始めますか?
その作品は、下からセンカンブリア時代から上がっていくんですね。
本棚があるんですよね、その空間に。
そうですね。描写をしないといけないんですよね。
本棚も変わった形をしていて、六角形の形をした本棚で、
全ての面に本が入れられるようになっていると考えていただければいいですよね。
裏面が6面あって、
横に6段の本棚があるんですけど、
普通、本棚に本をしまうといったら、縦に出ていくというか、
背拍子が並ぶように入れていくのに、
パッと見て、面につくのは積んどくのような感じで、
本棚なのに中に横にして積んでいっているのが、
あれがまず何でなのかなと気になると思うんですけど、
あれはどういう意図ですか?
本をそのように、普通の本棚に立てるような形じゃなくて、
寝かせたり、また開いたり、立てているのもあるんですけど、
そのように置いたのは、基本的には積んでいるのが多いんですよね。
積層に見えるように本を配置しているのは、
自層に見立てているからなんですよね。
時代が下から戦艦フリア時代で、
6段あるんですけど、6段を割り振って、
艦神星までを6段目までに入れて、
踊り場のところが人神星という時代です。
艦神星と人神星はどういう?
艦神星に私たちは今生きていると言われているんですけど、
地質学者の方々は、
放射能とか石炭とかを振り出してしまっていて、
CO2とかもすごく排出しているので、
プラスチックとかなかなか土に帰らないものを人工的に作り出しているじゃないですか。
それが地層に残って、もし人類が絶滅したら、
そういう地層になってしまうというのを人神星と言っている。
良くも悪くも同じですね、この人神星。
それが一番上の踊り場にある本は?
ここから見ると、本棚が地下1階の展示室の天井まで、ほぼ基本的にはフルフルであって、
その上に踊り場の部分が繋がっていないんだけど、
引きで見ると繋がっているように見えるということですね。
踊り場にあるのが人神星を表した。
あの本は人神星に関する本とか、その本も関係しているということですね。
何でもいいわけではないですね。
下から戦艦村時代を表す生物の本ができるだけ選択しておいてあるので、
踊り場でいうと原子力発進とか、石油とか石炭とかプラスチックが置かれていたり、
湯川秀樹さんの本とかもありましたよね。
そうですね。
あとは人神星の本も置いてあって、
そこに空間が空けてあるんだけど、
干渉者がそこに何気なく立たれると思うんですけど、
干渉者が立つことで、
こちらから見る私たちは作品が完成しているというふうに。
その下にその分の地層があるんだよっていうのが見えるようになる。
私たちは何気なく人類が突然発生したかのように生きていると思うんですけど、
本当はそうじゃなくて、
生命の歴史がこれだけあって、
で、絶滅した動物もあって、
その上で私たちが生きているっていうことを、
ビジュアルに見えるっていう作品であるんですね。
なんとなく進化って、教科書とかに見てると、
現人から新人になって横向きじゃないですか、教科書で見ると。
そうですね。
進化って横に進んでいるようだけど、実は縦に積み重なっているっていうのが、
これを見るとよくわかりますよね。
そのような構造に作っていて、
しかも実際にただ本があるだけじゃなくて、
例えば今遠くから見ているアンモナイトの化石みたいなのがあるけど、あれ本物なの?
全部化石が本物。
それに合わせてってことです。
物によっては本に埋まっているのもあるんですよね。
そうですね。それはその本を地層に見立てているので、
化石を組み込んで、地層になるべく見えるような、
何であるかっていうのはすぐに反応できないかもしれないんですけど、
それぞれの化石はその時代に来た代表的な化石を置いているので、
この時代の地層というのが理解できるような形で配置ができています。
モンソンもちょっと1つ説明が抜けているんですけど、
説明がすごくなって。
私たちがこの作品を作るのにいろいろリサーチしたりしていて、
地学とかの本を読んでいたりとか、いろいろ調べている中で、
地層というのが、生物の生態とか自然環境、その当時の自然環境とかが理解できる、
歴史書のようなものだという表現している言葉を見つけて、
それで本で地層を作るということをしたいと思ったんです。
地層そのものが書籍のようなものだということなんですね。
本当に見て思ったのが、
例えばその発想自体がお二人ならではだなと思って、
まずそこに感動したんですけど、
思いついたところで作るのがめっちゃ大変じゃないですか。
言っていることは意外とシンプルな発想としては。
でもこれをいざ形にするとなったら、まず本を集めてこなければいけないだとか、
どういう順番でこれを作っていくことになるんですか?
まずはじめにNHギャラリーで展示したとき、
これのスクショ版みたいなものを作っていたんですよ。
でもそれは本当にそんな本の数でもなく、すごく小さいサイズだったんですけど、
私たちが地学の本とかさらにリサーチを重ねていく中で、
私たちのDNAに38億年の生物の歴史が書き込まれているとおっしゃっている方もいて、
その上で私たちが出現できたみたいな。
その言葉を作品にするのに、これぐらいのスケールでなくては、
そしてその人が立つぐらいのスケールでなくては完成できないと思って、
まず化石を購入したんですけど、やっぱりこのスケールの量なのですごい量を購入しなければいけないんですけど、
そのある程度重要な化石を用意した後に本を用意していって、
全部で500冊ぐらいあるんですよ。
化石も石ですし、本も石ですし、すごい扱いも大変で、
製作はものすごい時間がかかったし、大変でした。
聞いた話だと、普通展覧会の準備は苦労則だけど、
1日だけお客さんを入れて、こんな感じでやったよって日があったんですって聞いたんですけど、
その時にはだいぶものが床にいっぱいある状態で、
これをよく入れましたねってギャラリーさんが言ってたんですけど、
パーツも大変な量があるってことですかね?
そうですね。だから搬入搬出もすごく大変なシステムで、
これを入れるときって、パッパッと入れていけるんですか?
それとも自分の中でもう少しこういう角度にしようとか、結構悩みながらやったんですか?
1台だけ設計業者さんに用意していただいて、
この本棚は分割できるんですよ。
これで1個のってなってないので、分割できるんです。
分割するのは3段の部分だけなんですね。
それを持ち帰ってスタジオに、そこで時代ごとに設置していって、
どこに何の化石が来るかとか、
鏡の作品ですね、この壁のコーナーに展示して。
たぶん皆さんに鏡しか言っていないと、
鏡は1枚かと思いきや、
鏡が今何枚ですか?
217枚あって、
壁一面に展示してあるという作品ですね。
私たちも最初枚数を把握していなくて、
学園生にカウントしていただいた。
この鏡も私物なんですか?
私物というか作品として、
これは普段はアトリエに?
最初にこの作品も小型化したものでギャラリーで展示していたんですけど、
その時は80枚ぐらいあったんですよ。
そこからこの資生堂ギャラリーに合わせるために、
先ほどアトリエが本屋のような化石屋のようだって言っていたけど、
鏡屋のようでもあるんですか?
これはどういうところで集めてきたんですか?
一口鏡と言っても、
基本的には全部、いわゆる鏡一面というよりは、
ちゃんと枠がついている化粧用の鏡みたいな感じ?
家で飾る系の鏡ですよね?
小さい鏡もあるんですけど、
ドルハウス用だったり、
あと手鏡みたいなものとか、
この中途半端さはどうにも使いにくいという大きさもあったりするんですけど、
だんだん大きくなるサイズを、
オークションサイトとか、
フリマサイトとかで探して修正し続けた。
これが何枚になるか決まって、
とにかく集めておこうってこと?
そうですね。ただちょっと200を目標みたいな感じにはしていたので、
そこに目指して収集していくという感じです。
鏡がパーッと一面広がっているとは言ったんですけど、
例えば小さい鏡は密集していたりとか、
ある意図的に並べていると思うんですけど、
この意図はどういう形で並べたんですか?
鏡って本来は自分を見て、
見出し並みとか何かを確認するために見るものなんですけど、
この作品においてはわざと見えにくくしているんですね。
自分の姿?
そうですね。自分の姿とか周りに映る空間が断片的にしか見えなくて、
その隙間、もうちょっと形を知った方がいいと思うんですよ。
小さい鏡は中央に密集していて、
大きさが大きくなるにつれて、
少しずつ空間も広がっていくという風に配置されているので、
小さく見れば、小さい鏡の集中しているところで見えるような気がしていくと思うんですけど、
それもなかなか見えにくいんですね。
自分自身全部見るにはどうですか?
自分の顔も分断されてしまうようになっていて、
ちょっとずつ離れて自分が映るかなって移動しても、
隙間があるので全部やっぱり分断されてしまうという経験になると思うんですけど、
それは隙間を想像によって、
こういう全体像かなというのを空間も含めて想像してもらいたいという意図があって、
それは自分自身がどういう風に映っているかとか、
自分自身というものがどういう風に見えるかという問いを持ってほしいというのもあって、
自分だけじゃなくて、離れていくと結構空間も映ってくるじゃないですか、
背景にある作品とか空間が。
お客さんがいる日だったらお客さんも映ってきて、
他の鑑賞者さんの方も会員してきて、
空間まで分からなくなってくるってなると思うんですけど、
鏡は反転しているのでさらに左右とかも変わってくるので、
少し混乱するようなことが起きてきたり、
あとここの展示室は結構床面も反射して、
光の反射も鏡の反射も鏡のようにまるで映り込むじゃないですか、
それでちょっと混乱するようなことが起こってほしいと思ったんですね。
起こることで自分とは何かとか、この世界がどうあるのかみたいなことまで
想像を広げてほしいなと思ってこの作品を作っていて、
私たちがいろいろ生物とか地学とか、
そういうリサーチを今回しているんですけど、
そのリサーチする中で、私たちの体が60兆個とか
それぐらいの数の細胞でできていたり、
それが私たちの一つの姿を表しているんです。
この鏡も小さい断片で一つの全体ができているので、
そういうことにも想像を広げてもらえたらいいなと思って作っている作品です。
鏡の作品というと、現代アートの展覧が行くと、
鏡が4面とかにあって、無限に映して、
インスタ映えという作品が多いなと思っていたんですけど、
この作品を見たときに、改めて鏡そのものの不思議さというか、
鏡は綺麗にするためのもののようにアート化では使われがちだけど、
あんまり鏡そのものが左右反転して不思議だった。
子供のときに見たときに不思議だったのに、
なんとも今は思っていなかったけど、
この作品を見たときに、
鏡ってそのものが不思議なものだなというのとかも考えたりして、
すごくそこが僕は印象的だったし、
あとコーナーに、壁一面じゃなくて曲がった角にあるので、
鏡の中にも鏡が映っているのが、
ちょっとまた新しい見え方で面白くて、
だからちょっと偉そうなこと言いますけど、
これはコーナーに置いて正解ですよね。
最初の話で言うと、これはコーナーに置くべきでしたよね。
そうですね。
私も完璧は見えていなかったんですけど、
多分反射が複雑になるだろうというのを想定していて、
あと踊り場から見えたときに、
コーナーじゃなくて一面だけになっていたら、
そのまま見えただけという感じで終わっちゃうかなと思ったんですけど、
踊り場に立ったときも、
天井に高い位置とかにも鏡がついているので、
大展示室で鏡に映って見えるものと、
また変わってきて見えてくるものもあって、
コーナーにあるとさらにそれが映り合って複雑になっているので、
それも全部パースペクティブになるかなと思っていて、
いろんな視点でこの作品が見れるかなということも考えています。
確かに。
この2つってすごいのに、
さらに冒頭に出た作品を最後に紹介していただきたいと思います。
キルトの作品が鏡の反対側に飾ってあります。
こちらはどういう作品でしょうか?
このキルトの作品は新作で今回展示するために作っているんですけど、
その前にベッドが、
これもちょっと形容した方がわかりやすいですかね。
1・2・3・4・5・6・7・8箱ですか?
9個ですね。
9個のベッドがあるんですけど、
人が寝れるサイズのものから子供用のサイズ、
ミニチュアドールハウスっぽいぐらいの、
違うサイズのベッドが今並んでいる状態。
そのベッドにはベッドカバーが掛けられていて、
これ7色のような色で色相ができる。
小さい色が赤くて、どんどん青になっていく感じですかね。
この作品は旧作というか以前作った作品なんですけど、
そこにベッドの数を増やして、
またこれも拡大しているんですけど、
この色が表しているものというのが、
光の粒子を表していて、
中心から放射状に見えるパターンで、
これはパッチアップで、
トリップ・アラント・ザ・ワールドという名前が付いているパターンがあるんですけど、
一番奥の実寸のベッドに掛かっているものは、
もともと市販というか、
どなたかが作ったものなんです。
そこに合わせて、私たちがベッドカバーを小さく縮小していっている。
ベッドカバーとベッドの比率に合うようにして、
どんどん小さくしていっているんですね。
一つ一つを増やしていく。
この変化というのが、エネルギーの大きさで、
赤が一番小さくて、
紫に向かっていく光のエネルギーの小さいところから大きいところに向かう色の違い。
対応している。
これ全体で、人間が見ている可視光のスペクトルなんです。
色を分光した時、理科の実験で、
プリズムで通すと見えるような色彩になっていて、
この作品を先に作ったんですけど、
光って粒子でもあるし、電磁波という波でもあるんでしょう。
その波を表現したのが、キルトの作品になっているんですね。
このパターンは冒頭の時に形が決まって、2人で共有できなかったんですが、
今は共有できたものが展示されていますね。
そうですね。
キルトそのものは購入したもので、
実際私たちが作ったのではなくて、
キルトは元々あるものを選んだんですけど、
その柄を選ぶ時も2人で、
これが良いんじゃないか、これが良いんじゃないかという議論になって、
私は作り手なので、作業をする方だったので、
これじゃないと難しいと思うよ、みたいなこともあって。
作業しやすいやつという?
波の形態をうまく落とし込めるパターンを選んで、
まずキルトを選び、
螺旋状の波をそこに表現していたんですけど、
このベッドの作品もキルトの作品を使っている生地が、
フィードサックという生地なんです。
穀物を入れていた袋の布を使っているんですよ。
1930年代のアメリカで使われていたもので、
その穀物の袋を使い渡った後に、
エプロンとか小物を作り替えるというふうに使われていたので、
その布をリサイクルされているということを、
私たちの作品にもうまく取り入れたいと思って、
再生させるという意味で使っているんです。
実際これは1930年代のアメリカで使われていたもともとの布だったということですか?
そうです。それをキルトに重ね合わせているという感じになっています。
サイズがとにかくデカいんですけど、これはどれくらいですか?
キルトは2m50cm×2m50cm弱くらいの正方形のような、
若干正方形じゃないですけど、正方形のような形で大きさで、
そこから延長していっている部分は、
グルグルグルグルって線がつながっているような感じですか?