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2025-10-18 57:22

#142 双子の姉妹によるアーティストユニットの誕生経緯について(髙田安規子・政子)

双子の姉妹によるアーティストユニットを髙田安規子・政子ゲストに、資生堂ギャラリーで開催中の「Perspectives この世界の捉え方」展について伺いました。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/142⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠番組公式Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もフォローをお願いします!


Guest Profile

髙田安規子・政子

  • 双子の姉妹によるアーティストユニット。多摩美術大学美術学部彫刻学科卒業(安規子)、東京造形大学美術学部比較造形学科卒業(政子)、ロンドン大学スレード校美術学部修士課程修了(安規子・政子)。見慣れた日常の風景や身近な物のスケールを操作することでモノの大きさの尺度や時間感覚における認識を問い直す作品を制作している。
  • 主な展覧会に「Going down the rabbit hole」MA2ギャラリー(東京、2022)、「日常のあわい」金沢21世紀美術館(2021)、「縮小/拡大する美術 センス・オブ・スケール展」横須賀美術館(2019)、「Through the Looking Glass」Cob Gallery(ロンドン、イギリス、2018)、「装飾は流転する」東京都庭園美術館(2017)など。


Show Notes

高田安規子・政子

展示について

趣味の話題


サマリー

今回のエピソードでは、アーティストユニットの髙田安規子さんと政子さんが彼女たちの作品や展示会「パースペクティブス」について話します。特に、紫外線ドローイングや自然の変化をテーマにした作品について詳しく紹介されており、環境問題への意識が高まる内容です。双子の姉妹である髙田安規子さんと政子さんは、アートと科学の融合について語り、自然の美しさや進化の過程から得たインスピレーションに触れます。また、一般の人々が研究に参加する重要性や、芸術表現における可能性についても考察しています。双子の姉妹アーティストユニットは、幼少期からの美術への情熱と共に発展しており、大学で専門教育を受けた後、作品制作を通じてユニットとして活動を開始し、印象派やシュルレアリスムの影響を受けながら成長しています。双子の姉妹がアーティストユニットを形成する過程や、お互いの創作に対する必要性について話すエピソードです。また、趣味や生活の違い、作品に影響を与える要素についても触れられています。双子の姉妹がアーティストユニットを結成した経緯や、作品制作の影響を受けた経験について語ります。

アーティストユニットの紹介
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして投稿を繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、アーティストユニットの高田安規子・政子から、高田安規子さん・政子さんをゲストに投稿していきたいと思います。
はい、ということで、お疲れ様でございました。前半どうでしたか?
なかなか作品の具体的な話ができなかったかと思うんですけど
そういうことないですよ。大丈夫です。
後半もちょっと作品の話ができたらと思います。
よろしくお願いします。
資生堂ギャラリーから、今主力を行っておりますけれども、改めてまず展覧会用のタイトルとよろしくお願いいたします。
パースペクティブス、この世界の捉え方というタイトルで、資生堂ギャラリーで12月7日まで開催されています。
はい、そして前半ではですね、ストラーダという作品、それから鏡の作品、キルトの作品と
代表的なというか、今回の作品の中でもハイライトになるような作品を3つ紹介してもらったんですが、まだまだ作品はあるということで、全部で何点?
全部で20点ありますね。
紫外線ドローイングの作品
かなり気合の入ったと前半にも言っていましたけれども、その中でも全部もちろん紹介したいと思いますが、改めてこれも取り上げたいなという作品があればぜひぜひ。
先ほどキルトの作品の話をしたんですけど、ちょっとそれと関わりのある作品について話していけたらいいかなと思うんですけど、
展示室にキルトの作品の近くに並んでいる作品の紫外線ドローイングの作品と、あとポストカードを使っている作品があるんですけど、片番目の作品。
片番目はちょっと前半の、ちょっとチラッと出てきた色彩画というか、じゃあその作品からいきますか、片番目を使った作品。
それはいいですか?
いや、一番最後がいいのかな。
じゃあ順番でいくとどれからいく?
その一番最後にしたというのが、展示の一応流れとして最後の作品という感じがします。
この謎の、初めて聞いた言葉、紫外線ドローイング。聞いたことありそうでない言葉ですけど、これはどういう作品なんですか?
この作品は10年前に作った作品なんですね。
で、わらばん紙の上に型紙を載せて、この型は図像になるという型を載せたんですね。
それで太陽光に当てて、100日くらい当てたんです。
その時に、100日後に見てみたら、全然図像が現れてなかったんですよ。
なると思ったのに。
そうです。失敗してしまったのかなと思って、ちょっと自宅でスタジオで保管してたんですけど、
今回光にまつわる作品を出品するって決めてから、もしかしてこの作品は重要なんじゃないかと思って、
すごい埃がかぶったところから出してきたら、開けた時にこのような図像がしっかり浮かび上がっていて、
だから、わらばん紙の色のところに広く図像が浮かび上がっているんですか?
これは元々型紙がここに置いてあったんですか?
そうです。その型紙を外して、この今の状態になっているんですけど、
この作品がなんでこうなったかというと、紫外線が紙の繊維を劣化させて、化学反応を起こしているんですけど、
わらばん紙でやったのは、こういう白い紙って普通の紙ってポーティングとかが劣化しないように、
いろんなものが練り込まれたりとか、コーティング剤みたいなのが入っているんですけど、
これはわらばん紙は全然入っていないので、紫外線が繊維を崩してくれるので、
それで退色して、この色が出るということになります。
当初の予定だと太陽でなんとかなるかなと思ったけど、それが100日はならなかったけど、10年経ったら?
そうですね。時間によってこのような画像が描き出されたみたいな作品が出来上がりました。
その時の失敗だと思って、これはもう終わりってなっててもおかしくなかった?
真っ白ではなくて、若干本当に目を凝らすと、図像を知っている私なら見えるみたいな。
その時は発表したんですか?
発表してしまったんですけど、それはコンセプト自体を作品にしたいというのもあったり、
ライティングで何とか少しは見えるようにしていたんですけど、
本当に目を凝らして見ないとわからないという状態だったので、このままだとちょっとというふうに思っていたんですけど、
時間が作ってくれた作品。
自分でもびっくりしたんですか?10年ぶりに見てみて。
驚きました。
しかも3点のうちの1点は見つからなくて初めは探したんですけど、
本当に奥の方にしまっちゃったんで、もうなくなったって思ってたんですけど、
それが一番最後に見つかったのが一番大事な作品であって、
この図像は太陽フレアとかコロナが起きた時に、ちょっと難しくなっちゃうんですけど、
電波を含むエネルギーみたいなのが出てるんですね、太陽から。
それは目に見えないんですよ。
だから数値としてエネルギー量が表れている図像なんですけど、
それが本当の太陽の姿で、私たちの可視光とか見えてる範囲では見えない範囲を表すという姿なんで、
本当の太陽の姿みたいな。
なおさらに手の中に必要なピースで世相が上がると。
それで、私たちも光って明るくなって見えてると思ってるけど、
光そのものを見えてるわけじゃないじゃないですか。
色だったりの形で反射してるから見えてるけれど、
あと人間が見えてる可視光の範囲もすごい狭いじゃないですか、本当は。
紫外線とか赤外線とか、もっともっと行けばガンマ線とか色々あるけど、
見えてないよ、すごく狭くて。
その見えない図像を見えない紫外線で可視化するという作品なんですね、この3つ。
片ばみの作品と環境意識
なるほど、なるほど。
で、他もちょっと地理学の傾き、太陽と地球の関係性というのを表した図像だったりしてるんですけど、
この作品は、キルトとレッドと一緒に展示することが望ましいという作品で。
見つかったのは、なかなか見つからなかったというのは、どれくらいのタイミングで見つかったんですか?
始まるどれくらい?
始まる2ヶ月くらい。
それまで結構探してたんですね。
探していて、一番探してたのが欲しかったので、見つかった時は上しか。
良かったです、奇跡の作品です。
その際にホストカードが今5点で。
はい、それで見えないという、私たちが見えている範囲というのが狭いという意図がこの展示の中には含まれていて、そこに関係する作品なんです。
これはどういう作品でしょう?
狭いって言い切っていいのかどうかっていうのもあると思うんですけど、
私たちが見ている光で見えている範囲が、それでも結構な色の数は見えていると思うんですね。
それは狭いって言い切っちゃうということはしたいわけではないんですけど、
この作品はどういう作品かというと、
古いポストカード、白黒のポストカードを初めに集めて、
花の柄の白黒のポストカードなんですけど、
昔、手彩色ってありましたよね。
明治初期のお土産用の写真とかですよね。
上から塗る花。
その時に写っているもの、人とか風景とか、
実際その色が分からなくても職人の方が想像して色を塗っていたらしくて、
その手彩色のイメージで、白黒のポストカードに鳥と犬と蜂と蝶の見えている色彩を
想像しながら着彩していて、
もっと鮮やかかもしれないんですけど、手彩色調に色彩を。
しかも人間の目で見たものを再現するわけではなくて、
他の生物の目の見え方で再現しているということですね。
人間が赤と緑と青の色で調整して色を見ているんですけど、
鳥とかは紫外線が感知できる、できていたり、
全部じゃなくて一部だったりするんですけど、
蜂も緑と青と紫外線とかで見ていたりしていて、
犬なんかは赤は見えなかったりするので、
柿とか黄色っぽいちょっと重い感じの色で見えていたりするんですけど、
紫外線は私たちは感知できないじゃないですか、人間は。
ベッドとかキルトの作品の方では、
ベッドの方は人間の見えている範囲というのを表現しているんですけど、
そこの先を越えてきた色の世界を作りたくて、
作品にしたので、私たちがスケールでやりたいことというのは、
人の能力で見える範囲から越えてきた先にも世界があるというのを
飛び越えるようなことができるんじゃないか、
スケールという視点で物事を捉えるという考えで、
紫外線ドローイングとかポストカードの作品を製作しています。
さらに並んで、次はまた片ばみの作品ですね。
片ばみの作品は、私たちが収集して、
実際に生えている片ばみを収集して、おしばなを作って、
紫から緑のグラデーションで貼っていった作品で、
都心とかで、ヒートアイランド現象で結構、
何度とか高くなっているじゃないですか。
ただ、気候変動で温暖化になっている中で、
すごく暑い中で植物が生息していて、
片ばみの緑の葉の色が赤色になっています。
パッと見て、片ばみってあんな色なんだったの?
藤の色ぐらい紫色もあれば、一応みたいな黄色があったりとか、
あれ全部同じか?
実は展示の始まりからだいぶ色が変化していて、
自然の色彩なので、色が退色していくということは起こっているんですけど、
初めに見ていただいた方が展示の終わりで見たら、
また全然色が変わってくると思うんですけど、
初めはもっと緑色から赤が鮮やかについていたんですけど、
赤色というのが暑さに対応して赤く進化しているということで、
植物が温暖化に適応しているということを、
科学的な研究で明かされた絵ということを知って、
この作品を作ったんですけど、
今起きていることに適応している片ばみの植物の強さとかに、
今回の展示で未来について考えたいというのがあって、
その研究が暑さに強い農作物とかを作れるんじゃないかとか、
そういう研究に役立つんじゃないかと言われていて、
その植物を観察することで、
人間の未来に対しても、ちょっと希望を感じさせるというところもあったり、
その反面、赤い葉が増えてくると、
シジミチョウが卵を産むらしいんですよ。
片ばみを食べるらしいんですけど、
その葉の色が変わるというだけでも、
すごい生物にとって情報が大きく変わるということなので、
生態系にも影響するらしいんですよね。
なので、このグラデーションは赤を多くしているとかではなくて、
グラデーションを見て、何かが偏ってくると、
何が変わってくるのかということとかも考えてほしいなと思っていて、
希望もあるんですけど、その反面、
アートと科学の融合
何かが変わってくることという気配みたいなものも伝えたいなと思って作った。
その葉っぱの色が変わって、他の葉っぱはこんなことなのか?
片ばみが特にこうなっているんですか?
他にもなっているものはあって、
私たちも普通に道端で見つけるんですね。
本当に雑草のように入っているものを取ってきているので、
赤赤赤赤って思って探すんですよ。
あったと思ったら、片ばみじゃない草もあって、
それが何というのは調べなかったんですけど、
そういう変化は絶対起きてきていて、
生態系が崩れるかどうかまでは分からないんですけど、
でもどちらもあると思うんですよ。
未来も希望にもなり得るし、
それを人間から人口的に増やしてしまったら、
もしかしたら本当に崩れちゃう程度なのかとか、
いろんな側面から考えなきゃいけないことだと思うんですけど、
その緑から赤になる変性みたいなのって、
遺伝的に伝えていくらしいんですね。
なので、緑であるものは緑で伝えていくんですけど、
だんだん変化しているものは親が伝えていくって形なんで、
いきなり緑が赤に変化してしまうことはないんですね。
遺伝的に伝えるってことですか?
型紙をたくさん撮っていたんですけど、
緑と赤が混在しているものとかもあるんですよ。
グラデーションなので。
そこが多分赤い派になっていく方が
暑さに対応できるよということを伝えているのかなと思っているんですけど、
でも私たちは研究者じゃないので、
詳細までは分からないんですけど、
進化しているということは確かで、
その研究で世界的にも街中で人々が観察してデータを集めて、
一般の人も研究に参加するみたいな取り組みをこらえているみたいで、
研究者じゃないので、
こんなに私たちがインスピレーションを得て作品を作っているので、
研究の内容までは詳細に私たちは語るべきではないかもしれないんですけど、
一般の人も参加しているということにもすごく面白い取り組みだなと思ったりはしているんですけど、
私たちがスケールをテーマにしていて、
色のグラデーションということもスケールであるんじゃないかと考えていて、
今回時間についてのスケールとか、色についてのスケールとか、
サイズの代償だけじゃなくて、
様々なものにスケールという概念を置いてみたら、
どういう表現ができるかということを挑戦したみたいな感じですね。
やっぱりアートの面白さだなと思ったのは、
例えば研究を、たぶん僕は興味ない人間だから、論文とか読んでも不運で終わっている気がするんですよ。
もちろん研究者の方は研究はすごいなと思ってはいるけど、
たぶんそれを自分に置き換えることってあんまりないけど、
やっぱりアート作品として見たときには、やっぱり色んなことを考え、
なんかその媒体というか媒介になるというか、
だからアート作品ができることが伝えられることってこういうことなんだなというのを今聞いていて、
それこそ途中で実は言うか言わないか悩んだんですけど、
光の粒子の話とかって、キルトの作品とか。
理科の授業でやったなと思ったけど、たぶん寝てたんですね。
だから今日も少し話半分で聞いてはいました。
やってたらすれば粒子とかそんなもんみたいな感じだけど、
でもたぶんやっぱり理科の授業だったらたぶんそこで終わってたものが、
もちろん理科が好きで理科の話、授業を聞いて理科に興味を持つ人もいるけど、
僕みたいに文系の人間にとっては理系のものはちょっとやっぱり難しいけど、
やっぱり高田姉妹の作品を通してみると色々と考えちゃうし、
なんかこういうことがやっぱりアートもできることなんだなっていうのは特に思います。
僕は特に理系の人間じゃないので、だからそれはすごくなんか思って、
そこに感動して今話を聞いています。
すごくそういう捉え方をしてくださるのがすごく嬉しいなと思って、
私たちも今回結構芸術と科学っていうのは本当に大きな課題というか、
悩んで不安とか期待とか両方ある気持ちで今展示をしている状態で、
芸術と科学って昔は一つの学問ではあったと思うんですよ、ギリシャとかの時代では。
だけどいつかなんか分野がすごい細分化されて分断されていって、
それに伴ってやっぱり芸術と科学も違う道を結構たどってしまったけれど、
でも科学的に見ると今寝てしまったりとかしたという話を聞いて思ったりはするんですけど、
科学的に起きている事象じゃなくて、
普通に自然で起きている事象を科学的な見地で捉えているだけじゃないですか。
その説明のあり方が科学だと思うんですけど、
片割の作品も私たちはただグラデーションを置いているだけなんですね。
それを本当に静かにコツコツ並べているだけ。
科学者の方とこの間トークをしたときに、その配置は例えばそれを積んだ場所とか、
中が多いところは厚いところなはずだから分布の地図にできるんじゃないかという発想をされていて、
そういう発想のされ方をするんだなと思ったんです。
だけど芸術では純粋に自然を持つ色彩の美しさをそのまま表すことによって、
人によってはその遺伝的に伝わっている層とみなすかもしれないし、
本当に絵画のように色の美しさということに感動するかもしれないし、
自然ってこんなに色の豊かさを持っているんだなということを思うかもしれないですし、
私たちはその答えを設定するものではないんじゃないかと思っているんですね。
いかようにも見る観賞者が捉えられるというものでもなくてはいけないし、
未来がすごく希望があるんですよというだけじゃなくて、
生態系がどう影響するのかということも考えなきゃいけないので、
赤が多いとか、何らかを示すものではあってはいけないのかなというのもあって、
単純にも見えるかもしれない方法でおさえを選択していたりもしているんですよ。
何が正解かはわからないけれど、そこを起点に色んな立場の方が色んな視点を持てるということが、
芸術ができる最大の力じゃないかというふうに私たちは思っているんですね。
いろんな作家がいるので、いろんな芸術のあり方というのを思う方がいると思うんですけど、
自然の観察とインスピレーション
私たちはそういうことができたらいいなというふうに思って、
こういう表現に至っていたりはしているんですけど。
問いかけを作っている感じですよね、何か。
そうですね。
一般的にアートってよくわからないって言われて、
説明する役回りで僕はいるけど、わからないことで当選というかそれを聞いちゃったって、
結局問いなだけで、別にこの二人の中ではこれが答えですというものを出しているわけではないわけだから、
一緒に考えているわけですもんね、その答えに。
だからわからなくて当選なんだなって、ちょっと軽くなりますよね。
科学は多分、成果とか結果を出さなきゃいけないものだっていうところに立たされてしまっていると思うんですよ。
科学と芸術の始まりは、ただ自然がどれだけ美しいという気持ちもあって、
それがどういうふうに表現できるかとか、人間が認識できるかというところで勝負しているので、
どちらもその目的は一緒だけど方法が違って、
だからたびたび芸術が、科学が倫理観を失ったときにストーパーになれるんじゃないかと言われてはきていると思うんですけど、
そういう考えではなくて、歩み寄れるみたいな形を取れないかというのは、
私たちは作品の中で試みていることなんじゃないかと思っていて、
この前、資生堂の研究者の方とお話したときも、そういう気持ちでお話をしたんですけど、
私たちは別に理系の人間じゃないので、いろんなことをリサーチするときはやっぱりすごい困難を感じて、
いろんな方に質問とかしたり、いろんな動画を見たりとか、本当に基礎的なことしかわからないんですよ。
だけどそれが入り口になって、もっと科学と芸術がつながれる方法がないのかなと思っていて、
SNSで私たちの作品を見た方も、子どもの頃のワクワクした気持ちを思い出したって書いてくれる方とかいらっしゃって、
そういう気持ちが起きてくれることにすごく嬉しいんですね。
もともと科学者もそういう気持ちで始めたことであって、
それが私たちの作品の中で起きたら、私たちも一歩先行できたのかなって思っているんです。
すごい良い話を聞けて、このまま終わりにしてもいいぐらいになってきましたね。
科学って言葉ってすごく縛りやすいというか、それに縛られちゃう考え方を持ちやすい言葉かなと思って、
別に子どもがどうしてこうなるんだろうとか、自然を見ている時に感じていることとかって、
科学を意識して見ているわけじゃないんだよね。
新しいものを出会ったら不思議に思うとか、なぜこうなるんだろうって、そこから全部始まっていて、
だから芸術が世界を捉えようとすることも、科学が世界を捉えようとすることも、
根本的には変わりがないんじゃないかっていうことなのかなって思うんですけど。
普通に磁石で小学生とかで実験するじゃないですか。
でもその時に地球が大きい磁石だからって教わることはあまりないじゃないですか。
N極とS極があってみたいな。
だけど本当はもっと地球は大きい磁石だよっていう場合に教わったらすごくワクワクすると思うんですよね。
そういうのが作品として作ったのが、踊り場にある作品でもあったりして、
そういうワクワクみたいなのがいつも作品にあったらいいなと思っています。
お二人がいるからかもしれないですけど、科学と芸術は双子なんだなっていうことがよくあります。
このまとめでよろしいでしょうか。
皆さんに聞いている質問で、いつから美術に興味を持っていましたかということで。
お二人はいつから?
母が美術の先生だったので、小さい頃から自然観察して絵を描いていました。
たまごからちょうちょに帰るまでの観察日記を描かせたり。
それ授業じゃなくて?
幼稚園の時から絵を描いていました。
スパルタ教育じゃないけど、帝王学的な感じ?
家でそんな課題が出るんですか?
小森とか川とかに遊びに行っても写生地感があるんですよ。絶対絵を描かなきゃいけない。
景色でもいいし、石の絵を描いてもいいし、何でもいいけど絵を描く時間が絶対にあるんですよ。
セットなんですね。
教育と成長の重要性
私たちは兄と姉がいるんですけど、教えてくれるので絵がすごく上手になっていて。
先輩みたいになった。その当日の。
それで教えてくれるので、すごく小さい時から絵が上手くなってしまって。
やっぱりそれで美術の興味っていうのは元々ありました。
二人とも経歴見てびっくりしたんですけど、大学は違ったんですよ。
高校の時もやっぱり描きのほうになりたかったんですか?
アーティストになりたいと二人ともあったことはそのままずっとですか?
中学生の時に進路を決めなさいって言われたので、親に。
それで美大に行きたいっていうのをしたんです。
そこから二人とも塾に通って絵とか習うんですけど、私は彫刻しか行けないって言われたんです。
その先生にですか?
塾の先生に。
色が使えなくて、色を使って描けなかったので。
前半でも色彩刊物が出ましたもんね。
モノトーンだと描けるんですよ。鉛筆とか施工デザインとかで。
モノトーンだと描けるんですけど、グラデーションとか。
あと空間把握みたいな、奥行きはわかるんですけど、色を使うと途端にそれができなくなっちゃうんです。
でもまさこはどの家に行っても大丈夫って言われて、選べたんですけど、
彫刻を二人とも受験して、受験はしたんです。
でもやっぱり私は本当に彫刻が好きだったので、そのまま大学に行ったんですけど、
まさこは彫刻も受かってたんですけど、彫刻をやりたくない。
彫刻をやりたいかそこの時点でわかんなくなって、
それで比較造形というところに行ったんですけど、そこは芸術学みたいなところなので、
全体的に学ぶみたいな感じで、もう一度考え直したいみたいな感じがあって、そこに行くことにしたんですよ。
そこで最初は同じところに行ったんですか?
最初から別々。彫刻家だけでは別々。
私は彫刻、まさこは比較造形という、
芸術学?
芸術学に行ってるんで、制作ができないんですよ。
実際に写真とか撮る技術とかは学ぶんですけど、
私はすごいものづくりをしたり実習をすごいしてるんですけど、まさこは作れなくて、
私が双子テーマに作品を作り始めて、
ちょっと一緒に作らないと作れない作品があるから手伝ってほしいっていうところから二人で作り始めたんです。
その時は大学の時代は家は一緒だったんですか?
双子のユニットとしての活動
一緒です。
実家で。
じゃあ一緒に家で作る感じで。
家というか、私が大学に呼んで作って、好評の時も言ってもらったりもしました。
席があるわけじゃないんですけど。
でもその時は一応デビューというか、みたいなことになると思うんですけど。
好評の時にまさこは何か言ってもらったりとかしてなくて、
一応その場に行ってもらって聞いてもらったり、私が話してたんですけど。
それこそ前半で、スケールをテーマにするのはイギリスに行ってからでしたとか、
その時はまだスケール時代じゃないんですね。
最初の記念すべき二人の作品は何だったんですか?
二言がテーマです。
アイデンティティとか。
それがテーマなんですけど、
例えば母が小さい頃からすごい撮っておいたんですね。
写真とかそういうの。
解体してつなぎ合わせて、
第二の皮膚みたいな、セカンドスキンみたいなタイトルをつけて、
それを着て写真を撮ったり。
服的なものを作ったってことですか?
そうですね、着るもの。
赤い毛糸で縫って編んで、そういうのは得意だったので編み物をして、
赤い首から下を全部覆うみたいな作品で、
おへその方が繋がっているみたいな。
ケルシー・マザコさんも着て。
そのへその方が繋がっていて、そのへその方がすごい長いみたいな作品があって、
そういうのを写真を撮ったりとか、
手段で参加してもらわないと作れなくて、
そういうのを作っていたんですけど、
イギリスに行ったらそのテーマは、
やめなさいって言われたんですよ。
それですごく悩んで、
私がやっぱり作ってきたんで、
何でも結構決断しちゃってたんで、
マザコが作りたいものを作るために、
私はちょっと黙ってなさいみたいな感じで。
大学を終わってイギリスを2人で行かれたんです。
はい。
その時には2人で制作しようという気持ちで。
この2人がユニットになろうってなった瞬間はどこだったんですか?
もうその作品の時ですか?
一緒に作ってて、
私も制作をしている場で勉強してたわけじゃないので、
ちゃんと2人で作る場で学んで、
作品をもっと高めていこうっていう感じになって留学するっていう。
服みたいな作品を作っている時に、
マザコも1年だったんですけど、
専門学校に通ってたんですよ。
服飾が。
それでちょっとやっぱり私も服みたいな作品を作ったのも結構あったんですね。
2人で間を取るみたいな。
やっぱりちょっと手芸的なことも好きだったので、
そこはちょっと一致して近いものがあったんですけど、
それを持って作品を作っていったら、
イギリスではそれはできないっていう風になって、
新たに自分たちが今日持っていることを、
2人の間を取ったものを探さなきゃいけないっていうのを模索しているうちに、
2人ともその場で感じていることが、
作品制作における挑戦
不思議の国のアナリシスみたいな経験になったんで、
冒頭の話のように、
今思い返すと、
すごく前に戻るんですけど、
小学校3年生から4年生ぐらいの時に、
母が結構展覧会に連れて行くんですよ。
印象派とかの展示とかも結構見たんですけど、
ルネマグリットの展示を国立近代美術館で見て、
それにすごく衝撃を受けたんですね、2人とも。
すごい印象が残っちゃっていて、
今の作品はどうか分からないんですけど、
結構スケールが変化している作品もいっぱいあったり、
日常を舞台にしているけど違和感があるみたいな、
それはすごい衝撃が残っているんだなって思っていて、
結構シュルレアリスティックみたいなのも好きな作品ではあって、
今も日常から派生した作品を作るのは、
そういうところがあるのかなって思い返すとあります。
教育熱心なお母様の影響を受けた、
お兄さんお姉さんはこっちの道に進んだんですか?
進んでないんですけど、
でも2人ともすごく器用で、
兄は版画とかを掘るとすごい作品みたいなのを作ってしまうし、
姉も幼稚園の先生だったんですけど、
子供にいろんなものを作るじゃないですか、
そういうのはすごい得意で、
すごい素敵なものを作ったりとか。
その時代は高台一族で手なんかやらないんですか?
ないですけど、今回姉もすごい手芸が得意なんです。
作品として販売できるくらいの技術があると思っているんですけど、
キルトの作品も手伝ってくれていて、
いとこも手伝ってくれているんですね。
相手の展覧会だ。
みんなで一緒に作ったりとかして。
手先が器用っていうのは遺伝的なのかもしれないですね。
親戚の家族の中で利系がやっぱり多いんですね。
お医者さんとか化学とか進んだりとか祖父はしていて、
兄も父も結構利系なので、何かしらの影響は受けていると思うんですけど。
ちなみにアトリエの話が前半でも出てきて、本がいっぱいあるとか、
アトリエは共同でなんですか?
一応またこのところに私が行って、スタジオとして使用しているという感じであります。
別々で。
活動、生活はバラバラで、制作するときだけ一緒にやってて。
なるほど、なるほど。
双子のアーティストってちなみにいましたか?人生で。
オタクも双子のアーティストユニットですか?
イギリスでは、ジェーン・アンド・ルイズ・ウィルソンっていう作家が結構有名な時期に留学したので、
リッソンギャラリーとかで展示していて、彼女たちの仕事は知ってはいて、
彼女たちは結構自分たちが映像作品とかにも出てたんで参照してたんですけど、
双子については作らない方がいいみたいな。
彼女たちは双子はテーマではなくて、
ただ自分たちが映像作品の中にいるけど、そこは双子ということでやってるわけじゃなかったので、
私たちは参照はしたんですけど、そういう道にはいかなかったんです。
2人でやることのメリットは結構いっぱいあるなと思うんですけど、
逆に2人だからこそこういうとこ大変だよねってのもあったりするんですか?デメリット的な部分というか。
時間がかかるって、
時間がかかるっていうのはあると思います。
話し合いとかも。
メルホールの飯田さんもおっしゃってたんですけど、
2人で作ることの大変さみたいな話を一緒にしたことがあって、
ハブとユニット同士の話。
やっぱり自分が思っていることを伝えるっていうのに時間がかかるから、
説得材料とか持ってきたりとか、そういうのがすごく時間かかりますよね。
制作するまでにってことですか?
そうですね。アイデアの段階とか、作品に至るまでの時間がすごい時間かかりますよね。
それでどんどんできるわけじゃないっていうのは結構あります。
例えばメルホールの場合は他人だから感情的にならずにやりとりできたりするかもしれないですけど、
家族の場合、たまには感情的になったりするんですか?
いい風にしろよ的な話じゃないけど。
毎日。
毎日です。
そういう場合はどう折れるんじゃないけど、折り合いの付け方が難しい。
時間ですかね。
時間がそのキルトの、
大きな作品ですね、壁的面の。
ダブルウェディングリングっていうパターンなんですけど、
私は全然違うパターンのキルトを描いたくて、
それが決まるまでにちょっと揉めたので、
1週間くらいちょっと時間かけたりした後に、
よくよく考えて、作品としてどっちがいいのかみたいなのとか、
あったんですけど、でもやっぱり作品を作ってくるのはまさこなんで、
作りやすくなると作品はできないから、
じゃあそっちで、みたいなのは、
1週間くらい制して伝えたりするので、
やっぱり時間がかかる。すぐ決まらないというか。
でもやっぱり2人でずっとやってきたと、
双子のアーティストユニットの必要性
例えば2人でやったものがいいものだから、たぶん2人でやってると思うんですけど、
時々たまに、
例えばこのユニットはユニットとしてやるけども、
ソロでちょっと自分だけでやってみたいなってことはお互いないんですか?
ないです。
それないんですか?
1人だったらもう作んないと思うんですよ。
それはなんでですか?
もう2人でこの作品が作れてて、1人で完成することは一度もないので、
絶対に1人だったら生まれないと思ってるんで。
たぶん何かを作っても、お互いそれぞれも、
これは完成してないみたいに感じちゃうんじゃないか。
もう物足りないじゃないけどってことですか?
これで終わりなのかわからないみたいになっちゃいそうなんですね。
そうか。だから2人でようやく完成になるってことなの?
2人が良しとしてみたいな。
そうです。そのやりとりがあって作品になっているので、
でも作品になっているのかなってよく言ってるよね。
言ってるんですか?
なんか私もあるんですけど、結構完成がわからないってのになってて、
私はこれで良いから、大丈夫だからってキルトが言ってたんですけど、
私は逆に1人で作れない理由は、完成がわからないとかではなくて、
もともとアイデアのところから、自分1人で作っても良い作品にならないって思ってるんで。
まさこの感性だったり、感性とアイデアは私にはないものなんで、
それがないと絶対作品は作れないって思ってて。
それはやっぱり疑いの中でリスペクトがあってできてるんですね。
それもあるんですけど、まさこはさっき自分で説明してたんですけど、
私はふわっとした状態で作品を持ってくるって言ってるんですけど、
私は割と終わりが見えてるものばっかりしか出ないんですよ。
なので、これじゃつまらないなみたいなので、結構投げるんです。
だから、それはもっとこうで、もっとこうでってしてくれるのがまさこなんで、
これだけだったらできるけど、これはつまらないって自分は思ってるので、
絶対一人じゃ作れないっていう感じです。
なるほど。お互いが何かだから、理由は違うかもしれないけど、
やっぱり必要とし合ってるってよく伝わってきます。
趣味と生活の違い
でも二人以外の生活は全然違うって話だったの。
二人の趣味とかも一緒。これいつも番組で聞いてるんですけど、
美術以外で好きなものっていうのを聞いてるんですけど、これはどうなんですか?
二人ともやっぱりそれぞれ違うんですか?趣味とか。
趣味で同じものもあるけど、ちょっと違うものもあって、
私は結構生き物が好きで飼ってるペットもいたり、植物とか育てるのも好きなんですけど、
まさこはあんまりそういうことに興味なくて。
興味ないというか、植物を育てるのがあんまり上手じゃなくて、
なんか手をかけすぎて植物枯らしちゃったりとかするんですよ。
最近ちょっと前の展示でタニック植物とかを使ったら、すごくちょうどいい具合に育てられてて、
最近はちょっとタニック植物は育ててるんですけど、あんまり上手じゃないんですけど、
あき子はそういう庭で植物を育てたりとかすごい得意にしてます。
趣味っていうのはどうなんですか?
私でも映画はやっぱり見るのが好きで、今はあんまり時間が取れないんですけど、
でもそれもちょっといろいろ好きなことも結局最後作品にかかってきちゃうというか、
結局これも作品につながってるのかなってなっちゃうんですけど、
でも映画は見たくて、もっと時間が取れたらっていつも思う。
あき子も映画見るのが好きで。
共有したりすると、この映画は面白かったよみたいな。
やっぱり結局作品に関わるというか、SFとかキューブリックとかそういうのをはじめSFとか、
割と作品に近いものが好きで、
アニメでファンタスティックプラネットっていうアニメーションが、フランスのアニメーションがあるんですけど、
巨大な宇宙人が小人のサイズの人間を飼ってるみたいな。
いつごろの映画なの?
古い映画で、カラーなんですけど、それとかも衝撃的に好きだったりとか。
でもちょっとスケールっぽいですね。
ヤン・シュワン・クマイエルのアリスとかも好きですし、
やっぱり作品に影響が結構あって、
SFも結構宇宙的な、人間が極限の状態にある時にいかにサバイブするかみたいなのが好きだったりとか。
好きなものは似てるんですね、そこに関して。
そうですね。
やっぱりそこが違うと話にならないじゃないけど、やっぱり目指すべきものというか、世界観は共有してるんですね。
俳句の作成と作品の発表
なんかこれ引っかかったと思ったら、やっぱり見てって言っちゃったりしてて、
それを共有したら、それが直接的に制作に響いてるかわかんないんですけど、
何か種みたいなものを感じたから見てって言ってるのかなっていうのがあります。
確かに。
だから最初、双子って似てると思ったけど、やっぱり全然似てない部分もあるけど、似てる部分もあるんだなと思って、
最後にずっと金谷さんでいいですか。
2人が一緒に生活しなかったってことがわかった上で質問なんですけど、
たまたまこんな同じような色の服を着てらっしゃるんですけど、これは示し合わせなんですか?
それともたまたま?
たまたまです。
こういうことは結構あるんですか?
お互い全然、明日赤い服着ていこうねとか言わないけど、着たら似たような色の服を着てるなとか。
最近はあるかな。
なんか私たちはほっとくと似なくなるんですよね。
ほっとくって何ですか?
何もしないと。何も見せようとしないと。
だけど、ライアンガンダーのオープニングの時に双子のパフォーマンスがあって、
いろんな双子がいらっしゃってみたいな。
それを似せなきゃいけなかったんですよね、すごく。
その時に似せてから、似せようと思うが、これぐらいは似るんだなっていうのがわかって、
環境要因でだんだん違う暮らしをしてると、双子って似なくなるんですよね。
それで遺伝的にも少しずつ変わってっちゃうんですよ、同じ遺伝子で生まれても。
だからやっぱり好きな食べ物とかも違うんですよね。
だから変わってっちゃうんです。
努力というか似せようとしていくと。
すごい努力をしなくてもある程度似る程度でいるっていうか、
それが極めて似るようにしたら、きっとすごくプレッシャーになっちゃうと思うんですよ。
マナカナさんなんてすごい努力されてるのかもしれない。
普段は。
ハモるためにとか。
わかんないですけど。
努力すればなんとかなる。
そういう感じなんですね。
でもそれって確認し合ってるんですかね。
だからたまにこういうことが起きるようになりました。
あんまり起きなかったんですけど、起きるようになりました。
おめでとうございますって言ったらいいのかわからないけど、ぜひこれからも。
それでですね、展覧会が今開催されてる。
もう間もなく終了の時間が来たんですけど、実は宿題が出てたので。
はい。ぜひ楽しみにしてらっしゃい。
今日ね、展覧会にたまたま内覧会の人と来られずに見に来たタイミングでたまたまお二人もいらっしゃって、
それが僕がちょうど区会に行ってきたんですよって話をして、
だからこれからも展覧会の感想とか俳句で言えたらいいんじゃないですかねって、
適当にノリで言ったら是非作ってくださいって言われて、
ちょっと今は無理ですっていう話をして、
じゃあ考えてきますというので、
それを発表するということでちょっと二人に出ていただくという条件だったので、
一応あの展覧会をもとに俳句を作って、一応二個作ってきました。
じゃあ発表していいですか?
それは二人だから二個なんですか?
それは別になんで双子に寄せなきゃいけないのかよく分からないですけど、
僕はその努力をする必要はないんです。
その二つっていうのは俳句を作るときに二つ作るってこと?
いやいや、そんなことじゃなくて、
なんとなくこう、本当は一個でよかったんですけど、
なんか言いたいことがありすぎて、だから一個にはまとめてなかったので、
ちょっと二個にしてみて、
じゃあちょっと一つ目いいですか?
ああいうこと恥ずかしいんですよ。
じゃあ言いますね。
ちっぽけとつぶやきあおぐてんたかし。
これはですね、リアクションもあれだと思うんですけど、
やっぱりこのスケールの展覧会で自分の大きさ小ささを感じるんですけど、
このちっぽけっていうのはなんか悪い言葉のようだけど、
むしろいいことなのかポジティブに捉えた意味なんですね。
ちっぽけであるってことが別に悪いものでないんだってなって、
つぶやいてこの天空を見たときに、天高し。
シゼドギャラリーの地下から上に出たイメージなんですね。
しかもこれ何が難しかったって。
これ記号ですよね。
記号が天高し。
まず秋の記号とか夏の記号を探すのがまず無理で、
一回つばくとか入れるしかないのかなとか。
記号がないんですよ、この部屋。鏡焼けるとか。
でもつばきあるんですよね。
シゼドの鏡があるから。
記号をどうしようかって考えたときに、
天高しが秋の記号だったので、
ちっぽけとつぶやきを仰ぐ天高しというのを作りました。
もう一個作りまして、これはストラーダに特化したあれなんですけど、
白靴の底で感じる悠久の時。
白靴っていうのが夏の記号だったんで。
靴で立って、ストラーダに出てきましたけども、
踊り場に立ったときに完成するって話が出てましたけど、
僕も何度も感じたんですけど、白靴の底で感じる悠久の時。
もう一個、これはなんとか575の方に入れ込みようとしすぎたので、
自分の中では気持ち悪かったので、
自由律廃止みたいなこれをアレンジしたやつがもう一個あります。
白靴を踏みしめて、悠久の時を思うにしました。
謎の時間が。
書いてるんで残したいなと思って。
白靴を踏みしめて、悠久の時を思うにしてみました。
すごいですね。空間と時間っていうふうに、ちゃんと2つ作っていただいたんですね。
俳句初心者ながら頑張ってみました。
素敵な。
こんなに短い中でこの展示を感じるっていうのすごいよね。
これスケールですね。
双子の姉妹のアート活動
この意識って両方とも作ってみました。
ありがとうございます。いいですか?
ありがとうございます。
私たちはこの展示を考えた時に、
静堂の万物詩声をそこから影響して、
自然について作品を作りたいっていうのがあったんですよ。
万物詩声もすごい短い言葉で、8文字で大地の徳について語っていて、
ここが最後、すごく万物詩声と一致した感じで、
短い言葉の中に大きなものが詰まっているっていうすごい感じがします。
ありがとうございます。
急に恥ずかしくなる。
すごい2人に褒めていただいて本当に嬉しいんですけど、
笑い取る仕事なんで、この笑いが起きるときも結構自分には耐えられない。
根っこが笑い取りたくなっちゃう人間なのであれですけど。
これは本当にまじでふざけないで、
このお二人の展覧会の感想を自分なりに込めてみましたので、
気に入っていただけたら、いろんなところで使っていただいて大丈夫です。
これは早速SNSで。
いいんですか?
どうぞどうぞ。
じゃあ許可が出たので。
わかりました。
そんな僕が句を読んだ展覧会の告知を最後よろしくお願いいたします。
パースペクティブス、この世界の捉え方という展示が、
SEEDギャラリーで開催しています。
2025年12月7日まで続きますので、
ぜひ皆さん作品を実際に見てください。
よろしくお願いします。
57:22

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