今で結成で言うと何年目になるんですか?
18年目?
18年目ですね。
めちゃくちゃ長いです。
もうその後解散の危機とかもなくずっとそのまま?
解散っていうほど近くに入れるようになったんです。
結成当時はまだ東京にいたんですけど、
その展示が終わる頃にはもう静岡に運行していて、
なんならその後八戸って青いの方に7,8年行っちゃったりとかして、
本当に最近だよね、東京でこれだけ近くで。
八戸は6年で、東京に来て今年の4月で11年目でした。
結構長かった。
今僕らはアトリエで収録させていただいているんですけど、
これはお二人のアトリエで撮ってたんですか?
共同アトリエみたいな。
共同です。完全にネイルホールの方。
向こうは私のデザイン事務所。
そういうことなんですね。
結局家賃はひとまとまりになるので、
そこの割合でここはネイルホールが使うときは必ず使えるような状況を作っている。
同時にもう一個アトリエっていうか工房的な場所があるので、
それで各々やるべきことをやって、
こっちで作ったものをこっちで渡したりとか、
そういう感じなんですね。
ここで二人で一緒に作るってことはあんまりないんですね。
そう。やっぱり二人とも仕事しているので、
どっちかっていうと最終的に二人で作業することもあるんですけども、
それはもう一個の方でやっていくという感じですね。
その役割分担的にはどんな感じでやっていくんですか?普段は。
私がグラフィックデザイナーで、
普段は写真家の作品集とかアートブックをメインにやっていて、
いわゆる紙媒体の印刷物を取り扱っていることが多いんですよ。
その発生と、
飯田は主にもともと紙を彫る、彫刻する作家でもあるので、
そこがベースにあることで、
なんとなくそういった分担みたいなのはあるんです。
例えばこっちのアトリエには結構大判のプリンターが2台ぐらい置いてあって、
その撮影した動画を編集して連続写真に落としたりとか、
それを出力してカットして、
彫るための素材を用意するとか、
そこがベースとしてやっているんですよね。
それをこっちのアトリエに持っていくことで、
今度は飯田はそれを彫るみたいなことがあるという感じです。
その時には、飯田さんは完成形みたいなものは、
どっちの中でも完成形があるんですか?
ないです。
まずは被写体を選ぶこととか、
撮影するとか合成とかを共有したりしているんですけど、
そこから被写体、たくさん取得があるので、
構図とかも全部含めて、
そこにどう彫っていくかというドローイングの作業が必ず行われていて、
飯田さんは何パターンかドローイングを描くんですよ。
そこから、この被写体にはこれがいいんじゃないとか、
もうちょっとこうした方がいいんじゃないとかということをやり取りした後に、
彫っていく作業に変わるので、
そこまで共有したら、一旦彫り始めるみたいな。
でも、彫り始めると、
大体予想通りにいかないので、
そもそもその素材がどういうふうに動いていくかとか、
彫ってみないとわからないという状態なので、
出てきたものに対して対応していく作業が生まれてきて、
それはずっと定点で撮影していくように、
今この状態みたいな。
地区一報告というか、今こんなんだよという写真か何かで撮っておく?
そうですよ。基本は毎日制作しているときは、
今こういう状態というのを送られてきて、
全然違う方向に行きそうだったりとか、
もうちょっとこういう可能性があるかどうかというのをメールでやり取りして、
それでも伝わらない場合はオンラインにしたりとか、
直接行くわみたいな感じで行って、
調整してということをずっと繰り返す。
でも、そうなると多分飯田さんの中で彫って、
飯田さん的にはこれOKってなったときに、
神奈川さんがちょっとこれはもう少しこうした方がいいんじゃないの?
っていう感じもあると。
でも全然それはもうない。
ってなったら最後は田中さんが納得してくれないと終わらないんだよ。
どうなるの?最後はどうなりそうなの?
お互い納得しないと終わらない。
基本的には。
でも納得する瞬間が来るんですね。
来ます、来ます、来ます。
だからなかなか来ないなってときもあるんですか?2人で。
ほとんど来ないです。
だから何か分からない。
指定のポイントがやっぱり全然違うんで、
そもそもこの俯瞰したデータとか画像で確認してるとか、
リアルな状態で確認してるのの差を埋めていくっていうか、
テクスチャーはこんなんでこんな惚れてるよ、
みたいなのをしっかり伝えた上で、
ここがこうなの、どうなのっていうのが。
それで今までの作品の何ていうんですかね、
記憶っていうかそういうのを呼び覚ましながら、
もうちょっとこういうのはどうみたいな。
逆に出来たときに案外惚れてるねとか、
案外浅かったなみたいなのは、
もうちょっとちゃんと伝えとけばよかったなとか、
そういうのもあったりとか、
あとその白をやすったりして削るんですけど、
その削ってる濃度が、
もうちょっと淡い方がよかったな、濃い方がよかったなっていうのは、
本当に最後は田中がこっちに来てもらって、
直接見て一緒に話して、
本当にそこで最後30分くらい一緒に詰めて、
やってあげるみたいな。
だから一緒に最後は作業することは結構多いですね。
うまくいかないやつとか、
あとは絵をガラッと変えなきゃいけない時とか、
制作してる時に。
そういうのをやりとりが、
分業してるっていうよりかは、
割と一緒に並走してくれてるっていう感じが。
これはやっぱり飯田さんも一人で作ってます。
アーティストとしてやる時もあるし、
こういう展覧会のコンセプトみたいなのは、
やっぱり二人で話し合って決めていく?
そうですね。それは結構時間をかけて話し合いますね。
今回出展数は約80点。
作品作りに関しては、先ほど言ったようにラリーとかだったんですけど、
こういう展覧会を決めます。
展覧会の作品をこうやっていこうというのは、
結構二人で話し合って決めていくか。
そうですね。
それは本当に展覧会全体の構造になってくるし、
特に今回はその一つの展覧会タイトルが、
作品それぞれの全体に対してかかってくるような展示の仕方をしているので、
結構なかなか決まらなかったですね。
これは実は番組で千葉市美術館で開催された、
ネルホールさんの水平線をという展覧会だったじゃないですか。
番組に取り上げさせていただいて、
あれから1年も経ってなく、
最初は千葉市美術館でやって、次は埼玉でやるって言うから、
巡回してほぼ同じものが来るかと思いきや、
タイトルも違ければほぼ全然違う。
ほぼ新作展だったんですけど、
これ最初から決まってたんですか?
そうですね。
本当の始めの始めは巡回的なことを考えたりしてたんですけど、
ただ一つ千葉の展示を作っていくときに、
千葉自体に対して出し惜しみができないというか、
そこで一つ全部まとめて見せるっていうことに
重点が置かれていった部分があって、
それと同平行して、
埼玉という場所が、千葉と埼玉って同じ関東圏なんですし、
ライバルですからね。
僕も千葉ですからあれですけど、
飛んで埼玉とかでもバトルするのは千葉と埼玉ですかね。
県民的には。
敵みたいなもんですか?
その巡回は珍しいなと思ってました。
まず関東の巡回は珍しいですけど、
千葉と埼玉だと思ってました。
そういうことを踏まえた時に、
新作というか全く違う展示を考えた方がいいってことは、
やっぱり頭にあったんですよね。
これは今回の展覧会、千葉市美術館が終わってからって考えた感じですか?
千葉市をやる時から同時平行的に、
この埼玉近郊の展覧を何とか考えていたんですか?
展示をすること自体は決まってたんですけど、
中身は、もちろん考えてないことはなかったんですけど、
そもそも結果的には、千葉が終わってから考えたことが、
ほとんど全部投稿されているっていうような。
そうなんですよね。
めちゃくちゃひどかしくないですか?
かつてないぐらい追い込まれてました。
それで普通の人は楽して、
今まで作ってきたものをそれなりにやるんで、
それで何とかお茶を濁すじゃないですけど、
すればいいものをほぼ新作なわけですね。
それは徹底して曲げなかったよね。
ダメだなと思ったらそれをやった。
もし同じ作品を出すなら、
また違ったインスタレーションにするのか、
発見がないと難しいだろうなと思ってたし、
巡回するなら場所がもっと離れてたりするんだったら、
違うお客さんが来て、
場所的な問題として改善できることはあると思うんですけど、
千葉と埼玉はほとんど同じぐらいの距離で、
特に東京の美術ファンが見に行くことが多いわけですから、
ファンからすれば両方新しいのが見れて嬉しかったですけど。
千葉を経て、
今日もちょっと話してたんですけど、
そこまでは今まで自分たちがやってきたこと、
もちろん自分たちを知らない人たくさんいるので、
断片的に見てくださっている方とかも、
結局この人たちは十何年も何をやってるんだろうみたいなところがあって、
包括されている方ってほとんどいないと思っていて、
そういう意味でも一つの串刺しというか、
自分たちがそれだけの時間をかけて何をしてきたかということを、
伝えたいなという気持ちがすごくあったところは、
二人とも一緒で、
それが故にその後に埼玉で展示させてもらうということを考えたときに、
ある種そういう荷が降りているというか、
次に迎えるという気持ちがあったので、
ある種アイディア自体がどんどん出てくるというか、
やりたいこととか、あるいは更新したいこととかすごいあったんですよ。
ただ時間も限られているし、やれる範囲は決まっていたので、
そういう意味では本当に限界までやってギリギリなんとかという感じだったんですけど、
すごく今の考えていることを反映しているという感じですね。
セカンドステージっていいのかわからないですけど、
今までの集大成が千葉市見だとしたら、
寝るごとに第二章が始まったようには見えない。
偉そうなことを言っている。
他の方にもそういったようなことを言われて、
確かに新しいことを望んでいるという意味では更新しているんですけど、
大きなタイミングだったのかなという話は。
そういう意味ではお二人にとっては大変だったともちろん思うんですけど、
1年で見れたというのはいいです。
これが3年とか空いちゃうと、あわりがちょっと長くなっちゃうけど、
本当に去年から今年のこんだけ変わったというのが、
昼間からしたらそこがすごく新鮮で、
あれがあんまりないじゃないですか。
そこまで大きな御庭園をこんなタイミングで見れるというのがあって。
そうですね。
すごいそういう意味では運が良かったというか、
本当に関係者の方に感謝しているというか。
関係者が実は来ているという。
番組に以前出演いただいた朝日新聞の竹部さんが。
少し喋りますか。
喋っていいんですか。
どうぞどうぞ。
すみません、後半からと聞いていたので完全に入団しました。
すでに出演されているみたい。
竹部さんがと一緒に組んでやっていたんですね、今回の展覧会。
いえいえ、もう完全にお二人の展覧会なので、
僕は本当にずっと陰ながらずっと応援したくらいの感じですけど。
改めてですけど、埼玉近備の展覧会で、
いろいろと新しい試みをしているということですけど、
ぜひ見てほしい作品、これ、これ、というのがあれば
まずいくつか紹介してほしいんですが、どれからいきましょう。
ヒデン・クレパスの話を。
ヒデン・クレパスですね。
でも、ごめんなさい、話ずらしちゃうようになるんですけど。
一つの美術館の個展で、ほぼ新作で、
一つの展示タイトルに向けてまとめ上げるということ。
あんまりないなと思っていて、
自分たちとそもそもそんな美術館で
ご提案してもらってないんですけど、
これほど一つのコンセプトに向き合って
全てが作られていくという状況って
なかなか機会にないだろうなという感覚があって、
つまり、一個一個もちろん、
そもそも以前から作っているシリーズの
更新しているものだったりとか、
以前に出していたものだったりとかもあるんですけど、
同時にすごく新しく作っているシリーズがたくさんあって、
それらが全て展示を勧誘するというか、
できることで一つのオーバーになっていたりするので、
なかなかこれは、みたいなことは自分はなくて、
一個一個が、一個のコンテクトのディティールでもあるし、
単体でこれから続いていくシリーズにもなっているんですけど、
結構難しいなと思うんですけど。
一体でインスタレーションみたいな、
一つの作品みたいな感じもありましたよね、今回。
そうですね。同時に美術館の空間自体も
それに加担している部分はあるというか、
あの空間を読み解いていくこと自体も
すごくコンセプトに反映されていたりするので、
なかなか難しいというか、ある意味あそこじゃないと成立しないような
組み方をしていることもあるんですよね。
なので、そういう意味で言うと、
例えば入ってすぐのところに、
カーバードというエドワードバイブリッジの連続写真を使用して、
いつものようにレールホールの折り方で彫刻しているものがあるんですけど、
それが千葉にも一部出ていたはずなんですよね。
ただ展示の仕方がすごい変えていて、
なんて言えばいいんだろうな、
円形状の筒形の状態の格子に対して作品を配置している。
木材で作られた?
木材で作られた。
それを鑑賞者はその空間を回ることによって体感していくというような
作品が円の円周に飾られてあって、
人が周遊して鑑賞するという。
普段だったらそれは壁面に並んでいる状態だったんですけど、
そうしている理由としては、
そもそもゾートロープという機械のところからヒントを得ていて、
それは連続に円状に配置されたものをずっとクルクル回すことで、
動画アニメーションのように絵が動いていくような。
アニメの源流って言われているやつですね、数百年くらい前。
それからヒントを得ていたりして、
原型の原型がマイブリッジの連続写真を撮ろうとしていた。
有名な馬の連続写真みたいな。
馬が走っている姿を発見するというような。
それも静止画の連続なんだけども、
ある一定の期間というか距離に対して一定の撮影のスピードと時間を
うまく利用することで連続写真を成功させるみたいな。
そういった流れというか経緯だったりとかを自分たちに取り込んでいくときに、
ただ単純に掘り上げた作品を併出するということよりも、
鑑賞者自体がゾートロープの一体になるというか、
ある意味今回は逆に鑑賞者がゾートロープ化しているという状況が。
あまりにもデカいから回すわけにはいかないからですね。
中心にいる人からすれば回っているんですよね。
人の鑑賞体験としてインサレーションに含むということを考えたくて。
それを聞くと最初の話が種巻きとカラスというのも
鑑賞者の視点の話だったから、そことも関連してくるわけですね。
カリキーとしてという意味ですね。
それに合わせたというか、それにも引用されるような作品をそのままに配置していたりもして。
印象的だったのはあれじゃない?
マイムマイムを覚えて。
マイムマイムというのは輪で回るから。
手を繋いで飛び出して踊って円形になってみんなで楽しむ民謡なんですけど。
鑑賞者はそんなことを考えなくても、作品を見ていれば
気づいたらそのインサレーションに取り込まれていくような配置を考えたりしていたので。
同じ作品でもそれだけ鑑賞体験が変わるようにということは考えていましたね。
展覧会は巡回展でもないし、仮にしたとしてもこれは埼玉でしか見れないことをやっているということですね。
作品が変わるかも同じものは見れても。
空間で強調したいことだったり、配置だったり、
それ自体が展覧会の何を占めているのかというところで扱いが結構変わったりするので、
そういった意味では、全然鑑賞体験は違うかなという気がしますね。