1. そろそろ美術の話を...
  2. #139 Nerhol 種蒔きと烏 Misre..
2025-09-06 57:15

#139 Nerhol 種蒔きと烏 Misreading Righteousnessについて 前編(Nerhol(ネルホル))

アーティストデュオのNerholをゲストに、埼玉県立近代美術館で開催中の「種蒔きと烏 Misreading Righteousness」展について伺いました。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/13⁠⁠9⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠番組公式Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もフォローをお願いします!


Guest Profile

Nerhol(ネルホル)

  • グラフィックデザイナーの田中義久(1980-)と彫刻家の飯田竜太(1981-)により2007 年に結成されたアーティストデュオ


Show Notes

Nerhol(ネルホル)

展示について

サマリー

アーティストデュオNERHOLの田中義久さんと飯田優太さんが、ユニット名の由来や共同制作の過程について語ります。彼らの作品制作では、役割分担やコミュニケーションが重要な要素であり、それが長年の活動を支えています。Nerholによる展覧会「種巻きとカラス」は、正義や正しさの誤解に関する考察を中心に展開され、各作品が言葉と結びつく重要性を示しています。また、制作過程では視点の違いや共創の楽しさが強調され、展覧会のタイトルが持つ深い意味を探求しています。最新展覧会では、鑑賞者の視点を重視した作品が展示されており、特に「秘伝クレパス」や「エドワードマイブリッジ」の連続写真を用いたインスタレーションが印象的で、作品体験の変化についても語られています。NERHOLの作品は、手作業による色の拾い方や時間の経過をテーマにしており、特に物質性や身体性が鑑賞者に考えさせる側面について深く掘り下げられています。今回のエピソードでは、NERHOLが埼玉県立近代美術館での展覧会「ゼルフォルタネマキとカラスのミスリーディングライチャーシミュレーション」について語り、美しい展示空間とそのコンセプトを説明しています。

NERHOLの紹介
はい、アートテラー・とにスのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにスが アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、アーティストデュオNERHOLの 田中義久さん、飯田優太さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、よろしくお願いいたします。
この番組でですね、アーティストさんも何人も出演いただいたんですが、 デュオは初めてということで、よろしくお願いします。
改めて自己紹介をお二人からしていただいてもいいでしょうか。
はい。NERHOLの田中と申します。
飯田です。よろしくお願いします。
これは二人で言うときは、必ず田中さんから言うとか、 決めたりはしてるんですか、これ。
おおー。
いや、待ち待ちです。
どっちのパターンもあるんですか。
名前はでも田中、飯田って書いてあるんで。
確かに。
その中、決めはしてないんですか、普段。
決めてないですね。
なんか立ち位置は左側が田中さんですかね。
立ち位置ちゃんとあるんですかね。
漫才みたいな。
共同制作の流れ
できないのに、でも例えばオープニングとかで、 二人で挨拶させてもらうとき、マイク一本になるじゃないですか。
そうするとNERHOLの田中と、みたいになっちゃうんじゃないですか。
言い出して、みたいな話になって、
空気感的に、あ、こいつら何かやるんだ、みたいな。
そういう空気はありますよね。
まさに千葉市美術館の古典のオープニング、 行かせていただいたんですよ。
センターマイクで二人が集まってて、 弾き出てみたときに、タイタンのお笑いコンビかなと思って。
吉本とはない、タイタンっぽい感じというか。
どうぞちゃんと拍手して、タイタンマイク。
ありがとうございます、みたいな。
二人でセンターマイクで立つのが珍しいというか、 仲良いなって思えたんですけど。
仲はいいんですけど、でも二本用意してくれないよね。
そうですね、あんまり二本用意してない。
取材のときとかトークのときだけですよね。
そうだし、あとは身長差があるじゃないですか。
それもまた助長してるよね。
それは別になんだろう。
でも結局、間取りにかからないと 聞こえなくなっちゃうから。
そういうのも全部ね、ちょっと笑いみたいな。
小笑いみたいな。
出てきた時点で笑えるみたいな。
そこで笑い取りたわけじゃないですもんね、 オープニングとしてはね、別に。
こっちのほうに振っていく?
嫌です。
嫌です。
でも、もし人ネタ作って欲しいって言ったら 僕は書けますので。
本当ですか、トニーさん。
僕はお笑い時代でネタ作ってたので。
しかも何組かに作ってあげたこともあるので、
もし寝る頃からどっかでやるって言うなら、 僕は5分くらいの漫才作りますよとしたら。
長くないですか、5分。
3分でいいよ。
1本で作りますよ。
すごいよね。
じゃあぜひ、軽んじるなよっていう突っ込みを ちょっと。
軽んじるなよっていう突っ込みを1個入れて。
最終的に言い言い?
言葉に対しての揺らつきがあると。
うちも軽んじるなよってよく言うよ。
口癖だよ、お二人同士で。
やってるからとかそういう。
そういう意味ね。
知らないとこでやってるからとか。
そういうのも大事ですね。
新しい、ダブルボケはあるけど、 ダブル突っ込み的な。
突っ込みファーストいっぱいくれれば、
2人で突っ込み合うみたいなネタ作ります。
こんなラジオで大丈夫ですよ。
最初から脱線するのも珍しいですけど。
改めて、ネルホルというユニット名というか 両名の説明をまずしてもいいですか。
これは真面目にみんな聞きたいところだと思うんで。
これは、なでそめみたいなのを 話しするのが一番よくて。
僕は元彫刻をやっていて、 田中浦彦デザイナーをやっている。
僕が展覧会で作品を発表したりしているのを 田中さんが見てくれて、
面白いから会いませんかという連絡をくれて、 田中さんの事務所に行って話をしていたら、
始めは全然噛み合わなかったんですけど、
話をしていたら面白いのが最後の方で見つかってきて、
一緒に作品を作りましょうかというところから、
作品制作を見せるとかそういうことは何も考えずに 何か一緒に作ってみましょうということで、
二人の共同が始まったというのがスタート。
ある程度作品ができたので、 展覧会をやりましょうかという話になった時に、
その当時のギャラリーのオーナーさんが 名前を付けたらどうですかとなって、
こういう名前を二人で考えて付けたというところが、
雇用語としてずっと続いているという。
最近はデュオの人だと名前プラス名前みたいな、 そのまま名前でいく人も多い中で、
結構チーム名を決めようというのは 二人の中で盛り上がっているんですか?
本当にこれもよく言うんですけど、
続ける気もそもそもなくて、
ユニットコンビみたいな。
二人じゃないとできないことをやるために、 その作品を作るためにやっていたんですよ。
それが作り終えたので、見せる場を 結果的にいただいた状態になっていて、
その流れで今言ったように、 ギャラリストの人がうちで展示するならば、
二人で作ってみたいになって、
本当に感覚的に考えて適当に言ったのが、
結果的にそのまま続けることになっていたという。
今で結成でいうと何年目になるんですか?
18年目です。
結構長いですね。
めちゃくちゃ長いです。
もうその後、解散の危機とかもなくずっとそのまま?
解散というほど近くに入れるようになったのが最近で。
結成当時はまだ東京にいたんですけど、
その展示が終わる頃にはもう静岡に移動していて、
何ならその後八戸って青井の方に7,8年行っちゃったりとかして、
本当に最近だよね、東京でこれだけ近くに。
八戸は6年で、東京に来て今年の4月で11年目です。
結構長かった。
今僕らはアトリエで収録させていただいているんですけど、
これはお二人のアトリエと?
そうですね。
共同アトリエ?
共同です。
共同というか、完全にネルホルの。
向こうは私のデザイン事務所。
そういうことなんですね。
ただ、結局家賃はひとまとまりになるので、
そこの割合で、ここはネルホルが使うときは必ず使えるような状況を作っている。
同時にもう一個アトリエというか工房的な場所があるので、
それでおのおのやるべきことをやって、
こっちで作ったものをこっちで渡したりとか、
こっちで作ったものをこっちで渡したりとか、
そういう作業ですね。
ここで二人で一緒に作るってことはあんまりないんですね。
やっぱり二人とも仕事をしているので、
どっちかというと最終的に二人で作業することもあるんですけど、
それはもう一個の方でやっていくという感じですね。
その役割分担的にはどんな感じでやっていくんですか、普段は?
私がグラフィックデザイナーで、
普段は結構写真家の作品集とか、
アートブックを結構メインにやっていて、
いわゆる紙媒体の印刷物を取り扱っていることが多いんですよ。
その発生と、
ヒーダーはもともと紙を彫る、彫刻する作家でもあるので、
そこがベースにあることで、
なんとなくそういった分担みたいなのはあるんです。
こっちのアトリエには結構大判のプリンターが2台ぐらい置いてあって、
その撮影した動画を編集して連続写真に落としたりとか、
制作過程のコミュニケーション
それを出力してカットして、
彫るための素材を用意するとか、
そういったことはやっているんですよね、ベースとして。
それをこっちのアトリエに持っていくことで、
今度はヒーダーはそれを彫るみたいなことがあるという感じです。
その時には、ヒーダーさんは完成形みたいなものは、
どっちの中でも完成形があるんですか?
ないです。
まずは被写体を選ぶこととか、
撮影するとか、それを共有したりしているんですけど、
そこから被写体、たくさん取得があるので、
そこから選んで、構図とかも全部含めて、
そこにどう彫っていくかというドローイングの作業が必ず行われていて、
ヒーダーはドローイングを描くんですよ、何パターンか。
そこから、この被写体にはこれがいいんじゃないとか、
もうちょっとこうした方がいいんじゃないとかということをやり取りした後に、
彫っていく作業に変わるので、
そこまで共有したら、一旦彫り始めるみたいな。
彫り始めると、大体予想通りにいかないので、
そもそもその素材がどういうふうに動いていくかとか、
彫ってみないとわからないという状態なので、
出来たものに対して対応していく作業が生まれてきて、
それはずっと定点で撮影していくように、
今この状態みたいな。
逐一こう置くというか、今こんなんだよっていうのを写真家なんかで撮っておく?
基本は毎日制作しているときは、今こういう状態っていうのを送られてきて、
全然違う方向に行きそうだったりとか、
もうちょっとこういう可能性があるかもとかっていうのをメールでやり取りして、
それでも伝わらない場合はオンラインにしたりとか、
直接行くわみたいな感じで行って、調整してということをずっと繰り返す。
でもそうなると、多分飯田さんの中で彫って、
飯田さん的にはこれOKってなったときに、
田中さんがちょっとこれはもう少しこうした方がいいんじゃないの?
っていう感じもあると。
でも全然それはもう。
そうなったら最後は田中さんが納得してくれないと終わらないんだよ。
どうなるの?最後はどうなりそうなの?
お互い納得しないと終わらない。
基本的には。
でも納得する瞬間が来るんですね。
来ます、来ます、来ます。
それがなかなか来ないなってときもあるんですか?2人で。
ほとんど来ないです。
そういうとこだ。
だから分からない。
色点のポイントがやっぱり全然違うんで、
そもそもこの俯瞰したデータとか画像で確認してると、
リアルな状態で確認してるとの差を埋めていくっていうか、
テクスチャーはこんなんでこんな惚れてるよみたいなのをしっかり伝えた上で、
どうなの?どうなの?っていうのがあって、
それで今までの作品の記憶っていうか、
そういうのを呼び覚ましながら、
もうちょっとこういうのはどう?みたいな。
逆に出来たときに案外惚れてるねとか、
案外浅かったなみたいなのは、
もうちょっとちゃんと伝えておけばよかったなとか、
そういうのもあったりとか、
あとそのシルをやすったりして削るんですけど、
削ってる濃度がもうちょっと淡い方が良かったな、濃い方が良かったなっていうのは、
本当に最後は田中がこっちに来てもらって、
直接見て一緒に話して、
本当にそこで最後30分くらい一緒に詰めて、
制作過程の楽しさと視点の違い
割ってあげるみたいな。
一緒に最後は作業することは結構多いですね。
そこは上手くいかないやつとか、
あとは絵をガラッと変えなきゃいけない時とか、
制作してる時に。
そういうのをやりとりが、
分業してるっていうよりかは、
割と一緒にペーストしてくれてるっていう感じが。
これはやっぱり飯田さんも一人でアーティストとしてやる時もあるし、
田中さんもグラフィックで一人でやる時もあるんですけど、
やっぱり一人でやってて出来てるのに、
一人でやったらもどかしさじゃないけど、
ちょっと色とあるじゃないですか。
でもやっぱり二人でやるほうが楽しかったりはするんですか?
もちろん楽しみ方とか、
そもそも作っているものも違うので、
そういう喜びもあるんですけど、
前提として、
同じ視点で物を見てるわけではないっていうことがあって、
例えば今飯田も言ってましたけど、
同じ赤って言っても全然違うじゃないですか。
イメージする赤って。
それと同じように、
彫刻的な目線から見る視覚性と、
平面的、グラフィック的なものから見る視覚性って、
全然違くて、
同じビジュアルっていう言い方をしても、
そもそもビジュアル確保、そこに奥行きが入っている、
その奥行きの方向性が彫刻的とか、
こちらも視覚イコール空間は入っているけど、
それはむしろ紙が持っている厚みとかの空間性とかって、
全然違うんですよ。
質地が違うんです。
でもそれはそれぞれの責任というか、
例えば携帯で撮って、
パシャって見られてくる写真の平面的な要素の中に、
彫刻のデプスってほとんど遮障されているというか、
見えないじゃないですか。
でも実際は横から見たらちゃんと厚みがあったりとかする。
それは彫刻の目線で目の前で見ている人間しか、
きちんと把握できないし、
逆に言うと、
それを意識する状況で見ている人からすれば、
俯瞰した平面の見え方っていうのは、
結構弱くなったりするじゃないですか。
物の強さを感じ取れる人と、
ただ画像になっている状態で、
画像として見る人っていう。
だからそれって多分、
両方必要な状態で、
両方をきちんと捉えているかどうかを、
お互いの立場から意見して、
お互いOKってなるまで続くっていう意味なんですよね。
なるほどなるほど。
だからやっぱり2人じゃないとできない作品だし、
2人が必要なんです。それぞれの能力が必要。
そういう構造にそもそもしてますね、制作。
出来上がった時に、
ハイタッチとかはするんですか?
しないです。
2人でやったーみたいにならないですか?
テンション上がらないですか?
ハイタッチしたことを。
出来たーってなんないですか?
売れた時じゃないですか。
売れた時もしたことは、
酔っ払ってボーリングした時ぐらいかもしれない。
ほとんどないんじゃないかな。
結構淡々と出来上がった時に、
展覧会のコンセプト
これでOKみたいな感じで淡々とした感じなんですか?
やり取りが終わった後に、まだ作業は続くんですよ。
だから、終わったっていうタイミングがあんまりないですね。
なるほどなるほど。
今回さらにせっかくですので、
展覧会が開催中ということですので、
展覧会の話も聞いていきたいなと思うんですけども、
まず改めて、展覧会のタイトルから教えてもらってもいいですか?
日本語タイトルが種巻きとカラスで、
英語がミスリーディングライチャーですね。
これはどういう意味なんでしょうか?
まず、ゴンベが種を巻き、カラスが頬張るっていう、
三重県の民謡という歌があって、
それは対応というか、意味としてはマジで無意味みたいな、
というようなものとして使われるんですよね。
だけど、それは種を巻いたタイミングとカラスが吸い込むタイミングが、
若干の時勢的にずれはあったとしても、
その場所で停店している人にとっては無意味かもしれない。
ゴンベ、バカだな、みたいな。
何回種を巻いてもカラスに持っていかれちゃうよ、みたいな、
というふうに傍観しているんですけども、
カラスは咀嚼しないで飲み込むので、
別の場所に行ってフンをしたら、その場所で種が発芽する可能性があるじゃないですか。
ゴンベは種を巻いたことは無意味がないわけですね。
それは、種巻きとカラスという関係性自体が無意味というものを意味しているのは、
それを結びつけている傍観者がいる時にだけ成立しているわけで、
カラスが何かフンをした場所に、そのフンで色々な植物が生えているというところで、
カラスと傍観者が結びつけられた場合、それは意味があることになる。
そう考えると、色々な世の中のよく分からない結びつけ方が、
もっとちゃんと解釈できるんじゃないかなと思ったんですよね。
初めに英語のタイトルのミスリーディング・ライチャスティスが先に決まっていて、
正義とか正しいことを誤読しているんじゃないんですか、みたいな意味なんですけど、
そういうことってすごく昨今、たくさん日本の文化社会としてある気がしていて、
それを大きく高らかに言うこともまた違うし、
それを言っている人たちはそれぞれにおいて正しいことを言っているわけで、
別に間違っていることを言っているわけではない。
それはどう関係性を結ぶかということにつながってきているので、
そういうことを知る。
そういう同時代性にあるんだよということを知ってほしいというのが、
ここに言葉として残したかったことかなと思っているんですけど。
新作展への挑戦
こういう展覧会のコンセプトみたいなのは、2人で話し合って決めていくということですか?
そうですね。それは結構時間をかけて話し合いますね。
今回出展数は約80点。
作品作りに関しては、先ほど言ったようにラリーとかだったんですけど、
こういう展覧会を決めます。展覧会の作品をこうやっていこうというのは、
2人で話し合って決めていく感じですか?
そうですね。それは本当に展覧会全体の構造になってくるし、
特に今回はその1つの展覧会タイトルが、
作品それぞれの全体に対してかかってくるような展示の仕方をしているので、
結構なかなか決まらなかったですね。
これは実は番組で千葉市美術館で開催された、
ネルホールさんの水平線をという展覧会で番組に取り上げさせていただいて、
あれから1年も経ってなく、
最初は千葉市美術館でやって、次は埼玉でやるっていうから、
巡回してほぼ同じものが来るかと思いきや、
タイトルも違ければほぼ全然違う。
ほぼ新作展だったんですけど、これ最初から決まってたんですか?
そうですね。
本当の始めの始めは巡回的なことを考えたりしてたんですけど、
ただ1つ千葉の展示を作っていくときに、
ほとんど千葉自体に対して出し惜しみができないというか、
そこで1つ全部まとめてみせるということに重点が置かれていった部分があって、
それと同平行して、
埼玉という場所が千葉と埼玉って同じ関東圏なんですし、
そしてライバルですからね。
僕も千葉ですからあれですけど、
飛んで埼玉とかでもバトルするのは千葉と埼玉ですからね。
敵みたいなもんですか?
だからその巡回は珍しいなと思ってました。
まず関東の巡回は珍しいですけど、
千葉と埼玉だと思ってました。
そういうことも踏まえたときに、
新作というか全く違う展示を考えた方がいいということは頭にあったんですよね。
これは今回の展覧会、千葉美術館が終わってからって考えた感じですか?
それとも千葉市やるときから同時平行的に、
この埼玉近備の展なんかも何とか考えていたんですか?
展示をすること自体は決まってたんですけど、
中身はもちろん考えていないことはなかったんですけど、
そもそも結果的には千葉が終わってから考えたことが
ほとんど全部投集されているっていうような。
ということは1年間の中?
そうなんですよ。
めちゃくちゃ忙しくないですか?
かつてないぐらい追い込まれてました。
それで普通の人は楽して、
今まで作ってきたものをそれなりにやるんで、
それで何とかお茶を濁すじゃないですけど、
すればいいものをほぼ新作なわけじゃないですか。
それは徹底して曲げなかったよね。
ダメだなと思ったらそれをやった。
もし同じ作品を出すならまた違ったインスタレーションにするのか、
発見がないと難しいだろうなと思ってたし、
巡回するなら場所がもっと離れてたりするんだったら
違うお客さんが来て巡回するっていうのは
場所的な問題として改善できることはあると思うんですけど、
千葉と埼玉はほとんど同じぐらいの距離で、
特に東京の美術ファンが見に行くことが多いわけですから、
でもファンからすれば両方新しいのが見れて嬉しかったですけど。
千葉を経て、
今日も話してたんですけど、
今まで自分たちがやってきたこと、
もちろん自分たちを知らない人たくさんいるので、
断片的に見てくださっている方とかも、
この人たちは十何年も何をやってるんだろう?みたいなところで、
包括されている方ってほとんどいないと思っていて、
その意味でも一つの串刺しというか、
自分たちがそれだけの時間をかけて何をしてきたかということを
伝えたいなという気持ちがすごくあったところは、
二人とも一緒で、
それが故に、その後に埼玉で出演させてもらうということを考えたときに、
ある種、そういう荷が下りているというか、
次に向かえるという気持ちがあったので、
ある種、アイディア自体がどんどん出てくるというか、
やりたいこととか、あるいは更新したいこととかすごいあったんですよ。
時間も限られているし、やれる範囲は決まっていたので、
その意味では、本当に限界までやってギリギリなんとかという感じだったんですけど、
すごく今の考えていることを反映しているという感じですね。
セカンドステージっていいのかわからないですけど、
今までの集大成が千葉市見だとしたら、
第2章が始まったようには見えない。
偉そうなことを言っていたというか。
他の方にもそういったようなことを言われて、
確かに新しいことを望んでいるという意味では、
更新しているんですけど、
大きなタイミングだったのかなという話は。
そういう意味では、お二人にとっては大変だったともちろん思うんですけど、
1年で見れたというのはいいですか?
これが3年とか空いちゃうと、
変わりがちょっと長くなっちゃうけど、
新しい展覧会の体験
本当に去年から今年のこんだけ変わったというのが、
見る側からしたらすごく新鮮で、
あれがあんまりないじゃないですか。
そこまで大きな古典をこんなタイミングで見れるというのは。
そうですね。
そういう意味では運が良かったというか、
本当に関係者の方に感謝しているというか。
関係者が実は来ているという。
番組に以前出演いただいた朝日新聞の竹部さんが、
少し喋りますか?
喋っていいんですか?
どうぞどうぞ。
すみません、後半からって聞いていたので、完全に油断しました。
そうか、すでに出演されている。
一度だけ。
竹部さんと一緒に組んでやってたってことですか?
今回も何回?
いえいえ、もう完全にお二人の戦略会なので、
僕は本当にずっと陰ながらずっと応援したくらいの感じですけど。
改めてですけど、
埼玉近備の展覧会で、
いろいろと新しい試みをしているということですけど、
ぜひ見てほしい作品、これ、これというのがあれば、
まずいくつか紹介してほしいんですが、どれからいきましょう?
秘伝クレパスの話を。
秘伝クレパスですね。
でも、ごめんなさい、話ずらしちゃったんですけど、
結構、一つの美術館の個展で、
ほぼ新作で、
一つの展示タイトルに向けて、
まとめあげるっていうことはあんまりないなと思っていて、
自分たちとそもそも美術館でご提案してもらってないですけど、
これほど一つのコンセプトに向き合って、
全てが作られていくという状況って、
なかなか機会にないだろうなという感覚があって、
つまり、一個一個もちろん、
そもそも以前から作っているシリーズの更新しているものだったりとか、
以前に出していたものだったりとかもあるんですけど、
同時にすごく新しく作っているシリーズがたくさんあって、
それらが全て展示を勧誘するというか、
展示を仕切ることで、
一つの輪になっていたりするので、
なかなかこれはみたいなのって自分はなくて、
一個一個が一つ一つ、
一個のコンテクトはDTUでもあるし、
単体でこれから続いていくシリーズにもなっているんですけど、
結構難しいなと思うんですけど。
全体でインスタレーションみたいな、
一つの作品みたいな感じもありましたもんね、今回。
同時に美術館の空間自体もそれに加担している部分があるというか、
あの空間を読み解いていくこと自体も、
すごくコンセプトに反映されていたりするので、
なかなか難しいというか、
あそこじゃないと成立しないような組み方をしているのもあるんですよね。
なので、そういう意味で言うと、
例えば入ってすぐのところに、
カーバードというエドワードマイブリッジの連続写真を使用して、
いつものようにレールホールの折り方で彫刻しているものがあるんですけど、
それが千葉にも一部出ていたはずなんですよ。
ただ展示の仕方がすごく変えていて、
円形状の筒形の状態の格子で作品を配置している。
木材で作られた格子ですね。
それを鑑賞者はその空間を回ることによって体感していくというような、
作品が円の円周に飾られてあって、
人が周遊して鑑賞するという。
普段だったらそれが壁面に並んでいる状態だったんですけど、
そうしている理由としては、
ゾートロープという機械のところからヒントを得ていて、
連続に円状に配置されたものをずっとくるくる回すことで、
動画アニメーションのように絵が動いていくような。
アニメの源流と言われているやつですね、数百年くらい前から。
それからヒントを得ていたりして、
原型の原型がマイブリッジの連続写真を撮ろうとしていた。
有名な馬の連続写真みたいなやつですね。
馬が走っている姿を発見するというような。
それも静止画の連続なんだけども、
一定の期間というか距離に対して、
一定の撮影のスピードと時間をうまく利用することで、
連続写真を成功させるみたいな。
そういった流れというか経緯だったりとかを
自分たちに取り込んでいくときに、
ただ単純に掘り上げた作品を併出するということよりも、
鑑賞者自体がゾートロープの一体になるというか、
ある意味今回は逆に鑑賞者がゾートロープ化している状況が。
あまりにもデカいから回すわけにはいかないからですね。
中心にいる人からすれば回っているんですよね。
人の鑑賞体験としてインサレーションに含むということを考えたくて。
引くと最初の話が種巻きとカラスというのも鑑賞者の視点の話だったから、
そことも関連してくるわけですね。
アイティーとしてという意味ですね。
それに合わせたというか、それにも引用されるような作品を
そのままに配置していたりもして。
印象的だったのはマイムマイム。
あれもマイムマイムってことは輪で回るからっていうことですね。
手を繋いで飛び出して踊って円形になってみんなで楽しむ民謡なんですけど。
でも鑑賞者はそんなことを考えなくても、作品を見ていれば
そのインサレーションに取り込まれていくような
アイティーを考えたりしていたので。
同じ作品でもそれだけ鑑賞体験が変わるように
ということは考えてはいましたね。
展覧会は巡回展でもないし、
仮にしたとしてもこれは埼玉でしか見れないことをやっているということですね。
作品が変わるかもしれない。
同じものは見れてもともですね。
そうですね。
空間で強調したいことだったり
配置だったり
それ自体が展覧会の何を占めているのかというところで
扱いが結構変わったりするので
そういった意味では
全然鑑賞体験は違うかなという気がしますね。
秘伝クレパスの制作過程
飯田さんがおっしゃったクレバス
これはどういう作品なんですか?
今まで素材を積み重ねたものを掘るみたいなことをやって
200枚くらいですか、写真を?
200枚くらい。
最近はもうちょっと枚数を減らしたりとかしながら
サイズに対して
写真の束というか塊を掘っていくということをやっていたんですけど
今回はそれを重ねたものの横から見た
断面というか
そこから絵を感じられるようなものを作っているんですけど
時間軸をどういうふうに素材にしていくかという
一枚一枚印字されているものが違っているというものを
重ね合わせて彫刻の素材にしていくということが
本当にいろんな意味で結出したすごい作品だなと思っていて
イデン・クレパスという作品は
これは僕も衝撃を目指していただいて
もう一回改めて作り方をお二人から説明してもらっていいですか?
まずは写真を
今回は何の写真でしたか?
今回はシロツネ草というキカ植物の
キカ植物のシリーズでずっとやっているんですけど
同じシロツネ草という被写体を選んでいて
やっていることは普段の制作と同じで
その動画をコマに落としていく
シークエンスを一枚一枚の連続写真に落としていく
普段だったらそれが数十枚から数百枚なんですけど
今回はだいたい2万3千枚から2万5千枚
そうですね
1枚が0.01ミリぐらいなので
2万3千から2万4千ぐらいの出力の連続動画になっていて
動画を一コマ一コマ2万4千フレーム
2万4千フレームを1枚ずつ出力していくと
そうですね それを時系列に並べている状態
2万4千枚は積むとどれくらいの高さになるんですか?
これがちょうど1枚が0.01ミリなので
そうするとだいたい230センチくらいになるんですよ
人間よりも全然でかいですよね
そうですね 今回は全部そのぐらいの大きさになる
じゃあまず積みますと
これまでは数十枚のものを掘っていくから
展覧会として見るときには平面でいい
立体だけの平面に見えるけど
今回はその2万3千枚をスライスするのではないですか?
縦にグワーって
そうですね
その断面を見れるということですよね
2万3千枚の積み重ねの断面の一部を見れる
普段は地表からクレートを見るみたいな感じ
投稿船みたいなことですよね 普段の見え方としては
山奥間の投稿船を見ている感じ
今回は崖を地層を見るっていう状態になっていて
言うのはすごい簡単だなと思うんですけど
まず2万3千枚4千枚を出力するのもすごい大変だと思うんですけど
それを切るんです
そうなんですよ
どうやって簡単にスパンと切れるわけじゃないですよね
一枚一枚以上に切る
これ最初どっちが言い出したんですか?
私ですね
これ聞いた時に正気かよとは思いませんでしたか?
断面が綺麗だっていうのはずっと昔から言ってたよね
いつかやらなきゃと思って
そもそも田中は本を増本しているので
増本設計の紙の断面の綺麗さっていうのは
僕も本を素材にしていたので
矢が多くても共通的な美しさの意識としてはあったんです
そもそも写真にこだわりを持って
初期の方の作品作りをしていた時に
側面の見え方ってすごい大事にしていたところなので
だからそういうところからも多分意識はすごいあった
でもその時はまだアプローチが表面に対してどうアプローチしていくか
そのアプローチしたものがどういう風なイメージになるかっていうのを
すごくやり取りが必要なことだったし
イメージを固めるまですごい時間がかかるっていうのを感じたので
まずそれをいろんな素材でやった
ある程度千葉で本当に出し切りだけ出し切った
ある程度ところまで行ったってあった時に
これやろうよっていうのがやっぱりあれ綺麗だよねっていう
すごく面白くないっていう
その1個前に映画1本分印刷したものを積み上げるっていう作品をやってみて
それもすごい綺麗だったんですよ
それは断面カットはしてないんですか?
映画は完全に映画のスクリーンそのものの大きさで
その比率でそれを小さくして積み上げるっていうことでやったんですよ
ちょうど3時間ぐらいの映画だったんですけど
何枚ぐらいになったんですか?
それはフレームを1秒で1枚みたいな計算してたので
実際1メーター60とかぐらいそういう感じだったんですけど
でもそれをやって
いろんな側面見たことあるんですけど
1枚1枚が全部違う画像で側面が連続的に連なってるものって
正直見たことがなかったので
映画のやつを見て
これは本当に側面で出てくる部分ってのは恥なんで
それがどこの裂け目を捉えるかで
全く変わるなと思ったので
小さめのサイズでバシバシ切ったんですよ
試しにいろんなものを切って
どういうものがどう動くかとか
Nerholの作品の制作過程
そういうのをある程度把握した上で
それを最大化した状態だったんですよね
今回は作品としては5点ぐらいあったシリーズ
それは全部1枚は同じものから作られたんですか?
そうです 同じ画角の中の違う部分の画型というか
それを切ってるってことなんですね
2万3千から4千枚切る作業×5ってことですか?
そうです
どれくらいかかったんですか?
それは本当にとんでもない時間がかかっていて
何ヶ月も
もちろん自分たちだけじゃなくて
すごい人数でみんなで取り掛かったっていうのがあって
それでも毎日来てもらって何ヶ月もかかりました
切ってみるまでどんな断面になるかわからないですね
それに関しては
小さいモンクでやってたので
なんとなく上手くなるんですけど
途中ですごい調整をしてたよね
そうなんですけど
紙の積みが違うので
本当の縮尺にしようとしたら
例えば小さいサイズにしたら
そもそも0.01mmを10分の1の0.001mmみたいな
そんな紙存在しないので
簡単に縮尺はできないし
エドワードマイブリッジの影響
あともっと言うと
紙の側面に色が見えるってこと自体
そもそも本当はおかしくて
確かに
どうして側面が白くないで色を持つかって言ったら
印刷物をカットすることによって
紙がちょっと
歯でこうやって
なんて言えばいいんですか?
そのかすかな色味を
視覚的に把握しているだけだったりするんですよ
それもあってちょっと高く展示してあるのもそういうことですか?
視線をずらせるようにしていると
真上からすごい角度で
遠隔に見たら真っ白になるし
それらをもっと細かく言っていると
なぜ段差役でバチンと切らないかって言ったら
手切りによって生まれる段差から
色を拾いやすくするためなんですよね
手作業とは幅が違う
そうなんですか
指定しているんですけど
0.1ミリとか調整ができないので
微妙に凸凹になるんですよね
手作業ゆえの
それがある種色を拾う行為にもなるし
またそのもの自体の身体性だったりとか
物質性みたいなものを帯びたりしているっていうのもあって
そういった調整
あと最終的に少し薄くコーティングしているんですけど
それによってインクの滲みが前に出やすくしたりとか
変に細かいところの調整をしないと
意外とああいう風にはならないっていうのはあって
それらの失敗というか
やり直しみたいなのを結構やってますね
1回作るまでに何回かやったとその調整
作品の身体性と鑑賞体験
何回もやり直しますね
あれ微妙に全部サイズが違うんですよ
そうなんですか
それは何でですか
それはですね
もはやまず噛み合ちと
ある一部のトリミングっていうかその部分と
絵柄の計算をするのも相当実は大変なんですけど
同時にこれは本当にやるまで気づかなかったんですけど
インクが乗った部分とインクが乗ってない部分で
噛み合ちが微妙に変わるんですよ
でもそれが積み重なると
数百回程度ではそれは安心できないんですけど
数百回程度でやるとそれがちょっとした微差で
ずれてきたりするんですよ
それをコントロールするのは不可能で
縦軸の部分っていうのは大差が生まれるっていう問題が
とんでもない作品ですね
本当にやってみてはーみたいな
途中でやめたいのはなかったんですか
なんとか作品にするっていうことを
いろんな知恵を相当にして
一個ずつやっていったっていう感じなんで
やめたいっていう感じはならなかったですけど
これが褒め言葉なのか全然わかんないですけど
仕事からいろんな作品見ますので
例えばいわゆる超絶技巧系のすごいラデンだとか
そういうのも見てきてるわけで
それは本当に素直にすごいなと超絶技巧だなと
古田さんの作品はそれが言われたらすごいってわかるんですけど
本当に輝かすぎて
そのすごさがすごく見えないから
すごいいいなと思ったんですけど
嬉しいです
本当に一つの物質として
単純に綺麗だなと思っちゃったんですけど
その裏にはこういうことが
そうですね
本当にそれはすごくありがたい言葉で
こんなにやってますみたいなものって
ある種ガッツとか技巧性とか
工芸的なものとかもそうですけど
すごくやっぱり大変なものって
いっぱい世の中に存在して
そう簡単にできるものじゃないですか
でもそれによって担当される美術
あっていいと思うんですけど
やっぱりそれよりも鑑賞者が
そのもの自体がどういう構造とか
どういうものかとかって関係なく
いきなりすぐ対峙して
感じ取れる何かみたいなものに
すごく興味があったりして
その興味があるからこそ
多分二人で力を合わせてる部分もあるというか
それはもしかしたら
これが一発で彫刻ですって言いたいとか
これは写真ですとか
いろいろあると思うんですけど
そういうことではなく
それぞれがやれることを考えて
それが一つの形に結実したときに
そのものから出てくる何かみたいなものに
すごく引かれているという
なのですごい大変だったでしょうっていうのは
大変でしたっていう感じではあるんですけど
それ以前にこれは一体何なんだろうっていう感覚に
いかがいたいというか
確かにやっぱり
もちろんその方言も素晴らしいと思うけど
やっぱりすごいなと思って
その作品がすごいっていうことで
その作品ばっかフューチャーになっちゃいがちで
この作品で何かを考えることはあんまりないと思います
それは別に方言のそれで良さだと思うんだけど
ネイルフォンさんの作品って
やっぱり見てる人が
例えば時間の経過とは何かとか
積みか空間とは何かとかって
何か考えたくなるというか
ついつい考えさせられちゃうんですよね
作品見てる時に
作品の未来と展望
それって多分やっぱりそこがすごく作ってますが
買っちゃうと
多分そこまでその作品に入り込めない気がしてて
だからそこがすごく絶妙なんだなっていうのが
今の話聞いてて
すごいよくわかりましたね
そうですね
でもじゃあこのシリーズは今後も作っていきたいな
もあるんですか
どうですか
作っていくと思います
っていうのも
やっぱ初めての試みだったので
やってほんとに気付いたことがいっぱいあって
同時に
今回その菊花植物っていうものを
テーマに作ってますけど
そこに限定することもないことなのかもしれないし
もっとこういったものでやったらどうなるだろうとか
僕らもやってみてはこういう風になったっていう感じだったので
今は逆にそれを踏まえて
何ができるかっていう展開は考えていきたいなとは思います
ちなみにその作品の2万3千枚のうち
一番上から下に向かって時が進んでるんですか
そうです
完全に時系です
それを踏まえてみるとまた見え方が違うと思います
本来はなので
崖とは逆ですね
なるほど
普通は地層だったら下から積み上がっていってるってことですね
ちなみにその作品が飾ってあった部屋で
もう一個個人的にびっくりしたのは
埼玉近備よく行ってるので
埼玉近備の床が
床のカッペとか剥がれてると思って
衝撃的だったんですけど
あれは意図的に剥がす
そうですね
床を剥がすことはなぜか
作品を作る以前から決まってたんじゃないか
そうなんですか
一番初めにそれは決まってた
何かやらないとまずい
この空間かっていう感じはあったよね
座りをする時に大きなスペースと
こっちは2部屋で
こっちは建築を見せるから
その空間は欲しいよねとか
そういう大きな振りみたいなのがあって
じゃあそこに何を入れようかとか
その時にもともと計画してた作品って
もう作ってもないくらいに計画で
なくなってしまったものもあるけれども
そういうのはここに入ってとかっていうのを
構想はずっとしてたんですけど
その時に大きな部屋がスコンと抜けていること
じゃあそこにどうやって作品を何個配置するか
そこで大きさを決めたりとかしていたので
それが実際にどう見えるかってやった時に
展覧会が始まって
前の展覧会が明けた後に
サラーの状態で会場見れますよって言った時に
これって剥がれるんですかね
今回のために剥がしたってことですよね
剥がしたらすごい綺麗だった
でもそこにはカーペットを接着している糊が付いていて
これだとまずいって
その糊をどう除去するかみたいなことを
次の展覧会をやっている間に話をしながら
どうやって構成するかとかも一緒に考えて
ただ剥がすだけじゃないんですね
糊がめちゃめちゃなので
表面に薄いウォルタルを混ぜた液体を塗って
足がくっつかないようにしている
これは番組で使っていいのか分からないので
今日良かったら消してください
前に小屋さんの展覧会に行った時に
先に長野で見せたんですよ
すごい感動して
これが埼玉近郊に来てどうなるんだろうと思ったら
感動が薄れていたんです
なんでだろうと個人的に考えた時に
オフィスみたいな床が
多分相性が良くなかったかなと思って
あそこ彫刻には不向きな
天井だがもあんまないじゃないですか
と思ってたから
ネイルフォーさんのあれを見た時に
この手があったかみたいな
最初あれどうやってもこれでやったらよかったじゃん
ぐらいに思ったぐらい
多分そう
今回作品も特に木の作品とかもあったんで
やっぱりあそこは床が入ったのは大正解だったし
床のテクスチャーと作品が
またマッチしている感じもあったんですよ
そうですね
本当にコンセプトとして見るならば
そもそもやっぱりカーペットって
数十年間ずっと使われてきていて
そこは踏み流されているカーペットっていうものが
既に床に存在していて
それはある種
そういう時間の蓄積を帯びていて
それを剥いだものを
カーペットを積み上げることによって
生まれる積層みたいなものっていうのは
興味があったっていうのはあるんですよ
ただそれ以前に
まずこの美術館のこの空間を
建築から捉えた時に
おそらくこれはもう
作品がない状態で
展覧会の美しさとコンセプト
完成を見せているなっていう感覚があったんですよ
黒川さんの建築だということですね
完全に
もちろん展示ステージだということは
考えていらっしゃったと思うけども
空間として最も美しいのは
壁面も必要ないし
ガラスもちゃんと見えていて
それが公園も
公園とガラスの間に
さらにまた黒川さんの建物が見えていて
公園の奥に駅が見えるっていう風景を
見せたいっていうのもあっただろうし
カーペットを敷きたかったわけでもない
なるほど
それらを全部加味したら
この空間は本当に美しい
っていう風に感じて
そこをむしろ
引き受けるというか
取り込む形で
自分たちの目指している
作品のコンセプトと表明させることができたら
面白くなるんじゃないかっていうのはあって
それの先だって
一番初めに決めたのは
まずカーペットを剥がすみたいな
でもこれってことは展覧会終わったら
またカーペットを戻します
その作業も待ってるわけです
なので積んでるものは
綺麗にあそこに戻っていくっていう
今積んでるとそこをベンチみたいに
使ってくださいみたいになってるのが
一画にあるので
ぜひ見ていただきたいなと思うんですけど
ぜひ展覧会の
タイトルにもなっている作品もあるので
ぜひこのあたりは
番組の後半でまた引き続き
ご紹介いただければと思っております
展覧会の告知とチケットプレゼント
では改めて企画展の
告知をよろしくお願いいたします
どっちから?
担当しますか?
はい じゃあ伊勢さんよろしくお願いします
ゼルフォルタネマキとカラスの
ミスリーディングライチャーシミュレーションは
埼玉県立近代美術館を会場にして
会期は10月13日まで
やっております
ぜひ皆さんお越しください
よろしくお願いします
ここでリスナーの皆様に素敵な
お知らせです
今回ご出演いただいたネルホルさんの
埼玉県立近代美術館での展覧会チケットを
抽選で
なんと10組20名様に
プレゼントいたします
パチパチパチパチ
ご希望の方は番組ウェブサイトの
お便りフォームへご応募いただくか
そろそろ美術の話をつけて
Xに投稿してください
締め切りは9月23日
当選された方には
番組プロデューサーより
直接ご連絡を差し上げます
ということで皆様からのご応募
心よりお待ちしております
57:15

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