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皆さん、こんにちは。広報にもまるまるの誤り、Kayakoです。
Kanaです。この番組は、普段は企業の広報PRとして働く荒沢女子2人が、広報のことや、広報じゃないことや、広報じゃないことについておしゃべりするポッドキャストです。よろしくお願いします。
お願いします。
いや、ちょっと前なんですけどね。
はいはい。
ダラスに、ちょっと週末トリップみたいな感じで、ダラスっていうのはテキサスにあるヒューストンから車で4時間ぐらいの街なんですけど、そこそこ大きな街なんですけど、トヨタがあるので、結構日本の人が多くて、
日本食レストランが充実してるとかいうので有名なのと、美術館とか博物館とかいろいろあるから、まあ4時間なんでね、近所なんで、アメリカからしたら。
そうなの?
近所の都市なんで、近所の都市なのに行ってないっていうのもあれだから、まあちょっと行ってみるかみたいな軽い気持ちで、ダラスに行ったんですよ。
でもね、娘がね、2日目の朝ぐらいから熱出しちゃって、それで、でもちょっとぐったりしてるから、やっぱり4時間かかっちゃうから、そのまま家帰るっていうのもちょっときついかもしれないから、じゃあもう結構ずっと寝てるタイプの体調の崩し方、元気とかじゃなかったから、ホテルで寝かしといてあげようって言って、もうずっとホテルにこもりっきりだったんですよ。
でも、2人でこう思っててもしょうがないから、美術館行ってきていいよって言われたんですよ、夫に。そもそも私がダラス美術館調べたら、結構な所蔵作品数、2万4千点とか、で調べたらルーブルが3万何千点。
そうなんだ。
そう、だからルーブルの3分の2ぐらいってことは結構多いのでは?という、なんか自分なりの計算して過ごそうと思って。
花火みたい。
花火?
全然手がけない。2万発とか、2万2千発とか書いてあって、墨田川花火が何万発だから、これ何万発って書いてあるけど、割と近いから規模大きいんだなとか、同じこと考えてたのを今、不意に思い出して話し残しようってすいません。
花火と作品数と同じ計算方式で、それで結構行きたくて、美術館好きだから、せっかくあるなら行きたいけど、夫はあんま乗り気じゃなかったんですよね。
そもそも美術への関心の私よりちょっと低いのもあるけど、やっぱ娘と行ったらゆっくり見れないから、どうせ私はふらふら自分の見たいもの見に行っちゃって、夫が頑張って娘抱っこしてとかしなくちゃいけなくて、多分夫は自分が大変だって思ってるんで。
思ってるっていうか事実であり申し訳ないんですけど。だから、俺ここで面倒見てるから、自分一人で行ってきたらって言ってくれて、優しみと思って、じゃあもう言葉に全力で踏まえて、一人で意気揚々と垂らす美術館に行ってきたんですよ。
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で、この番組でも鑑賞の誤りについて話したなと思って、あそこで結構自分が考えたこととか、かなさんが考えたこととかで、割と鑑賞っていうものについて自分の中で深まった感があるから、ちょっと見方が変わるんじゃないかなと思って。
で、それ実際見てみたっていう話をしたかったですね。前置きなのと。 だからそうですね、鑑賞の誤りパート2的な。そうそうそう、だから作品とのやりとり、背景とのやりとりみたいなことが本に書いてあったのが、本当にいろんな事例をかなさんと私が話したのを通して、結構腹落ちしてたから。
あの時はドラマと埴輪とかについてでしたよね。よりアートの話ですね。 そう、よりアートの話で、1階が割と現代美術みたいな感じだったので、今まで現代美術は別に嫌いじゃないけど、見ても何もわからないから、ふーんみたいな感じで、なんか15秒ほど作品の前に立ち止まり、
ちょっと横の解説ボードを見るなどし、もう一度ふーんと思って次のやつ見て、なんならそれも疲れてきて、もう途中飛ばし始めるみたいなことだったんですよ、現代美術の話っていうところは。で、なんなら解説がちゃんと書いてあるわけじゃないじゃないですか、全部の作品。
そうですね。ただ、作者と作者の青年没年とか、すごくわかる。何が書いてあるかもわからないみたいなことがあったけど、13歳からアトシコも読んだし、感傷の誤りというものを経てアップデートされた私、いざ行かんって感じで行ったんですよ。
やっぱり意味わかんないものがあったんですけど、これはまず私とアートとのやり取りなので、人がどう思うとか正解とかではないので、逆にものすごい飛ばしたりもしたんです。ピンとこないなと思ったものをもう見なくて、なんか心惹かれるなと思った時に、なんで心惹かれるんだろう。
あ、色使いかなぁとか、なんか自分に訴えかけてくるものがあるけど何なんだろう、ランダムな形の円が多重で描かれていることによって、なんか目みたいに見えるのかもしれない。なんかこっちを見てるみたいな感覚があるのかもとか、色がこのちょっとくすんだ色の中に金とか銀が入っていることによって、それはすごく目立って色彩的に自分は暖色の方が好きなのかもとか、そのいろんなことをアート見ながら考えるんですよ。
どんな気持ちになるかな、これを見たら興奮するんだろうなとか。なんか抽象画みたいな感じ?もう本当に抽象画です。現代アートで何を描いているかわかんないです。なんかね、私が一番好きだったのは本当に切り株みたいな年輪がわーってなっているみたいなやつがどんどん2つ描かれていて、赤黄色緑くすんだ色とかで描かれているその2つがあるだけ。
もう解説も何もなくて。で、それを見ている人たちのこともちょっと観察してみたんですけど、やっぱりかつての私と大体みんな一緒なんですよ。立ち止まる、結構すぐに横のプレートを見る、もう一回見るって去っていくんですよ。
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で、そこで私は自分と対話するんだよ、これは。いいんだよ、作者の意図は分かった上で楽しむということももちろんできるから、それもできてもいいんだけど、君と作品とのやりとりでそこに正解ないんだよみたいなことを。
ちょっとね浸ってたんですね。浸ってました。それでいろんな作品を見て、そうやって見てみると、やっぱりね1個の作品結構長い時間費やせるんですよ。この作品なんか不安になるなみたいな。何が不安になるんだろうみたいな。なんかいろんなことに気づくようになるそういう観点で見ていくと、なんかよくわからないなと思って全体を不安になる。
なんかよくわからないなと思って全体をふわっと見ているときと違って、あ、これちょっと遠近法がおかしいんだみたいな。でもあえてここにのっきりして描かれてるんだとか、なんかこの人物の表情が、あえてなのか無表情に描かれていることにちょっと不安に感じるんだとか、なんかそういうこととかをどんどん言語化していくんですよ、自分の頭の中で。
自分はじゃあこういう絵が好きなんだな、好きじゃないんだなとか、なんかもしかしたらこういうことを表現したいのかもなとかを勝手に妄想する。これは不安とかドキドキする気持ちみたいなのを、もしかしたらさっきの年齢のやつとか、心臓がドクンって動くこの鼓動みたいにも見えるかもとか、年齢が。
色もちょっと血みたいな、ドスグローや赤みたいなの使われてて、そういう気持ちをなんか表しているのかと思ったときに、ふと私はものすごく言語化が得意ですね。自分がどういう気持ちだったかとか得意なんだけども、でもそういう自分の中でなんか絵も言えぬ気持ちみたいなのあるじゃないですか。何このもやもやした気持ち。私は言語化が得意だから、言語でなんとかそれを消化したりするけど、あ、それをアートにぶつける人たちなんだみたいな。
そうですね。
その通りなんだけど、当たり前なんですけど、すごい腹落ちしたんですよ。だから、なんかこの人はもしかしたら何か不安なこととか、何かこの気持ちって思ったときにこれをバーンって書いて、それを言語化が得意な私は、これどういうことを言いたいんだみたいな風に気持ちは捉えるけど、もしかしたら同じように言語化よりも視覚化の方がすごく優れていて、そこからいろんなことを感じたりする人はこの絵をバーンって見ただけで、あ、こういう気持ちって思うのかもと思って。
で、あ、すごいアートって思ったんですよ。伝えてるんだみたいな。
それなんだろうな、どういうことなんだろうそれは。すっきりしたというか、なんかその絵が解釈できたっていうことではなくて、
ではない。
その、それを書く営みそのものをなんか感じたみたいなことなのかな。
私、コミュニケーションなんだと思って。絵が。人への自分の思いとかを伝える上で。だから、ポエムと一緒と思います。
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そうですね。私、最近その、コウホーしてる友達をインタビューしたときに、なんか同じような話してて、その人は美大出てるんですけど、その、小学生の頃、漫画を書いたりとか、キャラクターとかを書いたりして、
友達に見せたりするのが、すごい好きだったけど、今は全然そういうことをしてない。改めて考えてみると、それはなぜしてたかっていうと、その自分の表現だったっていう、
誰かに何かを伝えたかったり、コミュニケーションが取りたいとか、そういうことを一番やりやすいのが、そのときは絵だったけど、今はなんか別の手段があるから、その行為が絵に向かないんだっていう話をしてたんですよね。
だから、そういうことなのかなって、今ちょっと思い出した。
本当に、まさしくその通りです。音楽だってそうだし、書道だってそうだし、そういうアートと言われるものじゃなく、別に機械とか作るとかでもそうだし、自分があまりに言語に特化してるから、でいて人間のコミュニケーションのメインな手段として言語があるから、割とそういうものだみたいな感じで生きてきたけれども、
表現、コミュニケーションっていうのは、他のアウトプットがあるし、それによってものすごく鮮明に伝えられることっていうのがあるんだと思って、今まではこれは美術作品として価値があるないとか、こういう新しい観点が入ってるからどうとか、美しいからどうとか、技術的な目でどうとか、
そういう価値をつけられるもの、つけられないものみたいな物差しでの見方をしていたけれども、そういうものは後から周りがどう思うかであって、この作品はその人の表現、コミュニケーション、叫びなんだみたいなことを、その時パッて思ったんですよ。自分が想像することによって得意な言語というもので何が伝えたいのかなっていうのを想像することによってやっと到達できたんですよ。
なんかただただこれって何が言いたい作品なんだろうみたいなのを見て、何も伝ってこないというか何も言ってないなっていう、自分の言語ってレンズで見てたらわからない、ただの絵なんだけど、なんかそこを考えて、どういうことを言いたいのか、これはこういうことを表しているのかなみたいなところで掘ってみて、やっと到達して、すごい面白かったんですよ。
【佐藤】あれなのかな、今言ってるのって、どういうことを言いたいんだろうっていう目で見てもわかんないみたいなことを言ってたけど、相手の気持ちになりきったってことなのかな、その違いは。
その何が言いたいのっていうのは、わかろうという姿勢がなく、それは描いてる方の責任みたいなふうに思ってるし、描いてる方が見てる人にわかるように描くようなものみたいな、なんかステレオタイトルみたいな。
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【佐藤】ステーションされてる感じで見てたんですね。
【佐藤】そうなんですよ、そうなんですよ。
【佐藤】だから届けられて1人前でしょみたいなところもあったってことか。
【佐藤】そうそうそうそう、そういうために描いてるんでしょみたいなね。
【佐藤】そうじゃなくて、まず私があなたの側に行ってっていう、その行為が違いだったのかな。
【佐藤】そうそうそう、なんか自分の中ではそんな感じかもしれない。プレゼンテーションはすごくいい例えですね。
だから語りかけてきてて、見てわかってほしいから描いてる。だとしたら、なんか見ても伝わらないが、みたいな感じだったのが、別に伝わるかどうかはどうでもいいと。
自分が描きたいから描いてる、ただの叫びなんです、みたいなことなんだなと思って。
【佐藤】確かに、それこそアートなんでしょうね。
【佐藤】そうなんですよ。残念ながら自分にその素養がないから、そっちの表現っていう意味での、全然想像が及んでいなかったのが、
鑑賞ってどういうものかみたいな考えたことを経て、腹落ちして、すごく楽しかったんですよ、現代美術のコーナーが。
そう思ったら、ある意味全然規定されてないものばっかりだから、枠組みにね。
何描いてるかすらわかんないものを想像していったり、逆に自分が全く想像力が働かなかったり興味ないものは、これは私のものではないなと思って次に行くみたいなことで、
すごく楽しい、能動的に楽しむっていうことが、結構美術館できて、早くまた違う作品を見たいみたいな。
いいですね、新たな境地って感じしますね。
そう、美術館が好きって今まで言ってきたけど、本当に好きな人ってこういう楽しみ方なのかも、みたいなのがちょっとわかった。
すごい、私はまだその境地に達してないから、多分またちょっと違っているんだろうなって。
ただね、日本も今、にわかにアートブームな気がするんですよ。
え、そうなんですか?
ずっとやってることもないかな。ただ、何でもかんでもそれに結びつけるのもどうかと思うけど、コロナ禍だったじゃないですか。
美術館とかみんな閉まってたんですよね、長いこと。で、今猛烈に始まったんですよ。
へー。
だから、行ってみることができるように、春ぐらいからなってきていて、国立とか公立系の美術館も全部開いたんですよね。博物館もですけど。
それによって、何だろう、みんなもアート見てなかったな、みたいな感じで。
そういえば。
そういえば、みたいな。
雑誌とかが、昔もしてたけど、最近しきりにアート特集組んでるな、みたいなのも。
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へー、やっぱ禁じられるとこうするのか。
そう。あとね、私の周りに、筋トレじゃないけど、アートが好きな人がやっぱり複数にいて。
へー、いいですね。
なんていうか、その人たちがどんな風に楽しんでるのかとか、聞いたりしてるうちに、私も行ってみたいな、みたいな気持ちになって。
あんまりないんですけど、実はこの2ヶ月ぐらいで2回ぐらい、現代アートっぽい展示に行ってるんですよ。
へー、アートの生活してますね、そんな。
そんなにアートかって言ったら、私も同じで、ちょっと苦手ですね。
でも、例えば本だったら、これだけの解像度で読めるのに、絵だとどうしても自分がそれに携わってないとか、自分が書くという行為に対しての解像度が低いから、受け取ることが十分にできていないという、なんていうか、コンプレックスみたいなものもちょっとあって。
あーすごいわかる。ちょっとかなさん話、自分の責任で戻してほしいんですけど、1個言いたいのが。
どうぞ。
知り合いの知り合いというか、すごい遠い、うっすらつながってるような人が、なんかポッドキャッソーでね、美術にすごくお仕事にしてるような人が、絵見るときに、この絵の具を選んだんだ、みたいなことから得る情報がすごいある。
この書き方とか、って言ってたから、やっぱそこに対する解像度がわれわれ低いから、そこへの思い、そう。
そう、そうなの、そうなの。だから、それによって私は、相手の意図を解釈しきれないじゃないですか。
同じ気持ちになりたいんだけど、そこのアクション自体が、自分の中でうまく入ってこないみたいな。
この筆さばきとかが、こういう時は思い切っている時の筆さばきとかも。
そうそうそうそう。
これは新しい筆さばきで、今までの常識を覆しているとかもわかんないから。
そう、だから私にとってのアートの誤り的な話でいうと、それがずっとあって、それを知りたいみたいに思っていたんですけど、ただなんか、まあいっかと思って。
珍しい、本とか読み出しそうなのに、アートに関する。
実はその、行った展示の一つが、2021年フューチャーインサイト展っていうのがあったんですけど、この展示を企画したディレクターの人が、松島道明さんって言うんですけど、私の中で編集者の神様みたいに思ってる。
私が、オールタイムベスト的に大好きな本の一つに、ものすごくうるさくてありえないほど近いっていう。
言ってましたね。
それがNHK出版から出てるんですけど、そもそもNHK出版からそんなこう、本を出していこうみたいな感じで、出版社改革みたいなことをした人が松島さん。
へー、そうなんですか。
今は、ワイヤードの編集長されてるんですよね。
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その関係で、そのディレクターとして関わって、未来をテーマにした展示をしてたんですよね。
そのディレクターさん自身が、言葉に精通する人であるということによって、私でも入り込める可能性あるって言ったんですよ。
その人の考えてることも知りたいなと思ったから。
それを友達に勧められていってきたんですけど、どんな内容かっていうと、未来の羅針盤っていうのがあって、
HowとかWhatとかWhenとか、そういう疑問詞と、未来、現在、過去っていうその3つのタイミングと、Imagineとか、何だろうな、そういういろんな動詞と、ルーレットみたいに組み合わせて、ワードを作るんですよ。
例えば、How、Future、Imagineとか。
あー、なるほどなるほど。面白そう。
そういうのを、羅針盤でそれぞれのアーティストとか、いろんな人たちが、自分の羅針盤はこれでいきます、みたいなのを、1個問いを決めて、それに当てはまる作品とか言葉とかを出すっていう。
めっちゃ面白そう。
こういうテーマの作品展だったんですよ。だから、言葉とつながりがあるから、私でも解釈できるっていう展示に良さがあって。
良さある。
めっちゃ面白かったんです。現代アート的な作品も置いてあるけど、そことつながりを見せてくれることによって、キャッチしやすいみたいなのがあったのと。
ただね、実は、全然ここまで話してることと全然違うこと言うんですけど、ここで私、すごい衝撃的な出会いをして、
エバラさんって読み方合ってるかわかんないんですけど、っていうサウンドアーティストの人がいて、真っ暗な、ちょっとうっすらと明かりのついた空間に、サウンドインスタレーションって言ったことあります?
ないです。意味もわからない。サウンドインスタレーション。
私も未だによくわかってないんですけど、空間の中に入ると、3Dとか試行性スピーカーとかいろいろ置いてあるんだと思うんですけど、自然におけるいろんな音がいろんな場所で立体的に聞こえるんですよ。すごい解像度で。
そんな広くないですか?この教室ぐらいの部屋で、あぐるき回ってると水の流れる音とか、動物の鳴く音とか、雨が降ってくる音とかが、移り変わるように、場所でも変わっていくし、タイミングでもどんどん変わっていくんですけど。
ちゃんと3D空間の、リアル空間みたいに時も流れてるし、場所によって条件が違うみたいな。
目を瞑ると、そういう場所にいるみたいな、すごい体験だったんですよ。私ここから一生出たくないと思うぐらい、居心地?
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入ってきては出てくる人が結構いる中、私も出たくなくて、結構いたんですよ、その空間に。
何なら他の展示にいた時間と、そこに一箇所にいた時間が同じぐらいだったんじゃないかぐらい。
で、サウンドを作るみたいな世界あるんだと思って、めっちゃ感動して、それからその人をフォローしたりしてるんですけど、要は何の話かっていうと、
そうやって自分でいろいろお宅並べて行ってみた結果、めちゃくちゃいい出会いして。
行動すると変化あるから。
そうなんですよね。やっぱり足を運んで、ぼちゃぼちゃ言ってないで、感じてくることも大事だなと思ったんですよね。
何がそんなに心地よかったのか知りたいですね、その音に関して。
だから万人がそういう反応したわけじゃないじゃないですか。
かなさんだけそこに結構長い間行って、だけじゃないけど。
すごく自然の音を、私が聴いてないっていうのもあるんだと思うんですけど、
日常生活でね。
日常生活でね、なんていうかすごく解像度の高い音だったから、
私バリ島行った時も、バリの楽器とかの自然と調和した感じの音とかすごい好きだったんですよ。
わかる、私それ見ると寺の大きい、すごい大きい寺のボーンみたいな音がすごい好き。
夏の空気が震える感じとか、マッチする。
わかる。
なんかね、昔勉強したことあるんですけど、そういうのF分の1揺らぎって言うんですけど、
F分の1揺らぎ?
そう、なんか自然の音とかって特殊な揺らぎを持っていて、
人の聴覚に自然と癒しを与えるみたいな効果が、論理的にもあるらしい。
っていうのは聞いたことあるんですけど、そんなこと吹っ飛ばしてすごいよかったんですけど、
そういう心地よい音みたいなのを感じることがあまりに刺激的だったんですよね、私にとっては。
だから、結構もう耳が満たされるみたいな。
目で満たされることとか、言葉で満たされる感覚みたいなのはあったけど、美しい景色とか、
でも耳に入ってきたものが、ただそれだけで感動みたいなことはなかった。
例えば、素晴らしい音楽をオーケストラで聴いた時とか、
日本に来日していたレニングラード少年合唱団の合唱を計らずも聴いた中学校の頃とか、
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いい体験してるな。
思いもよらない心地いい音を聴くって、実はあんまり体験として多くないがゆえに、すごく刺激が強いというか、
だから、こういうアートもあるんだなと思って、
でもそれって別に解像度とか、この人はこういうことを考えて作ったから、
でもそれを味わえないからとか、そんなこと全然考えないんですよね。
確かに確かに。今ここと自分に集中みたいな感じがしますね。
そうなんですよね。
だから、そこで最高の体験ができたことによって、見方がまたアップデートされるような気もして、
すごい良かったなっていう、私としても鑑賞の誤り、パート2みたいな体験がちょうどあったから、
奇遇だなと思って。
だから人はキャンプとかするのかもしれないですよ。
そうだと思う。
なんか、その音の感じを今自分もさっき言ったお寺の音を思い出すと、
ちょっと思い出すだけでも若干鳥肌立つぐらいすごく自分にとって心地よくて、
ちょっと買おうか迷って探したこともあったぐらいで、ここワンワンワンワンとか鳴らすやつとか、
私住んでるところは田舎だから、自然多いから、キャンプとかも自然公園とかもよく行くから、
割とこう圧倒的自然の中にいるみたいなことが急激に人生で増えてきたんですよね。
やっぱすごい心地いいですよね。
本当になんかカサカサカサって音があって、何だろうと思ったら、
あ、葉っぱが風に入れる音ってその音しかしないってこんな音なのかみたいなのとか、
鳥の声めっちゃ聞こえるとかがすごい心地いいから、その後いいねっていう話。
そうですよね。だから鳥の声とか聞かないんですよ、カラス以外。
カラス。
なんなら生まれた頃ウグイス谷の方に住んでたんですけど、
ウグイス谷駅は朝になるとウグイスの鳴き声が放送されてたんですけど、
イメージ作ろうとしてるな。
そう、それすらなんていうの、本物じゃないみたいな。
作られた、アーティフィシャルウグイス。
そう、そんなんじゃ全然心動かないんですけど、みたいな参考があったんですけど、
でもやっぱ人間ってそういう本当に自然な音みたいなものを心地よく思うというか、
多分副交換神経が刺激されるみたいな、そういうことがあるんでしょうね。
だからそれをデザインしたり作り出してる人ってすごいなと思ったんですけど、
本当にそう。
そう、だからそういう感じで私も現代アートとか見たいって改めて思いますけどね。
確かになんかそんな、言ったら自己中にもっと見ていいというか、すごいんだからもうその人たちはね。
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別に分かる分からないなんて言ったら言語でも目の前の人のことなんて全然分からないんだから、
どれだけ喋ったって。
もう訳分かんない絵のことは自分がどう思うかだけに集中して、
心地良い心地良くないみたいなさっきの音みたいに見たって全然いいんでしょうね。
そう、なんかそうね、コンプレックスが邪魔してるのかもしれないですね、私の場合は。
私の場合は何でも正解みたいなものを探しに行こうとしてしまう。
でもそう。
気質みたいなコンプレックスみたいな、謝りだなって思います。
確かに。
だからそれに私も茅子さんも気づいたのかもしれないですね。
そうそう、ちょっと気づいたからこれいいですね。
やっぱ認知してるから、メタ認知。
1回目の鑑賞の誤りでちょっとうっすら認知しつつ、
色々行動してた結果、ちょっと別の出会いができたっていうかね。
100も1件にしかずで、1件の件は見るじゃないですか。
100件は1件にしかずみたいな言葉、誰か返したのかな。
100件は1件にしかずの1件は経験の件なんですよ。
100件は見る。
そう、見る。100個見るのに1回体験するのは及ばないっていう。
見るっていうのは当事者にならないっていうこともできますよね。
そういうのあるって知ってるよみたいな見たこともあるよ、色んなところで。
でもやっぱそこを体験するっていうことがやっぱしかないっていうのは、
我々2人とも今回アートを経験したわけですけども、見る。
これは見る側なんだけど、なんか経験してますよね。
一緒になってるっていうか。
やっぱそこで感じたことみたいなのは、あるのはやっぱ想像してたり、
人から聞いたり、ただただ何も浸ったり経験するみたいなので
能動的に動いたりせずに、受動的に見るっていうのとやっぱ違うかなって。
情報量が。
そうですね、本当そう思います。
今ちょっと思い出したのは、検索ワードを探す旅みたいな本があるんですけど、
人は最近だとやっぱ自分が好きなことを知りたいことを検索して情報を得るじゃないですか。
もうその行動パターンを何ていうか、それじゃダメだよねみたいな話ではなくて、
じゃあそれは行動することによって何が変わるのかみたいな話。
例えばダラスに行くとか、そういうサウンドを聞くみたいな体験によって検索ワードが変わるっていう話なんですよ。
要はインプットが変わることによって自分の思考に変化が生じて、
そこからまた別の言葉を調べたりとかし始めるみたいな。
そうやってデジタルと実際の体験みたいなものが関係し合っていくんだみたいな話にめっちゃ納得したことがあるんですけど、
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そういうこともそうだなと思って、体験することによって自分がアップデートされるっていうか、
結局自分との対話みたいな話にまたなるかもしれないけど。
本当そうですね、本当そう。
今その話聞きながら、ビシッとハマる言葉じゃないんですけど、タイミング、フィーリング、ハプニングみたいなのってセットでよく語られるじゃないですか。
これは私大学生の頃に先輩に、恋はタイミング、フィーリング、ハプニングだからって言われたことなんですよ。
言われたことないな。
その言葉その先輩の初めだと思ってすごいかっこいいと思って、全然違うとき全然違う文脈で他の人が言ったから、
多分わかんないけど、どっかではセットで語られていることだと思うんですけど、この世のどこかでは。
縁と運とタイミングって言われたことはあるな。
ああ。
そういう感じなんだね。
そうそうそう。
だからタイミング、フィーリング、ハプニングって人生だなと思って、
でもその今のアートとか検索のワードが変わっていくのも、
本当に全ては、そのときにダラスに行ったとか、サウンドを聞いた、こういう風に感じたとか、
たまたまであったこの絵とか、このアートみたいなことでどんどん自分の検索ワードも変わっていくんでしょうねっていうのをふと思い出しましたね。
ダラスの美術館ね、日本の具体っていう具体的な具体の部屋が一室あって、
日本人なんですか?
日本人です。多分もうね、今はもうね、解散してるんじゃないか。
すごい昔、1954年8月頃、関西の若手の前衛作家たちによって具体美術協会が結成された。
へー。結構昔ですね。
そう。1972年にその発起人の方が亡くなられて解散してる。生まれる前に解散してますね、我々が。
そうですね。
その具体という括りでいろんなのがあって、結構どれも好きだったんですけど、
一番良かったのはね、雪に対する解釈というかイメージを変えるみたいな試みとだけ書かれてて、雪原があるんですけど、
その雪原のすっごい広いところに絵の具ぶちまけまくってて。
へー。
で、すごい上から俯瞰して撮ってるから、なんか海みたいに見えるんですね。白い中に絵の具、青の絵の具、でも赤とか黄色もあって。
それ写真ってこと?
写真です。なんかイベント?パフォーマンスアート。パフォーマンスアートをしてる多分写真。
なんかそれが何かとかいまいちなぜこれをしてるのかとか全く知らないまま、本当に綺麗で。
ただ雪のなんかこう解釈かイメージ変えるみたいなことだけ書いてあって、ああ雪って手加えていいんだみたいな。
こんなに綺麗になるんだみたいなことを見て、すごい好きこれこの写真と思うのもいいし、
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それがなぜやってるのかとかどういう思想でやってるのかとかを知って、ある種深めていって、また見たらまた違う味わいがあると思うから、
それはそれでいいし、文化人サイドと自分の感性サイドの両方をそんな感じで楽しめましたね、具体の作品。
いいですね。
具体良かったです。
偶然ですけど、もう一個話していいかな。
いいですよ。それはいいですよ。
言った二つのうちの一つが、たまたま友人に勧められてまた本の話してるよって話なんですけど、
さっきからしてるから大丈夫です。
103歳になってわかったことっていう本があるんですよ。
その本を書いた人なんですけど、それがすごく良かったんですけど、その人が実は昨年107歳で亡くなっていって、
私はその本がすごく良かったし、展示が評判が良いっていうのを聞いたんで、
それもまた本きっかけで、なら行ってみようっていうことで、
ただ味わうには結構難しい部分も正直あって、
私はその人の文脈を知らなかったら味わいづらいだろうなと思うんですけど、
ただこれちょっと知らない人のためにこの人がどんな人生を歩んだかについて、
ちょっとだけ話すと、107歳で亡くなってるということは当然戦争を経験してるんですよね。
戦争が終わった後に、その人は家が焼けて、もともと空襲とかそういうのがある前から書道とかは習ってたりしたそうなんですけど、
それで全て失った後、さらに肺結核にもなり、
その後完治して、34歳で抽象的な作品を制作し始め、
でも国内ですごい評価されてたかっていうと一部の人にだけというか、
で、そんな中43歳でアメリカに渡って3年間アメリカで活動して、そこで結構評価されたりするんですよ。
で、彼女の人生はそこから花開いていくんですよ。
すごい希望のある話。
で、40とか50とか60とか70とか、そういう時にめちゃくちゃぶっとい筆で書いた炭の絵とかが置いてあるんですよね。
そう考えるとすごいなこれと思って。
ほとんどの作品が50を超えてから書いてるんですよね。
当たり前なんだけど。
だからその年表を見てからその展示を見ると、そのエネルギーがほとばしってて、
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本人の写真とか見るとそんな細身で濃い目の女性かっていうと、
あんまりそういう感じもしないオーラはあるけど、
それであの文章とこの墨絵を書く人なんだって思ったら、
アートっていうか全部まとめてすごいことだなと思って。
人生感じれますね。
たまたまですけど、私が一番好きだったやつが、
タイトル忘れたけど、夜の雪を表現した作品だったんですよ。
家の中に自分はいるんだけど、その暗い中で猛吹雪の外で雪が積もっていくみたいな、
それがこう、わかんないですけど、その時の不穏な空気と不安な気持ちとみたいな、
そういうのがすべて表現されている感じの雪の世界が、
その墨を中心とした画材で表現されていて、
で、この雪の感じいいなと思って、よかったっていうことで、
それを思い出したんですよね。
接種してますね。
それがどっちかというと、文脈を知る楽しみかなと思うんですよね。
知ってたからこその感動もあるみたいなね。
そうそう、だからどっちもちょっとアップデートしましたね、お互いね。
本当に。アートってすごい、やっぱりアートだからですよね。
43歳で世界に行けるっていうのは。
そう、いいなその生き様って思って、結構パワーをもらいましたね。
超かっこいいですよ。しかも戦後ですよ、それやったの。
アメリカに行くって訳が違いますよ。
いや本当にやっぱえぐいな、すごい。107歳までそして。
そう、で100歳超えてもまだ作品作ってるんですかね。
そうですよ、なんならだから本書いてるわけでしょ。
そう、すごいんですよね、命のきらめきと思って。
すごいこと、すごいこと、やっぱ何よ、はじめらにもう遅い時なんてないって。
そうなんですよ、当たり前。
常に言われるけど、常にやっぱり年上の人に言われて、
でもこっちは何言ってんだの、20代のエネルギーもきらめきも遠い彼方でみたいな思うけど、
本当そうなんだなって感じですね。
そう、だからさっき言ってたけど、そういうの全部を表現する手段が彼女にとっては隅というか章だったっていう。
それがまたすごいことだなと思って感動しますよね。
みてみたいな、いいですね、毎知識ありで見るっていうのもやはり。
そうなんですよ、だから文脈知ってからの作品を見る楽しみもやっぱりあるから。
二度おいしいみたいな感じありますね。
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どっちがいいとかいう話でもないから。
自分がこっちの方が全体的に合うなと思ったらそういう鑑賞スタイルになっていくみたいなのもあるでしょうしね。
だから好きな方でより楽しめればもうOKですよね。
本当にそう、何にも入れずに楽しんだっていいし、一つ一つ気になったやつは調べてから知識入れてから楽しんだらいいし、何でもいいんですよ、全部正解っていう。
そんな感じでね、私たちの鑑賞の誤りがアップデートされたということで、誤ってるわけじゃないんですけど。
でも若干自分たちのね、鑑賞へのコンプレックスみたいなものをネタ認知し、誤りを認識し、行動したことによって現状に変化が起きて良かったねっていう。
そうですね、だからまたパート3ができたらいいですね。
本当にやっていきたいですね。
良かった良かった、じゃあ今日はこんなところで。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。