1. そろそろ美術の話を...
  2. #058 飽きっぽさで切り開く、..
2022-05-14 52:54

#058 飽きっぽさで切り開く、発見・発掘の道(東京ステーションギャラリー館長 冨田章)

東京ステーションギャラリー冨田章館長をゲストに美術館の成り立ちやユニークな企画展が生まれる理由についてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/058 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

冨田章(とみた あきら)

  • 慶應義塾大学、成城大学大学院卒。(財)そごう美術館、サントリーミュージアム[天保山]を経て現職。専門は、フランス、ベルギー、日本を中心とした近現代美術。
  • 担当した展覧会に「梶田半古の世界」展(そごう美術館)、「ロートレック パリ、美しき時代を生きて」展(サントリーミュージアム[天保山])、「シャガール 三次元の世界」展、「幻の画家 不染鉄 展」、「夢二繚乱」展、「吉村芳生」展、「メスキータ」展(以上、東京ステーションギャラリー)など。著書に『偽装された自画像』(祥伝社)、『ビアズリー怪奇幻想名品集』『ゴッホ作品集』(東京美術)、『印象派BOX』(講談社)、『初老耽美派 よろめき美術鑑賞術』(共著、毎日新聞出版)、訳書に『クリムト』『ゴーガン』(西村書店)などがある。

Show Notes

東京ステーションギャラリーについて

演劇の話題

卒論でテーマにした作家

学生時代に見て回った美術

そごう美術館での話題

今後の展示について

00:00
[音楽]
はい、アートテラートニーのそろそろビュースの話を
この番組は私アートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
今回は前回に引き続き東京ステーションギャラリー館長の
富田明さんをゲストにトークをしていきたいと思います
[音楽]
ということで前半あっという間でしたけれども
後半もよろしくお願いいたします
よろしくお願いします
後半では毎回皆さんにこの質問をしているんですが
いつから美術に興味を持っていましたかということで
興味自体は割合早かったと思うんですよ
父親が美術が好きで
よくあんまり大したことないいいものだと思いますけど絵買ってきたりとかね
学習なんかも家にあったし展覧会も小学校の時に見に連れて行ってくれたりとか
兄弟3人いるんですけど男は3人なんですけど僕真ん中なんですけど
みんな同じように多分同じような関係で育っているんだけど
絵が面白いなと思っていたのは多分僕だけみたいな感じで
兄貴は理系に行っちゃったしね
弟も全然畑違いなんですけども
ただ絵に興味は持っていたけど
美術師の仕事とか美術館の仕事をするようになるとは全く思っていなくて
高校とか大学とかどういう道に進まれたんですか
進まれたというかその頃は小説家になりたいなとかね
本読みはすごい好きだったので
ただ割合早々に自分に才能がないことに気が付くみたいなことはある
大学に入る時は僕は本当はねその頃マイブームだった演劇をやりたかったんですよ
それは役者としてですか
演出とかあるいは脚本の方なんですけども
たまたま僕は高校は小板の別部というところだったんですけど
高校3年の時かなに
それまで本を読む流れで
鋳極をよく読んでたんですよ
寺山修司とか唐十郎とかね
あとイオネシコとかいろいろ当時流行りのというか
読んでて結構面白いなと思ってて
たまたま黒テントっていうね
テント劇団が大分に巡回公演に来たわけですよ
その黒テントの代表作の「安倍沙田の犬」っていうね
いろんなショーのとった面白い演技なんですけど
たまたまそれを見に行ったんですね
ポスターを見たべて
03:01
これは見に行かなきゃみたいな思って
期末試験の前日でしたけどね
本当は勉強しなきゃいけないのに
友達と遊んだけどみんな断られて
試験勉強したいから
一人で見に行って
ものすごいショックだったんですよ
衝撃で
つまりそれまでの自分が知ってた演劇とは全然違うし
本当に全演的なお芝居だったので
すごい感激して
もう呆然として家に帰ったわけですよ
カルチャーショックぐらい
その日はもう何も勉強しなかった
翌日テストなのに
それでこれはもうやっぱり演劇に関わりたいと思って
東京行こうと思って
そこまで決めちゃったんですか?
本場で見る
東京だろうと
演劇を見るんだったらね
見るにしても何にしても東京だろうと思って
もう絶対東京の大学だなと思って
で、大学に入ったわけですよ
で、大学に入って
その別府の田舎から東京に出てきたから
演劇だけじゃなくてものすごい見るもの聞くもの面白いわけですよ
映画とかコンサートとか
もちろん文学は文学で興味あったし
演劇も見るし展覧会も見ると
いうことをずっとやってて
ただ本当にそれでのめり込んで
見てみたり聞いたりしてると
ちょっと違和感を感じるものも出てくるわけですよ
映画なんかもすごい興味あったんだけど
ちょっと自分がやるのとは違うものみたいなね
演劇も実はすごく面白くて見てたんだけど
これ俺には無理かなみたいな感じがね
やっぱ演劇って体力勝負みたいなところあるし
すごい汗臭い世界見ると
俺はこれはちょっと耐えられないかもなみたいな
徐々にいろんなものが減っていく
文学も小説家と思ってたけど
これは俺の才能じゃ無理だみたいなところが出てきたりとか
切り落としていって
消去法で美術が最後残っていくんですよ
その時の学部は何だった?
文学部で
2年になる時に専攻を選ぶという学部だったんですよ
だから文学部として入るんだけど
そこから英文学科に行くのか国文学科に行くのか
何かっていうのを2年になる時に選ぶんですよ
英文違うなとか国文違うなとか
図書館学科違うなとか
最後に残ったのが美学美術士っていう
美学美術士だとこれまだ潰しが利くかなみたいな
潰しって別に就職しやすいとかいう意味じゃなくて
06:02
自分が選ぶジャンルとしてまだ若干余地が残るかなみたいな
それが美学美術士だったんですよ
どうしてもそこに行きたいって感じではなかったからスタート
ただ手長いそのものは見てて面白いなと思ってたから
いいかなと思って美学美術士行ったんだけど
学部生の間はあんまりのめり込めなかったっていうか
でもその段階だから西洋美術とか日本美術とかそれもないわけですよね
それは西洋美術にしたんです
やっぱり西洋美術に興味があったし面白いと思ってたから
フランスのジョジュ・スーラっていうね
天明画の
彼をテーマにして一応卒論は書いたんだけど
ひどい代物で
今思うとってことですか
ほとんどちゃんとは勉強してなかったので
遊んでばっかりいたというか
何で遊んでたんですか?美術じゃないことで遊んでたんですか?
そうなんですだからね
映画のサークルに入ったんですよ
もう定まってないですね本当に
映画もすごい見てたし
芝居ももちろん見に行くのが楽しいから見に行ってたし
あと酒と麻雀とパチンコみたいなね
天経理大学生
あの頃は僕は正しい大学生の姿だと思ってたけど
そっちの方が健全な
勉強はしない本当にしてなくて
美術の仕事に行こうとも思ってないですか?卒論を書く時に
4年になる時にすごい悩んだんですよ
就職っていう手もあるわけだから
出版社とかね
いくつか頭の中に浮かぶ触手はあったんだけど
なんかちょっと違うなみたいなね
周りはみんな髪の毛切って就職活動に回してしまうじゃないですか
でも結局僕は就職活動を一切しないで
アルバイトに精を出して
ちなみに何のアルバイトされてたんですか?
もういろいろです
家庭教師もやってたけど
某デパートの中限の伝票の印刷とかね
全然美術館でとかじゃないんですね
美術関係なくありとあらゆるアルバイト
宛名書きのアルバイト
宛名書きなんて今はアルバイトないですけどね
あったんですか当時は?
昔はボールペンで宛名を書いてたから
ダイレクトメール送る時に宛名書きがあったんでしょ
そういうありとあらゆるアルバイトをして
ともかくお金を貯めて
何しようかと思ったかというと
ヨーロッパに行こうと
美術でってことですか?
西洋美術勉強してたけどあんまり大して勉強してないし
西洋美術の仕事をすると思うんだったら
大学院に入らなきゃいけないと思ってて
大学院?
だけど大学院に進もうとする自信もなかったんですよ
09:03
やっぱりまだ美術を俺はちゃんと知らないなと思ってて
だからヨーロッパに行って
ともかく面白いと思った西洋美術を
徹底的に見て歩こうと思って
見て歩くうちに答えが見つかるんじゃないかと
自分探しの旅だったね
ちょっと浮かれたかというかね
どこに行かれた?
西ヨーロッパはほぼ
フランスも行った?
イギリス、フランス、ベネルクス、三国、グリッツ、イタリア、スペイン、スイス
結構行きましたね
アルバイトで貯めた
正確に言うとアルバイトとパチンコで貯めたお金を
使い果たすまで行こうと思って
結局3ヶ月間ずっとバックパッカーで回ったわけですよ
その間もともかく美術館と教会と建築しか見てない
決めてなかったのか?
特に無くなるまでってことは
何日目はここに行ってとかじゃなくて
大まかにはね
イギリスに2週間、フランスに何週間くらいのことは決めてたけど
それもその場でだいぶ変更になって
ともかくその街を見尽くしたら次に移ることをやって
でもそういうことができたのは時代も良かったんですよ
バブルに向かう時代だから景気が良かったし
いざダメでも就職なんかなんとかなるよとかね
今の学生が来たらふざけんなみたいなことだけど
その時代はそういう時代だったから
3ヶ月回ったら自分見つかったんですか?
見つかったっていうかね
結局美術しか見てないわけだけど
それで飽きちゃったら美術は無理だなと思ってた
ところがね、全然飽きないんでね
じゃあまだまだ行きたかったんですか?
むしろ逆に面白くてどんどん見たいと
もっと色んなことを知りたいという
初めてそこでちゃんとした知識欲が芽生え
これやっぱ帰ってちゃんと勉強して大学に入ろう
という決心がついた旅だったんですよ
いいですねそれは
だからそれはね僕にとってはすごく重要な旅で
しかもその時にたくさんのものをわけもわからず
ともかく見たっていうこともすごく重要で
とにかく手の中いっぱい見てるからわかると思うけど
やっぱり見ないと目は育たないじゃないですか
見ることによって目は鍛えられるし
そのことによって自分の中に美術を見る一つの基準というかね
そういうものができてくるっていうね
そういう経験をそこでやっぱりしたので
それは未だに僕にとってはすごい財産になっているんですけども
それでもう帰ってきて
ともかくそれからもう
ちゃんと勉強して
受験勉強
12:01
初めてじゃないですけどちゃんとしたぐらいの感じ
大学に入る時に1年間真面目に勉強した期間がありましたけど
それ以来の
老人中にね
それ以来の本当に真面目に勉強して
それで大学に入ってっていう
ちなみにその3ヶ月財産になった旅で
ここは一番良かった
たくさん良かったんだと思いますけど
これから行く学生とか行きたいって人に対して
特に良かったようなことあります?
あのね決定的だったのはね
これまた言うとね
これから行く人からふざけんなって言われるんだけど
もう今は見ることができない
アルタミラの洞窟壁がね
当時見れたんですか?
これね
毎年何人か募集して
それで見ることができたのね
ところがね
痛みがだんだん激しくなってきて
閉鎖されることになる
閉鎖される前のちょうど1年間が僕が行った年だった
閉鎖される前なので
特別にまた募集をしてたんですよ
その幕よりもっていう
普通は何年待ちなんですよ
だけどね
この期間だけはまだ
ちょっと増やして見せますみたいな
日本から手紙を書いて送って
それから旅行に出ちゃったんで
現地の銀行かなんかでね
当選結果みたいな
受け取る仕組みがあったんですよ手紙をね
そこをきつけで送ってくれるように
言ったらそこに返事が来てて
見たらスペイン語で書いてあって何もわかんない
どうしたの?
じゃあもういいから誰か聞いて
ドミトリーのね
郵送してるみたいな宿で泊まってたから
そこに帰って
スペイン語読める人いないか?
って言って
当選職の時に
そしたら俺が読んでやるって
何月何日にここに来いって書いてあるよ
それでそれから予定を変更して
アルタミナに行って
すごい良かったですか?やっぱり本物みたいな
もちろん絵もすごく良かったんだけど
それ以上に
もう本当に自分たちが想像もつかないような
昔にね
人類がこうやってやっぱり絵を描いてたんだ
っていうことに感動したの
有給の時間を経て描いた絵が残ってる
しかもその昔から人類が絵を描いてた
ってことに感激をしたんだよね
やっぱアートって人間にとって
なんかそれだけすごい重要なものなんじゃないか
っていうことが実感として
自分にとってすごい重要なものだと思ってたけど
それは自分だけであって
他の人にとってはね
アートなんか全然こう
意味もないようなものだったりするわけじゃないですか
でもやっぱりこれ人間の根源的ななんかに
関わりがあるんじゃないかみたいなことを
その時思った
それはすごいやっぱりね感激
パチンコに開け暮れてた青年って思えない成長だなと
15:02
今なんか親心のようなものが今
あの短期間ね
こんなに変わるんですね人って
自分探しだって言ったら
結局見つけられない人も結構いるじゃないですか
いますよね
なんかやっぱり良かったんですね
そうなんですね
あともちろん他にね
ゲルニカとかね
ちょうど僕が行った頃
ニューヨークからアメリカからスペインに
返還されたばっかりの頃だったんだけど
ゲルニカにも感激したし
あとあのヤンファンアイクの
神秘の子羊の祭壇がね
結構いろんなところに行きましたね本当に
これはもう今ガラスケッチの中に入ってるけど
昔はもう裸の状態で
もう祭壇が閉じた状態で
まず見て
開けてくれるんですか
パッと開けてくれるんですよ
自分で開けるんですか
いやいや、あの係員が開けてくれるんだけど
こっちは待ってるわけだから
パッと開いた瞬間の色彩がフワッと広がる
感激とかね
そういう本当に
良い経験がすごくいっぱいでした
あとはイーゼンハイムの祭壇とかね
もう行ってるんですか
それも見に行って感激したし
あれは見ましたか
「寝ろ少年」が最後に見たやつ
あれも見ました
本当にいろんなとこ行ってた
ルーベンスの
それも見たし
そういう本当に最高級の絵を
たくさん毎日
もう嫌になるくらい見てるわけですよ
でも飽きないってこと
それはね
ルーベンスなんか僕はものすごい苦手で
日本にいた時は
こってりしてるし
バターっぽい感じ
これちょっとかなわんなと思ってたんだけど
ルーベンスってすごいたくさん作品描いてるじゃないですか
交互も含めてね
ヨーロッパってどの美術館行っても
ルーベンスの部屋があるわけですよ
毎回毎回見てて
もう吐き気がするぐらいな気持ちだったんだけど
ある日突然ね
その良さがわかるんですよ
もしかしてこいつすごいかも
こいつなんてさ怒られちゃうけど
で、なんかそれに気がつくとね
それ以来ルーベンスの絵がすっごい面白くなったんですよ
じゃあみんな例えばこれから
僕もルーベンスどっちかというとあんまり得意な方じゃないんですけど
まだ足りないだけなのかもしれないですね
吐き気がするぐらいまで見ないとだろ
それは名言ですね
でもね本当にルーベンスってすごい作家なんだっていうことがね
やっぱわかる
その時点ではまだ言葉で説明できないんだけど
なんかねわかるんですよ
他の絵見てもやっぱすごいじゃんみたいな
なんかね
感覚的にすごくわかる
じゃあちょっと吐き気くるまでちょっと僕も入れてみます
ということでじゃあ戻ってきて大学院に勉強して
もう受かったんですかそれは
なんとか引っかかって
それで大学院に入って
それで西洋美術を今度は真面目に勉強して
で、真面目に勉強したと言っても
そんな優秀な学生ではなかったと思うんだけれども
18:01
でもやっぱり美術の世界でやっていきたいと
で、大学の先生になるのはね
やっぱりちょっとハードルが高いなと思ったけど
なんとか学芸員になりたいと
ただ学芸員の資格って大学で普通取るんですよね
だから僕は学部時代は
え、取ってなかったんですか
真面目じゃなかったから
実は学芸員資格っていうのがあることすら知らなかった
周りでは取ってた友達はいたんですか
大学に入って話してる時に
学芸員資格の話になって
え、何それ
え、富田くん取ってないの?みたいな
委員で取ることもできる
できるんですけど
ただもう慌てて取ったわけですよ
1年目に取ろうと思って
で、こう履修をしたらもう1週間
毎日小学生の時間表みたいな感じ
1時間目から6時間目まであってみたいな
で、なんとか学芸員資格取り
それで卒業して
縁があって
祖豪美術館っていうね
横浜にある美術館に就職
就職したの31歳かそれくらい
祖豪美術館って何年前から
結構歴史あるんですか
祖豪美術館は1985年開館ですね
僕が入ったのは91年かな
91年に祖豪美術館に就職して
祖豪美術館に11年くらいいたんですよ
祖豪美術館ってデパートの美術館なので
普通の美術館とはちょっとやっぱり違うというか
デパート美術館って当時すごいたくさんあって
西部にもあったとか
西部美術館、池袋西部美術館東部美術館でしょ
それから新宿に小田急美術館伊勢丹美術館三越美術館
東京に大丸美術館があり
横浜に祖豪美術館がある
残っているのは祖豪美術館だけですね今開けたので言うと
そうですね
ですよね
だからデパート美術館の最盛期で
祖豪はちょっと早い方にしたけど
その後立ち続けにいつかできて
ただ一般の効率美術館なんかに比べると
民間だしデパートの中ということで
デパートの方針とか方向性に
ちょっと沿わなきゃいけないところもあるし
美術館の常識ではちょっと考えられないようなこともあるわけですよ
例えば展示会の期間ってね
普通は2,3週間とってやるじゃないですか
僕が入った当時は美術館というのは
展示会が1日か2日しかないんだっていうね
1日2日で次の準備するじゃなくて前のやつもまずバラして
だから日曜日の5時ぐらいに閉館にするわけですよ
それから撤収するわけですよ
その日のうちに撤収が終わっちゃうんですよ
21:01
その日には
で、夜中とか翌日施工して
2日間ある場合はその次の日に朝搬入して
その日のうちに展示しちゃうっていう
火曜にはもう次の展覧会始まってる?
水曜とかそのくらいの日に
火曜とか水曜には次の展覧会
大変、年間何本やるんですか?
しかも年間ね、多いんですよ
未だに多いイメージありますよね
デパートの最新の単位って1週間だから
だから3週間とか2週間の展覧会あったりするわけですよ
そういうのが入るとね、本当に年間13、4本とかね
そういうことになっちゃう
エディションギャラリーが年間5本だって話は前半でしましたけど
その3倍ぐらい
多い時はね
少なくても10本ぐらいは確実にやるわけだから
学園が何人いらっしゃったんですか?
えっとね、その時は4、5人いたのかな
じゃあ1人2本ぐらいはやる?
うん、まあそんな感じですよね
うわー大変です
でも次から次ですよ、本当に
もう1つの展覧会が終わったと思うと
もうその先の展覧会の準備が直前まで
自転車創業みたいな感じ
本当に
まあ猛烈に働く
猛烈でしたね、だからすごい忙しかったし
しかもね、この間たまたまね、そのソゴ時代に
2年ぐらい付けてた日記が出てきたんですよ
それ読んだらね
展覧会終わって撤収するじゃないですか
撤収が10時半ぐらいに終わるんですよ
夜のってことですね
それから飲みに行くんだよね、みんなで
まあ元気は元気
翌日の朝一からまた仕事やってるわけだから
うわーすごい、肺になってたんですかね
だからね、若かったからできたっていうのがありますよね
でもまあそこでもうともかく
ものすごい本数の展覧会をやってるわけですよ
で僕、初めての美術館だったんだけど
実は学芸のトップだったんです、入った段階で
へー、みんな他が若手だった
そう、そこ美術館っていうのは、組合デパートの社員の中で
学芸資格を持っている人間を
拝続するみたいな感じだったんですよ
大半がそうなんだけど
主任学芸員という人間だけは
美術士の大学院に出た人間を取るっていう
そういうとこだったんですよ
館長は新聞社の事業部長だった人がいて
その人が次々いろんな展覧会をね、頑張ってるんですよ
それを僕が中心になって
じゃあこの展覧会は君、この展覧会は君みたいにやってやるんだけど
毎回もう展示的視はみんなでやるわけですよ
時間も短いし
それぞれやっぱり
僕よりは経験あるけど、それでも2,3年しか経験がないとかね
僕は全くの主任学芸員と初めてなんだけど
みんなでいろいろ協力しながらやっていくっていう感じで
24:00
ともかく展覧会を最初のうちはこなすので精一杯
へー、ということは11年でも何本くらい
だからね、正確には数えてないけど
おそらく107、80本はやってると思うんですけどね
これもしかしてですけど
それをやってて、しかも今も現役で今もやり続けてるじゃないですか
トップも可能性ありますよね
全学芸員の中の展覧会本数ランキングとかやったら
展覧会は関わり方によるわけですよ
総合美術館の展覧会ってのは
多くの展覧会が巡回展で、しかもパッケージになってる展覧会ですからね
完成してるわけですよ
やるのは受け入れて展示をして、広報宣伝をして
そして手継をしてお返しをするっていう
お返しをするのも、借業先まで返すんじゃなくて
美術館でトラックに乗せたら終わりみたいなね
ていうことはその時には
自分がやりたい展覧会とか自分が企画してってのほぼなかった
僕が行った時点ではほぼなかったんですよ
それじゃさすがに面白くないので
企画展やりましょうっていう風に
事業部長だった人に話をして
それで少しずつやり始めた
一番最初にやった展覧会とか覚えてます?
これが自分の企画?
自分の企画として本当に自信持って言えるのは
入って3、4年後にやったやつかな
「梶田半子の世界見」というね
日本画の?
日本画の
梶田半子ってそんなにね、今有名じゃないけど
差し絵とかでよく見かけたんですよね、梶田
差し絵画家としてはもう本当に明治の時流の差し絵画家で
株良幸岡さんの方もね、すごく進歩してたという方なんですけど
お弟子さんに、塾をやってた、半子塾っていうのをやってて
そのお弟子さんに前田正宗とか小林孝恵と
安田幸人とかね、曹操太郎画家を輩出した
非常に上手い人です
その梶田半子の展覧会っていうのが最初の企画で
いい高い質問
梶田半子がスタートじゃないですか
前半でも近代洋画の話されてたじゃないですか
西洋絵画で大学院出たはずなのに
何がどうなったらそうなっちゃったんですか?
えっとね、いや、これもね
何がどうなったんだろうね
ヨーロッパで色々と見てきてる
ルーベンスでの裏どころ
西洋美術の展覧会を企画展でやるのはやっぱりハードルが高いわけですよ
その後やるんですけど
まず自分も含めて楽芸員が成長するためには何かというと
まずは企画展やることだと
まずは日本の企画展だと
借りてくるとか、釈養とかも考えたら
そうです、そうです
なおかつ、二番戦時にならないような展覧会が何かない
今とあんまり変わらないけど
考えた時に、たまたま別の展覧会で
梶田半子のちっちゃな作品を見たんですよ
27:02
絵描きなんだけど
これはすっごい出来が良くて
これどういう人だろうと思ってちょっと調べたら
結構重要な人じゃんって
たくさん学生が育ててるしね
なのに今まで一度も展覧会がやられてないと
その当時初だったのか
初だった、初の展覧会
亡くなった直後にお弟子さんたちがやった展覧会があったけど
その後のいわゆる美術館でやる展覧会というのは
どこもやってないわけ
僕はずっと西洋美術を研究してたから
日本美術の人間ちょっと怠慢じゃないの?と
逆に外側から見たから
ちょっと思ったわけね
それで梶田半子をやりましょうって言ったら
館長もね、いいんじゃない?って
ただ日本画の展覧会だから
君は分からないこともあるだろうから
館長の先生をつけた方がいいよと
確かにそうですねって言って
当時山谷美術館の学芸部長だった
細野先生っていうね
細野正之さんっていう
日本画の大科の方ですけどね、研究のね
その人のところに一緒に行ったわけですよ
で、挨拶をして
そしたらすごい喜んでくれたんで
君、梶田半子の展覧会やってくれるのか?と
奥村時雄さんという日本画家がいると
時雄さんは半子の最後の弟子ぐらいなんですよ
時雄さんがね、生前にね
何度も僕に
梶田半子先生の展覧会やってくれと言ってたんだよ
そのたんびに僕はね
半子さんはね、いい画家だけど
作品が少ないから展覧会できないんですよと言ってたんだよ
それを君やってくれるのか?と
それ聞いた瞬間に
半子って作品少ないんですよ
そんな調査もせずに
展覧会やろうって言ってた
でも、その梶田先生は
こいつはできると思ってきてるわけですもんね
そうそう、なんか賞賛があるんだろうみたいな
俺ができなかった夢を託せると思ったんでしょうね
青ざめマークで
青ざめで、そっからもう必死ですよ
やれないともう言えないし
ともかく作品探さなきゃっていうことで
あらゆる手を尽くして
でも、そもそも本当に
作品あんまない状態で行っちゃったんですか?
そう、だから美術館にどれくらい作品があるかも調べなかったのね
それはそれですごいですよね
今もしそれが来たら
張った押ししてますよね
そんな30代が来て
それからだから
まず美術館調べて
そしたら全部で10点もない
そんなに少ないんですか?
フェルメールレベルですね
本当に美術館が持っている作品がね
それぐらいしかない
10点もなかったな
これはあれですね
総合美術館の広さを考えてもどうしても
無理ですね今の段階では
どうするんですか?
個人コレクターとか
あるいはその
遺族のともかく聞き取りをして
30:00
関係ありそうな人に全部連絡するとか
それからあとは
弟子だね
弟子が持っている可能性がある
遺族を全部尋ねて
少しずつポロポロ
出てきて
でも
要は本画があんまり出てこないわけ
ちっちゃなものとか
いっぱい出てくるんだけど
大きいのなかなか出てこなくて
ある時点でちょっとこれは方向変換しなきゃ
無理だということで
カジラハンコの
ハンコ塾の
塾生たちの絵を
ちょっと入れようと
塾生の絵も
長寿でからのね
大化になってからの絵じゃダメだから
若い時の絵だけに限定しようと
そういうことで何とかやって
カジラハンコの世界展
っていうそういう
カジラハンコって逆にそんだけ作品少ないの
なんでだろう?早くなくなったとか
それとあとはおっしゃったように
写真の仕事なんか多かったので
天長居向けの絵はあんま描いてないですよ
でもそれも一つ面白いことだし
写真みたいなものは結構集まったので
写真とか口絵とか
そういうのをたくさん並べて
で天長居になったというね
それが最初の絵
でも今はもうあれなんですか
西洋美術とか決めてないんですか?
西洋美術専門とかよりは
もう今は決めてないですね
今は本当にもう
西洋美術の専門家と言えるのかっていう
自信が揺らぐぐらい
日本美術ばっかりやったりしてるし
西洋美術もやるけれども
スーラはどこへ行った?
みたいな感じですかね
チーズはどこへ行った?みたいな感じで
それはもう本当に
学院になった以上
ちょっとしょうがないかなと思っていて
もちろん学院になっても自分の専門をね
ずっと突き詰める人もいるけど
どうも僕はそういうタイプじゃない
要はアチっぽいのかなみたいなね
でも大事ですよね
でもそこ美術館10年やられて
そこからどうするんですか今度は
で、大阪の
大阪の大学の
大阪のサントリーミュージアムというところに
いろいろあって移ったわけですけど
そこもね
デパートが民事再生法を
適用されて
ありましたね
なんとか美術館は続いたんだけど
だいぶ体制が変わっちゃってね
仕事がやりづらくなってきたわけですよ
それまでは割合自由にやらせてもらってたんだけど
なかなかちょっと窮屈になってきたなと思って
それはもう
デパートそのものが変わったから
それはしょうがないことにはあるんだけど
そう思ってた時にたまたま
声をかけていただいて
で、サントリーミュージアムに
大阪ですね、大阪のサントリーミュージアムに
これはあれですよね、今無くなっちゃったんですよね
無くなりました
2002年に僕は移ったんだけど
2011年の末で
10年の末かな
10年の末で閉館になっちゃったんですね
その時はやっぱり向こうでも展覧会を企画してって感じ
展覧会をやってました
変わらないんですね、ずっと
33:00
そうですね、それは基本的には同じスタンスというか
その時も行ったのは学芸課長の立場で行ったんですけども
サントリーミュージアムって割合デザインが強いところだったんだけど
デザインって当時はあんまお客が入らない
今は割合デザインって注目されてるけど
その頃あんまり人気なかったんですよね
ポスターのコレクションを持ってたんだけど
ポスターの展覧会なんてほとんど客が来ないわけですよ
ミサとかがあるのにですか?
そう
なんかやっぱり集客を考えなきゃってことで
多分僕に声がかかったのは
デパートで集客の展覧会色々やってるから
こいつはいいやと思ったんだろうと思うんだけど
僕はだから西洋近代の展覧会を
サントリーでは割合中
ロートレックとかシャガールとか
そういう展覧会をやってたんですよ
ただそれでも結局
サントリーの会社自体の考え方もあって
東京にすでに美術館あるから
そっちにむしろ集中した方がいいだろう
みたいな考えにもなっていった
サントリー美術館にも集約された感じになるってことですか
でもその時もお客さんは入ってほしいとか
入れろっていう感じの展覧会が多かったんですね
そうだったですよ
僕はだからもうスタジオとか
スタジオとかの展覧会が多かったですね
僕はだからもうサントリーでは徹底的に集客を考えて
そう考えると
なおさら東京ステーションギャラリーで
集客するなんて味わい深い話ですね
味わい深い話
真逆のことをやるんです
そうそう
だからステーションギャラリーで
その最初にね誘われた時に
なんていい美術館に来たんだろうと僕は
でもそういう感じなんですね
もっと集客させてくれよじゃないんですか
集客しなくていいっていうことがね
これはすごいと
だからそれまでにやっぱり
いろいろ面白いものも見つけてるから
そういう展覧会やりたいなとかね
例えば不選択なんていうのは
大阪時代にね
知った画家で
これ面白い画家だなと思って
展覧会やりたいと思ったけど
サントリーミュージアムは
日本画の展覧会はさすがにやれる環境になかったから
これは自分にはできないなと思ってたわけですよ
そういうものがここで
できてる
できたっていう
これまでいろいろと展覧会されてるじゃないですか
まだ隠し玉はあるんですか
まだやりたい展覧会というか
まだ若干ありますね
それはもう狙ってるんですよね
もちろんどっかでやろうとは思ってますし
そういうものが
これまでの長い人生というか
時に先にやられちゃったって時はあるんですか
自分が隠し玉でこれどっかで出そうと思ったのが
隠し玉やろうと思ったのでやらないと
やらないと
やらないと
隠し玉やろうと思ったのでやられたってことはないかな
へー
つまり誰も狙わないようなところを狙ってるんだと思うんだけど
そういうのってどこでインプットされてるんですか
いろいろですね
歩き回ってですか
例えば出張に行った先で
いろんなものをできるだけ見るようにしてるし
あと当然情報もね
36:00
いろいろ
美術館ってほっといてもいろんな情報が来るわけですよ
地方の美術館からニュースレターが来たり
そういうのも一応見て
なんか
あれ面白いなと思ったのは
一応ちょっと調べてみる
他にどんな作品があるかとかね
作品ない作家はコリコリだから
一回目で気づいた
作品があるかとかね
あるいはこれまでどういう手段がやられてるのかとか
そういういろいろ調べて
面白いと思えばもうちょっと
実際の作品を見に行って
本当にいいかどうかチェックするとか
そういうことは日常的にやっぱりやってます
じゃあいまだに変わんないですねそれは
そうですね
それは激無ですね
いや激無というか
それはむしろ楽しみでやってるような部分もあるし
海外行った時なんかも
なんか面白い作品がいないかなとか
思ってるし
その見つけるじゃないですか
例えばこれいいな
もう言いたくてしょうがないわないですか
これ今すげーの面白いの持ってるんだけど
そこはねやっぱりね
学芸員はね
口が固くないとね
へー
そういうタイミングはちょっと見計らって
でもそういう感じなんですか
ここぞという時に
信頼できる例えば
新聞社の人間だったり企画会社の人間に
特に海外店だからとね
自分たちだけでは大変なので
こういうのあるけど
どう思うみたいな感じで話をしたり
ってことはありますけどね
これ前半でも東京セッションギャラリーは
僕はすごい当ててるなっていうか
いろんなやってるなと思ってるんですけど
富田さんから見て他の美術館で
ここはちょっとやってくるの
みたいな
でもそれは結構いっぱいありますよ
どこを例えば注目してますか
どうだろうな
都内で言うと例えば練馬なんか
面白い展覧がありますよね
電線絵画展の話
あれはやられたって感じ
ああいうのはやっぱりありましたか
あの発は出ない僕は
僕の中からは出てこないけど
電線だけ集めて面白くないだろうと思って
見に行ったらすごく面白かった
なるほど
へえ
ああいうやっぱり
本当になんだろうな
ああいう発想ってやっぱり
本当に
個性的で個人的なものじゃないですか
だからおそらく僕が思ってる発想ってのは
他の人はあまり思わない発想なのかな
なるほど
だから被ることはないのかなと思いますけどね
そうかそういう感じなんですね
そしてですね
せっかくこれも聞きたいなと思うんですけど
どんだけ忙しくて美術のことばっかやってたら
美術以外で趣味とか
演劇見たりとかは
演劇はさすがに
あまり見に行かなくなっちゃって
映画は好きでよく見てたんですけどね
コロナに入ってあまり見てないですけど
ただまあ
もちろん
趣味ですというぐらいは見てるけど
のめり込むまではなかなかね
へえ
やっぱ美術です
美術にのめり込んじゃったっていうのが
致命的だったかな
39:00
致命的ではないですよね
でも
あれですね
割合好きでやってることっていうと
一つは
物理学の入門書を読むのが好きなんですよ
へえ
特に
最新の量子力学とかね
もうすでに相対性理論あたりからそうなんだけど
わけわかんないじゃないですか
はいはいはい
それを物理学の専門家が
すごく噛み砕いて
説明してくれる本ってね
読んでるとすごい楽しいんですよ
読んでるとわかった気になるんだけど
一冊読み終わると
結局量子って何?みたいな
読んでる時は楽しいけど
戻っちゃうんですよ
また別の人が書いた入門書を
また別のアプローチで
それがまた新鮮で
ほうほうほう
結構ね量子論の本だけで
七八冊は読んでるんだけど
未だに飽きなくて
今別の読んでるんだけど
へえ
そういうの美術に絡めてみようとかはないですか?
絡めてみようってのはないけど
自分が文章を書く時の
参考にはしてますね
つまりこの難しい話を
どうやって噛み砕いて
書くのかみたいなね
そうすると絶妙の比喩が
使ってあったりするわけですよね
上手いなと思いながら
そういうのはなんかこう
大事ですよね
今だって本当に
人の文章から学ぶことってすごく多いので
それは反面拒止になる場合もあるけども
やっぱりすごく
面白いなと思って
それは面白いから読んでるんだってね
勉強しようと思って読んでるわけではないんだけど
なんかそんなことやったりとかね
ほうほうほう
体を動かしたりとかもあるんですか?
体はね、そりゃこの健康のために
と思って水泳を
週一回
行ってもいいよ
休むときってあるんですか?
だからね、それが
なんか
僕の
いけないところというか欠点なんだけど
ぼーっとできないんですよ
(笑)
僕もそのタイプなんで
ぼーっとしてるとね、なんかすごい罪悪感に
なんかもったいない感じがする
もったいないというか、なんかね
俺はやらなきゃいけないんじゃないかみたいな気持ちになっちゃうのがね
だからその
歯磨くでしょ?
歯磨く間ね、ぼーっとしてるのがね
なんかすごい
テレビつけたりとか
僕必ず
本を読むんですよ、歯磨きながら
歯磨きながらですか(笑)
本を置いてあって、そこでこう
歯磨く間に読めるページって
1ページとか2ページなんだけど
でもね、それでね結構体調が読めるんですよ
それを毎日
歯磨いてるわけですからね
半年くらいで結構本が読めたりするから
だから普段なかなかほら
読みたくないような
ごっつい本があるじゃないですか
そういうのを歯磨きしながら読む人がいる
(笑)
貧乏症なんですよ
のんびりしてらんないっていうかね
42:00
ぼーっとしてられないんですね
ぼーっとするのもいいなと思うんですよ
雲がなんか見てね
だけどぼーっとしてられるのが3分間くらい
でも僕もそのタイプだから
あれなんですけど、お風呂とかってどうですか?
お風呂は忙しいですよ
お風呂に入っている間
僕もぼーっと使うことができないから
それこそ本を持っていくとか
もしくはすぐ出ます、洗って
どうですか?
僕はね、お風呂に入っている間は
ストレッチとかね
暗唱したりとかね
ただ使っていることはできないんですね
できないです
ぼーっとしてられるのは本当に30秒くらいで
さあ何やろうかみたいな
じゃあ睡眠時間とかも短いですか?
睡眠はとってますよ
睡眠は7時間から8時間とるように気をつけてます
えー
ちょっと話を少し戻したいのもあるんですけど
そんなに忙しくやってきて
美術展もいっぱいやってきてますけど
この仕事やっててよかったなって思う時というか
よかったなはもう
始終思ってますけど
なんだろうな
退屈しないというか
いまだにっていう
もう毎日基本的に同じことをやらないじゃないですか
展覧会も違うし
一つの展覧会でもやることがいっぱいあるから
そうするとね、仕事そのものが楽しいというのとは違うんだけど
飽きずに続けられるんですよ
もともとだから僕は本当に長年この仕事をやってきて
わかった自分の一番重要な性格というのは
飽きっぽいことだなと思って
実際は本当は
だからね、ちゃんとした研究者にはやっぱりなれないんですよ
研究者って一つのことをずっと突き詰めて深くやってるじゃないですか
それもすごい狭い分野のことを
そうしないとその分野のやっぱりエキスパートになれないんだけど
それはね、多分僕にはできない
もう
そんなことを何十年もは絶対無理ですみたいな
そういう性格なんですよ
じゃあ例えば今までメスキータや不潜鉄とかやるじゃないですか
展覧会に出すと掘るわけじゃないですか
終わった後どうするんですか?また
終わった後はだからね、意外に
さらっと次が
そういうことですよね
だからそこをずっとメスキータの第一人者になろうとかではない
ではない
そこでもう自分が納得いく展覧会になったら
もうそれで、じゃあ次だなっていう感じ
でも逆に言うと見る側からしたら
富田館長が空きっぽいからこそいろんな展覧会が見れるし
いろんな人知れるんだなって今は納得します
まあそうではありますけどね
だから僕はもうちょっとやっぱり
本当はもうちょっと深追いをね
だから次の展覧会に移るにしてもね
もう少しいろんなことを突き詰めていける性格だったら
僕はすごい学芸になっていると思いますけど
いやいやいやもう十分だ
45:00
だから僕は本当にその展覧会もものすごい数をね
やってきているというか
あるいは僕の体の上を通り過ぎた展覧会もいっぱいあるんだけど
だからその
例えば全くの巡回展であっても
多少は勉強するわけですよやっぱりね
それはちゃんと展覧会成立させるためには
自分で知識がなきゃいけないので勉強するんだけど
すごいだから引き出しはおそらく多いと思うんですよ
ただその引き出し開けるとそこがすごい浅い引き出しという
それが僕の学芸人生なんだなぁと思うことはありますね
ちょっと羨ましく感じるんですか?
そのほれってる学芸員さんに対して
羨ましくというよりも
本当にその尊敬をしますよそれは
すごいなぁと思うし
やっぱりそういう人が研究者としてね
高く評価されるし
それがねすごいことだと思う
自分にないものだなぁと感じるし
そっかそっか
でも僕はどっちかというと
僕も広く浅くのタイプなんで
そこが通ずるとこが勝手に親近感を持っちゃった
でもやっぱりその日本の社会というかね
一つのことにこうやった方が評価されるんですよ
それは画家でも同じですよ
絵描きなのにデザインもする
写真も描く想定も作るみたいなね
人ってのは意外に評価されなかったりするわけですよ
なるほど一個突き詰めるタイプが
なんとかどうみたいなね
道を突き詰めた方が評価される
それはすごくよくわかるし
僕自身もそれすごいと思うんだけど
一方でそのいろんなことをやるっていうことも
まあ言ってみれば才能の一つじゃないかなと
それはそれでね個人的には僕は自分
ある意味ちょっと評価してもいいかなみたいな
気持ちもないわけじゃない
でもそれが本当に良かったのかどうかはわかんないけれども
少なくとも自分自身が面白がってやってこられた
っていう面ではねそれも悪くなかったかなという
それでちょっともう一個思ったんですけど
これまでいろんな展覧会やってきたじゃないですか
でも現代アーティストの展覧会ってステーションさんやらないから
現代アートを追ったりはされないですか
現代アートもやってるんですようち
何回かは見てるんですけど
現代アートの人一人いわゆる個展みたいな方
個展はねうち現存作家の個展ってあんまりやらないので
そういう意図本質は
現代アートの個展っていうのはなかなかないんですけど
でもここで一番最初開館した時の始発電車を待ちながらっていう
グループ展みたいな感じで
あれは一応僕が企画した展覧会で
じゃあもう現代アートも抑えてらっしゃる
抑えてるっていうことじゃないけど見にはいくし
その頃は特に現代アートを僕よく見てたので
48:01
人生も含めてね一応僕のアイデアで作った展覧会なんだけども
現代アートって最近だいぶお客さんが入るようになってきたけど
一頃は本当に現代アートってお客さん入らなかったから
本当ですか
特に1980年代90年代ぐらいの現代アートっていうのは
なかなかやっぱりお客さん入らない
そういう時代があって
でもその頃に現代アートって面白いなと思って僕は見てたので
だから今はその現代アートがすごく脚光浴びてるのを見ると
本当になんか嬉しいというか考え深いものが
じゃあそうなると現代アートはもうある程度
いろんな森美術館さんとかいろんな原美術館さんもあって育ってきたなと思うと
じゃあこれがやっぱり前半にも言ったように近代絵画
もっと盛り上げていきたいなっていう気持ちやっぱすごい
今改めてその現代アートを作家を見つけてきて売り出そうみたいなことは
うちがやらなくても多分一回やってくれるところもあるし
そうじゃなくてやっぱり光がだんだん当たらなくなってきてる分野
それがまあ描画であったりというところがやっぱりちょっと
ずっとやり続けていきたいなという気持ちはありますよね
近代描画、今後ステーションギャラリーの年間スケジュールなどに見ていただくと
これ富田館長が仕込んだなってのがわかるわけですね
僕が仕込まないまでもうちの学園がやるっていうことで
近代描画はちょっとやっぱり出国続けていこうみたいなところはありますよね
ちなみに今やっている展覧会というのはやりましたけど
今後予定されているもので館長がやるのは決まってて
もう告知できるのってあるんですか?
今年、今年度でいうと最旧像の展覧会をやります
それこそ洋画で近代描画
しかも王道ですけどね
じゃあ何かちょっと仕掛けるもあるんですか?
まあ仕掛けるというか
王道であえてやるっていうパターンですか?
そうですね、これは大阪の中之島美術館とね
中之島美術館って最近の大コレクションを持ってましたから
山初コレクションっていうね
それで大阪の中之島美術館が企画して
東京で巡回をするのにやってくれませんか?というご提案があって
もう喜んでやらせていただきました
これはちょっと楽しみですね
だから僕自身は、展覧会は中之島の優秀な学園がいるので
その人が中心になって作っているんですけど
僕はまあだから図録に文章一本書くぐらいかなと思ってますけど
なんか再起もやっぱりすごい気になる画家で
なんかちょっと自分なりの再起像みたいなものが
提示できたらいいかなと思ってますけどね
それはぜひ展覧会に皆さん発表をしていただきたいと思います
じゃあ今後ともぜひよろしくお願いします
51:01
ということでそろそろ収録終わろうかなと思うんですが
どうでした?もうどうでしたって聞くのあれですけど
いや、こんな話でよかったんですか?
全然大丈夫ですよ
でもまだまだ話足りないんじゃないですか?
足りないってことはないですけど
話せと言われれば話せますけど
あんまりそんな僕の話はそんな面白くないと思う
そんなことはないです
じゃあちょっとゲスト出演いただきたいなと思いますし
これの前の回に岡田美術館の小林忠史館長に出ていただいたんですけど
小柱さんも演劇生
それは初めてです
演劇対談
いやーそれはちょっと立ち打ちできないかもしれない
しかも役者志望だ
富田さんがちょっと技曲を書いていただいて
小林さんが演じるっていうスペシャル回もぜひこの番組で
恐れ多いですね
意外な共通点も見つかったのでよかった
またぜひ今後どうもよろしくお願いします
はい、こちらこそよろしくお願いします
ありがとうございました
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おわり
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