00:00
♪
はい、アートテラートニーのそろそろ美術の話を
この番組は私アートテラートニーがハートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
本日は東京ステーションギャラリー館長
富田明さんをゲストに投稿していきたいと思います
♪
ということでゲスト出演ありがとうございます
はい、こちらこそよろしくお願いします
ちゃんと喋るのは初めてかもしれないですよね
そうですね、立ち話しぐらいですよ今まで
だいたいギャラリーでない段階に行って
ちょっと店内から感想を言ってみたいな感じなんですね
僕が今日言おうかなと思ったのが
一番最初に話しかけられたのを覚えてるんですよちゃんと
おぉ、いつですか?
僕が芸術新聴で「チクチク美術部」って連載をしてて
あれが終わった2ヶ月後くらいだったと思うんですけど
館長がつかつかっときて
あの連載終わったねみたいに言われて
いつうちに来るかと思って
待ち構えてたよみたいな
終わったんだなくらいの感じで言われて
あの連載結構業界大ではあまり評価良くなかった
評価というかチクチク言うから
行くたびに出禁になった場所もあったりしたんで
僕はね、ちょっとチクチク言われたいなと思ってて
そうおっしゃっていただいて
だったら早めに言ってくれれば
こっちも心置きなくチクチクできたのになみたいな
やっぱり日本の美術秘書ってさ
批判が少ないんだよね
批判しづらいっていうところがあって
もちろんみんなそれぞれ厳しい中でやってるから
その批判するのをかばかるっていうのはね
やっぱりもっと育てるために褒めようみたいなところがあるんだけど
やっぱりきちんとした批判がないところに成長はないから
そういう意味ではすごくいいページかなと思ってて
芸術新聴も偉いなと思ってたんだけど
なんかね、なくなっちゃったから
ちょっと残念だなと思ってたんですよ
でもその終わった後あれですもんね
引き継いだのが元ここのギャラリーの
なりあいさんって方が引き継いで
ちょっとチクチクやってたからね
学芸員なのにチクチク学芸員して
すげえなと思って見てましたけど
でも実際例えば
もし例えば彼女が展覧会を批評されたとするじゃないですか
内心はムッとはするんですか?
見当外れだったらムッとするかもしれないね
だけどムッとしたとしてもそれはその人の見方だから
俺だってよその展覧会見て
キックがないとか思うことあるわけだから
それはそれでそういう意見としてあってはいいと思うし
ほら最近ネットでみんないろんなこと言うじゃない
だから本出すとさ
書評ですね
勝手なこと言わせる
03:00
いやいや勝手なこと言うと悪いけど
言う人はいるんだけど
でもそれはそれで一つの意見だなと思って
別に闇夜で間違わないようとかは思わないですね
でもチェックはするんですか?
一応何言われてるかなみたいな
いやチェックはしないけどたまたま目に入ってくることってあるよね
それこそ美術館にクレームじゃないですか
投稿じゃないですけど美術館に連絡くることってあるんですか?
直接くることはないんですけど
アンケートなんかをやると
かなり的々しいことを書いてくる人はいますね
今まで言われた中で印象的なのってありますか?
いや特に覚えてないんだけど
ただあのなんだろうな
こんな点なんでやるんだとかねくだらないとかね
全否定みたいなものもあるわけですよ
でもそれはそれでやっぱり見に来た人の素直な感想だし
たまたまその人と趣味が合わなかったっていうことなのかもしれないし
それはそれで僕はすごくいいと思うんですよ
そういう人もいるんだなっていうことで
だからそれを一方的に拒絶するというのもおかしいし
もちろん全面的に言うことを聞くわけじゃないけれども
そういうものが自由に行き交うのが健全な
確かにそうですよね
僕は自分もブログは一応ちゃんと素直に言うようにはしてるので
(笑)
失礼
今後もじゃあ心置きなく
でも大歓迎です
わかりましたそれはありがたいです
ということで
とはいえ僕は東京ステーションギャラリーの点なんかいつも
褒めてるって言ったらなんかコビューって感じになりますけど
僕は好きな美術館の一つですから
僕は知ってますけど改めまして
東京ステーションギャラリーについて教えていただきたいなというふうに思います
どんな美術館ですか?
そもそも美術館なのかギャラリーなのかみたいな
名前はギャラリーですけど実体は美術館ですよね
ギャラリーって別に美術館という意味もあるので
いわゆる画廊と勘違いされる方もいるんですけど
商業的な画廊とはちょっと違う
運営してるのは東日本鉄道文化財団というJR東日本が作った財団法人
これは同じ参加に大宮の鉄道博物館がありましたから
かなり大きい財団なんですけども
その中の一部も
鉄道博物館はどっちが先に開館したんですか?
それは鉄道博物館です
古いんですね
鉄道博物館はもう長い歴史を持っていて
もともと秋葉原にありましたよね
僕子供の時に行きました
それが移転して鉄道博物館という形になって
ステーションギャラリーの方はオープンしたのが1988年
88年というのはどういう年かというと
国鉄民営化がその前の年なんですよ
06:01
JR東日本になったということですか?
87年にJR東日本になって
その翌年ということは
すごく実は象徴的な意味があって
民営化した時に国鉄は
サービスとは何かってことを考えるようになったわけですよ
これは僕がその頃テレビニュースなんかで
民営化のニュースを見てると
国鉄の職員がデパートに研修に行くわけ
それまでは鉄道の人だけだったけどってことですか?
駅員だった人たちはね
何の研修かというとお辞儀の研修なんですよ
それまでお辞儀もしてなかったくらいという
失礼な話
威張ってるイメージだったんでしょうね
商売的なイメージだったんですか?
それでサービスよりも安全ということを
第一に考えるわけだから
サービス二の次だったんですよ
だけど民営化した以上はやっぱりサービス必要だろう
みたいなことだったと思うんですよ
僕が想像するように
例えば、餌食は15度とかね
お礼は30度とかね
お詫びは90度とかね
そういうデパートのマニュアルを
勉強してるわけですよ
それとか、女性の有識者会議みたいなのを開いて
国鉄というか新しいJRに要望することみたいなね
そうすると、小入れが汚くて入る気はしないとか
そういうことが出てくるわけ
それはすぐ改善していくみたいなね
そういうことを、要は87年に民営化してから
一気に国鉄がやり始めたんです
もうガラッと変わったんです
その時、東京駅の中に
空いてるスペース、使ってないスペースがあると
それを使って何かこう
お客様にサービスできないかっていうのが
発想だったんじゃないかと僕は想像してるんだけど
あれ、東京ステーション、ホテルみたいなのもあったじゃないですか
ホテルはありました
それ以外に、空いてる部屋がいくつかあったわけです
ホテルはもともとあったんですか
もともとあった
でも、空いてる部屋があったと
ホテルは今よりずっと小さかったですから
で、おそらくそこを使って美術館にすれば
駅を利用するお客様に
すごくサービスになるんじゃないかというような
発想でおそらく作られたんですよ
だいたいでも1984年代後半って
公立美術館もいっぱい増えたりとか
世の中的にも美術館が増えていったタイミングでもあると思います
公立美術館、それから私達のデパート美術館とか
そういうのがどんどん増えてきた時代なので
そういう中の一つとしてアイデアが出てきたんだろうと
それをコレクションは持ってたんですか、その時JRで
いや、大したコレクションはなかったと思います
で、もちろんJRというかコンテストが長い間に
蓄積してきたものは若干はあったと思うんですけど
別に美術品を集めるための組織じゃないから
大したものはないと思うんですよね
じゃあ結構見切り発車
見切り発車というよりも結局そこを展示スペースにして
そこに展覧会をやれば
09:01
百貨店的な感じのイメージだったんですか、最初は
最初の頃は結局専門家もいないわけだから
それこそまさに百貨店のサイジをやってた人とか
あるいは企画会社の人とか
そういう人たちをおそらく食卓みたいな形で雇って
それで展覧会を作ってもらってたっていうね
そういう時代がちょっとしばらくあって
だんだん大勢が整ってくるわけですよね
財団ができるのが90何年かなので
財団ができてからは財団に移行して
そしたら大勢をきちんとしようということで
学芸員をきちんと置き、展覧会も
結構学芸員さんが入るの遅かったんですね
最初の頃も一応学芸員って名門で入ってるから
遅かったってことはないんだけど
仙林の学芸員を置いてみたいなことで
大勢が整っていって
財団法人になって
徐々に美術館としての組織を整えていくと
ただし設備は1年くらいで作ってるわけだから
大したあれじゃないわけですよ、要は
ある部屋を利用しただけだから
今の美術館になる前も僕一回行ってるんですけど
前は東京駅のほぼ中心にありましたよね
中央というか
面積も今の3分の2以下だし
2階にあったのにエスカレーターもエレベーターもない
そういう時代があったんですよ
これを今の場所
だから場所としては何口になるんですか?北口改札
ここに起点するきっかけは?
それは東京駅の復元工事
2006年から2012年にかけて
東京駅ってもともと3階建て
辰野金吾の3階建ての建物だったんだけど
3階部分が空襲で焼けちゃって
戦後仮の屋根を3階を取っ払って
仮の屋根を建てて
それがずっともう50年以上続いたわけですよ
それを創建当時の姿に戻そうというのが
2006年から始まった工事で
同時に建物も面新にしようということで
その工事をやる時に
ガステーションギャラリーも場所をちゃんと移して
きちんとした設備でちゃんと作りましょうと
ということでその工事が行われた
何年休んでた?
2006年に休館して
2012年に再開館した
6年休んでたんですね
5、6年休んでて
再開館した後は今の美術館ですから
きちんとした空調設備それから保安設備がついていて
設備的には一人前の美術館になった
12:05
富田館長はどこから立ち会わせたんですか?
僕は復元工事の途中で来たので
美術館の場所も部屋割りというか
構造も基本的にはできている段階で
あとは内装をどうするか
例えば床をどうするかとか
壁をどうするかとか
そういうのを決めているような段階で僕は来た
ステーションギャラリーの行かれた方は
特徴的だと分かっていると思いますけど
レンガ壁、当時の剥き出しのというか
2層になっているので上の階は白い壁
下の階になるとレンガの壁
上の階は復元した部分なので
鉄筋コンクリートなのかな
だから白い壁にして
下の階は元々の100年前にできた
骨体が残っているわけです
それは鉄骨レンガ造りなんです
鉄骨レンガ造りなんだけど
鉄骨の周りに5~60cmの幅で壁を作っているわけです
それは構造レンガというもので
建物の外側はその上から化粧レンガを張っているわけです
僕らは外から見える側
化粧レンガというよりは板ですよね
レンガ色した板をペタペタ張っているわけです
内側は漆喰を塗っているわけです
レンガが構造になっているということですね
鉄筋コンクリートの代わりみたいなことですよね
だから構造レンガは誰の目にも触れていないわけです
外側からも内側からも全部隠されているわけです
なんで剥き出しにしようと思ったのですか?
最初のステーションギャラリーが1988年にできた時に
工事の時に漆喰を剥がすわけですよね
そしたら構造レンガが出てくる
それがすごい雰囲気がいいから
これを展示室にしようと思ったんです
当時のマズセンギャラリー
それが最初にできたステーションギャラリーの一つの売りでもあったんです
じゃあ今回移転する時もそれは残そうというアイデンティティ的なところがあったんですか?
レンガの壁を見せられるところは全部見せようと
ということで展示室、階段、ともかく全部
剥がせるものを剥がして
これでも本当に特徴的じゃないですか
日本の美術館に行っているけどあの壁は見たことがないじゃないですか
あれって展示する側としては大変じゃないですか?
技術的な問題を言うと大変です
例えばどういう意味ですか?
額を掛けても、額ってやった方はわかると思うんですけど
ちょっと頭が拝むんですよ
上の方が斜め
ちょっと手前に来ちゃうんですよ
15:00
それを抑えるために普通はワイヤーで吊るす時は
そのワイヤーを壁にガンタッカーっていって
でかいホチキスみたいなやつで止めていくわけですよ
ワイヤー止めるとペタっとこうなるわけ
ところがレンガの壁だとそれができないわけです
ってことは必然的にお辞儀しちゃう
それをどう解消するかっていうのでものすごい苦労したんですよ
どう解消したんですか?
最初のステーションギャラリーの時は
レンガとレンガの間の目地の部分に金具を打ち込むようにして止めてたんですよ
ところが復元工事をしたんだけど
ステーションギャラリーが十分になっちゃったので
14分割剤に傷つけられないってことですか?
打てなくなっちゃったんですよ
アパートの借家みたいな感じですか?
釘打っちゃいけないぐらいになっちゃった
お金では勉強できないから
それでどうするかってすごい色々苦労して
裏に1枚板をやってそれを板を吊るしてそこにかけたらどうかとか
ものすごい色んなことを試したんですよ
その施工屋さんにも相談して色んな金具作ってもらったりとかね
なかなかうまくいかなくて
最終的に今は小さなピースで市販のものがあって
電線なんかを壁に押さえたりする時のための小さなハトメみたいなのがあるんですよ
それで押さえてるんですか?
それが実はものすごくうまくいったっていう
しかも超安価ですね
そこに至るまでに5,6年かかってる
重要文化財になったらいいことづくめじゃんって一般的に思うじゃないですか
普通の建物よりもだって重要文化財でしょってなるけど
使う時には買えて勝手に買えられないからね
だから技術的な面ではものすごい大変だったんですよ
今ようやくある程度楽になりましたけど
ただ展示効果っていう面ではすごく逆にいいところばっかりあるわけですよ
僕ここに来た時最初はレンガの壁ってちょっと作品を選ぶんじゃないかと
作品はものによってレンガの壁だとよく見えなかったりするから壁を建てなきゃいけないんじゃないかとかね
隠さなきゃいけないんじゃないかみたいな
色々考えてたんだけど
いろんな展覧会やってみると意外に何でもいけるんですよ
本当ですか?万能なの?
古い作品はもちろんだけど現代アート置いても全然おかしくないし
それから立体平面どっち置いても
トンカルすごくよく見えるわけですよ
逆にまっすんですね魅力が
その部屋の雰囲気がいいから展覧会自体も
ものすごく見てる方が愛着持つって言うと変だけど
18:01
とても楽しそうに見てるわけですよね
だからレンガの壁はものすごい結果的には得をしてるな
今それ聞いて確かにと思っちゃったのは
展覧会やってる人には失礼なのかもしれないですけど
来るじゃないですか展覧会
基本的には上の階というか新築の部屋から見るんで
ただどっかで内心早くレンガの壁行きたいな
あの階をちょっと早足になる傾向がある気がする
ただねうちの一つの美術館の中で
いわゆるホワイト級の空間とレンガの空間があって
これはねすごく逆に良かったなと思っていて
つまり途中で空気が変わりますよね
でも一つの展覧会というね
それがレンガで始まってホワイトキューブに行くと
ちょっとしらける感じになるんだけど
ホワイトキューブで始まって途中からレンガに行くと
ここでまたちょっと一段ギアが入るみたいな
だからすごくリズムも良くなるし
軽い前菜食べてからのメインディッシュみたいな感じはありますか
まあかなしもね作品が前菜って話してたけど
でも展覧会見る時の一つのリズムとしてはすごくいいなと思っていて
でもその時って例えば作品も上に合うなレンガに合うなもあったりするの?
例えば時系列で並べる時なんかはもうしょうがないじゃないですか
だからそれが僕が心配した部分で
つまりレンガに合う作品合わない作品を分けるのかなみたいなことを思ってたんだけど
意外にレンガには何もかも合うもんだから
あんまり気にしないでいいわけ
さっきおっしゃってた時にやっぱ魅力が増すじゃないですか
2択で選んだ時にこれはなるべくレンガの方に展示したいな
これはちょっと上でいいかなって考え方になるんですか
いやそれもだからあんまり考えないですよ今
ホワイトギューブはホワイトギューブでね
それはそれでもちろん美術館の一つの在り方であって
だからそこはそれで見せて
その後レンガに行ってっていうことで
もうその手の中に構成まずありきで
それを当てはめていくってだけの話なんですよ
なるほどそういうことなんですね
でもそれがそんなに違和感なくね
途中に階段が入るっていうのもあるけども
問題なく割合見れるなと思って
ってなるとでもあれじゃないですか
ここって慣れちゃうと
もし次なんかどっか行くとしたら
物足りなく感じちゃうんじゃないですか
次もどっかもうないかもしれないけれども
でもどうだろうな
それはそれで行った先でっていうことだと思いますけどね
うちの学園で他に移る人もいるわけだけど
それはそれで行った先で多分そこに合わせた
展示をやると思うし
そういうのは多分あんまり気にしてない
ということで展覧会いろいろとやってきた話を
ここからしていきたいなと思うんですが
あれですよね
今当たり前のように
富田館長が僕はこういう企画してって言うじゃないですか
普通なかなか館長が自らやることってあんまないじゃないですか
21:01
全体的に見ると
一本の展覧会を担当するという意味ではあんまりないです
なんでずっと現役でやってらっしゃるんですか
僕がここに来た時の話からなるんだけど
もともと僕は館長のつもりじゃなくて
立場的には副館長みたいなことで来てくださいと言われたんだけれども
その時にうちは学員がすごく少ないので
展覧会も担当してほしいんですよと
はいはいなるほど
一応副館長ってタイトルだけど
学芸部長みたいな管理しかないみたいなつもりで僕はここに来てるんで
ここに来ることに決まった後で
途中からその財団の人から
すいません館長になってもらうことになりましたって言われて
もう決まったんですね
それはもう財団で決まってて
そうですかって感じなんだけども
でも学員としての仕事は当然やらないと
人数が少ないから回っていかないわけですよ
年に一応5本とかね
今5本で学芸生も何人いる状態になるんですか?
今展覧会担当している学芸生が僕入れて4人しかいないので
じゃあ1人1本じゃ足りないんですね
1本だから時々誰かが2本やらなきゃいけないみたいなことが
大変です
そういう状態で来てるので
つまり僕が担当しないってことは今あり得ないわけですよ
なるほど
僕が担当しないと3人で回さなきゃいけない
それはさすがに大変じゃないですか
なんか夜勤のバイトの話聞いてるみたいですよ
スケジュール店長も自ら入らなきゃいけないみたいな
だから1年に1本担当店持つっていうのもね
結構これも大変なことで
ちょっとだから無理を言ってることになるんだけど
他の美術館に比べるといわゆる常設展示のスペースがないとかね
そういう若干の有利な点はあるんだけれども
それでも結構みんな大変な状態ではありますね
年間5本ペースをこれを4本に変えようとかそういう発想は逆にならないんですか
去年と今年は4本なんです
コロナもあって
コロナもあって4本にしたんですけども
4本にすると結局1本ずつの回帰がなくなりますよね
これが結構ネックになるんですよ
回帰が長い方が楽できるなって勝手に思っちゃってるんですか
もちろん楽できるんですよ
ただ例えば純回転で他の館と一緒にやる場合に
あんまり長い回帰を取っちゃうと
トータルの借用期間がすごい長くなるんですよ
そうするとそんな長い期間貸せないよみたいなことが出てくるんですよ
その作品も他の借りる美術館で当然展示するわけだから
だからそういうのを考えると
一つの展覧会でうちとしては3ヶ月やれればすごく楽なんですよ
年間3本やれば
24:01
これはね余裕で回せるんだけど
なかなか全部そうはいかないんですよ
そっかじゃあ5本ぐらいがちょうどいいんですか
5本ぐらいがちょうどいい本当はね
年間それどれくらい前から企画して考えてるんですか
2,3年前にはもうそこが決まる
何をやるかは決まるという感じですよね
僕もこの番組でも実は一回言ったことあるんですけど
本当ステーションギャラリーさん毎回当ててくるな
当ててくるって言い方も変ですけど
例えばルノワルテンやったら当たるでしょみたいな感じなんですけど
毎回よく誰だかわからない人持ってきて
誰やねんってなって面白かったが多い印象なんですよ
他の美術館以上に
なんで毎回この誰やねんを持ってこられる
意図的なんですか
意図的な部分もありますもちろん
というのはこの美術館ってその入り口がね
東京駅の北口ドームに面してるじゃないですか
あそこ当然改札があって改札からわずか5秒というね
一番近いアクセスがいい美術館
僕は世界一アクセスがいいって言ってるんですけどね
誰もクレーム行ってこないから
今のとこ一番だと思ってるんですけど
遠いクレームのところ広いところあるけども
それはすごくいいんだけれども
逆にあそこ毎日何万もの通勤客が通るわけですよ
よくニュースの部位で通勤って言ったら
あそこから出てきた後の横断歩道絶対使われますよね
そうなるとあそこに行列が作れないんですよ
美術館の前に行列が作れない
長い行列作っちゃうと通勤のサムタイムになる
そこから大手町に抜ける人の邪魔になっちゃうから
だから行列作っても壁際によってちょっと短い行列しか作れない
そうすると必然的にあんまりたくさん入っちゃいけないわけですよ
なるほど
僕が入る最初にここに来た時に
あんまり客の入るってやらないでくれって言われて
逆充填何時間待ちなんてやろう日には
やろう日には大変な詐欺になっちゃうから
それやらないでくれと
五個展とかね、もね展とか
そういうのはよその美術館でやってもらってくださいと言われたわけですよ
じゃあ何やればいいんですか
そうですよね、もうじゃあやらなきゃいいじゃん
それまで入れろ入れろって言われてきたからね
ずっと立ち回り立ち回り
入れなくていいって
何やればいいんですかって言ったら
一般の人ももちろんだけど専門家もちょっとね
唸るようなね
そんなものをやってくれって言われたんですよ
強な展覧会を
ってことは
じゃあ好きな展覧会やっていいのね
それだけでも嬉しかった
そりゃ嬉しいですよ、そんな美術館ってないから
じゃあ人が入らなくてもそんなに怒られることもないしっていう
そのプレッシャーからは解放される
解放されるし
27:01
自分が今までやりたいと思ったけどやれなかった
展覧会を実現できるわけだから
これは素晴らしい美術館に来たと思って
で
すごく渋いラインナップで始めたわけですよ
とはいえ何か
ここはやっちゃいけないもあったりするんですか
本当に何でもいいってことではない
やっちゃいけないってことは特に言われなくて
ただまあその
柱的な部分はあるんですか
それまで東京ステーションギャラリーってやっぱり
活動してきてるわけだから
そのDNAみたいなものがね
受け継いでいかなきゃいけないなと思ったんですよ
その時にじゃあ何かっていうのを見た時に
実は開館当初から
渋いというのがやってるわけですよ
そもそもですか
そもそもこれ誰みたいなね
富田館長でも誰それみたいな
誰それみたいなのをやってるわけですよ
それがまあ僕はすごく面白くて
ステーションギャラリーの特色の一つだなと思ってたから
それだと
そこを継承していこうと
つまり忘れられた画家とかね
あるいはこれまで全然光当ててこられなかった分野とか
そういうものに光を当てて
それをきちんと調べて手の中にするってことをやれば
当然客が入らないだろうし
当然客が入らないってのはいいですよ
いいんですよ
そういう展覧会やれば
財団からの要望に応えられるし
自分のやりたい展覧会もできるし
いいなと思ってそれで始めてるわけですよ
でも客が全く入らないことがないのがすごいですよね
やっぱり口コミで
ある程度は入るんですけど
でもねそう思って始めたんだけど
それが実は誤解だったというか
単なる人日用狩りっていうことが2,3年後に判明して
つまりそれまでのステーションギャラリーよりも
さらに客が入らなかったんですよ
渋いことやりすぎた結果
2年目ぐらいだったかな3年目ぐらいだったかに
財団の人と話した時に
いや館長集客は全然いいんですこれで
収支をもうちょっと改善してくれって言われて
さすがに赤字が大きすぎたのか
入場料は変わらないわけですから
グッズが売れない的なことですか?
というよりもやっぱり人数もちょっと減ったし
それまで年間15万ぐらい入ってたのが
12万ぐらいになってるわけですよ
人数が減ってるしね
だけど新しい美術館になって
金は余計かかってたんですよ
空調とかいろんなことを含めて
だから収支はこんなにひどくなることは
想定してませんでしたみたいな感じで言われたので
そうかとやっぱりそうだよね
30:02
そうですね3年かかっちゃったんですね
公益財団法人だから儲けちゃダメなんですよ
利益をいたずらに上げちゃいけないんだけれども
そうは言ってもマイナス部分がこんなに大きいと
ちょっとさすがにね財団の運営としても厳しいと
それをもうちょっと改善していこうと
改善するためには一つは入場料金の値上げっていうのはあるんですよね
それはやっぱりあまりやりたくない
最後の部分かなと思ってて
そうなるとあとはもうやっぱり
入場者数をちょっと増やすしかないことがあるので
その頃から展覧会の方向性も
大きく変えるわけじゃないんだけど
若干ポピュラーなところもちょっとやるみたいな
そういう感じなんですね
ただ要は知名度の高い作家をやる場合に
ただそういう名前でやっちゃうとね
東京ステーションのギャラリーっぽくないから
逆にお客さんも来すぎちゃうから
そのビッグネームやる場合はちょっといろいろ考えようよと
例えばあれですねシャガールの時ですよね
シャガール展はシャガールと言いつつ
シャガールの彫刻作品立体作品をやるみたいな
シャガールの彫刻なんて
シャガールって彫刻作ってたの?みたいなね世界だから
誰も知らない
多くの人が知らない
そういうのをテーマにしてやるとか
なんかちょっとずらしながらやってたわけですよ
相変わらず渋いというのが渋いというのがある
ただ後方はちょっと強化しようと
それまで後方なんてほとんど
してなかったんですか?
してないというかやってるんだけど
担当の学芸員は片手間でやってたんですよ
まあそういうもんですよね
実際は集客いらないと思ってたから
それでいいなと思ってたんだけど
そういうことを言われて
その頃やっぱりさすがにやりだしてみるときついから
一人増やしてくれっていう話を材料と交渉していて
ようやく一人増やしてもいいよっていう話になったので
その時に学芸員じゃなくて
後方担当を取ったんですよ
それで後方をちょっと強化しようと
今現役でやられてる
他の美術館からいらっしゃってますもんね
彼女は後方担当になって
そうするといいことはいろいろあって
つまり後方もちゃんと計画的にやれるし
それから学芸員が結構
後方が負担になってたってことが分かって
つまり店内の準備の忙しい時期に
後方の依頼がついづい来るわけで
写真稼いとか何とか
取材の依頼も来るし
その対応が結構ストレスになってたんですよ
解放されたんですねそこから
そこからすっかり解放されたから
学芸員の人数増えてないのに
すっごい気分的にはみんな楽になったって
33:03
なるほどいいことづくみですね
それすごくよくて
後方が来たことで計画的にきちんと後方ができるようになって
そうすると周知もできるようになるから
マイナーな展覧会も
それまでは
え、それやってたの?知ってたら見に行ったのにみたいな
後から
話がだいぶ少なくなってきたわけです
見たい人が来てくれる
そうするとそれなりに
講習客も増えていく
いうようなことで
なるほど
渋いけれども
お客さんが入るっていうのは
後方をきちんとしたということが一つと
それから我々の方も
展覧会作る時に
売り方を
学園もいろいろ考えるようになってきて
この作家だったらどういう風に売ったらいいかね
みたいな話が
もう企画の段階から
後方を交えて
みんなで話ができるようになってきたっていう
そういうところも
なるほど
じゃあ僕メンバーで
皆さんでこの展覧会やろう
やっぱり共有するんですね
企画会議的な
学園会議で決まらないとダメだし
その学園会議で何をやるかっていうのは
結構シビアな場で
つまり
ダメって
館長が例えば
富野さんがこれやりたいって言っても
みんながそれはってなった
ってことはありました
これはちょっとうちじゃないよね
みたいな話になるんですよ
でもそれ聞いて今ふと思い出したのが
やっぱり東京セッションギャラリーさんならではだなと思うのが
岸田隆盛の展覧会されたじゃないですか
あれ結構多分王道な感じだったから
内覧会の日に
なんかすいません
王道でごめんなさいみたいな感じの
なんか期待してるものじゃないでしょうけどみたいな
いやいや別にいいじゃん普通にやればと思うのに
なんか恐縮するんですよね
でもただまあその岸田隆盛に関しては
というかあのうちはね
日本の洋画はちゃんとやろうっていう方針が一つあるんですよ
つまりそれは
今日本の洋画の展覧会がものすごく少なくなってて
あのー
例えばね一言だったら
梅原龍座風呂とか
安井総太郎とか
あのー本当毎年とは言わないけど
もう2,3年に1回はどっかで展覧会やってるみたいなね
そういう時代があったわけですよ
小磯漁兵とかね
それが今本当に洋画の展覧会が
なくなってるんですよ
確かに効かないですね
国立近代美術館でもそんな
やらないですよね
そうなるとその
洋画って実はすごく近代洋画って面白いのに
その忘れられていくじゃないですか
それはやっぱりちょっと
なんとかね
うちの力で食い止めることはできないまでも
なんかうちだけでもちょっと
それはやっていきたいなっていう気持ちがあって
だから洋画はね
僕もすごくこだわってる部分では
36:01
キンキンではあれですね
没後70年の南くん蔵展の時も
そんなお話しされてましたもんね
で、まあ岸田龍生はもちろんお話
あのー
これはあの長屋市美がね中心になって
もともとは作った展覧会だけど
巡回で提案をいただいた時にも
これはもう一問二問なく
ぜひやりたいということで決めた展覧会ですね
今ラインナップここにあるんですけど
他にも印象的なので僕が覚えてるのはやっぱ
メスキータとか
ああメスキータね
これもすごかったですよね
エッシャーの師匠にあたる
これも僕は企画会社さんから
実はこんな素材があるんだけど
なかなか
やりたいってとこなくて
そういうのが回ってくるんですかね
どうですみたいなね
これねだからあのー
ステーションイライラできた時
できたっていうか僕が館長になる
ってことを決まった時に
もうそのオープンする前から
ものすごい売り込みがあったんですよ
あのー
それは場所がいいじゃないですか
最高の場所だし
おまけにバッグにJRがついてるから
お金持ちの美術館だみたいなね
実際にはそんなことないんだけど
ものすごい売り込みがあって
それを新聞社とか企画会社とかね
その要はでかい展覧会があるんですよ
有名どころの
だから実はねうちそれできないんですよ
行列できちゃうし
で、ことはあってたんですけどね
で、そのいざオープンしたら
地味な展覧会が並ぶわけですよ
最初の3本くらいは誰も知らないようなね
名前が並ぶ展覧会で
そうすると
そういう話はパタッと来なくなるわけですよね
ちょっと違うんだと
で、逆に
なんか聞いたことないみたいな
提案がポチポチ入ってくるようになるわけですよね
違う売り込みが来るんですね
で、まあうちがどういうものを欲しいかっていうのを
みんなこう
分かってくるんだ
徐々にね
検討外れるのも来るんだけど
だんだんそういうのが減ってきて
うちの学園のハートをピンポイントに認めるような
提案が割合が来るようになるんですよ
ネスキータもその一つで
なかなかやってくれるところがなくてと
地味なとこがないからね
で、どうだろうかって言って持ってきたのを見たら
むちゃくちゃ面白いわけですよ
これはちょっといけるんじゃないと
海外店だけど
海外のまとまったコレクションから買えるし
しかも版画だから
輸送費もそんなにかかんないわけですよ
保険料も対して高くないし
これはちょっとものになるかもねっていうことで
ドイツだったんですよ、調査に行って
で、ものを見て
これはやりましょうと
その場で即決というか
見た瞬間にこれはいいなと思って
それで始まったんですよ
そういうことだったんですね、ネスキータは
39:01
東京で一度やるってことが決まると
割合巡回も決まりやすいんですよ
つまり東京で一回以上やるということで
ある程度の予算が出るわけですよね
うちが出すわけですけど
そうすると巡回になると
ある程度予算の目でも立つわけだから
東京で話題になれば
東京で話題になれば 急効果もあるみたいなね
告知もしてくれるしみたいなこと
そういう風に考えてくれる地方の間もあって
それで巡回会場が割合に決まって
それで天南海が成立したっていうね
そういう天南海
結構この番組では藤戸武貴はすごいなってのも
お話しした番組でもやったんですけど
これまであとそれに見えると
付箋鉄とか吉村義男さんとか
いろいろいるわけじゃないですか
今売り込みがあるパターンもあるって言ってたじゃないですか
これも含めステーションギャラリーでしょ
これ物になるっていうジャッジはどこで
入りそうっていう意味のものあるんですか
入りそうっていうよりも
一つはやる意味があるかどうか
やる意義があるかどうかね
それと面白いと思うかどうか
面白いってのが
いろいろ調べたりすることも含めて
面白い対象かどうかっていう
そこで学院が判断することになるんですね
だから不死刀打撃なんか
僕がたまたま北海道出張した時に
たまたま北海道でやった展覧会を見て
これ面白いと思って
それで提案をして
そういうのはね
大体僕に限らず他の学院が提案した場合も
面白いものは
もうほぼ即決でこれいきましょうみたいな感じになるんですよ
ピンとくる感じなの?
ピンとくる感じ
逆にちょっとここだけの話で
ピンとくると思ったけど全然来なかったわって展覧会もあるんですか?
集客の意味ではありますよ
集客の点ではもっと来てもいいのになっていう展覧会がありましたけど
そうですね
でも大体自分がピンとくるなと思った展覧会
同じくらいお客さんの盛り上がりも?
人数的にはね
もちろんうちはその爆発的には入らないけれども
すごくやっぱり評判がいいのが多いですね
じゃあせっかくなので
今やってる展覧会についてもちょっと話していただけたらなと思います
僕も最近見させていただきましたけども
今やってるこの『僕から愛しさん』『爆炎生計』『アンドレ・ボーシャン』
プラス『藤田隆二』という展覧会なんですけれども
アンドレ・ボーシャンは美術好きな人だったら聞いたことあるかもな
すごく割合ね、よく知られた名前ですけれども
残念ながら藤田隆二が例によって誰やねん
誰やねんという画家なんですけど
これはボーシャンも藤田もある程度国内でコレクションがあることはわかっていて
42:05
前から僕は気になってた画家で
ただなかなかどちらもちょっと古典としてはやりづらいところがあって
一つは藤田隆二は作品がちょっと小さい、数も限られていて
古典にするにはちょっと量が少ない
ボリュームがなかった
点数はあるけど作品がものすごい小さかったりするので
なかなか難しいなと思ってて
それからボーシャンの方は既に日本で何度か展覧会やられてるので
そうすると今改めて東京ステーションギャラリーでボーシャン展やる意味はどこにあるの?みたいな話になるんですよ
それでちょっとやりづらいんだけど
ボーシャンもすごく僕は画家としては面白い画家だと思ってて気になってたんですけど
ちょうど去年おととしですね
おととしコロナになって予定していたハリーポッター展が1年延期になって
結局去年から今年にかけてやったわけですけど
3月までやったんですよね
そのハリーポッターを延期したことでやるはずだった
企画が開いちゃうわけですね
それ延期が決まったのがその半年くらい前で
それなんとかしなきゃという話になったんですよ
開けないっていう手はなかったんですね
やっぱりそこは開けようってなった
やっぱりやろうと
一つはパッケージ展というか企画会社とか新聞社が完全に形作っちゃって
いつでも巡回できますよみたいな展覧会がいくつかあって
うちが延期したことを知ってそういうご提案もいくつかいただいたんだけど
楽屋会議で話している時に
これはやっぱり最後の手段じゃないみたいな
そこに安易な手は
安易すぎるんじゃないかと
展覧会社のものは面白い展覧会社もあったんだけど
ちょっと違うよね
やっぱりやるなら自分たちでなんとかした方がいい
意地があるわけですね
プライドみたいなものが
じゃあとりあえずできるというのがみんなで
今手持ちのアイデアを全部出そうよみたいな
東映も半年ぐっ切ってるわけですよ
半年作らなきゃいけないし
しかもコロナの中で作るから制約いろいろあるわけですよ
いろんなアイデアを出した時に
僕は藤田隆二と安藤礼夫さんをとりあえずは素条に載せたわけですよ
その時は2個セットとして出してるわけではなく
どうの自然かセットなのかよく覚えてないんだけど
とりあえずは2つあるよねというのを出してて
結果的にそこは
取材さんもご存知ですけど
川鍋教祭の底地から
教祭の下絵だけを展示して
川鍋教祭展覧会今まで結構ここ最近たくさんやってましたけど
一切本画がなく
下絵だけでやるっていう
やっぱり成長のギャラリーらしい展覧会
それだったらうちらしいねって
しかも下絵が面白いからね
45:00
面白かったです本当に
これが埋めてくれたんですねその間を
その時はこれ1箇所から借りればできる
川鍋教祭記念美術館にご協力いただいて
いざコロナで中止ってことになっても
万が一またもう1回
ご迷惑をかけるとこは1箇所でするなって
頭下げるとこ1箇所でする
川鍋さんには悪いんだけど
そういう思いもちょっとあって
何より面白いからね
これはぜひ川鍋教祭やりたいということで
そこに決まったんだけど
その時に坊主さんと藤田隆二を組み合わせて
1つの展覧会にしたらどうかっていうアイデア
出てたんですねそのタイミングで
これはねやっぱりその2つを見てる時に
何となくこう愛を通ずるものっていうか
作風のなんか
作風のなんかちょっと興味深いなっていうのがあって
これ2つにしたらでも展覧会できるなって思ったんですよ
1つずつだとボリューム問題はあったけど
ボリューム問題があったり
人に会ってるっていうね
でもこの組み合わせないですもんね
組み合わせはないし
組み合わせはなんか面白い価格反応が起きるんじゃないかな
みたいのがあって
ある段階から2つセットで
展覧会にしたらどうかなっていうことになったんだけど
意外にねそれも評判良かったんですよ
学芸の中で
で財団の人間に聞いても面白そうだったなっていうし
じゃあまあこれはこれでまた
改めて展覧会にしようか
っていうことになった
それで万を持して今年
実現ということになったんですよ
これでもあれですよね
坊さんも藤田隆二も全然生きてる年代も
国も違うし
それぞれまずどういう画家なのか軽く
じゃあちょっと是非
坊さんは素朴派の画家で
もともと苗木職人というかね
50近くになるまで絵を描いたこともなかったという
それがたまたま第一次世界大戦で
従軍して
従軍してる間に自分がやってた農園が破産するし
そのショックで奥さんは精神的に苦しくなるしみたいなね
戻ってきて
たまたま従軍時代に
測量に関する技術を身につけるわけですよ
不知術って言うんですけど
測量データをもとに地図を描く
そういう軍隊ですから作戦立てる時に
地図を必要にする
そういうことを覚えて
それがきっかけになって絵を描き始めるというね
ちょっと変わった
絵ではないけど物を描いてるのが流れて絵になるみたいな
で、帰ってきてからいきなり油絵を描き始めたっていうね
そういう変わった人なんです
それで画家で食べてこうって気持ちもあったんですか?
最終的にはあったと思いますけど
とりあえずは奥さんと一緒に森の中の家に住んで
自給自足みたいなね
自分たちが食べる野菜を育てながら
絵を描くっていうことを始めて
それでサロン・ドートンという展覧会に出品して
そしたら最初に15点くらい出品したんです
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それがすごく評価されて入選するわけですよ
ただサロン・ドートンみたいなの入選したから絵が増えるってのじゃない展覧会なので
最初の10年くらいすごい苦労してなかなか絵が売れないんだけど
だんだん画性がついて絵が売れるようになって
それでそれでもう晩年は絵だけで生活できるようになってくるんですね
でもいわゆる素朴派ってことはアンリル・ルソーとかも素朴派って言われるから
絵としてはいわゆる下手馬ジャンルと同時から見られてたことは見られそうですよね
そうですね、実際そのデジタルも狂ってるし
遠近法なんかだってね、千円近法ではないわけですよ
ちょっとやっぱり自由な遠近法
そこがまた面白いっていうね
味があってみたいな
それは時代がそういうものを求めてたっていうか
アカデミックな、非常に上手に描かれた絵ではなくて
それをぶち壊すものをみんな求めてた時代
そこにうまく合致したっていうことがあって
素朴派の画家としてはアンリル・ルソーに次いでぐらい有名な画家になって
世界中の美術館に作品が収められているということになったんですよね
館長が内覧会の日に教えてもらいましたけど
ル・コルビジェ、世界的な建築家が最初認めたって
そうですね、まだ建築家になる前のね
ピュリスムっていう絵を描いている時代に
某社の前を早々に買っているという、最初に買った画家ですよ
すごいですよね
その一方で、藤田隆二、それこそ誰やねんだった人
藤田隆二は美術の教育を受けて
美術文化協会というのが今もあるんですけど
そこに出品をしてたんですよ
美術文化協会というのはもともと福沢一郎が作った
日本のシュルエアリズムの第一人じゃなかった
北脇のゴルとか、アイニッツとか、寺田のサルトとか
シュール系の作家が割合所属してた
いわゆる池袋モンパルナスですね
この番組でも、原中さんにお話いただきましたけど
原始系の人がやっぱりいましたけど
そのシュールが非常に強い団体で
あと、斉藤義塾さん、中小系のなんかも入ってた団体ですけど
そこにずっと出してたわけですよ
だから初期の頃はずっと
ちょっとシュール系のシュール的な作品を出してたんだけど
それこそ、また坊主さんと同じで
50路手前に大きな天気が訪れるんですけど
それは病気なんですよ、脳血栓を起こしちゃって
それを二度起こして、右半身が不自由になっちゃうんですね
その時は右利きだったんですか?
右利きなんですよ
じゃあもう利き手がつかないと
一時はもう一旦その画家を諦めるんだけど
やっぱり描きたいという気持ちが強くて
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左手で今度は絵を描き始めるんだよね
いや、なんかもう漫画の主人公みたいな言い方ですよね
で、その3、4年だから
トレーニングですか?
トレーニングをして、それで古典を開くんですよ
古典を開いた時に50ちょっとついた頃の頃も
で、左手で描き始めて古典を開く
だから画風がガラッと変わって
そうそう、だからすごい穏やかな
穏やかな、ちょっとノスタルジックな風景を
非常にしかもね、左手なのに細かい
細密な描き方をして
まあ、よみがえるわけですよね
しかもなんかパワーアップしてよみがえてるんですか?
パワーアップしてるっていうかね
本当にね、これは魅力的なものですよね
色もしかもすごく綺麗だし
細密の描写もあり、モチーフも
日本なんだけどちょっと日本じゃないよね
メルヘンチックな感じ
実際の景色を元にしてはいるのに
なんかそこにこうイマジネーションが入ってきて
非常に不思議な風景を描くようになるんですよ
これがもう実に魅力的で
京都の画廊さんがね、扱ってた画家なんで
僕はそこで「藤田」を初めて見たんだけど
行くたんびにね、いいなと思ってたんですよ
昔から早々に
何点かかかってんだけど、大体小さな絵なんだけど
実にいい世界なんですよ
で、なんとかこれ
形にしたいな
紹介する方がないかなと思ってて
それで合社と決めまして、手の中に入った
だから、あったことない2人だけど
作風が似てるっていうのがあると
作風が似てるということと、それから50前後で
新しい画家の道に踏み出したと
それぞれやっぱり
絵を描いてた状況ってのは、決して楽な状況じゃないわけですよ
藤田隆二は体が不自由になって
構造範囲がものすごく狭い中でね、絵を描いてる
だから生活も苦しかったって言うのだし
一方で坊主さんはね、農園がダメになって
奥さんは気が触れてるし
そういう中で描いてる
だけどお互い、その2人が描いてる世界っていうのは
ある意味すごくこう
ハッピーに、どっちかで言うと明るい感じ
そんな苦しい生活を背負ってるの?みたいなのは
全く感じらせない
確かに、言い方が悪いけどノホホンとしてる人たちに見えちゃいますもんね
作品だけ見るとっていう
でも実は、実はってことなんですね
そこがなんかね、僕にはある種の救いみたいに見えたし
なんかそういう背景を背負ってるっていう共通点がね
この2人で展覧会できるなっていう
その確信に至った一番大きなポイントだったっていう
しかも今回展示室最後にだから並べて
そうね、2人の絵を最後にちょっと
最初藤田隆二を見せて、その後坊主さんを見せるんだけど
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最後の部屋でちょっと2点ずつね
同じようなモチーフを描いた絵をちょっと並べて
似てるところ、違う、同じところ、違うところを
ちょっと比較してもらおうかなという
比較することによって結構お互いの個性もよく見えてくるし
それぞれ絵を見る一つの特化化にもなるし
絵を見ることの楽しみをちょっと味わっていただきたいな
みたいなところがあってちょっと比較の部屋を作ったんですよね
いや本当に見た時にどっちも似てるんですよね
どっちが藤田でどっちが坊主さんが分かんなくなっちゃうぐらい
一瞬遠くから見るとね
で近くに行ってキャプションを見て、ああこっちだみたいな
なんか二択問題みたいな感じで並んでるんで
でもまあなんかねそれがすごく絵を見る楽しみに繋がってくればいいな
っていうのがあって改めてまた元に戻ってね
見直してもらってもいいし
なんかそんなこう本当に絵を見る喜びというか
そんなことを感じてもらえればね、いいかなという
それがこの「僕が雷山、楽園同家」っていうこの4つの文字を2つに
タイトルにしているわけですね
この展覧会は7月10日まで巡回はするわけですか?
いやこれは単管数値だけ
もうステーションキャラが来るしかないんですね
ぜひ見ていただきたいと思います
この番組のせいで行列ができたらもしかしたらごめんなさいっていう
(笑)
番組効果でもしかしたらね
トニーのやつね
ちょっと在座の方は申し訳ないですっていうことで
はい、ということであっという間でしたけれども
まだまだ聞きたい話がありますので
次回は富田さんのご経歴を交えつつ
美術についての話を続けていきたいと思います
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