1. そろそろ美術の話を...
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2025-02-15 57:46

#126 わからなさに惹かれて美術の道へ(東京オペラシティ アートギャラリー キュレーター 瀧上華)

東京オペラシティ アートギャラリー キュレーターの瀧上華さんをゲストに、現在に至るまでのお話をお聞きしました。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/12⁠6⁠⁠⁠⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

瀧上華(たきがみ・はな)

- 東京オペラシティ アートギャラリー キュレーター

Show Notes

東京オペラシティ アートギャラリーについて

今津景 タナ・アイルについて

現在に至るまでの話題

ヴェネツィアビエンナーレの話題

天野さんの話題

サマリー

東京オペラシティ アートギャラリーのキュレーター、瀧上華さんがインドネシアのジャカルタとバンドン訪問を通じて得た美術への興味や体験について語ります。彼女は、美術館でのキャリアや、マルセル・デュシャンに関する卒論を通じての学び、現代美術の魅力にも触れます。瀧上さんは、美術の道に進む理由やその魅力、展覧会の企画についても語り、現代アートに対する情熱や中堅作家の個展を行う重要性について述べます。さらに、彼女は美術館や展覧会についての経験を語り、ベネチアビエンナーレに参加した際の感触や新たに知った作家、展示方法への関心を中心テーマとして取り上げます。展覧会の準備やアーティストとの関わりについても触れ、インドネシア文化の影響を受けた展覧会の特色を探ります。最後に、瀧上さんは、美術への情熱や現在開催中の図形棚アイル展について語ります。

インドネシア訪問の体験
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、東京オペラシティ アートギャラリー キュレーターの瀧上華さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
ということで、前半お疲れさまでございました。
お疲れさまでした。
後半もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
前半で聞けなかったんですけれども、今回展覧会やるにあたり、瀧山さんはインドネシアには行かれたんですか?
そうですね。2年前、前回の時にお話しもした、ジャカルタでの今津さんの古典の時に行きまして、
ジャカルタと、それから今津さんの生活しているバンドンですね、両方の土地に調査に行きました。
それは人生初インドネシアですか?
初めてでしたね。
行ったことないから全く想像つかないんですけど、どんな印象でしたか、インドネシア?
ジャカルタは本当に都会で開発もすごく進んでいるし、道も綺麗で広くて、本当に金融街みたいなイメージの場所でしたね。
本当に活気がすごいあるなと思いました。
バンドンの方はジャカルタよりは少しのんびりしたところで、でもやっぱり活気はすごくあります。
インドネシアって何食べた?芋の話が出たの前半で、主食が芋なの?
いや、でもいわゆるなしごれんとかがインドネシア料理ですよね。
そういうの食べた?
そうですね。料理も美味しかったです。
あとはやっぱりイスラムとか、宗教的にもいろいろ、多分仏教とイスラムと同じくだつで、そういうレストランに行くとお酒が出ないようなレストランもあったりとか、
あとはモスクも近くにたくさんあって、バンドンなんかは月に何回かそういう礼拝の声が聞こえてきたりとか、そういった環境でしたね。
そういえば異国情緒はあるチャンスですね、そういうところが。
その時に初めてガッツリイマズさんとやりとりというか。
そうですね。それまでもイマズさんが日本に来た時にお会いしたりとか、メールとかZoomとかではやりとりをしていて、
でも実際にやっぱりイマズさんが住んでらっしゃるインドネシアに行ってっていうのはその時が初めてだったので。
でもやっぱり行ってみるとイマズさんがここに住みたくなるなってわかる感じなんですか?それとも、
瀧上さん的には別にインドネシアは?
いやすごい魅力的なところでした。やっぱり面白かったですね。また行きたいなってすごい思いましたし、
あとやっぱりイマズさんがやっぱりそこがすごくあったんだろうなっていうのも思いました。
美術に対する興味の形成
そもそもイマズさんはどんな感じの方なんですか?実際お会いしてみる。
そうですね。すごいパワー、すごいエネルギッシュな方ですね。制作とかもそうですけど、やっぱり大きい作品を作っていることからもわかると思うんですけど、
本当に今すごく忙しくして、展示も本当にバンコクとか、この去年の秋ぐらいからも、
例えばアートバーゼルのパリだったりとか、本当に全国いろんなところで活動をしてすごく忙しい中、オペラの準備も同時進行でされてたんですけど、
本当にずっとエネルギッシュに移動して、制作もして、オペラの準備もしてっていうことをやっているので、やっぱり会った時もエネルギーがすごいなと思いました。
しかもあれですよね、今都内でもう一つ展覧会やってるんですよね。
そうですね。上嶋ミュージアムさんでも展示をされていて、これは上嶋さんがお持ちのコレクションを展示しているので、今回の展覧会とは違った一面を見れるのかなと思うんですけど。
会期は同じぐらいでやってるってことですかね。
そうですね。両方見てる。
だから今さん気になった方はそっちも会わせてみるといいと思うんですよね。
ぜひ皆さんに見てきていただきたいなと思うんですが、じゃあここからは竹上さんのパーソナルな部分について聞いていくコーナーということでございます。
ということで、いつから美術に興味を持っていましたかと。
そうですね。私は多分他の人よりも遅いんじゃないかなと思うんですよね。
大学生の頃に美術に関心を持ったんですけど、大学に入る時とかはまだ全然何も。
ってことは別に美術系の学科とか学部に入ったわけではないんですか。
そうですね。文系みたいな感じで入って、大学3、4年生ぐらいの時にいよいよ自分の専門を決めなくてはいけないっていう風になった時に、
大学生で1、2年生で受けてきたいろんな授業だったりとか、あんまりそれまで美術館にも、もちろん嫌いではなかったですけど、
すごくたくさん行ったりとかしてなかったので、本当にいわゆるお出かけレベルっていう感じだったのが、
大学に入ってからそういう美術士とかそういった授業を受ける中で、興味を持っていろんな美術館にも行き始めて、
自分の専門として美術にしようかなみたいな感じで選んだので。
その時は別に他の選択肢もあるわけなんですね。他の学生さんと。
そうですね。例えばフランス文学とか、他にもそういう、いわゆる学生が自分の専門をどこにしようかなっていう中で、
美術が面白いなっていう風に思って選んだ。
でもその時は選びましたけど、そのままそっちの世界に行くなまでは考えていなかったんですか?
そこはあまりですか?まだ。
まだ考えていなかったですね。ただ3、4年ぐらいの間に自分の専門にもしたので、主体的にいろんな展覧会に行く中で、
私は美術ももちろん好きですし、美術館っていう空間とか場がすごく好きだなと思って、
いわゆる美術館の裏側みたいなのとかを見るのもすごく面白かったですし、
こういう展覧会みたいな一つのものを作り上げるっていうののお手伝いをする仕事っていうのもすごい面白いなっていう風に思うようになって、
学芸員っていう仕事に就きたいなという風に、大学1、3、4年ぐらいの間で思うようになったという感じですね。
キャリアのスタートと展覧会
ここから学芸資格というか、取る時の最初に行った研修するじゃないですか、皆さんはどこに行かれたんですか?
私は大学内の博物館で実習をしたので、その時は外部には行っていなくてですね。
でも大学院修士課程に進んだ時に、インターンで東京都現代美術館に行ったのが、自分の中では最初の美術館でのお仕事というか、そういう経験ですかね。
でもその時には現代アートのジャンルとして、他にもいろいろとある日本美術とか西洋美術もあるけど、結構最初から現代アートでした?
そうですね。卒業論文を書く段階で自分のテーマを決めると思うんですけど、恥ずかしいんですけど、私がデュシャンをテーマに卒論を書いて。
マルセル・デュシャンをテーマに書いたんですけど、その時にまだ学生だった中でそれを選んだ理由が、マルセル・デュシャンの大ガラスっていう作品がある。
通称大ガラス、元長いタイトルだけど。
そうですね。それのレプリカが東大の博物館にあって、そこでそれを見た時に、わからなかったんですね。今まで見たものの中で一番わからないなと。
難解な作品だから。
そうですね。例えば抽象画とかを見ることがあっても、これは絵だなって思っている自分がいたけども、その大ガラスを見た時に絵でもないし、カテゴライズもできない、わからなさみたいなのがすごく面白くて、
自分が今まで見てきたものの中で一番わからなかったっていうところに惹かれたので、そういうわからなさに面白いと感じていたので、そういう意味で現代美術とかそういった部分の作品に惹かれていったのかなと思います。
やっぱり一般的に美術って難しいとかってのは、やっぱりわからないってのが出た時に、わからないからもう無理だってなっちゃうじゃないですか。一般的に。多分僕もそうだったと思うけど。そこがあれなんですね。竹山さん、わからないっていうのが出会った時にこんな面白いものがあるみたいなことなんですね。
そうですね。で、やっぱりわからないってじゃあ何をわかるって思ってたのかなみたいなところにすごい繋がるので、そのわからないなって思った衝撃みたいなのをすごい覚えてます。
でも興味深いから聞きますけど、その卒論でそれ書くわけじゃないですか。卒論として結局わかりませんでしたってわけにもいかないわけじゃないですか。その時はどの落とし所になるんですか?その時の卒論って。
卒論の話をするとは思わなかったんですけど。おガラス含めてそういうおガラスが空間にあることみたいな、そういうテーマで書きました。本当にこんな話をするとは。
あの作品ってすごいガラスで透明なので、やっぱり置かれている空間がすごく大きな意味を持つ。置かれている空間によって作品の意味合いというか捉えられ方みたいなものがすごく変わってくる作品だというふうに思ったので。
実際いろんな場所に置かれてきてるんですね、おガラスって。だけどやっぱりそれを絵画のように描かれているストーリーだけで分析する、何が描かれているかというだけだとそれは白い絵の上に描かれているのと同じなので、そうではなくてガラスで透明でどういう空間に置かれてきたのかみたいなところを過去の展示風景の写真であったり、そういったものをもとに分析をしたみたいな。
でももうその時点で美術館で働くじゃないけど、研究者とはまたちょっと違う視点というか、やっぱりそれは物をどこに置くかということに興味を持たれているのは。
なのでその展示論であったりとか、展示空間というものに作品自体もそうなんですけど、それが置かれている場であったり、そういったところに自分は関心があるんだなというふうに思っていて、それを研究として続けるか現場で携わるかという部分で、
私は現場で携わる方が性格的に向いているのかなと思って、学芸員になりたいというふうに思いましたね。
大学の3年で選択したときに、まだ学芸員じゃないわけじゃない。僕も大学4年でビジネス興味持ったんですよ。そこからは月に3、4回は行くくらいになったんですけど、だからといって学芸員になりたいとか美術展をやりたいと思わなかった。ただ美術が好きだっただけだったんですけど、きっかけはあったんですか?
ある展覧会を見たときに、この展覧会をやってみたいとか、徐々に変わっていったのか、明確に変わる瞬間のきっかけの展覧会があったのか?どっちですか?
でも徐々にですかね。やっぱり行く中で、展覧会も面白いなって思いましたし、例えば授業とかで、学芸員の人の話を聞く機会とかもたぶんだんだん増えていって、
なんかそういう仕事っていうのが選択肢の中にあるんだっていうふうに思う中で、自分もそこを生かして仕事につけるといいなぁと思ったように思いますね。
それで委員の時、インターンで東京都現代美術館を学んで、そこからはどういうキャリアを進んでいくことになるんですか?
大学院の就職を出た後に、国立新美術館で研究補佐員という形で仕事を始めたのが最初の就職といいますか。
そこで5年間仕事をしていまして、いろんな展覧会のサブというか、主担当の下の。
その時の一発目は、記念すべき第1回立ち立ったのは何展?
モダンアートアメリカンというアメリカのフィリップスコレクション。
エドバード・ホッパーとかが来たのが、本当に入って一番最初、何も右も左もわからなかった頃に入った展覧会でしたね。
あれですか、デビュー戦は。
デビューと言う、全然あれですけど。
他には新美術館で、例えば印象深かった展覧会はあった?
結構いろんな展覧会、5年いたので携わっていて、アメリカンポップアートの展覧会とか、マグリットとかもそうですし、
タツノカエコさんと柴田敏夫さんの二人展とか、中村一美さんの展覧会とか、その辺りは入っていました。
知らず知らずに見てますわ、僕は。
本当にそこで、展覧会の作り方というか、先輩の仕事を見ながら学んでサポートして、みたいな感じでしたね。
そこからどこになるんですか?
美術の道への思い
香川県立ミュージアムという香川県の県立の美術館で、2年くらいかな、仕事をしまして。
その時にもやったのが、イサムノグチの展覧会を、香川県なので、置いた県立美術館と、それからオペラシティとの巡回で。
あれ?オペラでやったイサムノグチ展は、あれですよね、照明がどんとあった?
そうですね、当たりの大きい照明が一つあったり、あと絵、絵画、チャイニーツペインティングというか、神体の絵画の作品とかを出してきて。
でも10年くらい前になります?
いや、そんな前じゃないですよ。2010…何年だっけ?
イサムノグチ展というと、たぶん一般的なやり方はあれですけど、東京都美術館でデカいのどうなったっけ、それ前ですよね。
その前で、2019年とかじゃないかな、18年か。
その時はまだオペラシティじゃないけど、巡回で。
そうですね、で、オペラと一緒に仕事をしたっていう感じでした。
その縁があってみたいなことなんですか?
そういうわけではないですが、ちょっと香川から東京に戻ってきて、大学に少し戻ったりとかもしてたんですが、その間にオペラシティで募集があって、縁があって仕事が決まったっていう感じで、オペラは2020年。
一番大変な時期というか、コロナの時ですね。
そうですね、はい。
なので、あ、だから伊沢信夫ちゃん2017、18年かやっぱり。
そうですね、で、私は2020年に、そうですね、コロナ禍、まさにコロナ禍で緊急事態宣言みたいなのが発令されたみたいな時に入社しました。
その頃にはこの番組によく出てくるっていうか、虫のように言っちゃったけど、天野太郎さんというね。
天野さんのが後になるってこと?
現代アートと個展の重要性
オペラシティとしては。
オペラシティとしては先輩に当たる。
そうですね。
そうか。え、オペラシティの一発目の展覧会は何だった?
最初はいろんな、もちろんサブでは入ってたんですが、自分の担当で言うと川内凛子さんの展覧会が。
ありましたね、うんうん。
最初に担当で入りましたね。
あれもやっぱり外光取り入れるというか、自然光取り入れてるところもありましたよね。
あったところもありましたね。全くあそこは照明もなしで、自然光だけの部屋っていうのが小さい部屋であったりとか。
あとは建築家の中山秀幸さんが展示空間を担当されたので、ちょっと建築と写真っていうののコロボレーションというか、中山さんの空間の中で、川内さんの作品を見せるっていうような展覧会でしたね。
なんか伊賀物口展からも含めるとなんか個展が多いってことですか?
そうですね、言われてみるとそうですね。その後も今井春介さんの。
この番組で取り上げましたね。
も担当でやりました。
なんか自分の中でこのジャンルが好きとかはあるんですか?現代アートも色々広いですけれども。
そうですね、好きということでは、好きというだけではないんですけど、割とペラシティでは、私が入る前から、入る前とか入ってからもですね。
今回今津さんもそうなんですけど、40代ぐらいのミッドキャリアと言いますか、そういう人の展覧会の個展っていう日本人作家だったりとか。
そういう個展を結構継続してやって、館としてはやっていて。
川内さんも年齢的にはそこにもなりますし、今井さんもそうですし。
あと他で言うと、泉太郎さんとか千葉さん、千葉雅也さんとか加藤翼さんとか。
そういう年代の人の個展っていうのを、うちの館でやるっていうことは、私はやっていきたいなってすごく思っています。
いわゆる若手を発掘するというわけでもなく、大ベテランの買い個展をするというわけでもなく、立ち位置的になかなか。
そうですね、ただやっぱりそういう人たちってグループ展では参加していたり、例えばいろんなアートプロジェクトで作品を発表したり、それこそギャラリーで定期的に個展をしていたりということはあるんですけど、
そうなった時にそれまでのある程度のスパンがあるキャリアをまとめて見せられる機会っていうのがあまりないので、
オペラシティの空間の広さであったり空間の特性っていうのが、そういう人たちのちょうど今の活動とそれまでの腰幅を持ったものを見せるのにはすごく適しているのかなというふうには思っているんですよね。
ギャラリーとかよりは割と広い空間だし、でもすごい長いキャリアを見せるような箱よりは少し狭いと言いますか、すごくそれは合っているのかなと思っていて、
そういう人たちの今まで断片的にしか見てなかった作品をある程度数と空間で見せることによって、知らなかった一面だったりとか、その作家の活動がもっとよくわかるような展覧会っていうのができるんじゃないかなと思って、
それがすごい私は今後もできたらいいのかなと思っています。
美術館での日常
その中堅のキャリアの作家っていっぱいいるじゃないですか。
そうですね。
その中からこの人がいいなって決め手的なのがあるんですか。
難しいですね。やっぱり一つの作品で決められるわけではないですし、もちろん面白い活動をしている作家さんすごくたくさんいて、それを見ていく中で、
今回本当に今津さんとかはまさにそういう空間に展開していくちょうどいいタイミングでお話がちょうど進んだので、
それはすごい本当に幸運なことだったなと思っているので、
そこを見極めていかないといけないんだなと思って、私も明確にこの基準ですみたいなのがあるわけではないと思うんですけど、
それこそ日々の調査というか、そういったリサーチの中でそういう目を持ちながらやっていかないといけないんだなと思います。
作家の数も多いですけど、それぐらいっていうのも分からないけど、美術館も多いわけじゃないですか。
となると、先取られたなみたいなこともあったりするんですか。
私本当にやりたかったのに、その展覧会に取られちゃったみたいなことってあるもんですか。
あると思います。
やっぱり同じ都内でやってしまったら、なかなかすぐにまたもう一回みたいなことって難しかったりもあるのかなと思うし、そういうのはありますよね。
発掘のためには、普段からギャラリーを巡ったりするんですか。
そうですね。本当にたくさんやってるので、なかなか全部とはあれですけど、時間が許す限りは、なるべく興味があるところは見落とさないように見ていきたいなと思います。
今まだ言えないと思いますけど、今後も仕込んでるじゃないけども、はあるわけですか。
そうですね。やっぱり展覧会2年3年ぐらいは準備したり、構想を練ったりっていうところも含めればそういう形なので、
具体的になっているものもあるし、まだ自分の頭の中だけっていうものももちろんあるし、
けどそれが全部実現するわけでも多分ないからそういった。
でも作家にとってやっぱり今井さんが出てくれた時も、やっぱりすごい嬉しいって、当然嬉しいと思うんですよ、コテンやれるって。
だからその作家さんに伝える時ってどういう感じですか。
でも緊張しますよね。わかんないです。私、今井さんとそれまで親しかったり連絡を取ったことがなかった今回はので、
本当に急にどこぞの誰ともわからないような人がみたいなところではあったので、
ちょっとこういうことを考えてますっていうことを言って、でもどう思われるかどういうふうにタイミングとかもちろんわからないですし、
でも今井さんもすごく喜んでというか、すぐ快楽してくださって、一緒に面白いものをということでできたのでよかったんですけど。
直接こう、例えばギャラリーとかですいませんみたいな感じで言うもんなんですか。
それともなんかサプライズのなんか封筒かなんか持ってって、決まりましたみたいな感じでいくのかどういう感じですか。
多分いろいろだと思います。
もともとたぶんすごく関係のある作家さんとやるっていうことが多いと思いますし、今井さんに関して私は作家さんとのやり取りっていうのは前々からあったというわけではなかったので、
本当に突然すみませんみたいな感じの連絡から始まりました。
でもそこからやっぱり2,3年かけていくとやっぱりいろいろとやり取りもしていって、どんどん絆が深まっていくものなんですよね。
そうですね。特に今回展示最中は年末ぐらいからずっと今井さんが来てくださっていたので、
毎日現場で脱光だと言いながら展示がどんどん出来上がっていくっていう期間は大変ではありましたけど、
本当に毎日ワクワクする。
あの展示が日々出来上がってくって、1日終わるごとにすごいワクワクする時間で、今井さんともすごく濃密な時間を一緒に過ごすことができて楽しかったですね。
やっぱり学芸妙麗というか一番楽しい時期。
と思いますね。
でなると逆に展覧会終わって、この撤去作業とかするときは寂しいもんなんですか?
寂しいですね。寂しいですけど、そこまで責任もちろん持ってやらないといけないので、
今はもう無事にどうやって作品を返すかっていうのが心配な。もうどうしようと思っているところで3段をして、片付けの3段を。
そうか。始まったばっかりとはいえ、もう次はそっちを考え、無事に返すことが大事だという。
そうやっていつパッキングして、いつ出してみたいなのを早くやらないと年度末だし、ちょっと業者も抑えられるんだろうかみたいな。
そういうことも考えなきゃいけないんですね。
早めにスケジュールを抑えてっていうのを。
特に今回の作品なんですが、平面だけじゃなくてインスタレーションもあって床置きしているものもあるから、そういうのもちょっと心配っちゃ心配だったりするんですか?
そうですね。やっぱり本当にそれが美術館にお客さんが来るので、作品とお客さんの安全っていうのが一番の中で、かつ作家さんのでも見せたい演出というか見せたい空間を実現させるっていう、
そこをどう落としどころをつけてやるかっていうのは毎回大変だし、やっぱり難しいところですね。
今回のすごいなと思ったのが、お客さんの事故が起こらないようにするには、普通に考えたら結界を張った方がいいと思うんだけど、基本は張ってないですもんね。
そうですね。いらっしゃる方は本当に足元にお気を付けになっていただきたいとここで伝えておきます。
でもそこは結界を張るよりも、インスタレーション作品の見え方の方を取ったってことですよね?
そうですね。やっぱり空間自体が今津さんの作品でもあるので、もちろん本当に危険な部分だったり、危なそうな時はまたお客さんの動きなんかを見て対応しなければいけない部分も出てきますけど、
現状は今津さんの希望も聞きながら、ここまでだったら大丈夫だろうっていうところでやっています。
やっぱり作家さんとやり取りできるからこそのメリットというかですよね?
そうですね。
なんかどっかから借りてきてってなると、またそういうわけにもいかないだろうし。
ただ今回お借りしている作品も多いので、もちろん所蔵者の人とかそういう人のご意向ももちろんありますし、あと作家さんとっていうところですね。
全然またこの話が変わるんですけれども、普段何されているかを聞く番組では聞くことが多いんですけど、アート以外の趣味とかってあるんですか?
なんだろう、私は…難しい。
美術館、今日はオフですってなった時に、美術館巡り、ギャラリー巡り以外ですることってあるんですか?
あとは…飲みに行ったりとか。
それは大事ですよね。
遠くに展覧会見に行くとかが旅行兼美術展示見る兼美味しいものも食べてみたいな、例えば温泉入ってとか、そういうのが趣味兼仕事みたいな感じはあるのかな。
だから旅行は割と好きで。
去年はどこ行かれました?
ベネチアビエンナーレの経験
ここ最近、あそこ行ってよかったな、みたいな。
多分これ聞いてる人は美術好きな人が多いので。
去年はベネチアに、ベネチアビエンナーレの去年やってたので、コロナ禍があったのでしばらく海外、インドネシアは行きましたけど、ヨーロッパは本当に久しぶりで、本当に仕事の合間だったので弾丸だったんですけど、
ベネチアと、あとトランジットでパリも1日行って。
それいつ頃に帰ったんですか、ベネチアは。
11月か10月かな、11月かな。
僕、11月に行ってるんですよ、ベネチアは。
そうですか。
仕事で行きまして、人生初海外だ。
人生初、すごいですね。
だからベネチアビエンナーレ見に行かれてるってことですね。
そうですね、ビエンナーレ見て。
どうでした、ベネチアビエンナーレは。
やっぱり結構久しぶりに行ったので懐かしかったというか、でもすごい刺激になりましたね。
結構コロナ禍もあって、海外特にヨーロッパに行くことにちょっと腰が重くなっていたというか、なんとなくよしって言いに行ってなかったなっていうふうに思って。
なんか行ったら、やっぱり行けるみたいな、もっと行こうみたいな気持ちになりましたし。
僕はもう人生初海外でベネチア行って、もういいやってなりました。
そうですか、大変だった。
僕の場合はあれですね、移動時間の長さにもううんざりしてしまったというか。
初めてだと結構。
しかもそれはもう僕が悪いんですよ、完全に悪いんですけど、羽田を1時半とかに出るんですよ。
で、トランジットがローマって、ローマ経由でベネチアに。
で、ローマに着くのが9時半とかだった。
僕は完全にそれ8時間で着くと思い込んでて。
8時間かぐらいの気持ちでいて、しばらく乗っていって。
スマホって途中でデータが入って、近くの時計に変わるらしいんですけど。
しばらくスマホ普通に進んでるから、6時ぐらいまで進んでって、あと2、3時間かぐらいに思ってて。
しばらくしてまた見たら、今度2時とか3時になってるから、何が起きてるんだろうみたいな。
初めての海外の。
ああ、そうか、8時間の時差があるんだって。
そこで気づいて、もう絶望的な気分というか、これがまた続くんだって思って。
長いですもんね。
帰りもやっぱそれぐらいあるわけじゃないですか。
もう僕はいいやなって思いましたけど。
なるべく快適に過ごしてね、行ければ。
ベネチアも、ベネチアビアンならすごい見事にあって、すごい良かったんですけど。
なんかベネチアの街並み、最初見た時にはやっぱり、すごいなベネチア、どこも絵になるなみたいな感じでなるんですけど、
30分も経ったら、本当にずっと同じ景色ばっかりだから。
船もね、飛んでて、すごいハードってハードですよね。
だから飽きてしまう。
ああ、そうなんですか。
そういうのはやっぱないですか。
いや、楽しかったですね、やっぱり。
ヨーロッパの感じとかも久々だったので、
特にベネチアビエンナーレだと、一箇所にたくさん集まってるから、
集中してバーって見ていく感じとかもすごい楽しかったですし。
でもキュレーターとして行った時に、今回日本一の作家が、森彦さんが日本館に出てるけど、
それ以外は選ばれてなかったというか、日本人いなかったじゃないですか。
海外の作家がたくさん多い中で、この人を呼びたいなとか、
今度この展示やってみたいな、みたいな人はいたんですか、ベネチアビエンナーレ。
そうですね、でもやっぱり初めて知る作家もすごい多かったので、
そういう意味でリサーチとしてもすごく勉強になりましたし、
今津さんの展示をやりたいなって思った時のような最初の目というか、
今後も例えばどこで展示するかとかをチェックしてみていきたいなというふうに思う人とかもいたし、
あとその例えば展示方法だったり、空間の使い方だったり、そういった面でもすごく面白いなと思います。
やっぱりそこは単純にベネチアビエンナーレって僕は言っちゃうけど、
気になるところとか、この展示の仕方はこうだなとか、やっぱりそこは職業病じゃないけど。
一番印象に残った作家はどれでした?
展示方法への関心
どこだろう?
作家でも、パビリオンでもあれですね。
パビリオン、ドイツ?
ドイツ館の階段を登っていく、あれドイツ館でしたよね。
外に映像があって、ちょっと螺旋階段みたいなのを登って、
上、螺旋階段が人の家みたいな、おじいさん、老人の家みたいになってて。
多分ドイツだと思うよ。
上に映像が。
イギリスじゃない?
イギリスでしたっけ?
すみません、ごめんなさい。
ドイツは宇宙っぽい感じで。
でもそれだと思います。宇宙っぽい映像作品と、人工衛星みたいな大きい映像作品と。
階段あったけど、僕言ったけど、行列1時間待ちみたくなって、もう入れませんみたいな感じです。
行列の先のその螺旋階段の中が、一人の人のお家みたいなのが再現されていて、
なんか、展示としても面白いなと思って。
すごいお金かかってるな、ドイツはって思った展示だったのを覚えてます。
そういうのはやっぱりこう、やってみたいなもあるんですか、ああいうの見ると。
こういうのちょっとうちでも、あれなんか外、土で埋めてたじゃないですか、入り口を。
ああいうのやってみたい、ああいうことやってみたいなとかはあったりするんですか。
そうですね、でもなんかやっぱり私がこういうのをやりたいっていうよりも、
作家さんのアイディアというか、こういうのをやってみたいっていうことを、
どう実現するかみたいなのの方が私としては大きいかなと思います。
だから、作家さんが私が思ってもないようなことを言われた時に、それをじゃあどう実現していこうかみたいなのが、
私はその具体的にこれをやりたいみたいなっていうよりは、そうですね。
キュレーターの仕事としてはそうですよね。
今回の今津さん展覧会でいうと、どの段階でインスタレーションって言われて、
これをどうやって実現させようっていうのは、どういうタイミングで言われるんですか。
展示プランを図面とかうちの空間っていうのは見せながら、
どういうふうにしましょうかねっていうような話をしていく中で、
今津さん今回結構、作品を作る時もCGとかフォトショップとかを駆使されてますけど、
展示プランもCADを使って、全部うちの図面を立体に起こして、
全部3Dの図面を作ってプランを組み立ててらしたので、
それを見せてもらいながら、こういうふうにしたいと思ってるっていうような話を聞いて、
これはできるとか、こういうふうにしたらもっといいかもみたいな話をしながら、
今津さんのアイディアを落とし込んでいくみたいな感じなんですけど、
CADでも作っていただいたので、サイズとかそういうのとかも今津さんが全部。
もうやってくれてる。
世の中の作家さんみんながそうじゃないから、やっぱりそれはありがたいというか。
そうですね。実際やっぱりインドネシアにいながらなので、
現場をいつも来てみれるっていう環境ではない中で展示プランを組み立てて、
スペースの間隔とか掴むの結構難しいだろうなっていうふうに思ってはいたんですけど、
実際そのやっぱりCADで何度もこう作って、
綿密に作ってくださったものっていうのが落とし込んでも、
そのサイズ感でしっかり収まっているのがさすがだなと思って。
そうか。じゃあ物の場所とかも結構ある程度、
フィーリングというよりはもうだいたいこんな感じってのはちゃんと配置が決まってた?
そうですね。作品自体はやっぱり現場で動かしたりもしましたけど、
主なものっていうのはほぼ最初に考えて、すでに考えておいてもらっていて、
それに合わせてやって、現場で見て調整してみたいな感じですね。
そういうことだったんですね。
毎回そういうわけで、みんなやってくれる人を見せるといいですね、このCADで作ってくれる人。
なかなかいないと思いますけどね。
人によりますね。でも現場ですごい感覚でできる人ももちろんいると思うし。
学芸員の役割
そうかそうか。
でもその話が全然また前後じゃあれなんですけど、
この学芸員さんになりたかった時にいろんな展覧会見に行ってた時代があったわけじゃないですか、
その時に特にお気に入りだった美術館とかはあったりするんですか?
参考にしたじゃないか、ここは憧れるなとか。
そうですね。でもやっぱりインターモス東京都現代美術館とか、
あと東京近備国立とかも、
国立近代美術館もテーマ展みたいなのを割とやっていて、
倉谷さんの企画で、私今めまいしたわっていう展覧会をやってたんですよね。
あれとか結構、まだ本当に見始めの私にとっては、
キュレーションってこういうことなんだって思ったような展覧会としては記憶に残ってますね。
そういうテーマを元に作品を組み立てていくみたいなことがすごい記憶に残ってますね。
あれ私今めまいしたわ、企画展示室でやった展覧会でした?
企画展示室だったと思いますね。
ふなこしさんとかふなこしかつらさんの作品とかがあったりしたんで、
あと、そうですね、覚えてますね。
でもなんか、一般的に美術好きになる人って、
最初西洋美術とかから入るじゃないですか、そういうのはあったんですか?
でもそうですね、やっぱりマネとかも最初いいなと思って見てましたし、
やっぱり面白いなっていうやってることとかも。
そうですね、そこは幅広くというか、現代美術に。
ただやっぱり、自分が好きなのは近現代が面白いし、
関心があるんだなとは思ってました。
でもその頃に、例えば横浜鳥江なりとかも行ったりとかして、
天野さんは知ってたんですか?
その頃はまだ学生の私は全然、
そんな学芸員の方のお名前とかは全く知らないで見てましたし。
どこで認識したんですか、天野さんという人物を。
でもお名前は、お名前は、
やっぱり仕事を始めてからはいろんなところでその仕事の名前、
北海道の。
札幌の国際芸術祭みたいな。
そうですね、の時とかそういったので多分耳にしてはいて、
でも直接はお会いしたこととかは全然オペラシティに来るまではなかったので、
初めて会いましたね。
で、じゃあ実際小浜野さんが後から入ってきたわけじゃないです。
どんな人なんですか、普段、今いないから言える話ですけど。
多分もうそのまんまの感じだと思います、大阪弁の。
まあ割と声が大きいし体も大きい、
おじちゃんみたいな。
その見た目じゃなくて仕事ぶりはどうなんですか、仕事。
でもやっぱりすごい頼りになる、経験もそうですし、
やっぱりネットワークもすごいある人なので何か困ったことがあったら、
いろんな人を紹介してくれたりとか、今までの自分の経験から、
自分自身じゃなくてもこういう人に聞いたらいいとか、
特に小浜野さんってそういう人と人をつなげることに、
全く労力を惜しまないタイプの人だなというふうに私は思っていて、
なので、だからいろんな人がやっぱり小浜野さんを訪ねてきますし、
私たちのことも全く面倒くさがらずにいろんなところに連れて行ってくれたりとか、
そういう人を紹介してくれたりとか、
展覧会の準備と関わり
そういうことをして私たちの仕事が外とつながっていくようなことを
すごくいつも意識してくれるので、
そういった意味ですごく本当にいつもありがたいというか感謝してますね。
今回の展覧会の時とかは関わってもらったりとかするんですか?
そうですね、私は結構今回いつも小浜野さんを常にメールのCCに入れて、
ちょっと見ておいてくださいねみたいな、どこまで見ていたかわからないですけど、
いつも見てもらって、なんとなく進行を見ておいてもらうことで、
私がちょっと安心するみたいなところもありましたし、
あと今津さんとのやりとりの時も一緒に同席してもらって、その展示プランとか、
私例えばだとどうしても現実的なこととかの視点でばっかりになってしまうけど、
全体を見た時に、これはいいよとか、もっとこうしたらいいんじゃないみたいなのを、
小浜野さんの視点からアドバイスを時々こうしてくれるっていうのは、
それは流れを見てるからできると思うんですけど、
そういった感じで小浜野さんにも見てもらいましたね。
ちゃんと仕事してるんですかね。
そうですね。きっとこれを聞いて。
それこそ今津さんの内覧会に来て、いろんなプレスの方もいたりとかいるのに、
ちょいちょい僕のとこ来るんですよ。
1回ロード喋って、もうワンタン終わったから、もう終わりかなと思ったけど、
そっから3巻ぐらいは来るから、暇なんかないくらいに思ってるけど、
ちゃんと仕事はしてるんですね、普段。
じゃあ良かったですね。
頼りになる上司として。
なるほどね。
はい、ということで、ここで緊急ゲスト。
小浜野さんがやってまいります。
ゲストってね。
いやいや、でも来るって言ってたのに、なんか予定入れて、
小浜野さん待ち見たくなってましたからね。
すみませんね。
ご久しぶりでございます、この番組としては。
いいえ、どうも。ありがとうございます。
改めて、初めて聞く人もいるので、自己紹介だけいいですか。
今東京オペラシティアートギャラリーで、
キュレーターしております、小浜野太郎と申します。
今、先髪さんが頼れる上司だって、ちゃんと言ってくださってましたからね。
説明、紹介を。
一切悪口なかったです。
ほんま?
水をむけたんですけど、全然悪口はなかったです。
いやいや、本当なんだと思って。
いやいや、それはありがたい。
今回、今回も、ずっと身を持ってくれてましたってことだったんですけど。
いいえ、あの、どういうのかな。
サポーターみたいなもんですけどね。
準備に関わって、
もちろん展覧会として実現したんですけど、
ちょっと本当にね、すごい展覧会。
手前見せたんですけどね。
あんまり僕も見たことがない、一人の個展としてはね。
本当に見たことがない。
どれだって見たことないんだけど、ただその、
構成とかね、
本当に独特で、新鮮で面白かったですよね。
特にこの作品がおすすめとかはありますか、天野さんと。
特におすすめっていうよりも、結局ね、その、
この展覧会を実現できたっていうか、
それには限らないんですけど、
それだけじゃないんだけど、
やっぱり今野さんがインドネシアにね、
拠点を移したいっていうのは、すごく大きいなと思って、
それもレジデンスでちょっと期間限定じゃなくてね、
本当に進むというか、生活を、拠点を移したいっていうのはすごく大きいと思うんですよ。
で、その、かいつまんでというか、
ちょっとラフな言い方かもしれないんですけど、
結局その、この展覧会って確かに今言ったように、
インドネシアに移られて、インドネシアの文化とかね、
歴史とか、神話とかいろいろ、
身をもって現実世界のこととして、
自分が体験したことも入ってるんですよね。
だから見ていただいてわかると思うんですけど、
インドネシア文化の影響
確かにインドネシアの中での出来事や、
歴史みたいな、あるいは神話みたいなものが表彰化されてるんですけど、
ところがね、じゃあインドネシアの、
行ってしまえばローカルな話題に終わってるかというと、
僕らこうがすごく大きいと思うんですけど、
確かにそうなんですけどね。
でもね、よくよくいろんなものを見てるとさ、展覧会の中見てると、
これね、世界中で起きてることとか、
あるいは今まで世界中で起きたこととか、
あるいは全然解決もされないで引きずってることも、
僕、ものすごくリアリティを持って、
訴えかけてくる感じがするんですよね。
だから、おそらくね、世界中の人が見てもらっても、
あれはインドネシアだよね、じゃなくて、
インドネシアの媒介となって、
今のインドネシアだけじゃないんだけどね。
結局これ、身近な世界中の自分たちの日常的な生活の中での、
世界観みたいなものも、
ものすごくリアルに伝えてるっていうのが、
これがやっぱりこの展覧会の最大の見どころちゃうかなっていう気はするんですよ。
だから、どうしたってね、
アーティストなんて、どこの国のアーティストもそうですけど、
そんな世界中回っててなかなかできないっていう、
作品が作れないのはあんなことは当たり前なんだけど、
そういうこと言ってんじゃなくて、
本当に狭い領域で制作をしてたとしても、
その人の世界観を見る力というか、
また再現表彰する力というか、
それはもちろん必要なんだけど、
でも結局そういう狭い世界のことが、
ものすごくミクロじゃなくてマクロコスモというか、
大きな世界観を出してるっていうのが、
これはもうオベンチャーちゃんという名でもなくて、
すごいリアルな事象としてね、
手長居として迫ってくるなという感じがしますね。
民族電車に興味がある人だけが見に来ればいいのではないかと、
全員に関わってくる展覧会ってことですね。
何かしら自分の田舎でもこんなことあるわとか、
子供の時に見たわとか、
それがすごいリアル、
本当にビビッドに伝わってくるっていうの、
それがやっぱりこの展覧会の面白さがないっていうね。
いいこと言いますね、この人が。
相変わらずね。
アーティストとのコミュニケーション
相変わらずね。
やればできますね。
やればできるじゃないか。
やればできる。
天野さんから見て、ちょっと話変わるんですけど、
来る前に滝上さんから見て、
天野さんから見た滝上さん、どういうか。
いやいや、もうキュレーターとしてはね、
僕らの仕事ってさ、
今回は生きてる作家っていうの。
生きてる作家なので、
やっぱりどれだけ、
偉そうに聞こえるかもしれないんだけど、
引き出せるかっていうかね。
その人。
アーティストから。
余計なことが起こられるけど、
とにかく黙ってじっと聞いて、
作家のことを聞いて、
どういう方向に展覧会を持っていけるかなとかね。
結構ね、
女の子がせっかちなんですぐワーワー言っちゃうんだけど。
言っちゃうんだけど、
これやっぱりね、
本当にじっくり話を聞いて咀嚼してっていうかな。
それはやっぱりすごいなと思う。
で、淡々とカタログだって、
これ決して遅れてるわけじゃなくて、
インスタレーションBを撮ったんでね、
オープンしたから。
だから2月に入ってにはなりますけど、
もう出来上がってますからね、ほぼ。
この配信2月15日にはもう多分出来上がってるな。
もうちょっとですね。
2月23日ぐらい今予定の制作してます。
中に書いてあるテキスト、論項もね、
竹本さんのね、非常に面白いし、
別にわかりづらいことは何も書いてないんだけど、
今言ったことも全部含めて、
一般の方も呼んでもらってもね、
わかりやすいし。
いやいや、本当にね、
自分とこの番組の人にこういうのもなんですけど、
いや、まあ本当に優秀やなと思いましたぐらい。
恥ずかしい。
素晴らしい言葉が出ます。
いやいや、こっちが勉強することがあるぐらい。
マジで。
マジで?
てことはマジで。
マジなんですね、これ。
天野さんの近況と今後について教えてくださいって、
番組のプロデューサーが言ってますけど。
近況?
近況はもう毎日ね、毎日毎日精一杯生きていくっていうことかな、みたいな。
それこそ昨日、ギャラリー巡りされてましたよね。
巡りっていうか、仕事ですか、ギャラリーの。
インスタグラムで浜野さんが、木村亮子さん。
僕は個人的に知り合いの参加なんです。
ちょうど僕、神楽坂で予定あったから、
木村さんの展覧会最終日だったんで、
間に合うかなと思って行こうかなと思ったら、
浜野さんがインスタで挙げてたから、
今行ったら俺、浜野さんに会っちゃうかもしれないと思って、
辞めたんです。
辞めて、インスタでリアルタイムで見て、
じゃあ今行くの辞めとこうと思って、
で、このオペラシティで、プロジェクトNでやってた
中林有里さんの展覧会が東日本橋でやってるって書いてあったから、
そっち行こうと思って行ったら、
浜野さんの名前が書いてあって、
俺の前に来てたって言ってたから、
移動する場所が一緒なのかと思って、
驚愕したというか、合わなかったですけどね。
シンクロニシティがね。
そうそうそうそう。
木村涼子さんのね、さっきお尻とか。
男性のヌードとか描く。
今回立体でね、お尻の、
もっと小さかったかな。
3Dで作ったらしいんですけど、
僕ね、君知ってると思うけど、
美尻で有名なんで、
おそらく俺の尻を、
いろいろ観察してやったのかな。
どこで見せたの?
その美尻でおなじみなのはいいかもしれないけど。
外から、木村さんがクッといろいろ見てね。
外からで、浜野さんの家を覗いて、
尻出しててたの。
あとそのモデルになってる男性もね、
なんや結局俺はモデルやんっていうね、
ぐらいなところは本人にお伝えましたけど。
伝えたんすか。
苦笑してましたからね。
そうだし、さっきのいい話が今の台無しになります。
美尻のせいだ。
でも自慢なんすもんね。
こんな自由に話していい番組だったんだなと思いました。
こんな番組です。
今更なのか。
違うよ。
大丈夫です。
だからそうやって回ってるんだなって思いました。
いろんなギャラリー巡りもしてってことなんですね。
そうね。
だから特にね、最近、
当たり前なんだけど、見ないと分かんないっていうさ、
なんとなく、ああ、そんなもんやろなみたいなのあるでしょ。
あの人の作品はそんなもんやろとか言う。
それがね、そうじゃなくてやっぱり直に見ないと
分かんないっていう、分からないっていうのが痛感してるんで、
できるだけ行こうと思ってるんですけどね。
そういうのを共有したりするんですか?
なんとかさ、なんか良かったよみたいな。
時々ね。
そうですね、教えて。
この人見てくれへんとか言ってる若い。
私もアマンさんのインスタを見て、
面白そうと思っていたりとか、
これは見逃してたみたいな。
それ大事ですね。
ということで、アマンさんね、
いろいろ急遽参加していただきありがとうございました。
じゃあ、改めて、だきがみさん、
この展覧会の告知をお願いいたします。
展覧会の告知
はい、今図形棚アイル展現在開催中で、
3月23日まで東京ペラシティアートギャラリーで
行っておりますので、
ぜひ皆さん足を運びいただければと思います。
はい、そして今2月15日配信ですけど、
その翌週にはカタログも出るそうですので、
そちらもぜひ皆さん手に取っていただけたらなというふうに思います。
はい、この番組は不定期配信です。
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感想はハッシュタグ、
そろそろ美術のお話を今後聞きたいテーマや、
ゲストは番組Webページまでお願いいたします。
57:46

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