そうか。
だからそれは自分で行って知るしかないなと思って。それがきっかけですかね。
それで。
ちょっとへそ曲がりですね。
いえいえ。でもそこでやっぱり運命の出会いというか。
面白かった。学校で学ぶことが何一つ役に立たない美術館というのが面白かったですね。
そうなんですか。
どうして役に立たなかったんですか。
発想がそもそも違くて、その頃大学で学んでいたのは美術館運営、企業目線が大事だ。
つまりお金を引っ張ってきてできることを。その頃に日本も元気だったので、新しいことをどんどん挑戦できた。
でもマルキ美術館は考え方が根本的に違くて、マルキ夫妻の生活の延長なんですね。
最初に頼まれた仕事が、裏の竹林にいて、竹の子を掘ってくるっていう仕事で。
それは結構衝撃で。
そうですよね。まさかそんなことをやらされた。
これ美術館みたいな。
でもその生活と美術がつながってる。
みんな手仕事で自分たちでできることは自分たちで積み上げていくっていうのが、文化の根本に触れた気がしたんですね。
ここから文化が立ち上がってくるんだ。
そういう経験をさせてくれる美術館は他になかったです。
ないですよね。
ってことはかなり自給自足に近い生活されたってことなんですかね。
そうですね。
そういう感じ。あとは近所の農家が野菜持ってきてくれたりと。今でもありますけどね。
いいですね。
じゃあそんななんかコミュニティーがあったっていうことなんですね。
そこに美術があるっていうのが、美術を学んできた自分にとってはとても重要なことのような気がして。
ここでしかない、こっちに根を下ろした文化を見届けようって思ったんですね。
いいですね。
その現在のマルキュ美術館の活動についてもちょっとお聞きしたいなと思ってたんですけれども。
その原爆の図以外にも企画展なんかもやられてて。
岡村さんいろんな本出されてるんですけども。
その中でも非常に面白いなと思ったのが未来へという本を出されていて。
原爆の図マルキュ美術館学園員作業日誌ということで2011-2016ということで。
これなんかそもそも書かれるきっかけって何だったんですかね。
きっかけはその前に50年代の原爆の図の巡回点の記録を掘り起こす本を出してるんですね。
でもそれって僕が生まれる前の話だし、みんな忘れ去られてしまった歴史を掘り起こすという。
その意味ではすごく大きな、自分にとって大きな仕事だったんですけど。
今この時のマルキュ美術館をどう語れるかっていうのもちょっと挑戦してみたいなと思ったのと。
この2011年以降マルキュ美術館の意味がすごく大きく変わってきたんですよね。
現代美術にシフトして、新しい世代の作家たちがマルキュ夫妻がいなくなった美術館の空間で新しいことを始められるような流れが出てきた。
それは記録に残しておきたいな。後々に意味があるかな。だから未来へってタイトルつけたんですけど。
マルキュ美術館で紹介してきた様々な若手アーティストっていうのが、かなりエッジの効いたアーティストが多いなと思って。
チンポムとかも先駆けて。
今森美術館でやってますけどね。最初に美術館でコテンあったのはマルキュ美術館でした。
そうですよね。森美術館ともすごい揉めてるみたいです。やはりマルキュの世にはいかないようで。
うちは自由ですからね。
そうですよね。そんなところから結構いろんなアーティストを紹介してるんですけども。
結構あれですよね。他のところでは展示できないような作品もいっぱいやってて。
それもさっきの話に立ち返ると、やっぱりこれって独立した運営体制で、行政から何も言われない立場であるってところも非常に大きいのかなっていうふうには思ってるんですけども。
そう思います。森美術館がなぜチンポムと揉めるかというと上に森ビルがいるからですよね。
そうですね。
国とか行政もやっぱり政治的な意見についてはしわりもあったりして、マルキュ美術館の場合は上にお金を出してくれる人がいないっていう。
逆に何をやってもそれに対して介入してくる人がいないんですね。
その代わり、世の中の幅広い市民が何を必要としているか、あるいはそうした大きな声にかき消されてしまうけれども、確かにある小さな声をどれだけ拾っていくかっていう社会的責任はあると思ってます。
そのことによって運営と結びついていく。マルキュ美術館を支えようという人たちの気持ちをつないでいくことができるとは思ってますね。
そのアーティストの選び方っていうのはどういうふうに選んでるんですか。
選んでいるのか選ばれているのかよくわかんないですね。
結構やりたいっていうアーティストからのアプローチもあるわけですね。
そうですね。どちらが先かもよくわからなくて、出会うっていう感じが一番強いと思います。
一つ決めているのは、この場所に来てくれた作家さんにやってもらう。
こちらからお願いして、作家さんの気持ちがそれほど高まっていないのに企画展をやるっていうことはしないですね。
わざわざ遠い美術館に足を運んで、場所を気に入ってここでぜひ自分が表現したいものがあるんだっていう強い気持ちを作家さんに持っていただくっていうことはとても大事だと思ってます。
ということは結構あれですか。
岡村さんから何か持っていくっていうよりかは、やっぱりアーティストさんとの対話の中で話が盛り上がっていくとか。
そうですね。そこは私が話すときも結構観察して見極めているところもあるし、
若い作家さん、面白い作家さんの展示をやると、作家さんが見に来るんですよ、美術館に。
なるほど。
そのことによって話がつながっていったりっていうこともありますね。
過去に今までやったのは、風間幸子さんとか、それから遠藤一郎さんとか、藤井ひかるさんとか、
私、去年見た中で一番強烈な鑑賞体験だったのは、白川芳生さんだったんですけども、若手ではないですが。
そうですね。
いやもう、あまりのインパクトの強さに。
強さ、そうですね。その辺もだから風間さんもチンポンの展示の時に来られて、
ああ、そうだったんですね。
ここでやりたいって思ってくださったし、遠藤さんもそうですね、
チンポン展の時に自分の車でお客さんを勝手に駅まで送迎を始めたりとかして。
それはすごい助かりますね。
作家さんに送迎してもらうなんて、お客さんすごいラッキーだと思うんですけど、
それ自体がアート活動みたいになってて、すごく面白かったですね。
すごい楽しいですね。
人がやっぱりつながっていくっていうその縁は大事にしたいかなと思います。
なるほど。
じゃあぜひ現在の活動の中でやっていらっしゃることを少し紹介してもらってもいいですかね。
今の企画展というところですかね。
そうですね。
あとマルキ美術館の方でいつもやっていらっしゃる恒例のイベントなんかあるとお聞きしてて。
今は東北側可能化という展覧会をしていて、
東北芸術工科大学の学生や先生たちが東北地方を掘り起こして自分たちの共同制作の作品を作るという展覧会をやっているんですけど、
5月5日の開館記念日には毎年コンサートやったりとかトークショーやったりとかっていうのがあって、
今年はちょっとコロナでライブはできないんですけれども、
オンラインでジャズサックス奏者の坂田明さんに原爆の図の前で演奏してトークもしていただくっていうのをオンラインで配信しようと思ってます。
楽しみです。
坂田さんも広島の出身なので。
そうなんですね。
そうなんです。しかも原爆の落ちた年に生まれてるんですよ。
なんと。
なのでちょっと楽しみにしているのと、夏は8月6日に隣の川で灯籠流しをやりますね。
これは毎年恒例で。
それはどういった形で参加できるんですか?
もうその日来てくださった方は皆さん灯籠に絵を描いて、夕方に下の河原に行って流すということをやってます。