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2022-05-17 30:00

ゲスト:岡村幸宣 (「原爆の図 丸木美術館」学芸員)「むんぱれTuesday / by DJナオエレーヌ」:2022年5月3日放送

「原爆の図 丸木美術館」の専務理事で学芸員の岡村幸宣さんをゲストに迎えたトークをお届けします。

画家の丸木位里・俊夫妻が、共同制作である「原爆の図」を、誰でもいつでも見られるようにと埼玉県東松山市に1967年に開設した「原爆の図 丸木美術館」。1945年に原子爆弾が投下された直後に広島にかけつけ、惨状を目にした夫妻が数年後に描いた、壮大な連作「原爆の図」を常設展示しています。

米軍占領下にあり、原爆被害の報道が厳しい検閲を受けていた当時、弾圧の危険性と向き合いながら、夫妻は日本全国の公民館、寺院、学校でその実情を伝え、その取り組みはやがて世界20カ国以上の巡回展へと発展しました。生涯を通し、戦争、公害、差別といった人間の暴力性を描き、その愚かさを可視化した夫妻。その作品の数々を二人の暮らしぶりと共に体感できる、唯一無二の場が丸木美術館です。

番組では、行政や企業の資金に依存しない独自の運営体制、それゆえに実現できる意欲的な現代アートの企画展(Chim↑Pom、風間サチコ、藤井光、遠藤一郎、白川昌生等の作品をこれまでに展示)、美術館との歩みを記した岡村さんの著書『未来へ』、そして、新館創設に向けて立ち上げた「原爆の図保存基金」など、DJナオエレーヌが掘り下げます。

■原爆の図 丸木美術館 https://marukigallery.jp/
■原爆の図保存基金 https://marukigallery.jp/support/donate/
■『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌 2011-2016』(新宿書房)http://www.shinjuku-shobo.co.jp/new5-15/html/mybooks/480_Miraihe.html

00:02
みなさん、こんばんは。ナビゲーターのナオエレーヌです。
むんぱれTuesday、その日の天使。この番組では、私が気になる様々な分野で活躍しているゲストをお迎えしています。
この番組名は、実は小説家・放送作家であった中島良雄さんのエッセイから来ています。日々生きていると心が折れる瞬間もあると思うんですけども、この番組を聞いて新たな視点や考え方を知ることで、リスナーのみなさんの世界観が広がって、少し心が軽くなったりする。
そんな風に、この番組がみなさんにとってのその日の天使になったら嬉しいです。
ということで、今回ゲストにお迎えしているのは、原爆の図・マルキ美術館の学芸員、専務理事であられる岡村幸典さんです。岡村さん、ようこそ。
よろしくお願いします。
来ていただけてとても嬉しいです。
私、岡村さんが務められている原爆の図・マルキ美術館は、もう誰もが一生涯で一回は絶対行った方がいいと思っている美術館で、本当にお迎えできていることを嬉しく思っているんですけれども、私の口から説明するよりも、やはり学芸員でいられている岡村さんからどういう美術館なのかというのをリスナーの皆さんに紹介いただいてもよろしいですか。
原爆の図・マルキ美術館、名前の通りにですね、マルキイリ、マルキトシという、もう亡くなってしまった2人の絵描きさんが共同制作で描いた原爆の図を常設展示、いつでもそこに行けば見られるようにというような思いで、作者自身が立てた美術館なんですね。
作家自身が立てる美術館ってすごく珍しいなと思ったんですけれども、世界にそういった美術館ってあるんですかね。
どうでしょうね。作家が亡くなった後にアトリエが美術館になるというケースは思い浮かぶんですけれども、作者が生活をしてそこで絵を描きながら美術館を作るっていうのは結構珍しいんじゃないかなと。
03:09
そうですよね。
私が初めて行った時なんかはまだマルキトシさん、奥さんの方が生きてたので、本当に生活空間と美術館の分け目がない。そこがすごく面白いなと思いました。
本当にちょっと世界で珍しい美術館だと思うんですけれども、この原爆の図ということに関しては、ちょっとご説明いただいてよろしいですか。
もう皆さんよくご存知と思いますが、1945年8月6日、広島に人類最初の戦争しようという形で原爆、核兵器が使われたわけですね。
マルキ夫妻の夫の方のマルキイリは広島の出身で、もうその頃は東京の方に出てきてはいたんですけど、爆心地から2.5キロくらいのところに両親や兄弟たちが暮らしていたんですね。
なのですぐに広島に駆けつけて、被害の様子を見てきた。戦後になって、夫婦で原爆のことを書き留めておかなければいけない。
後々の時代に生まれてくる人たちにも、絵を描くことによって、絵は見れば誰でもわかりますし、人の命よりも長く残りますから、伝え残すために描き続けた、生涯のライフワークにした絵なんですね。
戦争が終わってから70年以上、80年近く経ってきていますけれども、今もなお人々に戦争の記憶を伝えるという意味では、とても貴重な絵だと思っています。
本当そうですよね。でも当時のことを振り返ると、そもそも簡単に原爆の被害の実態を伝えられなかった背景もあったということもありますよね。
そうですね。最初に原爆の図を描いたのが1950年で、原爆が落ちて5年後なんですよ。その頃って日本まだ占領されてて、アメリカの検閲で原爆の被害を伝えられなかったんですね。
写真も全部没収されていて、そういう時に描いて、結構日本全国あちこちで展覧会をこっそり開いて、人に伝える。
その頃だと、いつ原爆のことが表で語れるかどうかわからない時代でしたから、隠されていた被害、忘れられてしまうかもしれない痛みを人々に見せる、そういう役割は非常に大きかったと思いますね。
だからある意味すごいリスクを取りながら、危険だったと思います。
そうですよね。自分の描いた絵を皆さんに公開していったってことで、でもその活動も何年ぐらい続けたんですかね。生涯ずっと。
06:10
生涯、そうですね。日本国内巡回してたのは3、4年が非常に多かったですけど、その後世界に行くんですね。
世界でも20カ国以上、10年ぐらいずっと回っていって、国際的に実は知られている絵なんです。
日本に帰ってきた時に、これからは旅をしないで、一つの場所で絵を見せようと。
ということで、埼玉県の東松山市、ちょっと不便なところなんですけど、川が隣に流れてすごく景色がいいところで、広島の風景によく似ているということで、そこで暮らしながら少しずつ美術館を大きくしていったんですね。
私も行ったことあるんですけど、東松山市に行くには森林公園という駅から車とかタクシーか何かに乗っていけばいいと思うんですけど、意外と駅袋からだと特急で6駅ぐらいなので、そんなにすごい遠いっていう。
1時間。
そうですね。なのでちょっとしたプチ旅行みたいな感じで。
広島行くより近いです。
本当に気持ちのいい川のせさぎなんかも聞こえて、敷地の中でも緑がたくさんあって、ただその穏やかな風景と中で展示してある絵というのが非常に対象的だなというふうにも思ったんですけども、
ちょっと今のお話聞いてしまうと、皆さんなんかちょっと平和資料館に近いのかなって思われる方もいるかもしれないんですけども、ちょっとそんなことは全然なくって、むしろもっと強烈かなって私はちょっと思ったんですよね。
私も結構アートが好きで、いろんな美術館これまで国内外行ってきたんですけれども、その中でもすごく強い印象を残した美術館のトップ3にまるきぃは入るんですよね。
で、その残りの2つっていうのは海外ですから、もう国内の中ではダントツかなって。
国際基準ですね。
とは言ってもね、あの美術館の方に比べたら全然いってないですけれども、私がちょっと重要なポイントかなと思っているのは、平和資料館というのは基本的にやっぱり被害の実態を描いていることが多いんですけれども、原爆の図以外にもまるきぃ美術館の中には海外の歴史に関する何かそういった作品も置いてあって、そこが非常に大きなポイントかなというふうに思っているんですけれども。
そうですね。結局、生涯かけて描いていくうちに、原爆の図の中にも朝鮮人被爆者という単に日本人の被害だけで語れない問題って出てくるんですよ。
世界中回っていろんな人と対話をしたということは私はすごい大事だと思っていて、その中でアウシュビッツも同じようにユダヤ人がたくさん殺されていったり、中国では日本の兵隊がたくさんの人を傷つけ殺していったし、あるいは戦争がない時代に暴力はなくなったかというと公害問題があったり差別があったり、人の歴史の中で暴力ってあらゆる状況の中で人を傷つけ苦しめるんですよね。
09:20
そうですよね。でも最近だと、戦争のニュースが毎日私たちの目に入ってくるので、そういったリアリティを持って、だからこういった時だからこそやはり遠い国の状況なんだって報道で知るっていうだけじゃなくて、
じゃあ私たちの国にもこういったことが起きてたんだっていう実態を知る意味でも、あまりピースからに行くことっていうのはとても大事かなと思うし、そこで原爆の図とか今おっしゃってた以降の作品とかっていうのは体験してほしいなと思って。
そうで、自分がいつ傷つけられるかもしれないっていうのもあるんですけど、いつ自分が傷つける側に回るかもしれない。もしかしたらもうすでに傷つけているかもしれないっていうことも考えさせられて、それがマルキフサイの芸術のすごく重要なところだと私は思っていますね。
そうですよね。世界でも珍しい、作品名を付したミュージアムではあるんですけれども、いろいろとマルキフサイのことを知るうちにまたさらに驚かされたのは、この美術館というのが特に国からとか自治体からのお金も一切受けてなくて、支援者と入館料で運営していらっしゃるということを聞いたのがすごく驚いて、
こんな美術館のあり方があるんだっていうので、とっても私は感銘を受けたんですけれども。
断ってないんですよ。
断ってないですね。
もう50年以上の歴史がある美術館なんですが、初めから多くの方がこの作品が大事だ、この場所が大事だって思う人たち、本当に一人一人の小さな力が集まって、お金だったりマンパワーだったりするんですけど、それで美術館が自然に出来上がってくるみたいな。
その中心にいつも絵があって、原爆の図っていう絵があって、もちろん作者がいて、美術館も4階ぐらい増築してるんですけど、継ぎはぎの美術館っていうふうに丸木敏さんなんかおっしゃってましたけど、成長していくんですよ。
それ誰が成長させているかっていうと、絵を大事だと思う無数の人たち。一つの企業とかだと方針が変わったり景気が悪くなったりすると、歴史が途絶えてしまうかもしれないんですが、運営は常に厳しいんですけど、たくさんの人が支えてくれてるおかげで、いろんな歴史を乗り越えて今まで繋いできたっていうのも、作品の意味と繋がるような気がしていて。
12:07
私は美術館の運営もある意味、丸木夫妻の作品の一部かな。
なるほど。本当に何かないですよ。私もだから、世界でこういったミュージアムあるのかなって何か思いながら、いろいろね。
働くが大変ですけどね。
そうですよね。しかもあれですよね。岡村さん、美術館の唯一の学芸員だというふうにお聞きしたんですけども、一人でどうやって回してるんだろう。
そうです。実は去年から若い世代の学芸員が一人入ったので、二人に20年働いてようやく後輩ができました。
よかったですね。
未来につなぐこともできたので。
素晴らしい。それはよかったです。
20年ってなかなか普通に企業で勤めてる人も20年ついてる人なかなかいないと思うんですけども、これはなんかやっぱり転職ってことなんですかね。
分かりませんね。明日のことを考えないで、考えたらちょっとやっていけないので、日々その日その日を過ごしていたら20年経ってしまったという実感ですね。
それでね、岡村さんがね、そもそもどうしてマルゲリース館にたどり着いたのかなってこともお聞きしたいなと思ったんですけど、もともとちっちゃい頃から美術館がお好きだったんですか。
そうですね。なので割とすんなり美大に行って、もちろん制作っていうことも頭にないわけではなかったんですが、それよりも美術ってわからないじゃないですか。
普通の他の勉強と違って、学べば答えが出てくるものではないので、それをもうちょっと歴史的に論理的に勉強したいと思って、で学芸員の資格を取ることにしたんですね。
なるほど。
で、そのための実習でマルキ美術館を選んでお世話になったとが、マルキ美術館との出会いですね。
でも、どういうバックグラウンドがあって、そのマルキ美術館を選ぶのかなっていうのがちょっと気になって、ご両親が美術がお好きだったとかそういうのあるんですか。
全くないですね。
ない?
ないですね。勝手に好きになった感じですね。
そうなんですか。でも最初自分が絵を描いてた。
絵は上手いとかって褒められて、その気になって好きでしたね。
なるほど。でもそのマルキ美術館に学芸員の研修に行くっていう、選んだ経緯っていうのは何だったんですかね。
学生の頃ってまだバブル景気が残っていて、結構都心の新しい美術館が花々しかった時代なんですね。企業系も多かったし。そこは学校の授業でカバーされるんですよ。
なるほどね。
だけど歴史に取り残された原爆の図の美術館みたいなところは、もう学ばない。
15:02
そうか。
だからそれは自分で行って知るしかないなと思って。それがきっかけですかね。
それで。
ちょっとへそ曲がりですね。
いえいえ。でもそこでやっぱり運命の出会いというか。
面白かった。学校で学ぶことが何一つ役に立たない美術館というのが面白かったですね。
そうなんですか。
どうして役に立たなかったんですか。
発想がそもそも違くて、その頃大学で学んでいたのは美術館運営、企業目線が大事だ。
つまりお金を引っ張ってきてできることを。その頃に日本も元気だったので、新しいことをどんどん挑戦できた。
でもマルキ美術館は考え方が根本的に違くて、マルキ夫妻の生活の延長なんですね。
最初に頼まれた仕事が、裏の竹林にいて、竹の子を掘ってくるっていう仕事で。
それは結構衝撃で。
そうですよね。まさかそんなことをやらされた。
これ美術館みたいな。
でもその生活と美術がつながってる。
みんな手仕事で自分たちでできることは自分たちで積み上げていくっていうのが、文化の根本に触れた気がしたんですね。
ここから文化が立ち上がってくるんだ。
そういう経験をさせてくれる美術館は他になかったです。
ないですよね。
ってことはかなり自給自足に近い生活されたってことなんですかね。
そうですね。
そういう感じ。あとは近所の農家が野菜持ってきてくれたりと。今でもありますけどね。
いいですね。
じゃあそんななんかコミュニティーがあったっていうことなんですね。
そこに美術があるっていうのが、美術を学んできた自分にとってはとても重要なことのような気がして。
ここでしかない、こっちに根を下ろした文化を見届けようって思ったんですね。
いいですね。
その現在のマルキュ美術館の活動についてもちょっとお聞きしたいなと思ってたんですけれども。
その原爆の図以外にも企画展なんかもやられてて。
岡村さんいろんな本出されてるんですけども。
その中でも非常に面白いなと思ったのが未来へという本を出されていて。
原爆の図マルキュ美術館学園員作業日誌ということで2011-2016ということで。
これなんかそもそも書かれるきっかけって何だったんですかね。
きっかけはその前に50年代の原爆の図の巡回点の記録を掘り起こす本を出してるんですね。
でもそれって僕が生まれる前の話だし、みんな忘れ去られてしまった歴史を掘り起こすという。
その意味ではすごく大きな、自分にとって大きな仕事だったんですけど。
今この時のマルキュ美術館をどう語れるかっていうのもちょっと挑戦してみたいなと思ったのと。
この2011年以降マルキュ美術館の意味がすごく大きく変わってきたんですよね。
18:03
現代美術にシフトして、新しい世代の作家たちがマルキュ夫妻がいなくなった美術館の空間で新しいことを始められるような流れが出てきた。
それは記録に残しておきたいな。後々に意味があるかな。だから未来へってタイトルつけたんですけど。
マルキュ美術館で紹介してきた様々な若手アーティストっていうのが、かなりエッジの効いたアーティストが多いなと思って。
チンポムとかも先駆けて。
今森美術館でやってますけどね。最初に美術館でコテンあったのはマルキュ美術館でした。
そうですよね。森美術館ともすごい揉めてるみたいです。やはりマルキュの世にはいかないようで。
うちは自由ですからね。
そうですよね。そんなところから結構いろんなアーティストを紹介してるんですけども。
結構あれですよね。他のところでは展示できないような作品もいっぱいやってて。
それもさっきの話に立ち返ると、やっぱりこれって独立した運営体制で、行政から何も言われない立場であるってところも非常に大きいのかなっていうふうには思ってるんですけども。
そう思います。森美術館がなぜチンポムと揉めるかというと上に森ビルがいるからですよね。
そうですね。
国とか行政もやっぱり政治的な意見についてはしわりもあったりして、マルキュ美術館の場合は上にお金を出してくれる人がいないっていう。
逆に何をやってもそれに対して介入してくる人がいないんですね。
その代わり、世の中の幅広い市民が何を必要としているか、あるいはそうした大きな声にかき消されてしまうけれども、確かにある小さな声をどれだけ拾っていくかっていう社会的責任はあると思ってます。
そのことによって運営と結びついていく。マルキュ美術館を支えようという人たちの気持ちをつないでいくことができるとは思ってますね。
そのアーティストの選び方っていうのはどういうふうに選んでるんですか。
選んでいるのか選ばれているのかよくわかんないですね。
結構やりたいっていうアーティストからのアプローチもあるわけですね。
そうですね。どちらが先かもよくわからなくて、出会うっていう感じが一番強いと思います。
一つ決めているのは、この場所に来てくれた作家さんにやってもらう。
こちらからお願いして、作家さんの気持ちがそれほど高まっていないのに企画展をやるっていうことはしないですね。
わざわざ遠い美術館に足を運んで、場所を気に入ってここでぜひ自分が表現したいものがあるんだっていう強い気持ちを作家さんに持っていただくっていうことはとても大事だと思ってます。
21:04
ということは結構あれですか。
岡村さんから何か持っていくっていうよりかは、やっぱりアーティストさんとの対話の中で話が盛り上がっていくとか。
そうですね。そこは私が話すときも結構観察して見極めているところもあるし、
若い作家さん、面白い作家さんの展示をやると、作家さんが見に来るんですよ、美術館に。
なるほど。
そのことによって話がつながっていったりっていうこともありますね。
過去に今までやったのは、風間幸子さんとか、それから遠藤一郎さんとか、藤井ひかるさんとか、
私、去年見た中で一番強烈な鑑賞体験だったのは、白川芳生さんだったんですけども、若手ではないですが。
そうですね。
いやもう、あまりのインパクトの強さに。
強さ、そうですね。その辺もだから風間さんもチンポンの展示の時に来られて、
ああ、そうだったんですね。
ここでやりたいって思ってくださったし、遠藤さんもそうですね、
チンポン展の時に自分の車でお客さんを勝手に駅まで送迎を始めたりとかして。
それはすごい助かりますね。
作家さんに送迎してもらうなんて、お客さんすごいラッキーだと思うんですけど、
それ自体がアート活動みたいになってて、すごく面白かったですね。
すごい楽しいですね。
人がやっぱりつながっていくっていうその縁は大事にしたいかなと思います。
なるほど。
じゃあぜひ現在の活動の中でやっていらっしゃることを少し紹介してもらってもいいですかね。
今の企画展というところですかね。
そうですね。
あとマルキ美術館の方でいつもやっていらっしゃる恒例のイベントなんかあるとお聞きしてて。
今は東北側可能化という展覧会をしていて、
東北芸術工科大学の学生や先生たちが東北地方を掘り起こして自分たちの共同制作の作品を作るという展覧会をやっているんですけど、
5月5日の開館記念日には毎年コンサートやったりとかトークショーやったりとかっていうのがあって、
今年はちょっとコロナでライブはできないんですけれども、
オンラインでジャズサックス奏者の坂田明さんに原爆の図の前で演奏してトークもしていただくっていうのをオンラインで配信しようと思ってます。
楽しみです。
坂田さんも広島の出身なので。
そうなんですね。
そうなんです。しかも原爆の落ちた年に生まれてるんですよ。
なんと。
なのでちょっと楽しみにしているのと、夏は8月6日に隣の川で灯籠流しをやりますね。
これは毎年恒例で。
それはどういった形で参加できるんですか?
もうその日来てくださった方は皆さん灯籠に絵を描いて、夕方に下の河原に行って流すということをやってます。
24:04
大体いつも何人くらい集まっているんですか?
コロナの前だと100人とかそのくらいですかね。
すごいですね。
結構遠くから来る方もいらっしゃいます。
コロナでここ2年できてなかったんですが、今年は予定通りにいけば久しぶりに実現できるかなと思ってますね。
楽しみです。年内他に予定されている展示とかってあるんですか?
そうですね。夏にはツタヤ学さんというニューヨーク在住の女性アーティストが、やっぱりまた原爆をテーマに、現代の表現でアメリカと日本の核被害。
アメリカにも被爆者っているんですよ。
つまり原爆とか核兵器を作るにあたってウランを採掘したりする人たちですね。
それから核実験に巻き込まれる人もいます。
日本の被爆とともにアメリカの被爆もテーマにしながら映像を作って、それもアートなので全部絵に描いて、アニメーションのような形でちょっと不思議な世界をマルキ美術館で作ってくださると思ってます。
ニューヨークからいらっしゃるんですか?
来ます。
なんと。
はい。
それはすごい楽しみ。
コロナがどうなるか分かりませんが来ると思います。
そうですね。でもね、かなり緩和されてきてるからね、楽しみにしてます。
時代を超えた全く異なる表現が原爆の図と現代アーティスト両方がお互いに影響し合うっていうのを今のマルキ美術館のすごく大きな見どころだと思ってます。
本当これまで出てたアーティスト見ててもなんかこれ行きたかったっていう展示がいっぱいあってあれなんですけども。
結構ねあれですよね。開館記念で今度で何年目でしたっけ?
55年目になります。
お聞きした感じですと建物がかなり老朽化も進んでるってことで。
そうなんです。なので2025年ですかねを目標に新しい建物を今の美術館の骨格は生かすんですけどね。
壁床天井を新しくして生まれ変わるというようなプロジェクトを今目指しているところです。
寄付金を集めていて今ようやく2億円を突破したところですかね。
すごいですね。何人くらいの方が?
今8000人くらいだと思います。しかも日本だけじゃないんですよ。国外からも寄付してくださる方がいらっしゃって。
原爆の図って世界に知られている絵なので。
今インターネットが本当に普及している時代でこれから先は国境を越えてみんながこれは私たちの美術館だって思っていただけるような発信の仕方が必要かなと。
27:04
マルキ美術館さんのホームページに行ったりとかYouTubeチャンネルでもすごくいろんな動画を出されていて。
ぜひホームページにアクセスして関心持っていただけると嬉しいですね。
先ほどの寄付なんですけれどもホームページに行って、今やっているドナーボールプロジェクトっていうのがあって。
ある程度金額を出すとお名前を入れていただける。
壁にお名前が残るというプロジェクトもやっています。
あれ一口10万円くらいでしたっけ。
グループで参加しても結構ですし。
そうなんですか。
そうですねそういう形もあります。
まだまだね2025年まで時間もあるので少しずつ積算していって10万円に届くっていうようなやり方もあります。
そうなんですねいろいろあるんですよ。
どんなプロジェクトでなくても自分が決めた金額でも寄付ができる。
もちろん任意の金額でいつでも受け付けております。
素晴らしいそうですよね。
保存基金以外にもマンスリーサポーターがあったりとかいろんな形で美術館を支援することが可能ということで。
ボランティアなんかも受け付けてるんですか。
そうですね。
ボランティアがあってこそ運営できる美術館なので。
これから少しずつコロナ緩和されていってボランティアも復活していきたいなと思っています。
ありがとうございます。
やっぱりマルキ美術館っていうのは改めてですねミュージアムっていうのが与えられるだけの機関じゃなくって私たちがやっぱり能動的に関わっていって
残していく人類の遺産だっていうことを認識させてくれるすごくなんか貴重なミュージアムだなって思ってますので。
これからも美録ながら応援していきたいと思いますので。
岡村さんはですね実は今回あの1回目なんですけど2回目もありまして今度はですね東北側は可能かというゲーズやってる企画展に関してのお話もしていただけるということで。
ぜひ楽しみに2回目も聞いてください。よろしくお願いいたします。
じゃあ今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
30:00

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