1. そろそろ美術の話を...
  2. #034 美人画家 池永康晟のこれ..
2021-07-24 57:33

#034 美人画家 池永康晟のこれまでとこれから。(日本画家 池永康晟)

現代美人画で著名な池永康晟さんの画室に伺って、ご自身の経歴や今後の展望についてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/034 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 日本画家 池永康晟
    • 1984年、大分県立芸術短大付属緑丘高校(現、大分県立芸術緑丘高等学校)美術科を卒業する。高校卒業後、上京して独学で日本画を描き始める。2012年、〈うつふせて泣いたるきみは未だ夏果の微匂ひ・樹子(なつこ)〉で第8回菅楯彦大賞展佳作賞一席・百花堂賞受賞。2014年発売の画集「君想ふ百夜の幸福」は8刷りを数える。

Show Notes

00:03
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回も前回に引き続き、日本画家の池永康成さんの画質で、池永康成さんとともにお話をしていきたいと思います。
ということで、前半お疲れ様でした。
すいません、話が飛びました。
全然大丈夫、そういう番組ですので。
こんな質問、絶対みんなに聞かれると思いますけども、いつから絵を描くことに興味がありましたかという、すごいプレーンな質問です。
興味はですね、3歳の時に団地に引っ越しをしたんですけど、3歳くらいの記憶が1、2、3番目くらいまで順番に覚えてて、3つ目の記憶が新しくできた団地に引っ越しして、前の公園の砂場で遊んでたんです。
夕方になって、夕方だと思って顔を上げたら、団地の向こうの空が名前色に変わっていって、その時に自分と自分じゃないものがあるという自我が芽生えたのがわかったんです。
空を見た時、空は私と違う。
哲学的な3歳ですね。
そこまでは考えていなかったと思うんですけど、その時に、僕は絵を描くんだなと思っちゃったんですよ。
すごいぶっ飛びましたね。自我も芽生え、さらに画家になることまでわかった。
画家になるというか、絵を描く人かと思った。勘違いなんですけど。
でも、自分はそうなんだと思ったんです。
思ったんです。
前半トークでおっしゃったじゃないですか、次はデザイナーになって、建築家になって、王様になって。
多分一個前の池永さんの前世が、次は画家だって言ってたんでしょうね。
相当思って知りました。
だからその時に、多分前世の司令のやつが出てきたんでしょうね。
次は王様だぞって。
画家だと思ったんですか、その時。
だからなりたいと思って、憧れがないんですよね、逆に。
でもその3歳で、まず自我というのを発覚した時点で、画家という職業があるなんてわかんないわけじゃないですか。
だから画家と思ってたんですよ。絵を描く人。
それは途中でブレたりはしなかったんですか。
03:01
例えば最初そう思ったけど、途中でパイロットになりたいとか。
漫画家になりたいみたいなのはありましたけど、ただ要するに人間に生まれちゃったみたいな感じなんて、それは逃れられない。
なるほど。
思春期になると、人間としての自分ってすごい嫌っていうか、不完全なことに気が付くじゃないですか。
もう人と仲良くできないし、親にはイライラするし、人間としてどうやって生きていけばいいのってなるじゃないですか。
だから、絵描きに対しても、どういう風に絵描きになればいいわけと思ったんだけど、絵描きになりたいみたいなのはなかったんですよ。
もうだから決まってるんですもんね。運命論じゃないけど、絵描きだそうなんだ。
だから美術高校には行っては見たけど、能力があるわけじゃないんで、しんどいし、やりたくないし。
好きでもなかったんですか?絵を描くのが、でも絵を描くのが好きとか。
好きなような気はしてたんですけど、美術学校に行くと上手い子がいっぱいいて、戦えないし。
だから本当に人間に生まれたけど、いけてないなみたいな感じですよ。
つらい思春期ですね、それは。
つらいですよね。ただ逆に言うと、デビューは40歳で遅かったんですけど、もし憧れで始めてたら、もう辞めてたと思うんですよね。
何歳までやって目が出なかったら辞めるとかってあるじゃないですか。そういう感じでもないんですね。
それじゃなかったんですよ。もうだって人間に生まれちゃったからなーみたいな。
いやでも今さらっと言われて、その40でデビューまでの下りってどういう感じなんですか?流れとして。
まず美術高校出ました。で、美大に行くわけですね。
もうその美大が受けたら負けるのは分かってたんで、もうやっぱり逃げたんですよ。
行かなかったんです?
受験しなかったんですよ。で、高校時代カメラも好きだったから、東京には行きたいんで、写真の勉強するんで、専門学校に行くから東京に行かせてくれって言って。
で行って、結局1年しかやっぱり続かなかったんですけど。
でもその1年は写真家を目指すんじゃなくて写真屋さん好きがあるんですね。
そうですね。
そこからまた手に戻るわけですよ。
学校10区で辞めて、そうすると美術高校なんで、同級生が武蔵野美術大学の周りに行ってる子もいたし、
06:01
卒業して就職してない同級生がいっぱいいるんですよ。
そうすると東京に一回集まっちゃうんですよね。
美大の周りにコミュニティーができてて先輩もいるし、同級生もいるし。
そこに集まって、みんな働いてないわけですよ。
1人働くと、バイト始めるとそこに行ってみんなただ飯食べて、辞めるとまた違う子がバイト始めてそこに行ってご飯食べてみたいな。
なるほど。
そうしてるうちに田間美術大学を浪人してる同級生がいて、一緒にアトリエを借りようって。
一緒にアトリエを借りて、その頃借りれたんですよ。
すごいですね。
借金払ってたんですか?
払ってた?
その記憶もない?
夜逃げは2回ぐらいしてたんですよ。
払えなくてですか?
払えなくて。
大屋さんに鍵を手紙で送って、ごめんなさいって言って。
それが若き日ですね、20代。
今はダメですけどね。昔からもうダメだと思うんですけど。
当時よかったわけでもないですよ。
何とかなってたんです。
すごい時代でしたね。
一緒にアトリエ借りてる時に、まだ自分は油絵を描いてて、同級生は日本画を描いてて。
ちょうどその時に岡田幸子さんが亡くなったんですよね。
自殺されて。
ファンだったんで、彼女のために霞草の花束を描こうと思って、油絵で描き始めたんですけど。
霞草って細い枝がたくさんあるはずなんで、油絵で描いてたら、こういうのは日本画でやるんだって言われて。
同級生のやつに。
そっから日から日本画を始めたんです。
それが理由なんですか。そもそもなんで霞草にしようと思ったんですか。
好きだったんですよね。
その当時はね、繊細な男だったんですよ。
今も多分そうですよ。繊細。
まずショッキングなニュースを見て、自分にもできないかと思って、霞草。
でもいろんな偶然が重なってますよね。
友人がいなかったら、何とか油彩で描いたかもしれないですよね。
日本画第1号は霞草なんですか。
全然できないんですよ。やり方がわからない。
前半で話されてましたよね。
一緒に住んでる子が日本画を描いてるんで、横で見てやったりとか。
でもそれもすぐ彼は霜日に受かったんで、引っ越してしまったんですけど。
09:04
それからどうしたんだったかな。
日本画を描いてたんですよね。でも作品には全然ならなくて。
でも学校行かずにも独学でずっと描いてたんですよね。
でも描いたものを発表する場はどこだったんですか。
発表してないんです。
本当に自分で描いてるだけ?
はい。
友達が霜日の米谷先生という日展の先生の研究会があるんで、そこに行ってみないといって顔を出したりしてたんです。
その時も作品ができてないし、お前は誰だって。
学生でもない奴が来て。
グループ展みたいなのには参加したことはあったんですけど。
それが25、6なのかな。
普通だったら諦めてたりしてますよね。
でも画家で生まれてきちゃってるから、そこに特に疑問を抱かずにやってたんですか。
そうですね。
その時に美術年間っていう、美術の…
タレントメーカーみたいな。
タレントメーカーの編集の人がたまたまそのグループ展に見に来て、
私の絵を見て、俺は3万人の絵描きを知ってるけど、お前は知らねえなって言われたんですよ。
そりゃそうでしょうね。
知らない奴がいたって言って、なんか面白がってもらって。
そこから毎晩、毎晩、飲みに連れて行かされるんですよね。
その頃は何描いてたんですか。まだ布と出会ってないわけですもんね。
その頃はちょうど有本俊夫ブームがあって、若手の作家みんな有本俊夫になった時代。
有本病にかかって。
有本病にかかって、もう亡くなられてた頃かな。
35歳だか6歳だか、若くして亡くなってますもんね。
そうですね。なのでその、アフター有本俊夫みたいなね。
フレスコ画っぽい感じの人物が。
フレスコ画っぽい感じの人物が。
ルネサンスの天使、あの時の天使の絵を抽出して描いたみたいなのをちょっとやってたんです。
それを日本画でやってたんですね。
日本画で。
それを美術メーカーの方が面白がってくれます。
その頃、なんとか絵の具もくっつくようになって。
板とかキャンパスとかにいろんなものを描いて。
12:02
一生懸命他の人の絵も見たりしたんで。
いろんなことがちょっとずつできるようになって。
そうすると一枚の絵に、あれもこれもできること全部詰め込んじゃおうと思って。
っていうのを描いてたんです。
覚えたことを。
そのグループ展の時にそこの画賞さんが、お前いいけどこれ一生やるのかって言われて。
その時言われた意味が分からなかったんです。
やりますよって言ったんですけど、まっすぐ行き詰まっちゃって。
やりすぎてる。
じゃあ一個描くのにも労力かかるんですね、だいぶ。
っていうのがつまんないんです。
野球もピッチャーストレート投げたりカーブ投げたりするから試合ができるんで。
全球真球を投げようとしてる人みたいなのがあるんですよ。
ずっと消える真球って。
160キロだけどすごい曲がるみたいな。
それは確かに見てる側もつまんないですよね、やってる側もだし。
そんなことできないって。
どんどんどんどん辛くなっちゃうんですよね。
それで27、8ぐらいの時にもうダメだと思って。
それで大分に戻られる。
そこでさっきの話で。
見つかったわけですね。
たまたま一触ができたんで。
今まで人をびっくりさせるために身につけた技法は全部やめて、
それだけでやろうと思ってたんですけど、
そこから結局7、8年かかっちゃうわけですよね。
それも独学でいろんな研究をしたってことですか、その色を出すために。
色の再現で5年ぐらいかかって、そこからまた人物。
要するに20代の頃にはお手本があったわけですよ。
有本俊夫がいたり、レナサンスの絵があったりして。
そこからこれをつまんでみたいなやって。
目標があるわけですよね。
真似して描いたんでなんとかだったんですけど。
それを忘れて自分の肌色と自分の方法で描くっていうのがどうしたらいいのかわからない。
完成形が見えてないけど、とりあえずこの武器は使えるぞっていうのはわかるけど。
そうなんですよね。
どう活かしていくかみたいな話。
多分30の後半ぐらいかな。
時系列があちこちいってると思うんですけど、頭の中で。
なんとか後藤久美子さんの写真集から描いた絵が1枚あって。
貝殻のやつですか?貝殻ビキニと。
それ竹田久美子さんですよ。
F1の人と結婚した人ですよね。
15:01
そうです。
久美さんって僕の勝手なイメージですけど、世代と違って小麦色のイメージというか。
そうですね。色黒ですよね。
それと色があったんですね。
いやいや、たまたま僕の美意識の原点なんで。
久美さんが好きなんですね。一番好きな方。
たまたま1枚なんとか描けたのを、さっき言った美術年間の編集者の人に見せたら、
お前は10年何やってたんだって言われて。
そっから毎晩飲みに連れて行かれるようになって、その絵を1枚持って飲みに行くんです。
飲みに行くと、そこのスナックのママとかに見ろって言って、
こいつはろくでなしだけど天才だから見ろって言って、絵を持って歩いてくれるわけですよ。
私は毎晩飲まされるんでもうしんどいんですけど、でもあっちに行ってはママに向こう見ろって言って、
こいつはろくでなしだけど見ろって。
ろくでなしのところもの。
じゃあこれを描けばいいんだなって。
それが今の作風の原点なんですよね。
でもそれはすごい良いですよ。今だから今売れてるっていうか、
今成功されてるから話し切りしてすごい話だなと思うけど、
10年やったものを例えばその美術メーカーの方が見て、
ダメだなこれって言ったらもうそこで終わってたかもしれないじゃないですか。
そうですよね。
すごい良かったですよね。その10年がちゃんと認めてくれた人がいなかったら、
だって分かんないわけですもんね。自分の中でも何が正解かっていうのは当時は。
良かったですよね。その10年間が認められてというか。
だからよくできてるんですね。ちゃんと人間頑張っていれば。
まあそんな頑張ってないんですけど。
でも10年間本当どういう感じだったんですか?
毎日朝から晩まで土を塗って洗って繰り返してたのか、
それとも結構1年間通すとダラダラっとしてる時もあったなって感じですか?
10年結構密な感じでした?
どうですかね。アルバイトもしてたし、
ただ毎日今日は何時間書いたみたいなメモは付けてます。
休んではなかったんですか?振り返ってみて。
どうですかね。今見るとそんな働いてないですね。
今ほんと働いてない?
それでデビューはどうなるんですか?
今の段階ではまだスナックのママが見てる。
そうですね。
これが一般の目に触れたのはどこなんですか?
最初の個展はカフェを借りてやったんで、
18:01
正式に言うと初個展っていうほどではないんですけど。
それが何歳の時ですか?
それが2003年の暮れなので、
38か、39かですね。
よくやれましたね、そこまで。
そこからは順風満場というわけで、どうでした?そこからは。
その後、ちょうど2003年なので、
インターネットがちょうど普及し始めた頃で、
2003年の暮れの個展をやる時に、
印刷屋さんにDMを作ってもらおうと言ったんですよ。
僕は写真を持って行ったらDM作ってくれると思ったんです。
そしたら、データを持って来いと怒られて。
そろそろそうでしょ。何も知らないですね。
データって何?と思って。
カフェに個展をやりたいんですって言いに行った時も、
カフェの運営をしている人がカナダの女性の、
青山の外国人のお客さんばかりくるところだったんですけど、
連絡するのでアドレスを決められて、
メールアドレスも?
さすがに携帯とか持ってましたよね?
携帯持ってました。
パソコンもあったんですか?
パソコン持ってないです。
じゃあもうメールアドレスがわかるんだ。
DMするための地図とかのデータがあるじゃないですか。
それを送るから、
イラストレーターを持っているかって聞かれたんですよ。
僕はイラストレーターかって聞かれたと思って、
僕はペインターだって言って、
ペインター?って言ったんですけど。
アンチャッシュのコントみたいなぐらいのすれ違いですね。
うん?って言う顔されたんですけど、
そんな感じですよ。
それであわててパソコンがいるらしいって言って、
そっから揃えた。
パソコンを買って、
ホームページを作ったら、
絵描きでホームページを作っているのは洋画家はゼロ人だったんです。
当時。
日本画のフリーランスの日本画家が10人くらい。
少ないですね。
本当にそんな時代です。
僕も出遅れたと思ったんですけど、
パソコンを買った時は。
洋画も日本画家も団体があるんで、
個人ってそんなに発信していなかったんですよ。
なるほど。
インテン・ニッテン・ソーガっていうグループに出してれば、
作品見てもらえたんで。
逆に日本画のフリーランスの人って、
作品見てもらえる機会がなかったんですよ。
そっかそっか。
21:01
それで逆にホームページを作ってて、
僕も作ったら、
さっき言った年間の人が、
オールアバートって当時の何でも載ってる。
あの当時検索すると全部オールアバートに飛ぶっていう時代で、
そこで若手の日本画を紹介するっていうサイトを持ってて、
どれこんなところにいると思って、
そこで紹介してもらったんですよ。
そういうことなんですか、流れとして。
そうするとあっちに日本画描いてる人がいる、
こっちに日本画描いてる人がいるみたいなので、
フリーのネットワークができて、
2004年に京都の作家さんに、
グループで呼んでもらったんですよ。
その打ち上げの飲み会の時に、
お前古典やれって言われて、
2005年に京都で古典をやったんです。
それが一応ガローデビューですか。
そうですね。
よくできてますよね、ストーリーが。
そうなんです。いろんなタイミングがあったんですよ。
10年潜ってたのも今考えると良かったのかもしれないですね。
そうなんです。いろんなタイミングが。
だから僕ね、騙されてるんじゃないかと思って。
プログラム、誰かが。
僕の映画があったんですよ。
何の映画ですか。
全部監視されてる話。
トゥルーマンショー。
ジム・キャリーの。
私あれじゃないかと思って。
話がどんどん拍子に行くんで。
エド・ハリスみたいなのが後ろにいて、
良いタイミングで指示してるんですね。
こんなことはありえないと思って。
おかしいと思って。
自分のために人が動いてくれるし、
面白がってくれてる。
私は人のために何かしたことがないんで。
いやいや、してますよ。
こんな自分を面白がって何か動いてくれる人がいるっていうのは
絶対怪しいと思って。
でもそれで満身はしなかったので、
ある時期からは絵描いたら評価もしてたんですよ。
絵描いたら評価もしてもらって売れて。
普通だったらどうにかして楽する方法。
楽してたくさん絵を描けたらその分売れるわけじゃないですか。
そういう気持ちにはなんなかったですか?
途中でどっかで。
それはどうですかね。
楽してたくさん描く方法っていうのがないんですよね。
だから少しでも楽し方がないんですね。
そうですね。
24:00
今はさすがに絵描いて楽しいなと思うんですか。
初期の時には楽しくなかった高校生時代とかあるわけじゃないですか。
今はさすがに。
いや。
誰かにプログラミングされてるんですかね。
だから本当にその、やっぱ人間なんですよね。
その、所詮。
世間から言うと、
絵描きさんって尋常じゃない精神力みたいな、
尋常じゃない人間だと思ってる節はあるんですけど、
所詮人間で、
本当に宇宙人みたいな人はいるんですよ。
混ざってる。
画家の中に。
芸術家の中に。
リミッターが外れてる人とか。
そういう人と見るとやっぱり、
所詮人間なんで。
かつもう辛いだけですね。
辛いですかそれは。
今どうというか、
今現像されてる方で宇宙人みたいなと思う人いるんですか。
自分が接する。
いますいます。
名前出せる人っていますか。
名前はね。
出してピーでもいいです。
日本画の平さん。
若いですよね。
若いです。
平式さん。
それはどういうところが宇宙人っぽいな。
あの子は例えば、
アートフェアなんかで3日間アートフェアやりますよね。
そうすると、
接客すると疲れるわけですよ作家さん。
彼女は疲れたくないから、
回帰中絵描いてるんです。
回帰中に10枚くらい描いちゃうんですよ。
そんなに描けちゃうんですか。
なるほど。
リフィッターが外れてて、
描くことが楽しいんですね。
それは羨ましいと思うんですか。
羨ましい。
だから制作して、
休憩で絵を描いたりとかする人もいるし。
よっぽど好きでってことだ。
常にそのマインドなんですね。
画家モードというか。
画家モードというか、
リミッターが外れてるんですよ。
やっぱり人間とブレーキかけちゃうんですよ。
自分が壊れるのに。
そういう意味では、
この間話した長寿さんも、
全方向にきちんとできる。
確かに。
制作もできるし、
人間関係もきちっとできるし。
トークもよくやってますからね。
僕が夜中なんかに長寿さんに、
僕は夜になって寂しくなっちゃうんで。
寂しい。
もう寂しいんだっていうメールを送ると、
ものの30秒ぐらいで、
27:00
励ましのイラストが届くんですよ。
文章じゃなくて、
絵で描いてる。
すごいですね。
だってそれはもう、
そのためだけに描いてるわけですもんね。
そうですそうです。
よっぽど好きなんです。
それがもう普通なんですね。
すぐ体が動く。
もう24時間すぐ体が動くんですよね。
逆に池田さんはそれはないんですか?
僕はないんですよね。
今、冗談で言いますけど、
例えばちょっと絵描いてくださいよ、
みたいなノリで言ったら、
描くもんなんですか?
描けないです。
能力がないんで。
サラサラと。
サイン描いてくださいって言われたらどうするんですか?
字だけは描きますけど。
イラストは描かないです。
絵でパパパって。
もう描かないです。
リミッター外れてる人は、
そういうのもいけちゃうんですね。
ずっと描けちゃう。
でもそれはどっちがいいんですか?
あとしては。
リミッターない方がいいと思います。
憧れるんですか?
憧れますね。
でも話聞いてると、
よっぽど池田さんもリミッターないなと思ってます。
だって最初からだって、
普通だったら、
やめたりすると思うのに。
やっぱり好きなんですか?
絵は。
そんな根本の玉ですけど。
絵はね、
難しいですよね。
でも画家を辞めようとは思わないんですか?
思わないですよね。
だから38、40がデビューしてから、
この間に、
ちょっとしんどすぎて、
ちょっと一回休もう。
ちょっと半年ぐらい休ませてくれとかもないですか?
それはね、毎日休みたいんですよ。
めんどくさいんですか?
うん。
人間辞めたいみたいな。
逆にモチベーションは何で保ってないんですか?
モチベーションは、
だいたい朝起きると、
今日はもう絵を描かないと、
まず思うんですよ。
気持ちがちょっと、
スッとするんですよね。
そう思うことによってですか?
それで、
草むしりをしようと思って、
草むしりを始めるんですけど、
めんどくさいんですよ、草むしり。
はあ、めんどくさいと思って、
もう絵を描いてた方がいいかなって。
そうだよね。消去法なんです。
そうなんです。
二択で言ったら、
絵描いてる方がまだいいかって。
だからもう、
それ以外のことが、
絵を描く以外のことが、
もっとめんどくさくて。
そうか。
じゃあ趣味とかはないんですか?
趣味ないんですよね。
絵描いてる時以外は何してるんですか?
テレビ見たりもするんですか?
ずっと絶望してる。
部屋でですか。
でも前半の時に、
30:00
アイドルは好きだって言われたんですけど、
それは未だに抑えたりするんですか?
そうですね。
詳しいですか?結構そこは。
いや、それほどでも。
今一押しのアイドルはどなたですか?
ちなみに。
今一番押しは。
普通なんですよ。
全然いいです。
普通に日向坂ですよ。
普通じゃないですよ。
めっちゃ抑えてますね。
俺もだってもう分かんないですもん。
だから、
乃木坂が出てきて、
何が出てきたのか。
もうそんなレベルですよ。
俺も38ですけど。
平手ちゃんがやってた、
ケヤキ坂。
そこからはもう、
顔分かります?
顔分かります。
めっちゃ若いんじゃないですか。
坂道は割と、
踊り、ダンスとかゆっくりなんですけど、
エビチュウとか。
聞いたことある。
あの子たちのパフォーマンスを見ると、
モデルさんって、
ある日から突然来なくなっちゃったりするんですけど、
女の人の、
この瞬間に、
全部燃やし尽くして、
明日から違うことになっても、
大丈夫みたいな。
男ってなんか、
これ一生やんなきゃみたいなのあるじゃないですか。
ありますあります。
アイドルになったら、
もう一生アイドルだから、
省エネで行こうみたいな。
何年定年日でやれるかみたいなところがあるんですけど、
若い女性グループのパフォーマンスの、
この瞬間燃え尽きるのかみたいなのを、
なるほど。
やめたりするでしょ、女の人。
はい、いわゆる卒業しちゃうみたいな。
引っ張りやめたりすると、
なんかね、
自分がそういう、
燃やし尽くすみたいなのがないんで、
憧れるんですよね。
先行花火が最後、
光を放つみたいな感じですか。
そういうの見ててわかるんですか、
この子はもう今出してるな、
もうそろそろ燃えるなみたいな。
この子っていうか、
グループ単位で。
それは何で見てるんですか、
ネットで見たりコンサート行ったりするんですか。
コンサート行かないですよね。
ネットで見て。
それで、書きたい名はないんですか、
この子書きたいぞみたいな。
それはありますよね。
言っといたほうがいいんじゃないですか、
言ったりするんですか、後編したり。
あんまりはないですけど。
言っといたほうが、どっかで回り回って、
だって書いてほしいって言うと思いますよ。
アイドルってどっちかっていうと、
少女のイメージじゃないですか。
少女と、いわゆる大人の美人。
美人とか美人が。
境目みたいなのがあるんですか。
33:00
全女性は全女性ですか。
少女については、
少女合衆っていうのを
一冊出したんですけれども、
その制作期間中は、
もうすごい辛くて。
辛いものなんですか。
結局少女とどう対峙したらいいかっていうのは、
初めから最後まで答えが出なくて。
特に少女合衆のモデルさんは、
全員若いアイドルの方だったんで。
向こうもアイドルとして生きないといけない
っていうリミッターがあって。
でも僕の役割は、
それを乗り越えないといけなかったんですけど。
気を抜かせるじゃないけどってことですよね。
結局それができなくて。
優しいおじさんに思われたくて。
ファンだしね。
乗り越えていいのか。
たぶん乗り越えないとダメなんですけど。
すごい苦しかったんですよね。
アイドル好きの自分もいるし、
悪く思われたくないですもんね。
でも画家としてはそうですもんね。
少女の狂気みたいなのも描ければよかったんですけど、
それもできなかったんで。
難しいですよね、少女っていうのは。
少女と少女じゃなくなる境目みたいなのって、
池沢さんの中ではあったりするんですか?
このまま少女卒業したなみたいな。
大人の女になったなみたいな。
言い方は難しいですけど、
指の動きとか。
諸作ですか?
少女はですね、指がバラバラに動かないんですよ。
例えば、見た目だけの話ですけど、
例えば髪を指ですいてみてくださいっていう時に、
少女はね、髪を掴むんです。
長い髪を。
大人の女はこう動くんですよ。
歯を引くような感じになるんだ。
なるほど。
グッパーじゃないんですか?
グッパーしか動かないんです。
これは心理的なものなのか、
こういう動きを覚えるかどうか。
しなやかな動きですか?
これでわかるんですね。
36:01
この子はちょっと大人びったな。
わかるっていうか、苦労するところですよね。
絵としてはやっぱりしなやかな動きしてくれた方、
モデルさんの方がいいですか?
そうです。
でも本当その指一個で変わってきますか?
作品の質も。
そもそも揃うとダメなんですよね。
それは少女で描いているときには、
揃っているなと思うと、
ちょっと指を動かして。
こうやるんですけど。
そんなに動かないんですよ。
動かない。
知らなかった。
それは見分け方すごいですね。
池中さんじゃないとわかんないですよ、それは。
手に胸を置いてっていう時も、
こうしかなるんですよね。
グッとかかる。
よく醤油とか注ぐときも、
小指だけが上がったりするのが色っぽいとか言うのは、
やっぱりそういうことなんですね。
指の動きがバラバラなんだ。
なるほど。
俺聞いてるでも女性の方は、
ハッとしたかもしれないですよね。
今までグッパになったかもしれないから、
真っ直ぐから。
それが、
書作を覚えるっていうことなのか、
心理的なものなのか、
なんでしょうね。
なるほど。
この先を言うとダメなんですね。
僕もだからそうですね、
色んな例えが思えたんですけど、
多分ダメなんだろうなと思って、
ずっと飲み込んでました。
そうなんです、なるほど。
勘のいいリスナーの方は、
各々で考えてくれるってことですよね、これは。
そうなんです。
美人画についてさらに聞いていきたいなと思うんですけど、
美人画にこだわる理由ってのはあるんですか?
僕も便宜上美人画と言ってるんですけど、
今なんとか美人画ブームって言われるような状況が、
ここ何年かあるんですけど、
若い学生の方とかは、
美人画描いたら売れるから描いてるんでしょみたいな、
それ偏見もあるんですか?
なんですけど、
実は日本画で人物画っていうのが、
ここ50年描かれなかったっていうのは、
ちょっと知っておいてほしいですよね。
それまでちょっと20年、いつぐらいから、
50年ってことだから風景画のメインだったっけ?
課長図とか。
私の中ではメディア50年周期説っていうのがあって、
日本で映画産業始まったのと1900年なんですよ。
テレビ放送が始まったのが1950年で、
インターネットが2000年なんですよ。
ちょうど周期あるんです。
ちょうど50年のことに変わってて、
美人画の時代って、
39:02
近代美人画の時代、
1900年から1950年くらいまでなんです。
その頃上村翔也さんとか、
そうですね。
上村清勝さんとか、
いわゆる美人、日本の美人画。
1950年から途絶えちゃうってことですか?
そうですね。
それはね、映画の時代。
そっか、そっち側に美人が行っちゃうからってことですね。
見る人の気分が、
メディアの変化で変わるんですよ。
映画は、銀幕の向こうの、
存在するかどうかさえ怪しい、
銀幕の向こうのビジョンに憧れるみたいな気分って、
美人画を見る時の気分とすごいマッチしてるんですよ。
50年になって、テレビ放送が始まって、
その後グラビア雑誌が創刊になるんですけど、
そうすると憧れの対象が、
より身近なアイドルになって、
より現実的なものになるんですよ。
1950年くらいまでいた和装の和服を着て日本髪を言って、
旦那を待ちわびるみたいな風景って、
まず現実になくなってくる。
求めるアイドルの気分もそこで変わってるんです。
生活様式が変わったのと。
アイドルとグラビアの時代になるって1950年から。
その時に日本画が和装の女性から、
現代の女性を描かないといけなかったんですけど、
洋服の女性とか、
もしかしたら水着の女性なんかわかんないですけど、
それはやらなかったんです。
そっから絵画は、
大衆に向けてものを作るんじゃなくて、
技術家の中に入っていくんですよ。
1950年の空白があって、
2000年になって、
アイドルがより24時間監視体制になるわけですよ。
Twitterもやるし、インスタとかもやる。
会いに行けば握手ができるし、
もう24時間配信されるわけですよ。
そうすると憧れの対象が、
疑惑に変わるわけですよ。
そう変わっていくんですね。
逆に2次元、バーチャルアイドルみたいな、
巻き戻しがあって、
ちょうどその時期に、
僕たちが現代女性を描くっていうのを始めたのがリンク氏。
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今こういう状況だからこそ理想を求めるんですね。
一つフィルターが欲しいみたいなのがあると思うんですよね。
ようやく日本画が、
人物画というか美人画というか、
描けるようになった。
ずっと続いてるように思っちゃいますね。
いわゆる北川たまろから始まりだと思ってるけど、
半世紀の断絶があったっていうのは、
ちょっと知っておいてほしい。
確かに。
その時に、これから僕らずっと描き続けられるかっていうと、
またちょっと世相が変わってきて、
ここ最近のことですね、2020年。
新しいジェンダーの意識とか人権の意識みたいな新しい考えが出てきて、
じゃあ美人画って何?
美人を描くっていうことが正しいことなのか?
なんか今ミスコンとかも配信になったりしてますからね。
例えば文化東洋の問題とか、
人物描くのは着物を描くのはいいけど、
洋服の人を描いていいのかみたいな。
なるほど。
逆もありですよね。
美術が道徳的に正しくなければいけないみたいな、
圧力が強くなっていって、
もともと日本以外の国っていうのは、
もともと人物を自由に描ける国ってあんまりなくて、
江戸時代に庶民のために浮世絵があって、
それで日々庶民が楽しんでるみたいなのは、
実は得意な例であって。
確かに。
あの時代の浮世絵だと、
その辺のお茶屋さんの娘とか、
その辺のカリスマショップ店員とか描けたけど、
同じ時代にヨーロッパに街娘描いた絵があったって言ったらないですよね。
基本的に権力者と宗教の題材にしないと描けないっていうのが。
そうか。
だから日本は得意なんですね。
当たり前なのに思ってたけどって。
得意なんですよ。
その得意なものをようやく復活したのに、
さてこれから外圧にまた耐えられるかどうかっていうのは、
ちょっと考えた方がいいと思うんですよね。
実際にちなみに圧受けたなって感じはありますか?
今のところ。
美人画ブームって言われるようになった時に、
きっと圧力はあるだろうと思ったんですけど、
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なかなかそこに至らなくて、
まだ世間に美人画っていうものが、
まだ世間に見えてないのかなっていうのは。
逆にですか。
それはそれでもどかしいようです。
もっとみんなに見てもらいたいし。
でも見てもらったからって言って、
あんまり議論にはなってほしくないと思います。
一度やらないといけないと思ってるんです。
ちなみに今池永さんの作品に対して、
ファンは男性女性どっちが多いですか?
半々ぐらい。
別に女性の方から、
女性を対象として描いてるんじゃないよ、
みたいな言い方はされないとですね。
だから両方からちゃんと。
作品に対してはそれほど言われないですけど、
言動に対してはすごい言われます。
何を言われますか?
気持ち悪いっていうのがすごくあります。
どういうことですか?
要するに作家とモデルの関係性を、
要するに人物画っていうのは、
モデルさんが見せてくれたものしか描けないので、
あなたの作家性は何ですか?
みたいな質問があるんですけど、
僕らはモデルさんが見せたものしか描けないんですよ。
そうするとモデルさんとどういう関係を作るかっていうのが
重要になってきて、
たびたびモデルさんとの関係をどうしたい?
みたいな話はするんですけど、
そうすると気持ち悪いっていう。
これでもさらに、
池中さんはすごいダンディな方だなと思って、
別にあれですけど、
やっぱり年齢もまた見えてくるわけです。
50、60、70とかになった時に若い子描いてると、
って言われるかもしれないしとか思うと、
これって女性がやっぱり女性が描いた方が有利なような気が今しました。
距離感のことも含めて。
そういう感じは思ったりするんですけど、
もし美人画だったらやっぱり女性描いてる方がいいのかなとかってあります?
その男女差。
それはもうだから今、
美人画、いわゆる美人画の作家ってもう女性の作家しかいないっていうこと。
ほとんど女性作家なんですよね。
それは感じますか、その部分。
感じますね。
僕その写真をやるって言って東京に出てきて、
1年しかやらなかったのは、
ちょうどその時にカメラがオートフォーカスになって、
露出も自動になって、デジタルも出始めて、
それまでカメラって男のもんだったんですよ。
男が女を撮るっていう、そういう時代だったんですけど、
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これ女の人が写真撮り出したら、
男はかなわないんじゃないかっていうのは思ったんです。
その段階で18人撮りに行ったんです。
今もう写真を撮るっていう声はもう女性のものっていう感じ。
インスタとか見れる、そうですよね。
そうすると女性が女性の日常を撮る。
女性の日常って男は見れないわけですよ。
そうですよね。
もう絶対乗り越えられない壁があって、
だから今女性の作家がどんどん出てきてるのは、
これはもうかなわんなっていうのはありますよね。
でも逆に男性だから有利な部分ってあったりするんですかね。
例えば色気を出し方、色気を描くとかは、
目線としてはやっぱり異性を見てる方が強いなと思ったら、
その部分を見せてくれるのは確かに女性画家の方が
有利なような気はしたんですけど、
池永さんが考える、男性美人画家は有利だろうと思う部分ってありますか。
多分そこが近代美人画の飽きられたところなんだと思うんですよね。
一つ理想化された女性、旦那を待ちわびる女性みたいな、
待ちわびながら美しい旦那を作っているみたいな、
そういうその一つのテンプレートが見放されたところだと思うんで、
だから今男の僕も描きたいのはそういうところではないんで、
まあ難しいですよね。
ちょっと下世話の話になっちゃうので、
ヌードは描きたいなってことはあるんですか。
ヌードは描きたいんです。
ただなかなか肌色の面積が大きくなるっていう技術的な問題もあって、
なかなか挑戦できないんですけど。
ヌードだったら男性の方がまだ有利なのかなって気がします。
それはそうでもないですか。
女性が描く女性のヌードと、男性が描く女性のヌードと、
よりエロスというか、男性が強そうな気がしますけど、
どうですかそこに関して。
多分見る人はどうだろう。
ただ作家が求めているものって、
そういうエロスって散々見てきたものなんで、
やっぱりなんだろうな。
日常みたいなのが見たいんですよね。
本当は僕が見たいのは、
風呂上がりに首にタオルかけてビール飲んでる女の人なんですよ。
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なるほど。
でもそこにたどり着くのが大変なんですよね。
見つけなきゃいけないんですよね、そういう相手をって。
おっしゃってましたもんね。
ボナールがマルトを描く。
いつもお風呂入ってるマルト描いてるのがそういうことだって話してましたもんね、クラブハウスの時に。
ああいうのが理想像。
そうなんですよね。
悲しさとね、
もう描かずにはいられないんだけど、
全然描かせてもらえないっていう。
自分を無視して風呂に入ってるだけみたいな。
そんなのばっかり描きたいわけじゃないんだけど、
もう描かずにはいられないんだっていう。
その悲しさと、でも純粋さと、
なんか一番憧れるんですよ。
そうするとやっぱりそういう人を見つけるところからやらなきゃいけないんですね、確かに。
いやでも美人画は深いですね、そう考えて。
ちなみになんですけど、今後美人画で例えば展覧会やっていきたいとか、今も画集とかも出てたりしますけど、今後の展開ってあるんですか?
今後はですね、今少しずつ計画してるのは、
日本画には美人画っていうジャンルがあって、洋画には写実絵画っていうジャンルがあって、
美人画VS写実、全面戦争みたいなのをゆくゆくやりたくて、
去年私と山本寛さんが一対一で対決をしたんですけど、
同じモデルさんでですよね、ユーザー一緒にして。
次は3対3でやろうっていう話になってまして、
ゆくゆくはお正月は全面対決みたいなお祭りはやりたいですよね。
東西予選みたいな感じですよ。
お正月怪獣映画みたいな。
怪獣映画のイメージなんですよ。キングギドラス対何とか。
怪獣大集結全部出てくるみたいな。
それと後は美人画ムームって言われるようにはなったんですけど、
まだ学術的な評価の部分がきちんとできていないので、
美術館で学芸員さんを入れて、
今話した現代美人画に至る歴史とか、
今後の意味みたいなのをちゃんと評価できるような展覧会を、
日本が全員大集合ですけど、それがちゃんとやりたいですよね。
美人画は牽引してますね、そう考えるときは。
今日本、こんな話もよくするんですけど、
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日本の企業が海外に行って自分の商品を売りたいって時に、
シャラクとかオクサイのイメージを使ったりするんですけど、
そうすると海外の人は日本のイメージだって言って、
日本の製品じゃあ買ってみようみたいな戦略が取れるんですけど、
そういう愛好を持ってる国って、どの国も持ってるわけじゃなくて、
実はすごくまるで幸福なことで、その恩恵すごい受けてるんですよね。
実は。
これからそういうものに変わるのって、今のポケモンとか、
マリオとかになっていくんだと思うんですけど、
今、美人画の中から1枚でもアイコンが新しく生まれれば、
私じゃなくてもいいんで、
がもう一番の依頼に対する期待ですよね。
とても草むしりをめんどくさがってる人は思えない、
すごい考えてらっしゃるなと思う。
ぜひその3on3やるときとかも、またぜひ3on3で出てくださいよ。
この番組対決パターンで出ていただきたいですし。
そうですね。
あっという間にもう50分経ってしまったことなんですけど、
これを言い残したなとか、今日の感想とかいろいろあれば、
ぜひまだまだ収録できますんで。
言わないといけない話は一つもしてないですから。
一つもしてないです。
こんなにしゃべってない。
横道にしかそれってない。
いやいやいや、本数で言ってます。
すごい深い話もしてきましたし。
ちなみに、今日この後も描かれるんですか?
今日ね、もうめちゃくちゃ飲んでるんですよね、私。
そうなんですか。知らなかった。
これに合わせて。
もう酔っ払っとかないとと思って。
ガソリンを入れとかないとと思って。
今日はね。
収録2時ですよ。
早いな、入るの。
この後もガソリンを入れるの。
草むしりでもしようかな。
本当にありがとうございます。
前半でもお話しましたけど、モデル募集してますので、
気になる方はぜひホームページをチェックしてみてください。
ありがとうございました。
余計な話ばかりで、すみませんでした。
そんなことはないです。
57:08
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57:33

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