1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #165 超優秀なのに悟れない!..
2023-11-26 57:14

#165 超優秀なのに悟れない!?浄土宗の開祖、法然が苦悩の末たどり着いた境地

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

鎌倉仏教で活躍した法念の生涯を通じて、なぜ浄土宗が広まったのかが紹介されます。ここでは法然が苦悩の末、順応せずに自分の道を突き詰めていく若さと激しさが描かれています。数年間の悩みの末、43歳の時に中国浄土教の教えに辿り着いた法然は、自力では解脱できないことを悟り、他力を借りるべきだと信じるようになり、浄土宗を日本で広める決意をします。浄土教の開祖、法然が苦悩の末たどり着いた境地や、浄土宗の教えについて話されています。法然は浄土宗の開祖として活動し、迫害や苦難を経験しながらも、最終的には島流しの生活を送りながらも浄土共生を広めることに成功し、その生涯を締めくくりました。妻に教えられた浄土宗の魅力について、奥さんの話を引き継ぎながら、この次回は浄土教の話をしていきたいと思います。

00:06
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回から鎌倉仏教ということで、まずは平安時代から鎌倉時代までの仏教の流れとか、あと世の中の流れみたいなものを見てきたというところでした。
そうですね、今回からですね、実際に鎌倉仏教でどんな人たちは活躍したのかというところを見ていきたいなと思うんですけど、
全体としては浄土宗編みたいになりそうですと、
鎌倉仏教って浄土だけじゃなくて、禅とかも含めていろんな日蓮とか日蓮宗も含めていろいろあるんですけど、
結構やっぱり浄土宗っていうのは結構やっぱり多いんですよね。
法念と、あと神覧ももちろん、弟子としての神覧もそうだし、あと自習を開いた一編という人、これ3人ともみんな浄土宗系なんですよね。
ああ、そうなんだ。自習っていうのは浄土宗系なん、知らなかった。
そうそう、僕もね、なんかちゃんと知らなかったんですけど。なので、西、東元、日蓮っていう3人を加えて6人がね、結構その鎌倉仏教のメインの人たちっていうふうに加えてるんですけど、
6分の3浄土宗、6分の2禅、あと日蓮みたいな感じの括りなんですよね。
なるほど。
なので、今回は法念と神覧と一編という3人をある種浄土宗編みたいな感じで取り上げてみたいなというふうな感じです。
今回、法念のことを中心的に話すんですけど、結構法念の生涯か一生を辿るだけで、なんで法念が浄土宗とか浄土教っていうのを大事にしたのかとか、それがどんなふうに広まったのかみたいなところと、ほぼ人生が重なってるんですよね。
なので、今日は法念っていう人の話をしつつ、平山家、前回お伝えした通り世の中大変だっていう中で、なんで浄土宗あるいは浄土教が広まったのかっていう話をちょっとしたいなと思ってます。
その上で次回、そもそも浄土教とか浄土宗って何よみたいな、ちょっと思想的な部分とか考え方みたいなところをお伝えをして、
さらに自治会ぐらいで診断とか一変ってじゃあ何が違うのとか、どうなったのか、法念の浄土宗を発展させたのかみたいな、そんな感じを全体感でお伝えしていきたいなというふうに今思ってる感じですね。
なるほどなるほど。結構ガッチリやろうとしたらボリュームがすごそうな感じがするね。有名人がバーって出てきたもんね。
もちろん一人一人いろんな本も書いてるし、いろんな教えもあるから、それこそ一人一テーマぐらい多分できちゃうんだけど、
またそのうちって感じね。
前回撮影でそれ普通ラジオとか、それ浄土ラジオとかになっちゃうんで、そのままさらっとまとめてほしいですね。
鎌倉仏教っていう括りでね。
はいはい。
実際にインプットでいろいろ本を読んでたんですけれども、ティケムラー・マキオ先生っていうね、この方がまさに東大のインド哲学とか仏教学かな?
っていうところに出て、いろんな研究をされている方がいらっしゃるんですけど、この人が書いた新蘭と一変っていうね、まさにズバリな本があって、
それがめちゃめちゃ面白かったんですよ。浄土教とそれこそ何か。新蘭と一変って似てるけど全然違うみたいな話とか。
へー、はいはいはい。
っていうのがすごい面白かったし、それでちょっと僕も浄土教めっちゃすごい面白いじゃんってなったので、
その辺を今回いろいろといろんな人の話を交えずっとお伝えしていきたいなっていうふうに思ってる感じ。
いやー、なるほどなるほど。やっぱね、前回から言ってるけどさ、一応ね、浄土宗とか浄土神宗っていうのが日本で一番人数としては多いはずというところなんだけど、
やっぱね、全然それが大本がどういうふうなところで発展し始めてとかは全然わからないからね、すごい楽しみだね。
あ、よかったですよかったです。浄土宗浄土教をやった後に英才とか道元の禅宗やってもいいかなとかもちょっと思っているので、
鎌倉仏教編パート2みたいな感じで次、禅系の話をやるみたいなのもいいかななんて今は思ってます。
はいはい。時代的にも近いんだね。そういうの知らなかったけど、この鎌倉六宗みたいなそういうのに入ってくるみたいな。そういう感じだなね。
まあそうだね。結構近い時代に色々頑張った人たちって感じなので。
はいはい。
はい、今後の見通しみたいな話を最初お伝えしたんですけれども、今回は法年の話をじっくりやっていけないというふうに思いますと。
法念の出家と父の遺言
はいはい。
法年はですね、前回お伝えしたとおり1133年、今からちょうど900年前とかになるのかな。
ちょうどじゃないけどね。2023年だからね。
あれほんとだ。890年くらいですね。現在の岡山県に生まれています。
あんまりね、小さい頃とか、いわゆる学生時代のエピソードとかあんま残ってない人なんですよ。
ただ出家に至ったエピソードみたいなのが残ってて、それもいくつか説はあるようなんですけれども、
メインのやつをお伝えすると、法年さんのお父さんっていうのがいわゆる岡山県の豪族みたいな。
当時は豪族というか貴族だと思うんだけれども、結構有力な家系だったらしいんですよ。
それが結構いわゆる他の有力者の嫉妬。あいつちょっと最近なんかいい気になってんなみたいな。
へー、はいはい。
そう、感じで嫉妬されちゃって、対立関係に陥りましたと。
対立っていうのはずっと続いてたんだけれども、なんと法年9歳の時に養うち?
集を受けちゃうんですよね。
わー、そうなんだ。はいはいはい。
で、あいつを倒せって言って、お父さんが倒されちゃいますと。
へー、あ、そうか。
亡くなってしまうんだよ、その時に。
だけれども、その時の遺言っていうのが結構すごくて、
お父さんが言うにはですね、自分がこういう風に恨まれて殺されてみたいなっていうのも、ある種前世からの業、カルマなんだと。
ほうほうほう。
うん。で、敵を恨んで仇討ちをしたとしても、どうせまた相手に恨みを残して相手から仇討ちをされるっていうのが繰り返されるだけで、
それは尽きることがないんだと。
ふんふん。
なので、お前その法年に対しては、仇討ちなんかはせずに早く出家をして、私の死後の冥福というのを祈ってくれと。
ふーんふん。
うん。
それだけじゃなくて、お前自身も起立を求めて、天使を離れなさい。
例えば林寧に囚われてるんじゃなくて、本当に大事なことを成し遂げなさい。
その仏の道に入ってね、みたいなことを言ったらしいんだよね。
へー、すごいね。
ね。
こんな、こんないい人が殺されてしまうなんて。
まあまあね。
いろいろもちろんあったんでしょうけど、政治的なものとかね。
まあね。
でもさ、いきなり、まあもちろんね、かけごうとかしてたのかもしれないけど、
襲われて、敵にね、襲われて死ぬマギアの子息子への言葉としてね、こんなことを言えますかという話なんですよね。
いやー、そうだねー。
何としても仇を打てて、なりそうだもんね。
そうそうそうそう。
じゃなくて、仏に入りなさいと。
はいはい。
ただね、あまりにもやっぱり強い言葉。
もうお前は、お前の人生よりは下達を目指せ、みたいなね。
うーん。
まあ感じのことではあるんで。
めりくも悪くもね、この放電のその後の生涯っていうのはある程度縛っちゃうというかね。
うーん。
まあそういうやっぱり重い言葉として残ったようですと。
まあ9歳でしょうだってね。
9歳、9歳。
重いよね。
小学校3年生ぐらいでしょう。
そうそうそう。
法念の入門先と才能
でね、お父さん亡くなってみたいな話なんですけど。
まあそんな事件もあるし落ち着いて、実際どうしようかってなった時に、
やっぱりお父さんにね、言われた通り出家を目指そうっていうふうになるんですよね。
うんうんうん。
で、お母さんの方も結構有力な家系だったみたいで、
そのお母さんの方の縁というかね、そういうのをたどって、
で、そのおじさんかな、この方のおじさんが僧侶、いわゆるお坊さんをやってたらしいんですよ。
うん。
なのでその人を頼って出家をしようとするんですけれども、
この放電さんですね、
こんだけで歴史に長く残っているとわかる通り、
めちゃめちゃ優秀だったらしいんですよね。
はいはいはい。
本当に本をいくらでも読むし、読めばすぐ理解するし、
理解するだけじゃなくて、やっぱり自分の言葉として理解するみたいな、
そういう本当に白学教覧っていうのかな。
うんうんうん。
みたいな人で、よくあると思うんですけれども、
あんまりにも優秀すぎたので、
そのおじさん、先生が、ちょっとね、
岡山のこんな田舎に埋もれさせちゃうのはもったいないと。
もっともっと本当の仏教で学んでほしいということで、
そこをさらにつてをたどって、
遠略寺で修行ができるように取り計らってくれたんですって。
へー、そうなんだ。
なんかピアノの先生とかでありそうだよね。
この才能は惜しいみたいな。
そうそうそうそう。
東京の学校行きなさいみたいな。
うんうんうん。
本当そんな感じで、当時15歳。
6年くらいはそこで勉強してたらしいんですけれども、
はいはいはい。
遠略寺に入って勉強し始めますと。
ちょっとね、いろいろ調べたんだけれども、
当時何歳くらいで遠略寺に入るのかとか、
そもそも遠略寺で勉強するのがどんだけ難しいのかってのは、
ちょっとわかんないんですけど、
うんうんうん。
でもね、やっぱりそういうところで勉強できるってこと自体が、
多分当時でいうとすごいこと?
あー、なるほど。はいはい。
だなと思いますと。
当然遠略寺に入った後もいろんな経典を読み尽くしていくし、
最初に就いた先生もですね、
やっぱりこれちょっと優秀すぎるわみたいな。
遠略寺での学びと将来の期待
ほうほうほう。
ちょっと自分でも手を持て余すから、
もっと遠略寺の中でも優秀な先生のとこにいなさいみたいな。
あー、もうこのエピソードで優秀だっていうのがわかるというかね。
だから大学行って純教授とかに学んだんだけど、
いやちょっと俺には無理だからもう教授の中で、
あの偉い的なとこ行きなさいみたいな。
ほんとそんな感じだよね。
うんうんうん。
で、公園っていう東大の随一のお坊さんみたいな人のとこで学びます。
うんうん。
で、本年からすればね、
それだけお偉いさんというか優秀な人について学べるよっていうところではあるんですけれども、
実はあんまり良いものというかポジティブじゃなかったらしいんだよね。
うーん、はいはい。
っていうのは別に、
公園さんもねそこの本年っていうのすごい可愛がって色々教えてくんですけれども、
あんまりにも優秀なので、
むしろその仏の教えっていうよりも、
いやちょっと遠略寺でどんどん偉くなりなさいよと。
なんならもう将来この遠略寺って西一郎が作った天台宗の随一のお坊さんみたいなとこなんですけど、
ああそうなんだ。
そもそも。
そうなんだね。
そうそうそう。
そうなんだよ。
比叡山遠略寺ね。
はいはいはい。
うん。
で、ここのトップになりなさいよと。
うんうんうん。
法然の苦悩
要は社長になるみたいなこと。
まあ学長か当時で言うと。
あーなるほど。
なるほどちょっとあれか、キャリアが思ってたのと違う方向に。
うんうんうん。
行き始めたのか、本年がね。
そうそうそうそう。
そうなんだよね。
ほうほうほう。
本年としてあくまでもその父はねお父さんの弔いみたいなところと、
あとは自分の下達。
うんうんうん。
それをね目指して出家をしたんだけれども、
うん。
やっぱりこう後援さんからすると、
やっぱりこんだけね優秀なんだったら、
まあどんどんどんどんこの天台宗とか比叡山の中で偉くなりなさいと。
うんうんうん。
そしたらね、もしかしたら世の中いろんな影響を与えるだろうし、
まあ組織を率いてすごく大きなね、
あの天台宗ってももっと大きくしてくれるんじゃないかみたいな、
まあ多分そういう機会もあったんだと思うんだよね。
はいはいなるほどね。
うん。
まあわかるよね上からすれば確かにね。
そうそうそうそう。
うんうんうん。
でただねやっぱ後援さんからすると、
いや別にそんなためにねこう勉強したわけじゃないんだと。
うんうんうん。
うん。
まあ自分っていうのは本当に自分の道を突き詰めたいんだっていうところで、
18歳。
なのでその遠慮地に来てから3年かな。
うんうん。
っていうときにその後援さんのところを離れて、
うん。
よりねこうちょっと比叡山の中でも奥まったまあすごい静かな環境。
うん。
でちょっといわゆるなんかまあ名誉教授みたいな人なんかちょっと若いんだけれども、
そういうちょっと第一線からは引いているというか、
そういうなんだろうな、
その組織の中心からはちょっと離れたような人。
うんうんうん。
うん。
まあでもその人も優秀なんだけど、
まあそういう英空さんっていうまた新しいお師匠さんのもとについて、
まあ修行をやり直すというか、
またそこから始めていくっていうふうな話なんですよね。
まあそれは面白いね。
そういうやっぱりバチバチにこうなんだろうな、
キャリアの階段登っていけよっていうような人もいれば、
うんうん。
ちょっとそこから離れて、
いわゆるその自分の道みたいなのを追求している人が、
この同じその遠慮地だけか、
うんうん。
そこにいるってことなんだね。
同じ組織の中にね。
そうそうそうそう。
うん。
そうなんです。
なのでやっぱりこうね、
ある種その組織の中でさっさと組織で偉くなるっていう人もいれば、
やっぱりそんなうちだけじゃなくて、
世の中広いよみたいな人もね、
やっぱりいると思うんですけど、
いろんな組織においても。
うんうんうん。
かなりそんな感じで、
このエイクさんっていう人は、
まあまあやっぱり修行をね、
しっかりやっていきましょうよみたいな人だったみたいなね。
うんうんうん。
うん。
で、
まあね、
えーと、
やっぱりこうさっきもおっしゃっていた通り、
方念は詳しいことはね、
あんま残ってないんですけれども、
うん。
まあやっぱりこう、
あまりにもまっすぐ純粋にこう、
仏教を治めようとか、
極めようとするものだから、
まあ結構この師匠のエイクさんとも、
バッチバチにね、
やり合うことも多かったらしいんですよ。
なるほど。
それ納得できませんと。
そうそうそう。
どういうことですかと。
どうですかと。
そんなはずないですということで。
そんな解釈は、
みたいなね。
うん。
そっか、
実際ね、
こんなエピソードも残っているんだけれども、
うん。
実際にその師匠のエイクさんが、
まあ昔のね、
偉いお坊さんの話を聞いて、
こういう人がやっぱり、
こういう解釈をしていると。
だからフォーネンお前は間違っているんだ、
っていう風に言ったらしいんだよね。
他の教派との交流
はいはいはい。
そしたらね、
フォーネンはもう、
いやもうこんなことはないと。
そんな50年以上前に生まれたね、
まあ人の説を聞いてきて、
それが正しいっていうのは間違っていて、
僕らは日々進歩しているんだと。
おー。
そう。
まあなので、
やっぱり僕の絵論というのにも、
見るところがあるはずだ、
っていうことを言ったりとか。
うんうん。
なるほどね。
うん。
すごい自信というかね、
新世代な感じが。
そうだね。
20歳ぐらいで。
うん。
まあやっぱり当時で言うと、
350年目前回お伝えした、
空海ですよね。
でまあ、
やっぱり当時からしてももう、
ある種神としても、
もう神というかね、
仏様としてあがめられたような人、
だったんですけど、
まあその空海の教えとかも、
なんかいやこれはちょっと、
解釈間違ってるとか、
いや空海ですら、
ちょっとありとあらゆるよね、
みたいな。
とかも言ってたらしくて。
はいはい。
私、
いわゆるその別の宗派みたいなところである、
空海もやっぱり勉強してんだね。
そうそうそうそう。
本当にありとあらゆる宗派というか、
そこの勉強してる人なんですよね。
うんうんうん。
うん。
まあそんなことを言うから、
まあ師匠、
えいくんさん怒らせて、
さまざまされかけるみたいな。
おー。
結構ね、
そういう激しいやっぱり、
一面もあったみたいなんですよね。
なるほどなるほど。
まあ純粋なのか、
ってことはね。
そうですよね、
そうそうそうそう。
だからやっぱりね、
若干まあ言い過ぎというかね、
もうちょっと相手の顔を立てなよ、
みたいなところもあるんだけれども、
やっぱりそのくらい切実に、
やっぱりこう、
ただ教えを学ぶとか、
勉強するんじゃなくって、
やっぱりこう自分の、
ある種父親の、
やっぱり志望、
まあ冥福を願うとか、
まあ自分がね、
こう下達して、
やっぱちゃんとこう、
なんだろうな、
仏の道に入っていくっていう、
そういうことを本当に真っ直ぐに、
見てた人だったみたいな、
そういう話があるんですよね。
なるほどね。
まあね、
その元々動機みたいなものも、
すごくね、
強烈だっていうのもあるしね。
そうそうそうそう。
で別にね、
やっぱりこう、
なんだろうな、
なんとなくこう偉くなりたいとか、
ってことじゃない。
ただね、
それやっぱりこう、
二十歳ぐらいの人がやってたら、
なかなか激しい話だとは思うんだよね。
で、
まあその、
えーと感じですね、
まあ二十四歳まで、
Aクーさんのところで、
勉強をまずはするんですよ。
うん。
なので六年ぐらい経つんだけれども、
まあその時にですね、
本田さん思っちゃうんですよ。
あ、
もう俺はここで学ぶことはないなと。
へー、
はいはいはいはい。
もう本も読み尽くしたし、
Aクーさんとも議論し尽くしたと、
ある程度ね。
まあでもやっぱり自分のこう、
どうしたら仏になれるかとか、
っていうのはまだまだわからんので、
新しい教えを求めて、
遠慮上出ちゃうんですよ。
うーん、
なるほど。
武者修行の旅に出るみたいな感じかな。
あ、そうそうそう。
ほんとなんかね、
道場破りみたいな感じはちゃうんだけれども、
へー、
はいはい。
まあそこまで激しくないんだけれども、
やっぱいろんなね、
それこそ京都とか奈良とか、
まあいろんなこう、
ね、
学んでるお坊さんはいるわけで、
そういう人たちのところに行って、
こう議論をね、
交わすんですよね。
うーん、
それはもうやっぱり、
宗派問わずみたいな感じなのかな、
そうそうそう、
遠慮寺での修行
宗派問わず。
うん。
はいはいはい。
いわゆる奈良の、
まあその、
いわゆる古いというかね、
ずっと続いてるような、
まあ仏教もそうだし、
まあ町にいるような、
そういう人たちも、
あの、
全然分け隔てなく、
いろいろ話をしに行きますと。
で、
まあただね、
やっぱね、
御本念がまあすごすぎたんじゃないかと、
思うんですけど、
やっぱ話せども話せども、
やっぱり満足できるような教えが、
そもそもないし、
この人すげえ、
この人のもとで学びたい、
みたいな人もいなかったんですね。
なるほど、
ソクラテス感がある。
うん。
まあやってることは違うけどね。
そうやってることは違うし、
まあソクラテスはね、
こう無知の地っていうので、
まあ相手をね、
こうある種なんだろうな、
難せみたいな話したけれども、
うん。
やっぱり、
もう本念はやっぱり教えが欲しい、
まあだから答えが欲しいわけだよね。
そうだよね、
うんうん、
知ってるなら教えてよってね、
俺はこう思ってるけどってね。
そうそうそう、
そう、
こうしたら離脱できるんだっていうね。
うんうん、
そうそうそう、
でも話せば話すほど、
周りの人がやっぱり知らないってことが
分かるみたいな話で。
うん、
はいはい。
そう、
で、
絶望、
まあ一回ねしちゃうんだよね、
やっぱりこう、
俺の求めるものはないと、
というので、
もう一回遠慮寺に戻らせてもらって、
そこからですね、
なんと20年、
43歳で、
その浄土師を開くんですけれども、
そこまでずーっと遠慮寺で修行をして、
そこまでずーっと遠慮寺で修行をし続けますと。
わー、
すごいし、
そんなすぐ戻ったんだ。
むしろ、
割とすぐ戻ったんだね、
ダメだこれやって。
割とすぐ、
そうそうそう、
苦悩の末、浄土宗を見出す
数年機会で話をして、
うわー面白いなー、
やっぱり遠慮寺すごかったんだってことを
気づいたのかなー、
言うて。
そうね、
言うてすごかっただろうし、
そうそうそう、
言うてやっぱりいい環境だったって思ったんだろうね。
うんうんうん。
うん。
で、
ただ当然ね、
別に、
何だろうな、
答えとか方向性が見えたわけでもないし、
どうしたらいいかわからないわけだよね。
しかも今で言うとさ、
40歳ってまだまだこれからだけど、
当時さ、
前回おっしゃった通り、
平山期からの、
もしくは世の中が荒廃している時代、
それこそ人生50年みたいな世界なわけだよね。
はいはいはい。
そうすると、
もう走るわけよ、
本年さんからしたら。
もう残された時間短いぞと、
確かに、
確かに。
30になり40になり、
そうそうそう。
あとね、
10年とかっていう中で、
果たして、
もう下達の目処も立たないし、
誰から学んでいくかもわかんないし、
食べれるものもないじゃないかと、
果たしてこんな修行をして、
どうしたらいいんだと。
あー、
面白いなー、
そっか、
一応当時で言うと、
時代で言うと、
この前の空海最長の後なわけだから、
うん。
一応その、
いわゆる大乗仏教、
こっちってさ、
この遠略寺っていうのは、
どういう感じなのかな?
前言ったさ、
みんな悟れるけど、
何億年後かわかんないねみたいな感じの方なのかな、
遠略寺の方は。
そうだね、
うん。
ただもちろんね、
密教も学べるから、
でもね、
うんうん。
そういう意味ではすぐやっぱり、
この、
なんだっけ、
促進成仏か、
っていう概念は知ってるはずなんだよね。
そうだねそうだね。
勉強してるはずなんだよね。
概念としては知ってる、
勉強してるし、
実際そういう修行もしてるんだよね。
あー、
じゃあこの20年の間に、
おそらくそういう、
そう、
マンダラとかそれでもやってるかもしんないんだね。
そうそう。
もしかすると。
基本的にはやってるはず。
うん。
で、
修行もしている。
うんうん。
その、
じゃあ、
あれだね、
何だっけ、
国造愚問辞法だっけか、
確か。
はいはい。
百回唱えるみたいなのも、
もしかしたら、
やったけど悟れないか、
うん。
もしくは、
うまくできなかったみたいな感じなのかなー、
そうだね。
そういうのを想像すると、
面白いね。
うん。
そうそうそうそう。
こんだけ優秀な人がさ、
20年悟れないって、
うん。
ちょっと考えづらいじゃん、
やっぱりなんか、
そうだねそうだね。
あの、
密教のさ、
教えがあればさ、
うん。
なんか、
ささっとなんかそういう修行をこなしてさ、
うん。
なんか悟っちゃいそうな気もするけど、
うんうん。
やっぱそういう単純な話じゃないんだな、
っていうのが、
ちょっとこの20年、
うん。
このね、
優秀な人が20年無理だった、
で、
まだ悩んでるみたいなとこから、
うん。
ちょっと伝わってくるよね、
うん。
なんかね。
そうそうそうそう、
うん。
そうなんですよ。
だから、
そうやっぱりこう新しいね、
浄土宗っていうのは、
自分で開かざるを得なかったというか、
うんうんうん。
開いたっていうのは、
まさにそうなんだとは思うんだけれども、
で、
で、
まさに、
まさに役に入ってくれた通り、
もう修行しても修行しても、
まあ神秘体験も起きないし、
もちろん仏になった気もしないと。
で、
周囲を見ればね、
地位とか名誉を求めるような人たちが、
あるいは俺は賢いんだぜって言ってるのは、
研究者ばっかりで、
ほうほうほうほう。
そう。
で、
しかも本年からすると、
いやいやもうそんなの全然浅いじゃないかみたいな、
まあそんな世界なわけだよね。
まあ、
大変だね、
それはね。
うんうんうん。
だからね、
ある種まあ、
こういうか、
まあこういうかじゃない、
えっと本年のまあ暗黒時代というか、
うんうんうん。
うんうんうん。
だからね、
ある種まあ、
こういうか、
まあこういうかじゃない、
えっと本年のまあ暗黒時代というか、
まあ結構しんどい時代だったろう、
という風には言われていますと。
で、
まあただね、
そうやってこう、
わからんわからんってなって、
本年も天気が訪れたのが、
まさにさっき言ってた、
43歳の時なんですけど、
えっとこの時にですね、
あの、
えしんそうずとか、
まあ原神って言われる人がいるんだけれども、
これ日本の人ね、
が書いた、
王城陽宗っていう本があるんですけれども、
それをね、
改めて、
もちろん過去にも読んでたらしいんだけれども、
あの、
あの、
自力では解脱できず、他力を借りる決意
あの、
あの、
改めて読みますと。
で、
そうした時に、
なんか引っかかるぞってなって、
そうやって辿り着いたのが、
中国浄土教。
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
浄土教はもともと中国で広まったものなんだけれども、
しかもあれか 改めて読んでっていう話なんだね
そうそうそう 過去にも読んでたはずなんだけれども
43歳の時に読んで なるほどと
生身だ仏を唱えて 浄土教の教えを信じ切れば
自分は救われるんじゃないか ということに
はっと思い出るんだよね
どんどんシェーカーとか浄土教単位っていうのは
また次回にちゃんとお伝えしてくるんですけれども
さっき兄貴が言った通り 20年いろんなことを修行したりとか
学び続けた人が なんでこんな一気に浄土教
すげーってなったか みたいな話なんですけど
要は30年 実際に比叡山に来た時は15歳とかなので
30年以上 自分の力で解脱しようと 努力したわけだよね 本音は
教えをもっと深く知ればいいんじゃないかとか
自力でこうやってたんだけれども それでもうまくいかない
救われない どうしようってなった時に
その時に浄土教の教えっていうのは
自力 涙仏の力を借りて 浄土仏しようとか
解脱しようって教えなんだよね
これしかないと 要は自分の力でダメなら
他人の力を借りるしかないっていうところの
本当に転換が起きたわけだよね
だからこそ多分この20年 いろいろやり切ったっていうところも
挫折し尽くした 本音だからこそ
そういうこの大乗要集っていうのを 再び読んだ時に
改めてタイミングがあったというか 気を熟したみたいな感じで
それまで学問というか 知識として学んでいた仏教から
本当に信仰 信じるものとしての 仏教へのジャンプをしたみたいな話なんだよね
なるほどね
浄土宗の日本での広まり
それはすごいね
それこそまさに面白いな
多分20代の時にこれ読んでても なわけねえじゃんって思ってたかもしれないよね
この生涙仏とか
それだけですこれになったら
世話ねえよって思ってたかもしれない
そうそう
これがあれか この2回目というか
何週かして回って 出会ったこの生涙仏っていうのが
この方面の神秘体験だともいえるわけだね
むしろこれを信じ切るって思ったみたいな
それだと思ったのが神秘体験かもしれないね これもまたね
実際に神秘体験としても これも働き継がれてるみたいな話なんだけれども
あるんだ
まさにそうやってやっぱり俺は浄土教しかないんだと思って
うとうと寝てた時にね
夢の中にさっき言ってた中国の禅道さん出てきましたと
禅道さん500年前の人だから当然ね 面識もないし
出てくるわけないんだけれども
夢に出てきてね
法内に対して念仏を広めようとしているのは とても素晴らしいことだと
頑張ってあなたは念仏を広めなさいねっていう風に言われたっていう話が残ってるんだよね
なるほど
これは作り話っぽいんだけれども
これによって浄土教のらしさっていうのを改めて確信をして
やっぱり自分は広めようと
この浄土教っていうのを浄土宗として日本で広めようって言って
今度はもう戻ってこないぞっていう気持ちで比叡山を降りるんだよね
なるほど
それはすごいね でも43歳か
結構ダイナミックじゃん やっぱりこうやって話をするだけでも
ここはちょっと感動的だよね
なんだろうね 挫折っていうものがさ
本人にとってやっぱり深刻だよね
こんだけ周りを見ればさっき言ったようにさ
ちょっと権力にとらわれてるとか
その中で偉くなりたいとかさ
もしくは知識が浅いのになんかすごい
俺できてるとかっていうような人たちばっかりで
その中で自分がこんだけ本気でやって悟れないってことは
絶対お前ら悟ってねえだろってことも確信してるわけじゃん
まあそうだね そうだと思う
俺が悟れないんだったら じゃあこの世の中の
少なくとも円略字ね 誰が悟れようと
っていうことはこの世界の日本の何人が悟れるのやって
多分本気で思ったんだろうね これ本当に誰も悟れねえじゃんって
無理だって思った時にそのたげきみたいなものが
めちゃくちゃピンときたんだろうね だってこの本年ですら
最近他の自分じゃない何かにすがらないと悟れないっていうことは
もう全員そうだと じゃあそれこそ真理だみたいな
その転換というかその閃きっていうのはすごかっただろうね
これだ
やっぱりイメージわくよね そういうふうにさ
法然の教えの普及
いろいろと聞くと 20歳の時には無理だけど
40歳だからこそそれにピンときたみたいなこともなんかわかるじゃない
うんわかると思う
本当にそうでだからこそ浄土教
それこそパッと聞けば生身だぶつって言えば救われるなんてそんなことあり得ないじゃん
だったらこんな大きな比叡山なんて組織いらねえよみたいな話なんだけれども
そうじゃないんだっていうのは多分一周二周回ってね
本当に腹に落ちたんだろうね
説得力がありそうだよね まだ浄土宗が何なのか知らんけど
そうですね
そう思ったほうねんさんっていうのが山を下りてね
京都の街中に自分のある種の住処みたいなのを作って
そこでね少しずつ浄土教っていうのを広めていくんだよね
いよりとかあんとかなんちゃらあんとかあったらと思うんですけど
そういうのを作っていきます
もちろんほうねんの名前というかね
すごく学識深いお坊さんがいるよとか
そういう人が遠略寺から降りてきたらしいぞっていう話は世の中に広まってるわけなんですよ
はいはいはいなるほど
すごい人がっていうのは認知されてるのね
認知されてるしましてや民衆
京都の街に住む民衆からすると
お坊さんあったら修行をせよとか
いろいろね自分で勉強をしなさいとかって言うんだけれども
生編みだぶつって言えば好かれるらしいぞ誰でもみたいな
ちょっとこれ語弊はあるんだけれども
そういう風な感じで分かりやすい教えがあるらしいぞっていうので
どんどんどんどん噂が広がっていくわけなんだよね
もう一回教えくださいよと
あなたが学んで平めてというかね
信じてるという浄土教の教えを教えてくださいよって言って
どんどんどんどん本音のところに訪れては
みんな浄土宗になっていくんだよね
はいはいはい
すげーじゃんみたいな
あみだぶつおい俺も好かれるぞみたいな感じで
バンバがバンバが浄土宗にみんな変わっていきますと
うんうんうん
しかもそれはすごいのが
やっぱり当然いろんな知識とか
なぜすごいのかっていうのを
全部ロジックでも説明できるわけなんだよね本音は
まあそうだね本音はね
だから相手によって一般民衆には分かりやすく伝えるし
比叡山で学んだ僧侶たちにも
それはそれでロジックというかね
知識を持って伝えるし
天皇とか貴族も含めて
あらゆる人に教えを説いていくわけね
わーなるほどね
例えばやっぱり
すでにやっぱ公明な僧侶みたいな感じになってただろうから
あんまいなかったかもしれないけど
何怪しいことを広めてるのやって
例えばさ
誰かがさ
本音を陥れてやろうと思って
それこそ道場破りに来たとしても買い討ちなんだね
そうだね普通の人はそう
すごいのは
さっき貴族とか天皇とかって言ったじゃない
それだけじゃなくて農民とかね
普通の一般市民もなんだけれども
なんか盗賊とか優女
いわゆるちょっと未熟商売する女性
ほいほいほいほい
本来で言うと
仏教の世界って当時で言うとさ
基本的には女人禁制で
基本的には男性のものとか
そういう世界観だし
盗賊とかってのは悪いものだから
当然仏は救わない
という女性の中でも
別にその水商売がどうとかって話ではないんだけれども
当時やっぱりちょっといやしい職業みたいな
価値観がちょっとあったらしいんだよね
なのでそういう女性とかっていうのも
法然の教えの受け入れ
仏の救いの対象外みたいな話があったらしいんだけれども
本音はすごく訳を隔てなく教えを伝えて
ある種あなたでも救われますっていう風に
ちゃんと言っていくんだよね
おーなるほど
しかもちゃんとそれもロジックがあるんだね
本人にとってね
ロジックがある
そのぐらい阿弥陀仏の教えっていうのは
すごい素晴らしいものなんだよと
そういう話でほんとに
飛ぶ鳥を勢いで教えを広めていくんですよね
でなると何が起きるかっていうと
完全他の宗派からの厄介が起きるわけですよ
あーそうだよねなんか危ないよね
そうそうそうそう
そこそこ簡単なというか優しいことを言って
みんなをどんどん怪獣してるみたいな
そうそうそうそう
でやべえやべえって言って
あのままほっといたら
みんな浄土主になっちゃうじゃんと
でちょっとまずいなこれはって言って
当時の天台寺のトップで天台出すって言うんだけど
それがいわゆる遠略寺の中の天台寺のトップ
っていうのがほうねんのとこにツカツカツカってきて
ほうねんさんすごいいいですね浄土主
なんかめっちゃ盛り上がってますねと
でちょっと僕にも念仏のことを教えてくださいよ
っていう風に来るのね
おーなるほどねいやー同情やぶり感がすごい
同情やぶり感がすごいんだけれども
受け合わせてお願いしますと
しかもちょっとこれ個人的に言ったよりは
結構仏教界のこと全体に関わることだから
ちょっと何人か呼んで
おぼやけな場で話そうやっていう風に来るのよ
いやー全然わかるよね相手の立場から
ツカツカツカツカって
浄土主に改修されちゃうっていう以前に
結構仏教そのものへの冒涜とかって
捉えようと思えば捉えられるもんね
あそうそうそうそう
本当はお釈迦様のねもっとおとい教えなのに
なんかそんなね阿弥陀仏って言えば
使われるとかってちょっと何言ってんだみたいなね
もちろんそこにもロジックはあるんだけれども
だからこそ念仏のこと教えてよみたいな感じで
いくわけよね
いやーある意味公開処刑だよね
その釈迦さん臭さをばらしてやるぞと
そういうことですそういうことです
まあまあお伝えしやすいよと
方念さんは思っていくわけよね
そしたらまさにね兄貴の言う通り公開処刑
じゃろうなわけで
いろんな宗派のお偉いさんとか
お弟子さんとか
400人ぐらいがツカーンって言ったらしいんですよ
すごいよね400人だよ
何人かじゃないよね
そうそうそうそう
なんかえ?みたいな
でもそもそもその会場に行く時点で
もう人がザワザワザワザワってやってて
集まってて
これ何の集まりですかっていう
方念のお弟子さんとは聞いたら
なんかね今お坊さんたちがいっぱい集まって
方念ってやつ呼び出して
なんかいろいろ浄土してて聞いてやろうと思ってらしいんだよみたいな
はいはいはいはい
で楽しいと思って見てるんだとかっていうのを方念
その方念が誰か知らない人だったんだろうね
という中で方念一方に行ってね
お弟子さんがちょっと方念さんやばいって逃げましょうよみたいな
あーうんうん
まあ危ないよね確かに
処刑とかはいいんだけど
結構当時のお坊さんって
いわゆる総兵とかって言われるぐらいで
結構荒っぽい人も多いのよ
いわゆる武力か武道家みたいな
そうそうそう
下手しい隣地だよこれみたいな
っていう感じで逃げましょうよみたいなね
感じになっちゃったんだよね
でも方念はいやいや別にいいっしょみたいな
まあ浄土宗がね浄土教の教えっていうのは
素敵なことはもう本当にそうなんだから
ありのままだで伝えましょうよみたいな感じで
まあ行くわけなんです
いやーもう悟った人の行動な感じがするねそれね
もうね
もうその時点でね
もう悟ってるよねもうね
そうそうそう
まあまあそういう話もありながら行きますと
でお偉いさんたちは次々に質問していくわけよね
もう本当に何十個とあったみたい
だって荒探しでしょだって
荒探しだったりもう何なら何癖みたいな
質問をどんどんしてくるわけでしょ
いやーそうそうそうそう
大原門道の決着
まあそれこそね
あの阿弥陀仏っていうのは使われるみたいですけれども
だいたいなんでそうやって使われるんですか
みたいなことから始まり
で例えば他の教えではこんなこと言ってるけど
そことの矛盾ってどう思ってるんですかとか
おおー
そういうことをいろいろ聞くわけよね
それをことごとと法念さんがちゃんとやり返すんですよ
かっこいいね
しかもすごいのは
ただ論破するだけじゃないんだよね
論破したら相手も顔がないわけじゃん
でもちゃんと相手に鼻を持たせるんですよ
例えばやっぱり浄土宗ってさっき言った通り
自力では救われなかった法念が
阿弥陀仏の力に頼って救われるみたいな
ロジックなわけなんだよね
逆に言うとあなたたちみたいに
やっぱり覚悟も高くて
自分で自分のことを救える
そういうようなまさに自ら仏になれる力がある人にとっては
全然それでいいんですと
我々みたいな自分では仏になれない
そういうある種の凡夫
いやしい身分だからこそ浄土宗っていうのは
ある種縋って信じているんですよ
みたいな風に言うわけよね
すごいね
その嫌味じゃなくて心からのだっていうのは
本当に伝わるんだよね
本当に心からそう言ってるんだよ
言われたら相手もさ
それならしゃあないかってなるわけじゃん
別に仏の教えっていうのは
みんな病だとした時に
自分でできない人がそういう教えを信じるっていうのも
まああるであろうと
その浄土宗側のロジックもわかるし
こっちのことも立ててくれるしみたいな
そういうのもあってもいいかみたいな
それをやっぱりその場でね
いやそんな凡夫の救いなどないって言ったら
それはそれで貧縮したわけじゃん
当然ね町の人たちも見てるわけだからね
なるほど
そこが公開されているところを
相手も自分の首をちょっと縛って
そうそうそう
弱みになっちゃうわけだよね
なるほどなるほど
あんな功績の奴らの教えを信じるもんかって言われたら
もうおしまいなわけで
はいはいはい
なのでやっぱりそういう風な話になるわけだから
ちょっと相手も本念というか
浄土宗っていうのは認めざるを得ないみたいな
そういう感じで決着するんですよね
すごいね
これが世に大原門道っていう言葉として残っているらしい
かっこいい
京都の大原という場所で行われた大原門道というところとして
歴史上も残っているような逸話としてあります
という感じなんだよね
そんな感じで本念もこれで安泰だと
浄土宗も安泰かと思いきやですね
法然の苦悩と迫害
やっぱりいろんな事件ってやっぱり起きるわけですよ
いわゆる法難とかといわれるね
まさにお釈迦様とかも広げようとしたら迫害され
迫害というかいろんな難説かよみたいなのってあるし
イエス・キリストもね
そうやって宗教広げようとしたら迫害されるみたいなのって
本当につきものなんですけど
それやっぱり実際当時で言うと
いわゆる主流派からしたらカルトとか信仰宗教だよね
まあそうだよね
それがどんどこどんどこ力をつけていくというのは
やっぱり恐ろしい話だったので
やっぱりこうね
いわゆる主流派の人たちが貴族とか天皇とかに
いやちょっと念仏やばいっすよとか
ちょっと本念締めた方がいいっすよみたいな話を
どんどんどんどんやっぱりしてるわけらしいんだよね
でも天皇とかも言っても念仏いいじゃんって思ってるから
まあまあみたいな話を抑えてたんだけれども
やっぱりどんどこ広まってしまうと
やっぱりあんまり服買わないで他の人に伝えちゃったりとか
他の宗派の人たちに喧嘩売っちゃうみたいな
お前らまだ現代宗信じてんの?とか
浄土宗の方がいい決まってんじゃんみたいな人が
やっぱりちょこちょこ出ちゃうんだよね
弟子の中にも
でちょっとやっぱ浄土宗ちょっと腹もつららんなのと
なったんだけれども
極めつけにはですね
二人の弟子がいたんだけれども
その弟子が当時
後鳥羽上皇っていう天皇の
知り遂げた天皇より上というかね
隠世を知りたみたいな話で歴史でもあったと思うんだけれども
その上皇の長愛を受けている
いわゆる理論というか
仁王観みたいな人がいたんだけれども
その二人をですね無断で出家させちゃうんですよ
で後鳥羽上皇がいない隙に
その旅館たちは逃げ出してきて
出家させてくださいと
いやいやちょっと待ってくださいと
それはさすがにできないって言ってるんだけれども
それならもうここで死にますぐらいの感じだったらしいんだよね
まあ本人たちは覚悟を仕立てたとね
そうそうそう
もう抜け出してる時点でさやっぱり
大きな罰を
当たられちゃうのは分かりきっているわけだから
そのくらい覚悟があります
そこまで言われたらその弟子としても
受けざるを得ないみたいな感じで受けちゃうんだけれども
当然そんなことはやっちゃいけないわけではない
上皇の事情に出発するなんて
なるほどね
この弟子の方の気持ちも絡んでもないけど
断るのは分かってるけど無理だったんだね
そうそうそうそう
なのでそうなった時にやっぱりね
日頃もちろん上皇おとば上皇も
ちょっとどういうことやねんってなるし
それをねよしチャンスだって言って
日頃役割と他の宗家の人たちも
いやホラー見たことかと
浄土集団広まるとこんなことが起きるんだぞって言って
もう法念潰しちゃいましょうやってなっちゃうのね
で当然その弟子
二人の弟子はそうだし
他の神戸の弟子も死刑になりますし
後は留罪ですね
島流しになりますと
法念は留罪の方だったんだよね
法念もやっぱ
そうかもうトップ出てこいとなっちゃったんだ
トップ出てこい
弟子の始末はつけなさいと
法念も島流し
ちなみにこの時新蘭も島流しになってます
一緒に
新蘭は法念の直の弟子なんだね
直の弟子なんですよ
同じ場所に行ったわけではないんだけれども
別のところに流されちゃって
でも死刑ではなかったんだよね
でもそのぐらい偉いというか
立場ではあったんだね新蘭も当時と
法念この時なんと75歳
結構経ってるね
ご高齢
30年くらいかな
ご高齢の中ですね
町の人にも嘆き悲しまれながら
島流しに合いますと
73のおじいちゃん
しかも超高層だよね
そんな僧侶が流されていくと
これもすごい話なんですけれども
本人は里つらかろうと思いきや
意外と港からも離れて
静かなところでゆっくりゆっくり
修行もできようと
弟子とかがいなくなっちゃうと
寂しいんだけれども
田舎の島のお寺で
来るものをこぼらず
人には教えを伝えて
自分も歩ける距離のお寺に行ったりしながら
気ままに生活を送ってたらしいんですよね
未開の地っていうよりは
本当にただ辺境の地ぐらいの感じか
本当に町田舎みたいなね
もちろん訪れる人も少ないんだけれども
そういう人に
少しずつでも浄土共生を行ってもらえるので
よかろうと
これも悟った人の行動だね
ここで気が狂うとか
混乱を起こすとかでもなく
恨みつらみでとかじゃないんだよね
そういうものだと
ということでね
ある種そういった下流し生活を
過ごしたんですけれども
またやっぱり貴族の中でも
ほうめんさんは
さんけないでしょうと
でしょうやってことだから
ほうめんさんには戻ってきてもらいましょう
って人もいるわけよ
という時に
いわゆる御者ですね
天皇の大使みたいなのが出て
許しましょうと犯罪人も
特別に
罪をなくしてしまいましょうと
いうところでほうめんさん
京都戻ってきていいよ
っていう話もなったんですよね
で実際に
戻ってきたんだったら
戻りますかって戻るんですが
島流しと浄土共生
その京都に戻った翌年の正月ですね
正月というか年明け1月25日
の80歳にして
その生涯を閉じましたと
おーでも大王女な感じするね
当時のさっきのね
平均年齢50で
しかも結構やっぱり
食べ物もきついみたいな
時代だったんでしょうさらにね
そうそうそう
言ってもねやっぱり
冷静状態も良くないし
若くして亡くなる人がいる時代なので
本当に大王女
亡くなる時も苦しむんじゃなくって
周りに弟子たちがいる中で
自分もついに
お迎えが来たのだと
きちんといわゆる
王房さんとしての衣装を
正式でもまとって
きちんと座って
念仏を唱えながら
亡くなっていきましたみたいな
本当にそういうような
良い生涯を終えました
わーなんか
まあねそれこそ
ハヤト前回も言ったけど
一方的なやっぱり
法然の生涯を締めくくる
歴史に残っている方の一方的な
美談
美化されている部分も多いのかもしれないけれども
これは
すごく魅力のある
方だね
そうだよねそうだよね
まさに今言ってくれた通り
少し脚色とかストーリーとして
綺麗すぎる部分もあるとは思うんだけれども
本当にね
浄土宗のホームページとか見ても
こういうことが書いてあるぐらいなので
正当な
歌い方としては
こうやって残っているんだよね
そういうのの時に僕も本音さん
すげえなって思ったんだよね
まあね
ちょっと罪作りだよね
こういう優秀な人
だからこそ広がるんだけど
あの
ある意味さ
ここまですごいよね
めちゃくちゃ優秀でやることやり尽くしたけど
悟れない
っていう本当の挫折を味わった
トップレベルの挫折だよね
自分に慣れることがない
本当に本当に
見出したその
生アミダウンスというものと出会い
それを
じゃあそうやればみんな悟れるよ
っていう話をするわけだけれども
2週3週した結果をね
恐ろしいな
さっきほらやっぱり
表面だけなぞった
弟子とか
弟子とも言えないような人たちが喧嘩しちゃったりとか
問題を起こすことも
あると思うんだけど
例えば
金持ちになるためには長財布持ちなさい
みたいなさ
それってたぶん
その人にとっては
真偽なんだよね
そんなことを試した結果の
答えで
だと思うんだけど
じゃあみんな長財布持てば金持ちになれるんだって
民衆がみんな長財布を持ちます
持ちます
お前まだ2つ折り財布持ってんの
マジでだせえとか
人たちがいたとして
やっぱその
これはやっぱ
トレードオフというかさ
すごい影響力があるものの
宿命だね
宿命だねこれはね
やっぱりね
世の中を変えちゃったんだろうね
本当の意味で
天皇から
皇族まででしょ
そうそう天皇から皇族まで
すごい力が
当時からあったのし
すごかったんだろうね
それを聞いた人たちの驚きね
それでいいんだ
そうそうそう
まさに今兄貴が言ってくれた通り
やっぱりこの話を聞いたら
そんな優秀な人もだし
天皇からね
皇族まで信じる
浄土教ってなんなのみたいな
そんな疑問が湧いてきてくれたら
嬉しいなと思うんですよ
うーん
忘れてたわ
忘れてないでよ
浄土教の中身とか
どうでもいいなと思ってたもん
よくないよくない
もうこれでいいよ浄土宗のことは
だいたいわかったから
もういいかな
何がわかったというのか
ほうねんのこと
ほうねんのすごさは
わかったかもしれないですけど
だからもういいよ
浄土宗すごいしよ
ほうねんが言ったんだから
もういいや
民衆の側なんですよ
ダメな民衆の側
ダメな民衆
奥さんとか浄土宗すごいらしいよ
浄土宗すごいらしいよ
服をしちゃうじゃない
まだ信じてないの
絶対浄土宗生身です
言っちゃほうよ
奥さんから何がすごいの
どうすんだよ
ほうねんさんが言ってたんだぜ
こんなすごいって
典型です
それでもいいんだけどもちろんね
いいんですけど
じゃあ何がすごいのと
奥さんからの教え
奥さんから
何がすごい大丈夫だ
騙されてないと言うときに
違うんだと
教えがあって浄土教は本当にすごいんだと
と言って
奥さんまで開示させちゃうぐらい
そこまでの知識を身につけて
いただきたいと
もっと騙すならもっと深く
騙されてもっと深く騙そう
騙すじゃない
騙すじゃないんです
知ると騙すのは非常に難しいところもあるんだけれども
知識がやっぱ大事なんですよ
すいません
そんないつものやりとりを張りながら
熱量というかさ
インパクトあるね
ほうねんの人生には
びっくりした
僕もびっくりした
ほうねんって名前しか言っても知らなかったから
改めて見たときに
こんなドラマティックな人なんだ
こんだけ生々しい人生
生きた人なんだみたいな
そういう魅力もすごいあるなと思ったんですよね
さっきも言ったとおり
ほうねんすげーにしちゃならないので
浄土くん教えて何なんだとか
それがどうして当時
いろんな人に伝わった
広まったのみたいな
話というところを次回お伝えすることで
浄土教浄土宗とは何だよみたいな
そういう話をしていきたいなと思っております
わかりました
もったいないもんね
ほうねんすげーで終わっちゃったら
話を聞いてね
そのほうねんも
何周回り回って出会った
浄土宗とも
どんなものだったのか
そのほうねんがどう広めていったのか
そこを深く聞いていきたいと思いますので
次回楽しみにしていきたいと思います
引き続きよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました
57:14

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