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(BGM)
はい、ソレッタツアジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ニーチェ長いことお疲れ様でした。今までで一番長いシリーズだったね。
そうですね。7回くらいやってるのかな?
そうだね、7回。乗り越えるところが3回シリーズだったもんね。同じような話3回だから。
聞いてる人からしたら同じ話3回も聞かされて、慣れよみたいなね、って言われたかもしれないけど。
やっぱりなんかさ、同じではあるんだけど、やっぱり普通に考えて、僕らが普通に生きてたらさ、神と道徳と真理っていうのが同じようなものだって考え方がないと思うんだよね、普通に生きてると。
そうだね、だしそれぞれについてちゃんと定義を考えるみたいなね、そもそもみたいなことはもうない。自分の場合はないしね、そんな。
もちろん僕もやっぱりなかったから、その真理っていうのが神みたいなものと近くて、それを両方乗り越えている。
だから宗教だけを乗り越えただけじゃなくて、人間の価値全部を乗り越えたっていうことを伝えるためにはやっぱりあれぐらい伝えた方がいいんじゃないかなっていうのはね、ちょっと思ってたんだよね。
まあ確かにね、この兄ちゃん全部乗り越えかんっていうのは確かにそうだもんね。キースト教の話だけしたら、じゃあ犠牲とか真理みたいなものはいいの?みたいなね、そっちに降っちゃう気もするしね。
そうそうそう。 全部違うんだよみたいな話っていうのはやっぱ重要なんだよってことなんだもんね。
そういうことそういうこと。だからあまり考えなければね、例えば神は死んだ、超人がいて超人になろうみたいになると、超人っていうのは信じればいいんだみたいな、また別の信仰は生まれちゃうじゃない。
この前のサラッテストラ的な話ね、ロバ進行してんじゃね?そこは面白かったな。
あれすごい面白いんだよね、ロバの台詞とかめちゃくちゃ面白いんだけど。
ロバの台詞喋んの?
うん、それはぜひ読んでみていただいて。
まあ確かに。
有名なシーンなので。
どうだった?やってみて、いつもあれだけどさ、ニーチェを調べて今回話してみての手応えというか、なんかこう、なんかあった?
今回に関しては、ニーチェについて調べるっていうよりやっぱり僕が元々話したかったとか、好きだって思っていたものを伝えるっていうところだったから、やっぱ純粋にすごい楽しかったんですよね。
で、このラジオをやった時から、やっぱりずっとニーチェはいつか話したいって思っていたんですけど、やっぱり僕自身が哲学に深く入るきっかけだったのがニーチェだったりしたので、
ただやっぱり逆に、だからこそニーチェを最初にやってもあんまり伝わらないとか、理解されないんじゃないかなっていう感覚も一方ではあったんですよ。
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なるほど、そっかそっか、一番好きだからある意味一番最初に喋りやすいし伝えやすいけれども、聞く方わからないよねみたいなところもあったみたいな感じが。
あったと思う。だって、仮にさ、いきなり「じゃあ、それでずらずらやります」で初めましてで、
「じゃあニーチェっていう哲学者が1900年代に出ね」とか言われても、わからないじゃん、へーみたいな。
うん、そうだね。ただただ「はい、そうですね」になるし、前別の雑談会とかで話したかもしれないけど、
「それでずらずらやる」とき最初にさ、第0回というかお試しでバタイユだったし、
はいはいはい、幻のね。
バタイユ、1回目。
バタイユね。
あれ、反省したもんね、反省っていうかね、わからなかったもんね。
そうね、聞いても面白みが伝わん、聞いた自分たちが別に面白くなかったもんね。
うん、そうだね。いきなりバタイユって誰?みたいなね、その哲学界のどこよ?みたいなさ、話だよね。
そうですね。やっぱりそれを取ったから、ちゃんとスクラテスからマルシェ王道に行こうみたいなね。
うんうんうん。
もうちょっとね、最初バラバラと取り出そうかと思ってたんですけど、やっぱりわからないし、
やっぱりそういう流れがあって、こういう人がいるんだとか、こういう思想があるんだっていう、
まあ別に哲学史までは行かないにしても、なんとなくね、そういう流れみたいなものがやっぱりあったほうが伝わりやすいし、
だから今回はたぶんニーチェも、やっぱり西洋哲学の神学、キリスト教神学をやって、
キルケゴールの神、信仰でむしろ生きていくっていう人をやったからこそ、ニーチェみたいなものが伝わるんじゃないかな、伝わってたらいいな、みたいな。
はいはい、まあそうだよね、私前回当たり前のようにさ、プラトンのイデアのさ、洞窟のヒューガーみたいな話しててさ、
ニーチェの称号の影の長さはそれを表してるみたいなさ、これってもう意味不明だし、
いやそうっすよね、いきなりそれされたら、あ、そうなんだって終わっちゃうけど、
プラトンとかやっぱね、聞いてたし、それを乗り越えたアニキストテイスみたいな話があって、
それが絶対ではないみたいなところも含めて、今までね、60回か70回近く話、聞いてたからなんか、
あ、プラトンそこ否定されてるな、みたいなね、そういう面白さっていうのを感じられるっていうね。
これはね、何でも同じかもしれないけどね、哲学に限らずスポーツ観戦でも漫画を読むとか、
ワンピースとかでもさ、いきなりなんか最新回を読まされてもとかさ、いきなりあの、例えばドレスローザ編いきなり見せられても、みたいなさ、
ワンピース好きな人から、あそこが最高だよって言われて、そっから読めよって言われても、なんか分かんないじゃん、やっぱ。
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みんながさ、ゾロがまず仲間になってとかさ、奈美の葛藤がみたいな、なんと感動できない部分とかあるじゃん、やっぱり。
あるあるある。やっぱりそれは文脈というか、積み重ねがやっぱりね、特に哲学とか学問もね、そうだと思うけれども、やっぱ大事だし、
途中でさ、そのニーチェのセリフで、善なるものとか、逸なるものとか、不動なるものとかって出たじゃない。
あったあった。
あれも読んでたら、善とか逸なんだけど、あ、東雄のことね、とか、ああ、アリストテレスト乗り越えとしてるんだ、みたいな。
ああ、はいはいはい。
そう、っていうのが繋がってくると、わあ、面白え、みたいな。
そっかそっか、そこの表現をやっぱり、ちょっとこう、ひねったというか、文学的なのかなんかわかんないけども、ニーチェの面白さみたいな、ここも感じるってことだよね、そこのストレートじゃなく。
いや、逆にそれはストレートなんだよね、哲学を学んでる人からしたら。
あ、そうだ、もうそこは説明不要なんだ。
説明不要、そうそう。説明不要だからこそ、やっぱりこう、読み手に知識をやっぱり求めてくるよね、そこは。
はいはいはい、なるほど、そっかじゃあ、もうそこはストレートなのか、ちょっとこう深みというかひねってんのかっていうのも、ある程度そういう前提がありのでやってかないと本当わかんないんだよね、じゃあ。
そうそうそうそう。
さっきの、例えばロバとかもさ、今の話で言うと、あえてロバにした理由とかってあるの?とか。
ある。
あ、あるの?
ある。
あるの?
あるあるある。
もともと、ラクダからシシになって子供になるみたいな秘宝が実はニーチェの中にあって、ラクダとロバが近いのかな、ちょっとね、そこの繋がり詳しくはやらないんだけど、そういうなぜロバなのかとか、ラクダとはどういうことかとかっていうのもやっぱあるんだよね。
うわー、なるほど、そりゃ言うの大変だなー。
だからね、前も言ったけど、だからこそやっぱり亡くなってから100年以上経っても、やっぱりニーチェっていうものは研究されているとか、読み継がれているっていうのはそういう理由があるよね、やっぱり。
僕はニーチェに関して哲学の面白さっていうか、人としての面白さをすごい感じたんだよね。
はいはいはい。
なんかカントとかヘーゲルみたいにもちろん思想がすごいっていう人はいるんだけど、それだけだとどうしてもグッとこの人のことを知りたいとか学びたいってなんなかったんだけど、
ニーチェとかはやっぱり当時のドイツ、プロレス圏がまさに時代背景的にも、例えばフランスのナポレオンが出て、でもちょっとそこが衰退して、
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時代がどっちに行くのか、自由の方に行くのか、また王権に戻るのかとかってやっている中で、ドイツはなんかごちゃごちゃして何も決まってないとか、うまくいってないみたいな思いがあるんだよね。
でもドイツっていうのはすごい素敵な国民性があって、豊かな文化があって、みたいなものを持った時に、やっぱりドイツ国民にもっと頑張ってほしいみたいな。
はいはい、なるほど。
そういう時代を、やっぱりちゃんとドイツが作っていかなきゃいけないみたいな思いがあったようで、ちょっとそれは思い出せないんだけど、どこで読んだか。
そういう人への愛情というか、だからこそこんだけきついことを言わなきゃいけないみたいな使命感も含めて、持っていた人なんじゃないかなっていうのを感じてて。
はいはい、なるほど。ある意味お手本だったフランスっていうのが、プロレスチェンというかドイツが孫孫しているうちに、一周しているみたいなね、むしろ一回転しているみたいなね、人権とか刑務主義みたいなものを一回転して、
ちょっとなんならナポレオンで一回なんかめっちゃすごいと思ったけど、そこも失敗して次またどうなんの?みたいな。
こっちまだなんもできてないんだけどみたいなね。ただただお手本にしていろいろ考えてるだけなんだけどみたいな。個人的な体験というか、結構そういう国みたいなまとまり、そういう意識もあるんだね。
そうそうそう。あるとされてるんだね。やっぱりそういうね、何だろうな、崇高さみたいなもんだよね。超人もさ、やっぱり人間が弱くなってしまったとか、
本来持っている豊かな表現とか想像力、想像性のものごとを生み出す力っていうのが、やっぱり抑圧されてしまって、本来の人間じゃないみたいな直感はあっただろうから、
そういう演劇とか音楽とかっていうのは元々ずっとやってた人だから、兄ちゃんは。
そういうのもあるのか。そっか、そうだよね。
だから本当はね、そっちの兄ちゃんの芸術論とかまでいくと、なんかもっと広がりが出てくるんだけど。
そういうのも残してるの?
元々ね、たぶん白紙論文とかがそういうので書いてるんだよね。芸術論か音楽論かな。
そうなんだ。そっか、じゃあそこ平行にやってた、芸術と哲学どっちも一緒にやってたっていうよりは、割と最初は芸術とか、そういうのの方が先だったのかな?
そうそうそう。古代芸術家の悲劇、喜劇じゃなくって、悲しいとかカタルシスみたいなものを元々は研究してた人で、
だからこそそういう人間の辛さとか苦しさとか、でもそういう自然な感情にやっぱり本質があるんだっていうのを、やっぱり感覚だけじゃなくて、歴史とか時代とかからもやっぱり掴んでた人なんだよね。
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へー、そうなんだ。
今回話を聞いた限りだけども、そういう古代の悲劇みたいなものと、今自分たちが感じている、例えばキリスト教的な、ルサンチマン的な現在の感覚だったりとか、
あとは啓蒙主義の嘘臭さみたいな、嘘臭さって言ったらいいんじゃない?
嘘臭さはあるよね。
そこと比較した時の嘘臭さっていうのは、人間の、ハヤトの言うところの素朴な感情だよね。
ただただ湧き上がってくる物事に対峙した時の感情とか、感覚っていうものとの違いっていうものが、そこでもしかして相対化されてたのかな?面白いね。
多分そうだと思うんだよね。金欲主義みたいな感情を抑えるっていうものと、本当にそういうことだったら涙をボロボロ流して、
どんな立場の人であっても嘆き悲しむよみたいな、あった時に、どっちかが本当って思ったら、嘆き悲しむ方でいいじゃんっていう素朴な感覚ってあると思うんだよね。
それを突き詰めて考えると、やっぱりそういう風にさせているキリスト教とか道徳とか、あるいは向こうの理想の世界があって、この世は仮初めだって思わせてしまうような思想すべてが、
人間の敵だっていうところまで行き着いたっていう、それはやっぱり普通の人はいけないからさ、そこの思考まで。
そうだよね。そこそこルサンチマン村の例があったけれども、その価値観の中で育っているのに、そこをここまで俯瞰して、
このサラテストラでも思ったけどさ、自分の感覚と、あと相手がそれをどう捉えそうかみたいなところまで、すべて、かなりな俯瞰で見れている感じがするもんね。
そうそうそう。やっぱりそれはもともと、任一郎が歴史学とか系譜学って呼ばれるような、やっぱり時間軸を持った視点とか、そういう学術的な手法を持ってたから。
冒頭でも言ったけど、もともとはすごい天才的な学生で、その教授に抜擢されるぐらいの人だから。
そこそこ、たらたに自己中心的なものを作って外に出すっていうだけじゃなくて、その見られ方、捉えられ方、みたいなものまで含めて形を作れたって感じだよね。
そうそうそうそう。やっぱりそういった意味でも、もちろん任一郎の言っていることが全部正しいとかではないけれども、
やっぱり自分では、この菅野駿っていう人間ではいけない思想までたどり着いて、それを残してくれているみたいな感覚がすごいあった人なんだよね。
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そういう意味で本当すごいし、でもあれなんだもんね、この後、他の近代哲学とかってなってくると、さらにやっぱりこの農に超えようとしたりとか、批判したりとか、いろいろまた出てきているってことなんだもんね。
そうだねそうだね。
そういうのも今後見ていくの?いろんな人たち。
そうだね、今後でいうと、近代から現代に向けてみたい感じかなとは思うんだけど、前も言ったっけ、構造主義とかレビストロース?ラジオでは言ってないか。
言ってないかも。
レビストロースについてとか、より他の構造主義の人たちについてとか、レビストロースに影響を与えたソチュールの言語化についてとか。
うーん、また、あれでもね、60回や70回近く聞いて、いろいろ楽しいんだけど、今パッとレビストロースとか、それに影響を与えたソチュールとか言われても全然ピンとこないから、やっぱすごいよね、やっぱ広いし深みもあるんだなーだし。
それぞれやっぱり今回にニーチェにしてもさっき芸術論の話はあまりしてないみたいなね、たぶんニーチェの膨大な思想だったりとか、ニーチェの資料だったり、それを解釈というか、研究している研究者みたいな、いろんなものの上積みみたいなもののポイントを、
「はい、となりにこう、しぼって教えてくれてるんだなー」みたいな感覚もあるもんね、やっぱりね。
そうね。言ってもさ、僕も別にね、研究者の方々が書いたような本を、読んでても3、4冊とか5冊ぐらいだからさ、そのぐらいの中のさらに一部を皆さんにお届けしてみたいな感じだから。
している素人ですから、みたいなね。
そうですよ。だから研究者の人からしたらね、もう全然、ニーチェのことわかってないなってなるだろうしもちろんそれは。
まあまあそれはそれでいいかなと思ってて。
そうだね。
まあ面白いしいいよ。いいよって。
まあまあ面白いって言うとね、おかしいけど。
そうね。だからまあそういう意味でも、今後はやっぱりね、広がりが逆に増えてきたりとか、やっぱりこの時代を作ったこの人みたいなのが逆に言いにくくなってきたりはするんですよね、1900年代以降になっちゃうと。
実はやっぱ大学の学問が一定定着してくるから、それだったら全然ちょっと話変わるし、皆さんからしたら何って感じだと思うんだけど。
あの日本にね、あの美中田久間愚さんという人がいて、聞いたことあります?
ああ名前は知ってる。昆虫学者とかっていうかな?っていろいろ。
一番有名なのが年金?
年金?
年金。あのなんだ、年金、お金じゃないもんね。
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粘っこいあの、売金の金みたいなね。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
の研究とかで有名な人なんだけど、あの人とかは大学には確かにちゃんと行ってないんだけど。
そのすごい学歴成果を上げたとか、なんか美中田マンダラ、熊ぐすマンダラみたいな、その個人的な思想を突き詰めて、なんか独自の宇宙感を持っていたみたいな感じで。
結構ね、面白い人なんですよ。
だからその大学の哲学者にやっぱ限定しちゃうと、やっぱそういうね、ちょっとおかざない感じになっちゃうんだけど。
そうじゃないところでも面白い活動をしてた人とか、注目したい人とかはいたりはするので、なんかそういう人を取り上げていくのも面白いかもしれないですね。
はいはいはい。
ここまでやっぱり古代から、東洋とかも行って、また西洋も追ってきて、ニーチェというところまでたどり着いたから、こそまたまあいろいろ時代下ったりとか戻ったり。
いろいろこうもうある程度自由無事に行けるぐらいの話はしてきたって感じなのかな。
まあそうだね、いって世界観として多分皆さんと共通できたかなと思うのは、要は真理とは何かとか、哲学が目指す根本原因とは何かみたいな感覚はありながら、
でも真理っていうのは一個じゃないよねっていうのが、多分ここまで話したけど、僕が今この時点で伝えたいことなんですよね。
ああ、わりとじゃあ今回のニーチェの話みたいな感じで、全部に乗り越えようよっていう話と、もちろん自分が捉えたものっていう感覚は大事にしようよっていう話だったりとか、
これもどっかの雑談会だと思うけど、やっぱりその対話でのそれぞれの真理じゃないけどね、それぞれの失踪だったりとか、それぞれの哲学かっていうものをきちんと尊敬、リスペクトし合えるのがいいよねみたいな話ってことかな。
そういうこと。逆に言うとニーチェを本当にニーチェすごいって思ってから、中世哲学者とか心学者とか行っちゃうと、こいつまだ神信じてるよみたいな感じになることもあるのよ。
でもやっぱり神を信じて世界観の中でこういうことを言ってるのはすごいよねみたいな尊敬、リスペクトって大事だから、そういうふうに見れていくと、多分どういう時代に行ったとしても、だからこの人すごいんだねとか、
これどこ面白いねっていうふうに多分なるし。 まだ天道説信じてんの?みたいな、もう違うんだけどみたいな話ね。
やっぱりそうなっちゃうとやっぱりすごくもったいないなとも思ってて。
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そこに向けて本気で頑張ってたりとか、それがそういう理想というか、それがあったからこそできた、育ってきた数学的なとか哲学的な積み重ねだったりとかってあるはずだもんね、絶対。
だからここまでちょっと相題かもだけど、やっぱり人間の歴史の中で、それこそ暗黒時代みたいに過去を否定して今がすごいっていうのは簡単なんだけど、
やっぱそれも一つのパターンというか、陥りがちな人間の思考のパターンだから、そうじゃなくて、やっぱりいろんなものがあって、今があって、別に未来が良くなるかは分からないけど、
でも自分なりに良い未来を作っていこうぜみたいな。ニューチューで言うところの超人として、やっぱり自分でこう「よしもう一度」って行くぞみたいな。
そういう気持ちはね、なんか僕は大事にしたいなと思ってて。
(岡田)なるほどね、まあそうだね、確かに面白いよね。ルサンチマンとかニヒリズム的な方から超人というものを捉えると、ちょっと真逆の変なポジティブ思考みたいに言っちゃいそうな気もするけど、かといってはそうでもないんだよって話だよね。
この超人っていうのはかなりフラットな概念なんだよっていう話だよね。
そうだねそうだね。僕らの会社はちょっと人種的には「人間はダメで超人になれ」みたいな、上下だみたいな感じもあるから、結構厳しくは言ってるけど。
「猿が」みたいな。
「私食だ」みたいなね。
お前らは何だっけ、炭素じゃなくて木炭かみたいな。
「俺はダイヤモンドだけどね」みたいな。
人種的にはね。
それは僕はあんまり受け入れられないというか、そこまで強い人間にならなくてもいいんじゃないって思っちゃうから。
面白いね、確かにそこにフラットさを感じるのか、そっちにやっぱ超人こそ最高だって言うのかみたいなね。そこを含めて面白いけどね。
そういう意味でもね、読書とか読書を読むってやっぱそれ人それぞれの経験になると思うし、それを通じて自分なりのことを言えるようになってくるとまた面白いよねというか、人生豊かになっていくよねっていう感覚はあるんですよね。
なるほどね、そっか。前も言ったけど、自分の場合、サルトルをいきなり読んで座説というか、哲学の入り口にも立てないというか、扉が重すぎて開かなかったんだよね。
いやー本当、なんか小学校とかの時にね、もしくは中高の2位とかで、なんかそういうね、やってほしかったなーみたいな、超大器本願すぎるけど。
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でもね、なんでもね、やっぱ先達が欲しいみたいなね、日本の個人もありますけれど、やっぱりここから、やっぱサルトルの扉は開かないのよ基本的に。
今度開けてほしいな。
そう、確かに。そういった人たちもね、もちろん取り上げていきたいなと思いますので。
だからね、今だったらなんかね、そう手伝うでしょうね。なんか、この前もチラッと「ソクラテスの弁明」とかってあの図書館でパパッと読んでみたんだけど、やっぱ面白いもんね。
この話を受けた後で、ああいう裁判の雰囲気とかって、ちょっと想像できる感じがするじゃん。イメージがね、ビジュアルで。
確かにね。
で、ソクラテスさんがなんか「つこまれて困ってんなー」みたいなとか、「頑張って喋ってるよ」みたいなとか。
で、まぁ結局でも「こうやって死んじゃうんだなー」みたいな。そういうストーリー的なだったりとか、哲学思想的な面白さみたいなものをちょっとは感じることができたりとか。
あと、スパニーパーターもあったんだよ。
あったんだ、ブッダのね。
しかも漫画版みたいな。漫画で読むみたいなって。
それもやっぱり指紋質疑の話みたいなのがあったりとかして。
この前聞いた話と比べながら、「あーでもここはこういう風に表現されてるんだ」とかね。特に漫画だからね、さらにライトになってたから。
「あーでもこの部分がない。このハイトから聞いたこの部分なかったけど、ここあった方が面白いのにいい」みたいなのか。
なんかね、そういう比較して面白がるとか。
「あーでもここは、この話はなかったな」とか。「12円木の話ちょっとわかりやすいこっちの方が」みたいなのとか。
やっぱりそういう楽しみもできるなーっていうのは面白かった。
だからそれはやっぱりそういう、最初の扉をちょっとパッて当ててくれるというか、扉を軽くしてくれた感じが。
前も言ったけど、身内を褒めるのもあれだけど、アニキュアはそういうところがすごいよね。ちゃんと自分で手に取って読んでみるみたいな。
薄かったからね。他の本は読んでないけどね。プラトンの国家とか読んでないけど。
あったら読んでたかな。探してもなかったんだよ。
国家とかね、やっぱアレンサー・デルスのニコマックス倫理学とか読んだら面白いけど、やっぱ分厚くて2冊とかに分かれてるから。
それ読まないかも。
でもそれのなんか紹介してもいいかも。なんか読みやすい哲学書とか。
なんかその薄くて分かりやすいみたいな。
そうだね。薄さ順みたいな。ページ順とかに並べてほしい。
ページ順。そうね。
あれでしょ、確かデカルトとかの方法助説も確か短いの。
短い。全然読みやすいよ、あれは。
そういう順番でぜひ。
確かにね。そんな感じでしたけれどもね、皆さんにもニーチェ楽しんでいただけたらいいなとは思うんですけど。
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いやーそうはね、長かったけど個人的には面白かったからぜひね、皆さん。
前も言ったけどね、自分が思ってたニーチェ感と違ったとかね、同じだったとか。
そういう楽しみ方してる人もいるだろうし、お便りでもニーチェ楽しみしてますって人もいたから。
そうそうお便りといえばですね、雑談でお便りを紹介していきたいなって思ってるんですけれども。
僕らがですね、お便りくれくれ人間みたいなのやってたじゃないですか、一時期。
送ってくださる方もいらっしゃって、ちょっとですね、ご紹介していきたいなと思っております。
先に僕から読んでもいいかな。
お願いします。
最初ですね、黒猫さんのお便りをご紹介するんですけど。
すいません、僕らが一回ちょっと見逃して、ご紹介できなかったみたいで、2通いただいたんですよ。
そうだね、見逃したか、ちょっとタイミングが多分合わなかったか。
なのですいませんでしたっていうところもあるんですけど、すごくありがたいお便りいただいていたので、ちょっとご紹介させていただきます。
黒猫さんですね、こんにちは。3回目のお便りさせていただきます。
毎回お便りを取り上げてくださりとても嬉しいです。
直接お二人と話しているような感覚になれて幸せです。
今回はお礼を言いたくお便りさせていただきました。
前回の私の質問に対するご回答、本当にありがとうございました。
ハイトさん、分かり合いますと言っていただけで、この感覚私だけではなかった。よかったと、心底安心いたしました。
そして教えていただいた通り、あまりこの感覚を持ち続けないようにしようと思いましたし、日々の生活も丁寧に生きてみようと思いました。
座禅にも言ってみたいと思っております。
ハイトさんの少しだけ難しいお話を噛み砕いて、例え話にしてくださる京介さんのお話にも、目から鱗が落ちる思いで聞いています。
京介さんの例えでそういうことかと思うことも多いです。
自分はやはり西洋より東洋が好きなのかなとも思いましたが、やはり西洋も面白いとお二人のお話から感じております。
実学に関してもっと色々調べてみようと思います。
もう一ついただいておりまして、
こちらはですね、公園の例えをした時だから、
あれは何だっけ、それで座禅をこういう風にしていきたいっていう話ですね。
公園でいろんな遊具があって、
変な遊具だけどね、みたいな話をした時。
例えがわかりやすく面白かったです。
また色んな哲学者の話を聞いて、腑に落ちない時があり、しっくりこないなと思う時があったのも今回のお話の中で納得できました。
西洋、特に日夜も好きですが、東洋の方がしっくりくるのはそういうことだったのかと思いました。
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次回からの日夜会、とても楽しみにしております。
また感想をもらわせていただきます。
お二人ともお風邪などにされませんようにという温かいお便りをいただいております。
ありがとうございます。
はい、いつもありがとうございます。
1回目の話は、有意識の話をした時に、自分がなくなる感覚というか。
足元が崩れていくような。
そういうのがあって、それはあまり感じすぎない方がいいですよっていうのがお伝えさせていただいたんですけど、
日夜とかもそうなんですけど、自分の思想より大きいものを受け取った時に、ちゃんと受け取れないとか、
逆にパンって、自分が壊れちゃう感覚になる時があるんですよね。
先に身体的に理解したかもみたいなタイミングって感じなのかな。
できるかどうかは分からないけど。
したかもみたいな。あるかもね。
おい、やる勝負だみたいな時に、なんか、うおーみたいな。
なんかよく分からないけど、分かったってなった時、やっぱあるんですけど、
それちょっと危険っていうか、そのままでは行きづらくなっちゃうんで、
お前らはやっぱり、俺は気づいてくるけど、お前らは気づいてないみたいな、そっちになっちゃう危険性もあるので。
あとはそれだよね、実際理解したとして、それを冷静に言語化できてない段階でだと、結構フワフワしちゃうもんね、多分ね、感覚的にも。
特に西洋はまだ一応ロジックで一定等式がいるからいいんですけど、
東洋は、ちょっとね、前回も言ったかの、次に前話を使おうと思ってるんですけど、
まさにノーロジックっていうか、ロジックを超え…なんだろうな、ロジックじゃないんですよ。非ロジック。
(岡田)そっか、さっきそうだよね、身体的に理解した後で言語化できる前に言ってたけど、そもそもその言語化が存在しない場合もあるんだね。
特にさっきのアラヤスキーとか。
(瀬戸)言語化を否定するとか禁止するのがやっぱり、東洋的なとか、禅的なものだから、
そういう時にその感覚を持ち続けながら生きるみたいに言っちゃうと、
ちゃんとその仏教的な共同体とか、それをちゃんと理解してくれる人が周りにいないって危険だなって僕は思うんですよね。
(岡田)っていうところだよね。これはあれだよね、黒猫さんの経験を決して否定するものではなくて、
ただその経験というものをあった時に、早藤からそういう話をしたってことだもんね。
(瀬戸)そうです。なので座禅とか言っていただくと、ちゃんと周りに分かっている人がいたりとか、
33:01
住職さんとかはちゃんとそれを理解した上で関わってくださるから。
(岡田)すごい大事な感覚だけど、その持ち方、保ち方だったりとか、それの持ってき方みたいなものを一人で問問というか、
一人でやっちゃうと早藤もあれだもんね、それなんか1週間くらいきつかったみたいな話あったもんね。
(瀬戸)そう、世界はもう不確定だみたいな。自分が地面を踏んでいるこの地面もいつか崩れるかもしれないみたいな感じで生きているのはやっぱりしんどいので。
(瀬戸)そういう感じですね。本当にいつも聞いていただいてありがとうございます。
(瀬戸)21回も楽しみにしていただいていると言ってくださっていたので、今回ももし楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
(岡田)お気に入りは、I Love それ鉄さんからいただいておりまして、内容をちょっと紹介していきたいと思います。
(岡田)これは雑談会どこかな、経験ゴールかな。
(岡田)今回は内容が具体的でわかりやすかったです。頭を絞るような観念的な会も良いけど、こういった実際の生活に属した話も良いですね。
(岡田)今日の雑談で、仏教的な考え方を中で育ってきた人にとって、キリスト教的な現在の感覚はピンとこないといったお話があって、私はそれを心から羨ましく思いました。
(岡田)幼児洗礼から始まって、思春期頃までカトニックの純粋培養みたいに育ってきた自分は、常に最後の審判の恐怖におののき生きてきたからです。
(岡田)大人になって宗教から離れてもなお、なかなか解放されずにいたのですが、それを最近になって作ってくれたのが歴史と哲学です。
(岡田)それで、面白が好きでお互いに攻撃をしてしまっていますし、お互いに紹介の会でお二人のコメントをいただくのもすごく楽しいのですが、紹介してくださることによる番組に対しての弊害が少し心配です。
(岡田)毎回同じ人から連絡が来るといった内輪な感じが出てしまうと、リスナーさんによっては騒い感を覚えたり、偏った内容だと思う方もおられるのではと、
(岡田)幅広く多くの人に聞いてほしいし、長く続けてほしいので、そのあたりはさらっと流してくださったり、内容だけ触れて差し出しには言わないとか、お便り時間を紹介しないなど、どうか番組にとって良い方法で処理していただけたらと思います。
(岡田)番組にとってマイナスになっていないと確信があった方が私も安心して好きなことを書けますし、(笑)本当にいつもありがとうございます。
(岡田)寒くなってきたのでおこながらに気を付けてくださいね。また次回も楽しみにしております。
(岡田)なんですけど、めっちゃいい人すぎる。本当にありがとうございます。
(瀬戸)本当に握手とかさせていただきたいぐらい。こんな素敵な人に聞いてくださってていいんでしょうか?
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(瀬戸)どうなんだろうな。まずはこの最後の方からしようかな。おたり攻撃だったり、内輪感出ちゃうみたいなのって、自分もいろんなポッドキャストとか聞くから、分かるっちゃ分かるんだけれども、本当にありがとうございます。
(岡田)お心配を、番組の心配をしていただけるって本当にありがたい話なんだけれども、どうだろうな。
(瀬戸)僕も結構ラジオとか、いわゆるネットラジオとかで一時聴いてた人なのね。
(瀬戸)そうすると、常連さんとか、いつもやってくださる方がいると、名前だけでその人が分かるとか、徐々に明らかになってくるその人の性格を、こっちも楽しみにしてて。
(瀬戸)だから自分が出して受け取られないことよりも、その人がちゃんと届けてくれてるとか、その人事が分かるっていうのが嬉しくなっているという感覚があったから、
(瀬戸)だから僕は常連の方って、リスナーとしてもすごく楽しかったし、今こうやってある種、ポートキャストを配信させていただいてて、やっぱり新しい方はもちろん嬉しいし、
(瀬戸)長く聞いてくださるとか、毎回聞いてくださる方っていうのも嬉しいし、ラジオってそういうのが素敵だなって思いますよね。
(岡田)そうだよね。やっぱり双方向感が強いというか、一回お便りを出したりもらったりしてですね、というのよりも、結構継続的にこの人はこの話を聞いた時にこう思ったんだっていう積み重ねって面白いよね。
(岡田)どっちから、リスナーの立場からしても。
(瀬戸)だから、さっきのちょっと変な伐線しちゃうけど、僕が聞いたラジオだとお便り出してくださる方が青森在住のリンゴ農家の人で、番組宛にリンゴを毎回送ってくれるみたいな。
(瀬戸)今回はこの種類のリンゴだったけど、今年はこの種類でしたみたいなところまでわかるみたいな。
(岡田)別にあれですよ、リンゴを送れって言ってもらっていいじゃないですよ。
(瀬戸)そうね。
(岡田)何も公開してないしね。
(瀬戸)あて先とかないからね。
(瀬戸)でも、そのぐらいに僕らだけじゃなくて、聞いてくださっている方とかお便りくださる方が見えてもすごい素敵だなと思ってて。
(岡田)そうだね。もちろん人によってはね、なんでよ、あの、電車ばったりみたいな考え方をする人もいるかもしれないけど、そこをたぶんそれ手伝いさんは、アイラブー、それ手伝いさんは心配してくださるってことだけど、
(瀬戸)そうですね。
(岡田)別にね、別にねって言うとあれだけど、特にやっぱりラジオ、ポドキャストっていう特性上もあるし、鉄学っていうものを扱ってるっていう上を、かなりそういう、やっぱり一回で終わるわけがないんだよね。
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(瀬戸)そうね。
(岡田)そういう繰り返しみたいなもので、すごくありがたいし面白いかなって思うんで、もう堅くなりにリスナー名は付けませんので。
(瀬戸)はい。ただあれですよ、これはちょっと読んでほしくないとか、ここはちょっとお二人だけですってのがあれば、それを書いていただければ読まないので、もしこれからお便り送りたいけどちょっと心配とかって方がいたら、そこはもちろん配慮いたしますので。
(岡田)そうね、ぜひぜひ。今回もアイラブソルテさんのキリスト教の話みたいなものを紹介させてもらっちゃったんですけど、もしアイラブソルテさんこれ聞いてて、その話はちょっとあれば削除しますんで、そういうのを教えてください。お願いします。
(瀬戸)ありがとうございます。そうですね、そこのところで編集してもう一回出し直したりとかもできるんで。
(岡田)そう、そう、まあっていうぐらい本当にありがたいんで、わかるんだよ、自分もね、こんだけ話はしてるけど、好きなラジオにお便り送るって実はしたことなくて。
(瀬戸)ハズレ高いよね。
(岡田)高いんだよね。ここはやっぱりね、自分でやれようになってから申し訳ないちゃんと出さなきゃってむしろ思うようになったんですけど、こういったさ、お便りを出してくださる方にむしろ共感して、代わりにありがとうございますぐらいの感じで、そこも含めて楽しんでるんだよね、評価して。
(瀬戸)確かにね、確かにね。
(岡田)こういう、だから送っていただくのは本当にありがたいなっていうのを、ラジオをやる具合になって初めてね、すごさっていうものにね、リスペクトと感謝を抱いてるっていう感じ。本当にありがとうございます。
(瀬戸)ありがとうございます。
(岡田)あとね、ちょっとさっきね、個人的なことは、もちろん「人であれば削除しますよ」って言った上ではあれなんだけれども、やっぱりキルゲゴールの時にまさに言った、キリスト教的な世界観で生きていた人がどう感じるかっていうのを、僕らに投げかけてくださったっていうのはすごくありがたくて。
(瀬戸)いやー、本当嬉しいよね。
(岡田)わかんないからさ、想像で喋ってたことが、やっぱりそうだったんだ、そうっていうのは、辛さとか苦しさとかっていうことをね、ちょっと多分お伝えくださったじゃないですか。
(瀬戸)そうそうそうね。もちろんこれは全てじゃないけども、やっぱりこういうキリスト教の方の経験として、最後の審判の恐怖におののいきながら生きているとかさ、その感覚っていうのはすごく貴重な体験談として、うちらにない話だからね、ありがたい。
42:01
(瀬戸)こういう仏教の考え方しかない、キリスト教的な現在の感覚にピンとこない人から、うちらのような人からすると、その経験聞くだけで、やっぱり今回言うとキリケゴールの話、ちゃんと絶望しましょうとか、現在を自分のものにしましょうみたいな話、みたいなものっていうのがより短いに感じられるからね。
(岡田)そうだね。
(瀬戸)想像じゃなくて、本当ありがたいね。
(岡田)やっぱりね、まず実存主義がそうだけれども、やっぱりその人その人の生まれた環境とか価値観とか文化とかも含めて、どういう言葉を使っているかとかも含めて、やっぱり物事の取り方って違うから。
(瀬戸)ああ、そうなの。実存主義ってそんな深い話なんだね。
(岡田)そうね。現実存在の自分という存在から生まれる思想だからさ。
(岡田)やっぱりキリケゴールがもし日本に生まれたら別に彼はキリスト教のことについて書いてないだろうし。
(瀬戸)ただ悟った人になってたかもしれないね。
(岡田)そうそう。とかもしかしたら仏教の内側から壊すぜみたいな人だったかもしれないけど。
(瀬戸)はいはい。
(岡田)やっぱり理性で全部やっきっちゃうとみんな一緒とか、理性を正しく使えてるやつは偉くて、使えてないやつはダメだみたいになっちゃうけど。
(瀬戸)うんうんうん。
(岡田)実存って言っちゃうと、それぞれの一人一人の現実的な存在から立ち上がってくれるものがあるよねっていう風にシフトできるから。
(瀬戸)はいはいはい。
(岡田)そっちの方が今の時代に合う思想だなとは思うんだよね。
(岡田)今回最初だったけど、ある意味ニーチェっていうのが、ハエ島の中で一つの集大成じゃないけど、一つの到達点みたいなところがあったわけだから、
(岡田)ここからまた、重要無人にいろんな、だってね、構造主義とかさっき話しちゃったけど、やっぱり全然わからんし、
(岡田)そういうのも、引き続き西に東へみたいな、なんならイスラム哲学の話とかも一瞬出てきてたけど。
(瀬戸)あー、そうねそうね。
(岡田)ああいうのも聞いてみたいもん。だって一番、このソレテツラ城の中で一番感銘を受けた言葉が、
(岡田)あれだからやっぱ、華が存在しているのではなくて、存在が華するのだって、あれが一番刺さったからね、個人的に。
(瀬戸)やっぱそうだよね。あれも強い言葉だよね。
(岡田)うん。だからぜひね、今ってやっぱり西洋・東洋がどうしたらやっぱりね、多いと思うんだけど、
(岡田)なんかそういうイスラム哲学だったりとか、インド哲学だったりとか、インドは東洋だけど、なんかね、もしそういうのがあるんだったら、
(岡田)ぜひぜひなんかいろいろ、これからも取り合えてもらえたら嬉しいなっていうのが個人、一リスナーとしての。
(瀬戸)ハハハハハ。
(岡田)ちょっとリスナー目線だな。
(瀬戸)そうね、一番リスナーとしてのね。
(岡田)そうそうそうそう。
(瀬戸)でもね、そういう意味で言って、次回はその、前ですね。またちょっと東洋とか仏教の方に行って、
(瀬戸)ちょっと一回お口直ししたいんですけど、西洋が確かにこう一旦、二日で、やっぱり近代が行って終わって、近現代に来るみたいなところだと思うので、
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(瀬戸)東洋に行って、またその西洋に戻りつつとか、まさに言ってくれたようなイスラム哲学とかインド哲学とかも、
(瀬戸)僕もなんとなく知ってる部分あるのでお話できるかなと思いますし、
(岡田)中国とかのね、その中華装とかあんまり詳しくないんだよね。孔子、老子とか、朱子学画とか、
(岡田)そうですね、なので、僕自身もね、いろんな広がりをもちろんなカラーですね、このラジオをどんどん育てていきたいなと思うので、
(岡田)ぜひ続きお付き合いいただけると嬉しいです。
(瀬戸)いやー、そうだね、ちょっと長くなったけれども、そうだね、また次回から禅の話とかしながら、またいろいろやっていきたいと思いますので、
(瀬戸)じゃあまた次回からもよろしくお願いします。
(岡田)はい、お願いします。引き続き楽しんでください。ありがとうございます。
(音楽)