1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #94 評価不能の異才。ポスト構..
2023-03-19 41:48

#94 評価不能の異才。ポスト構造主義を代表する哲学者デリダの波乱万丈な人生

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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デリダの人生と影響
♪~
はい、鋭鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、
哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟2人で
お送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の環野京介です。
弟の駿です。よろしくお願いします。
さて、今回は前回のレビストロース構造主義の
自愛的に言うと、さらに最近というところで
ポスト構造主義を見ていくというところでした。
はい、ポスト構造主義の代表するといわれる
ジャック・デリダという哲学者がいるんですけれども
今回はその人に焦点を当ててみようかなという風に思います。
レビストロースの時にお伝えした通り、構造主義にも
すごい有名な哲学者がいて、
僕は風光とかが好きというか、読んでいたりしたんですけど
一旦そこをスキップして
ポスト構造主義のデリダまで一回進んでみようかなと。
今後の流れとしては、そこから一回東洋を挟んで
構造主義とポスト構造主義の違い
サルトル・レビストロース・デリダってまた続いたので
一回また東洋の方に行って、その雰囲気を味わった後に
フッサールとハイデガーの原宿学を飛ばしていって
やっぱりこれがかなり重要だなというか
今回やるデリダにもかなり影響を与えているので
そこは戻らねばと思ってそっちに行こうかなと思っています。
というような感じですね。
なるほど、結構ポスト構造主義で
現代に追いついた感はあるんだけれども
今までは結構縦の軸というか
バーッと見てきたけど、まだまだいるよって話なんだね。
まだ現代に追いついてないんだよね、それでいうと。
へー、そうなの?
まだあるの?今日やったこのデリダの中にまだあるんだ。
デリダは多分1990年とか2000年入らないぐらいなんだよね、多分。
やっぱり2000年入ったからさ、言っても20年経ってるから
それもやろうと思っています。
フッサール・ハイデガーとかミルオ・ポンティぐらいまでやった後に
現代の哲学的な問題とはとか。
ああ、なるほど、もう本当に今のみたいな
最新のみたいになってくる話だもんね。
そうだね、2010年とか。
というまではちょっと頭の中にはあるという感じですね。
でもやっぱり今回のデリダの構造主義とか
ポスト構造主義とかの話を聞くと
現代の哲学ってどうなんの?みたいな
結構みんなもしかしたら混乱するかなと思っているのと
僕自体が今台本を作りながらめちゃめちゃ混乱してて
デリダってやっぱり難しいよ。
それとして史上一番大変かも。
『ヘイギル』の時にも言ったけど。
はいはい、そう、なんか大丈夫?
話自体は別にそんな難しくないというか
シンプルなんだけど
例えばね、今回脱構築とか
さえんとかえっくり中とかっていろんなテーマがあるのよね。
デリダといえばこれみたいな。
脱構築ってこういうことなんだよっていうのは
ふわっと言えるんだけど
それが哲学の何でそんな大事なのかとか
それが今の考え方にどう影響しているのかとか
考えようと思っていたのがめちゃめちゃ難しくて
脱構築とデリダの哲学
へー、なるほど。そこがあれなの?
まだ自分の腹に落ちてないというか
そういうとこがある感じなのかな?
落ちてないし、説明してくれてるのもあんまり見つからなくて
だから脱構築みたいなので論文とか調べてたのよ。
これ何ページだ?
30ページくらいある論文を5回くらい読んでたんだけど
なんかわかんないんだよね。
その感覚って例にあったヘーゲルとか
もしくはもう一個前のレビストロースとか
とかで勉強というか
そういう本とか論文を読んでた時とはまた違う感覚なの?
そうだね。やっぱりデリナ自体がめちゃめちゃ広いものを扱っている
哲学者だけじゃなくて文学とか
いわゆる人文社会的なことも扱っているし
あとやっぱりこの
今日までお話ししていくんですけれども
デリナがやろうとしたことって
僕が知った限りで言うと
クラトン以来の哲学の見直しというか乗り越えなのよね。
みんな乗り越えるのよやっぱりそこから。
ニーチェもやったしさ。
みんなやってるんじゃない?
そうだね。デカイトンマスだけど。
みんな乗り越えるのよ。
じゃあってあれだけどさ
もうちょっと全体像を教えてほしいんだけど
ただ単に構造主義
レビストロースの構造主義を乗り越えようとしただけじゃなくて
結構やっぱりプラトンっていうとか
もっと哲学の源流
そこまでやっぱりそういうの自体を
乗り越える感覚なのかな
構造主義へのアンチテーゼみたいな話じゃなくて
反対のことを言ったとかじゃなくて
結構またそもそもねみたいな話をしてる感じなのかな
そうだね。本当にその通りで
ちょっとだけ話をしていくと
構造主義って前回やったところの一言で言うと
これまではデカイトン的な意識とか小義徒
要は人間の意識とか理性っていうものが
あらゆるものを解き尽くせるぞみたいな価値観
それをどうやるかみたいな
その理性最高みたいな話じゃないよって話だよね
そうそうそう。構造主義自体はね
そういう意識されない親族とか
社会的なものとかも含めて
そういう構造っていうのが意識に対して
ある種無意識的にとか意識されない働きを与えていて
それによっていろんな物事の捉え方とか
要は結婚できるできないとかさ
子供っていうのは優しくすべきだとか厳しくすべきだみたいな
そういう自然な感覚と思われているものも
実はそういう意識されない働きに影響を受けているよ
みたいなのが構造主義でしたと
ポスト構造主義って何だよみたいな
デリダの構造主義とポスト構造主義の批判
これもいろんな話とかいろんな人がいるから
もちろん一言では言えないんですけど
めちゃめちゃイメージで言うと
構造って要は固定化されたもの
親族構造とかって言ったら
親族っていうのはある種人間の及ぶものではありませんみたいな
っていうものじゃなくて
よりダイナミックなとか流動的な変化する物事を
どう捉えるかみたいな考え方があるんだよね
つまりその構造っていうのは
もし本当に意識の外にあって
一生変わらないとか人間の及ぶものじゃないってなったら
結局人間の一生って何も変わらないよねとか
それをいわゆる運命論みたいな
全部決まってますみたいな
そんな感じになっちゃうじゃないですか
全部宇宙の法則だで終わっちゃうみたいな
それは宇宙が始まった時から決まっていたのだみたいな
はいはいはい
そうかもしれないけど色々やっていたら
そうかもしれないけど現実に考えたら
別に全部決まってるわけじゃないし
特に1950年代以降とかって
色んな物事が変わっていく時代だから
そんな構造なんかで解き尽くせるもんじゃないよねみたいな
そういうところにあるし
構造主義に対する批判というか
乗り越えっていうのがあるよねっていうのが
すごいふわっとした掴み方ですと
はーそうなんだこれ一個いい
建築における脱構築の概念
面白いねレビストロスの構造主義の段階では
先ほど親族の構造みたいなものがあった時に
それを今固定化されたものじゃなくて
その構造自体も変化していくよみたいな話があったんだけど
まだそういう捉えられ方をしてなかったんだ
構造自体も変化していくよみたいな話はしてなかったんだね
構造主義の中で?
うんうん
そうだね構造主義はあくまで構造が
何だろうなこう宗というか
それが土台にあってその上に人間存在があるみたいな考え方だから
あーそっかそっか
その反構造主義
そのポスト構造主義が
いわゆる反構造主義とか
反するものではなくて
結構さらに応用編みたいな基礎があって
応用やっぱりまずモデルを1個作りました
その構造ってものがあるよね
ただ現実世界その構造っていうものを
刻意刻意と移り変わってるよねみたいな動きは
確かにあるよねみたいなことをさらに説明しようとしてるみたいな話に近いのか
僕まで聞いた話だけど
そうだねやっぱりポストって後っていう話だから
やっぱり実論主義とかいろんなのがあって
構造主義ができて
構造主義的に全部説明できるかって思っていろいろやってみたけど
結局できませんでしたよねみたいな
はいはい
そうしたらこれって何なの?みたいな
なるほどなんか応用編な感じがしてきたここまでだと
本当そんな感じで
だからこのテーマがやっぱり広がるんだよね
構造主義の時にも言ったと思うけど
文学とか美術とか建築とかね
建築
例えば脱構築っていう言葉をね
僕さっきもちょっと使ったんですけど
これがデリナの中で結構重要概念によって言われることがあるんですけど
まさにこの考え方が建築で
例えば東京オリンピックの2021になったのか結局
やった時に国立競技場のデザイナーとして
有名だったザハハディロさんっていう女性建築家覚えてる?
ニュースで見たレベルだけど
そうそうそうお金高すぎて作れませんでしたみたいなやつあったと思うんですけど
実はザハハさんっていう人は建築の脱構築主義に属してるのね
なるほどあるんだねそういうのがあると
つまり脱構築っていうものを建築に捉えた一派みたいな人たちがいて
その建築っていうそれまでやってきたことをある種の乗り越えるとか否定するとか
そもそも建築とはみたいなところから考えて
ああいう流線型とか滑らかなデザインとか
トゲトゲした普通の建物じゃないよねみたいなものを生み出しているのが
その前提に脱構築っていう概念があったりします
そうなんだこれはイコールポスト構造主義的みたいなところもあるって感じのか?
脱構築の危険性と便利さ
えっとね何て言ったらいいんだろうな
広いんだよねポスト構造主義っていう言葉が多分
へー面白いねじゃあそこが簡単にイコールにならない広さと深さみたいなのがあるんだ
そうだねだからポスト構造主義が全部脱構築かって言われるとそんなことはないけれども
そうなの?
これは次回今回はデリタのある種人生というかそちらを話すので
次回から脱構築について話していくんですけど
これも本当に危険な言葉だと思うし
実際ちょっとこれどこで読んだか忘れちゃったんだけど
脱構築ってなんかすごい伝承法みたいな使い勝手の良さがあって
そうなんだ
とりあえず何でも脱構築しちゃおうみたいなことがやろうと思ったらできちゃうんですよね
ほうほうそうなんだねそれは面白そうだしなんか使い勝手良さそうだな
そうアニキはねダメだと思ってな
悪用しちゃおうかな
真剣にまた前回で怒られちゃうから
雑なみたいにね
雑なみたいに
適当にポスト構造主義的でもねイコールとかって言うと違うみたいになっちゃうね
そうそうそう疑似構造主義とか言っちゃうと何それって言われちゃうので
やっぱりねこの概念のやっぱり便利さと危険さはちょっと同時にね
ぜひちょっと感じていただきたいと思うんですけど
はいはいじゃあちょっとそこは慎重に聞いていきたいと思うし
ごめんちょっと間挟んじゃったからさ
もう一回ちょっとポスト構造主義が哲学の中でどういった位置付けなのか簡単にちょっともう一回教えてくれるかな
デリダの生い立ちと哲学的背景
そうねなんかこれも人によって様々でまだ哲学はポスト構造主義の内容を乗り越えてないみたいな
要はやっぱりどうしても僕らって二元論的なその構造っていう
主体があってとか構造があってっていうものとかなんだろうな
そういう物事の奥にはそれを支配しているシステムがあるとかって言っちゃうと
それって結局構造主義的ですよねと
まああれかその理性にとって変わって構造というものは出てきない過ぎないみたいな
何が大事ってのが変わっただけじゃんみたいな
というよりもそれも近いっちゃ近いかな
僕はポスト構造主義なことをちょっと改めて読んだ時に思ったのはやっぱり二元論に対する批判なんですよね
要は二元論っていうのはプラトンが作ったそのイディアとその写しみたいな
あと真理と現実的なもの非真理みたいなのを切り分けるような考え方
これが中世に至って神と人間とかっていうのが変わっていくんですけど
これって何でもそうなんだよねやっぱ僕らは二元論に生きているっていうのは仏教の時とかにもずっと言ってるけど
やっぱ善があれば悪があるとか美があれば醜いものがあるみたいなやっぱそういう捉え方をするじゃないですか
そうかそうだよね相対的にしか物事を捉えられないっていうのもある意味似たような感じ
そう
これは実は前回のソシュールの話にも近くて
要はソシュールはさ言葉っていうものが際のシステムだって言って
あと「い」「あ」っていうことと「い」っていうものは音の違いだけで
「あ」が何かっていうのは説明できないみたいな話をしたと思うんですけど
それに結構近いんだよねじゃあ美って何ですかっていうと
美しいものですとかでは一緒じゃんみたいな
綺麗じゃなくないものですかって言っちゃうとそれ結局何言ってるのみたいな話になっちゃうみたいな
確かにそうだよねそれをそうか
じゃあ人間の感動そのものですとかって言っちゃうとその美を表すことじゃなくなっちゃうんだよね
シューっていう美の反対がシューだとしたらそのシューもある意味その人間の感動を呼び起こすものっていう人もいるかもしれないし
捉えた時に何それってなっちゃうみたいなのが永遠に続いちゃうわけなんだね
そこをすごく突き詰めたというか自然にまさに脱光築とか解体っていう言葉があるんだけど
しちゃうのがデリダの思想ですと
それがその一個一個の美とか真実とかっていうことじゃなくて
プラトン以降の西洋哲学全体をやっぱり対象にするってのがそのデリダの面白いところなんだよね
かつやっぱそれをね外からこんな理論があるぞドンじゃなくて
中からそれを見出していくっていうなんかねすごい病気みたいなんだよね内側から蝕んでいきますよみたいな
そうなんだ
なんか面白そうねまただってさ一応前回ので構造主義っていうのはさそういうプラットみたいな乗り越えだったりとか
ある意味こう実験室の中でさ無風状態でやってた実験を外に持ち出して
風がとか流れがある時は川の流れの中ではみたいなさ話を構造主義でもしてたと思うんだけど
やっぱさらにそれを突き詰めてる感じそうねどんどんなんかね
それは複雑になるのかなぁみたいなのは思ったねそうだねとかやっぱり僕らが普段考えてることはやっぱり根底からこうなんだろうな
問い返すというかなんかそんなこと考えたことなかったみたいなのがやっぱりここでも出てくるから
怖いなぁその実験意味なかったんだみたいなね実験室意味なかったんだってしかも内側からね
そうそうそう内側からね2500で何やってたんだあれ我々はみたいなこともやっぱりなったりもするのよね
その話はちょっと今日していこうとは思うんですけど
まあなのでですねさっきもちょっと言ったんですけどそのやっぱりねすごい便利なんですよ多分雑構築っていう考え方も
やっぱりそれをねあの知ったからといってやっぱりなんだろうこう無邪気に使うのも良くないよねとか
むしろもうそれって多分20年前ぐらいにやられることだよみたいな30年ぐらいにやられてることだよみたいな人によってはそんな感じだと思うので
丁寧にお使いいただければというふうに思っておりますと僕もちょっと丁寧にお伝えしていきたいなというふうにできる限り思っておりますと
了解じゃあちょっと慎重に気を入れていきたいと思います
はいなので全然リラックスして聞いてもらえると思うんですけど
早速ね今回はデリラの生涯みたいな感じなんですけど
結構サルトルとかレビストロースはパリとか生まれて優秀で大学ポンポン出ましたみたいな感じだったじゃないですか
そうだねちゃんと博士号取ったみたいなね
デリラはちょっと違ってまして彼はフランス人なんですけど植民地だった当時植民地だったアルジェリアで
1930年ですねここでユダヤ人夫婦のことに生まれてますと
なんでこのユダヤ人というのをあえてつけたかというと植民地なのでいわゆる身分上の差別とかもちろんあったんですけど
アルジェリアのユダヤ人には市民権が与えられてたんですよこの当時
市民権というのはフランスの市民権が与えられてた
フランス市民とかフランスの国民であるということね
だからその身分上はフランス市民としての同等のある種権利を持って生活できたんですよね
逆に言うとアルジェリアのユダヤ人以外の人たちとかよりアフリカなのかなとか
そこで生まれてもフランス市民ではなかったみたいな
どっちかというと植民地の支配される側になっちゃうみたいな
みたいな感じだったようです
第二次世界大戦と哲学的影響
戦争の影響が大きくて1930年なのであと10年もしたらそれこそ第二次世界大戦みたいな
そういう時代なんですけど
サルトランの時にもやった通りフランスはドイツに降伏しますと
そこでフランスの政権がガラッと変わるんですけど
その時にいわゆる反ユダヤ法みたいなものはできちゃうらしいんですよね
ユダヤ人迫害の
ナチスのね
そうそう
この時にさっき言ってた市民権っていうのが剥奪されちゃうんですよね
なるほどねユダヤ人だからってことは音でね
これってなかなか僕も想像できないけど多分想像するにでよ
例えば10歳ぐらいの子供がさ普通に学校行ったりとか
いろいろ暮らしてた時に
いきなりさああなた日本人じゃないからもう学校来れませんとか
あなたを守る法律なくなったんで
誰かに何か異常でされても誰も守ってくれませんみたいなことになるわけだよね
恐ろしいなあそっか法律の適用外尊古されるわけにはいきないね
それは早いと今京都にいると思うけどさ
お前岩手県出身だからお前今日から殺されたら文句言うなよ
岩手に帰れ帰れみたいな話だよね
家とか住んでてもさ差し抑えますみたいな抵抗はできませんとか言われたらさ
バス乗れませんみたいな
そうそう結構激しいと思うんだよね
これそもそもどうやって帰るってなるね
一応いきなり迫害だとか殺せんとかっていう気にならなかったんだけど
学問への挑戦
実際デリダが10歳ぐらいの時に休み明けに学校に行ったので
そしたら先生からいきなり君は家に帰りなさいとか言われて
理由は親に言っとくからみたいな
で追放されちゃうんだよね
やっぱショックじゃんそれは
わけ分からなすぎる
その後そのユダヤ系の教師の人たちが教育をちゃんとしていこうって学校とかも作ってたらしいんですけど
そっちもあんまり馴染めなくて不登校になっちゃったりして
この時期はほとんど学校に行ってないみたいなんですよね
時代だね
僕もあんまりこういうことがあったんだと知らなかったんだけれども
そういう結構波乱万丈な時代を過ごしていますと
ただその後で結構文学とか実学の興味が少しずつ出始めていて
その後戦争が終わったりとかいろいろな変化がある中で
学校に行くとまた戻れるんですよね
そこはそういった大変な時期はなんとか乗り越えみたいな話ね
パッと戦争終わっちゃったぐらいの話になったけど
そうね世の中の変化によってある種戻れるようになったみたいな感じなんだけど
そこで哲学クラスに入って
そこでまさにそういう哲学上でもやったような
サルトルとかキルケゴールとか
あとやってないけどやりたいハイデガーとか
そういう人たちを学んで勘を受けたりして
だから僕らと一緒だよね
昔のサルトルは同時代に育てたけど
前の日とか本を読んでこういうことを考えてる人がいたんだみたいな
はいはいちょっと哲学勉強してますって感じ
でそこからその頃アルジエリアに住んでるんだけど
いわゆる大学みたいなところに行きたいって言って
パリに移住をするんだよね
この時レイダが19歳なんですけど
よく慣れない土地で生活とか
またやっぱりいわゆる過酷な受験競争みたいな
はいはいまあ名門パリみたいな話ね
首都というか都会パリみたいな
もしかしたら身分的なものというか
そういったものもあったのかもしれないですけど
やっぱり色々体を壊したりとか
受験に失敗しちゃって不眠症になるとか
結構しんどい生活だったんですよね
はいはいはい
でなんとかそれをね1年たぶん
ある種老人みたいな形で入っていくんですよ
で大学ではめちゃめちゃ勉強もして
実際優秀ではあるんだけど
逆に優秀すぎたっていうか
ちょっと発想がやっぱりおかしかったんだろうね
なんかその教授試験みたいなのがあるっていうのを
レビューソースの時でも言ったかと思うんですけど
身分との葛藤
それと論文を出してそれを受理されるかどうかみたいな感じなんだよね
でそれをある人が出した時に
見た先生からちょっと難しすぎてよくわかんないから
これ出すのやめた方がいいかもって言われたらしいんだよね
うわーなんか優秀な人たち同士の会話って感じがするね
僕にはわかんないよとかじゃなくて
危険だよと
そうそう危険だよとこれを教授の資格として
別に自分で本とか出すのは多分いいんだけど
そういうアカデミックが世界に入るっていう資格のものとして出すのはちょっと危険だよみたいな
なんかちょっと俺わかんないから風光に行くわとか言って風光とかに繋いでくれたらしいんだけど
あーなるほどすごいねでもそこはやっぱわかんないからはい帰れとかじゃなくて
ちゃんとこうまあ何ていうのさ
茶読じゃなくて
ちゃんとやってるんだねそうやって
そうそうそう
でそしたら風光もなんかこれはなんか不可か優のどっちかだよみたいな
最高評価か落雷かどっちかだよみたいなことを言うみたいな
何そのなんかあのすごいなんかね一義の人たちの会話みたいな感じするね
何それ
雲の上の会話みたいなね
感じするね
なんかどう扱っていいかわかんない
なんか物質を乱してしまったみたいな話だよね
なんかやばい奴来たぜみたいな感じだったと思うんだけど
いわゆる政党派でコツコツなんかやってましたみたいな
秀才派だみたいなのよりはちょっとね一色な天才派だみたいなところがあったんじゃないかな
それ本人のっていうのもあるしやっぱりそういうその元々持っていた権利がやっぱりこう突然奪われるとかさ
やっぱり自分はフランス人なんだけどフランス人じゃなくなってしまったみたいなそんな経験をしているから
確かにね人間とは何かっていうかやっぱりもうだしそれ以前にやっぱそうだよねそのなんか国籍とは何かあったりやっぱりすごいいろんな問いがなんかもう身をもって経験しているみたいな話だもん
そうそうやっぱ向き合わざるを得なかったんじゃないかなっていう感じはするんですよね
デリダの人生の前半
でまぁただそこであの実際この論文ではその試験落ちるのよ
危なすぎて分からないからね
でもちゃんとその資格を翼としてはかなのは取ってその後はハーバード大学に留学したりとか
あとは当時兵役がアルジェリアだったのでそこで戻ったりしつつ手伝い教師として働いているんですけど
この時すでに34歳
もうだいぶ進んだね
そうだから19歳で大学というかねそういう学校入って
あの受けようと思ってパリに行っても34歳だから
ニーチェとかさ20代で教授ですみたいな
そういう人たちに比べると少し遅いぐらいというかそんな感覚はあるんですけど
そこからすごくて
6年くらいの間に本をバンバン出すんですよ
1年に3冊とかバンバン出していって
それがねまさにさっき言ったような
そういう哲学者がこれまでたどってきたような
プラトンとかそれこそカントもそうだしヘイゲルもそうだし
レビストロースとか
ある程度哲学者の思想をたどり直すとか
それをある種読み直すっていう方が多分近いのかな
あんまりそれもね使いにくい言葉なんだけど
ちゃんとデリタ的にその本を読んだ時にこういうふうな解釈ができるとか
はいはいはいはい
これも伊津敏子さんの方に書いてたんだけど
書いてごぞくするみたいな
誤って読むみたいな
だから書いてることをそのまま読むっていうよりは
まさにテキスト本の構造とかから
脱構築と批判
こんなことも主張できるとか
こんなことを主張されてるって言ってるのは嘘だみたいなこととかを
まさに見出していくようなことをするんだよね
じゃあただ単に哲学史みたいな話じゃなくて
めっちゃツッコミ入れながら
昔からたどってきてるみたいな話なんだ
さっき言った通りさ
それを外からじゃなくて中からの脱構築の恐ろしさで
俺はこう思うじゃなくて
このテキストを読んだら
例えば通常はなんだ
これが大事だって言われてるけど
これが大事じゃないってことを主張してるように読めるみたいなことを言うのよ
ああー
なるほど
解釈を
なるほどね、プラトン例えばだけど
みんながさ、プラトンは例えばイデア好き
イデアの話をしてるとかって言ったけど
実はプラトンはイデアの話をそういう風には話をしていなくて
プラトンは実はこう言ってたんだみたいな話をし始めるの
そういうこと
それが中からみたいな話なんだ
そう、中からっていうのはそういうことなんだよね
だから新しい解釈を立てるよりは
プラトンをこういう風に読んだら
まさに例えばイデアっていうものは
えーと、なんだ
そうは言ってないんだけどね、デリダは
そうは言ってないけど、例えば
イデアっていうものは実は
何か必要ないと言っているとかね
うん、例えばの話ね
そう、例えば
すご
それが中からか
こう言ってるけど自分はこう思うって論破するんじゃなくて
ずるくない?それ
ずるいのよ、だから
でもそれに対して反論できるほどの人たちがまだ
まあというかこの段階ではいなかったというか
それがすごかったんだね
手法なんだよね
展開の解釈とかね
なんかね、実際そのやっぱり脱構築っていう手法の厳しさみたいなのがあって
なんかその1992年、結構ちょっと後の話なんですけど
えーとね、デリダがまさにこう名声を獲得していって
やっぱデリダすげーってなってくるんだけど
やっぱそれあまりにも過激だみたいな話もあって
そのケンブリッジ大学がね、デリダに名誉博士号を与えましょうみたいな
そういうことをしたらしいのよ
だからその時にいろんな学者たちが
デリダがやってきたことっていうのは
いわゆる哲学が積み上げてきた理性とか真理とか
学問のそもそもの価値みたいなものへの
理解しがたい攻撃に過ぎないみたいな批判があって
なるほどね
そう、反対署名がめっちゃ集まるみたいな
うわー、うわー
そう
すげー
でもそうだよね、だってさ
自分が書いたものをさ
あんたがこう書いたって言ってるけど
実はこう読み直したら
そんなことはないって言えますよねとかって言われちゃったらさ
結構しやっぱしんどいじゃない
デリダの評価と教育に対する批判
まあね、勝手にね
捏造すんなよって話だもんね
そう、でもね、そうなんだよ
でもそれは捏造じゃないっていう話もデリダはするんだよね
うんうん、そこまでちゃんともちろん捏造なんかじゃないよって話までやっぱしちゃってるとこがデリダのヤバさって話だよね
そう、そこまで言っちゃってるから
だからあの、消えるしかないんだね
実力更新でるしかないんだ、やられちゃった人たちは
攻撃活動するしかないんだね
そうそうそう、結構ね、嫌がらせとかそういう批判とかもあったみたいで
恐ろしいなー
もう言葉では対抗できないんだね
そうなんだよね
だから、まあその意味ではね、デリダってすごいちゃんと評価はされたんだけれども
たまにね、やっぱりその別に教授だったから、あとは万々歳ってことでも実はなかった人で
またちょっと時代が戻って、1970年代、40歳ぐらいの頃なんですけど
この時もね、フランスでいわゆる教育の現代化とか、あと効率化
要は資本主義にどんどん強まっていく中で、工業とかそういう実学的なものをもっともっと身につけさせるべきみたいな
そういうことが起きてくるんだよね
ほんのけん実学とか、物事を考えた伝統がある国ですら、実学の授業を減らそうみたいな
そういうことが起きるんですよ
はいはい、なるほどね
デリダの社会活動
なのでやっぱりそれに対してデリダってすごく反対して
30人ぐらいの教授とか学生たちと組織を作って戦ったりとか、抗議運動をしたりとかもしてるんですよね
やっぱりただただ教団に立って、教授全員として立ったよりは
やっぱりそういうある程度、ちゃんと社会活動にも参加するしとか、自分の意見を表明するような人だったんですけど
そういうのも回もあって、80年代、10年くらい経ったら、改めて実学教育大事だねみたいな話になったりするんですけど、フランスの教育界でね
今度は逆にデリダが有名になりすぎちゃって、アメリカとかでもめちゃめちゃモテ早さやるというか、スコーチすげえとかってなるんだよね
はいはいはい
だって今度は危険思想化扱いされるというか、ちょっとこいつやべえみたいな感じで
なんかその、読んだところによるとチェコで、こいつ麻薬取引してたぜみたいな冤罪を仕組まれて
現地の人たちに捕まって尋問されるとか、実はデリダはナチズムだったみたいなことを伺いかけられて
なんか追放されそうになるとか思想界から、結構大変な時代を常に過ごしているみたいな人らしいんですよね
面白いね、こんだけの成果残し、逆にこんだけのバイタリティがあったからこそ、自分の思想を世に広めることができたとか、夢もあるのかもしれないけど
なかなかあれはね、すごいマッチョな感じがしたよ
ヒョローって感じじゃなくて、レビストロースはね、もちろんブラジルに行ってさ、現住民と生活したりとかやってたんだろうから
すごい健康な体はいつもだったろうけど、やっぱりそういう活動、社会活動のイメージはなかった
だけど、ディダはなかなかね、すごい強そう
そうですね、実際写真とかも見ていただければ、皆さんよかったらスマホとかググっていただけると思うんですけど
結構ね、鋭い顔とか目を下ろしたね、なかなかイカツイ感じの人なんですけど
やっぱりね、時代の流れもあったどうし、やっぱりこのデリダ自体がレビストロースに対してもちろん批判はしてるんだけれども
レビストロース自体も、なんだかんだ言ってパリの中心地の人だから、いわゆる脱西洋とか
西洋の中心主義を批判したとか言っても、結局それも西洋の枠に留まっているという話をしてたりするんですよね、そのデリダ自体が
ああ、そうなのね
やっぱりそういう、いろんなものを突き詰めていきたいみたいな、ある種、得らざるを得なかったみたいな
哲学者らしい人だったのかなという感覚もね、やっぱりこう話しててもあるんですけど
デリダの追放の危機
はいはいはい、なるほど、まあそうだよね、その老いたちとか考えても
やっぱりその社会、ほら、社会教育、哲学教育が大事だとかさ、そういうのをちゃんと声を上げたりとか
やっぱり自分と社会の結びつきっていうものを強く感じてきた弁っていうのはあるんだろうね、やっぱりそんだけ
小さい時の経験とかあると、やっぱりちゃんとやることをやっていかないと死んじゃうわけじゃない、文字通り生きていけないというか
そこが気に入ってきた、でまた時代が変わった中でも何かあった時に声を上げたりとか行動することの大事さみたいなのを
頭脳持ってるのとこういった頭脳みたいなのを結びついた時の恐ろしさみたいなのを感じるんですね
かっこいいなあ、なんか、まだね内容聞いてないからね、難しい内容まだ聞いてないからさ、ただただ楽しいんだけどね
この具体的な、こんなに世に広まった上にみんなからこんなに嫌われた内容が何なのかって話だね
そうね、そういうのをね、ぬこぼさんのお掴みでやっていきたいなと
僕自身も正直冒頭もおっしゃってたけど、自信がないです、正直まだ出れないに関しては
でもなんか読みたてホヤホヤというか、自分なりに何だかここまでは理解できましたとか解釈してるつもりですっていうのをお話しながら
僕自身もね、兄貴と一緒に、皆さんと一緒に理解を深めていきたいなと思ってますので
哲学者としてのデリダ
次回以降もぜひお楽しみという形でございました
次回からその難しいといわれる中身、面白そうだね、それも見ていきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします
はい、よろしくお願いします、今回もありがとうございました
(♪ BGM)
41:48

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