1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #97 言葉も脱構築できる!デリ..
2023-03-29 45:39

#97 言葉も脱構築できる!デリダが見つけた話し言葉(パロール)と書き言葉(エクリチュール)

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

▼おたよりフォーム
ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!
https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7
プラトン哲学批判
(BGM)
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
今回もデリダの脱構築というところで
前回が正義の話でしたね
脱構築の後半みたいな感じで
正義のこれは脱構築できないんだみたいな話を
本当かーって言いながら聞いていったんだけども
最後はめちゃくちゃ納得させられてしまったと
めちゃ面白いってなっちゃったんだけども
今回はその続きね
その正義と同じような感じで
人間が使っている言語っていうもの
でちょっとそっちに焦点を当ててみましょうかという話で
よかったでしょうか
そうですね、はい
全然さ、すごい雑談なんだけどさ
なんかあれだよね
毎回さ、鉄作ちゃんの話をすると
兄貴がさ「あっ、その通りだ」みたいになるじゃん
なるなる
騙されないか心配だよね
暗黒情報とか
いや、騙されるでしょ
騙される、騙されちゃう
多分こんぐらいの時間
4回ぐらいに分けて
ちゃんと前提条件を話されて今までこんなことがあってとかって
言われたら「ほうほうほう、あっすごい買います」って絶対なると思うよ
揃いと思う
確かにね
2時間話して納得したなら買っておくかもしれないね
はい、あのこれちょっとすごい雑談
ちょっと思って言っちゃったんですけど
今回ですね、前回までは脱構築っていうものを中心に見てきたんですけど
今回ですね、その他にもいろんな重要概念があるんですけどデレイダには
である種その脱構築というか
デレイダの思考の根底にあると言っても過言ではないであろう
ちょっと言い切っちゃうの怖いなと思っていろいろ言っちゃったんですけど
であろう、エクリチュールというものを扱いますと
エクリチュールなのかちょっと発音がわかんないですけど
ちょっとおやさん聞きづらかったら耳なじみない発音と申し訳ないんですけど
いわゆる書き言葉っていう意味で
そうね、話し言葉っていうのはパロールと言われるんですよね
エクリチュールが書き言葉、パロール話し言葉
これフランス語ですね
あ、そうなんだ
で、そもそもそのデレイダが何で脱構築とかそういうことを考え始めたかっていうと
結局はプラトン以来の西洋哲学というか
もっと言うとアリステルスみたいにそのイデアを批判した人もいるので
全部が全部とは言わないまでも
そういう二元論的だというか
経験できないところとか
人間界の外に絶対的なものがあって
それが真理とか神とかイデアだよみたいな
そういういわゆる経時条学と言われるもの
人間の経験の外にあるものを考える
書かれた言葉と話された言葉
そういう学問としての哲学というのを批判するためでしたよと
はいはいはい
うん、で、じゃあそのデレイダが批判するプラトンの形状学
これイコール哲学なんだ、西洋哲学なんだけど
これがどういうものだったかというとですね
これはそれもデレイダがちゃんと指摘してはなるほどって言われるんですけど
結局はその話し言葉だったよねっていう風にデレイダは言いますと
うーん、そうなんだ
どういうことだ
ピントが来てないと思うんですけど
プラトンとかソクラテスを思い出してほしいんですけど
あれってまさに対話編って言われるように
要はソクラテスと誰かが議論してるとか
ルシスとかだと思うけど
ソクラテスと青年が友情について話す中で
心理に近いものにたどり着きながら
でも違うかもって言われちゃうみたいな
そういう話をしたと思うんですよ
うん、あったね
だから僕らは読むし、本として残されてるんだけど
あくまでも話された言葉、パロールとして読むんだよね
なるほど、なるほど、そっか、文字にはなっとるけど
いわゆる会話形式ですと
実はプラトンとかソクラテス
プラトンの本に出てくるソクラテス自身が
書かれたものとしての言葉っていうのを
めちゃめちゃにけなしてて
それによって話された言葉の価値を高める
っていうことを行ってるんですよね
これってまさに脱口地区の時に触れた
二言論とか二つに分けることによって
片方の価値を高めるっていうことのパターンのし
むしろその原型がここにあるんだよっていう風に言うんだよね
おー、オリジナル、はいはい、ソクラテスすごいね
やっぱね、はいはいはい
だから言葉っていうものを話す言葉と書く言葉
書かれた言葉っていう風に分けて
書かれた言葉っていうのは価値がないから
話された言葉は価値があるんだみたいなことを言うんだけど
例えばどんな風に言うかっていうと
例えば書かれた言葉っていうのは
それをある程度理解する人々のところであろうと
全く不適当な、それを理解できない人々のところであろうと
お構いなしにてんてんと渡り歩くんだとか
書かれた言葉っていうのは誤解されるとか
不当に罵られるとかっていうことがあるんだけど
ツイッターと書かれた言葉
そういう時もう自分自身で身を守ることができない
だから要はいつでも父親である書いた本に
要は著者とかの支えを必要とするんだみたいなことを言うんだよね
これって何、ツイッターの正しい使い方みたいな話?これ
でも本当そういうことだと思うのよ
拡散されちゃったらさ、要はその意図とか意味とかって関係なくなっちゃうみたいなさ
なんかすごいね、これ2500年前にこのツイッターの使い方が
もうマニュアルとして存在してるわけなんだね
まさにツイッターとかもそうだしさ
国語のテストとかでもよくあるじゃん、なんかそのさ
筆者が何を言いたいか答えよみたいなさ
って言われた時に筆者は別にこんなことを考えてませんでしたってツイートしちゃうみたいな
はいはいはいはい
そうっていうような感じで、要はやっぱ書かれたもの
言葉の伝える力について
エクリチュールって、要は欠点が多すぎるし
語るべき相手にその瞬間にその文脈ではどこで話してるとか
どういう服装でとかさ、どんな身振りでとかっていう
その全部含めてやっぱり伝えるってことが本当の伝えるってことなんだみたいな
うんうんうん
っていう話し言葉すごいよねみたいな話って
まあまあ言われたらわかる気がしますよねと
うん、そうだね、だってやっぱずーっとあれかチャットか
チャットの書き言葉だと難しかったりね
やっぱびっくりマークつけたくなったり
顔文字つけたくなったりしちゃうもんねやっぱり
そうそうそうそう、やっぱりその印象は伝えようとかさ
だから、例えば僕らのさ、僕らのはあれだけど
例えばラジオとか有名なラジオとかがやっぱ公開録音とかってさ
やっぱり生でやるとさ、やっぱ体験が違ったりするわけじゃん
はいはいはい
だから例えば僕らの話し言葉でも
これって要は別に点でと渡り歩いちゃうし
まあ最悪でそのお便りいただければ
それに答えるってことはできるかもしれないけど
やっぱそれはリアルタイムじゃないから
あんまり書き言葉に結構近いんだよね
うんうんうんうん
あるいはその生の話し言葉っていうのが
いわゆるパロールとして価値があるんだみたいな
なるほどね、面前でお互い対話しましょうって話だね
そうそうそうそう、まさにやっぱ対話なんだよね
うんうん
で、プラトンっていうのはまさにこういう言葉っていうのを
語るものと書くものにやっぱ分割した上で
やっぱりその対話によって
そのいわゆる書き言葉に含まれるような影の要素
そういうなんか誤解されちゃうとか
なんか好き勝手受け取られちゃうってものを排除して
真なる言葉、これがロゴスなんだけど
その真なる言葉によって行われるものこそが哲学なんだっていう
その根本的な二元論を仰ってたんだよっていう風にデリダを読みますと
これはデリダのプラトン解釈なんだよね
なるほどなるほど、これ解釈ね、デリダの
言葉に対する批判的な見方
解釈、そうそう
前あったね、はいはいはい
そう、やっぱりそれ読みなんだけど
だから多分こんな風にやっぱプラトンを読んだ人っていうのは
おそらくそれ以前にはいなかった?デリダ以前にはいなかったんだけど
この部分に引っかかる人いなかったでしょみたいな話ね
そうそうそうそう
内容とかじゃなくてここかよみたいな話ね
そう、話すと書く、あ、そんな違い?みたいな
でも言われてみればなるほどねみたいな話なんだよね
デリダはね、ここまではつかんだ上で批判するんですよ
そうだよね、これをちゃんと検証しないといけないね、そこまではいいけど
これいいんだっけって話でいくと、いやいやそんなことはないんだと
デリダに言わせればプラトンのこういう考え方っていうのは
いわゆるロゴス中心主義と言えるようなもので
それってもっと言うとパロール、話し言葉中心主義って
一つのやっぱり主義でしかないんだと
つまりあらゆる存在の根本には善のイデアみたいな
いわゆる超越者があるっていうのは一つの立場でしかないから
それってやっぱり唯一絶対のものじゃないよと
ロゴス中心とか生の対話によって真なる言葉があるし
使われるというのもただの一つの考え方でしかありませんよねと
これはかつ音声中心主義、要は話すとか聞くって言葉
要はこういう音っていうのを主軸にしているんだけど
これっていうのは結局アルファベット
これって要は標音文字って言われるような音を表すものじゃないですか
これってつまり文字の前に音としての言葉があるっていう発想だから
これってつまり西洋中心主義じゃねっていう風に言うのね
やっぱり世の中には日本語みたいな漢字みたいな表意文字って言われるような
音からできてないものがあったりするじゃない
象形文字みたいなやつね
象形文字みたいなね
だからこれっていうのもそういうものを要は言葉として除外している
すごく西洋中心的な音声中心主義的な見方ですよと
言葉の有限性と存在について
そこまで、はいはいはい
最後にね、このロボスとか声とか音の価値っていうのを高めるっていうことは
目の前にあるとか、現にあるっていう
あるっていうことを特権化するっていう発想を導くから
これってつまりソイテッドジョブズーっとやってきた要は存在論
要は何か神が存在するとか
物自体って言うか、カントね
物自体があるとかないとかっていうのを延々とやってきたっていうのは
それが哲学で大事だからじゃなくって
プラトン以外のロボス中心主義から生まれてくる発想だから
これが行われてきただけなんだっていう風に言うよね
おー恐ろしい
ね、恐ろしいでしょ
前回最後チラッと言った、人間って言葉を使いこなしてる?
使って自分で物事を考えて組み立ててるように感じてるけれども
みたいな話だよね、そもそも言葉ってコミュニケーションの必然性で生まれたものであって
そもそも言葉で考えることの有限性みたいなものあるよねみたいな話を
こういう風に突きつけたんだ、これ
そうそうそうそう
しかもそれを表意文字、その表音文字
そう、表意文字みたいなものとか
そもそもプラトンは話し言葉、書き言葉って分けちゃった
その後にやってるからみんな存在とか現在にあるとかってことを大事って言ってるけど
それも一つの主義だよっていう風に突きつけちゃうのよ
前回のアメリカ独立宣言をストーリーとして取れていた人たち
自分みたいな実態としてもう独立してたじゃんみたいな感じで
プラトンも実態としてこうなってるじゃん
パロールとエクリチュールの概念の脱構築について
異例あるじゃんって言わされてるに過ぎないよみたいな話をデリナはしてるんだ
プラトンですら自分で考えてるつもりだろうけれども
あなたもそのストーリーに乗っかってますよみたいな話をしてるんだね
そう、無根拠だよねそれっていう風に言っちゃってるんだよね
デリナがそこまで言ってるか分かんないんだけど
例えば聖書の神が初めにロゴスありきっていう
初めに言葉ありきっていうことを言ってるんだけど
これもまさにこの象徴だよと
要は声を発する神っていう存在
要は声の前に神の存在があって
神がやっぱり現にあることから世界が始まるっていう世界観が
やっぱりキリスト教的な世界観としてあるんだけど
ストーリーだよね
さかつそれはやっぱり西洋のいろんな技術とかの流れを通して
やっぱり日本の今の僕らの現代人の根底にも備わりつつあるんだけど
これってすごくロゴス中心主義だよねっていう風にやっぱり言うのね
そのストーリー展開自体のってことね
そういうシナリオから生まれているストーリーだよねっていう風に言うので
ここでデリダはパロールを脱構築しますと
まだ第一段階なんだよ
今のお話だけだとそういう別の主義がデリダが言ってるよねってだけになっちゃうんだけど
そうそうそうだよね
あなたもねって言われちゃうよね
でも脱構築は別の主義を導かないのよ
要は内部から破壊するっていうのは脱構築だから何かっていうと
つまりそのパロールの中にも
プラトンが理想の言語とかロゴスにしたいと思っている話し言葉の中にも
イクリチルの要素ってあるよね書き言葉の要素ってあるよねっていう風に言うね
まさに脱構築だね
そう脱構築だよねフタゴをそのパロールっていうものを
パロールは話し言葉ですか
定義した瞬間に書き言葉その2つの二言論があるよねと
この二言論を崩していきましょうって話か今ねやってるのは
その分割ってのは永遠にできないよね
なぜかっていうとその要素をデリダは反復可能性って言うんだけど
要は繰り返されるってことだよね
書き言葉は書かれたものを読まれ続ける読み繰り返されるっていうことが
ある種の書き言葉の誤解性とか
それを謝って受け取られるっていう風に繋がるし
話し言葉と書き言葉の特徴について
話し言葉は要はその1回きり
その場その瞬間に要は語られるものだから価値があるという風に言われているんだけど
でもそもそも話し言葉っていうのも
同じ表現として理解される限りやっぱり言葉としては機能しないんだよね
どういうことかっていうと
私は生きているって言葉あるとするじゃない
私は生きているって言葉自体は
私このカンのハヤトっていう人間が仮に死んだとしても
私は生きているっていうことを表現できる言葉じゃない限り
生きてるっていうことを示せませんと
伝わる?
ごめんちょっと生きているのが多すぎて分かんなかった
入ってこなかった全然
僕が私は生きているっていうのは自然じゃない
なぜなら私は今生きているから
今この瞬間私が生きているという発言することはね
でも私っていうこの自分が死んだ後でも
私は生きているって言葉は
私が生きているっていうことは何らかの意味を表現できないと
その今自分が私は生きているって言ったことも表現できないよねっていう
要はその生きているって言葉自体は繰り返されて使われるよねっていうことを言うのね
もうごめん全然あれだな
ちょっとピンときたいな
えっとね何て言ったらいいんだ別の言葉にしようかな
もうちょっと言うと言葉っていうのはそもそも
何だろうな確かにその時々の文脈とか言われ方によって意味が違う
例えばあのなんだろうな
例えばその関西弁とかでお前ほんま柴田ろかみたいな言葉があるとしますと
意味だけで聞くとさ
要はめちゃめちゃ叩かれるとか怒られるみたいな話だから怖い言葉なんだけど
それが笑われて言われているのか
すごい危機に迫る顔で言われているかによって
その言葉で表現しようとしても違うよね
それがパロールとか話し言葉のある力ですと
一回きりな感じで
そういった別の表現と組み合わされて意味というものが生まれてくるよね
しかもその瞬間だけのね
ただそのお前ほんま柴くぞっていう時の柴くっていう言葉の意味自体は繰り返されて使われる
繰り返されて使われうるし
やっぱりそこに何らかの共通性がないと
私は生きているとかお前ほんま柴くぞっていう言葉自体がそもそも機能しなくなる
言葉の繰り返し可能性について
なのでそもそも言葉っていうのは
仮にパロール話し言葉としての一回きりの真理を表すものにしたいとしても
絶対どこかに繰り返される要はその反復可能性
要は一回限りにはなり得ない要素っていうのは含まれてますよねと
そもそも言葉っていうのはそういうもの
要は繰り返される可能性っていうのは含むものだから
それだけ話し言葉に特権性とかその場限りの
なんだろうな 優位性っていうものを入れ込もうとしても
それは絶対に無理だっていう話をデリダはするのね
なるほどごめんやっと追いついたごめんね長く説明させちゃったね
全然全然言い方が難しかったね
そっかスクラテスとかプラトンが言っていた
そのパロール話し言葉の方がエクリチュール書き言葉よりも
その価値があるよって言っていたけれどもって話ね
なんで価値があるのかっていうのは
話し言葉対話っていうものはその場一瞬一瞬のお互いの対話のやり取りであって
繰り返しが効かないもうそのばかりのめちゃくちゃ貴重なものであると
一方で書き言葉っていうのは解釈の仕様もあるし
全然言いたいことも伝わらないし
言葉の二元性の克服
そういう意味で絶対お互いの一回きりのこの瞬間っていうものの方が大事ですよ
パロールの方が価値がありますよって言っていることに対して
そこを同列にフラットに持ってきたんだねデリダが今の話をして
そこが反復可能性みたいなものがパロールが優位であると
そっちの価値があるよって言ってたのはそこを論破したみたいな話ね
そう、その価値の二項差率ってものをまさに脱構築するんだよね
うん、理解した、と思う
まさにリビス・ロースの回で話したように
構造主義っていうのは元々ソシュールの言語学っていうものがすごい影響を受けているんだよね
ちょっと思い出していただけだと思うんですけど
要は言語システムっていうのは「際」のシステム
要は「あ」は「い」ではないってことによって
消極的に「あ」であるみたいな話をしたと思うんだけど
そういう、かつ世の中っていうのはまさに言語システムに基づいて
個別の世界が作られているんだと
その中で人間が生きているっていう構図だったんだよね
だから人間がって世界が生まれるんじゃなくて
その言語システムとか世界の際のシステムってある中で人間が生きていますと
かつそのデリダ、ポスト構造主義の代表者って言われるようなデリダが行ったのは
そもそもその世界を作っていると言われる言語システムそのものに疑いを向けることで
かつその言語システムが不確実だとか本質がないっていう根拠がない
そういうことを示したってまさに前回兄貴が言ってくれたことなんだよね
はいはいはいはい
言語にもやっぱり限界がある
だからその構造主義っていうのはいわゆる実存主義
サルトルとかがやってきた実存主義に対して
やや違うとその際のシステムっていうのがあって
そういった言語によって織りなされているんだみたいな話をするんだけど
その世界を織りなされているはずの言語っていうもの自体が
いわゆるその完全じゃない脱構築されるものなんだっていう風にデリダが言っちゃいますと
はいはいはいはい
実存もダメだし構造もダメだよねみたいな話になっちゃうんだよね
あーはいはい
そこも言論的にやっていくとこういう風に解体されちゃうわけね
うんうんうん
実存主義と構造主義も解体されちゃったんだデリダによってね
っていうよりも実存主義自体はレビィストロースがある種乗り越えてるんだけど
乗り越えてるっていうかその実存主義的な考え方自体は生きるとは思うんだけど
サルトルの実存主義はレビィストロースが乗り越えましたと
レビィストロースの構造主義をデリダが脱構築しましたと
あーさらに
うん
そっかそっかそっかレビィストロースはそこまでしかやってないのか
そっかサルトル倒しただけで
そうあるよって言うんだけど
そもそもデリダはそもそも構造主義の中に脱構築っていうものが本質的に存在してしまう?
はいその虚無主義的な感覚をこういう風にあれだよね
お前もなみたいな話をしてるってことか
言語システムの価値の相対化
そっかそっかその構造主義に対してね
デリダから言わせると別にそこは虚無主義ではないんだけど
うんうんうん
そもそもすると全部が全部あるし解体されてしまいかねないとか
これまで価値があると思っていたものがそうではなかったということに気づかされてしまう?
うんうんうん
思っていると西洋的な価値かな?
二元論的な価値っていうものが本当はそうじゃなかったとか無根拠だったとか
その境目が溶かされてしまうよねっていうことをある種言い尽くしてるっていうような感じなんだよね
ここまでの話でねそもそもみたいな表音文字でしょみたいな話とか色々しながら
はいはいはい
それだけ西洋っていうものを相対化するというか
なぜそれが行われるのかっていうのをまさにその二つの価値に分けたっていう瞬間に
それっていうのはやっぱりやり尽くさない理想なんだっていう話をしていくんだけど
うんうんうん
そう、ただやっぱここでねいわゆる東洋的な
僕ら東洋も結構やってるじゃないですか
はいはい
そういう観点に目を向けると実は全然違う世界が見えるんじゃないかって僕なんかは思ってて
反復可能性の乗り越え
うんうん
デリタはそこまで言ってないんだけど
例えばさっき言ったような漢字みたいな表意文字っていうのは
やっぱり山っていう文字自体に山性、山の形とかをやっぱり含んでるよっていう風に見えるものだし
うん
なんかこれはそのいわゆる記号的な意味
その要は山の形を表したものは山だみたいな
そういう言葉以前のものとしてのやっぱりシンボルみたいな価値が出てくるし
うんうん
まだやっぱりその禅の解説ちょっとやったと思うんですけど
うん
やっぱりその話し言葉にその反復可能性があるよっていうのがデリタの批判なんだけど
うんうんうん
その反復可能性を乗り越えようとしてるのがまさに禅門道なんだよね
へー、あ、そうなんだ
多分ね、僕はそう捉えてるんだけど
面白い、うん、いや、さっきのさ、ほら、ソクラテスの対話の話聞いた時に
うん
じゃあ禅門道は?って思ったんだけど
あーそうだよね
へー、その違いはちょっと興味深いね
そう、まあこれはちょっと詳しく説明できるかってあるんだけど
多分禅の世界だったらさっきさ、私は生きているって言ったじゃない
うんうんうん
この言葉は現に自分、この観のハヤトっていう人間が生きているその瞬間にしか機能しないって多分言うはずなんだよね
うんうんうん
なぜなら私が生きているのは私っていうのはこの私であるし
うんうんうん
生きているっていうのはまさにその生きているっていう現実的な感覚を持った生きているだから
うん
言葉と自己の関係性について
それは自分が死んだ後には同じ私は生きているとは言えないっていうはずなんだよね、禅の世界においては
はい、なんか自分が生きた証とかそういうこと言ってんじゃねえっていう風に禅の方では言えちゃうみたいな話ね
そうそうそう、だからある種言葉と自分っていうものを分けるんじゃなくて
うんうんうん
自分のその本当の言葉にできないものを言葉に載せようとした時に
うん
まあ私は生きているっていうのか、私は地球だっていうのか、私は雨だっていうのか、それ分かんないけど
うんうんうん
でもそれによって自分が生きているっていうそのものをやっぱ言葉にしようとするはずなんだよね
それは例えばじゃあ兄貴が、じゃあ例えば僕が私は雨だっていうことで自分が生きていることを表現しようとした時に
うんうんうん
兄貴が私は雨だっていうことはできないのよ
はいはい、なるほど、そっかそこには本当に自分の感覚と言語っていうものが完全に紐づいてる
うん
その人にとってみたいな話ね
そうそうそう、だからある種その言語の限界性とかまさに空性?
うんうんうん
言葉っていうのはもう空であって実体を示すものではないっていう前提のもとに言葉を使おうと思うと
多分そういう世界観とかやりとりとか生まれてくるはずなんだよね
なるほど、今回でいうとデリナが脱構築したというか、西洋的な言語感覚っていうものと
その禅のルールだよね、禅の世界の言語ルールはそんぐらい違うんだぞって話ね
そう僕は思っている
うん
前回さ、勝手に自分が構造主義的な、レビスローソーって言うかな?
自分が勝手に犬を見てこれは猫ですって自分が言い張っても意味ないみたいな話をしたんだけれども
これ禅の世界ではそれが許されるというか
全然そういう世界観だよみたいな話に近いのかな、ハイドが言ってるのかな
うん近いし、実際そういうやっぱりやりとりがあるんだよね
へー
あるんか
例えば、そうそうそう、最近読んで面白かったのがあるんだけど
例えばさ、じゃあ僕と兄貴でいいや、例えばハヤトとキョウスケっていう人がいるじゃん
うんうん
それたちが禅のある種、マスターというか偉い人だとして
キョウスケさんがハヤトさんに尋ねるのね
うん
お前は誰だと、そしたらハヤトさんが言うのよ、キョウスケですと
ほうほうほう
そしたらキョウスケさんが、いやキョウスケは私だって言うのね
うんうん、まあね
その上で僕、ハヤトさんが私はハヤトですっていうのね
うん
で、キョウスケさんがめっちゃ笑うみたいなやりとりがある
へー笑う
笑う、ははーさすがじゃのーみたいな
笑う、あ、かまかてたんだ、その、えっと、キョウスケは私ですって言ったのは
本当に思ったとかじゃなくて、ちょっとかまかててんだ、こいつわかってんだかみたいな
違う、えっとね、ハヤトさんがキョウスケです
ちょっとこの話すると長くなっちゃうし話せたんだけど
ハヤトさんがキョウスケですっていうのは
要はキョウスケさんの世界において、ハヤトさんはハヤトさんとして
要は全く別の人格として存在してないのよ、たぶん最初は
要はだってさ、自分の世界の中に他人が入ってくるっていうのって
さっき前回とかも言った通り、すごく不思議なことじゃない
あー、はいはいはいはい
うん、まあちょっとこれはいろんな解釈があるし
実際書かれてる文脈がちょっと違ったから、これは僕の解釈なんだけど
だからまず、ハヤトさんはキョウスケですってことによって
キョウスケさんの世界の中にまず入るのね、一回
はいはいはいはい
で、ただその時に、私はキョウスケですって言われると
そのキョウスケさんの中の2つの存在の中に
初めてキョウスケさんっていう主軸が出てくるのね
うんうんうん
そう言われて初めて、あなたがキョウスケさんなんだったら
私はハヤトですっていう存在次元に生まれてくる、立ち現れてくる
はいはいはいはい
うん
っていう世界がおそらく存在していて
やっぱり東洋面白いね
禅の世界における言語ルール
すごい、やっぱ、一元論的な世界から言うと
そうやって2人の人間が退治した時に
あなたは誰ですか?ってキョウスケがハヤトに尋ねた時に
私はハヤトですっていう世界観って
あの、一元論的な世界にはそもそもその状況って存在し得ないから
うん
一旦、キョウスケがハヤトに聞いた時に
キョウスケですって
その一元論観を醸し出して
その認識を共有するというか
同じ世界観を作っていかないと
うん
今、例えばパロールだよね
パロールと対話の本質
言葉でお互いやり取りするっていう
ことが成り立たなくなっちゃうんだ
この2人の人間がいる時にみたいな話が
そう、たぶんね
そう読むこともできるんじゃないかなと思って
はいはいはいはい
だからまさにそのエンキーが言った一元論とか二元論で話していくと
そもそもパロールで対話するってこと自体が
ディアロゴスって要は2人
ディアって2
2人なんだけど
っていうダイアログっていうか対話じゃん
あ、そうなんだ、ごめん
そうなんだ
英語で言うとダイアログが対話なんだけど
ディアっていうのは2つに分かれてるって意味で
ほうほうほう
そもそも2つの主体とかその存在が分かれている中で
言葉を交わすっていうものがそもそも作られてるなって思うんだよね
へー、そうなんだらしい
そうか、モノローグってあれか
独り語でダイアログはその2人みたいな話じゃん
その通りその通り、モノは1人だから
モノトーンとかさ
完全あれだけど、雑学的な話だけど
そうなんだ
二元論と一元論について
だからやっぱり僕はデイドの話を読んで
めちゃめちゃ面白いしすごいって思うんだけど
やっぱりその西洋二元論の爆大に収まってる限界を感じるのね
なーるほど、今の話だよね
今のソウが2人いたみたいな話が
にはたどり着けてないよねって話なんだ
そこまで説明、そこを想定した話にはなってないねみたいな話か
なってないしできないと思うんだよねやっぱり
こっからはね、やっぱり犬を猫って言ったらダメでしょっていう風に言ってるとか
それをフラットにしたまでみたいな話になっちゃうのか
その先まで言ってないのか、先って言うとあれだけど
先っていうかその別の世界観要は
やっぱり一元論的な世界観がちゃんとあって
二元論中心主義だよみたいな話
ロース中心主義までいけてるんだけど
二元論、そこは批判できてるんだけど
その隣にある一元論的なものを得て
やっぱり語れてる感じはしなかったんだよね
それは多分僕が読んだ限りでは
そこ誰か脱構築してくれーって
脱構築できないのよ
脱構築できない正義と一緒なんだよね多分
はいはいはい、二元論と一元論がそうなんだね
そう、ただね、ちょっとここからその次の話したいんですけど
はいはい
あの、やっぱ今みたいな話って僕の今のめちゃめちゃホットトピックで
あーそうなの?うんうん
やっぱその、なんだ、二元論的な世界じゃない中で
東洋に行き過ぎずどう理性を捉えるかとか
要は空までやっぱり行っちゃうとさ、もう極限だからさ
語れることもやっぱなくなっちゃうわけよ
うーん、そっかそっかそっか
もう黙ってればいいってなっちゃうよね
そうそうそう、もう全てがありのままの世界というか
あの、空だから、なんだ、えーと
何かを語ろうとしてもそもそもその行為自体が無意味だみたいな話になっちゃうんだけど
なんかこの無意味だとか何かに意味があるっていうことにめちゃめちゃ楽しさを見出していて
はいはいはい、そこの感覚のね、違いみたいなね
意味について
なんで、今回始まる時に一回東洋行こうかなとかって言ってたんですけど
ちょうどね、そろそろ1周年になる、この5月で1周年になるし
あと、その多分雑談会とお便り会挟むとちょうど100回とかになるんですよ
そうだね、だいぶね、来たね
そう、なので別に100回とか1周年とかに意味はないんですけど
別に、そこには根拠はないんですけど
でもなんかその根拠づけられるっぽい気がするので
ちょっと自分の我がままに付き合っていただいて
これまでは1年間、僕らもいろいろ勉強させていただいて
いろんな実学者っていうもののテーマに反射してきたんですけど
その中で改めて、意味とは何かみたいなテーマが自分の中に出てきたっていうのもあって
これはどんなテーマなのかとか
なんでカルナ・ハートという人間がそんなことを考えだしたのかみたいな
あるいはそれによって実際いるんですよ、それを意味について考えてる実学者って何人かいて
それたちがどういうことを言ってるのかっていうのを話すことで
やっぱりその1年経って改めてこのカルナ・ハートっていう人間が
そういう実学をやる意味っていうのをちょっと話してみたいとか
そこを兄貴とやり取りしてみたいなって思います
はいはい、へー
そんなことに、今までやってきたっていうところと
それとZラジオをやる中でまた形になったのか
自分の中でテーマが見えてきたっていう感じだね
いいね
その中でも取り上げる人も何人か取り上げるんですけど
デリアズと並んでポスト工場主義の代表者というか有名人だって言われる
ドゥルーズっていう人はいるんだけど
その人はまさに意味の論理学っていう本を書いていて
へー、はいはいはい
そういう本とか、他にもいろんな本があるのでそれを取り上げながら
人ではなく意味ですね
取り上げて、出来好き勝手に話していきたいなという風に思っております
おー、なるほど、何が面白そうなのか分かんないんだけど
へーとか燃えているというか
何か形になったんだろうなっていうね
意味の話しまして、全然面白そうじゃないからね
うそだー
それがなぜ面白いと思っているのかもちゃんと話します
だからこういうことなんだよ、1年間言い続けてきた
自分が興味がある物事に興味を持ってもらえないっていうのを
僕は10歳くらいからずっとやっぱり続けてきているのよ
そうだね、こんだけね、ポスト工場主義の話としてね
正義面白いとか西洋の感覚を脱口地区しましたっていう話を聞いておきながらね
じゃあ次意味ですって言われても
なんとなくね、この話の流れというかね
この中で多分意味っていうものについて色々教えてくれるんだろうなと思うんだけれども
その期待はめちゃくちゃあるんだけど
意味か?みたいなのなんだそれ
そこにはまだわからんっていうね
この話はさ、仮に僕が1年前にさ
ソイツラジオ始まりました、では僕が興味ある意味についてとか言ってもさ
誰もやっぱり聞いてくれないと思う
聞きたくもないし理解もできないよね
そうそうそう、知らないよみたいな
でも1年さ、こうやってやらせていただいて聞いてくださる方がいたことによって
多分僕が1回ぐらいね、好きだって話しても良いじゃないかと
そのぐらいは1年がバタンだからご褒美で良かろうぐらいのね
気持ちになってくださる方もいらっしゃるんじゃないかなと思いまして
1年間の振り返りと今後の方針
結構なハードルだよね、1年間こんだけさ
100回頑張って、でテーマ1回好きなのどうぞみたいな話でしょ
そうそうそう
結構な苦行だねこれはね
そうかな、苦行は聞いてる方の?
違う違う、ハエトにとってね
自分の好きなことを話すための苦行
いやそのことないよ、こんだけ話したからこそ聞いてくれる土台があるかもしれないっていうね
コミュニケーション応答可能性が出てきたかもしれないっていう
ある意味そうやね、世界観の土台みたいなものが少しできたかなみたいな話だよね
そうそうそう
他、なんとなくカンノハエトっていう人間の言ってることも聞いてやろうかみたいなさ
なるほどね
知らない人が耳元で「意味について今から聞いてください」って言ってるのさ
100NOだと思うのよ
なるほどね、そういう意味でもね
そう、そう、そう
っていうのはね、話す次のテーマにつながることも含めてのデリダの話と
あとはそこに付随する僕の善との比較とかっていう話を最後にさせていただいたっていう感じでしたと
はいはいはい、了解しましたが
あれはね、じゃあデリダが結局やったことってこの二元論を解体しましたみたいな話で
やっぱその先っていうのはデリダ自体はめちゃくちゃ凄いことやったと思うんだけど
以上ないんだ、この先は
まあちょっとね、僕が知られてないだけっていうのは正直あると思うんだけど
やっぱりあくまでも脱法地から内部からやっぱりそれをやることだから
その外みたいな話は多分そんなにしてないと思うんだよね
なるほどね
デリダのある種振り返り
で、あれか、前回もあったその正義っていうものは意味ないんだけれども
とはいえその正義というふわふわしたものから生まれてきたルールとか
それこそ正義とか法律みたいなものは
とはいえ意味があるんだっていうその少しの希望みたいなものを残した
てとこぐらいなのか
えっとね、僕の言葉で言うと正義は経験不可がだから存在はしてないんだけれども
意味としてはあると僕は思ってるよね
あーもうだから意味ね、それは次回の話だもん
そう、だから次回ちょっとその辺も話します
意味っていうのは僕がどういう言葉というか
まず意味っていうのをどういうあり方として語っているか
はいはいはい、わかりました
じゃあ、ちょっとデリダ結局何やったの?みたいなところはあるんだけれども
ぜひ雑談とか含めてその話も聞けたらいいかな
振り返りながら次回の流れにつなげていきたいなというふうに思っていますので
次回はデリダのある種振り返りとかまとめみたいなところと雑談みたいな感じでお話しして
あとありがたいことにお便りもいっぱいいただいてたので
それもちょっと1回分紹介してっていう感じにいきたいなというふうには思っております
はいはい、了解しました
いや、面白かったね、面白かったしやっぱちょっと最後言った通りなんで
ちょっとまたね、次の雑談とか、それこそ今後
そこを含めてちょっとまた色々聞いていきたいなと思いますので
まずは今回、ポスト広報増、主任デリダお疲れ様でした
次回も引き続きよろしくお願いします
お願いします、今回もありがとうございました
(♪ BGM)
45:39

コメント

スクロール