1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #82 激動の20世紀を駆け抜けた..
2023-02-05 37:51

#82 激動の20世紀を駆け抜けたサルトルと実存主義

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


▼おたよりフォーム
ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!
https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7
00:00
♪~
はい、それ鉄ラジオ今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
お願いします
このラジオは身近なテーマをきっかけに
哲学について楽しく学んでみようという番組です
哲学好きの弟と哲学に馴染みのない兄の
兄弟二人でお送りしていきたいと思います
改めまして兄の丹野共生です
弟のハヤトですよろしくお願いします
ついに久々の西洋ということで
ニンチェとか旧剣豪とか色々やってた時は
お腹いっぱいだわと思ってたけどやっぱりこれだけね
禅とインド鉄の中挟むとまた恋しくなってきたね
そうだよね
前回禅の師匠と弟子の話とか
インド鉄学でブラフマンとアートマンがいて
実は一つだみたいなよくわからない
ある種話をしてきたと思うので
理解しやすい話を聞きたいなと
なりますよねそうなると
茶能を使っている感じですごい理解してやろう
っていう感じでやってる時はやっぱり
日本人だから東洋の方が馴染みがあるんじゃないかと思っちゃうけど
全然そんなことないもんね別に東洋だからって
なんならリンネ天聖とか
ブッダの時になんとなく雰囲気で使ってたなと思ったし
今回インド鉄学で初めてリンネ天聖ちゃんとこういう話あるんだみたいな
定理すらふわりだったから
そうだよねやっぱりね
ちょっとだけ前回の話を触れるとリンネみたいな話をしても
リンネとは何かとかなぜそれが起きるのかみたいな話って
普通は考えないじゃないですか
そうだよね一般論的な感じでなんとなく生まれ変わるぐらいの
そういうのがあるんだみたいなやっぱそれをある種
納得できるようにやっぱ説明していくとか
でもそれってやっぱり同じ抽象概念っていう意味では自由とか
平等とか愛とか正義とかも
やっぱりねちゃんと定義するとかそれってなんだっけってなると
鉄学っぽくなるっていうのはそういうことだなって思うんですよね
そして今回改めて西洋鉄学というところなんですけど
さっき言ってたね正義みたいな感じで
前回やったあるとかないとかの無とか
あと禅の時にあった言葉みたいな話っていうのは結構
関係が深いというかそういう考え方っていうのが結構出てくるんですよね
それが今回取り上げようとしているサルトルの
03:02
実存主義と呼ばれる鉄学ですと
はいはいついに実存主義
そうですねただこの実存主義とか
サルトルっていうのが今のこの2023年にも
すごい盛り上がってるかっていうと
そんなことはないみたいなことがありますと
そもそもありかしら
鉄学自体が盛り上がっているのかみたいな
前もあったけどそういうのはあるんですけど
サルトルに関しては本も著者ですら結構言ってて
例えば今回
台本作りにあたって2002年それでももう20年前
とかなんですけどサルトル鉄学とは何か
っていう本を読んでたんですけどその冒頭の
ある種著者の前書きのところで同僚から
なんで今頃サルトルなのみたいに言われたってエピソードを書いてるんですよね
鉄学することアカデミックな界隈でいっても
ホットな人じゃないんだって
実存してるんですけど
最先端でバンバン研究されてみたいな感じでは多分なくて
その流れとかもいくつかあるんですけど
前やっぱり名前が出ていたレビストロースとか
構造主義ってあったじゃないですか
さらにポスト構造主義みたいなちょっと流れを教えてくれたよね
それがいわゆる盛り上がってくるのが
1962年なんですよね
レビストロースがサルトルを批判するような本を書いて
それがめっちゃ話題になるというか
レビストロース確かにみたいになったのが1962年
という年で
サルトルが活躍しているのが大体1940~50年ぐらい
なんですよね
やっぱり一時代を作った人っていうのは間違いないんだけど
その分それを乗り越えられたとか
もうある種時代は次に進んだみたいな感じに
思われちゃったような哲学者なんじゃないかなって思ったりしてます
なるほど確かにこれまでの感じからすると
20年ぐらいで乗り越えられちゃったら
20年後ぐらいの感じで捉えられちゃいそうなぐらいの感じだけど
そこはたぶん現代の情報量だったり
情報の流通の速さみたいなところも関連しているのかね
そうだねやっぱり情報の速さとかもそうだし
この時代ってそれこそ第二次世界大戦があって
共産主義とか民主主義
いわゆる冷戦みたいなのがあってそこから
06:02
壁の崩壊があるわけじゃないみたいな感じ
やっぱり時代の流れとか世界情勢っていうのもすごく変化が大きくて
やっぱりそことを切って切り離さないんだよね
なるほどそういうものを考えるときの前提条件が
めちゃくちゃ変わりまくった時期なのか
何が正しくてとか何が本当に役立つ考え方とか
思想なのかっていうところもやっぱりすごく難しい時代
なので今日はサルトルの話をするときは
やっぱりそういった戦争とか
共産主義とかいわゆるマルクシュ主義とか
そういうのもどうしても関わってくるんですけど
もう一個サルトルに対してある種ちょっと批判的な
言われたりする言葉があって
1960年くらいにそういった同じような時代に
活躍していた海原武さんという日本の
哲学者がいるんですよ
彼は今代の事故1900年代後半くらいの
自分とか事故とか理性だよね
っていうものは自分自身じゃないことを求めるような
事故になったんだっていう話があって
ちょっとこれは今と分かりづらいと思うんで
サルトルの話をしながら言ってくるんですけど
そうなった時にそれが時代の必然の傾向なのか
サルトル一人の病的現象なんだろうか
みたいな言葉を言ってるよね
つまりサルトルっていうのが思想的にもちろん力を持ったし
影響力を持ったんだけど
それっていうのはただ彼の妄想とかちょっとした病的な考え方に
同調しただけなのかそれとも時代の流れだったのか
どっちなんだろうねみたいなことを言ってます
ただのカリスマだったのか
ちゃんと思想っていうものをみんなに納得させて広めた
思想家哲学者なのかどっちなんだろうねみたいな話なんだ
そうだねそうだねだから間違いなく影響力はあるし
思想家とか哲学者とかまた小説家っていう一応もあるんだけど
そういった面では影響力はあるんだけど
果たしてそれって本当に良かったんだっけみたいな
今言葉的に使ったけど
思想家か哲学者かわからんみたいな話をしたけれども
カリスマ的思想家ではあっても哲学者ではないぐらいの感じか
そうだねそっちのほうが近いかも
なのでさっき例えば哲学史的に
さらっと言っちゃうとサルトルの実存主義をレビストロースの構造主義が乗り越えましたとかって
さらっと例えば仮に言っちゃったとして
09:02
でもじゃあサルトルの実存主義ってなんだのとか
乗り越えたってどういうこととか本当に乗り越えたのとか
それだけ自在に影響を及ぼした思想ってなんだったのみたいなことを
知るのはやっぱりすごい大事だなと思ってまして
なるほどそれがさっきトレンドとは言ったけれどもサルトルの実存主義的な
思想なのか哲学なのか
これがなければ構造主義も生まれ得なかったかもねっていう
問いだったりちゃんと踏み台と言ったらあれだよね
すごい悪口だけどみたいな感じだよね
そこがなければ構造主義が生まれたかもっていう意味でも存在感は絶対あるよねって話なんだよね
そうだねもっと言うと構造主義が生まれたかもしれないんだけど
これだけ構造主義ってすごいとか
構造主義かある種ブームというか広がる土台がやっぱり
それまでの実存主義の広がりにあったっていう感じだから
そういう意味ではトレンドっぽくなっちゃってるよねみたいな話はあって
やっぱそのトレンド感は拭えないんだ
そうそうそもそも実存主義の時代から構造主義からポスト構造主義っていう言い方自体がトレンドっぽいじゃない
まあそうかそうか
実装ってそんなにコロコロ変わるもんじゃないからさ本来
確かにそうだね確かに方筆求めてるのにそんなトレンドってあるのって
確かに
ただそういったいわゆる混乱も含めてやっぱりこの2023年の現代に一気に繋がってくるんだよね
ああそうなんだそこはニーテとは全然ちょっと違うんだね
そうだねやっぱりちょっと1時代違うというか1900年代と1950年代やっぱり第一次第二次世界大戦があってみたいな
そこで結構やっぱり世の中変わったんじゃないかなっていう感覚はあるよねその哲学的にも
でサルトルの有名な言葉とか本っていくらでもあるんですけど
外せないのが2つあるかなと思ってて
一つは実存は本質に先立つって言葉でもう一つは人間は自由の経緯に処せられているって言葉があって
結構これはなんか哲学の本体が出てくるぐらい結構有名なんですけど
じゃあ実存は本質に先立つって言ってるけど実存って何とか本質って何とか
先立つってどういうことみたいなことを考えるとふわっと聞けちゃうけど実は全然ふわっとしない言葉です
はいはいはい
じゃあ自由さっきね人間は自由の経緯に処せられているって言ったけど
ここで言う自由って何とか経緯に処せられているってどういうことみたいなことが
12:03
ちゃんと理解できるかっていうのが哲学的なやっぱり理解だなと思います
なるほど単なるアホリズムではないよという話ね
そうですそうですそうです
なのでこの辺りを中心的なテーマにしつつサルトルが何をしたのかとか
あとは結構そのやっぱりこのぐらいの時代になると日本の学者さん哲学者さんとかも
要はサルトルっていうのはこういう人だったんじゃないかとか
こういう東洋的な資源を考えるとこうじゃないかみたいな話が出てたりするので
そういうのもあるしおりまぜながら力の自分の力の及ぶ範囲でお話ししていきたいなと思っております
やっぱりサルトルもやっぱり年代によってやっぱり主張が変わったりとかするわけですよ
20代はこう言ってたけど例えば50代はこうだったみたいなのがあった時に
やっぱり全部をね僕も理解できるわけじゃなかったりとか
全部をやっぱり解き尽くすみたいなのってそれこそサルトル研究をしないとできないみたいなことなので
あくまでもこの実音主義的な観点とかちょっとキャッチーで面白いと思えるところをちょっとお話ししていきたいなと思っております
なるほどなるほど了解です現状まだ実音主義とは何かみたいなところもわかってないからね
そうですよねそれをいつも通り4回くらい分けてお話ししていこうと思うんですけど
第1回なので恒例の人物追い立ちみたいな話をしていこうかなと思っております
さっきサルトルが活躍したのは1940~50年代だよみたいな話をしたんですけど
生まれたのは1905年のパリですと
ニーチェが亡くなったのが1900年のドイツなので
直接的に生きている時代は重なってはいないんだけれども
時代としては本当に入れ違いというかニーヤミスぐらいな感じですと
はいはい
お父さんはねいわゆるエリート校学校出て海軍に入った人だったらしいんですよね
ただサルトルが1歳の時に病気で亡くなってしまいますと
ただなんかすごい貧困で辛かったかとかって実はそうではなく
お母さんの方の実家に引き取られるんだけど
そこがすごく良い環境だったらしくて自由で好きなことがいろいろやらせてもらえるみたいな
サルトル自身は後から振り返った時にこの時期をある種幸福な10年間
1歳から11歳っていうのは自分のすごい幸福な時期だったみたいな風に言ってたりするらしいんですよね
自由に本当に好きなことやってましたみたいな感じだったらしいんですけど
ただ好きにしてたっていうのも結局本がやっぱ好きだったらしくて
15:03
外遊びするとかってよりは書斎にある本を片っ端から読み回すみたいな
やっぱ自由だったんだけど
11歳の時にお母さんが再婚をしたんですけど
いわゆる義理のお父さんと馬が合わなかったりとか再婚をして
家を出て引っ越した時に引っ越し酒の学校でいじめられたりとかっていうのがあって
結構大変だったみたいな
その後15歳でまたパリに戻っていわゆる名門校に行くんです
やっぱすごい天才派だというか成績優秀みたいな感じだったんですけど
あんまりちょっと素行が良くない人で
冗談とかホラー吹きぐらいだったらいいんだけど
名門校の校長をバカにしたようなスキャンダラスなことをしたらしくて
そういう感じなんだね
さっきの外で遊ばないとかって感じはちょっと大人しい天才派だみたいな感じだけど
結構やんちゃっていうかねそういうのをやってたんだね
ちょっと皮肉っぽいというかからかってやろうみたいな感じがあったんじゃないかな
あとは普通に特別に体を動かすのは嫌いだったわけじゃないらしく
筋トレするとかボクシングジムに通うとか
っていうのもこの10代の時にやってました
普通ちょっと割書きだけど勉強できる割書きみたいな感じなんだけど
この時から自分は天才だみたいな根拠のない自信があったっていうのを
自分でもやってるし周囲の人もされてるってそういう人だったよみたいな風に
言ってるよっていうエピソードが残ってたりします
あとは実際にちゃんと勉強はしてて
あとは高校とか大学とか行くんだけれども
いわゆる成績トップで教授職を取るんですよ
本当にすごいんだね
ちゃんと優秀な人だったんですけど
それで教授職を取っていわゆる教師になるんだけど
いわゆる大人になっても授業のチャイムが鳴る直前にタクシーで学校に乗り込むとか
あと学校の中ではもちろん喫煙、タバコは禁止されてるんだけど
俺の授業の時はいいぜって言って
生徒も吸わせるし自分も吸うみたいな感じの
あれGTOって覚えてる?Great Teacher Onizukaって昔あったじゃないですか
短写で乗りつけてみたいな
そうそうそう
学校内バイクで乗ります先生ってそこまではしないけど
そういうちょっとやんちゃというかはちゃめちゃさ
ある自由な感じっていうのはあった変わらなかったらしいですと
ただ日々過ぎていく中で焦りを感じていくわけですよ
18:01
何かっていうと自分は天才だって思ってるわけだよね
本とか好きだから自分は壮大な作品を書くんだとか書籍を出版して
時代を作るんだぐらいのことを思っていたのに
全然作品はできないし年が経てば経つほど
それこそちょっと太ってくるよとか髪が薄くなるよみたいな
そんな話もあるの?実際
そうそうちょっと見にくくなってきた俺みたいな
でもしかして自分は天才って思ってるけどされない位置田舎教師なんじゃないかみたいな
そんな感じで落ち込んでいくんですよね
でそんな中でいわゆる覚醒剤とかにちょっと手出しちゃって
すごい辛い幻覚とか見てしょんぼりするみたいなめっちゃダウンするみたいな
音とかもやっちゃうような
まあなんだろうないわゆる普通っちゃ普通の人?
ここまでいくとそうだよねすごく今っぽい俺できるはずなのに
そこで30になってから挫折外しちゃったかな
こんなはずじゃなかった
その中でなんと1938年33歳ですね
この時に掛け上げたのが「オート」っていう有名な作品があるんですよ
オートカタカナ?
オート、博
これは小説なんだよね
サルトルってもちろん哲学者ではあるんだけれども
あわせて小説家でもあっていろんな小説とかと戯曲オペラみたいなものとか結構書いてて
そこは結構サルトルの哲学者の評価を高めている部分でもあり
逆に難しくしているというか冒頭言ったみたいなサルトルって哲学者だったのか小説家だったのか思想家だったのかみたいな
もちろん全部そうなんだけど果たしてみたいなのがあったりしますと
これがめっちゃベストセラーみたいになっていくんですよ
オートの話はまた次に本質ってさっき言った実存は本質に先立つっていうのを本質っていうのをあわせて紹介する予定なんですけど
サルトルの人生的に言うと第二次世界大戦が起きるんですよね
やっぱり徴兵されたりとか後、保留になったりするんですけど
この間1945年は一定終戦を迎えますと
フランスはね、戦勝国、要は一応第二次世界大戦的には勝った国なので
一応そのやったーみたいな感じではあるんだけど
現実的にはやっぱり街は荒れ果ててるし
ドイツもね、侵攻も受けてるし
食糧なんだし
やっぱりこうすごい浮かれてたみたいな感じはなかったらしいんだよね
21:03
しかし当然その戦争が終わって、じゃあ蓋を開けてみたら
いわゆるナッツドイツの野蛮なさ、例えばいわゆる虐殺みたいなものとか
あとはそういう原子爆弾が日本に落ちて
やっぱり人間のテクノロジーっていうのが地球を壊すぐらいとか
人類をやっぱり滅亡させるぐらいのものになってしまったというものが
やっぱり徐々にわかってくるわけだよね
あーなるほど、ちょっと落ち着いて
俺たち何やったんだろうって、その戦争の後を見てみたら
やばい光景が広がってたんだね、自分たちがやった
そうなんだよね、しかも僕らは歴史的にちょっと遠くから見てるからあれだけど
この時代に立ちってこれまで見てきたね、それこそデカルトもヘーゲルもそうだし
蒸気機関的なやっぱり人間のテクノロジーと理性が未来を作る
それによって最高最善の世界に至るみたいな感覚があるわけよ
あーはいはい、哲学的にもそういう感覚はあったんだ
ヘーゲルの哲学をね、そうやって便称法化
どんどん良いものに上がっていくという感覚ね
やっぱ最高前みたいなものとか、理想の世界に行くという感覚があったにも関わらず
まさに人間の理性というものが虐殺を引き起こすとか
テクノロジーというものが人間を破壊するとか崩壊させる可能性がもう原始化しちゃったみたいな
やっぱりことっていうのはすごく、当時やっぱ知識人特に
哲学者とか思想家の人たちからすると
ある種当然のように共有されていて
かつこのままでやっぱまずいっていう
すごい危機感をやっぱり持ったような出来事なんだよね
あーそっか、そういう理想とか理性とか
この時アクセスしている限りはこんなすごいことってそういうテクノロジー使わないよねっていう
人間の本来的なスタンスからめっちゃ逸脱してないみたいな
ところが現実に見えてしまったって話か
見えてしまった
だからやっぱり戦争とか原子爆弾
もちろんね、日本からすると悲惨な歴史として残っているわけだけど
やっぱ世界に対してもそういう衝撃を与えているっていうのはこの時代ですと
逆にいわゆる民衆とか若者はどうだったかっていうと
これも本当にやっぱり現代とかもそうだと思うんだけど
じゃあなんかじゃあ戦争なんかよくわからんけどやったよねとか
あとその後の対応とかにおいてもさ
なんかこうよくわからんなんだ
正式な裁判とかじゃなくていわゆる弾劾裁判的なところで
24:00
なんかいろんな人が死刑になっていくみたいな
そういうある種の大人たちだよね
対する不信感とかやりきれなさとか
結局何なんこれみたいな不条理さみたいな
ものっていうのはすごく蔓延していて
なんかやってらんねーよみたいな
そこで正義とは何かみたいな話だね
もう時々ね全然表から変わるしみたいな話だよね
だからやっぱりそのね
あゆるて大人たちというか知識人の中にも
このままではまずいとか理性とかテクノロジーって本当にどうなんだっけって話もあり
若者たちの間にはなんかもう勝手にしてくれみたいな
俺らを巻き込むなみたいな
それちょっとねしらけたムードとかもある中で
やっぱり1945年の戦後というのが行われてるわけだよねこのパリでも
そうした時にこの1945年の10月
だから本当に終戦してから数ヶ月ということなんだけど
その時に実はサルトルが行った有名な講演が
「執存主義はヒューマニズムである」っていう講演なんですよ
そんなことをしてんだ
ここでその「実存は本心先立つ」みたいな話とかもしているんだけれども
何を言ったかっていうと
要はそういうさ
要は時代が行く末というか方向性を失っている時代じゃない
という中でサルトルが何を言ったかっていうと
要は人類が生存し続けていく
これからもちゃんと生き続けていくとするんだったら
それは単に生まれてきたからなんじゃなくて
その生命、命っていうものを存続させようという決意
それが故に存続し得ることになるんだみたいなことを書くのね
はいはい、そうなんだね
要は我々っていうのはただ生まれて運命に翻弄される存在なんじゃなくて
自分で生きるって決めてちゃんと未来を作っていく
そういう存在なんだよっていうことをマルシュ訴えるわけよ
ああ、なるほど
人に人にちゃんとベクトル持てよって話だね
扇動されるなと
やるせなさとか将来どうしようとかってあると思うんだけど
それを決めるのか人間ないのかって言って
そういうサルトルに人々は希望をあるし見出すんだよね
なるほど、単なる戦争とかの反省じゃなくて
このやばいというかよくわからん状況にベクトルを与えてくれるのもその言い話だったってことなんだよね
そうそうそうそう
思想とか人々の思いというものが行き場なくしているときに
ちゃんと自分たちで作っていこうぜみたいなことを
27:00
マルシュに問いかけていくというか訴えかけていくんだよね
だからそれがいいかどうかとかあると思うんだけど
強くも悪くも人間がどう生きるべきかということが指針というのを一つ示していて
さらにサルトルも教授として偉いところから言ったというよりは
パリのカフェとかで若者たちと日頃から議論したりとか
オープンな場で喋ってワイワイしてるみたいな感じだったらしいんだよね
なるほど
そういう意味ではある種民衆の中から自分の考え方をマルシュに広めていくというか
伝えていくみたいな当然その時代には小説を追われている有名人だから
それなのにちゃんとカフェとかで一般のと言ったらいいけど
そういう人たちと全然情報交換してたって話なんだね
そうだね本当に自由というか
どうか閉じこもっている人じゃないっていうのはそういうところなんだけど
そんな感じで1945年という終戦の年を過ごしているわけですけど
ちょっとそこからまた時代が進んじゃうんだけど
1966年に実は日本にも来ていて1ヶ月ほど滞在していたようですと
終戦20年くらい経ってるか
そうだね20年くらい経って
この時も60歳くらいかな
いわゆる観光とか後は公演をしながら過ごしたようなんですけど
主なテーマがその3回の公演の話でもちゃんと伝わっていて
それがいわゆる知識人の役割について話してましたと
知識人というのはいわゆる学者とか医者とか法律家みたいな感じで
知識の専門家って言われている人たちのことなんですけど
この人たちって要はそういった自分たちの専門知識とか技術を使って
社会に奉仕するというか貢献するみたいな感じがあるんだけど
一方でいわゆる真理を追求する
要は学者だったら学問的なとか医者だったら医術のみたいなのがあるんだけど
現代において知識人っていうのはいわゆる支配階級
よくある国家の犬みたいな話とか
御用学者みたいな言葉があると思うんですけど
本来の真理を追求したいみたいなものと
ある種権力的なところに従わなきゃいけないみたいな
そういう矛盾があるよねみたいな話をして
サルトロ自身は支配階級のために奉仕するとか
権力の外立つみたいな知識人を偽の知識人みたいに呼んで
敵だみたいなそんな奴らは知識人じゃないみたいなことを言うのね
30:03
かなり熱いね
結構政治とかそういう団体的な動きとかをやってた人だったので
どうしても時代もやっぱり共産主義的なというか
資本主義の矛盾とか色々起きて
労働者っていうのはもっと資本家というのを打倒せよみたいな
そういう時代でもあるから
支配階級っていうのをある種拒否して
社会の中でどうやって自由とか平等とか平和とか
実現するかっていうところをしっかり進めていくっていうのが知識人だよ
真の知識人だよみたいなことを言ったりしますと
逆に言うといわゆる自由とか平等とか平和みたいなものって
すでにあるものとかいわゆる受け取るものなんじゃなくって
これから作り上げていくもので
それっていうのはいわゆる自分一人この自分っていう存在から始まっていくんだよ
みたいな自覚があるんだよね
そういう意味で時代悪しを抱えている自分の中に取り込んでいる人でもあるんだけど
そういった中でマルクス主義とかそういったものに堅入りする時期もあるはあるんだけど
その結果はどうなる?やっぱり自分が世の中を作っていくのか
時代を作っていくさっき言ったようなただ生きてるんじゃなくって
自分が決心したから生きてるんだみたいな
そういうことを実践的にもやった人だなっていう感じですと
なるほどね、さっきマルクス主義に堅いれって言うのもあったけれども
これはあくまでそっちに傾倒してたじゃなくて
サルトル自身との思想とか考え方と合致してるからぐらいの感じで堅いれ
そういう意味での堅いれって話だよね
そうだねそうだね
そこからさらに14年経って1980年に74歳で亡くなるんですけど
やっぱりそうやってね色んなこう有名な小説を書いたとか
世の中的に影響を持ったという人だったので
その葬儀、パリフランスで葬儀を行われるんですけど
5人の民主…5万人じゃないわけですよ
少ないですね、5万人ですね
全然違うよ、5人だったら寂しすぎて嫌われてたはずなんですけど
全然結末変わるよね
5万人の人が集まったという風に言われていて
本当に夢尽くす広場を埋め尽くす人が集まったというような形で
それだけはですね、慕われていたとか
やっぱりこうなんだろうな、民衆に寄り添った人だったんだね
というような形で生涯を終えたというような人でございます
ここまで聞くと哲学者というよりは活動家ぐらいの話だよね
33:03
マラクスの話が生出ていっちゃったからかもしれないけどね
あとは社会じゃないけどね、反県威的な雰囲気も最後あったから
そうだね
こんな感じなんだね
まさにその通りで、自分をちゃんと社会の中に入れ込むとか参加するという考え方が強くて
ただ知識人=学者で何かを考えていればいいとかじゃなく
やっぱりちゃんと自在に責任を負っているんだとか
そういう風に自分は行動するというのが大事なんだということが
実際に喋ってもらえるし、自分でも行動していた人だなというところで
確かにだからこそ5万人葬儀に集まったみたいな話か
その手で自分を、社会に身を投じながら活動していたからこそのということだよね
そうだね
こういう意味で、いわゆる時代とともに生きて死んだ人みたいな感じなんじゃないかなって僕も思うんですけど
評価として賛否両論あるというよりは、最終的には否定の方が多いぐらいの人ではあるんですよね
思想的には
ただやっぱりサルトルから学ぶべきものとか
途中で言ったような、自分の人生を自分で決めていくみたいな感覚って
実音主義的な感覚
人間とはみたいな話がすごく通じるところもあると思うので
そこを取り上げながら今回お話ししていきたいなと思っております
なるほど、そっか
そんな感じはね、自分で決めていくみたいな話
そうだね
じゃあなんでそれが人間にできるのかとかすべきなのかっていう話も
いわゆるまさに演説とかじゃなくて、ちゃんと思想とか哲学的にやっぱり言ってる人ではあるので
はいはいはいはい
それはいわゆる根性論とかじゃないんだよね
あーなるほどね
そこは本人的には単なる思想じゃなくて
ちゃんと哲学っていう理論先生とした根性のある話なんだよ
そうそうそう
もちろんね、過去の哲学者の流れを組んで話してもらうからサルトルは
そういった意味で繰り返しだったけど
テーマとしては実存は本質に先立つってなんだっけっていう話と
あと人間は自由の権威に寄せられている、これってどういうことかっていうような話で
さっきも言った通りね、当然言葉だけとか文字通りやっぱり理解できるものではないので
これをね、少しずつお話ししていきたいなというふうに思っておりますと
はい、了解しました
まあそうだね、こんなサルトル、ちょっと今聞いた限りだとちょっとやっぱ反権威的なね
ちょっと全然イメージ違ったな
36:02
最初は天才スタートあったから
普通の学者としてあと小説家として芸術家派でそういうのをやってた方なのかなと思ったら
割と活動的なね、時代寄りな雰囲気がちょっと出てきて
まあでもまあ当時の時代からすると社内のかもしれないですね
社会とかね、政府みたいなものを信じられない
もしくは何を信じたらいいかわからないか信じられないというよりは
信じるものがないみたいな時代感がそうさせたっていうのもあるのかなと思ったし
そうだね、やっぱりそういった意味で自分がどう生きるかって考えた時に
やっぱり新しい秩序を作っていく
だから自分たちの手に自由を得るというふうになると
そういうちょっと左的なというか、革新的な部分もあったんだろうなと思うんですけど
次回以降はまさに途中で反した「王」と「ゲロゲロ」って吐くよみたいな話だと思うんですけど
っていう小説に絡めて本質とは何かというところをお伝えしていこうと思ってるんですけど
結構ここはね、東洋的な観点とかがあると理解がしやすいというか
なるほどねってなりやすい部分でもあるので
そんな形でですね、次回お話ししていきたいなというふうに思っております
はい、わかりました。今回はね、実存主義というよりは猿とその人みたいな感じで見ていったんで
次回からその思想とか哲学の中に見ていきたいと思いますというところで
次回も引き続きよろしくお願いします
よろしくお願いします。今回もありがとうございました
(♪ BGM)
37:51

コメント

スクロール