1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2022-11-02 31:15

#55 実存主義の先駆けキルケゴールとヘーゲル以降の哲学の流れ

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
♪~
はい、それ鉄味を今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
このラジオは身近なテーマをきっかけに
哲学について楽しく学んでみようという番組です
哲学好きの弟と哲学に馴染みのない兄の
兄弟二人でお送りしていきたいと思います
改めまして兄の菅野京介です
弟のハヤトです、よろしくお願いします
前回からキリスト教哲学をやっていて
今回はさらに近代に移ってきた時に
キルケゴールという人が出てきましたよというところをやっていきたいと思います
はい、お願いします
そうですね、名前だけ出していて
ついに万を持ちしてキルケゴールみたいな感じではあるんですけれども
ただですね、今日もキルケゴールの話はもちろんしていくんですけれども
デカルトの時にやったみたいに
結構哲学的な流れみたいなのがあって
大体今1800年くらいの時代を扱っているんですけど
そこから1900年、2000年代までかないかな
1900年代かけてどんな哲学が出てきたのかみたいな
全体像を分かっていた方が話が入りやすいとか
キルケゴールというのは結局どういう人だと思ったのか見えやすいかなと思うので
今回の第1回分はそういった話も少し触れながら
キルケゴールの導入会にしていきたいなというふうに思っております
前デカルトやった時だけか、一回近代哲学史みたいなのを軽くなぞったみたいな
哲学史っていうともうちょっとお世話かもけれども
デカルト・カント・ヘーギル・マルクスみたいな
ちょっと4人がいるよねみたいな話はしたと思うんだよね
ただもうこのぐらいの時代になると人が多すぎて
人の流れっていうよりは流派みたいなのが出てくるのよ
実存主義とか構造主義とかっていうのがあって
そういうのをちょっと今日ふわっとお伝えすることで
今後の話も分かりやすくなるかなというところで
ちょっと用意をしてきております
お、ありがたいね
本当は素人にはありがたいね、全然分かんないもんね
そうだよね、分かんないしね
それこそクラテス・プラトンとか言われるぐらいだったら
なんとなく繋がってるなって分かるけど
じゃあキルケゴールとニーチェとフッサルガとか言っても
誰、いつ、みたいなのになるじゃない
そうだね、そうなるしね
ちょっとずれちゃうけど
うちの本棚眺めてたら一つだけ哲学の本があったんだよ
最近発見して
実存主義、サルトル
03:02
あ、持ってるのサルトルの本
の本だけあって
全く読まなかったの
多分1ページか2ページ読んで放っておいた
多分大学生の時に
やっぱ哲学ぐらい通っておかないと
多分思ったんだと思う
それで哲学ってなんだろうなって調べて
多分たまたま買ったのがそれだったんだろうなって
いきなり哲学知りたい人がサルトルの実存主義の本読んでも
多分ね、分かんないとは思う
分かんない、そういうね、センスの悪さというかね
逆に言うとね、その哲学の入り口ってどこなんだよっていう難しさを
乗り越えられずに
入り口の扉を開けずに挫折した例なのかなって思って
面白かったんですよね
面白いね、そもそも扉だったのかぐらいのところもあるから
そうそう、だからね、やっぱ
もう自分みたいなセンスのない素人にはありがたい
こういうね、全体像を話してもらえるというのはね、本当にありがたい
今日まさにサルトルの名前も出てくるんですけれども
まさに兄貴が前回から言ってくれたように
中世哲学、これまで扱ってきたキリスト教哲学みたいなのって
結構この時代のキルケゴールとかニーチェとかの
壮大な導入会みたいなところもありましたと
なんでかっていうと
例えばね、キルケゴールの話を最初にすると
キルケゴール自体は哲学者でもあるんですけれども
それ以前に信仰者というか、すごい熱心なキリスト教信者なんですよね
例えばヘーゲルとか、それまでのジャイアントが
真理とか理性みたいなものを扱ってはいたんだけれども
あくまでもキルケゴールの監視の対象っていうのは
やっぱりこのキリスト教自体とか神みたいなものなんだよね
なるほど、そうなんだ
だからやっぱりキルケゴールのことをやろうと思うと
キリスト教ってやっぱり切っても切り離せないし
ただ哲学として見ても面白いっていう感じなんだけど
もっと言えば西洋の哲学って
キリスト教的なものとか絶対者みたいなもの
切っても切り離せないから
やっぱりこれまでやってきたのはトマス・アクリナスみたいな感じで
絶対者とか無限のレイヤーの世界と
現実の人間のレイヤーの世界って
やっぱり分断してて違う世界だよねみたいなのが
根底にあったりするんですよね
なるほど、それこそ我は何かっていった時の我っていうのは
割とキリスト教的な中での神と自分
人間とあった時の人間っていうものを指していることが多いって感じなのかな
そうそうそうそう
一般的には僕らの感覚からする神と人間の関係とか
06:04
とはやっぱりちょっと違う感覚があるよねっていう感じですかね
その辺りは前回のキリスト教哲学の辺りでも
教えてくれたっていうことがね、感覚というか
ですよね、なので今回初めて聞くよっていう方は
もし今日聞いてちょっと面白いなと思っていただけたら
また前回のとかも聞いていただけたらなとは思うんですけど
キルケゴールが哲学的にはどういう位置づけの人なのかっていうと
ざっくり実存主義みたいな派閥っていうのかな
一応流派みたいなのがあって
それの先駆けだよっていう風に言われてますと
実存主義ってちょっと硬い言葉じゃないですか
そうなんですし、その本買ったからね
そうだよね、読めなかったの
一番哲学っぽいなと思って読めなかった
確かに確かに
これまでの流れ、聞いていただいた方だと流れを踏まえていくと
そんなに難しい言葉では実はなくてそれ自体は
どういうことかって言うとすごい簡単に言うと
現実存在とか人間存在っていうものをすごく大事にしようみたいな考え方なんですよね
もうちょっとちゃんと言うと
人間の個別性とか偶然性
要はそれに対比するものとしての神とか絶対者みたいなものの
不変性とか必然性っていうのがあったじゃないですか
これまでは不変性とか必然性とか絶対的なものを
ある種、すごい上に置いて
人間とかっていうのは写し身だからしたみたいな感じだったんだけど
ある種それを逆転させるというか
人間の個別性とか偶然性というのが大事だよねっていうのが
結構この実存主義の結構共通した考え方なんですよね
そこは同等とかじゃなくて割と逆転くらいまで行っちゃう?
逆転、そう
まさにさっき兄貴が言ってくれたサルトルが言ってるんだけれども
実存は本質に先立つっていう有名な言葉があって
まさにね、難しいっていうのも本当にそうで
やっぱりその実存主義って答えは
人間というか自分のあり方とかっていうのをすごい突き詰めていくから
ある種、自分以外の人生観をインストールするとか
自分の生き方みたいなのを一回取っ払って
その人の考え方を受け入れるというか
浴びるみたいな考え方が必要なんだよね
はい、だし、キリスト教の中でいうと
もう神っていう普遍的な、絶対的なものがある中での写し身としての人間
それを無意識でしかも常識として持っている
09:00
自分を一回取っ払うみたいなところまで踏み入れて必要って話だよね
そっちのキリスト教的な
そうそうそう
やっぱりそれはやりきれないしやっぱりでききれないから
そこに難しさというか
やっぱりこの1800年代以降の哲学を理解しようとするかな
僕もやっぱり本当に理解できてるかって言われたら怪しいから
でもそもそもそれに近づこうとするやっぱり難しさがあるなっていうのは感じていて
そういう意味ではどんどんアンラーニングし続けるのが必要だし
同じ実存主義者でも言ってることは全然違うみたいなことはあるんですよ
やっぱり
やっぱりその共通する価値観として
まさにさっき言った実存は本質に先立つ
本質っていうのはいわゆる神とか真理みたいなものよりも
その実存=現実存在としての人間とか自分というものが先にあるよねっていうような考え方なんですよっていうのがあります
そうなんだねちょっと無理やりかもしれないけど
ちょっと関東の純粋性批判とか
ああいう精神姿勢指向過程みたいなのもなんか党首じゃないけどね
そういう感じがするよね
あれはもちろん神を最後置いたとは思うんだけど
その中で人間がちゃんと先立つ
それこそニワトリ卵的な話で
ちゃんと考え出したのをこの実存主義というふうにちょっと今捉えてる
そうだね
割と近い感覚だなとは思っていて
結構明確に今言ってくれたカントとかマットヘイゲルみたいな
いわゆる同一観念論って言われる
例えば人間の理性とか知性みたいなものか
ある種世界をちゃんと捉えられるみたいな考え方だったと思うんですけど
それへの批判とか乗り越えっていう観点が結構強いんだよね
そうなんだね
一書っていうのは結構乗り越えみたいなところがあって
どういうことかっていうと
そういうカントヘイゲル的な同一観念論って
要は世界とか真理とかっていうのを
人間の理性とか精神に引きつけるんだけど
結局そうするとそういう真理みたいなめっちゃ抽象的な
なんか存在するとは言っているものをどこにあんねんみたいな
ものを理性っていうものは必然的に捉える
やったと思うんですけどその理性っていうのは
その誤性とかがあってそれが元々の型があってそこに当てはまっていくんですみたいな
そうすると結局そのいわゆるその中に生きる個々人みたいな存在が抜き落ちちゃうっていうのってイメージつくかな
言うても人間が捉えるっていう人間の自主性みたいな実存性みたいなのもあるんだけれども
12:01
言うてやっぱりそっちの世界だと普遍的なものを人間が捉えるっていう
種と樹の関係はまだ広がってないよね反対になってないよねっていう感じが
そうだね、あくまでももう従属しているだからそういう自然の摂理とか人間の理性っていうもうなんか
法則みたいなのがあってその中でなんか理性的な思想的なものがなんか蠢いているみたいな
その感じでいくと人間の個別性みたいなものは否定されてるよねそっちの世界観が
そういうことだよね絶対的なものを人間はこういうふうに捉えるだろうっていうそこに
人間の捉え方に対する普遍性みたいなものが提示されてしまってるんだけれども
そこはそもそも間違いだよというかそこは逆転する感覚に近いのかなという風に思ってきた
早い、思考が早い、でも本当そういうイメージでやっぱりそのね
ヘーギルの時にも弁償法っていうのがあったし兄貴も弁償法強いすごい手法だっていうのはあると思うんだけど
やっぱりある種その世界が弁償法的に対立してそれを乗り越えて発展していくんだみたいな感じになっちゃうと
まるそれってちょっと運命論的な要は世界は成るべくしてなったんだみたいな感じもなっちゃって
その中にその個人の自由とか主体性みたいなものはないよねっていう結構思想にやっぱり行き過ぎちゃうんですよね
でもやっぱり本当にそれでいいんだっけみたいな反省というかやっぱりことを考える人っていうのが出てきていて
そういう意味だとやっぱりそのそれこそ本当に中世、5世紀とか4世紀とかそのぐらいから脈々と続いてきた
神だったりとか無限の絶対者みたいな人に近づいていくとかどう捉えていくかっていう思想とか哲学っていうのじゃなくて
ある種の有限で限られた存在なんだけどでもちゃんとこの生きている人間というか自分に近づく思想とか哲学っていうのが求められてきていて
それを一人のキリスト教の信仰者として神との関係性においてやろうとしたのがキルケゴールなんですよみたいな流れがありますと
ある種ヘーギルを知って中世の神学を知ってキルケゴールを知るとなんかパーツが埋まっていく感覚が僕の中には結構あって
面白いっていうのがあるんですけど
そういうとこをなんとなく今日で全体像じゃないけれどもこんなことを話そうとしてるのねっていうのを持っていただけると
だからキルケゴール今話してるんだみたいな感覚も持っていただけるんじゃないかなと思うんですけど
15:04
もう少し話をしていくと
キルケゴールは1813年に生まれた人なんですけど
ヘーギルが活躍している時代なんですよね
ヘーギルの弁償法みたいなものも世の中にある時代に色々なことを見たり聞いたり考えたりしてる人なんですけど
キルケゴールからするとヘーギルの弁償法っていうのは物事を統合して一つにしていくみたいな感じで
めっちゃ力強い働きではあるんだけど
結局あくまでもそれって歴史を外から見るもの
客観的にそれを分析して記述する人の説明の手段でしかないよねっていうふうに見えていて
歴史を作るものとしての人間としては選択とか決断をするっていうとこには使えないよねみたいなことを言いますと
だからそういう歴史を作る存在としての弁償法っていうのは統合とか言えば拒否する
要は現実の矛盾で要は統合したくないとか別にそんな慣れ合いたくないみたいな
ヨーロッパがいろいろ分裂したりとか戦争とか起きてるような時代だから
そんな簡単に統合とか言ってくれんなみたいなのもあったと思うんだよね
そういう現実の矛盾と対決するための論理っていうのはなきゃいけなくて
弁償法はそれにはなり得ないっていうことを考えたり言ったりするよね
しかもヘーゲルもそうだったようにフランス革命っていうものの結末というか
どうなっていったかっていうのはリアルタイムに見ている世代ってことだもんね
だからやっぱりヘーゲル的にはナポレオンっていうのが出てある種統合するというか自由の象徴だみたいなところもあったりはするんだけども
一方でそんな簡単じゃねえんだみたいなっていうようなことを考えますと
結構その象徴的なものがあってそのキュウリ教会っていろんな本をめちゃくちゃ出してるんですけど
その中の有名な本の一つにタイトルがあれかこれかっていうタイトルの本があるんですよ
要は二者卓一やねあれとこれっていうのが2個あった時にちゃんとどっちかを選ぶと
弁償法的にあれもこれも取り込んで統合してわーいとかじゃなくて
ちゃんと生きる人間たちの決断をあれとこれでやるんだと
あれとこれって何とか何の二者卓一なのみたいなのは今回のキルケゴールの話でもちゃんと触れていきたいなとは思ってるんですけど
18:01
でもやっぱりそういう意思を持って決断するとか自分自身が選ぶみたいなことも
ちゃんと思想的に哲学的に捉えなきゃいけないよねっていうふうに考え出してるのはこの時代
はいはい面白そう
結構ここまでくると哲学が人生論っぽいとか
逆に一人の人間が言ってることであんまり哲学っぽくないというか
学びにならんみたいな言葉が出てくるのも多分この辺りだと思うんだよね
そっかその両方があるのか
個別的すぎるしっていうのが一般的に使えないじゃんっていうのもあれば
逆にぴったりハマる人からするとこの話待ってたわーっていう風にもなり得るっていう
そうそうそうキルケゴールすげー俺のことわかってるって人もいるかもしれないし
だからこそそういうなんでキルケゴールみたいな人が生まれたというか
そういうことを考えなきゃいけなかったのかとか時代的な流れとかがあると
ただやっぱり勝ちすぎ勝手なことを言ったんじゃなくて
ある時代の中でとかいろんな思考の流れの中で言ってるよねっていうのも見えてくると思うんですけど
その中でさっきサルトルの名前を挙げたんですけど
いわゆる実存主義者みたいな自分では俺は実存主義者ではないっていう人がいたりはするんですけど
あまりそれをカテゴライズやめてみたいな
一応その後世の人が言っている有名な実存主義的な哲学者の名前をちょっと何人か挙げていくと
ニーチェとかハイデガーとかカール・ヤスパース、バタイユ、メルロポンティ、ポール・リクールみたいな人がいたりしますと
結構こういうのって哲学者だけじゃなくて小説家にも影響を与えていて
それこそロストエフスキーロシアの大小説家ですけど
それこそ前回カミュとかカフカ
日本だとノーベル文学賞を取られたのかな大江健三郎さんとかいらっしゃると思うんですけど
そういう人たちにも実存主義っていう考え方が影響を与えてますよ
こういう思想を受け取ってるんですよみたいな風に言われたりしますと
ただ実存主義ってさっき言ったみたいに現実に生きる人間を大事にするみたいな考え方だから
人間の本質を扱う作品=実存主義っぽいよねみたいに言われがちだったりもするので
それこそ本人が否定してても無理やり結びつけられるし
後から無理やり結びつけて俺こんなこと考えてたんだぜとも言える
そうそうそう言えちゃうところもあるから
ある種一つの時代の思考の根底に生まれてきたものぐらいに思った方がいいかなと思うんですけど
21:08
ちょっと軽すぎるけど一緒のトレンドみたいな話
そうだね本当そう思う
逆に今となっては真理の価値が下がってる時代だと思うんですよね21世紀とかって
別のまた思想の流れとか出てきた中で
現代やっぱり人類共通のやっぱり真理があるとか
一つの神のことに統一されるみたいな価値観ってやっぱり力が弱まってると思うんですよ
思想としての力がね
それに対して真理に対応する実存自分みたいなもののやっぱり
強さというか重みもちょっと下がっているから
今まで違う人間の取り方があるとは思ってるんですけど
100年200年変わるとそういう思想的なトレンドも変わっていくよねとは思うんですけど
まさに兄貴が言ってくれたトレンドみたいな話でいくと
一応例えば実存主義っていうのは1800年から例えば900年とかに出たっていうところに対して
それ結構個人に寄っちゃうんですよねそういう意味で言うと
これがこれがみたいになっちゃうんですけど
そこに対して社会とか国家みたいなものを構造とかシステムで捉えようとするっていう
まさに構造主義っていうのが次というか流れとして出てくるんですよ
もうそこ通ってんだちゃんと
実はこれって言うのは第二次世界大戦後に
まさにレビストロースっていう哲学者の人がいるんだけど
その人によって始まったっていうふうに言われていて
しかもこの構造主義が面白くて
ソシュールっていう言語学者がいるんだけど
その人の影響を受けているっていうふうに言われてるんですよ
そうなんだね
だからここで哲学と言語学って重なるみたいなこともあって
言葉の構造みたいな話とか社会の構造みたいな話とかっていうのが結構頻繁に出てくるっていうのが
1950年くらいの第二次世界大戦後なので
言ってもそんなに前じゃないよね50、60、70年前かそれでも
でもそうだねうちはおじいちゃんおばあちゃん世代全然ね
まだ生きてる人がいる世代なので
だから実存主義もっと言うとデカラートカウントヘーゲルで
個人の理性とかその個性みたいな要はもともと存在している構造と思うんだけど
で世界を捉えましょうっていうところから
実存的な個人の自由とかある種一種みたいなものが必要だっていうところを経て
24:02
やっぱりその個人というよりは社会とか国家にも構造があるよねみたいなところに行ったり来たりするんだよね
はいはいまあ言ったり来たりだけどそういう紙じゃないってことはねこの構造主義って方はね
そうそうそうそう
さらにその構造を捉えようとするんだけど
いくらその構造を客観的に扱ってもそれ自体は別に変えられるわけじゃないみたいな
それこそ戦争とかも例えばナッツドイツみたいなのがあった時に
あれはじゃあヒトラーの個人的な行動だみたいな感じで捉えたとしても
それはあれはなんかその当時のドイツ国民の国民性だとかって言ったとしても
結局なんか問題の解決にはならないんだよね
はいはいはいはい
それをじゃあ乗り越えてどうしたらそういう悲劇が二度と起こらないようにするかとか考えようとした時に
ただ構造を作ったりとかそれを分析してもしょうがないよねみたいな結構反省があって
そこが実は今ポスト構造主義っていうのが生まれてきましたと
はいはい
ポスト構造主義っていうのは構造主義の次ってしか言ってないから
あんま何も言ってないよねみたいな話もあるんだけど
まだ定義されてないってことだよねこういう名前がついてないってこともね
ただポストって言ってる
そうでしかもここからはね哲学だけ要はその純粋な心理を探求するとかってよりも
結構その精神分析それこそフロイト的なものとか文化人類学それこそ西洋中心主義から
反省して東洋とかあるいはもっとそういう先住民とかってところもちゃんと見なきゃいけないよねみたいな考え方とか
あとそれこそ言語学それこそ言語によってやっぱ思考が違うみたいな
あるいはでも同じこともあるみたいなところとか文芸論とかそういうのもいっぱい入ってきて
哲学としての分かりにくさっていうのがもうなんかもうすごいことになってきてますと
なあそうなのそりゃ入り口分かんないな
そうそうそう同じ哲学者の本を読んでも時代によって全然違うことを言っていたりとか
同じ時代の哲学者を並べて読んでもなんか全然この人はなんか人間の精神構造について語ってるけど
こっちの人はなんか文芸論を言ってるみたいな
でも哲学なんだもんね
そうでも哲学みたいな感じになっちゃってよくわかりませんみたいな
さらに現代哲学みたいなじゃあ2022年今年の哲学の最前線どこなのみたいになっても結構定義されにくいというか
有名な人は何人かいたりはするんだけれどもこれだみたいなのは実はなかったりしますと
確かにその状態だとね確かにマラソンみたいな感じでもう第一集団みたいなのあるかもしれないけど誰がトップなのかわからなそうはね確かに
27:08
そうねそうね本当にそこがねある種目まぐるしく入れ替わっているみたいな感じもあって
その集団の第一集団の中でも入れ替わっているし第一集団ね第二集団の中でもなんかこうごちゃごちゃなったりするみたいな
ものがあってだから僕もやっぱりじゃあその最先端の哲学ってなんだみたいので結構見たりとか調べたりはするんだけれども
やっぱりこうあんまりあるあるマルクスガブリエールみたいな人がいて今その時代の哲学者の長時代みたいに言われたりしたりはするんだけど
まあでも別にじゃあそれが一般的ななんかその哲学界を接近するようになっているとかって感じでも別にないし
ないらしいまあ別に何だろうその会話について聞いたわけじゃないからだけど出てるねあの記事とか本を読む限りではそんな感じですよと
まあね確かに今生きてる人がねこの時代の最高だなんて今決めるのは難しいもんね
ああそうそうそうやっぱりねそういうところもあるので結構混沌としてるよねみたいな話はあるとは思うんですけど
あとはねもちろんここに取り上げられてないものとしての例えばフッサールって人が作った現象学みたいなものとか
そういう流派というか手法もあったりしてそういうものもできる限りはですねちょっと取り上げながら僕のできる範囲で
勉強しながらちょっと取り上げていってそれこそ1800年今のキルケゴールの時代から1900年
2000年くらいの哲学っていうところがどこのラジオでもですねラジオとかポッドキャストでもしっかり取り上げていきたいなというふうには思ってますと
はいはいなるほどこれからはちょいちょいそういう横にいろんな流派を見ていこうという感じか今までね結構縦のクラテスがいて
プラトンがいてとかみたいな話したけどももうちょっと横の広がりの近代だといろんなのをまた見ていくことになるって感じなんだもんね
そうだねそういう中でもやっぱりその例えばねあのこの人この人があの師匠と弟子の関係だとかこの人の思想を受けてこのこっちの実論主義から行動主義の批判が出てきたとかっていうのはもちろんあるから
そういうのもねあのたどれる範囲ではちょっとつまみ食いしながらちょっと見ていきたいなっていう感じですと
ただね疲れちゃうと思うんだやっぱ西洋の手作家ばかりやってるとそしたらまたちょっと仏教の世界飛んでいってちょっと味わうみたいな感じを続けていくとまだまだねそれですらじ終わる気配がしないので
まあそうだよ古代にしても中世にしても近代にしてもいろんな人が多分いるだろうからねその当時の
もちろんもちろん時代によってはねその原理をたどるという意味でまたギリシャ手作家に戻るとかもあるかもしれないし
30:04
なのでそういうのをねこういろいろ話しながらこういうことだったのかとか言ったり来たりしながらねちょっともちろん僕自身もね全部は知ってるなんて当然言えないので
僕が好きな人とかやっぱりこの人面白いと思っている人をちょっとお伝えしながらなんか僕自身もいろいろ学んでいきたいなと思っているところでございます
まあそんな感じですねあのまあちょっとキルケゴールの前の導入みたいなイメージで実音主義っていうのがあるんだけどそこから行動主義ポスト行動主義というのがあるよってちょっとそんなお話もしていったんですけれども
次回からね本格的にまたあのまずキルケゴールの人生とかちょっと時代背景
みたいなところをやって実際キルケゴール自身がどういうことを考えてきたのかみたいなこともお伝えしていきたいなというふうに思っております
はい了解ですついにキルケゴール登場ということですね次回から
そうですね
はいやりましたじゃあ次回も楽しみにしてますんで引き続きよろしくお願いします
はいお願いします
はいありがとうございました
[音楽]
31:15

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