ソレ鉄ラジオの今後について
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回雑談会ということで、今回はそれ哲ラジオの今後的な話というか、
はやとがいろいろ考えていることがあるということで、その辺の話を聞いてみたいなと思います。
はい、なんかあれだね、それ哲ラジオの今後って言われるとドキッとするよね。
やめます、みたいな。
そうそう、やめないんですけど、むしろ頑張るんですけど。
兄貴にいろいろ相談したりとか、自分でも考えていて、
年の第1回とか、1月1日からに公開したそれ哲ラジオがあるんですけれども、
僕らはだいたいその年明けには、僕が抱負とか言って、第2期が抱負とかないな、みたいな話をね、
若干定番化しているんですけれども、その時に言ってたのが、
僕が今年35歳になったんですよっていうところで、
もちろん人生で80年、90年って続いていくと思うんだけれども、
なんとなく感覚的に70歳で一区切りじゃないけれども、
70歳で一つの区切りとした時の35歳っていう、ちょうど半分みたいな、
そういう感覚があるんですって話をしたと思うんですよね。
はいはいはい、今年の頭にね。
そうそう、頭に。
結構その感覚でずっとこの1年実は過ごしていて、
なんかこの人生の前半っていうもので、
総決算じゃないけれども、それをちゃんとして後半につなげたいな、みたいなところとか。
あと今年の抱負っていうのを、僕は両方の両っていう字にしたんですよね。
で、それを兄貴がアンパンマンとバイキンマンだよねとかって言ってくれてたんですけれども。
おー、そんな話。
そうそう、そして善と悪みたいな話もそうだけど、やっぱりその両方を見ていく。
なんか他方に募出しすぎてしまったらバランスが崩れるよねとか、
そういうことだけを追求すると、結局自分の中であれ本当にこれでよかったんだって結構疑いがちな人なので。
はいはいはいはい。
そう、なんかそういうものじゃなくって、
何か2つのバランスを取るようなものがあるといいなっていうことも実は思って過ごしてたんですよ、という中で。
当然ね、自分の中で家庭とか仕事っていうものも大事なんだけれども、
やっぱりそうじゃない、やっぱり自分の世界を追い求めるみたいな、
そういうことも大事にしたいなとかってずっと思ってるのよね。
うんうん、なるほど、ほうほうほう。
そのソレ鉄ラジオとかね、今回ソレ鉄公演みたいなことやってるんですけれども、
それをね、自分の中でもっとある種のめり込みたいというか、もっと頑張りたいみたいな欲求が結構夏ぐらいからできたんですよ。
あーなるほどなるほど、そうだもんね、そっかそっか。
ソレ鉄ラジオを始めて、メンバーさんに参加いただく形でソレ鉄公演、
その中でソレ鉄フォーラムだったりとか、ソレ鉄カフェ、オンライン鉄学カフェだったりとか。
ページ版でやり取りしたりとか、一回時間でオンラインで集まって、Zoomでお話したりとかね、そういうことは結構やってきたね。
そうね、一回あれだもんね、公開ソレ鉄カフェもやらせてもらったもんね。
っていうのも、楽しいからやるっていうだけよりも、やっぱりどうしたらもっとみんなが喜んでくれるだろうかとか、
みんなで集まることに意味があるだろうかとかっていうことを、自分の中でちょっと、いい加減だけどちょっと実験というか詰めしながら、
みなさんにもお力添えいただけながらやってきたっていう感覚ではあったんだよね。
はいはいはい。
で、その中で、今ちょうどこの12月でいろいろやってた中でなんですけど、
別にテイストのことじゃないんだけど、自分の中で一個ちょっと覚悟というか、前に進んだかなと思うのが、
これまで趣味でこのソレ鉄カフェとかソレ鉄ラジオやってきてるじゃないですか。
これを自分の中で一個個人事業みたいな感じでして、
別に事業って言ってもめちゃめちゃバイタリズするぞとかビジネスにするぞとかではないんだけれども、
自分の一個の在り方の一つとして、このソレ鉄ラジオに向き合うぞっていうのを決めたんですよ。
で、ちょうどこの回が出てるのは27日だと思うんですけれども、
昨日ですね、26日に個人事業登録の手続きをしまして。
多分してると思う。今それ撮ってる間はまだしてないんですけど、
26日っていうのも自分の中でとか、僕時々占いの話をするじゃないですか。
占いで会社の設立意味を決めるとかって結構あったりするんだよね。
まあ全然あるんじゃない。
そうそう。で、一番これがいいんじゃないかっていうところを弾き出すときに、
26日の14時ぐらいがいいよみたいなのが出てきたから。
時間まで出る。
時間まで出てくるから、そのときにいいやってやってるはずなんですよ。
で、まず自分自身がまさに両方の寮なんだけど、
やっぱり個人で普通に生きてる観音ハヤトさんもいるし、ミライフっていう会社で働いてる観音さんもいるし、
それですラジオっていうものをちゃんと自分の生業にしていこうとしている観音さんもいるしみたいな。
寮っていうか3つぐらいになっちゃったんだけど、もちろん父親としての観音さんもいるからいっぱいいるんだけど、
そういうものをトータルに大事にできる自分になろうっていうふうに決めたんだよね。
個人事業の決意
っていうのがちょっと今年、ある種12月に起きたことというか起こしたことっていうような感じなんですよ。
確かにね、結構ちゃんと多分今年の夏ぐらいには割ともうそういうふうにしたいみたいな感じの話はしてた気がするんだけど、
なんかあったの?やっぱりその35歳説。
35歳説もあるんだけど、なんか自分の中で一個あったのは、なんかいろんなものを結構手放せた、実は今年の上半期でもあったんだよね。
手放したっていうのは、やっぱ結構その、実は仕事で結構苦しいことがあったりとか、なんかうまくいかないことがいろいろ立て続けに起きて、
割と自信なくしてたんですよね、今年の春ぐらい。
へー、そうなんだ。
そうそう。で、もうなんか俺なんか所詮はウジ虫なんだなって思ってたんだけど。
そういう話をそれ手伝うでしないよ。みんなに相談しないよ。
相談されても困るじゃない。
ホストがね、いきなりね。
そうそう、俺なんてウジ虫でとか言われても、なんかオロオロするじゃんって。
そういうのがあった時に、でもなんかその、やっぱりいろいろ考えるわけですよ。なんで自分はウジ虫じゃダメなんだろうかとか。
それこそね、その今年、もう一個その、オープン会で言ってたんだけど、ホワイトヘッドを勉強したいっていうのを今年の頭にお伝えしてて。
で、まさにこの1年でホワイトヘッドを、その家庭と実際っていう本を読み終えて、その手伝う先生と一緒に深めるってことができたんだよね。
大会さ、教授とずっとやってるっていう話してたもんね。
そうそうそうそう。で、勉強会とか読書会やってたんだけど、やっぱりそれで学びを深めてた時に、やっぱりこう、まさにこの善悪みたいなものとか、やっぱりウジ虫はダメで、
なんか、で、こういう蝶々は良いみたいなものがあった時に、掃除の会でもずっとお伝えしてたけど、やっぱそれって僕らが、ある種人間が決めた判断でしかないし、
で、それってその違いって本来ないよねみたいな感覚が、そこに自分の中に馴染んできたんだよね。
あー、なるほど。だから今の話聞くと、早田がやたらの幅っていう概念があったじゃん。
ミヤリタニーさんの小説の暗誌の中で言うと、幅っていうのに早田がすごいしっくりっていうかさ、なんか、きてた感じがしてたんだけど、
なんか今の話聞くとなんか、こう腑に落ちるというか納得な感じするね。
そうだね、やっぱ自分の中でそこに対する気づきとか馴染みがあって、やっぱ、とはいえなんかやっぱ自分ってすごくなんていうのかな、
虚栄心っていうか、なんか自分はもっとできるはずだみたいなさ。なんか、何だったらもう全人類を救えるはずだみたいな。
救えないのは自分の力が足りないからだみたいな、そういうふうな感覚がどこかにまだ残ってたんだよね。そんなの絶対無理なのに。
えー、まあそれが前半まで残ってたって話だね。
そうそう、残ってた。うん。
なくなったと思ったら残ってる自分に気づいて。
で、なんかそれ気づいた時に、いや違うよねと、やっぱもうさすがにそろそろそういうのを洗い流していいんじゃないかみたいなこととか、
仮にうじ虫だとして別にうじ虫ではないかもしれないけど、それでいいじゃないかと、それを自分でできることを十分にやれればそれでハッピーじゃないみたいな、
結構そっちにポンとちゃんと腹に落ちたんだよね。
あーちゃんと落ちたんだ、へー。
そうそうそう。
なんか今回さ、一応そのハヤトの今後というか今考えてることをちょっと聞きたいんだけど、今のその話もうちょっと放っていい?
全然いいよ。気になるのであればぜひお願いします。
結構本当に落ちた?それっていうところがまず。
はいはいはい。
本当に落ちたことがあれば、なんかそのきっかけが前半の苦しさだったのか、
なんかにしては結構大丈夫そうな雰囲気というか、分かんなかったから、
本当にインタビューションでの挫折的な、そこを踏まえて、ある意味そこのそこまで自分が落ちた上で腹に落ちたのか、
それとも、うわすげえつらい、ある程度コントロールできる中で、今回ホワイトヘッドだったりとか色々、
ハヤトはそっちでも勉強してると思うから、その辺がなんかどっかでガチッとはまる瞬間があって腹に落ちたみたいな、結構さ、
実際ハヤトが今それを100%腹に落ちたかは、まずハヤト自身も分かんないかもしれないんだけど、
結構それって貴重な瞬間というか、すごい瞬間だと思うんだよ、個人的にはね。
だからどういう感じで落ちたのかとか考えたのかというか、なんかそういうのも見てみたいなみたいな。
そういうことをね。それでいくとやっぱりさ、人間そんな1個だけの出来事で変わるって基本ないと思ってるのよね。
以前もさ、なんかのときに習慣×強度みたいな、習慣だっけ、なんかのときちょっと忘れちゃったんだけれども、
なんかそういうインパクトと回数みたいな掛け算で、人の受ける感覚って違うよねとかって話をした記憶があるんだけれども、
そういうときに、よほど人生観が変わるとか生き死に関わるとかであれば、1回で変わる可能性もあるけど、やっぱりそこまでなんてもちろんないんだよね。
ないんだけれども、やっぱり僕の中では子どもが生まれたからこの6年7年ぐらいかけて、
変わってきた集大成が今年だったという感覚があって。
それは時々言ったかな、それこそコロナのときに子どもがまだちっちゃくて、結構奥さんも低職者って大変だったときに、
本当に自分の生きている苦しさとか、本当に生きるだけで日々精一杯なんでこんなに苦しんだみたいな感覚があった?
ところから転職をしたりとかね、今こうやってそれずつラジオを始めたりとかしてきて、いろんな人と触れ合ったり勉強会とかでも参加していく中で少しずつ、
なんか自分ってこれまでの自分と違うのかもとかってことを少しずつ感じたんだよね。
自分ってどこまで行っても朝まで理解されてた分本当には腹に落ちないっていうタイプの人間で、
なので救いを求めて哲学をやり座ら、心理がないどうしようどうしようとかってやってたのがこの3年ぐらいなわけですよ。
ここでやっぱりやっとこれは自由に馴染むかもって思ったのが、やっぱりホワイトヘッドだったり、
時々お伝えする山内督隆さんっていう日本の意味の救い哲学っていうことを書いた人だったり、
やっぱり直近やった掃除だったんだよね。
っていう人たちの考えをインプットしつつ、そのことして前半にあった仕事の辛さとか、
本当に自分は何もできないんじゃないかみたいな気づきだったときに、
それまでを倒退で作らすときに、そもそも何かをできるってなんだみたいな。
それで別に自分の価値って変わらないよねというか、
もうちょっと自分の根本の価値って違うところにあるんじゃないかっていうことに、ちゃんと目が向いたんだよね。
はいはい。
だからあれなのかな。
さっきのさ、例えば世界を救えないのは自分の努力とか能力が足りないからだ。
すごい話だったよね。
はいはい、そうね。
ゲームとしての人生観
だから面白いのが多分、そこに至らない。
そうやってもうスーパーマンの世界じゃん。
そうだね、本当にヒーローの世界だよね。
そこに至らない自分がウジ虫だみたいなさ、なんかめっちゃ極端じゃん。
だから学校のテストで言うとさ、100点取らないとダメで、99点だとクソだみたいなさ。
感じに近いのかな、それは。
近いと思う。
やっぱこれ、ずっと思ってるだけやっぱり自分で正解探しで生きてきた感覚がすごく強いんだよね。
それの前ほら、小中学校くらいからその感覚持ってたって言って。
言ってた、うんうん。
一応学校の勉強的にはさ、トップじゃん。トップというかトップレベルの。
大学受験とかいう意味ではね。
意味ではじゃん。
どうなの?そこはバッチリハマっただけで、別の部分ではそういう、それでも別の部分でも100点みたいなものを追い求めちゃってたみたいな。
いくつかあって、100点を追うっていう話と正解を探すっていう話は、実はテストの文脈でも結構違うと思ってるのよ。
違うんだ。
つまり受験とかってさ、今受験シリーズの方とかもいると思うんだけれども、あれって100点を取るゲームじゃないじゃない?合格点を取るゲームじゃん。
まあそうね。
で、あった時に僕は大学受験の時に平均点を取るぞって思って勉強したのね。
平均っていうのは合格者の平均ってこと?
合格者の平均点、そうそう。
はいはいはい。
そのために、例えばそれが仮に500点中380点だとすると、その380点を取るために各協会どう割り振るかとかって考えたのね。
そこはゲームとして。
そのケースにおいては、100点を取りたいってよりは合格したいって急に合わせているんだけど、それもやっぱり一個の正解じゃん。
その平均点を取れれば少なくとも多少それが前後しても落ちることはないっていう。
そういうゲームの中で生きてたんだよね。
それが世界を、そこまでやれば世界を救えるはずみたいな感覚。
自分の中でね。
そこで自分で生きてたって話だね。
社会貢献への意識
これが受験っていうゲームならいいんだけど、
例えば世界を仮に、世界に何か貢献するっていうゲームをやった瞬間に、
それこそ難民がいます。日本でもご飯を食べない子どもたちがいます。就職できない人たちがいますとかって時に、
全部もちろんできないじゃない。一人では。
一人ではできないんだけど、なんかそれがもっとできることがあるんじゃないかとか、
そういう、やっぱりこう、例えば寄付とかも今してるんだけれども、
自分がこうやって美味しいご飯を食べてるのに、世の中にご飯を食べない子どもがいるとかって、
自分の罪みたいに思う瞬間があるのよ。
もうそれは個性だね。なるほど。
そうそうそう。それは何だろうな。
偽善って思う方もいらっしゃるかもしれないけれども、でも湧いてくるからしょうがないみたいな。
献血とかもそうなんだけど、献血は自分が好きだからいくんだけど、
なんか血余って別に減っても困らないのに減ってない人がいるっていう不公平だみたいな。
じゃあ自分の血をあげようみたいなさ。
わりとそこってロジックがないんじゃないんだよね。
はいはいはいはい。
だった時に、例えば献血って4ヶ月に1回とかして3ヶ月とかにできないんだけど、
なんかでも、もっと2ヶ月に1回できたらいいんとか思ったりするわけ。
っていう風な形で、なんかもっとできるはずとか、できないっていうことは何か自分に足りないんじゃないかって、
なんか常に小声で囁いてきてたんだよね。
哲学的な考察
はい、なるほどなるほど。
ごめんちょっとテストとかの話がずれちゃったと思うんだけど、やっぱりそういうどういうゲームに変わってるかっていう時に、
やっぱりそういうことを考えてしまいます。
時々言うけど、どうすればやっぱり幸せに生きられるのかとかさ、
仮にそのゲームになった時に、僕はどこかに幸せになるための方法論とか、
答えがあって、人間を見つけるゲームだっていう風に思っちゃってたんだよね。
なるほど。平均点みたいなものを見つけるゲームというかね。
そうそうそうそう。
それは自分が知らないだけど、どっかにあるはずだと。
それを探しに行くっていうことが、幸せになるゲームの正しいアクションだと思ってたわけよ。
へー、はいはいはい。
でもやっぱりこの6年ぐらいとか3年ぐらいとか、まさにこの1年とかっていろんなサイクルの中で、
もしかしてこの幸せになるゲームってそういうものじゃないかも、そういうルールじゃないかもっていうことにやっと気づいたわけよね。
つまりどっかに答えがあるんじゃなくて、それはつまりどっかに真理があるんじゃなくて、
むしろ真理っていうのはその瞬間瞬間に生み出されていくものだと。
これホワイトヘッドの考え方だし、そもそも真理って言った瞬間に、
いわゆる真理じゃないものが生まれてしまうと世界が分かれてしまう。
これは万物正道ではないよねっていう意味で掃除の世界観と違うっていう考え方で、
もしかして掃除とかホワイトヘッドの考え方からすると、
この幸せを掴むゲームって、もっとダイナミックなものかもみたいなこととか。
世界の方に答えがあるんじゃなくて、本当に自分の側からしか出てこないものかもっていうことが、
ちゃんと腹落ちしたし頭でも理解できてきたんだよね。
なるほどね。幸せの青鳥読んでそうだよねとかっていう話じゃなくて、
自分の足を引っ張ってくる脅迫観念的なものが自分の中にいて、
それを邪魔してくるのをやっと本当に、
外じゃなくて自分だよねっていうのを自分で納得できたみたいな感覚。
そうそうそう、そういうことだし、幸せの青鳥読んでも、
ここにあるんじゃんって結論、あれで探しに行きたくなくて、家にあったみたいな話だよね。
はいはいはいはい。
元々。その時に、やっぱりそこにいるっていう、やっぱり明確にあるものを探すっていう、
やっぱり物にしか受け取れないわけよ、自分の感覚だと。
なるほどね。
元々ここにありました、ではなく、見えないのはあなたのせいなので、見えるようなあなたになってくださいっていうメッセージしか受け取れないわけよ。
なるほどなるほど、自分のスキル不足ですよねって。
そうそうそうそう。
ちゃんとある、近くにあるんだから、近くだったりとか、
いわゆる外国に旅した方がいいみたいな、自分探しのために旅に出るのってどうなのっていう話があった時に、
そんなことじゃなくても内側にあるでしょみたいなのも、
はやとから言わせるとどっちもどっちなわけだ。
そう、うん。探しに行って見つからないってことは自分のスキルが散りませんよね、目が曇ってますよね、みたいな感じになっちゃう。
ていう感じで、はやとは外にあるのかも、旅に行ったらあるのかもしれないし、自分の中を見つめたらあるのかもしれないしっていう。
そうそうそうそう。
ただそれがどこかにあるのはわかって、てかどこかにあるはずで、
それがただどこにも見つからないのは自分のせいだって思ってた。
そうそうそう。だから瞑想とかよくするときに、瞑想しても見つからない。
どこかにあるはずなのに自分はそれに足りない。だからもっと瞑想をしなければ、みたいなこととか、
もっと正しいやり方を探さなければって言って、
それこそ瞑想実践集みたいな、80個くらい瞑想のやり方が書いてある本を読んで、
その中で自分に合うのはこれかもしれない、あるかもしれないとかっていうのを探してやってみて、
違うかも、合ってるかもとかっていうことをやってるわけよね。
はー、なるほどなるほど。
どう?
ちょっと見えてきた。
見えてきた?
ちゃんのはやとという人間のカルマがちょっと見えてきた?
うん、カルマと切実さだよね。なるほど。
わー、はいはいはい。
どう?
ごめんね、だいぶはやとのカルマが少し抜けた感じがしますっていう話にめっちゃ時間使っちゃったんだけど、
でもすごいさ、本当はたぶんそういうカフェとか、フォーラムとか、
一人一人そういうのがあるはずで、みたいなことを考えるとね。
でもあれで10分、20分か、話すと見えてくるみたいなとこはちょっと面白いかなと思ったな。
そうだね、でも先の兄貴から見ててさ、もちろん生まれた時から知っているけど知らないことも多いだろうし、
この3年4年くらいずつラジオを一緒にやってもらって、
なんかね、はやとってこんなこと考えてるんだとかって見てきてると思うんだけど、
今みたいな話聞いてどう感じるの?
あのね、たぶん、これはちょっと手前ミソというかさ、
それとしてラジオを上げちゃうみたいなあれなんだけど、
たぶん3年前に同じ話聞いても、やっぱり哲学しろとかね、
いくらはやとの話を聞いても、やっぱり理解できないんだなって思った。
そういうことね、うんうんうん。
だから、はやとがもうそれずつラジオを始めてた当初から言ってた、
話が合う人がいないというか、
はいはい、伝わらないっていうね。
対話する人がいない問題の大変さ、
時間がないとかさ、
哲学に興味がないとか、
以前の話で、話が通じてない感覚。
あーそうね。
それわかるとかって言われても、いやそれは違うって言われても、
はやとからするとどっちも一緒。
旅に出て自分を探すのも内面に実は自分があるのだ、みたいな話。
それってこっちの方がいいよ、あっちの方がいいよってアドバイスしてくれたりとか、
本当にそっちの方がいいと思ってる人がいたとして、
はやとにとってはどっちも同じに見えるから、
もっとちゃんとはどこにあってもいいから、
それを探せる自分になることを教えてよ、みたいな話になったときに、
はやとからすると、お互いちょっと話が噛み合わない感覚になっちゃう切なさがあったのかなと思う。
それはあるかもね。
ここまでいろんな哲学の話を共有してるから、
言語化したときのイメージ共有が前よりも明確になって、解像度が上がってんだろうなって思う。
確かにそれはあるかもね。
僕も喋らせてもらうことで、自分のことをより伝えやすくなってると思うんだけど、
それでもこの抽象度でしか今日喋れなかったなって思いもあって。
そうじ方のポイント減ってましたね。
その土台があるからそれを伝えられるけど、土台とか共通言語になり得ないじゃん、基本的には。
そうじもホワイトヘッドも。
なんないね。
なんないから、そもそも世界というものは、みたいな話から始めだすと、
もうやっぱ無理じゃない?それってコミュニケーションとして。
無理だよね。とんでもないね。
っていうことが確かに、僕がずっと抱えてたもどかしさだったりとか、
なんかうまく詰め合わない、伝わらないみたいな感じなんだろうなっていうことを改めて今兄貴に言われて思ったし、
逆にそういうことを経た今自分が、やっぱりカルマを少し抜け始めたというか、
兄貴言ってくれた通り、今100腹落ちしてるかってもちろんわかんないんだけれども、
そういう人も今人生史上一番、なんか自分は自分でいいやって覚えてるんだよね、今自分の中で。
やっぱり何者かにならればならぬとか、もっとこういう風にすればならぬみたいな、やっぱりそういうものがずっとあったから、
そこから少し解放された感じがあって。っていうのが今、今年だったって感じかな。
はいはいはい。なるほどなるほど。
だいぶ自分語りしちゃった。なんか大丈夫かな、これ。
これ何の回だったんけってなっちゃって。
まあまあまあ。でも大事なとこで、その辺ないと多分、
こう思ったとかさ、こういう風にしたいんだみたいなとこが伝わんないから、一番大事なとこだからちょっとごめん、個人的にそう思ってる感じ。
はいはいはい。
自己の探求
よし、今言ったように、やっぱり自分、もう少し彼らから解き放たれた自分になったときに、
じゃあ本当に自分が一番時間をかけたい活動って何だろうとか、
じゃあ今自分が本当に熱意を持って、これのためなら人生かけれるって思うことって何だろうっていうのを、
まさになったぐらいに結構考えたのよ。
なるほど、受けた状態でもう一回考え直したんだ、その辺は。
そうそうそう。でもこれまでは、やっぱり何か足りない、もっと地球を見上げなきゃとか、
世界にこんだけ困っている人がいる、だから助けるような自分としてはまだまだ足りないとかっていうのを持ってて、そっちにばっかり目が向いてたんだけど、
そうじゃなくて、今じゃこの自分がやりたいこととか、本当にそのために時間をかけたいことって何だろうっていうのを、
それこそ奥さんとかもちょっと時間もらって、5時間ぐらいかな、カフェに泊まって、
そこそこチャットGPとか壁打ちながら、自分何を考えてるんだろうってバーンってやってたのよね。
はいはいはいはい。
そう、その時にやっぱり自分は、なんていうのかな、誰も彼も救うことは無理ですねと。
やっぱり救うみたいなとこはあるんだ。
それっていうかなんていうのかな、これも時々言うんだけど、やっぱ僕ってどうしても人生観がネガティブなのよ。
はいはいはい。
この前会社の人で面白い人がいて、自分は悟りを開きたいんですっていう風に入ってきた人がいるのね、会社に。
えー面白いね。
めちゃめちゃ面白くて、そうそうそう。
話した時に、なんか見てる世界近いけど根本が違うなっていう感覚があったの、お互いに。
ほうほうほう。
この前そういう話をした時に、実はその相手の方が自分ポジティブなんですと。
ふんふんふん。
つまり、生きてる中で絶対に自分は幸せになると思っているし、
自分以外の人も含めて、ある種生きてる中で辛いことももちろんあるんだけれども、最終幸せになれるはずだっていう風に思って生きてるって言ってたのね。
はいはいはいはい。
僕は逆というか、人間そのままでいると基本不幸になっていくと。
なぜなら生きてること自体が不幸だからだって根本の感覚があるのね。
はい。
そういうのがあった時に、だから努力しなきゃいけないとか、だから耐えなきゃいけないっていう、そういう脅迫観念が根本的にあるのよ。
はいはいはいはい。
なので、救いたいっていうよりは、人生不幸ですよねと。
でもせっかく生きて生まれてるんだったら、この人生は不幸だった、生まれてこなきゃよかった、やめときゃよかったっていう風にして死んでいくよりは、
いろいろあったけど結構頑張って、それなりにいい人生だったなって思ってほしいじゃないですか。
自分も周りの人も含めてってことね。
そうそう、自分も周りも含めてそう。
なので、もしそういう風に思ってる人がいる、要は人生苦しいとか、生きてることって結局不幸な上に何とかやり過ごしてるだけだよねっていう人がいるとしたら、
この人たちと一緒に頑張って生きていきたいなっていう風に思ったの。
あー、なるほど。
だから全員が自分と同じとはもちろん思っていなくて、とはいえ一定層、似たようなやついるよねっていう話ね。
絶対に自分一人だけがそう思ってるってことはないはずだから。
はいはいはい。
この何十億人っている世界において、それが50人なのか100人なのか1万人なのかわかんないけれども、
もしそういう人がいたとしたときに、やっぱりそれって一人だと苦しいし、やっぱり歩軍奮闘するってなったときに、
そういう人が集まって、まさに哲学を軸にしながら一緒に語り合うとか自分の価値観を変えていくとか、
あるいは人生やっぱり苦しいかもしれないけど、こういうことを考えるとちょっと明日が楽しくなるかもねみたいな。
そういうことへの貢献みたいなことはできるんじゃないかって思ったし、やっぱりやりたいなって思ったのよ。
よくあるんだけどね。
よくあるのは、本職の方でやっぱりキャリア相談とかしていても、過去の自分を救いたいみたいなこととか、
もし自分がつらかったときにこういう場所があったらすごく良かったと思うものを形にしたいっていう願いとかってよく時々あるんだよね。
まあまああると思う。
それのある自分のバージョンがまさにそういう生まれた瞬間に、これ前も言ったかな。
ふびきりサイクルっていう西尾維新さんの本があって、嘘つきシリーズかな。誰ごとシリーズか。
っていう中で、主人公の男の子とペアの女の子がいるんだけど、今でも覚えてるの。
多分中学生くらいの時に読んだんだけど、その女の子が天才すぎてやばいんだけど、生まれ落ちたその瞬間に間違ったって思ったってセリフがあるんだよね。
つまり自分が天才すぎてこの世界のことがもう分かりすぎちゃうから、生まれる世界とかあれ間違えたって思ったんだって言葉があって。
それは僕はそこまで天才じゃないから思わないんだけど、なんかわかるって思っちゃったんだよね。
なるほどね。そんな感覚あるんだね。生まれた世界との何かしっくりこない感じね、自分と。
そう、それは常にあった。歩いてるだけでムズムズするみたいなとか、ザラザラしてて世界が。前も言った気がするんだけど、歩くだけでとか生きてるだけで擦り減ってる感覚とかあって。
言ってたよね、足元が崩れていくかもしれないっていう恐怖と戦っていたみたいなさ。
23歳くらいの東京で暮らしたわけなんですけど。
思ったより年いってるじゃんって話してたよね。
そうなんだよね、全然最近だったわけあるんだけど、そういう人ってどっかにいると思ってるのよ。
この時代はこうやってポッドキャストでお届けしてる中で、やっぱりそういう人に届くかもしれないとか、
そういう人が仮に集まった時に一瞬できることがあるかもしれないとか、そういうことを思ったりするんだよね。
それって別に年齢とか関係ないと思ってて、10歳で思ってる人もいれば別に60歳70歳とか、もしかしたら80歳で感じる方もいらっしゃるかもしれないしっていう時に、
そういういろんな人が集まれるのが哲学っていうテーブルだと思ってるんだよね。
哲学活動の形成
例えばスポーツだったら健康かとか元気かどうかとか変わったりするけど、哲学ってやっぱり自分の考えをそこに乗せて一緒にそれを扱ってみましょう、流れてみましょうっていうふうな営みだと思っているから、
別に自分は関東に詳しくいれば関東のことから話してもいいし、哲学なんて全然知らないんだけどこう思いますって話しても全然いいし、
そういうことができればって、この世の中に来たらいいんじゃないっていうふうに、すごい自然に思ったんだよね。
はいはいはい。だし、ネットが知る限りないしってことね。
ないと思う。あるのかもしれないけど自分は出会えなかったっていうことは、聞かれてるんだよね。もしかしたらあったとしても。
なのでもうちょっとオープンにやりたいっていう感じかな。
っていうのは夏ぐらいに思って、自分の本格的にやろうっていうときに、何がそれの形になるかなと思って、
これが一つがあるし、自分のちゃんと事業として、野望として登録をして、世の中にこういう活動をしてる人がいるんだとか、
そういう存在があるんだっていうことを生み出すっていうことが、一個自分の中でステップになるのかなと思ったんだよね。
あー、なるほど。今まで別にその辺意識せずか、やりたいラジオをやってたみたいな感じのところから、
ちょっと一個ちゃんと旗立てるか。
まさにそういう感じ。看板作りましょうって感じだね、本当に。
なるほどなるほど。
そういう感覚だと伝わるかしら?なんでそんなことをしたのか。
うんうんうんうん。やー伝わる。だいぶわかった気がするというか。
自分の場合はね、前も雑談会とかでね、ハエとの幸せとは何かみたいなね、息切りしたみたいな話した回もあったから、何回か。
そうだねそうだね。
よりというか、その解像度が上がったなっていう感覚なんだけれども。
でもその場ではね、今ソウル鉄フォーラムとかやってるけれども、そこをちゃんとやっていきたいっていう話か。
そうだね。ちゃんとって何かっていう話もできればしたいんだけれども、
そんなことを考えたときに、今ってソウル鉄キフェっていうので、月に1回集まってお会いで話すっていうのはメインでやっていって、
掲示板でやってるりするっていうところ、それぐらいしか今できてないんですよね。
それでいいなと思っているんだけれども、もっとそこから深められることってあるよなと思ってて。
はいはい。さっきのハエとの覚悟というか、もっとこっちに集中というか、やっていこうと考えたときに、いろいろやりたいことがあるよねっていう話だよね。
そうそうそうそう。自分のパワーのかけ方もそうだし、参加してくださってる方にとっても、やっぱりもっとやりたいことがあるのにみたいなことってあると思ってて、
っていうのは多分自分の経験からなんだけれども、やっぱりいろんな人と話して自分をちょっと相対化していくと、
内面との対話
今度は逆に、じゃあ結局自分ってなんだけど、やっぱりもう一回自分とか内側に目を向けたくなるなっていう感覚があるのね。
はいはいはいはい。
それは多分自分自身がそうだったんだけれども、やっぱりこう、一回ほぐれた自分として、じゃあ本当に自分がやりたいことってなんだろうとか、自分が向き合いたいテーマってなんだろうとかって考えますと。
はいはいはい。
で、そこで深く考えた時に、あ、これだったかもしれないって言って、やっぱり何かこう、また世界に戻ってくるというか、行動するっていうフェーズがあった時に、
自分の前はそれが、そういう自分なりの個人事業を作るっていうことに繋がったんだけど、
あーはいはいはいはい。
何かを表現するみたいなことが起きると思ってるよね。
うんうんうんうん。
っていう時に、なんか自分の中ではそういうちょっと3つのプロセスというかステップを考えてて、まずはこのソイテッド公演っていう場でみんなで交流しますみたいな。
で、自分のことを伝えた時にはこんな風に受け取られるんだとか、こんなことを考えてる人がいるんだって知ることで、ちょっと自分を柔らかくするみたいな。
あとあれだよね、そもそも今回も言ってたけどさ、交流する人いないよねっていう問題があるわけでしょ、タイプの人には。
そうね、どうしても自分の中に来た殻にどうしてもこもりがちになってしまうから、殻を破れないから、そういう機会を作りましょうみたいな感じ?
なんか自分と似たような人がいるんだなーとか、こいつ自分よりこじらせてんぞみたいな、そういう場ってことね。
そう、ちゃんと基準をね、見るようにしましょうってやつだね。
でもそれは今やってるソイテッド公演っていう場なんだけど、ちょっと場所のメタファーみたいなのが自分の中でしっくりきてて。
はいはいはい。
そういうふうにいろいろ交流すると、さっき言ったみたいに、また一人になりたくなりますと。もう一回ね。
まあ、それを踏まえて、自分ってこんなだったなーとかね、いろいろ考えるって話だよね。
だからちょっと殻が破れてきたときに、この殻をもうちょっと破ってみたいとか、破った世界で自分をもう少し見つめ直したいっていうときに、
なんか僕の中でやっぱり水のイメージがあって、今日は池とかにさ、自分の顔が映りますとかっていうときに、やっぱなんかそこでこう、ある種、本当自分の内面と対話するみたいなさ。
池って静かな空間で、でもその奥にはすごく深い何かがあるみたいな、内面に向き合うみたいな、ちょっとそういうイメージがあるんだけど、
そういう外見みたいなのがあったときに、ここでより自分と向き合います。
例えばそれをじゃあ僕とワン・ツー・ワンで別にやってもいいだろうし、あるいはそういう自分と向き合わない人が自分のテーマを持ってきてもらって、
例えば今どうしてもこのヘーゲルのこの言葉が気になるから、この言葉について語らせてくださいみたいな場があったときに、それをじゃあみんなで語ってみるとかっていうのがあってもいいだろうし。
自己探求とコミュニティの重要性
私今のは哲学の学問的な話っぽかったけど、今自分こういうこと考えてるんでっていう、哲学関係なくてもいいんだよね。
いい。いいんだけど違うのよ。なんでそういうのかっていうと、この言葉が気になるって絶対その人に引っかかってるからなはずなんだよね。
なるほどなるほど。個人的なちゃんと経験になった話ね。
そうそうそういうこと。だからこれは理解できませんじゃなくって、どうしてもこの言葉がなんか自分と大事な気がするんだけどうまくつかめませんみたいな。
別にヘーゲル、もちろんヘーゲルでもいいけど、さっきの僕みたいに西尾維新さんの主人公のこの言葉がどうしても気になってるとかってもちろんいいと思うんだけど、
もちろん言葉だけじゃなくて別に写真でも絵でも本当になんでもいいんだけど、そういうものを持ってきてもらってここに向け合うみたいな。
自分にとって本当に大事なものってなんだろうっていうことをより探求していくみたいな場所が、例えば池みたいなものがあったとしますよね。
なるほど。いいね。昔鏡とかちゃんと作られるまでは自分の姿って水で確認してたはずだから、なんかいいね。
そうそうそう。そういう感じのイメージもあって。そっから次じゃあそれでもし自分のテーマがこれだって気づきましたと。
僕だったら哲学でやっぱりもっとそういう人生不幸感みたいな人にもっと届けたいんだとかって思ったときに、
今度はそれをどういうふうに世の中にもう一回投げ返しますかっていうフェーズになると思ってて、そのイメージは僕の中では割と草原なんだよね。
ほいほいほい。
本当に綺麗な芝生がばーって広がってて、空がめちゃめちゃ見えてて、ある種遮りものない空間がめっちゃ広がってますみたいな。
そういう草原なんだけど、そこには遮りものが何もないからいろんなことができるのそうだし、
もちろん他の人もいるので、何か自分があったことに対してそれにリアクションを返してくれたりとかあるんだけど、
その公園と違うのは、公園とはいえなんだかんだ遊具があるとか、遊びに来てるみたいな感じがあるから、
なんかその交流自体が目的なんだけど、草原は別に交流してもいいししなくてもいいみたいな。
自由度が高いような感覚。
いなかったようなことを、そこでご飯食べてる人もいれば、ペニックシートを着てる人もいるしみたいな。
バトメントをしてる人もいれば、読書をしてる人もいてみたいな。
本当に自分がやりたいことをやっているみたいな。
そういうふうな場として、公園から池、池から草原へみたいな。
そういうふうな3ステップみたいなことをやれるんじゃないか。
そういうことをやってみたいなって、今僕の頭の中にイメージしてるんだよね。
ほうほう、なるほどなるほど。
草原のメタファー
だから今まではそうでもね、公園でもね、いいところをやってたけれども、
あやとの中でちょっと世界が広がったって話だね、そこまで。池から草原へっていう話で。
そうなんです。
ちょっと別の場所も増えたときに、できることも増えそうだというか。
逆か、できることが増えたなと思うときに場所も広がっていたり、そういうイメージかな。
たぶんそういうの求めてるというか、そういうのあったほうがいい人、自分も含めているはずだよねっていうところだね。
いるはずだし、それはできたらめっちゃ面白くないって単純に思っている。
そういう人生不幸だ、それでもなんとか生きていくんだっていう人が集まって、
交換してもらったり、逆に全然違う考えがあったりする中で、
結局、自分の人生の何を大事に生きていくんだろうかってことが見えてきて、
自分はこれを大事にしてる、いやいや俺はこっちだみたいなことを言いながら、
別に否定するでもなく、そういう世界が豊かになっていくみたいな。
そういう細工ができた時に、僕はその世界だったらもうちょっと楽しく生きれそうだなって思うんだよね、僕自身が。
生きることに絶望せずに、ちゃんとみんなで生きていくんじゃいみたいな風に思えそうだな。
そういうある種セーフティネットを自分で作るみたいな覚悟もあるんだけど。
はいはい。
でもそれについては、
ハヤトのホームページ作ってたと思うけど、
その一番上のキャッチコピーじゃないけどさ、あれ今思い浮かんだな。なんだっけ?
ホームページ作ったんですけど、
言葉をやってるのが、借り物ではない言葉で人生の意味を紡ぎ出すって今書いてあるんですよね。
そう。借り物ではない言葉で人生の意味を紡ぎ出すってやつだね。
はいはいはい。だから面白いよね。借り物ではない言葉でって個人的にもすごい好きだなって思う。
言ってくれてるよね。
自分の場合は、そこが共感が高いのが、
自分の言葉、自分の感覚みたいなものが、いかに人によっては難しいかというか、
自分は難しかったし、それを無自覚でやったから、
借り物の言葉とか、借り物の感覚で無意識に生きてきたなーみたいなことがあるから、
そこはすごいリスペクトがあるんだけど、自分の言葉とか自分の感性で生きてる人に対してね。
はいはい。
今、早藤が言った、公園があって、池で自分がこうだ、草原で、
そうやって自由に振る舞っていくっていうのが、
それがやっぱり借り物の、誰かに影響を受けていいんだけど、
影響されただけの何かを、インプットしたものをただ右から左へアウトプットさせられてるじゃなくて、
借り物の言葉じゃなくて、自分の言葉だったりとか自分の感性で生きてる状態、
みたいなものが草原なのかなーみたいな風に勝手に想像すると、すごい気持ちのいい場所だなーって思ったっていう。
嬉しい。でもほんとそんな感じ。やっぱり僕自身が正解探しとかさ、
手伝って学ぶときに、最初はもう借り物だらけなわけですよ。
そこでこう言っていますとか、人に寄ればって時に、お前はどうなんって言われたら何も出てきませんみたいな。
やっぱりそこにちゃんと気づくっていうのは多分公園みたいな場所で、
そこから行きに行った時に、じゃあ自分の言葉って何だろうとか、
自分って何を本当に言いたいんだろうって、すぐには見つからないんだけれども、
それを多分1年とか2年とかやっていく中でちょっとずつ見えてくるものがはずなんだよね。
まあそうだよね。自分は何が好きで何が嫌いなんだろうみたいな思って。
実はすごく難しいというか、本当に意識してなかったりとか、
さっきの借り物的な話で言うと本当に借り物じゃない。
本当に自分がどう思ってんのって、多分できる人は無意識にやってるんだろうけど、
できない人は無意識にできないから。
そうなんだよね。そうそうそう。
そこは面白いなって思って、そこと勝手に重なわせて面白そうだなって思ってきた。
気づいた時に、僕が草原っていうのが大事だと思ったのが、
やっぱりそれで自分は自分の好きに生きるんだって言う人もいると思って、
それはすごく素敵だと思ってるよね。
そこで、例えば出家し山に曇りますとかさ、
人と関わらずに自分だけの道を突き進めますっていう人もすごいと思うけど、
僕はそれ、やっぱりできないなって思っているのよ。
はいはいはい。
時々言ってると思うけど、やっぱり仏陀すごい。
さっきのストーリーを目指すっていう人もすごいと思うんだけど、
やっぱり自分はそれを信じてなかったから、
なんだかんだ社会で生きていくしかないよねって思ってるのね。
はいはい。そうでもね、一人で山こもったら死ぬからね、普通にね。
そうそう、普通にね。
そういう時に、とはいえ、同じ社会に戻ってくるんだけど、
改めて自分の見出したテーマとか言葉とか価値観というもので、
自分の人生をちゃんと紡いでいくとか、
自分の人生の意味って言葉が僕の中でキーワードなんだけど、
生まれてこなければよかったという、こうな人生というか、
生というものにおいて、そういう根底あるからね、
でも生きていく上でこういう意味があるよねとか、
生きててよかったって思えるようにこういう風に紡ぎ直していけるよねみたいな、
そういうことをやっていきたいっていうのが、
このさっきの高原、池、草原という風な流れとか、
借り物じゃない言葉で、人生の意味を紡ぎ出すっていうことには乗っかってるっていう感じかな。
シームレスなつながり
なるほどね。今回はかえとの体験ベースだと思うんだけど、
実際どうなんだろう。
それといって、今、カフェとかフォーラム参加いただいてる方も多分いろいろ話していただいたりとかすると思うんだけど、
かえとから見た時に、そういう参加してくださってる方々にとっても、
やっぱりそういう風に使ってもらえそうだなみたいな感覚が見えるのかな、かえとからすると。
そうですね。それこそこの前、生徒カフェで実は12月もやらせていただいた時にこの話をしたんですけど、
結構皆さん、共感したり応援したりしてくださったなと思ってて、
そういう意味では、人によってどのくらい刺さるかっていう差はあれども、
こういう場所があるといいよねとか、
実はおっしゃったのが、自分のすごく居場所になってきているっていう風に言ってくださった方がいて、
それですカフェとかこの場自体がね、それはすごく多分そういうことを監視していただいてるのかなと思ったんだよね。
今日早いとか言ってるようなことをね。
そうそうそう、とかその大事さを。
別に今集まってる人が全員、人生不幸だと思ってるとも思ってないし、
単純に哲学への興味とかそういう物事を考えたりするのが好きっていう人は間違いなく来ていただいてるから、
そこがあるとは思うんだけども、
自分が一番自分の行動で意味をお届けできるとか、
価値を考えしてもらえるのが今言ったようなことなんだろうなとは思っている。
だから人によってはもちろん公園でずっと遊び続けたいという人もいるかもしれないし、
いやもう俺は今すぐ草原に行きたいという人もいるかもしれないけど、
そこはそういう人それぞれの感覚を持ちながら、どういう風に関われるかということをむしろこれから考えていきたい。
確かに確かに、意外とシームレスなのかもしれないし。
シームレスシームレス、全然繋がってる。
循環構造と思ってるから。
なるほどね。
やっぱ草原に行って別にそれで終わりじゃなくて、もう一回公園に戻ってきたときに、
なんかあの人面白いこと言ってんなとか、そういう風にこういう人に影響を与えたいとか、
逆にさらに影響を受けて、もう一回行こうみたいな感じで行くみたいなことって、
やっぱ全然あるじゃないですか。やっぱり人生一回で終わりじゃないはずだから、それって。
まあね、私あと今日ハヤトが言ったようにさ、自分がこのカルマから解放されたはずみたいなのとかさ、
自分、前よりもうちょっとわかったかもっていうのって、やっぱ多分ゴールがないっていうのは本当にそこだと思うから。
そうそうそうそう。
例えばね、草原に行ったときに、あれ、自分が池で考えたこととちょっと違うことが起こったぞとか、
意外とここやってみたらちょっと感覚がしやがったから、一回あっち戻ってもう一回考え直そうみたいなのとか、
もっとまたいろんな人と話して、これちょっと壁打ちしてもらおうみたいな、
その循環構造だみたいな話ってことはね。
そうそう、ほんとそう、ほんとそう。
もう行ったら帰ってくんなよみたいなさ、お前らもう戻るなよここにみたいな感じではないっていう。
そう、だからそれは僕のこれまでの自分だったらそうなんだよね。
要はもう全身こそ全てみたいな感じで、一個クリアしたらもうそれはおしまいみたいな感じだから。
はいはいはい。
例えばさ、自分のカルマが解放された、これでも完璧だったときに、もし何か躓いたらやっぱりできてなかったら自分はダメだったんだって、
多分自己否定に走るんだけど、今はそういうもんじゃない。
要は別にそれって何回でも繰り返していいものだし、絶対に全てがわかりきることはないけど、
弟の決意と哲学活動
今この瞬間において自分の人生というものをこういうふうに表現でき得るっていうことは向き合えるはずだから、
そういう価値観がやっぱりその循環構造っていう発想にも生きてるなとは思う。
はいはいはい。あ、面白いね。だからそのトライアンドエラーの最初の位置転がりみたいな話だよね。
そこを転がり始めればみたいな話で、その位置転がりができずに苦しんでる人がどんだけいるかみたいなね。
そうだね。
感じはハヤトとは違う文明からもある気がする。
そう思う。うんうんうん。
だからそういう人がいたときに、仮にいたときに何か届いて、こんな場があるんだとか、
そんなふうに転がっていいんだとか、むしろ転がってる人ばっかり、みんなでんぐり返ししてるけどみたいな。
そうそうそう。
そういうときに自分もちょっとやってみようみたいな。
うん。
こういうふうになるとすごく面白いなって思うよね。
うんうん。なるほどなるほど。あ、ちょっと見えてきた。
うんうんうん。
そうそう。で、ちょっと上がっちゃったね、そろそろなんだけれども、
今は自分の中ではそれ鉄公園、それ鉄外池、それ鉄草原っていうのは3つの場所が見えてはいるんだけど、
だからそれを隠れる言葉が欲しかったんだね、自分の中で。
言葉っていうか、まずは場所。
で、それも一般名詞でプレイフィールドとかなんだろうな、それ鉄パークとかで考えたんだけど、
そういうことじゃなくて、やっぱり自分の活動としてそれをやっていくんだみたいな、
やっぱりさっき言った、いわゆる個人の事業としてやったときの野望みたいな話。
はいはいはいはい。
で、これを振る舞おうと思ったときに、野望をいろいろ考えて、言葉としてルディクレアって言葉にしたんですよ。
あーはいはいはいはい。
で、これ自体はいろんな意味があるんで、
多分概要欄とかにもホームページにいわゆる貼ってると思うんで、
よかったら見ていただければ、こんな意味で作りましょうとかってのがあるんで、
よく見ていただければ嬉しいんですけれども、
自分はそういうルディクレアっていう個人事業主のファンのハヤトとして、
それ鉄公園とかそれ鉄外池とかみたいなものを運営していきたいですみたいな、
はいはいはいはい。
そういうこともこの12月で来てたって感じだったよね。
なるほどなるほど。
まあ確かに、これ鉄公は事業をやってる人とか、そういう活動をやってる人あるあるなんだけど、
って思ったんだけど、
例えばハヤトが今の話を、
そういう鉄今ラジオをやったりとかさ、公園フォーラムをやる中で、
やりたいこと広がるじゃん。
広がる。
そうしたときに、ハヤトさんやってること何ですかってときに、
いやーそれ鉄ラジオやってるんですよ、だと言葉足りないし、
それ鉄ラジオとあとこれとこれとっていうのも違うし、
そういう意味での活動を一つにまとめる言葉って意外と欲しくなるというか、
必要なんだよね確かに。
パッとコミュニケーション取るときにやっぱり座りにくいから、
今実はその名刺とかも作って、この前交換したでもしたんだけど、
ルディクレアの前に鉄学事務所って言葉をつけて、
今名刺には鉄学事務所ルディクレア、財評官のハヤトって書いてるのね。
はいはい、なるほどなるほど。
そうすると何もわかんないけど、とにかく鉄学っぽいことやってる人だってことはわかるじゃん。
鉄学って書いてるから。
そうだね、一つ目の会話が決まるよね。
そうそうご利用して、鉄学お好きなんですか?
相手もさ、やっぱり聞ける、ちゃんと趣旨が渡るじゃんそこに。
ていうか聞けよって言われてるじゃん。
ちょっとね、押しつけがましいんだけど、
でも何もないとやっぱ不安じゃん人間って。
まあまあそうだよね。
特に交流すればなとした時に、そういう時に一応鉄学事務所ってつけてると、
お好きなんですか?とか、何だろうな、なんか興味あるんですか?逆に言ってくれたりするんで。
そこで実はポッドキャストやってて、350回やってるんですけど裏にQRがありましてってひっくり返すとQRが書いてあるみたいな。
で、なんかちょっと相手もホッとするみたいな、コミュニケーション取れたみたいな。
みたいなことを思って、今は鉄学事務所ルディクレアっていう冠をつけて、やっていきたいと思ってますっていう感じなんだよね。
なるほどなるほど。結構話したけど、なるほどね。
多分半分以上というか8割ぐらい経緯みたいなさ、ここにいたら経緯みたいな話とかおっしゃったんだけど。
そうだね。
なるほどね。そういうのがあって、ルディクレアっていうのをふうにくくった上でやっていくっていうふうに、
ハヤトの中で見えてきたって話だね。
そう、それをやることを今年決めれたって感じだね。
なるほどなるほど。
しっくりきたっていう。
そうすると確かに、趣味の鉄学を発信していきますだけでもないし、
仲間が集まるだけでもないというかね。いわゆる事業というかサービスというかさ、
参加してくれる人にとって何を提供するかみたいな話になってくるから、
こっちがやりたいことじゃなくて、何をやってもらいたいかっていうふうになってくると思うから、
そこがでも、確かに今日の話を見ると、
こういう人たちが参加してくれることで、こうなりますよっていうのはちょっと拒ましいというかね。
こういうふうなことができそうですよっていうイメージは確かに湧いたかも。
それは嬉しいな。もちろんまだまだ変わることもあるだろうし、見えないことも多いから。
もちろんこのルディクレア時代も変わっていくんだけど、
僕は結構思ってるのは、人間そんなすぐ変わらないというか、本当の自分の子供なんてすぐ見えないわけじゃないですか。
だから良くも悪くも長くやりたいなってそれも思ったんだよね。
やっぱりスライテッドラジオも今3年やったけど、まだあと5年はスクラッシュマップやりたいなとか、
そうすると今40歳になったら40歳の自分がまたやりたいことが見えてくるだろうなとかっていう感じで、
長くやることにこどれば意味があるなっていうことも思ったね、自分の中で。
はいはい、まあそうだね。
それこそスライテッドラジオで聞いてる話からすると、基本こういうのってゴールないじゃん。
ないない、基本ない。
完璧なゴールを求めてとかじゃないもんね。
そうだね、常にやっぱり遠間構造でずっと循環し続けるし、その時々の自分がどういう世界を生きていくかでしかないから。
ホワイトヘッド的に言うと。
だからそういうゴールがあって正解があってそこに行けば終わりっていうものじゃないっていうことも、やっぱり自分の中で腹落ちしてるっていうのはそういうことなんだよね。
面白いね、確かに確かに。
似たようなことをやろうとしてもセミナーみたいになっちゃうのかもしれないよね、教えますみたいな。
そうだよね、どうしても3ヶ月でここまで教えますって、ここが増えればあなたも免許改善ですみたいなのが多いし、そっちのほうがビジネスとしては絶対成り立つじゃない。
まあ成り立つし、そうだね。
だってわかりやすいじゃん、3ヶ月でこれができますようなのとさ、あんたが自分のことに出会うのは半年後かもしれないし5年後かもしれませんって言われたらさ。
まあなんなら一生できませんって言っちゃってる。
そうそうそう、無理です。探し続けるのですってなるじゃん。
だからやっぱりちょっと修行時間どうしても残っちゃうんだけど、僕の特性上。
やっぱりハヤトの言葉のチョイス怪しいよな。修行って言われるともう参加したくないよ。
確かに。でもね、世の中に修行したいって人はいるからさ。
そうなんだ、じゃあそれはスピンオフでやろうよ、修行セミナーやろうよ。それはそれで。
そうね、ちょっと修行編と遊び編。でも基本的には遊びというか自由度を高めたいと思ってるから。
でもそんなことも含めて、今日めちゃめちゃ色んなこと喋っちゃったんだけれども、まとめるとそういう来年以降。
改めてこのソイレツラジオっていうものを軸にしながら、いろんな公園も池も草原もありますよとか、
フルディクリアっていう自分の作っていきたい世界観が見えたので、
増していきますということをやっていきたいし、よかったらそれまで皆さんもちゃんと楽しんでいただくとか、
よかったら一緒に使わせていただけるような形をどんどん作っていきたいなと思っているので、
よかったらぜひ一緒に楽しんで遊んでほしいですって感じですね。
でもだいぶこの最後の最後の1、2分でやっとイメージが像を結んできたというか、なんかいいね。
ルディクレアの設立
その参加してくれてる方たちと一緒に、はやと主催の苦行合宿のオフ会とか行ってみたいね。
苦行じゃなきゃダメ?
3泊4日の苦行合宿行きますみたいなね。
それだったら内輪っぽくていいよね。
確かにね。
突然のそういうのじゃなくて、お見知った人たちと行きますみたいな。
たしかにね。いきなり参加するのはハードル高いけど。
そういうのは自然発生するような、勝手な自分のイメージだけどね。
そういう自由さもあるんだろうなって思った。
でも本当はリアルとかもやりたいなと思ってたりはする。
みたいなこともあるんで。
これまでよりいろんなアイディアを出して、やってみてうまくいけば続くし、うまくいかなかったらダメだとなるかもしれないけれども、
そういうチャレンジもできる。やっぱり1年間来年はしていきたいなと思って。
次回また来年の豊富化、2026年の豊富化を取ろうと思ってるんですけど。
そこにつながる話として、よかったら今日の話もちょっとイメージを持っていただけると、より聞いていて楽しいというか、
もしかしたら自分もこういうことできるかもって思ってくださる方が1人でも2人でもいると嬉しいなと思っているので、
今後の活動と意欲
ぜひこれからもソウル鉄ラジオでありソウルディクレアというものをご協議。
ご協議っていうのはこういう時何て言うんだろう。
応援よろしくお願いします。
応援というか一緒に関わってもらうから、一緒に楽しんでほしいなという感じですね。
はいはいはい。
そう思っておりますというとこですね。
今回は新しく活動が広がっていくということで、今後とも引き続きよろしくというところで楽しんでいただければと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。