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2025-09-24 45:39

#355 飛び級してヘーゲルと同級生?早熟の天才シェリングの哲学

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

このエピソードでは、シェリングの哲学や、彼がヘーゲルとどのように関わり、フィヒテとの差異について考察がなされます。シェリングの早熟な才能が注目され、彼がドイツ哲学において重要な位置を占めていることが強調されます。ポッドキャストでは、シェリングとヘーゲルの関係や、シェリングの早熟さが彼の哲学に与えた影響について言及されています。また、シェリングの哲学の変遷や、彼が時代の先駆者としてどう評価されているかにも焦点が当てられています。シェリングの自然哲学の考案や、ヘーゲルとの対立を経て自身の哲学を発展させていく様子が語られます。彼の天才性や時代背景、ヘーゲルとの関係性に関しても探求されています。

シェリングとドイツ哲学の流れ
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄のカンナ・キョウスケです。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
さあ、前回の15に続いて、今回からシェリングに入っていくという話でした。
はい。
とりあえずですね、たぶんお兄さんシェリングって全然知らないまま言ってると思うんですけど。
そうだね、そう聞いてるから言ってるだけっていう。
今、大きな流れで言うと、ドイツ三年論みたいな形で言われる哲学を今ちょっと追いかけておりますよと。
ドイツか。
そうなんですよ、実は。
そうだったんだ。
あんまり言ってなかったかもね。
関東の前で言うと、大陸合理論っていうデカルト的なやつがあって、
イギリス経験論っていうロックとかね、そういったやつがあって、それを統合しましたとかって言ってたと思うんですよ。
関東がそれを統合したんだよね。
そうですそうです、関東が。
で、関東からヘーゲルに至る流れをドイツ三年論っていう括りで言われることがあって、
それが、よく関東、ヘーゲル、シェリング、ヘーゲルっていう流れがありますよっていうふうに言われたりするんですよね。
で、もちろんこれもね、ざっくりさ掴み方というか、本当はいろんな哲学者もいるし、
単純じゃねえんだよって話もあるみたいなんですけど、
やっぱり哲学の発展とか、人と人の関わりっていうことはね、前回フィフティが関東の哲学を踏まえて、
いろいろ論文を書いて、関東に見てもらってって話はあったじゃないですか。
そういうのがあるのと同じような感じで、今日からお伝えしていくシェリングさんもですね、
フィフティの哲学ってものすごく土台にしていったりとか、
実際ね、ヘーゲルとめちゃめちゃ仲良かった人なんですよね。
時代的にはそんな感じなんだ。
ほぼ同世代、ほんとに同じ時代に同じ学校で暮らしてたみたいな、学んでたみたいな。
同学年だったみたいな感じなんですよ。
え、そうなの?流れっていうか、時代がちょっとずつ違うのかなって思ったんだけど、違うんだね。
そうそう、ほんとに同じぐらいの時代に生きてた人たちで、
逆に言うとそのぐらいの中でも、ガンガン哲学が発展していくみたいな感じなんだよね。
うん、なるほど。
当然シェリングっていう人はそんな有名…有名でもない。
いつもある哲学者有名問題があると思うんですけど。
哲学者の中では有名だけどみたいなね。
そうそうそう。
っていう感じであるので、ちょっとどんな人かっていうことももちろん今後お伝えしていこうと思っております。
やっぱこのシェリングさんですね、フィフティさんはそうなんですけれども、
昔はとにかくカントとヘーゲルの間みたいな繋ぎみたいな感じで、
結構、ちょっと軽んじられるじゃないけれども、あんまりちゃんと研究されてない人があったらしいんですけれども、
やっぱりちゃんと見ていくと、シェリングさんすげえなとか、
思った以上に後の時代の哲学に影響を与えてるよねみたいなことは結構あったりするので、
それがヘーゲルに至る流れと、実はヘーゲルを越えていくっていう流れもあるんですよ、シェリングの中に。
そうなんだ。
ちょっと入り組んだところもあったりするので、その辺のいわゆる経歴の部分とか、
ヘーゲルとの関わり方っていうことを今日はお伝えすることで、第1回シェリング会にしたいと思ってますっていう感じですね。
フィヒテとの比較
おー、なるほど。それで言うと前回のフィシテ。
フィシテはどうなの?ちょっとつなぎ感はあるの?やっぱり。どうなの?
フィシテは確実にスタントを発展させようとしたっていうのはあって、
そこに対して自分の自我って前回まですごい際だったと思うんですけど、
それを突き詰めたっていう意味では、やっぱり独自の哲学者ではあるんだけど、
シェリングが結構乗り越えちゃうんだよ、そのフィシテを。
おー、すごいね。フィシテもね、これなんだろうな、すごいのは前提なんだけど、
結局哲学あるあるの罠にハマっていったじゃん。
あー、そうね。
あるとは言いかけなのかなっていうの。
まあ、ということはね、絶対シャイタイモンとかの文的な存在にやっぱり行き着いちゃうみたいな感じだよね。
その無限ループに結局ハマっていったじゃん。
そのビッグバンの先はなんで?みたいな。で、その前は?その前は?みたいなさ、
そこにハマっていったら、そことまたイメージがちょっと違う、変わってくるのかな。
ちょっと変わってくる。これ面白いのが、もちろん、
カートブルちゃんと伝えてくるんですけど、シェリングはもともと、
お父さんとかが新学者、牧師さんからなんですよ。
なので、生まれたいわゆる宗教的な感覚とかがある中で哲学をやってきたんですよね。
だから、そういう感覚が、シェリングじゃないと、
そういう感覚がフィフテとかと比べると強いっていう意味があるってこと?
むしろ強い。
むしろ積極的に宗教的なものを取り込んでいくとか、
むしろ神みたいなものに向かっていく中で、
神がいる中でもこういうことが言えるよね、みたいな。
そういうことにグングン突き進んでいく感じなんだよね。
なるほど。だから理性と信仰みたいなのを対立させずに、
積極的に何かを混ぜ込んでいったみたいな。
そうそう。ほんとそんな感じ。
という意味では、いわゆる兄貴が罠って言ってくれた根源に至ろうとして、
もうどこにもいらなくなっているみたいな逆しら、
いわゆる元井の柄さん的な逆しらなんだけれども、
むしろその根源まで至った上で、
どういうふうに世界を説明していくかというか、
世界と関わるかというところまでちゃんとやってる人ではあるんだよね。
なるほど。そうね。
なのでフィキティさんとはちょっと違うし、
でも近いのはフィキティがシェリングが出てきて、
ちょっと影になるというか批判されて、
シェリングの方がすごいじゃんってなったのと同じような感じで、
シェリングの早熟な才能
シェリングもヘーゲルと仲良かったんだけど、
ヘーゲルにめっちゃ批判されて、
シェリングダメじゃん、ヘーゲルすごいじゃんってなって、
ちょっと追いやられるみたいな、そういうふうなのがあったみたいなんだよね。
わー、はいはいはい。
そういう、なんていうのかな、
英語精髄じゃないけど哲学のトレンドの変化っていうのがめちゃめちゃ行われた時代っていうのが、
この後半から1700年代みたいな、
そんな時代だったんです。同一だったんだよって感じだったよね。
なるほどなるほど。それで同一観念論なんだ、この人たち。
そうです。みんな生まれてドイツで活躍した人たちだからっていう感じだね。
なるほどなるほど。
というところも踏まえながらですね、
今日はシェリングさんの人柄みたいなところも含めてお伝えしていこうと思っているんですけれども、
彼が生まれたのが1775年のドイツでございますと。
これはどんな時代かっていうと、
フィフティが生まれたのが1762年なので、
13年か。だからやっぱりちょっとその、
その世代とは言わないね。
少しフィフティよりもちょっと下ですぐらいの感じの時系ですね。
まあね、人回り上の先輩ぐらいの感じだね。
そうそうそう。で、実はヘイギルが生まれたのが1770年なんですよ。
へー、ほうほうほう。
なのでシェリングの方は実は下なんだよね。
へー、そうなんだ。
という中で、実はシェリングさんが生まれてるんですけれども、
さっきも言った通りですね、お父さんは聖職者でして、
ただの、いわゆる墓碑さんというだけじゃなくて、
修道院の教師というか、教える立場でもあったみたいなんだよね。
ああ、ほうほうほう。
ただ単純に宗教的なことだけじゃなくて、
いわゆるその聖職解釈とかも含めて、
学んでるせず教えるという立場だったから、
結構小さい頃からそういうふうな宗教的な雰囲気とか、
あと知的な雰囲気、学問というものはやっぱり尊ぶみたいな、
そういうところで生まれていたらしいですと。
はいはい、なるほどなるほど。
でですね、シェリングさん、いわゆる哲学者の中でも天才夫だったりするので、
若い頃からめちゃめちゃあいつは優秀だみたいな感じだったらしいんですよね。
どんぐらいだったかっていうと、
もうほんと12歳ぐらいとかで学校行ってるんですけど、
その学校の先生、ラテン語の先生から、
なんかもう君はここで学ぶことはないよみたいな。
これ以上教えることもないからみたいな感じになっちゃって。
で、その当時の大学って18歳とあったらしいんですけど、
今日本と同じかな?なんだけど、
15歳で飛び級して大学に入っちゃうんだよね。
あー、なるほど。すごいね、はいはいはい。
しかも語学もギリシャ語とかラテン語とかヘブライ語とかもできたので、
自分でギリシャ哲学も読めるし、ヘブライ語の聖書解釈も読めるし、
人に教わらずとも自分でどんどんどんどん本を読んでいって、
がんがん神学とか哲学の知見っていうのを深めていくみたいな。
でも面白いね。今さらっと神学、哲学って言ったけれども、
ここまでは、いわゆる神学側のサラブレッドみたいな、超天才みたいなイメージじゃん。
ラテン語がうむむむとかさ、多分そういう学校に入ってたんだろうね。
そうだね。その学部も神学部だったみたいだね。
はいはいはい。だからそういうふうにお父さんの後を継いでというか、
お父さんを超えていくみたいな、修道院に入ってみたいな、
たぶん物を周り想像してたのかなーって今のね、思うんだけど、
哲学っていうのはどうなの?
当時だと割と一般教養レベルなのかな?
それとも本人がもう、そういうトレンドも含めてなのか、
やっぱり自分で掴んでいったのかな?
そうだね。やっぱり大学入った段階で、それこそカントとかフィクセとかを読んでたらしいんだよね。
あーそこは大学入ってからなのか。
そうそうそう。だからやっぱりそういった当時のドイツの知的雰囲気の中で、
やっぱりこっちがまさにトレンドだよねとか、
哲学っていうものをやっていくのが一番自分のやりたい道、
自分の追求したいところじゃないかみたいな、
そういうところがあったんじゃないかなと思うんだよね。
まあそうだよね。時代的にそうするとフランス革命も近くに残ってるし、
起こらんとしてるしみたいな、そういう話なのか同じか、この前のね。
そうそうそう。やっぱり自由とか人間の理性とかっていうものの中で、
やっぱり時代が変化していく中で、やっぱりどうしても宗教的な権威っていうものが揺らいでいる時代だよね。
っていう時に哲学って新しい時代を作っていくぞとか、
そこで自分の知的な才能っていうものを発揮していくぞみたいな、
そういうところもあったんじゃないかなと思うんだよね。
だから新学部であったんだけど、哲学っていうところもやっていきますよという感じなんだけれども、
さっき冒頭でお伝えした通り、実はここで出会うのがヘーゲルなんですよ。
さっきの通りシェリングはヘーゲル五つ下なんだけれども、飛び級してるじゃん。
そういうことね。
シェリングとヘーゲルの関係
ヘーゲルはもしかしたら少し流年してたかわからないんだけれども、
同学年で同じ寮で暮らしてたぐらいの近さだったらしいんだよね。
そこで本当に仲良く一緒に勉強していきますよと。
補足なんだけれども、ヘーゲルはさっきのとおり1770年に生まれるんですけど、
亡くなるのが1831年なんですよ。
シェリングはその20年後、1854年なので、
シェリングの方が後に生まれて、ヘーゲルが死んだ20年間その後も生きていくんだよね。
プラトン長生きしたよね、みたいなのとちょっとクラクションズルで哲学者長生きした方がいいよねっていう。
これ面白いのが、時代的には、早く生まれた人で後に生まれた人が指定関係になっていくわけなんだけど、
こうやって逆転が起きてて、フィヒテを吸収したのがシェリングで、
要は早熟のシェリングがフィヒテを吸収して、
シェリングが作ったものをヘーゲルが吸収して、ヘーゲルがその後自分の哲学を立てたみたいな。
この逆転現象が起きてるんだけど、だけど面白いのが、
ヘーゲルの方が早く亡くなるじゃないですか。
なのでシェリングはその後20年間ヘーゲル哲学と格闘できるんですよ。
もう相手はリングにいない中でね。
いない中でヘーゲルが作ったものをどうやって乗り越えられるかとか、
それを踏まえてどうやって自分の質を発展させられるかをやって、
後期シェリングというような哲学をどんどん作っていくんだよね。
ちゃんとその後も続けたんだね。
そうそうそう。
っていうところもあって、
やっぱりヘーゲルの方が有名ではある、世の中的にもそうだと思うんだけれども、
やっぱりそういう時代の中でその哲学をやり尽くしたというか、
対決して乗り越えようとし尽くしたというところで、
やっぱりシェリングの人生のすごさというか、
思い切り深さがあるなって思うんだよね。
はいはい。そうなんだね。全然知らなかった。
すごいね、同じような時はそうみたいだね。
シェリングの早熟さ
そうね、漫画のね。
でもやっぱりセイサー・タクマスやっぱりそうなんだろうね。
どんな感じだったんだろうね。
この後ね、話あるかもしれないけどさ、
ヘーゲルがそこそこシェリングを批判したみたいな時にさ、
めっちゃ仲悪くなったのかとか、そういうところも気になっちゃうよね。
そうだよね。
なので学生時代はすごく仲良かったけれども、
30代半ばくらいかな。結論としてはとかってあるんですよね。
その流れは結構シェリングの哲学の流れとも関わるので、
後にお伝えしようとは思ってるけど、
そんな感じで学生時代を過ごした上で、
シェリングも早くから教授になっていって、
それこそフィフテがシェリングの書いたものを見て、
この人すごいよみたいな。
あとゲーテね、当時ゲーテもこのドイツに生まれて生きてたんですけど、
ゲーテもシェリングすげえって言って、
この2人が推薦して大学の教授になるみたいな。
結構そういう後ろ盾を持って、
早々と哲学界に打って出ましたみたいな。
結構そういう早熟の天才みたいな感じなんだよね。
すごいね。
その後も結構いろんな大学で教授をやっていくんですけれども、
やっぱりそういった早熟の天才だからっていうのもあるし、
結構性格的に何があったかっていう話もあるみたいなんだけれども、
結構敵も多くて、
シェリング哲学の影響と評価
いろいろあちこちを転々としたがらも、教授として生きていきますみたいな。
さっきも言った通り、
ヘーギルはその後世の中に出てくるじゃん。
その時に、結構シェリングを批判して自分の説を立てる。
覚えてないんだけれども、結構明確にシェリング批判をしてるんだよね。
なるほど。だからその前に既にシェリングはやっぱり有名だったんだ。
そういうちゃんと論文じゃないかなんか出して。
そう、ちゃんと論文若くして出して、きちんと名が通ってたんだよね。
はいはいはい。
自作界において。
そのシェリングをさらに批判して自分の自作を打ち出していったっていうのがあって、
シェリングからすると、マジで?みたいな。
一緒にあんなにやってたのに、こんな批判されるの?みたいなドックスもあって、
はいはいはい、踏み台にされたみたいなね。
で、なにくそ?ってなっていくみたいな。そういう感じなんだよね。
でも結構ね、ヘーギルとシェリングの違いとかって結構いろんなところで書かれてるんだけれども、
ヘーギルはすごくゆっくりゆっくり積み上げていくというか、
きちみつに体型、哲学の体型を作っていくみたいなタイプだったらしいんだよね。
なので時代的にも、相塾のシェリングの方が先で、
本当は年上のヘーギルの方が後みたいな感じになってるんだけれども、
逆にシェリングは結構直感力みたいなものというか、
やっぱり体型を積み上げていくっていうよりも、
意外ときらめきをもとに、これここなんじゃないかみたいなものになっていくみたいな、
そういう風な部分もあったらしいんだよね。
なので、いろいろシェリングの一生の中で手強く分けていくと、
5つぐらいに分かれるんだって。
前期後期とかだけじゃなくって、前期の中でもこれがあってみたいな話があって。
しかも、セキテとかもあったと思うんだけど、
前期は自我っていうものを主宰してたのが、後期は自我を超えても絶対者みたいなさ、
神っぽいのに行きましたとかあって、
どこまで一貫性があるんだっけとかあったと思うんですけど、
シェリングはそれが議論になってるらしくて、
あまりにも違うというか、
一貫性はやっぱり一貫してるけど、言ってることはあまりにも違くねみたいなことがあって、
ある種、いわゆるシェリング哲学とか、体系的なものを作ったとやっぱり表で言いにくい。
ああ、そうなんだ。
そう、だけれども、逆に言うとそういった1個の体系に収まらない魅力というか、
それを自分でも壊して乗り越えていくみたいな、
自分がたどり着いたものをもう1回またゼロベースから考え直して乗り越えていくみたいな、
そういうふうな魅力もある人だったりするんだよね。
なるほど、すごいね。
天才派だって表現する理由もわかる気がするね、こういう話が。
そうだね、やっぱり躍動感がすごいみたいな感じがあるかな。
なんか僕も、もちろんあんまりちゃんと知らずに、
なんとなくシェリングっていう人がいてとか、後期シェリングってすごいんだよぐらいの感じだったんだけど、
改めて見ていくと、本当に哲学を一生やり続けて、とにかく乗り越え続けた人なんだなみたいな、
そういうふうな感覚はすごいあったんだよね。
そういうところも、今回は増えて、次回以降シェリング界として支えていこうと思ってるんですけれども、
さっきおっしゃった通り、その後は同時になって、
晩年は少し、和製されるというか、平優の方がすごくて、
ちょっとシェリングさん、落ち目かもねみたいな感じもある中でなくなっていたりという感じではあるんだけれども、
当時はね。でもそれが今、20世紀とかに再発見というか、再評価されて、後期シェリングすごかったってなってるっていう話があるんだけれども、
そういう哲学的な流れもちょっと振り返っておきたいんですけど、
何度も繰り返しになってしまって申し訳ないんですけども、関東ね。やっぱり関東がこの同一関連のとにかく大事なので。
もう何回でもやって忘れてるから大丈夫。心配不要ですね。
そうですよね。よくあるじゃん。100回繰り返してやっとったりとかあるからね、ちょっと言っていこうと思うんですけど、
関東といえばコペルニクス的展開ですよね。
コペルニクスって誰だっけ?
そこらじゃない。
要は、外にある外部の情報を人間はインプットして、経験として作っていくんだみたいな。
そういうものがイギリス経験の後と思うんですけれども、
それだけじゃなくて、人間にはもともとのアップ料理と言われるような、その経験に先立って、
いわゆる時間とか空間とか、そういう世の中を認識する枠組みみたいなものがあって、
それに沿って、僕ら人間は世の中を認識したいとか、自然というものを取り込んでるんですよっていう話があると思うんですよね。
そこをなんとなく馴染んできたかな。
そうですね。さすがに関東のアップ料理みたいな感覚は馴染んできたかな。
よかったよかった。
それによって、いわゆる合意論と経験の、さっきお伝えしたものを統合したって話なんだけれども、
それはうまくいったんだけれども、逆に残った課題っていうのが、
フィッシュの時にもお伝えした、いわゆる純粋理性といわゆる自然の法則というか、
自然は自然の、いわゆる物理的なものがあって、
人間には道徳、実践理性か、いわゆる道徳性があって、人間が何をするかっていうのは自由に、
人は言っても道徳は創立に従ってたけれども、そういうふうに生き方を決める自由があったときに、
それがある種、分かれちゃった。純粋理性と実践理性っていうものがね。
というところに課題があると見たのがフィッシュみたいな感じだったと思うんですよね。
いわゆる物自体が残っちゃって、これ本当にいいの?みたいな話だよね。
っていうところがやっぱりカントの弱点というか、残した宿題だったんだよね。
それはやっぱ共通認識、当時の人たちは持っていて、ピクテさんはそれは自我っていうものを作って、
いわゆる人間の側だよね。そっちの方に全部を引き受けて、
それが事故を立てるとか被害を作り出すような世界を作り出すんだと。
その客観というものはもともとは主観の自我というものの中にあるから、
分かれていなくて、むしろ実践というものを先にやって、そこから全部出てくるんだよっていうふうな話を
フィッシュで参加したと思うんですよね。
そうするとバラバラじゃなくて、一つの説できれいに説明できるよねみたいな気持ち良さがあるよねっていうね。
そうですそうです。一個にまとまるようになってくる話だね。
こういった自我が事故を立てるみたいなフィッシュの哲学っていうものをしっかり受け取ったのが、実はシェリングなんですよ。
すごいね、ちゃんと。私、時代感全然分かってなかったんだけど、かなり同時代なんだね、この人たちは。
そうそうそう。10歳したぐらいだから、当時盛り上がったフィヒテっていうものを、シェリングさんは10代でも増えて、結構難解だったようなものだったんだけども、それを徹底的に吸収しちゃうんだよね。
恐ろしいのが、吸収して論文も出すんですよ。
これはフィヒテが関東の論文を書いて、これ関東が書いてるんじゃないかって言われるぐらい評判だったみたいな話をしたと思うんですけど、
同じ感じでシェリングのフィヒテの哲学について書いて、フィヒテ自身が賞賛して、こいつすごいよみたいな。
僕のこと分かってないってなるんだよね。
ただ、やっぱりすごいと思うんだけど、やっぱり理解をすればするほど、そこに限界があるとか、これ違うんじゃないって思ってしまうんですね、シェリングは。
すごいですね。
そうそう。っていうところもあって、自我を突き詰めてもダメだと。
フィヒテとのつながり
むしろ自我の方じゃなくて自然の方、要はフィヒテが自我に吸収しちゃった客観の方、そっちにこそむしろ本質的なものがあるんじゃねっていう風にシェリングは考えていっちゃうんだよね。
なるほど。フィヒテでいう非我の方だよね。自我じゃない。
そうそう、まさにまさに。そっちにむしろ根源があるんじゃないかと。むしろそれを統合するヒントがあるんじゃないかってことで、これが後にシェリングの自然哲学って言われる、自然ってまさに自然景色とか風景とか自然の自然ね。
まさに客観的なことなんだけど、それを大事にする哲学としての自然哲学でも出てきます。
へー、そうなんだ。
それで言うと、フィヒテの出した論文だよね。
10代のうちに、この辺が限界じゃねというか、課題になくねって思ったっていうことは、フィヒテはフィヒテで確か後年に別の話出してたよね。
絶対者的な話かな?よりちょっと神みたいな方に近づいていったって話をしたと思うんだけど。
なんだっけ、絶対値か、絶対値絶対者か。
はいはい、そりゃそうだね。
それを出す前で、前期フィヒテの話を聞いた上でこれを考えてるってことだよね。
そうです。むしろ、大きいフィヒテはシェリングの影響を受けてるんじゃないかっていうふうに逆に言われていて。
シェリングの言った自然とか客観っていう方にむしろ根源があるんじゃないかっていうところが盛り上がった時に、
フィヒテなりに吸収をして、でもやっぱり自我っていうものをせざるを得ない。
哲学を進めたいという中で絶対値みたいな、知識学だよね。
物をブラッシュアップしていったっていう、そういう入り口構造にもなってるみたいだね。
わー、なるほど。熱いね。
いやー、そうなんだよね。
やっぱりその哲学的な、そういったお互いの説をバッチバチにやり合ってるみたいな、そういうふうな感じがあったっていうところなんですけど。
これはフィヒテとシェリングのつながりね。
ヘーゲルとの対立
今度はシェリングとヘイルのつながりなんだけども、さっきも言った通り、学生時代同じ部屋だって過ごすぐらい。
しかもフランス革命の理想みたいなところを語り合うぐらいの中だったんですけど、ある種別々しちゃうんですよ。
何かっていうと、これ1807年だので、2人が30歳くらいのときだと思うんですけど、ヘイルは超有名な精神現象学っていう本を出すんですよね。
これがヘイルのある初期の主張みたいな話なんですけど、ここの序文でシェリングをめちゃめちゃ批判するんですよ。
もちろんシェリングだけじゃなくて、それまでの哲学を広く批判をしてるんだけれども、
これ言葉が面白いからどこ行っても出てくるんだけど、ヘイルが何て書いてるかっていうと、「漆黒の夜ではすべての牛は黒く見える。」って書いてある。
どこどこかっていうのはまたちゃんと話してくるんですけど、実際これ何て書いてるのかなと思って、僕もたまたま平凡社っていう会社が出してる精神現象学を5年前くらいに書いてて、
挫折しててそのまま放ってたんですけど、全然わかんないと思ったんですけど、ひたすら取り出してきて見てみたんだよね、その序文を。
それは確かに書いてて、シェリングは絶対者に位置付くんだけれども、
それが暗闇だと、要は絶対者なんて言っても何も説明できねえよっていうことをヘイゲルが言うんだよね。
シェリングも絶対者的に話はしてる?
そう、むしろそれが結構主流になってくるんだけど。
そうなんだ、はいはい。
そこに対して、それは全てを飲み込む涙くらいになって、しかもその中にね、認識の虚しさから起こるおめでたその爪であるって書いてるんだよ。
だいぶ長い。
おめでたいやつだって書いてるんだよね。
おー。
結構ハードじゃない?これ。
批判っていうか悪口じゃんね。
確かにね。ちょっと和訳の問題もあるかもしれないけれども。
でもさ、仲良いと思った人の本を読んだらさ、いきなりさ、こいつおめでたいやつだって書いたらさ、それはきついじゃん。
そうだね、うんうん。
言ってよみたいな、事前に。書いておくよって言ってよみたいな。
エンタメ性重視で書いてるだけだからねってね。
っていうのもあったかなかったかは多分なかったんだろうね。
っていうので、やっぱシェリングが無ってなっちゃって、それ以降やっぱり二人の交流とかなくなったらしいんですよね。
シェリングの哲学的影響
へー、はいはいはい。
さっきのストーリー、本によってシェリングの方にも問題があったらしくて、
シェリングも敵を作りやすかったのかって話だと思うんですけれども、
それまでヘイゲルに対しても、シェリング自身は結構いろんな批判とか辛辣なこと言ってたらしいんですよね。
ほうほうほう。
その本を出す前にね。
なるほどなるほど。
ヘイゲルの方はそれを冷静に受け止めて、ちゃんとそういうのもあるよねって言ったらしいんだけれども、
いざ本にそういうこと書いたらシェリングはもうプンプンしちゃって、
あいつマジねーよみたいな感じで、いつまでも恨んでしまうみたいな。
そうそうそう。
ヘイゲルはその後活躍していくんだけれども、
それは常に苦々しく思って、あいつ何やってんだみたいな。
俺の方が。
嫌いにして。
そうそうそうそう。
嫌ったみたいなことをずっと思ったらしいんだよね。
へー、はいはいはい。
しかもそれってヘイゲルだけじゃなくて、いろんな人と冲突したりとか、
敵対しちゃうみたいなことがあったらしいんだよね。
わー、そうなんだ。
だからこれは天才ゆえのプライドみたいなのがあったのかわからないんだけれども、
そういう意味では心が狭いというか、そういったものを受け入れて、
ヘイゲルを哲学をむしろ土台にしながら自分も考えていくっていうよりも、
何かこいつを何とかしてやろうみたいな、
ちょっとこういう敵対心からやっぱり取り組んでいくみたいな感じが強かったみたいなんだよね。
あー、そのヘイゲルが人気になった以降の話ね。
そうそうそう。
なんですよ。
なので、そういった人柄的な部分はあれども、
やっぱり面白いのが、普通だったりさっきも言ったんだけど、
年上の人が年下の人に引き継いでいくみたいな感じだったり、
基本的には流れとしては多いじゃないですか。
でもさっきも言った通り、シェリングの方が年下なんだけど、
初期シェリング、さっきの自然哲学っていうものがヘイゲルに影響を与えて、
そこが同一観念論の完成と言われるヘイゲルになっていくんだけれども、
さらにヘイゲルを受けて、後期シェリングが生まれていくんだよね。
ヘイゲルに土材を提供しながらもさらに乗り越えていくっていう、
この2つの運動がシェリングにはあるんですよ。
はいはいはい。
なので今回もそういったヘイゲルにつながる意味でのシェリングっていう話をメインにはしつつも、
やっぱりそれをさらに乗り越えようとしたというか、
対決していったシェリングっていうところをちょっとお伝えしながら、
この生涯の哲学的な深みというか、突き抜けてる感じっていうところをお伝えしたいと思ってますっていう感じなんですよね。
わー、なるほど。いいね、尖り感というか。
何なんだろうね。たぶん本に意識してなさそうだよね。周りに敵作ってるとかね。
それもあると思う。普通、当たり前のことを言っただけですけど、そういう感じに思ってそうな感じもするよね。
言われたらちゃんとダメージ受けるのも面白いけどね。
そうね。だからそのくらい、やっぱりヘイゲルの立てた精神化粧薬って本で作った哲学のこととか、やっぱりやってることがすごかったってのもあるんだろうね。
なるほどなるほど。その悪口、それ自体よりもセットで来たその中身そのものがちょっとヤバすぎて、そっちにダメージ受けたみたいな感じか。
そう、やっぱりやられたって思ったんじゃないか。やっぱりね、当然チェリングも哲学的な天才性があるから、やっぱりヘイゲルのすごさとか、これがやっぱり成し遂げたことのすごさっていうのはやっぱりわかったなと思うんだよね。
あー、はいはいはいはい。
これ面白いのが、ちょっとこれ次にもちゃんと言うんだけども、最後チェリングさん何をするかっていうと、最後っていうのは、彼5つの哲学的な段階があるって言ったじゃないですか。
で、その最後のところが、いくつかあるんだけど、積極哲学とか、あと宗教哲学みたいな、宗教の要素が混じった哲学っていうのを作ってくるんだけれども、
それを作って、彼は自分の自然哲学とかも含む哲学、しかもフィクションとかも含めて、そこの哲学っていうのは全部もうそれくさいというか、論点間違ってたんだぐらいに言うんだよね。
はいはいはいはい。
自分は積極哲学って前に行くんだけど、他のものは消極哲学だっていうふうに、ある種切り分けていって、自分以前と自分っていうものの哲学をパキッと分けちゃうんだよね。
おー、はいはいはいはい。
ニーチェが過去の哲学全部ダメみたいに言ったのと同じような感じで、シュリンゴも自分の哲学すら踏み越えて、新しいものを作っていったみたいな、そういうふうな感じ。
もちろんヘーゲルも踏み越えて、自分の新しいことをやったんだっていうふうに最後そういうところまで行き着くんだよね。
わー、はいはいはいはい。
やっぱりそのエネルギー足りやっていう感じだよね。
そうだねー。その根源を知りたくなっちゃうけどねー。
そうねー。何に突き誘わされたってあるんですけれども。今回は第一回なので、人柄以上にフィフティとかヘーゲルとの繋がりっていうことをお伝えしてたんですけれども、
次回以降で見通しみたいな感じでいくと、
1個目はさっき言った自然哲学ですね。これがドイツ関連の中でメインの流れになっていくんで、
フィフティということを受け取ったシュリンゴがどういうふうに自分の哲学を作っていくのか。
さっき言った非が客観の方だよね。こっちにどういうふうに目を向けて自分の哲学を展開していくのかって話をまずはしていこうと思っております。
その次に同一哲学って言われるものがあって、同一、同じだよね。
その哲学って言われるのがあるんだけど、これはさっき言った絶対者みたいなものがあって、
こういう、実はこれがヘルゲーに批判された暗闇みたいな、全部が溶け込んじゃうものって感じなんだけれども、
こういったものをシュリンゴがなんで考えたのか、自然哲学がどう繋がっていくのかってこともさせていこうと思っております。
最後は積極哲学、さっき言ったやつで、
ある種その、さっき言った自然哲学と同一哲学って、自分の哲学も含めて全部古臭いんだと。論点間違わせたから自分が正しい哲学をやるぜみたいな。
そういうところの話っていう3つを含めて、ちょっとシュリンゴの全体感っていうものを掴んでいこうと思ってますっていうような感じですね。
なるほど。これね、一個一個の深みとかわかんないんだけれども、
これってさ、やっぱり本来一人の哲学者が一生懸けて編み出すようなものを、一人の人はこれ3つも、さっき5つって言ってたけれども、
5つ、そうだね。
もちろん体系立てていなかったみたいな話はさっきしてたけれども、
そこを発想してある程度バーッと形作った、みたいなのを5個やったっていうのは、やっぱりちょっと異常なのかな、これは。
異常だと思うな。
ここまで自分を本当にゼロから乗り越えていって作っていくっていう人はほとんどいないと思う。
シェリングと時代背景
基本積み上げで一つのものを一生懸けて、たぶん大事に育てていくみたいな感じだもんね、おそらくね。
そうだね。もちろんね、年齢とか時代によって自分を乗り越えていくっていうのはあるんだけれども、
やっぱりシェリンガーでも自分だけじゃなくて、やっぱりヘーゲルを乗り越えるみたいな、やっぱりそういうふうなことも含まれてるから、
その変化というか、革新的なものってやっぱりより多いっていう感じがするね。
ああ、だし今、そっかそっか。
わからないけど、シェリンガー自体の天才性と、時代もあったのかもね。
そういう天才が同時代にたくさんいたっていう話が、情報の速さに伝達するんですね。
そこのフィードバックが早いから、みたいな。
そうそうそう。
さっきも言った通り、芸人みたいな、いわゆる芸術的な分野では、この時代のドイツってすごい、あんなわけだよね。
という時に、さっきヘーゲルの名前だけは出したんだけれども、同じところにヘルダーリンっていう人がいて、
主人なんですよ、ドイツの。
僕もあんまり知らないんだけれども、結構有名な主人というか、今でも評価されていて、
その後やっぱり哲学の方にも影響を与えていて、ニーチェとかハイデッパーみたいな、
そういう人にも影響を与えていくような人なんだけれども、
哲学とは違う、いわゆる芸術家たちの活動もあるんだよね。
シェリンガーはそっちとも結構濃い繋がりがあって、
哲学的には長いわけじゃなくて、芸術家の発想とかそういう運動にも影響を受けて、
哲学にしていくみたいな、そういうふうなこともやってたらしいんですよ。
やっぱりその時代の変化、フランス革命を含むような時代が変わる中で、
人間とはどういうわけかとか、国家とはとか、政治とはとか、いろんな哲学も、多分宗教も、あと芸術も、
いろんなものが変わっていく中を吸収しながらやってたっていう人なんだと思うんだよね。
なるほど。表現方法か。もしくは、自分の中から出てくる表現の方法が哲学だったみたいな人なのかもしれないね。
芸術側じゃなくて。
なので、実はフィクシオンの時とかは全然芸術とかって触れなかったじゃないですか。
Bとかね。
結構シェリングはそういう部分もすごく自分の哲学の中に取り込んでいくんですよ。
そういう意味でもちょっと面白いというか、また違った色合いで楽しんでいただけるんじゃないかと思うので、
今回シェリングの導入、第1回ってことでいつも通りどんな人物かとか、
ちょっとヘイゲーとの関係性とかお伝えしたんですけれども、
次回以降は改めて自然哲学ですね。
これっていうのを見ていきながら、一個一個深めようと思うとだいぶ、
多分10回とかになっちゃうんで、ちょっとサラッとで深まるんですけど、
見ていきながら、シェリングってこんなこと考えたんだとか、フィクシオンと全然違うねみたいな、
そういうところも楽しんでいただけると嬉しいなと思っておりますというふうな感じですね。
はい、わかりました。
次回からそんなシェリングの思想の中身について見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では、次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
45:39

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