1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2025-09-21 1:21:07

#354 【番外編】公開それ哲カフェ「あなたの正しさはどこから?」

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

それ哲カフェの公開収録において、参加者たちは「あなたの正しさはどこから?」というテーマを深く考察しています。特に、日常生活における倫理や視点の相違についてのディスカッションが展開され、各自の正しさに対する認識が浮き彫りになっています。このエピソードは、正しさの基準がどこから来るのかを探求し、個人の経験や視点によって異なる正しさについて議論しています。社会的なルールやマナーが形成される過程及び、それがどのように個々の感覚に影響を与えるのかについても深掘りしています。 また、正しさの認識に関する各自の境界線の引き方や、社会的な規範に対する葛藤についても考察されています。参加者たちは実存主義や道徳観について意見を交わしながら、自己の正しさを探求する姿勢を示しています。このエピソードでは、人々の「正しさ」がどこから来るのかについても深く考察されています。特に、道徳や倫理、社会的な圧力が個々の価値観に与える影響や、正しさによる安心感と葛藤について詳しく議論されています。 公開それ哲カフェでは、「あなたの正しさはどこから?」というテーマのもと、参加者たちが自らの正しさについて深く掘り下げる対話が行われています。哲学的な視点から、正しさの源や対話の重要性について意見を交わし、お互いの理解を深める機会が設けられています。公開哲学カフェでは、正しさの起源や多様な視点についての探求が進められ、参加者たちの意見を絡めた議論が展開されています。

公開収録の趣旨
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回は番外編ということで、前回も雑談の最後でタイトから話し合ったんですけれども、
今回はそれ哲フォーラムに参加いただいている方が、毎月1回ぐらいでやっているそれ哲カフェっていう、あれなに、哲学カフェなのかな?
哲学対話って言われるものかな?
それを公開収録した内容をお届けします、というような話でしたね。
はい。この後、せいに撮ってるので、この後また皆さん聞いていただくんですけれども、結構楽しかったよね。
うん、面白かった。
いやほんとね、びっくりしたんだ。かやとが突然さ、たぶん1か月前か2か月前のオンラインでさ、みんなでそれ哲カフェで話してるときに、
あ、そういえば考えてることあるんですけど、みたいなさ。
ちょっとびっくりしたんだけどさ。
突然公開したいんですとか言って、みんなザワザワする。
でもね、恥ずかしいと言いながら皆さん参加いただいて、結局この後聞いていただいて、5人で話したんですけれども、
普段は話さないようなトーンで話すとか、別に雑談とまた違う、ちょっと考えながら話すみたいなところの楽しさであり難しさみたいな。
この動画も聞いていただいている中でも感じられるんじゃないかななんて思うので。
ちょっとね、普段僕と兄貴で話す2人のセッティングスタジオとはまたちょっと違う趣ですけれども、
よかったらね、皆さんもちょっと自分もその場にいたら、どんなことを考えるかなとか、どんなことを話したくなるかなとかっていうことも含めて聞いていただけると嬉しいななんて思ってる感じですね。
はいはい、了解しました。
この後ですね、その収録の様子を流しますので、ぜひお楽しみいただければと思います。
お楽しみください。ではどうぞ。
正しさの多様性
はい、どうぞ。
そしたら話していこうと思うので、皆さんよろしくお願いします。楽しんでいきましょう。
はい、お願いします。
そしたら本日ですね、ストレティスカフェのテーマなんですけれども、毎回ね、僕の方からこんなテーマどうですかとか、
皆さんからそういうテーマで話してみたいですっていうのをいただいて決めていくんですけど、
今回ですね、ちょっと僕の方で考えて、あなたの正しさはどこからっていう、
あなたの風邪はどこからっていう感じなんですけど、それで正しさっていうのをちょっと扱ってみたいなと思っていましたと。
それでツアー上的には関東、最近フィフティの時にもあったと思うんですけれども、関東っていわゆる低減名法で、
嘘をついちゃダメ、それはどんな時でも嘘をついちゃダメだとかっていう時に、
普段普通に生きてるとやっぱりね、ちょっと人の役に立つ嘘ならいいんじゃないとか、
でもなんだろうな、ちょっと可愛い嘘ならむしろいいよねとかっていう、
人によっていろんなグラデーションがあると思うんですけど、
そのグラデーションがなんでそう思ってるんだっけとか、
なんで自分ってそれを正しいとか間違ってるとかって思ってるんだって考えることって、
あんまりないんじゃないかなって思ってまして、
そういうのは僕と兄貴だけの話というよりも皆さんの普段のこと、出来事とか、
確かに自分もこんなこと考えたことありますかというところで話せると、
なんか面白いんじゃないかななんて思って、今回そういうテーマを持ってきてみております。
早速ここからちょっとみんなで話していきたいなと思ってるんですけれども、
最初ちょっと今日、僕と兄含めて5人いるので、
自己紹介とか、いわゆるラジオネームと、
普段こんなことしてますよとかだけ一言最初いただきたいなと思っておるんですが、
じゃあ最初HIDEさんからお願いしてもいいでしょうか。
はい、私HIDEと申します。
ラジオネームというか名前の一部ではあるんですけど、
私はソレテツラジオを1年半くらい以上前からですね、
もうずっと全部の回聞いてます。
私は福岡に住んでおりまして、
仕事は30代ですね、31になりましたけど、
仕事は公務員をやっております。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
はい、そしたらカナダさんお願いします。
はい、カナダと言います。
私も会社員やってまして、
どっちかというと理系の方で、
普段実験的な仕事をしてるんですけど、
哲学とかは学ぶというところでは全然学んでこなかったので、
でも興味もあったんで、ソレテツラジオをずっと聞いてて、
面白いなと思ってるという感じで、
私も30歳半ばくらい歳で、
そんな感じです。はい、以上です。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
そしたら黒猫さんお願いします。
はい、よろしくお願いします。黒猫と申します。
会社員一般事務をやっています。
ソレテツラジオは本当に始まった当初ぐらいから多分ずっと聞き続けていて、
一番好きなのはやっぱり東洋の哲学の方ですね。
哲学に興味を持ったのは、自分の生きづらさを何とかしたいなと思って、
こういった哲学に興味があって、
皆さんのお話にも参加させてもらってます。よろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。
はい、あとお兄さんですね。今日も参加してもらってます。
はい、きょうすけと申します。よろしくお願いします。
お願いします。
はい、ではこの5人でお届けしていこうと思っておりますという感じなんですけれども、
早速ですね、今日のテーマ、あなたの正しさはどこかなっていうところでね、
いつも通りワイワイと話していこうと思ってるんですけれども、
はい、なんかちょっとこんなことから話してみたいなとか、
こういうところってみんなどう思いますか?ある方いらっしゃいますでしょうか?
はい、じゃあ私からよろしいでしょうか?
はい、あさひれさんお願いします。
正しさと聞いてですね、ちょっとこう具体的に日常の生活の中において、
そういう正しさとかまずよぎったりするかなというふうにちょっと思ったときに、
ちょっと1個、ちょっとなんかそう思ったなと思うところがあってですね、
通勤してるときとかに、皆さん電車とか使うんじゃないかなと思うんですけれど、
私ですね、ちょっとこの間、この間というかもうしばらくちょっと前ぐらいから、
よく駅でですね、エスカレーターを2列に並びましょう運動っていうのをですね、
やっているのをよく見かけてですね、
2列に並びましょう運動を、運動なので、別にルール化されてるわけではないんですけれども、
そちらの方が多分効率的に人を上に居やすいっていうのがあるからそういうのをやってるのかなと、
あと安全だからとかいうのがあるかなと思うんですけれど、
実際にエスカレーターを乗るときって、みんな左側とか右側に立ってるんですよね、必ず立ってない。
2列に並びましょう運動をやってるんですけれども、実際は片方を誰かが歩いて、
片方は誰かが止まってるみたいなことってよくあるかなと思ってて、
僕は旧市にいるので、左側に立つ人が多いんですけれど、
通勤で混雑している時とか、右側になった時ですね、
2列に並びましょう運動をしている中で、歩いて行くっていう、
これは正しいのかなとか、鉄道会社がイメージしてる正しさではないけれど、
でもみんな早く行きたそうだしなとか思いながら、
ちょっと迷ったり、で誰か止まると、ちょっと早く行ってほしいなとか思ったり、
なかなか正しさって、鉄道会社さんとして見ればそういった、
いろんなことを考えてそういうことをされているのかなと思うんですけれど、
個人は個人として早く行きたいとか、そういう正しさとかあったりして、
いろんなそれぞれの視点が異なる正しさっていうのが交差するような場面で、
そういうのを意識するなというか、悩む場面も多いかなというのはちょっと思ったところですね。
社会的な規範について
ちょっと具体例を一つ挙げてみました。
ありがとうございます。
確かに最近多いですよね。
多いですよね。やっぱり歩くとか走って登ると危ないから2列で並びましょうとかって結構増えてる気がするんですけど、
京都だと運動場ではないかな。皆さん住んでるところってそういうのはあったりします?
エスカレーターは歩かずに2列に並んでっていうのはよくアナウンサーしてます。
知ってなかったことあります。
でも確かに実際流れを止めずに歩いた方がいいのかみたいなふうに思うことがよくあります。
なんか車でも、私車通機なんですけど、車でもその大手速度40キロで走ってたらめちゃめちゃ遅くてすごい後ろ詰まってくるみたいな時あるじゃないですか。
はいはいはい。
カート売って60キロで走ってもいいのかどうかみたいなそういう場面もよくあるよなと話聞いてて思いました。
確かに似てる感じもしますね。
面白いですね。でもこっちはちょっと田舎、無料化な田舎なのでそういうのに出くわすことはないんですけど、
エスカレーター乗るのってイオンぐらいなんですけど、
平和なイオンでみんな左右に乗ってるんですけど、
普段から通勤とかそういうところで使う方って、特にさっきのヒレイさんの場合とか、
今日はこういうシチュエーションになってちょっとモヤっとしたとか、なんか今日はうまくいったなとか、
さっきいろんな視点での正しさみたいな話があったんですけど、
多分その中でヒレイさんの正しさもあるじゃないですか。エスカレーター問題の中で。
ありますね。まさに。
そういうのってどう感じたりするんですか。今日は正しかったなとか、今日はいまいちだったなみたいなやっぱりあるんですか。
自分の中で確固たるエスカレーター問題で言う、
別に正しさがあるわけではないので、ちょっと遅れそうな時とか、早く自分が行きたい時とかは進まないかなって思うんですよね。
でもそう思わない時もあるっていうことは、自分の視点によって、
たぶんその時の、正しいと言うべきかどうかわからないんですけど、こうあってほしいっていうのはちょっと変わってるのかもなって思いますね。
早く行くのが、より自分の都合の良い、自分の都合って言うと言い方がきつすぎるかもしれないですけれども、
そういう状況になることがやっぱり正しい、いいことだっていうのは一つ絶対あるじゃないですか。
そうなった時にどうでしょう。常に自分の思い通りになれとまでは思わないと思うんですよね。
そこの感覚って何なんですかね。
僕は結構、エスカレーターの話で言ったら、流れを止めたくはないんです。
でも、ルールは破りたくないんで、前の人が止まっている時が一番安心だと思うんですよね。
この流れを止めたくはないんです。
でも、ルールは破りたくないんで、前の人が止まっているときが一番安心しますね。
何でしょ。 他人に敵を向けられたくはないんですよね。
あー、なるほどっすね。
こんな感じですね。
こういうことを話題にすること自体なんかこういうやっぱこう ルールとは別に社会の全体の空気感とか規範とか
そういうのを みんなでこう
正しいこう
ものをこう 作れたらいいねみたいなちょっとこう
空気感というか 監視観的というかそういうみんなで作ろうという
世界を作っていこうという雰囲気はこう 日本はあるんじゃないかなと思いますけれどね
確かに何か ありますよね会社とかでも上が会社でもルールは決まってて
ここはこういうふうにあの処理しろとかってあるけれども 意外とそれより現場の方でこうもっと柔軟に回しよく回しちゃってるみたいな
そう言われてるけどそこまでチェックしなくても大丈夫だから チェックしてたら仕事なんてあの終わるわけないから
あの こういうふうにあの現場の方でこううまくやってますってみたいなのってなんかちょっと似てるかもしれない
ですよねあの2列でやれとは言うのはみんなわかってるけど 言って漁って急いでる人もいるし
そういう意味でこうなんだその急いで人にはこうスムーズに行ってもらいたいっていう そのなんだろうな
こう殺伐とした感じだけじゃなくてそういう思い上げも何かありそうですよねこれあの 想像なんですけどあの田舎に住んでるものの
会社の話とかすごいそんなわかります でもなんかあんまりそれ現場で回しすぎてでなんか事故が起こって
いやいやダメだったじゃないだから言ったのに言ってても制約が厳しくなっているんだったん また緩くなっていて事故が起こってまた戻ってみたいなそういうサイクルをしてるような感じ
すごい思いました 一旦こうルール化したりこうねこう
まあこれが正しいですっていうものを何かが作られるとそれがもう絶対的に正しい っていうかそこからさっきさらにこう
掘り下げて考えなくなるかなぁとはあの思いましたね ちょっともし
正しさの形成
2列にしかならんちゃダメですと言われれば ちょっとエスカレーターの話はもうちょっとマナー的なところがあるのでそういうふうには
絶対ならないんですけれどもなんかこう 会社のルールとかで1回そういうふうな形になればもうそれが絶対正しいもんだって
一旦そういう ところでこう
会社の空気感としてもなれば 誰も疑わなくなる正しさがそこに出来上がるのかもしれないなと思う
うーん あーでもなんか自分でさっき言ってあの現場が何とかするとか勝手にやるって言って
後に思ったんですけど さっきのエスカレーター問題もですけどなんかあの2列に並べ警察みたいなも出てきそう
ですよね なんか
その人が悪いとかじゃなくてそういう感覚もわかるっちゃわかりますよねなんか 例えばなんだ学校とかだと暮らす廊下を走ってる人を絶対注意する人とか
あーはいはいはいそれもこうどっちが正義とはなかなか難しいですよね なんか
うーん あの
今の話だとね結構その正しさって外から来るもんというかやっぱり誰かが作って自分が 従うみたいな感覚がやっぱり強いんですかね
そうですなんかルールを作った人みたいなのをちょっと想像しちゃいます 今のそういう話だと会社とかそのエスカレーターのマナーとか
そういう人たちがルールを 作った
そのルールを作る側の人間の方はこう 自分が作ったルールで何かが起きないようにこう
責任を最終的に取らされる側みたいに あって
うん
でも実際に利用する方はもうちょっと 現場の人たちとか実際使う人たちともうちょっとやりやすい方法があるよねみたいなことを
思いながらなんかそこの葛藤みたいなところだと思いました
ルールを守れ警察はそのどっち側の人間につくかみたいな そういう話に聞こえました
やっぱり今確かに責任という言葉は正しさという言葉とすごく近いなというふうにちょっと思いましたね
個人の正しさ
正しさを正しいと思うことを自分だけじゃなくて いろんな人との
共通認識としての正しさとしていくにはそこにやっぱり根拠とかがいるわけで それに責任を持って
正しさとして広めていく エスカレーターを2列に歩くっていうのは安全のためだとか
まあそういうちょっと見方があるなというふうには思いましたね
なるほどなぁ なんか今の話で聞くとやっぱり作る側の責任っていうものと
ただそれのルールに従う方の 現実というか
現場感というところがね 結構攻め気合があるなぁと思ったんですけど
なんか皆さんのこういう時は従うけど さっきのヒデさんの
何だ 急いでる時はちょっと破っちゃうなけど そうじゃなかったら従いますみたいな感覚も含めて
そこの顕微鏡ってどうやって皆さんって 日々過ごしてるんですかね
それで言うとだけれども ちょっと今日聞いてみたいなと思ったのが
あの最初あの自己紹介の時に黒猫さんが息づらさを感じてるみたいな話をしてて
多分ハヤトとかもよくメーラー上で なんて息づらいんだみたいな話をするけれども
黒猫さんはそういうのに多分通じるものがあるのかなとかって 今その自己紹介とかを聞きながら
思う中で多分そのさっきハヤトが言ってた 外から決められる正しさみたいなもの
ルールみたいなものと多分その自分が思う正しさとかルール なんだろうな
そこがこうぶつかるとかそこが気になる人の方が 息づらいんじゃないかなみたいなことを
なんとなく思ってて この辺って何かこう黒猫さん的にあったりするんですか
何かもしくはあったりしたんですか
もしあの 完全に
完全にっていう言い方がおかしいと思うんですけど 見る人の立場
その体験する人の立場によって 正しさって全然違ってくると思っていて
私が正しいと思っていたとしても 相手の立場に立ってみた時に
相手の方が正しく見えたりすることってないですか
なんか 相手の立場に立った時に私が
私からの立場で見ると自分の方が一見正しいように見えているんですけど
でもじゃあ後から何かその出来事を振り返って 相手の目線から私がやったことを見た時に
いやその相手の人の方が正しいのかもしれないって 私はよく揺らいでしまうので
自分が絶対的に
なんていうんですかね 完全に正しいって思えるっていう
体験は未だかつてしていないの
その正しさは難しいと思うんですよね 本当に
見る人によって全然違ってしまうもの
例えばですけど 私であれば例えばその息子が熱を出している
とても具合が悪い 病院に急いでいるっていう時にはやっぱりどうしても車でもスピード出しが気になってしまいますし
でももしそこでお巡りさんに止められたらお巡りさんの方が多分正しいんでしょうし どんな時でもスピードを守ってくださいねっていう
方が事故を防ぐ立場のお巡りさんとしては正しいんだと思うんですよね
でも母親から見たら 今この子苦しんでるんです早く一刻も早く病院に連れて行きたいんですっていう
イブの方がどうしても正しく思えてしまう
っていうところの立場によって全然変わる正しさ
が私はもう 嫌で嫌でしょうがなくて
本当に一本化してほしいルールを
しかもどっちも見えてしまうからですね
そうですねどっちも見えてしまいますね
どうしても私はいつも話してるように自省しがちな人間なので
後から出来事を思い返した時にやっぱり違ったかもしれない あの時ああいうべきではなかったかもしれないって思ってしまうことの方が多いです
何かしらなって思います
先日その会社の方で
同じ営業所内の 社長さんにちょっと暴力を振るってしまって解雇になってしまった社員さんがいたんですけど
その話を聞いた時に 殴ってしまったお相手の社長さんが先に
辞めてしまった男性社員さんの無駄蔵の方を掴んできたと
そうなってしまうともう収集がつかないというか こっちも
社会的分断と判断
強気で出てしまうんだねっていうところで 殴ってしまうということが起きたそうなんですけど
とはいえでも殴ってはダメではないだろうかと私は思っていて そこで歯止めが効かなかったがために
辞めざるを得なくなり
かなり優秀で仕事ができる人で 何かあるといつも私も頼る社員さんだったんですけども
もう引き継ぐ間もなく辞めさせられてしまったので
なんていうかその
人を殴るがやっぱりいけないのではないかなと思う
絶対的な正しさって何なんですかね ないんですかねそういうの
すごい日頃疑問なんですけど
今お話を聞いてちょっと思ったのはその 暴力は一発アウトだみたいな正しさ
は なんかまあ
なんとなく感覚としては分かるなと思うんですけど その正しさはどこから来るのかなってちょっと
少し思ったりもします
分かるんですけどそこをちゃんと言葉にちょっとしてみたいなぁとか
会社の言い分としては立場的にその殴って辞めてしまった男性社員さんの方が
営業所長さんよりは総務部長っていう立場だったので
その役職が上だからあなたの方がパワーバランス的にそのパワハラになってしまうと言われたそうなんです
なるほど けれどもその
営業所長さんの態度は普段からあまりよろしくない感じの方で 社員さんにそのあまり自分が気に食わない社員さんには挨拶をしないとか
社長が来ている時だけ仕事を熱心にしているふりをするとか うちは卸売業なんですけれども
要は元メーカーさんから商品を仕入れてお客さんに卸すっていう立場の時に その元メーカーさんには言いたい放題のことを言う
しかもため口でっていう 態度だったそうなんです普段から話を聞いていると
私が実際に見たわけでは何もわかんないんですけれども 要はその立場が上だからパワハラにあたるからあなたの方が辞めてください
っていうことを会社から 言われたそうなんですけど
果たしてそれって そういう見方でいいんでしょうかって私はとても疑問に思っていますが
逆に言うともし立場が下だったら じゃあ逆だったかもしれないってことですもんね
そうですね 営業所長さん側が立場が上でしたら
相撲の男性はやられることはなかったんだと思うんですけれども
これは非常にいいテーマと言ったらちょっと失礼 もちろん大変なことだったと思うんだけなんですけれども
正しさってこの場で何なんだってすごく難しくなりますね
難しいですね
一個やっぱり法律とか そういうのは絶対あると思うんですけど
そこからそれを当てはめて考えをやめるんじゃなくて
なんかもうちょっと考えたいなって思います
そうですね 深掘りできたらいいなって思ってます私に
今の話は一個法律から来る正しさっていうのもあるよねってことですよね
そうですね なんかもうやっぱり皆さん法律とか
そのあたりの根底にあるルールは
歴史的ないろいろ例もありまして
やっぱり何の疑いもなく正しいものだと思って生きてるってのはあると思います
今のちょっと黒猫さんの話を聞いて思ったのは
ちょっと何か抽象的な話になるかもしれないんですけど
絶対的な正しさはあるのか
あったらほとんど正しいみたいな話だったと思うんですけど
なんか個人的にはやっぱりそういうのないと思うんですよね
なんか正しさは視線によって違う
どっちの立場も見えるみたいな話をされたと思うんですけど
どっちも見えるっていうのがすごい大事なことだなと個人的に思っていて
対立する立場でやっぱりどっちの視点も見える
その上で正しさを判断する
それっていう多分一番しんどいプロセスではあると思うんですけど
どっちかだって自分が頭から思い込んだ方が楽なのかもしれないですけど
そこでどっちの立場を見て
正しさの線をここに引くみたいなのを
自分で一個一個作業していくみたいな
そういうのがすごいちょっと大きい話になると
社会的分断みたいなことを考える時でも
すごいそういう考え方って大事だよなと思っていて
法律家っていうのも法律を作った側の立場と
実際にそれを犯すかどうかみたいな
いうふうなところに立った人の立場と
それを両方考えて立場でどっちも視点で見た上で
判断していくみたいな
そういうプロセスの連続が正しさみたいなところに
つながるんじゃないかなってちょっと思いました
面白いですね
でもハヤトすごい今更なんだけれども
今日のテーマって正しさとは何かじゃないよね
正しさはどこからですね
自分みたいなあんまり物事を深く考えないものからすると
違いがわかんないんだよね
今ふと金田さんの話聞いて
なんとなくその意味がそういうことなのかなみたいな
やっとそのモードに入りつつ
それぐらいの感じなんだけれども
そういう点何を想定してどこから来るのかっていうふうに
正しさとは何かじゃなくて
今の多分金田さんの話とかからすごいなんか自分はやっと
違うんだと思わされたんだけど
皆さんわかってたかもしれないけど
そうそうなんかどうなんですか
その辺なんか
聞き方としては今の金田さんの話はすごく面白くて
やっぱり何だろうな
あの時々で変わるよね
でその時だけ最適な選択をしたいよねっていうところが
多分すごく理想的だと思うんですよね
でも例えばさっきの黒猫さんの男性ごとの
一個前のその大事な人お子さんが
例えば体調がすごく悪い時に
例えば何でしょうね
あの車のスピード出しすぎるとかっていう時に
それいわゆる自分がそのケースに置かれた時に
どう判断するのかって結構難しい
その人の生き様とか価値観とかに
かなり影響されてるんじゃないかって思っているんですよ
例えば金田さんはね
さっきバランスを取って
両方のことを見ていくって言ってくださったんですけど
例えばじゃあトロッコ問題みたいな感じですけど
もし大事な人が今にも倒れそうだとか
苦しんでるっていう時に
例えばその交通ルールを守るっていうこととの正しさの
線引きとかって考えたらどうなるんだろうな
とかっていうのを聞いてみたかったんですよね
なるほど
それでいうと皆さんのその
例えばさっきの金田さんの話ってすごいわかりやすかったんですけど
例えば自分がこう思ってる
で相手とか環境がそういうルールになってとか思ってる
みたいな両面考えた上での境界線ってできるよね
それを伝えることってできるよねっていう話があったと思うんですけど
それも一つの自分の正義の線引きの作り方みたいな話で
どこから来るのかの一つの回答になり得るよね
これちょっと早いと聞いてるんだけれども
OK?大丈夫?
正しさの境界線
ありがとうございます
それでいうと例えば皆さんのその
例えばその自分の正義の境界線の引き方って
今の金田さんのように引いてるのか
さっきの久保野川さんのように自分今こうだから
そういう時の状況があって
その引き方ってみんな違うのかなと思って
どう考えてるんだろうってちょっと興味を持ってしまったというか
皆さんあるのかなっていう
もしくは意識してたしてないも含めてというか
あるのかなってちょっと聞いてみたいですね
ちなみに私はさっきの自分の立場とかを置いておいて喋ったんで
全然毎回そんな引き方をしてるというわけではないと思うんですけど
実際そんなに普段意識して生活させてなかったんで
考えてみたらそうかなってちょっと思っただけで
実際自分の立場がその場に置かれたら
どうやって判断するんだろうなというのは
ちょっとなんて答えていいかわかんないですね今
実存主義と責任
じゃあ例えば金田さんで言うと
自分をひるがえると自分はどういうふうに
境界線引いてるかなとかってあったりするんですか
例えば
どうなんでしょう
対人関係みたいなのを想像すると
やっぱり一番最初に言ったんですけど
相手にちょっと敵意を向けられたくないんですよ
意識が結構あるんですよ
なんでやっぱりそれを自分の利益と
相手に敵意を向けられないギリギリみたいな
そんな感じを責めてるんじゃないかなちょっと
なんか今パッと浮かんだなそんな感じですね
面白いです
だから今の場合だと敵意を向けられないっていう
その関係性
パラックルとさしさみたいなところが
あるかもねってことですもんね
そうですかね
面白い
じゃあ例えば秀さんとかは
なんかあったり
最近こう
最近ではここ何ヶ月かくらい
すごく実存主義にちょっとハマってて
実存主義
ニーチェとサルトルの本を結構読んで
だいぶ自分の心がなんか
感化されてきてる気がするんですけど
さっきちょっと言った
自分が慣れてるかどうか別として
なりたいなと思うのは
やっぱりこう結果を引き受ける
自分の人生として
引き抜けて生きる生き方っていうか
こう責任を自分に
責任を自分の中で持って生きるような
生き方 実存的な生き方はすごくなんか
かっこいいなっていうか
ちょっと憧れてるところはありますね
なのでさっきの社会的な規範と思われる
正しさの中と
自分の生き方の中との
葛藤ってやっぱり僕もあるかなと思って
あるんですけれども
そこの結果がどう出ても
自分の生き方だって
責任を持って言えるような行動であれば
正しいって自分の中で思えるのかなって
ちょっと自分側になりますけど
ちょっと思いますね
特に最近その本読んでるんで
感化されてるとは思います
いいですね
なんかまさにね
英語兄ちゃんのね
やっぱり超人とか英語会議が
自分がそこに誇りを持てるなら
マシみたいな
内側から来る正しさもありそうですよね
そうですね
超人になりたいなと思いますね
めちゃめちゃいいじゃないですか
面白いな
黒猫さんはさっきともしかしたら
被る部分もあるかもしれないですけど
その辺って何かこう意識とかは
やっぱり相手が例えば
多分その意識しなくても
見えてしまうみたいなことが
ついつい考えてしまう
みたいなことがあるとは思うんですけど
その中で何か正しさみたいな
自分の正しさみたいなものの
置き方みたいなのって
何かあったりしたんですか
何か
自分の正しさ
周りから見てどう見えるかですかね
自分が正しいと思って
取った行動が
例えば自分の友人や家族からは
それはちょっと違うんじゃないか
っていうふうに言われてしまうと
私は自分の正しさは
簡単に揺らいでしまうので
その周りからの見え方なのかなと思いますね
ただ
例えば人をいじめてはいけないとか
人に暴力を触れてはいけません
人のことを例えば
まあいいかとは悪いですけど
殺してはいけませんとかっていう
当たり前にある道徳観
すいません話してて思いました
道徳観からきてるかもしれません
道徳
ちょっと今自分の中で
少しだけ風に落ちたんですけど
自分の経験と自分が
人生の中で学んできた道徳観って言えばいいですかね
そういうものによって
なんか自分の正しさは
導き出されている気がします
面白い道徳って外なんですか
内なんですか両方なんですかね
外か内か
その例えば人を殴ってはいけませんとかっていうのは
外の道徳観ですか
外から来るもの
どっちなんだろう
一般的にでもそうですよね
法律でも暴行罪は定められているし
基本的にはどんな理由がある人のことを
殴ってはいけないっていう道徳観
というかそういう感覚って
皆さんお持ちなんだと思うんですけど
私の場合は
自分がその学生時代にいじめを受けていたとか
そういう経験もあった上での
人のことをもちろん殴ってはいけないとか
まあなんて言うですかね
貶めてはいけないというか
そういった正しさが生まれた気がします
周囲の影響と個人の正しさ
それは自分の中から来た気がしますね
実際に受けた体験をもとに
生まれた正しさなんだと思ってます
なるほどね
やっぱりそういった経験だったりとか
自分のまさに道徳ですよね
そうやって過ごしてきた価値観から来る正しさあるよね
ってことですよね
面白いなぁ
お兄さんはどうですか
そこの戦壁とかって
たぶん幼少期と今とでまた幼少期というか
また変わってるかもしれないんだけれども
たぶん元々は結構
同調圧力みたいなものとか
あとその場でいいとされていることと
それを踏まえた上で
なんか自分が今自分がやりたいことを選んじゃう
みたいな
結構ちょっと天の弱みたいなもともあって
例えばすごいちっちゃなこととかで言うと
この先生の授業面白くないから出なくていいかな
みたいなのが結構自然にしてたタイプ
でその結果怒られるんですけどもちろん
でもなんとも思わない自分が決めたから
後で怒られるだろうなってことも想定した上で
いやこの授業受けるんだったら
外で気持ちいいとこで本読んでた方がいいでしょ
みたいな怒られることもセットでみたいな
なんかだから自分にとっては
そのみんなとつまんない授業を
みんなと一緒に受けるっていう正しさよりも
そのそんな授業行かないで
あの悠々と本を読む方が正しかったみたいなのが
たぶんちっちゃい頃結構あったので
なんかそういうなのかな
だからまさにたぶん自分がこうしたいっていうところと
その場だったりその相手のところを読んだ上で
こんぐらい引いちゃおうかなとか
あとなんかそこに乗ったり
反ったりするというか結構そこは
なんかあったような気がしますね
なんか自分のやりたいことをやるのが正しいと
まず違うのそれは違うと
どっちが先なんだろう
さっきねハヤトが言ってたもんね
その外から来るのは先か自分が先か
結構面白い観点だなと聞きながら思ったんですけれども
でも面白いテーマですね
確かにさっきの
例えばその本を読んだ方が面白いみたいなのって
例えばその授業に行かなきゃいけない
みたいな制約でなきゃいけない
みたいな制約だったりとか
社会人だったら仕事に行かなきゃいけない
みたいな制約がないところで
果たして本当に生まれるのかな
みたいなところまで考えると
純粋に本当に何の外からの制約がない状態で
自分から生まれる正義ってあるのだろうか
みたいなのをふと思ってしまったみたいな
意味ではそうですね
たぶん必ずその人が生きている以上
なんだかの周りがあるので
そっちが先なのかな
みたいなのをふと思っちゃいましたね
それなかったら自分何してるんだろう
みたいな
今の面白いですよね
だからマネキの話だと
授業は出るものだという正しさとか
やっぱりそれは出てはいけないという
間違いというものが言ってある中で
でも自分は外に出てほしいものが正しい
別の正しさを抜けてる
みたいな感覚だと思うから
そこの違いも面白いよね
社会人になってからもあったな
人事部からのアンケートとかが
たまに来て残業してませんかとか
上司はどうですかみたいな
アンケートが人事部から来た時に
だいたい周りに聞いたら
無難に答えるみたいな人が
99%いて
そうなんだと思って
ただ当時上司が結構パワハラ気質だったから
なんか残業してるんですけど
定時でタイムカード欠かされちゃうんですとか
その後夜8時9時まで
当時銀行員だったんですけど
仕事終わってから9時10時まで
お客さんのところに
とくそくに行かなきゃいけなくて
夜電気がついたらピンポンするみたいな
そういうのを
ああいうまで帰ってくんな
みたいなことを言われて
それって普通なんですかね
みたいなことを書いたら
人事部から呼び出されたみたいな
そういう空気をわざと読まない
みたいなのも
性質なのかもしれないですね
甘わさくですね確かに
でもそれが正しいと思って
やってる部分もあるんだよね
日記の中では
そうそう
だってそこでわざわざ聞いてるわけだし
それでもし人事部から
そんな正直に書くやつなんていらないって言われたら
まあそれはそれでいいかみたいな
ここにいいみたいな
とこも含めみたいなのは
でもそれでさっきひねさんかな
その長寿になるには
その自分で引き受けるみたいな感覚
そんなたいそうなモードはないですけど
なんかあえてこう普通じゃないというか
なんか反発するようなことをする時は
なんかそのリスクも踏まえた上でやってるので
そのリスクを自分が追い切れない時は
あのあの普通に
そう長いものに巻かれてる気がしますね
確かに
なんか私もなんかその感覚近いかもしれないなと
特に最近その実論的にっていうところを意識してるので
なんかその自分が責任を取れるというか
でとこまではなんかすごく自信を持って
自分の正しさを選べてるっていう
ただそれ以上絶対に自分
人に迷惑かけて
自分だけじゃちょっと追い切れない責任
っていうところを
まあなんかこう無意識なのか考えてる気はしますね
なんかその教会的なところだと
どうなんすかハヤト先生と
僕の場合ですか
ハヤトの場合だったりとか
あとはちょっと今の皆さんのが
どうなんか捉えられるのかなみたいな
も含めてまずはハヤトのかな
ありがとうございます
あの僕の場合ですね
昔ハヤトやっぱりこうガチガチだったので
割と原理主義だったんですよ
どういうことかっていうと
たぶん中学校ぐらいまでは
僕なんかあの信号無視とかあるじゃないですか
赤信号で渡るとかっていう
あれをやる人は全員犯罪者と思ったんですね
道路交通法違反で全員犯罪者であると
一時が万事なので
その信号無視をする人は
全員犯罪処備軍だと思って
あの断罪したんですよね
心の中で
赤信号警察がここにここにエスカレーター警察だね
許せない赤信号渡るなんて許せないと思って
自分は何があってもここで腕を切り落とされても
俺は赤信号を守るんだぐらいに思ってた
ちょっとやっぱりね
よくわかんない何かに囚われていくんですけれども
あのそれはどこから来るかっていうと
完全になんだろうな
もうなんかやっぱりそのさっき黒猫さんが
まさにおっしゃっていた
正しさの根源
どこかに絶対的な閉ざし方があるはずだっていう
それにすがりたい気持ちが多分あったんですよ
それに従ってれば
自分は間違っていない
つまり自分は正しくあれるなという
自分の正しさを守りたい気持ちがすごく強かったんですよね
で好きな言葉に天知る地知る我知る人知るってのがあるんですけど
これあの多分地獄とかでなんか賄賂を送った人が
なんか偉い人に賄賂を送って
なんか受け取れませんってやる時に
私はあなたしかいないから大事です
バレませんとかって時に
その偉い人が天も見てるし地も知ってるし
私もあなたも知って
もうこんなだけ既に4人というか
4つの存在はこの賄賂を送るってことを知っているから
それがバレないはずもなかろうって言って
突き返すっていう話があって
僕このやっぱ天が知ってるとか
みたいな話すごく好きなんですよ
何か悪いことをしても誰も見てなくても
天が見てるよねとか
逆に何かこうちょっといいことをして
誰も見てなくても
その天が見てるみたいな感覚って
すごい好きなんですけど
ある時言うと天見てるけど
なんか僕幸せじゃないかなって思って
なんか一生懸命ゴミ拾いとか結構してたんですけど
誰も見てないところで
誰も見てないから誰にも知られてないんですよね
それはそうじゃって感じで
いつからかなんか
まあもうちょっとラフでいいかと思って
今は生きてるんですけど
だからその悲しさっていうか
僕にとってはすごい安心感
何か間違ったことをしたら
さっきカナさんもおっしゃってましたけど
やっぱり何か言われるんじゃないかとか
非難されるんじゃないかとかっていう時に
自分は正しいことをしている
だから大丈夫なんだみたいな
ちょっと免罪符っぽく使ってたことがあったな
という風に今では思うんですよね
なので割とその正しいことはいいことだというよりは
それをやってる限り自分は守られているっていう
弱さからきてたなー
みたいなことを思ったりしますと
内と外のバランス
いう時に
さっきその外とか内とかって
実は言っちゃったんですけど
これって多分両方のバランス
まさにバランスなんだろうなぁと思っていて
やっぱりさっき兄が言った通り
自分の内側から本当にゼロから出てくる正しさって
多分ないというか
よっぽど難しいと思うんですよね
それこそ秀さんのおしゃれ
21のような超人でも
自分はこの生き方を1から作り上げて
100まで正しいとみなすとかっていう
存在ならあり得ると思うんですけど
僕らそんな強くないじゃないですか
やっぱり
なのでさっきのやっぱり最初の
やっぱり鉄道会社が作ったルールにとか
やっぱり法律にとか
やっぱり人は殴っちゃダメだよねっていう
まあ道徳とか昔話的な価値観にとかっていうのはありながらも
やっぱりどこかにそれを自分の中で受け入れる
何だろうな器というかものがあるんだろうなと思って
そこの関係性を見ていくと
意外とねさっきまさに人を殴るのはダメですって時にも
それが法律で決められてるからですっていう人もいれば
いわゆるそんなことを人としてやっちゃダメでしょっていう
倫理観の人もいれば何だろうな
それは見たくないです
だから自分の前でそんな暴力なんてこと言わないでくださいっていう
なんか自分の守りたいという気持ちからとかって
全然違うところから来てる可能性もあるような
っていうのを思ったんですよね
ちょっといっぱい喋っちゃったんですけど
なんかそういう意味でもね
この5人がいて5人とも結構違いそうだなというか
何だろうな
やっぱそれぞれ違うところから来る正義が
正しさがありそうだなとかをちょっと聞いてて思ったんですよね
なんか今のお話を聞いて
黒猫さんが最初に言ってた
その周りからどう見えるかみたいな話です
その自分の中の道徳に従っていきますみたいな
それを聞いたときは
なんか自分の中のそういう道徳に従って行動できる
ひでさん言った超人的なところもそうですけど
行動をしてきるのってすごくかっこいいなと思ったんですけど
それがすごいなと思ったんですけど
京祐さんの自分のやりたいと思ったことを
自分の考えのもとにちゃんとやるっていうのもそう
でも一点最後の話を聞くと
その自分が正しさを信じている
そこにすがっている方が安心だからっていうのは
急にちょっと危なっかしい
この考えに聞こえて
でもどっちも自分の中の正しさに信じて行動してる
っていう話なんですけど
なんかちょっとそれは種類が違うんかなって
ちょっと思って
そこにもちょっと考えてましたね
確かにそういう意味でと
駿は自分の本当の意味の自分の生理みたいなものって
どこで意識し始めたりとか
なんか確かにその駿さんの言う通り
その完全になんかそのさっき
駿がバランスって言ったけれども
だいぶバランス悪いよね
さっきの駿
それでやっぱりその正しさにすがっていると
やっぱりどんどん辛くなっていくわけですよね
さっき話した通り
じゃあ仮に赤信号渡っちゃダメですっていう時に
本当にじゃあこの白線一本しかない道もダメなのか
そういうことを時々思ったりしますよねと
どんどん現実の自分が辛くなっていくんですよね
例えばじゃあこの人たちと友達と歩いてて
友達は先に行くんですよ
あの赤信号で例えば行った時に
僕だけ待ったりするわけですよ
これって何が正しいんだっけみたいな
自分の友達と歩いてても
赤信号を守るってことが正しいと言われたら
それは本当かみたいなことに出くわした時に
やっぱ考えるわけですよね
とかでもちろんその赤信号ダメですよ
絶対に出ないというかね
基本ダメなんですけど
でも友達と歩いてる時に
その調和を乱すって方が
もしかして悪いのかみたいな
とか考えた時に
なんかもうちょっと柔軟な方が
自分も行きやすいし
まあいいかもねっていう風に
徐々に馴染んでいくというか
そういう感覚がありますかね
だから例えばそのカントン定言名法的なことで言うと
赤信号はいついかなる時も
渡ってはならぬっていうものと
例えば周囲の人間と合わせて行動し
その調和を保つことが大事であるっていう
2つが仮にあったとした時に
どっちを選びますかっていうことだと思うんですよね
これ本当はちゃんと全人類が合意できるようなものを選べって言うというのは
めちゃめちゃハードル高いですけど
個人のレベルでも赤信号を渡らないという正しさと
その周囲と調和を保つ正しさっていうことの
やっぱ攻めぎ合いがあって
調和かなみたいな
もちろん当時そこまで考えたわけじゃないですけれども
そういう感覚で少しずつ馴染んでいったのかな
なんていうふうには振り返りますけどね
お兄さんの質問に答えれてたかしら
はいはいはい
そうだね質問を一人で投げっぱなしだったね
でも面白いよね
そうするとこれは分かんないね
今のハヤットのバランスが
例えばその原理主義100、0みたいなのだったとして
そうするとやっぱりそういう現実の壁にぶつかったみたいな
だからそういう意味では嫌悪なしに生きていると
そのバランスをある程度調整せざるを得ない状況っていうのに
ぶつかるんだろうかっていうのちょっと
それが面白いなっていうふうに思って
多分それは逆もしかになんだろうなっていう
自分100、周り0みたいなすごい自分堅い人がいても
多分そっちの方がぶつかりまくるのって
なんか想像にできるんだけれども
確かにそれはそれでそんなぶつかったまま
自分を出し過ぎると
多分どっかで絶対怪我するから
上手いそのバランスに
周囲との調和
その人なりのバランスに落ち着いて
飾るを得ないんだろうなっていう
面白さがあったかな今の話は
確かにね相互作用の中で出てくる
生まれてくる正しさというか
作られていくものはありそうな気がしますね
なんかお話聞いてて
表にできそうだなってちょっと思いましたね
正しさの心のよりどころにするものが
内のものと外のものっていう
これまで話してきたところの全体のところで
人間的にというかちょっと分けて考えて
その間をどこまでっていう攻め際みたいなのを
それぞれの方々
みんなみなさんでちょっとこう
すごい議論できてるなーって思いますね
規律か調和かみたいな今の流行ってる話
なんかちょっとそれかもしれないけど
調和を取るのって
なんかそれがしんどい時ってないですか
例えば赤信号を渡る
いやほんと渡りたくないのに
なんかみんな行くから渡るみたいな
ちょっとそういうところで本当は嫌だけど
調和を取らざるを得ないみたいなのって
結構あるなーってちょっと思いましたね
多分そういう言葉としては同調圧力とかに
まさになると思うんですけど
本当は自分はしたくないのに
周りがなんかこうやるからやらざるを得ないとかっていうことは
まさに多分もう一方の正しさの攻め際で
それに関しては僕はやっぱり
自分の正しさを守れる人でありたいなとは思いますね
例えばねよくやっぱり子供の話は聞きますけど
やっぱり子供同士で何だろう
例えばじゃあこれも本当に犯罪ですけど
やっぱり万引きを例えばするときに
それをすることが中華儀礼だとか
なんかこの仲間の悪事だとかっていうのって
あったりするらしいじゃないですか
最近その時にやっぱり万引きはしない
ダメだよ絶対しない方がいいよ
そういうことを選べるのが大事だよっていうふうな
価値観は結構僕の中ではよくあるなと思いますね
すごい分かりますね
周りの環境とかそういうところからも
来るなっていう感じがします
まあでも難しいですけどね
やっぱり当売りで仲間ハズレにされて泣いてる
仮に娘がそうなったらでもダメだけどね
でもそんな友達と付き合ってるからだとも言えないだろうし
自分のこともそうですし
家族とか子供っていう意味で対して考えると
より難しくなっちゃうなとは思ったりしますね
でもさっきのあれじゃない
そんな友達と付き合ってる体じゃないの
それは親としては
いやでもどうなのかな
それっていいのかなって思っちゃう自分がいて
結局それってなんていうのかな
その友達のことを知らないままに
相手の人格を否定するとか
そんなやつとは付き合うなっていう価値観も
また違うなと思ってて
仮にも娘さんが遊びたいと思って選んだ友達を
よく知らない親の立場から
その犯罪を犯すことがいけないっていうのを理由に
その関係性を立ってしまうことは正しいのかどうかって話になりますよね
まさにその通りですね
全人格を否定するのかという
自分の正しさで
その娘と友達の繋がりと立ち切ることが本当に正しいのか
もちろんね
親として子供がそういう道に行かないようにするという正しさと
でもその子の関係性というものを大事にしたいという気持ちと
これは難しいなぁとやっぱり思ったりします
全然今そういう状況あるわけないですけれども
もし直面したらすごく悩みそうだなって
割と考えちゃいますね
確かに確かに今の話聞いて思ったけれども
そこで自分の考えを
これはなんだろうな
そのあえてというかあれだけど
そこでさっきハエと言った
そういう友達がやってる時に
自分でその線引きをできないように育てた
自分が悪いみたいな
あれもある
ふうにも言えるかなみたいなね
見方によってね
自分が至りませんでした
太くないところです
この親ってこの子でしたみたいな
そうだね
友達責める前に自分責めるよっていうのは
その通りかもね
そんな感じでね
正しさの探求
ちょっと今いろんな話を本当にさせてもらって
ありがとうございますって感じなんですけれども
ちょっと時間もいいぐらいやってきたので
最後一言ね
これもいつもやってるんですけれども
皆さんに一言感想というか
いただいて締めるという感じにしたいなと思っておるんですけれども
どうでしょう
どなたかちょっと今日こんなことを感じたよとか
こんなことを考えてみたいと思ったよとかって
なんかある方いらっしゃいますか
感想的なところでいいんですかね
はいもちろんです
ありがとうございます
すごくいろんな話に及んだんですけど
正しさがどっから来るのかっていうテーマが
哲学の主要なテーマの一つといっても
すごく結構抽象的なところから来てるので
なかなか取っ掛かりが難しいなーって
ちょっと思ってたんですけれども
なんか黒猫さんの具体的な話とか聞く中で
本当こうやっぱ日々そういう場面も確かにあるよなーとか
思う機会ってすごく多いな
悩みって何か本当正しさを巡る悩みが
かなり日々多いなーと
仕事しててもんですけど
そういうふうにちょっと思ったところでした
でまぁやっぱ具体的な事例をですね
元に考えるとすごく
そこについての理解が深まるなっていうのが
一つの感想です
もう一個はやっぱり最後
自分の中から来る正しさと
あと外で決められたというか
正しさというところの
線見合いみたいな形で
いろんな話を整理できるかもなーっていうところになったのが
なんか自分の中ではすごくちょっとすっきりしたというか
それこそ表にしてみたいなとか思ったぐらいなんですけれど
自分がこうだなと思っても
やっぱりそれと反対側の見方もあるなっていうところを
そういった形で整理できるなって思ったのが
すごくですね
今日話してて良かったなというか
充実してたなと思ったところでございました
対話の重要性
ありがとうございました
ありがとうございました
次どうなったかいかがでしょうか
ちょっとあんまりまとまってはないんですけど
正しさはどこからっていう話ですごく
なんか自分の中でそんなに
ちゃんとどこに正しさの線を引くかとか
普段そんなに考えないようなことを
なんか改めて考えてみる機会になったかなと思いました
自分の中でもうちょっと
その辺を考えてみたいなとも思いましたし
なんか皆さんみたいに
こう相長圧力に負けないような
自分の中の進路通ったような人間になりたいな
っていうふうに思いましたね
はいそんな感じですね
今日はありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございます
はいお次はまたお願いします
じゃあ私
はい黒田さんお願いします
今日もありがとうございました
楽しかったです
すり合わせ話し合いが大事なのかもしれないなって思いました
正しさってやっぱり人対人の問題になってくると思うので
自分一人だけの世界だったら
正しいも悪いもないと思うので
どうやってその相手の人との
その正しさの線引きを決めていくかっていうと
やっぱりその話し合い
いかにすり寄せていくかっていうところが
皆さんの話聞いてたり自分で考えながら
ちょっと一つ結論を残して
ちびきだしのところですかね
正しさがどこから来るかはちょっと未だに
もやもやしてます
難しいなと
まあその人生を今までのところ
生きてきた中でのこともありますし
道徳観や倫理観っていうものにも
どうしても左右されがちなので
またちょっと自分でもいろいろ考えていきたいなと思いました
ありがとうございました
ありがとうございます
お兄さん是非お願いします
面白かったですね
やっぱり自分でこういうことを普段考えないので
やっぱりこういう機会がないと
なかなか言語化もしないし
わざわざ考えもしないっていうところで思いましたし
やっぱり今日の話を言うと
さっきの黒ぬかさんの話で話し合いだったりとか
相互理解じゃないですけれども
そういうのってすごい必要になってくるんだろうなっていう中で
どうしてもやっぱり意見が対立したときとか
相手の主張そのものを聞こうとしたりとか
あと今日ハヤトが一瞬正しさみたいなところ
そこをどう多分捉えるかが
その人の価値観に近いみたいな話が
ちらっとたぶんあったような気がするんだけれども
その価値観と価値観の違いみたいなものの表面的なところで
結構なんでそう思うみたいな話をお互いしちゃって
そこで結論を出すというか
お互い歩み寄ろうとしちゃってるなって思ったんだけれども
今回の話を踏まえるとその表面的な話ではなくて
あなたのその価値観だったりとか
あなたがこの場で話しているその意見だったり
思いっていうもののその正しさは
どこから来てるんですかねっていう
そのどこから部分っていうところ
そこまでアクセスできると
その何かその対話が深まるだとか
対話の取っ掛かりが生まれるとか
何かこう土俵の擦り合わせが少しでも進むんじゃないかみたいな
ちょっとそういう可能性を今回感じたので
相手の方がそこを意識している
もしくはできる場合はそこをちゃんと言語で話し合ったり
意識してない場合はそこをその例えばおこがましい話だけれども
こっちが少しでも想像して引き出すとか
そういうことがこう何かこうお互いの対話を深めるって
みんななんかできるのかなぁみたいな
ちょっとそういうことを感じた回でしたね
今回 なのですごい面白かったです
今回も皆さんのお話聞いて楽しかったです
次のステップへ
またよろしくお願いします
ありがとうございます
はい皆さん本当に今日もありがとうございました
やっぱりねこうまさに今兄貴も言ってくれましたけれども
やっぱり普段話さないとかで普段アクセスしないところにね
やっぱりちょっとアクセスしようとできるのが
哲学家府のいいところなのかなぁなんて思ってまして
ある種でこれは正しいとか間違ってるとかっていう話は
普段するかもですけど
なんでそう正しいと思ってるのか
それって結局自分の何から
あるいは内側とか外側って
ひでさんが言ってくれたその表もありましたけれども
そういうふうに分けられるかもねとかって話す機会って
まあ普段来てるあんまないと思うんですよね
なのでなんかねこういった
それで2カフェだったりとかねこうやって哲学的なこととか
考えることが好きな人が集まることでね
やっぱりできるお話ってあるなぁと思ったので
本当に今日もすごく楽しい時間を
皆さんと過ごして嬉しかったなと思っておりますし
今回ずっと新たなコミュニティで
それを公開版としてお届けしているってところでいくと
なんか聞いた方にとっても
普段のね僕と兄貴の2人だけっていう方じゃないものを聞いた時に
なんかね自分もあなんかこんなこと感じたなとか
こんなところでなんか自分も哲学になりたいと思ったな
みたいなところがなんかであったら嬉しいな
なんて思ってやらせていただいた感じでございました
はいこれですね今日のそれ鉄カフェ公開版は以上となっております
はい本当に今日皆さん黒猫さんカーサさんヒレイさんも増えてですね
ご参加いただいてありがとうございました
ありがとうございました
はいというわけでそれ鉄カフェ聞いていただきましたが
いかがでしたでしょうか
結構ね後半からなんか盛り上がって
雰囲気が変わった感をね感じいただけたらうれしいなと思うんですけれども
前半は結構探り探りだったと思うんですよね
終わった後ちょっと皆さんの感想を聞いて
やっぱ前半はね結構緊張しててなかなか喋れなかったとか
そうだよね
自分の話したことがやっぱり世の中に届くって結構怖いじゃないですか
でもやっぱ後半は途中で結構組み込んだ質問とかをしてくれて
そもそもこの場って正しさじゃなくて
その正しさどこから来たのっていうことを話せばですよねみたいな
いやそうかハネットの設定が多分難しかったんだろうね
自分がそれを上手くちゃんと考えずに出席してるから
正しさかぐらいの正しさの話ねっていう感じで出席しちゃってるから
途中であそっかみたいなね申し訳ないっていう
いやいやでもやっぱりそれズレをちゃんと認識した上でやっぱり揃えていくって
これ前回の雑談でも話しましたけど
やっぱりその共通認識を揃えていく
もっと言うと僕らはどれだけ共通認識を揃えないまま普段喋ってるってことだと思うんだよね
あーはいはい
別に雑談それでいいじゃないよね
今日ね天気いいよね
我々最近暑いよねとかって別に共通認識はそれまでもないけど
やっぱりねこういうちょっと深いって言わなくちゃいけれども
なんだろうなテーマをやっぱり話そうとするとやっぱそれが大事だし
そもそもずれてるってことはやっぱり気づくのがめちゃめちゃ面白い
うんなんか自分ってこれが当たり前だと思ったけど他の人は違うんだみたいな
そういう気づきがあることがなんかこういう
それといってカフェとか手伝って対話とかっていうところの大ゴミじゃないかなってやっぱ思うんですよね
いやー確かにそうよね
うん
でも確かにカナタさんとかトムヌコさんもね
やっぱ自分の経験のところからいろいろ思うこととかね
今回のテーマに関して思うこと
あとこの対話の中から思ったことみたいなものをね
こうなんかそれぞれが出てきてるというかね話してくれるというか
その中でお互いまたなんかねそれならそうみたいな
それがやっぱりこうちょっとずつ後輩になるにつれて
なんとなくこう温度感みたいなものとか土俵みたいなものが揃ってきて
毎回時間足りなかったねっていう
そうだねもうちょっと話したかったねっていう
そのくらいでいいんだろうけどね
はいっていう感じですねちょっとあの皆さんに聞いていただいて
どう感じていただいたかっていうのはあるかなとは思うんですけれども
もしちょっとなんか自分もなんか参加してみたいなとか
話してみたいなあるいは聞いてみたいなとかっていう方がいらっしゃったら大歓迎ですし
結構あの今回参加いただいたメンバーの方々は
5回6回くらいやってるのかな結構何回かやった上でやってらっしゃるのは
結構皆さん自然に話したかなとは思うんですけれども
別になんかうまく話さなきゃとかってことも全然ない場だったりはするので
はい少しでもねこの場が面白そうだなとかこういう話っていいよねっていう風に思う方がいらっしゃったら
ぜひそれ鉄フォーラムでお待ちしておりますので
概要欄の方にそれ鉄講演のリンク貼ってますので
そこからそれ鉄フォーラムって何人とか
あと元々ハヤトが何でこんなものを作ろうと思ったのかみたいなノート
記事とかも貼ってあるのでご興味ある方はね
その辺で読んでもらいながらもしよかったらね
覗いてもらえると嬉しいですという感じでした
はいなのでやっぱり皆さんとなんだろうな
することで見えてくることが僕もあるなと思いますし
やっぱりそれぞれが楽しみというかやりたかったことでもあったりするので
なんかねそこに自分もちょっとかかってみたいなっていう方がいらっしゃったら
本当にぜひお話ししましょうと思っておりますという感じですね
いやーですしね今回参加いただいたね
あのクロヌコさんヒデさんカナタさん
本当にありがとうございますというところですね
はい
今回は特別編ということでお届けしたんですけれども
また次回はシェリングに戻りまして
ドイツ関連論というところでまたやっていこうと思っておりますので
そちらもぜひお楽しみにというふうに思っております
はい分かりました
では次回ですねシェリング入っていくというところで
引き続き楽しんでいきたいと思います
では次回もよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました
01:21:07

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