はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、輪際すげーってなるエピソードというところで、悟った輪際がどういった説法をしたかとか、そういった話を聞いてきたんですけれども、
今回は一転して、ちょっとこう、輪際でもやり込められることがあったんですよみたいな、そういう話をしてくれるっていう感じでしたね。
そうですね、はい。なので、前回までは割と解説してね、複音性的になってわかったみたいな感じだったと思うんですけど、
今回はちょっとわからんみたいなところを、むしろ感じていただきたい回でございますと。
はいはい、そんなね、甘いもんじゃないぞと悟りは。
甘いもんじゃないっていうか、やっぱ、なんていうのかな、わからないこともあるよね、みたいな人間だもんみたいな、そんぐらいの気持ちでいいと思うんですよね。
まだわかるかわかんないだろうとかじゃなくて、そんな人たちもいるよねみたいな感じで聞いて欲しくて、
ちなみに僕の中ではね、これ悪党シリーズって呼んでるんですけど、
悪党強いじゃん。そんな人もいるよね、じゃないじゃん。結構強い言葉ね、悪党。
なんでそれを悪党シリーズっていうか、聞いていただければちゃんとわかると思うので。
はいはいはい。
今日は早速、臨済がやり込められるというか、そういう話からちょっと持ってきたのでお伝えしたいと思いますと。
はいはい、お願いします。
前回、臨済さんのところに教えを説いてくれって言った父さんがいたよ、みたいな話をしたじゃないですか。
うん、あったあった。
この人はまた訪ねてくるんですよ。定期的に通ってるんだよね、たぶん。
この人は前回お名前は伝えなかったんですけど、オウジョージさんっていう人でして、名前が伝わっててオウさんって呼ぶんですけど、
オウさんと臨済さんのやりとりなんですよね。前回は臨済さんがいろいろお坊さんと話をした結果、こんなこと無駄だからやめるって言ってやめちゃったんだけど、さて今回どうなりますかっていう話ですと。
今回はもう一対一なの?
うん、一対一。
はいはいはい。
オウさんが臨済さんのところを訪ねて訪ねるわけですよね。
で、突然ここのお坊さんはお経を読みますかって聞きますと。
これもちょっと嫌な質問で、前々回から第二回の時に、善の人たちが初対面で問う言葉っていうのは結構いろんな意味を持ってるみたいな話をしたじゃないですか。
で、これも実は深い質問で何かっていうと、要は前回それこそ来てるみたいにオウさんは別に初めて来たわけじゃないんですよね。
だから別にこの臨済さんのお坊さんたちは何やってるのかって当然知ってるし、善のお坊さんもお経の勉強ぐらいするわけだから、修行としてお経読むことはもちろん知ってるわけですよ。
それを知ってる上で、そういうお経を読みますかなんてわざわざするわけだから、ここにはちょっと善的なというか、ただの質問じゃないよっていうものがそもそも含まれるわけだよね。
なるほど。属性の人とはいえやっぱりそこまでの立場である人だから、そんな頭悪いわけないよねと。ちゃんと意味はあると。
っていうのを解説的な話としては、質問とかやり取りの後にそういう解説がある種言われたりしますっていう感じなんだよね。
臨済はそこで答えるわけですよ。いやいやお経なんて読みませんよと。
続けて王さんが尋ねますと。ではじゃあ座禅はしますかと。それも臨済はいやいや座禅もやりませんよと。
王さんがなるほど、お経も読まずに座禅もやらないとすれば一体何をしているのですかって聞くんだよね。
そう。ここも臨済が本当にどう思ってたかわかんないけれども、そういう、要は俗仏だと思ってた人が、ああだこうだ言ってくるから、いやいやもううちはそういう俗のことやらずに仏になるっていう、そのことを大事にしてそこに専念してるんですって言った時に、
仏になることに専念するとか、ならせるっていうふうに、要はもう仏なのに、あなた自身が仏ってずっと言ってるのに、ならせるみたいな、仏を求めるようなことをしちゃうのって間違ってませんか?っていうふうなことを返されて、ちょっとこれは自分がうっかりしていたなと。
はいはいはいはい。
というような話のやり取りが残っていますという感じだね。残っていますというか、実はちょっとこれ種明かしすると、実はちょっと臨済の実際のやり取りじゃなくて、他のお坊さんの逸話がこの臨済力に取り込まれたものらしいんですよね。どうやらその学術的な交渉をやっていくと。
そうなんだね。臨済の話はないと。臨済にはなってるけど、登場人物として。
おそらくね。
そんな考察までされてるんだね。
そんな考察もされてる。これって本当?みたいなね。
だとしてもやっぱり前回やったみたいにさ、仏を殺せとか、こんなやり取りが目立たなくてパッと取れちゃうみたいな、そういう勢いがすごい臨済でも、時々はこうやって間違えちゃうとか、ふとした瞬間に仏とか悟りの視点をちょっと忘れちゃうみたいな。
やっぱりそういう話をあえて載せることで、やっぱり前回あったような臨済すげえって言って崇拝しちゃうとか、臨済をそれこそ深刻化しちゃうみたいな。
そうじゃなくてちゃんと自分に立ち返りなさいよみたいな、そういうメッセージになってるんじゃないかなっていうことも感じるんだよね。
はいはい、いやー面白いね。これは悟った人あるあるなのかもしれないね。ちょっとこう油断してるときとかにね。
そうそうそう。だからやっぱりこういう、ある種王様みたいな、普通の人というか仏じゃない人とやり取りの中でもそういうのが見えるみたいな、ちょっと人間らしさというか。
まさに悟りっていうのが別に、すごく人を超えてすごい境地に至るとか、完璧長寿になるとかってことじゃなくて、ある種やっぱり生き方の話なんだよみたいな、この臨済の善の話でいうとね。
なるほどね。まあでもちゃんとその隙を突かれて、この金の屑は尊いけど、どうなんですかね、その辺みたいに聞かれたときに、わあそうだったみたいな、そこはちゃんと気づけるっていうとこはあるってことなんだね、そこは。
やっぱりそれはもちろんちょっと臨済がやっぱりわかっている人だよっていうオチというか、その話の終わりになってるんだよね。
そうじゃないとね、早くいかない、ここでめっちゃブチ切れたりとかしたらね、ここに里となるじゃん、みたいなね。
そう、そう、そう。そうなっちゃうとね、良くないので。
だからやっぱりこれ面白いよね。お経を読みますか読めません、座禅しますかしませんっていうのも、これもやっぱり当然やるんだよね。
お経も読んでるし、座禅もやってるんだけど、座禅をやってるんじゃなくって仏になるんだっていう、そっちが大事で、座禅っていうのは手段だよ、お経っていうのは手段だよっていうのが正しいというか、やりとる人たちは適切なんだけど。
そこにお経と座禅を捨てて、仏になるっていうのを取るって言っちゃうと、まさにそれは片方を捨てて片方を取るとか、あるものは良いとしてあるものは悪いとするみたいな、やっぱりそういう執着の話につながっちゃうから、やっぱりそれを越えないとダメですよねみたいな。
そういうような話がこのエピソードからは伝ってくるよなっていうふうに思ったりします。
いい話だね、やっぱ。
流行ってんの?当時。
僕思った、絶対このエピソードとか小学校の国語の教科書とかに載ったら流行ると思うんだよね。
悪党、悪党って言って逃げていくスタイル。
そうだね。
以上。
以上なんだね。悪党シリーズ。
悪党シリーズ。他にもいくつかあるんだけど、3つか4つくらいあるのかな。
悪党、悪党みたいな話。
これ臨済がただいじられてるだけじゃなくて。
分かんないのよ。
僕はこれ読んだ時に一人で爆笑してて、ほんと分かんないなって思いながら。
分からなさっぷりにね。
分からなさすぎて。
ちなみにこれは日本語で言うと悪党なんだけど、中国語で言うと賊?三賊と海賊の賊っていう言葉で、賊賊って言って出てくるみたいな言葉なんだよね。
それでも全然分かんないんだけどさ。
そうだね。何を持ってそういうふうに思ったかみたいな。
一応その臨済の方から、なかなかの悪党ぶりだなとか、この悪党めっていうふうに言ってるから。
毎度それに反応して、悪党は悪党って言ってんだろうなとかっていう、考察っていうかさ、推測はできるけど、でも全然分かんないんだよね。
いやー、面白いね。なんとなくだけど、ハヤトの解釈とかってある?先に感想を言ったほうがいい?
ないんだよ、僕。分かんないもん。なんでさ、臨済はこの悪党めっていう、悪党とか賊っていう言葉を使ったのかも分かんないし、悪党悪党って出てくるのも分かんない。無言で出てくるのならまだ分かるんだけどさ。
悪党悪党って面白すぎるじゃん。
まあね、本当っていうかね、普通のやり取りじゃないもんね。
普通のやり取りじゃない。だから、分かんないなっていうところで、あえてそれでいいかって思ってる節はある。
無理矢理感想を言っていい?これ。
解釈、どうぞ。
これどっちも相談と思うんだけど、たぶんどっちも、このオショウさんも、このフケも、常識から言うとちょっとずれた行為をしてしまってると。
臨済はその常識から外れた行為に対して、コメントしてるんだよね、ちゃんとどちらに対してもね。
そちらもこの悪党めと、悪党っぽいねみたいな話をしちゃったと。
それに対してたぶん、そこがすでに罠で、そういった常識から外れた行為をした時に、悪いことですよねみたいな。
評価をしちゃった臨済に対して、やいと。
そんな一般常識で判断してやがって、もうちょっと悟ったんだったら気の利いた?
もうちょっとユーモアのある回答してみろよ、みたいな。
そこを試されてるんじゃない?2人に。
悪党って普通のこと言ってる?いやいやいや、みたいな。
もう普通だ、面白くねえし、みたいな。
話をどっちも思っちゃって出てった、みたいな。ある意味無茶ぶりだよね、でもね。
みたいな感じだろうかな。
だからスピンザは試しに来てる人たちだよねっていう感じの解釈だよね。
それ分かってんだったら、もうちょっと変なことやってるのは分かってんだから、もうちょっとユーモアの効いたら面白いこと言ってよね、みたいな。
つまんないなあ、お前、みたいな。
それ悟りの、悟りチェックなのかね、ただの奥義チェックなのか知らんけど。
どっちなのか知らん。どっちの意味で面白いのか知らんけど。
そうね、ここまで来るとね。
分からなすぎる。やろうとする意味も分かんないし。
やっぱり何か理解を促すとか、一つの正解を伝える本みたいなことではないから、
やっぱり兄貴がリアルタイム性とか、そのライブ性か、みたいに言ってくれたけど、まさに読んでる自分と臨済との対話とかっていう、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、
やっぱりそういうところが本というかね、言葉にはあるし。
それを一部にしようとしたっていう。
そうそう、なんかいいんじゃないのかなーみたいなことは最近自分自身も思って。
逆にさ、わからない時はさ、何かわかりたいとか、外に近づきたいとか、それがわかるんじゃないかと思って読んでるわけだよね。
思っちゃう。やっぱ正解知りたいとかって思っちゃうもんね。
ここで臨済は何を言ってるんだみたいな。
でも解説本とか読んで、なんとなく分かった風になったからこそ、別にそっちにこだわらなくていいかなというか。
別に一個の正解を辿るよりは、ここではもしかしたらこんなこと言ってるのかもしれないとか、なんとなく自分はこんな風に感じたっていうのを大事にして。
読めるようになったら、それはそれでまた一個の成長じゃないかなっていうふうに思ってる感じなんですよね。
はいはい、なるほどね。確かに確かに。すごい世界だな。
確かに、正解してても結局、悟りの道にはいけないっていうこともめっちゃあるからね。
いや、罠だな、それは。
そうそうそう。やっぱりこの分からなさを楽しむみたいなのは結局哲学ではっていうか、考え続ける。
だから分かったって言って終わっちゃったらすごくもったいないし、
一回分かったと思ってまさに兄貴も言ってくれたけど、やっぱり悟ったからゴールじゃなくて、そこから始まるんだみたいな感じで。
やっぱり一個のことが分かったら、そこから先の世界が見えてくるみたいな。
物ってやっぱりすごい楽しいなと思うので、それをちょっと今日感じていただけたら嬉しいなっていう感じですね。
いやー、面白い。ありがたいね。
自分なんかそこ、分かったり止まっちゃう方の人間だから、それがない人間にとって、
じゃあその一つ分かったことで次の知らないことが見えてくる感覚って、実はそれを体感するとか、
本当に理解するって多分結構難しいことなんじゃないかなって思ってて。
なるほどね。
だからそこの感覚がないからこそ、こうやってその感覚だよね。
一つの道をきちんと極められないけど向かっていく、真摯に向かっていく感覚っていう。
何か好きを突き詰めるとかでもいい、何でもいいんだけど、その感覚が本当にない人はない、自分なんかそう。
ずっと言ってるもんないけどね。
そこはありがたいね。そこを意識してこういう風にやれば突き詰めていくんだよっていうのを。
自分はちょっと具体的すぎるけどね。
はいはいはい。
そういうとこは良かったかな。
やっぱり前も道だから続いていくというかそれを辿っていくみたいな。