1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #164 現代の仏教観のルーツ!..
2023-11-22 44:31

#164 現代の仏教観のルーツ!鎌倉仏教がうまれた納得の理由

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



▼おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

サマリー

鎌倉時代の仏教の変遷と流れを知ることは、根本的な宗教観を理解する上で重要です。鎌倉仏教は、日本の仏教史上で重要な転換点でした。この時代の日本では、貴族たちは現世の利益や政治的な地位を守るために仏教を崇拝していきました。その結果、寺院は世俗的な政治の場となり、修行者たちは寺院を離れて独自の修行を行うようになりました。また、平安末期には末法の思想が広まり、極楽浄土への信仰が流行し、浄土宗が大きな支持を受けるようになりました。仏教のロジックに基づいた考えから辿り着いた答えは、ナムアミダブスであることを語り、ミダの本願について説明しました。今後は、鎌倉仏教が生まれた背景や浄土教について詳しく説明する予定です。

平安時代から鎌倉時代の流れ
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回も空海に引き続き日本の仏教ということで、鎌倉仏教というところでよかったでしょうか?
大丈夫です。ただ、鎌倉仏教という言葉も色々あるぞみたいな話を読んだので、
今、そういう言葉を使うのに真摯になっているんですが、一般的に言われる鎌倉時代の仏教で間違いないですと。
厳密にはあるんだね。鎌倉仏教と言ってはいけないかもしれない、何かがあるんだね。
それと、いいのだろうか?みたいな結構調べたらあるんですけど、鎌倉時代の仏教で、
テストとかで日本史のテストとかで言うと、誰が何しを開きましたみたいな。
結構ね、これややこしかったなって覚えている方もいらっしゃるんじゃないかと思うんですよ。
漢字もね、難しい。ほうねんとか、ちんらんとか、かけねえよみたいなね。
繋がりも分からないしね。誰が何しを開きましたか?
そうそう、何しを開きましたか?みたいなね、あったと思うんですけど。
そんな時代で、時代的にはですね、日本の浄土宗、浄土宗ということは聞いたことある方もいると思うんですけど、
それを始めたとされるほうねんという人がいるんですよね。
ほうねんさんが生まれたのが1133年ですと。
前回取り上げた空海が生まれたのが774年なので、
実は空海から鎌倉時代の仏教で言ったんだけど、350年くらいかな。
結構時間の流れはあるんですよ。
長いね。
もっと言うと、空海から生まれたのがまさに平安初期みたいな感じだよね。
ナクヨウグイス平安期、今でもそうかちょっと分からないんだけど。
仮にナクヨウグイスがあったとしたら794年のちょっと前なので、
まさに平安時代が始まるところですと。
そこから300年くらいこの平安時代が続くんだけれども、
まさにこの平安時代が終わって、次の鎌倉時代に移るぞという時に活躍者が生まれてきたのが、
ほうねんとか、あるいは新蘭、日蓮みたいな名前の聞いたことあるんじゃないかと思うんですけど、
そういう人たちが活躍していくんですよね。
そうかそうか。流れでいいとは言ったけど、結構時代は変わってるんだね。
300年あるからかなり変わってましたと。
今そのほうねん、新蘭、日蓮みたいなのもさらっと言ったんですけど、
生まれで言うと新蘭が1173年で、日蓮が1222年なんだって。
ここでも50年くらいか。
そうあるし、ほうねんは1133年だから90年近い差があるし、
あと言うとほうねんが亡くなった後に新蘭時代が生まれているので、
その時点で僕も同じ時代で横に並んで仏教やってお互いに批判し合ってたみたいなイメージだったんですけど、
実は結構ほうねんから日蓮という中だけでも100年近い時間の流れがあって、
いろんな対立とか発展がありながら、仏教というものが広がっていくのがこの時代なんですよというのがまず大前提でありました。
なるほど。100年だとスパンは結構長いけれども、この前やった空海からすると平安時代も結構長かったと。
鎌倉時代に移っていくときの、その中で仏教もここで変革期みたいなのはあったって話なんだね。
そうだね。
いわゆる日本の仏教史上で言うと結構ダイナミックな変換点だったと言われていて、
今回一人ひとり取り上げちゃうと本当に6人、7人どころじゃない、本当にいっぱいの人がいたので、
空海と最澄
まずは大まかに平安時代から鎌倉時代に至る仏教の変遷みたいなとこを眺めつつ、
なじみ深い浄土宗とか浄土新宗っていうのを今回取り上げたいなというふうに思っています。
そのうち時間を見て、日蓮宗とか一遍の自宗とか、そういうのも応用して取り上げたいなというふうに思っているんですけれども、
ただなじみ深いとか言っても、それって観音家が浄土新宗だったからではみたいな話があると思うんですけど。
なじみ深いって言ってもそれだけだからね。
確かにそれだけ。別に知ってるわけじゃないじゃない。
たまに言ってたみたいな、なじみ深いというか、うちがたまたま浄土新宗だった。
聞いたことあるかなと思うんだけど、一応宗教統計みたいなのが今でも出てまして、
日本の何人外語、何教徒なんだ、何宗なんだとか別に出てたんですけど、
2021年だから2年前の統計とかを見ると、一応ね、日本の仏教系の信者は8300万人いると言われてるんですよ。
ほうほうほう。
ただね、信徒もね、8800万人ぐらいいるんで、これね、仏教信徒してるじゃんじゃなくて、やっぱり無宗教だよねみたいな。
あーそうなんだ。これだって人口を超えてるよね。
足したら1億9000万になっちゃうから。
複数回とかって感じなのかな。
そうだと思います。何かありますかって時に、信徒とか、仏教とかチェックする人が多かったんだろうね、おそらく。
まあそうだよね、お寺にも行くし、七五三に、神社にも行くしみたいな感じで、どっちもチェックするみたいな話か。
そうですそうですそうです。
仏教の中でも何系が多いのみたいな話は見れるんですけど、前回取り上げた空海を始めた神言宗、神言系というのがざっくり550万人ぐらいいると言われてます。現代ですね。
うーん。
最澄が始めた天台宗というのがあると思うんですけど、現代でいくと280万ぐらい。足しても800万ぐらいなんですよね。
空海、神言宗の方が多いんだね。
うん、現代宗みたいで、最澄は浄土系みたいになると浄土宗とか浄土神宗とか含んじゃうんですけど、だいたい全部足し上げると2200万人ぐらいになる。
意外と少ない。
8000から少ないと思うんですけど、前週とかだと500万人ぐらいと言われてるので、単一のなんちゃら宗でいうと浄土宗というのはすごく多い。
今は1億2000万人ぐらいだから、6人に1人は浄土系と言ってもよかろうみたいな感じなので、なじむかいっていうよりは、なんだかんだ日本を広めたときに一定、今でも浸透していると言われている。
もちろん毎日というかお寺に深くかわっている方もいらっしゃれば、僕らみたいにお墓参りで年に1回行かないかみたいな人もいるとは思うんですけど、
それを含めると一応浄土系が多いよというふうには言われているようです。
なるほど。
こういった分布、それこそ天才宗とか神言宗は少なくて浄土宗が多いみたいな話っていうのも、
やっぱりこの鎌倉自体の仏教の拾われ方にかなり根付いているというか、発端があったんじゃないかというふうに言われているんですよね。
はいはいはい。
なのでこの時代を知るというのは僕らの根っこにあるピアノ宗教観というか、仏教観だよね。
やっぱり僕らのどっちかというと、普段思っている仏教って極楽浄土があって年別されてみたいなのって、
これまで言ってきた通り、いわゆるお釈迦様が始めた仏教と似ても似つかないものなわけよ。
空間の時にも大乗仏教があってとかさ、それを乗り越えてそもそも密教は仏教かみたいな話もしたと思うんですけど、
僕らの価値観的な宗教とか仏教っていうのはこの時代に結構さかのぼれるし、
それだけじゃなくてこれはインドとか中国の仏教っていうのにも話していきたくなったと思うので、
いわゆる今の僕らの素朴な感覚とこれまで話してきたお釈迦様とか優柔とか優意識とかっていうものと掛け合わせたときに、
この時代の仏教の特徴とかなんでこんな風になったんだろうっていうのを知る上でも結構楽しいんじゃないかなと思ったりするので。
はいはい、なるほどね。面白いね。そこら辺にルーツがあるんだね。我々の宗教観であるとすれば。
そうです。繁民主義を広まった仏教とか宗教っていうのがあるんで、
その上で鎌倉仏教with浄土教編みたいな感じで今回はお届けしていきたいなというふうに思っているところでございます。
分かりました。本当に確かに一様身近なくせに本当に知らないっていうところから楽しみだね。
そうなんですよ。そういった意味では次回以降浄土教のことをしっかりお伝えしていくんですけど、
今回は普段の第一回と人の人生とか人の周りっていうのをお伝えすると思うんですけれども、
ざっくり鎌倉時代に至る平安時代からの世の中とか仏教の流れみたいなものを、
本当にすごいざっくりですけれどもお伝えしていきたいなというふうに思っています。
もちろんここに収まらない話でももちろん歴史的な事件とか人物がいっぱいいるし、
経済的な利害と神秘主義の結びつき
若干そのね、いわゆる鎌倉新仏教とかっていうこともあって、
要は法念とか神論が作ったものっていうのが新しくて、
それまでの奈良とかでやってたそれこそ天台宗とか神言宗っていうのは若干ちょっと古いんだみたいな、
いわゆる歴史の、勝った方が作った歴史は昔の人たちがボロ臭いわれるみたいな話ではあるとは思うんですけど、
そんなふうな解釈に近いようなこれまで研究も多かったんじゃないみたいな批判とかもね、いろいろ見てたらやっぱりあったんですよね。
うーん、あーそうなんだ。なるほどなるほど。ちょっとメジャーな方からみたいな見た目になっちゃうみたいな。
今広がっている方からやっぱり昔の奴らめみたいに言われちゃってたみたいなのもあったみたいなんですけど、
ちょっと確率的な面もあるかなとは思うんだけれども、
ざっくり空海というところから300年、350年経って鎌倉時代になりましたみたいなところの流れを知るという意味ではちょっと役立つかなと思うので、
お伝えしていきたいというふうに思っています。はいはい。
前回お伝えした通りなんですけど、平安初期の仏教会っていうのは二大スターみたいなのがいて、
それがまさに空海と最澄なんですよね。
あーそれはもう本当に紛れもない事実だね。
紛れもない、そうそうそうそう。やっぱりもうツートップみたいなのがいます。
空海というのはこれまでお伝えした通り密教を学んで信号宗というのを始めます。
別に法華経というのを学んで天台宗というのを立てるんだよね。
これというのは当然平安時代というのもあるので、貴族文化とか政治が貴族中心になっているので、
貴族たち、空海は天皇に本を献上していろいろと伝えたよというのがあったと思うんですけど、
そういう人たちが仏教に担いでいたんだよね。
あーなるほど。そうだよね、お坊さんというのは国家公務員ぐらいの話だったもんね。
結構国家とつながって結びついているとか、やっぱり仏教で国を治めるみたいな、
そういう考え方というのは結構強かった時代なんですよね。
なのでちょっと前回は空海の密教のことしかお伝えしなかったんですけれども、
最澄のやってた天台宗というのは、いろんな儀式とか呪術を持っていて、
ある種の神秘主義みたいな、いわゆる象徴的な体験をするとか、光を見るとか、
そういうようなもので想像されるものを大事にしたというのも正直あったんですよね。
あーそうなんだね。じゃあ前々やってた儀式みたいな、ああいう理の整然とというか、
そういうのとはちょっとまた違う、神秘的な方もっていうのかな。そっちも存分にあったよって話だね。
そうそうそう。そういうのがフューチャーされていて、それが貴族文化と結びつくとどうなるかというと、
いわゆる経済的にすごく豪華なお寺といいますか、そういうのを建てようとか、
やっぱり自分はそういう神秘的なものを経験したぞみたいな、そういうものが政治的に評価されるようになった時に、
そこまでやっぱり現実的な利害とかとくっついてきちゃうんだよね。
うーん、なるほど。それはお坊さんだけの話じゃなくて、いわゆるそれを信仰する貴族たち自身の神秘的な体験というのも、
ちょっとマウント取れたりするの。俺の方がこんなのあったぜみたいなとか、詳しいぜみたいな。
そうそうそうそう。別にもっと言ったら、やっぱりそれだけ貴族の高いお坊さんに儀式をしてもらったぜとかさ。
あー、わー、なるほど。そうなんだ。
あれか、今の経済界の重鎮を呼んでプレゼンしたぜとか、芸能界のこんだけすごい人を呼んでパーティー開いたぜみたいな、
周りにそういう感じで、あそこのお坊さん来てくれたんだぜぐらいの影響力があったって話なんだね。
そうそうそうそう。
ど真ん中に、しかも。
へー、はいはいはい。
やっぱりそこはお互いの愛を見るみたいな感じだと思うんだけれども。
あー、なるほど。
寺院の世俗化
別にどっちか、ラトゥーよりはお互いになっていた時に、やっぱり貴族からしたら、
もちろん空海とかはこの世で仏になるとか、どうやって仏陀というか、そういった存在になるかというところからもちろん始まってはいるんだけれども、
やっぱり貴族の人たちからすると、当然この未来というよりは現世だよね。
今の自分の繁栄とか利益とか、政治的な立ち位置、やっぱり守るために仏を拝むみたいな、そういうことが増えていくんだよね。
なるほど。
こうなっていくと、やっぱり空海とか最長の時代は、もう少し国全体とか、日本という国家をどうするかみたいな話だったと思うんだけれども、
どっちかというと貴族の自分とか一族の繁栄のために求められて、祈祷をしたりとか、総理の側からどんどん政治に変わっていくみたいな、そういう動きも増えていって、
本来は修行の場だったはずの寺院というものが、もちろんかなり世俗的な政治とか、減税利益とか、そういうものがはびこる場にやっぱりなっちゃうんだよね。
なるほど。そこがレイヤーなんだね。本当に国のことを思って、国のためにそういう宗教的なものを使うっていうのはあるんだけれどもってことか。
一斉にさっき言うのは、この人パーティーに来たぜとかっていうところが、お互いちょっと厳正なんだろうな、この世でのお金だったりとか、権威立場とか、お互いでもね、行く方も来る方も。
やっぱりメリットがあると、そういう宗教的な立場からすると腐敗みたいに見えることが起こり始めると。
そうですそうですそうです。なので、やっぱりまさにそういうのは腐敗だとか堕落だって言って嫌がってね、やっぱりある程度もちろん学ぶためには寺院に行かなきゃいけないからそこで勉強するんだけれども、
行って学んだらもう外に出ちゃって、自分で修行するわっていう人も増えていくんだよね。
そこが面白いよね、やっぱりね。やっぱり自分たちというか、この先輩というか、あの人堕落してるわって言って出ちゃうという人も出てくるんだね、ちゃんと。
仏の道じゃないわ、みたいなね。
そうするとやっぱり日本にはさ、もともと修玄道みたいな山にこもって修行するみたいな文化というか流れがあって。
あれって日本独特なの?修玄道。
そう、日本独特、そうそうそう。
それは知らなかった。
結構山にこもる修行するというのは、もちろん仙人とか中国でも山にいるとかあるんだけど、そこで修行するとか結構日本独特らしいんだよね。
面白そうだね。
そっちはそっちは面白いと思うからあれなんですけど。
そことも結構交わっていって、要は仏教的な素養とか知識を持った人が山で修行するとか。
そういうもともとあった修玄道と仏教というのはちょっとずつ交わっていくみたいな話もあり。
そういう感覚なのは間違いではないのか。
そうそうそう。
というのは今の僕らが想像したときに、お寺でじゃなくて山にこもって修行するとかってイメージするのはそういうとこなんだよね。
はいはいはい。
ただそうなると結構、そうなると何でもありになっちゃって。
結局ね、僧侶なんだけど寺にはすいませんとか、仏の道目指してるんだけど結婚もしますし、何なら家庭も持ちますし、
それこそ仏教もここはいいけどここはダメとかって言って、主者選択勝手にしちゃいますみたいな。
寺院離れの動き
はいはいはい。
そういうのがどんどん混じっちゃうんだよね。
そうなると当然修行してる人からすると中途半端なんだけど、
でも民衆の立場、いわばそれで貴族の人たちがお寺の中で色々やってるわけなんだけど、
そこで学んだ人が自分の隣に例えば家を建てて家族を持って住んでたりするわけなんだよね、民衆からすると。
当然仏って何ですかとか、仏教ってどんなんですかっていうのを、例えば教えを聞いたりとか、
僧侶たちもそういうので奉仕止めたのかわからないけれども、説法とかもしだすわけよね。
なるほどね。実は賑やかなのにみたいなね。
そうそう賑やかかもしれないけどとか、いわゆるお寺人たちからしたらあいつら全然なってないのにってなるわけだよね。
でも逆に彼らからしたらお寺の奴らも腐敗しててダメだから、俺の方が純粋だみたいになっていくっていう話が出てくる。
そこの認識の違いはあるわけなのか。
そうそうそうそう。
流れの中で少しずつ少しずつ地位の中で研究されて受け継がれていった仏教っていうものが、
やっぱり政治への浸透、貴族を通じた政治への浸透とか、
外に出ていった人から民衆を通じた世の中への浸透、生活への浸透というのは少しずつ行われていくみたいなんだよね。
わー面白いね。それは積極的にやっていったというよりは、こぼれちゃって染みていったみたいな感じなんだね。
だから世に出て民衆に大島を広めるぞとかいうよりは、
なんと長くじわじわ染み出していったみたいなところがありました。
平安時代だと言われてるんですけれども、そこから平安末になってくると、
結局貴族社会が成り立たなくなってくるらしいんですよね。
これも歴史でやったと思うんだけど、要は贅沢を尽くしたものっていうのもうまくいかなくなっていくとか、
そもそも貴族も増えていくわけよ、当然時代が下れば下るほど。
要は子供が増えれば、それだけお兄さんも貴族で息子も貴族へとなっていくんだけど、
当然もう上は一杯一杯なわけよね。
当然地位が上がらんとか、出世はこれ以上求められんみたいな。
それとも増えてくると、
さっきまでは原生が反映してるから原税利益でよかったんだけど、
もう原生じゃこれ以上上に行けないから、来世で頑張ろうみたいな。
むしろもう原生に生まれ変わる、再生で大変なわけだからそうじゃなくて極楽に行きたいみたいな。
そういう思いを持つ貴族がどんどん増えていくわけだよね。
当時は身分制だから、個人の努力でどうなる成り上がりみたいなものが多分ないんだろうね。
生まれた時点で積んでるみたいな感覚だよね。
この家ではもうこれ以上行けないみたいな。
そうだよね、自分が何か努力してやろうとかじゃなくて、
来世でとか極楽でみたいな感覚にすぐなっちゃったのも、そういう意味では理解できるってことだよね。
そうそうそう、そういった仕方ないこととしてあって、
一定お金があれば豪華絢爛なお堂を建てますとか、
偉いお坊さん呼んで、自分のためだけにお堂を呼んでもらって、
力で極楽に行ってやるぞと。そういう流れができていくんだよね。
お金ある人は言っても、出世できなくても金はあるみたいな人はそういう流れができたんだね。
そうなんです。別に日々の楽しみとかっていうよりも、そっちに熱をあげちゃうみたいな、そういうまさにトレンドができちゃうんだよね。
一方で民衆からすると、当然そんな立派なお堂なんて建てられないし、
お坊さんを呼んで自分のために念仏されてもらうなんてまた夢なわけなんだよね。
そうすると当然日々の生活も手一杯、農地も高屋制度も高屋制度も、
暮らし楽にならざりみたいな、そんな世界になるわけだとしたときに、
勉強して文字を学ぶとか、お経を読んで仏様のことを知るなんてことは当然できない、そんな余裕なんてないわけだよね。
はいはい、式辞日的な話でね。
そうそう、式辞日の話だよね。
そうそうそう、無理です。
でも横を見たらお寺で修行をして、仏教っぽいことを教えてくれみたいなお坊さんが住んでるわけよ。
はいはいはい。
どうなるっていうと当然、自分たちにも理解できる、分かりやすい教えってないのってなっていくわけよね。
どういうと、偉いで、自族さんとやらはお坊さんを呼んで、自分だけ極楽浄土に行こうとしてるじゃないかと。
末法思想と浄土宗
でも仏っていうのはみんなを救うとするならば、我々も極楽浄土に行ける方法っていうのはあるんじゃないか、みたいな話が出てくるわけですよと。
わー、染み出してるね。
恐ろしい。そっかそっか、極楽というものがあるらしいと。仏様というのがいるらしいと。
はいはいはい。
あなたは勉強してきたんでしょと。我々にも分かるような教えってないんですかって、あれはやっぱり当然になるわけよね。
いっとこいっていうものがあってねと。
はいはい、そうね。
仏法通貨っていうものがありましたよなと。
そうそうそうそう。
まあ別に悪いわけじゃないよ、そっちは悪いわけじゃないけど。
悪いわけじゃないけど、なんか今それをやったら値上がりするらしいじゃないかと、儲かってる人もいるんじゃないかと。
我々にもできる簡単な仏法通貨の儲かり方を教えてくれませんかと。
いやーね、それでね、だって仏法通貨5点立てた人いたら、それは聞いちゃうよねみたいな噂になるよねと。
なるなるなる。染み出してくるわけですよね。
ましてやね、要は平安末期でして、さっき言った通り社会は混乱状態なわけですよ。
芥川龍之介さんの羅生門ってあるじゃない。
教科書にもなってるよね。
なってたよね、あったと思うんだけど、あれもまさに平安末期の時代をある種題材にしてるぞって言われたりするんですけど。
そういう感じか。
死体が転がってて、髪の毛を抜いて火災にしてるぞみたいな。
まさに死体を育てる場所もないとか、民衆はやっぱり植えて亡くなってるみたいな。
京都ですらそういう時代なわけなんだよね。
そこにね、実は当時の仏法のような話があって、これ多分仏陀の時にもお伝えしたと思うんですけど、
お釈迦様がいなくなって、1500年とか2000年とかって言われてるんですけど、
それくらい経っちゃうと、お釈迦様自体の教えっていうのが廃れていって、
それ以降に生まれた人は誰も悟られませんよみたいな。
そういう結構恐ろしい思想があるんだよね。
まさに実はお釈迦様が2000年というところが、ちょうど平安末期の時代と重なってたらしくて、
1000何年とかとか、具体的には年号忘れちゃったんだけど、
具体的にこの年以降が末法だみたいな、そういう話もあったらしいんだよね。
そうなんだ。平安時代版のノストラダムスの予言みたいな。
ちゃんと1999みたいな数字があったんだ当時。
なので、まさに末法だと思う。世の中は仏の教えも乱れ、政治も乱れ、
民衆もわざわざと死んでいき、地獄になってしまったと。
仏の教えも末法のようで、役に立たない自分たちっていうのは救われない存在なんだ。
どうしよう、やばいったときに、いやいや、実は生身断仏で唱えたら極楽浄土行けるんだぜっていう。
そういったのが当年浄土宗なんだよね。やばくない?これ。
そうだね。怖っ。絶対死んでいきたくないね。
それはさ、兄貴がさ、ちょっと疑える人だからじゃない。
まあでもそれはね、それだけきついときにね、それこそ藁にも巣が痛いって話だよね。
本当ですか?もう末法のようで誰も極楽浄土行けないで、僕らお金もないしこんなきつい状態なのに、
生身断仏となる極楽浄土行ける方法があるんですかって言われたら、結構信じた人もそりゃいると思うんだよね。
そうだね。ダメ元で信じるみたいな話でもいいから。
いっそこの原宿が苦しいんだったら救いがあるならって思った部分もあると思うんですよ。
まさにこれが民衆の心理とか当時のトレンドになっちゃったわけで、
それこそ流行語対象どころじゃないトレンドっていうのを作り出したわけなんですよね。
そんなにバズったの?
バズった。もう一千年経っても二千万人もいるんだよ、浄土宗の神道が。
まあ、そっか。そうだね。
恐ろしいでしょ。
結果が出てると。
そう、実際結果は出てるんですよ。
なのでやっぱりただただ法念が浄土宗を開いて民衆の支持を得ましたとかっていうのじゃなくて、
やっぱりこの時代の流れとか民衆の心理とか生活状況とかっていうのが、
いろんなものが噛み合わさった時に受け入れる土壌があったし、
法念っていう人もこのままでは仏教ダメだと、
やっぱり民衆に受け入れられるとか、
もっと世の中に広まるものを作ってやらなきゃいけないって思いの中で作ったものが響き合ったってことだと思うんだよね。
仏教思想の考察
なるほどね。そういう魔法だよね。
めちゃくちゃ大変な世の中でこれやれば俺食っていけるしみたいな、
そういうのではないんだ、法念は。ちゃんと真面目に考えてるんだね。
その仏教のロジックの中で考えて、
たどり着いた答えがこのナムアミダブスだったっていうところだね。
やっぱり偽物じゃ残んないもんね。2000万人まで。
そうそう。広まらないじゃない?
はいはいはい。なるほどなるほど。
やっぱり次回以降、じゃあなぜナムアミダブスとやれば救われるのか。
前回の実案の時にも新蘭の時に、いわゆるアミダ様というのがいて、
その人がみんなをゴクラ城で連れていくぜっていうことを、
それがミダの本願とかあるんだって話をしたと思うんですけど、
それがどこに何て書かれてるかっていうのもちゃんと全部あるんですよ。
へーはいはいはい。
なのでそういうところも踏まえながら浄土宗とは何かとか、
できれば新蘭の浄土宗宗とは何かみたいなところまでしっかり。
確かに今の話って言うともうこの本願でいいじゃんってね、浄土宗宗いらないじゃんみたいな感じは確かあるよね。
なっちゃうんだけど実はそうじゃないんだよみたいな話。
もちろんこれもストーリーとして少し単純化されてる部分もあると思うからさ、
民主を込めてるところにヒーローとしての浄土宗宗が現れました。
というのもさっき言ったようにちょっと一面的な見方というか、
少し簡略化されすぎてるとは思うんですけど、
でもねやっぱりそれが嘘ではないとは思うので、一定のそれが真相とした時に浄土宗とか浄土教ってなんだったのか、
阿弥陀仏って何みたいな話をしっかりしていきたいなというふうに思ってる感じですね。
なのであんまり細かく詳しくやりすぎちゃうとさ、
それ普通ラジオみたいなさ、仏教ラジオみたいになっちゃうので、
あくまでも哲学とか思想的に面白い部分というのをピックアップしながら、
皆さんと一緒に楽しんでいきたいですよというのが今回やりたいと思っている馬蔵仏教会でございます。
なるほどなるほど。
これは西洋東洋問わずだけどね、それこそそれ一個でラジオ作れちゃうぐらいの本来はね。
絶対ね、あるある。
ナムアミダブスと救いの理由
それ一個が生涯勝てる学問の分野になり得るぐらいのものたちをやってるわけなんだもんね。
いや本当ですよ。しかも仏教の中の一個の宗派ですらね、当然一緒に使っても極められないし、
仏教全体なんて言ったらもうそれは無理な話なんですよね。
そこはまあわかった上で、あくまで表層ではありますと思いますね。
そうです。面白いところは繋いでいきましょうという感じですね。
全然OKです。民衆だから。こっちはナムアミダブツを推している民衆だからさ。
ナムアミダブツ以上言われると入ってこないから。大丈夫。そこの心配いらないよ。むしろ。
何を恐れてのその。
やっぱりソイツラジオのスタンスとしては、ナムアミダブツを伝えれば使えるんだけど、
なぜかっていうとね、ちょっと一個深いところまで伝えたいという気持ちがあるのよ。
せめてね。
そういうのを楽しんでくださる方が聞いてくれるのかなとも思うから、
なんでそれ使われるんだよ、本当?ついてんじゃないの?って思った人に対して、
本当に兄貴に対してロジックが合ってないって言って、すぐ上道教になっちゃうみたいな。
兄貴がすぐ叩くんじゃみたいな。そういうやつです。
それ以上詳しいのが必要な方は、それぞれ今の段階では文献などに当たってくださいという話ね。
竹橋になれればという。
当たっていただいてっていう。
注意書きね。面積ね。
そうですね、面積。
それ以上は責任を負えませんっていうやつですね。
でもどうよ、なんかさ、これ僕結構台本作るときにすごい面白いなって思ったよね。
やっぱりさ、哲学西洋でもそうだけれども、やっぱり時代の流れとかさ、
それこそデカルトも、やっぱりただデカルトっていう人がポッと出てきたわけじゃなくて、
いろんな宗教っていうのがどう受けられてきてとか、
中世っていうのがどういう時代で、そこがやっぱり宗教開学とか、
やっぱりテクノロジーの変化とかによって、やっぱり民衆というか一般的な流れが変わったときに
それをある種満たすような考えとか思想が受けられるっていうのがあると思うんだけど、
特にこの鎌倉時代ってそういう時代だったのかなっていうのを改めて思った。
まあね、確かに知らなかったし、教科書とかさ、やっぱり順番にただただ最初空間がいて、
その後王とかって言われちゃうと、この300年みたいなさ、
それこそ平安時代、平和な時代というか、一見平和な時代なのか知らんけど、
長く続いたってこともわかんないもんね。
そうそうそうそう。
やっぱりそんだけ平和な時代が長く続いちゃうと、
そもそもね、世の中が荒廃し始めたときのインパクトもすごいだろうしね。
誰も想像できないじゃん。
辛い時代みたいなさ、辛い状況、これ何?みたいな。
それこそ本当に末法じゃん、みたいになるわけよね。
今はほら、うちらまだ、例えば世界大戦1時、2時っていうのがまだ100年以内には生きているので、
まだ戦後何周年とかって言ってるわけだけど、
これが300年後になったら多分忘れてる可能性もあるよね。
全然あると思う。
宗教の普遍性と広がり
でも過去の話でも、今も世の中には戦争はあるけれども、
例えば戦争、いわゆる世界大戦ではない時代が300年続いた後に、
第3次世界大戦が起きたとしたら、やっぱりみんなパニックだよね。
いやー、生身な物言うかも。
そういう民衆というか、その時代に生きる人々の切実さみたいなものが、
なんとなく想像できるっていうのが面白いよね。
すごい納得感がある。
やっぱり思想の広がり方とか、前回雑談20万回転とかでも言いましたけれども、
やっぱり世の中のトレンドとか流れみたいなのは切り離さないなって思うんだよね。
個人が生きる上でももちろんそうだし、
やっぱりこういう思想とか宗教とかが広まる中でも、
やっぱりそれを支持するとか受け入れる人たちがいてこそだとは思うから、
なかなかそこまで全部を、もちろん僕も理解しきれないしお伝えもしきれないですけれども、
そういうのが好きな方とか詳しい方はぜひそういうのも極めて見ていただけるとより楽しいというか、
今からこの時代にこういうことが広まったんだよねみたいな。
そういうのもあるんじゃないかなと思うんだよね。
ちなみにちょっとこれ雑談、最後になると思うんですけど、
ちょこちょこ名前出してると思うんですけど、
オショウっていう最後の名前になっているラジニーシさんっていう、
ちょっとカルトの教祖、カルトって言うと怒られるな。
いわゆるニューエイジみたいな感じの時代にすごい一世を風靡した、
ちょっとインドの哲学者とか思想家みたいな方がいるんですよ。
はいはい、前に1回名前出てきたよね。
その人の本を読んだみたいな。
そう読んで、アメリカでそういった集落を作ろうとして、
国から禁止されて国外追放になっちゃったみたいな、
という人なんですけど。
はいはい、怪しいね。
ちょっとね、怪しい。
言っていることはすごく面白い。
もちろんね、盲向きに信じるのは良くないとは思うし、
でも別に信じる人がいてもおかしくないと思うぐらい、
やっぱりすごい説得力とか知識量がある人なんですけど、
そういう人に言って面白かったのが、
なぜ仏教は世界宗教にならなかったかと。
あー、なってないか、確かに。
世界三大宗教ではあるけれど、やっぱり西洋とかでは行ってないんだよね。
僕はインドでもやっぱり去されちゃって、
日本とか中国とか一部チベットとかの方に、
やっぱり広まってるぐらいなんですよね、実は。
うん。
っていうと、仏教っていうのはやっぱりもともとノーを言う宗教だと。
イエスノーのノーね。
はいはいはいはい。
要は仏教ってもともと人生は手であるとかさ、
それを滅せよみたいな、
割とそういうちょっとネガティブな要素が強いよねってキャラを言うんだよね。
うーん、はいはい。
で、それをやっぱり断ち切れば極楽にいけるけど、
そもそも人生は手であるっていうことを、
全人類が信じるかっていうと、実はそれは無理なんだと。
なぜなら人間っていうのは基本的にはやっぱりポジティブでいたいとか、
快感?心良いものに惹かれるものだから、
そもそも一回人生は手である、不快であるっていう風に捉えるっていうものが、
人間の魂に合わないみたいなことを言ったりするよね。
うーん、そうなんだ。へー。
それは別にロジックがあるわけじゃないんだよ。
彼の議論の中でそういう話をして、
だからキリスト教っていうのは広まったんだ。
だってイエスでしょ?っていう風にオチをつける。
なるほどね。ただの親父ギャングじゃないか。
そうそうそうそう。
そうなんだけど、でもなんかやっぱり一発の真理はあるとは思っていて、
言われてみれば人生は苦であるってことをまず自覚せよっていうのって結構心理的負担が高いじゃない?
まあね、はいはい。
だからそういう意味では今回みたいに、そもそもまさに苦しい、
人生苦しい、世の中苦しいっていう人に受けやすいとか、
あるいは人生は苦である、でもそれを乗り越えることに価値があるっていう、
学者層とかちょっとストイックな人たちは受け入れられるけど、
例えばさ、仮に人生が平和で豊かな時に、
やっぱりこう、人生は苦しみですとかって言われても、
いやそんなことないでしょ?みたいになっちゃうと思うんだよね。
例えばじゃあ、キリスト教がイエスだからってわけじゃないと思うんだけれども、
この世も神の国で、
でもやっぱり本当に神の国を下ろすために、
信仰というか宗教が必要なんだみたいな。
例えばそういうことを言った時に、
やっぱり今もよし、未来もよしみたいな話の方が、
人間として受け入れられやすいよね、
人間としてそこに共感を持ちやすいよね、
みたいな話があるとした時に、
一定の説得力があるなっていう風に僕は思ったのね。
なるほど、キリスト教のいろんな宗派みたいなのがあると思うから、
わかんないんだけどさ、現在はどうなの?
だから現在というのは間違いなく、
人間罪を犯したってまさにそうだよね、
だから堕落したって。
ニンチェとか関東だっけか、どこか忘れたけどさ、
やっぱりこの現在っていう多いめ、コンプレックスがあるっていうのはさ、
ちょっとこの風である一切改革に通じるものがあると思うんだけど、
どうなんだろうね。
ウィトゲイ社員の時とかは結構言ったと思うんですけど、
確かにそれはあるけど、
そういう意味ではキリスト教もアジアとかに、
もちろん広がってはいると思うんですけど、
広まりきらなかったっていうところが、
本当に人類全体が信じる宗教が生まれてないっていうのは、
そういうところもあるのかもしれないね。
そこをどこで言うと、
いわゆる仏教でいう一切改革と現在って、
確かに並べられば、今話しながら思ってるんだけど、
現在の方が違うよね。確かに苦ではないよね。
苦ではない。
罪を背負ってるっていうだけであって、人間がね。
この世が生きづらいとか、
この世が苦であるとはそこまでは言ってない。
自分の罪の意識。
それを食材していきましょうねっていう話だから、
ネガティブな、コンプレックスになり得る感覚ではあるんだけれども、
人生苦しいみたいな、この世に生まれてきてやべえみたいな、
そもそも生まれてきたのが間違いだったレベルまでは、
いかないのかなっていう意味では納得。
今話しながらね。
自分の疑問に対して一人で勝手に納得しかけてるみたいな話なんだけど。
そこの感覚がどう違うんだろうっていうのは興味深いなと思った。
そうだね。ほんとそうだと思う。
鎌倉仏教の理由
やっぱり今生まれてから起きるときを信じている方が現在というのをどう向き合っているのかとかもそうだし、
見た気がしないときにも言ったけど、
現在というもの自体が、むしろ神との繋がりを証明する人との手段だというか、
繋がりだという風に考えるとももちろんそういうことはできる。
だからそういう意味ではやっぱり、
教えというか価値観というのは受け入れられる人がどれだけいるかという話もそうだし、
それが民衆が受け入れるような土壌がどうしてあったのかということも含めてだと思う。
だから神話とかもまさにそういうものをストーリーとして受け入れやすくするための物語だと思うから。
そうだね。さっきのお匠さんの話はたぶん面白い方があったんだろうね。
本当にカリスマなんだろうな。
すごいね。やっぱり話も面白いしとかジョークも交えてとか。
さっきの本当かどうかともかく面白いもんね。
その場でバーって言われたらみんなで笑って楽しいなってなるだろうし。
そういうカリスマでは間違いなくあったんだと思う。
そんな話で、やっぱりそういうようなカリスマ性を受け入れる民衆の気持ちもそうだし、
平安末期、鎌倉時代に苦しい中で浄土教を受け入れる民衆の気持ちもそうだし、
僕ら民衆側としてはそういうものに立ちながらこういうのを知っていくのもいいのではないだろうかという感じですね。
はいはい、なるほど。
次回予告
そうね、ちょっと流れがね、なんで、
あんまりヒーローと祭りあげるのはどうかって話ではあるというところだけれども、
本年が作ったというか唱え入った浄土宗がどんなものなのかというところはね、
次回その中身を見ていくというところなのかな。
そうですね、次回から浄土教とは何かとか、本年がどんな人かというところも踏まえながらやっていきたいなというふうに思っております。
分かりました。
次回はいろいろ言い過ぎて忘れてたな。
次回は浄土宗ということで楽しみにしていきたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
44:31

コメント

スクロール