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はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回でフロイト第4回ということでやっていきたいと思います。
はい。前回までですね、そのフロイトっていう人が、その意識っていう、ある種人間の理性っていう風な、デカール的に言うと明晰なものを明らかにするような仕組み
いうものが、実は全然そんな、なんだろうな、しっかりしたものでもなくってね、無意識っていう風な、まあそういうことで欲圧された欲望みたいなものがあったりとか、
それがね、その生まれた瞬間の、お腹空いたよとかっていうところから始まり、まあね、お母さんとかの親に愛されたいとか、
ちゃんと人間に見られたいとか、そういうのを経て、どんどん欲動っていうものが大きくなりつつ、でもそれが欲圧されて無意識に蓄積されていくんだよみたいな、
それちょっと、今の僕らからすると、なんか欲圧とか、なんとなく無意識とかって言葉を知ってるから、まあそうだよねっていう話をしたかなと思うんですけれども、
それがね、当時のフロイトの時代だと、どんぐらい、なんだろうな、斬新というか結構インパクトがあったかみたいな話をですね、ちょっと前回までしてたかなと思うんですよね。
はいはい、まあなんならあれだもんね、多分その、そういう、なんだろうな、うまくそういう欲望というか、前回で言うとリビードみたいなものがあったとして、
それをコントロールできないのは、っていうかその概念がそもそもフロイト以前はなかったとして、あの人理性弱いんじゃないみたいな、理性ないんじゃないみたいな、そういう見られ方をしちゃうみたいな感じだったみたいな、世界観なのかな。
そうですそうです。もっと言うと、前も言ったけど、そういったちょっと神経症とか精神的な病気の人、イコール悪魔つきみたいな感じで、もはや人間が別の力で操られてるんだみたいな、
だからもうある種理性的な人間であればそんなことはしないはずだみたいな、そんな風な世界観だったわけだよね。
なるほど、理性足りないとか修行が足りないとかじゃなくて、呪われてるぐらいの感じ。
そうなんですよ。だからやっぱり、現代からしたら考えられないけれども、でもこれって本当にもう100年ちょっと前のまだ時代なわけで、
やっぱり全然そのぐらい、人間の人間理解とか自己理解とかって、本当にやっと最近深まっていったし、その一個もやっぱりきっかけにフロイドがなってるよっていう話なんだよね。
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なるほどなるほど。
前回そのモデルとしても、いわゆる意識と無意識、ここに全意識とかって3つぐらいの話があるんだけれども、
氷山っていう話をしたと思うんですよね。意識っていう目に見えるというか、氷山でいうと海の上に浮かんでいる氷の部分の、実は奥そこにはもっと大きい、
その氷を浮かべている、見えない部分、海の中に沈んだ部分があって、その海に沈んだ部分の方もイコール無意識っていう方が、
目に見える意識の方に影響を与えてるんですよ、みたいな。そういうモデルをちょっと伝えたと思うんですよ。
うん、あったあった。
それを第一極書論っていう話をしたかなと思ってて。
うん、それは覚えてないね。
覚えてないか。第一っていう通り、第二があるんですよね。
うんうんうん。
そうそうそう。で、それを今日ちょっとお話しすることで、もうちょっとフロイトが深めていった人間理解というか、
人間の意識がどういうものかっていうところのお話を今日はしようと思っていますというふうな感じなんですよね。
うーん、なるほど。第一極書論っていうのが、その氷山モデルみたいな話、イコールって感じだね。
そうそうイコールです。
第一極書論だよ。ほうほう。じゃあ別のモデルもあるよっていう話か。
そうそうそう。なんかそれは発展させたっていう感じなんだけれども、
ちょっとね、すごいわかりやすく言うと、要は無意識と意識みたいに分けちゃうと、
なんて言うかな、要は無意識の方がより根本的で、そこから意識が出てきますみたいな感じとかっていう、
こうある種、一直線のモデルなんだよね、これって。
はいはい、だしまぁそんなイメージだね。
そうそう。逆に意識の方はちゃんと目に見えますとかコントロールできますみたいな、そういう話なので、
理性っていう全部が全部コントロールはできないけれども、
一定意識の方はコントロールできて、また無意識っていうちょっと僕らに扱えないものがありますねみたいな、
ちょっと語弊を忘れずに言うと、カントのもの自体みたいな感じで、
目に見えるとか操作できるものと、それができないもの自体っていうものを分けましたみたいな、
結構そんな感じでパツッと世界を分けちゃうような考え方なんですよね。
あーなるほど、この第一複所論の方がね。
そうそうそう。
詳細モデルが、はいはい。
詳細モデルがっていうような感じなんだけれども、
結構いろいろそれを含めて、いろんな臨床科なので、いろんな人の症状を治すとか、
そういう関わり方をした時に、フロイトがですね、あれなんかこのモデルだとうまくいかないぞっていうことに気づくんですよ。
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あーなるほど、そっかそっか、お医者さんだもんね。
そうそうそう。だからやっぱこの辺が実務科というかね、そういった現場にいる人の、
やっぱり勘どころというか、発想だなと思うんだけれども、
例えばね、実際に患者さん来るじゃないですか、お医者さんのフロイトのところに。
そうすると治療を来いっていう感じで、もちろん患者さんは症状を楽にしたいとか、治したいと思って来るんだけれども、
いよいよ治療革新に触れるというか、
前言った自由連想みたいな感じで、いろんなことを患者さんに語ってもらうんだけれども、
結構ここからがその革新の本当に深い、今で言うとトラウマみたいなものだなっていう時に、
例えばその患者さんが急に黙り込んだりとか、あと怒り出すみたいな、
先生そんな言葉は聞かなくてもいいじゃないですかみたいな感じで、わーってなったりして、
ある種本来治療に必要なはずなのに、それを避けるみたいな、そういうことが起きるわけなんですよね。
まあありそうだよね、なんかその箱を当てちゃダメだみたいな、自分の中のね。
ちょっと拒絶反応とか、ちょっと防衛意識とかって今だったら言いそうなんだけれども、
これを見てくれては思うわけですよ。
あれ待ってよと、その治りたいとか症状をよくしたいっていうのは意識がもちろんそう願ってるとかそう思ってるわけじゃないですか。
でもその意識自体が、いやでも同時に話したくないとか、踏み込まれたくないみたいな、そういったものを持っていると。
つまり、前回は無意識の方に葛藤が蓄積されるとか、押し込まれるっていう話をしたと思うんですけれども、
普通に意識の方にも治りたいっていう自分と、踏み込まれたくないっていう自分の両方がいて、こういう葛藤があるじゃないかと。
あーそうなんだ、その葛藤は意識側だとフロイトは見てるんだね。
そうそうそう、要は無意識からそういうことが出るっていう、
要は無意識ってもうまさに意識される前のものとか抑圧された欲望だから、
そこってなんて言うのかな、フロイトはそれがいわゆる抑圧された無意識の方にあるものが出てきたっていうんじゃなくて、
自分でも認識してる欲望として治りたい、でも踏み込まれたくないみたいな、こういうふうなものがあるよねっていうことを捉えるんですよね。
そっかそっか、明確に話したくありませんとか、これ以上は聞かないでくださいっていうのは、
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もうその無意識、もちろん今だとね、なんとなく無意識側から出たものがその言葉として出てるような気もするけれども、
フロイトから見ると、それはなんでこの意識の方で、そんな治りたいって言ってるのに、話してくれないんだろうみたいな抵抗があるんだろうかみたいな、
いうふうにそこはうちらみたいな素人が感じることとは違う、ひらめきみたいなものがあったみたいな感じなのかな、その現象に。
そうしたら、さっき言った通り共存モデルだと、意識の方はちゃんと見えてますと、
でも目に見えない無意識がありますっていうふうに分けてるから、意識に昇っているものは一定ちゃんと合理的に説明できるとか、
フロイト第1回で言ったけれども、彼自身も生物学者みたいな感じで、世界はちゃんと合理的に説明できるってところから出発してるんですよ、学者として。
なのでその意識と無意識を分けたけど、意識の方は一定ちゃんと合理的に説明できるみたいな、そういうふうな発想があるんですよね。
でもやっぱり患者さんと向き合ってると、その意識の方に昇っていることすら全然説明つかないじゃんとか、
今で言ったらアンビバレントな感情とか、好きだけど嫌いみたいな、いろんなそういう葛藤ってあるよねって話なんだけれども、
でも好きなら好きだし、嫌いなら嫌いだし、そこってどっちなんだよみたいなことが、たぶん当時言うと今すごい雑に言ったけれども、
やっぱりこう、もっとシンプル、シャープになるはずだっていうような発想があったと思うんだよね。
なるほどなるほど、合理性的なところで言うとね。
そうそうそう。だった時にフロイトからすると、もしかしてこの意識無意識っていうふうに、パッチリ縦に分けちゃうモデルって間違ってるのかもと。
要は、人の心とか自我とかいうものがあった時に、ただ光が当たる意識と闇の方にある無意識っていうふうな二部屋ってことじゃなくて、
もっとこれがいろいろお互いに影響し合っているとか、むしろ層がもっと細かいみたいなことも含めて、
もっともっと複雑なんじゃないかみたいな、そういうことを考えだすんですよね。
なるほど、確かにさっきハヤト言ってたけれども、これがあれだね、やっぱり科学者たるゆえんというか、
やっぱりちゃんと現場の診察、もしくは現場で起きてる現象から導き出してるとか、そのきっかけに解明してる感じ?現実を。そういう感じがちゃんとするね、なんかね。
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そうそうそうそう。なので、やっぱりちゃんとモデルを当てはめて違ったら修正するって、そういうことはやっぱりフロイトがやっているんだけれども、
もともとは局所論っていうぐらいだから、場所だよね。心っていうものを分けたときに意識の場と無意識の場っていうものがあるんだみたいな、そういうふうな話を考えてたんだけれども、
そうじゃなくて、もっと役割というか、やっぱり明確な区切りがない、意識・無意識みたいにパツッと分けるものじゃなくて、もっと入り混じってるんだみたいな、
そういうふうな発想をするのが、今日お伝えしたい第2局所論っていう話なんですよ。
おー、そうなんだ、ほうほうほう。
で、これは聞いたことある方もいるかもなんですけれども、その異動、あるいはSっていうものと、あとは自我と超自我っていう、この3つ。
あんま聞いたことないかな。ないね、うん。
確かにこっちの方がちょっとマイナーというか、少しマニアックかなとは思うんですよ。
ただその意識・無意識モデルがちょっと分かりやすすぎるというか、やっぱりイメージが湧きすぎるから結構そっちが広がってるんだけれども、
フロアリティ的にはやっぱりこっちのS、どっちにしようかな。異動にしようかな。
あ、そういったね、2つの言葉じゃなくて同じ意味。
あ、そうそうそう、異動、ないしSみたいな、どっちからフラン、ドイツ語なのかな。
あの、英語のIt isのItにあたる言葉がSっていうらしくて。
へー。
だからその、いわゆる名付けられないけども、あそこにあるそれみたいな。
はいはいはいはい。
そんな意味でSっていう風に言われたりするんですよね。
へー、あ、なるほど、Itなんだ、英語の。
うん、そうそうそうそう。
で、このSっていうものが、いわゆる人間の根源にあるというか、
そこからあらゆる欲望とか欲動とか、そういったものが湧き上がる、まあ厳選みたいな、
そういう風なものを指して、このSっていう風な話を名付けるんですよね。
なので、フラリトはその、今までは意識・無意識っていうふうに分けていた心っていうものを、
Sと自我と超自我っていう3つで説明しようとしますと。
そかそか、第一曲書論で、評価モデル化でやっていたその全体ではのね、
上に出てる部分と下の部分、それが心だとすると、
もっかいその心全体のことを、それを3つに分けた。
3つで説明しようとした。
3つで説明、あ、そっか、分けたじゃないんだね。
そうそう、分けちゃうとまた分割になっちゃうから、3つの機能があるよと。
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Sと自我と超自我の3つに、とりあえず名付けたよっていう話ね。
そうそうそう、そういうこと。
OKOK、そっか、その全体をSというのだ、みたいな感じかと思っちゃった。
あ、ちがうちがうね、そうなんだね、ここがね結構イメージしにくくって、
あの、なんていうのかな、
例えば、意識・無意識は本当に上下なので、
氷山の見える部分、見えない部分とか、
ソフトクリームで言ったら、コーンの部分とアイスの上に乗ってる部分みたいな、
あれじゃパキッと分かれるんだよね。
うんうんうん。
そう、なんか、今今日お話ししようとするSとか自我とか超自我っていうのは、
マーブルアイスみたいな感じで、
バニラの部分とチョコの部分とイチゴの部分が混ざって一つになってるみたいな、
ちょっと今これは僕が想像したイメージだから、ちょっと合ってるかどうかってあるんですけど、
そういうふうにちょっと分けられない、でもそのアイス全体はそしてココロだとは言えるみたいな、
ちょっとそんなふうなイメージで聞いてもらえるとイメージしやすいかなと思います。
はいはいはい。
ほい。
で、一番コンプレのがさっき言ったSっていう話なんですけど、
これはでもなんかね、なんかなんていうかな、
人間の、その個人のね、個人の欲動、リビドウが湧き上がってくるもう厳選みたいな感じなんだけれども、
でもこうやって、もう人間をちょっと超えてる感じもあるんですよ。
例えば、急にさ、なんかむしゃくしゃするとか、
なんかエモいわれず悲しくなるとかってあったとしたときに、
これってなんでって言われてもちょっと分かんないこととかってあったりするじゃないですか。
ね、なんか理由もなく悲しいとか、なんだろうな、
なんでこんなに怒ったのか分かんないけど、すごい腹が立ったみたいなことがあったときに、
これってあなたが怒りたかったんですか?とか、
何かすごい原因が明確なものがあって泣いてたんですか?って言うと、そうじゃないことがありますね、というときに、
やっぱりそれはちょっと無理があるというか、要は人間にはそういう説明できないんだけれども、
やっぱりこう自分に影響を与えるような領域があるんだと、
そういうことをちょっと想定しないと説明できないっていうようなことをフロイトは考えるんですよね。
うーん、そうなの。それはなんか、例えば過去のトラウマのフラッシュバックとかさ、
ふとあれを思い出した気がするみたいな、それとも違うのかな?
それはね、ちゃんと理由があるとか、後から理由を探せばそういうふうにたどり着くこともあるけれども、
この怒りを感せる瞬間とか、涙が流れる瞬間に、
これに説明をつけますか?って言うと違ったりするじゃない?
あー、はいはいはい。
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なのでこれは結構極限状態というか、やっぱりフロイトが向き合っているのはどうしても精神病の患者さんとかだから、
というと僕らは、いわゆる普通の精神状態で感じる感情とはちょっと違うっていうのはあるんだけれども、
やっぱり人間には自分でもこんなことをするとは思わなかった、みたいなことって、
まあまあ一人人生に1回くらいあると思うんですよね。
そういう時にこれを、やっぱり全てを自分に原因を求めるのはちょっと難しかろうと。
なのでその奥には、要は自分がコントロールできる範囲の、さらに外なのか奥なのか、そういうところには、
やっぱりこう、まさに自分を突き動かす欲求のエネルギーとか、
何かそういうものを実現したいっていう、突き動かす衝動みたいなものっていうものがあって、
それを本当にそれとしか言えないもの、そして同一語のSって言葉で呼んだっていう話なんだよね。
わー、なるほどなるほど。
そっか、今だとわからないけどさ、
例えば、なんかその自立神経の乱れとかさ、
例えばなんかその物質の、意図しない、多かったり少なかったりみたいなさ、
そういうので説明、今だと説明できそうなものみたいな、近いのかもしれないねって思った。
全然あると思う。それこそドーパミンガーとかシルトニンガーとかいろいろあると思うんだけれども、
たぶん、体で起きてることを説明しようとあればそうできますと。
でも主観的に自分としては別に、今ドーパミン出てるなとかって、
わかる人はわかるかもしれないんだけれども、
でも、なんだろうな、そういったことを抜きにすると、やっぱり突然の衝動とか、
理解、自分でも理解できない自分みたいなものっていう風にしか言えない領域があるねと。
そうだね、そっちで考えると、さっき言った過去の傷がとか心の傷がとか、そういうのじゃないもんね、おそらくね。
そうそうそうそう。
まさにさっき悪魔月みたいな話したけれども、
自分にコントロールできない自分っていうものは、そういう悪いものとか特殊なものじゃなくて、
実は一人一人は人間の中にあるんだと、メカニズムとして。
はいはいはい。
これが結構劇的な発想で、それまではさっき言った通り、人間は理性的な生き物であると。
で、そうじゃない人は、それこそ修行が足りないとか、悪魔月だとかっていう別の説明あったんだけれども、
そもそも人間の心という仕組みの中には、個人個人がコントロールできないものが埋め込まれてるんだっていう、そういうことを言っちゃうわけですよ。
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おー。
結構ね、だからえぐいことというか、本能っていう生物的なものっていう以上に、
もっとコントロールできない、よくわかんない、なんかゾロゾロしたものがあるんですってことを言っちゃうんだよね。
いやー、結構何だろうな、とっぴな発想にも見えるけれども、ここまでの話を聞くと、
やっぱフロイトがいろんな患者さんと触れる中で、そう考えないと説明できないみたいな、そういう説得力はありそうだよね。
そうだね、そうそうそう。
そんな話があって、だからね、前回あったような生まれた時から持っているいろんな欲望だよね。
お腹が空いたとか愛されたいとかいろんなものがあるときに、それがやっぱり本人のさらに奥、
赤ちゃんなんて自覚的にやってるわけではないから、赤ちゃんを突き動かすエネルギーとか、より根本にあるものっていうものを指してSっていう話をします。
で、これが根源にあるんだけれども、あと2つが自我と超自我って話があって、先に超自我の話をするんだけど、
そういうことで作ったら、どうしても日本語的にはすごいものとか、スーパーみたいなイメージがあるんだけれども、
いわゆる自我を超えたものというか、それを包むものみたいな、そんな感覚で捉えるといいかなと思います。
自我が発展したものとかじゃなくて、自我の外にあるものっていうのは、一言で言うとこれが社会的なルールとか常識とか倫理みたいな、
そういう外から自分を縛るものというか、ある種自分っていうものを定めるものなんですよね。
これは前回言った、例えば子供が大きくなっていくときに、自分の欲求を満たしたいけど、お母さんとかお父さんからも愛されたいっていう、外の期待を取り込みますって話をしたじゃない?
その外からの期待を取り込んだっていうものがどんどん固まっていくと、超自我になるっていう話なんだよね。
これはどっちかっていうと役割的にはSを抑えるみたいな話があって、
Sだけだと基本的には欲望とあざもれなわけですよ。もう感情のままに何でもかんでも好きなことをしたいみたいなところなんだけれども、
でもやっぱり超自我っていう外部のルールっていうものを内面化することで、それは今抑えなきゃダメだとか、
こんな感情的な人間だと嫌われるぞとか、そういうふうな抑圧をすることでバランスを取るというよりも抑えつけちゃってるっていうふうな力関係があります。
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なるほど。前回みたいに自分のSの方を超自我によって抑えることで、Sの方の欲望は満たされないけれども、
超自我的な、例えば社会的な欲求みたいなものは満たされるよねっていうポジティブな面だけじゃなくて、
やっぱりSの方を死後にすると、言うても超自我みたいな、そっちから抑えつけられてるね、欲圧だねっていう感覚はあるっていうイメージなんだ。
あ、そうそうそう。どっちかっていうと欲圧するイメージの方が強くて、それこそ裁判官とか警察みたいな、結構そんなイメージなんだけれども、
やっぱり欲望のままだだ漏れで生きるなんていうのはダメなやつだみたいな、結構そういうふうな発想がこの超自我っていうところにあるんですよね。
なので前回言ってたような外から外部から愛されたいっていうことも自然な欲求だがねっていうよりも、愛されたいとかってことを含めて、いわゆるSの方から湧き上がってくる欲求。
あー、ほうほうほうほう。
で、ある種その、なんだろうな、簡潔さみたいなすごい勢いで水がバーって出てるものを、この超自我っていうものが抑えにいくみたいな、その水が漏れないように蓋をするみたいな、結構そういうふうな感じなんですよね。
なるほどなるほどだし、これはフロイトの個人的な考えはもちろん入ってるとは思うけれども、やっぱりさっきから言ってる通り、いろんな患者さんとかいろんな人を見てると、そうとしか思えないっていうところから来てるんだよね、これも。
あ、そうそうそうそう。だからそのぐらいこの間で葛藤してるとか板挟みになってる人っていうのは見てきていて、で、まさにこの板挟みになっている存在っていうよりも心のそういう役割のことを指してフロイトは自我っていうふうに呼ぶんですよ。
おー、ほうほうほうほう。
やっぱり僕らは自我っていうと、自分をコントロールしてる主体というか、なんかそういった指揮者みたいなものを想像するんだけれども、フロイトに言わせると中間管理職みたいな感じで、部下からの希望に突き上げられるだけれども、上司からはこれをやれあれをやれって言われるみたいな感じの、
すごい板挟みの中でなんとか自分っていうのを保って、プロジェクトを前に進めるプロジェクトマネージャーみたいな、なんかそういうふうな、ほんと何だ、哀れな存在とか、めちつかいみたいな話もするんだけど、
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今すぐ俺は満足させろみたいな、もっともっとやりたげにさせろっていう暴れるSみたいな話と、そのことは許さんみたいな、なんかもっと自分をもってちゃんとするんだみたいな超自我とっていう、なんかそういう間に挟まってまあまあちょっとなんとかやっていきましょうみたいに取り出してるっていうものが、実は本当は自我っていうものの本当の姿なんだよみたいな、そんな風に言っていくんだよね。
なるほど、いや頑張れってもうね。
そう、おじ頑張れみたいな。そうするとさ、さっき言った意識無意識っていう構造とやっぱ全然違うっていうのって結構見えてくるじゃないですか。
確かにさっきの氷山モデルよりも、なんかこう躍動してる感があるよね、なんかね。
そうそうそうそう。つまりお互いのやっぱり領域っていうものをより広げようとか、ちゃんと満たそうとか守ろうみたいな感じでそれぞれが動いている、そういうふうなちょっとダイナミズムの中に、まさにさっき言ったような患者さんの葛藤とか、治りたいけど踏み込めたくないとか、
あれはでもちゃんと治療を受ける良い患者でいたいけれども、でもやっぱりこれは絶対話したくないみたいなそういう欲求とか、それこそ欲圧とか、そういったものがやっぱりいろんなものが出てるんだっていうことをフロイトは気づいていくというか、自分のモデルに落とし込んでいくっていう話なんだよね。
うんうんうんうんうん。
で、これがね、面白いのが、やっぱりこの大人極諸論っていうモデル、エッセがあって自我があって長寿があるってこのモデルなんだけれども、やっぱりこれを持つと人とか人間の心っていうものの捉え方がまた変わってくるって話なんですよね。
あー、その氷山モデルの方とね。
そうそうそう。とか、あるいはそれがない時代の本当に人間とは理性的な存在であるっていうモデルっていうものをやっぱりちゃんと相対化してくれますと。
で、どういうことかっていうと、やっぱりその、なんていうのかな、病気、いわゆる神経症とかであれば、いわゆる病気なので、もうそれはそれとして治療なんだけれども、
例えばね、その病気までいかずともさ、やっぱりこう、まあ例えばダイエットして痩せたいのにちょっと食べ過ぎちゃったとかさ、
で、本当は健康のために寝たほうがいいのにスマホをいじりすぎちゃったみたいなさ、やっぱそういうのって普通に日常生活あるじゃないですか。
うん、あるよね、うん。
っていう時に、このフロイト以前のとか、あるいは今の僕らもそうかもしれないけれども、発想でいくと、そういう自分っていうものはなんか自分の欲望をコントロールできない、ダメなやつだとか、
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あるいはその自分を本当は大人なら思い通りにちゃんと扱わなきゃいけないのに、それができない子供なんだみたいな、結構もうそういうなんていうのかな、
あのもう、悪か罰かみたいな、結構そういうふうな発想になっちゃうんですよね。
まあ確かにそうね、自精神のないやつだね、済まされる。
あ、そうそうそうそう、で、もっと自分をコントロールしろとかさ、時間を区切ってね、ある種自分を追い込めよいとか、やっぱそういうふうになるんだけれども、
やっぱそうしちゃうと、どんどん苦しくなるんですよね、と。
そうだね、うんうんうん。
で、じゃあなんで苦しくなるのかっていうと、要は人の心ってそんなにこうなんだろうな、簡単に変えるものじゃなくて、
さっき言った、エースと自我と超自我っていう3つの存在がもうお互いをお互いにこうなんだろうな、やり合っているみたいな、
もう本当にこうわちゃくちゃな場所、場所というか存在なんですよ、と。
で、そうした時に、今はスマホいじりすぎちゃうのは、ちょっと自分の中のエースが出すぎちゃってて、
やっぱりその欲望っていうものに超自我っていうものがちょっと負けてるんだ、と。
今の自我っていうものがちょっとそっちに偏ってて、肩入れしてるからそういうふうにやっちゃってるんだ、みたいな。
でも確かに最近ちょっと超自我の周囲の人に答えるとか、
そういうことでちょっとやりすぎてたから、少し緩めるのも大事だよね、みたいな。
そういうふうなことが考えられるようになるんですよね。
あーすごいね、面白い。確かにだし、そうだね、コントロールする側か、っていう方だけに目を向けるんじゃなくて、
その大元だよね、なんでそんなにこんなにスマホを触らないと癒されないのだろうか、みたいなさ。
そうそうそう。
みたいな、そっちの方、Sの方みたいな、そっちに目を向けるみたいな、そこがちゃんとイメージできて、話ができるみたいな感じになりそうだね。
そうそうそう、だから前回の文人っていう話だったと思うんですけれども、
文人っていうものは人のモデル、人の考え方のモデルを変えることで、
いやいやその中心にある本当の自分っていうのはむしろなくて、なくていいというか、そういうことを考えなくても自分っていうものについて語れるんだって話をしたと思うんですけれども、
このフロイトのSとか長寿がとかっていうのもそうで、やっぱりこれを知っていることで、
さっき言ったように、あいつは自生子がないやつだとか、まだまだ理性発達していない子供だとかってことじゃなくて、もっと拾えることでその自称とかその人っても捉えられる。
そういうふうなものを与えてくれる、やっぱり考え方だなっていうふうに思うんだよね。
はいはいはい、なるほどなるほど、確かに確かに。
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遅刻は良くないけれども、毎日何回言っても遅刻する人に、遅刻すんなーみたいな早く寝ろーみたいな、そっちじゃないかもしれないって話ね。
そうそうそうそう、やっぱりそういった多様性というか、やっぱり人間の心の複雑さっていうものをちゃんと捉えてある種表現したっていうことに関して、やっぱりフロイトは先駆者だし、
やっぱりそれをちゃんと、もちろんね、これってモデルだから何回も言う通り絶対その頃はこの3つに分かれてますというふうには言えないんだけれども、
でもそれを当てはめることでやっぱり理解が深まることとか、説明できることがあるっていうのが事実っていうような感じなんだよね。
いやーそうね、確かに確かに。さっきの遅刻の話で言うと、あれだね、じゃあ例えば上司がSの方に目を向けてカウンセリング始めるかって言ったら多分違うから、黙ったらフロイトのとこ行っておいでっていう話になるってこと?
そうそうそうそう。なんかちょっと産業衣装とかに行って、実は遅刻の奥には朝で起きれない、
ですから夜、夜更かしするっていうことには翌日を迎えるのがしんどいっていうところの、もっと深淵的な問題があるとかっていうふうに、今だったらもっといろいろ語れるわけじゃないですか。
そこにはね、赤ちゃんの頃のねみたいなね。
そうね、そこまでいくともうね、結構本当にカウンセリングがなきゃ大変だと思うんだけど。
でもそういうふうに、あるしね、これってよくも悪くも言い訳っぽく使えることもできてしまうから。
そうだね。
いや俺は今ちょっとね、正直にさらされすぎてるからSの方を広げて、ちょっと解放するんだとかって言ってるけど、やってることは全然夜更かしみたいなさ。
そうだね。
そうそうそう。
でもあるから、やっぱりそこは使い方は注意なんだけれども、やっぱりその一方にかて割らないとか、人間とは理想化しすぎない?
うんうん。
ね、今日のそういうテーマだなとは思うんだけれども、やっぱりこう分けちゃうと、人間とは理性的な存在だって言っちゃうと、理性的な存在な人はOKで、そうじゃない人はダメだとか。
うんうんうん。
でも病気になってる人は、何かその人に原因があって、ある種正常者と異常者みたいな、そういうふうな区分けになってしまうんだけれども、それって今の時代がちょっとナンセンスじゃないですか。
そうだね。
病気にはその遺伝とか環境とかも含めていろんなものがあるし、そこに対して本人が悪いとか、努力が足りないとかってことじゃなくて、やっぱりそういう全体を捉えましょうっていうような話があった時に、
やっぱりこのフロイトの発想っていうのは、そっちに目を向けさせてくれるっていう意味ですごく役立つ発想だなっていうふうに思うんですよね。
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いやー、確かに面白いね。
だから本当に、うちらはこのような概念を基に話してるんだろうね。
そうだね、それこそ僕らの意味で言う無意識的に、こういうふうな発想を持って人っていうのを捉えている、捉えやすくなっているっていうふうな感じかな。
そうね、だからそういう、そこまで浸透してるんだねっていう話だね、このイメージがね。
そうそうそうそう。
だからね、やっぱりこの人間の捉え方とか、人の心がどういうものかみたいな話って、普段そんな会話とかしないと思うんですけど、
やっぱりいろんな小説とか映画とか、音楽でもいいんだけれども、そういうものがなんとなく持つイメージとして、
あ、人間ってこういうふうな複雑な心を持っているよねとか、
そう、道徳の時間とかでもさ、なんで○○ちゃんとか○○君はこのことをしたんでしょうかとか考えるときに、いろんな発想をすると思うんだけれども、
そういうものがベースにあって、人間っていうのは一筋縄ではいかないなとか、そういうふうにいろんな観点が捉えたらいいんだなっていうふうなことを僕ら学んでるんだけれども、
それがもうほんとにここ150年ぐらいの話なんだよっていうところも同時に思ってると、なんか結構面白いというか、意外とそんなもんなんだなっていうふうになると思うんだよね。
そうだね。意外と短い最近の話なのかみたいなね。
うんうん。
っていうふうな話があるので、今日はそういったまだ遠距離書論っていう話をしたんですけれども、
やっぱりこういったモデルの変化を捉えてフロリダ語を語っていくっていうところがすごくインパクトがあったなと思うし、
まずこれをですね、個人の話だけじゃなくて、いわゆる社会とか文明みたいなもの。
うんうんうん。
要はさっきの長寿画ってさ、要は社会的な期待とか周囲の目ってあるじゃないですか。
うん。
なので必然的にこの議論って、僕らどんな社会に生きてるんだとか、どういう文明っていうものの中でこの長寿画っていうものがあるのかみたいな、そういう話になるんですよね。
わー、そうなんだ。こういう話あるあるなのかな。やっぱ個人から社会へみたいな。
そうね。やっぱり繋がってるねっていう話とか、やっぱりそこで切ったも切り離さないっていう発想っていうのはやっぱりある。
あるというか、フロリダがちゃんとそこを目すぐ入れたっていう話だなと思うんで、次回にフロリダ最終回にしようと思ってるんですけれども、
これまで割と個人とか心っていうもので捉えていたところが、まさに長寿画っていう領域で社会と繋がっていくので、
その社会とか文明っていうものとこのフロリダの発想がどういうふうに重なるのかっていうところをぜひお伝えして、
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いったいフロリダについては最後というふうにしたいと思っておりますというふうな感じですね。
はい、わかりました。では次回ですね、最終回ということでその辺り楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。