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#438 フロイトを理解するカギ?議論も多い発達理論とは
2026-07-08 51:56

#438 フロイトを理解するカギ?議論も多い発達理論とは

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サマリー

今回の「それ哲ラジオ」では、ジークムント・フロイトの精神分析理論、特に無意識と人間の発達理論に焦点を当てて解説しています。前回は無意識を「突き上げる身体的な欲望とそれを抑えようとする社会的な欲望との葛藤」と定義し、氷山モデルを用いて意識は全体の一部に過ぎないと説明しました。今回は、人間の発達過程、特に赤ちゃんの無力さから始まり、身体的な快楽(リビドー)の追求、そしてトイレトレーニングにおける愛の交渉といった段階を経て、人間の無意識や欲望がどのように形成されていくのかをフロイトの視点から掘り下げています。 フロイトは、人間の本質を「無力さ」と捉え、それが他者への依存や社会性、道徳の基盤となると考えました。さらに、口唇期、肛門期、男根期といった発達段階における身体的な快楽の追求や、親との関係性における葛藤が、後の人間の精神構造に深く影響を与えると論じました。特に、トイレトレーニングが単なるしつけではなく、親からの承認を得るための「愛の交渉」であるという見解は興味深いものです。 また、フロイト理論の科学的根拠や、それが後に誤解され、性的虐待の証言を引き出すなど、社会的な混乱を招いた経緯にも触れています。しかし、フロイトが提示した無意識の概念や、人間の発達過程における葛藤という視点は、現代の心理学や人間理解の根本に影響を与え続けていることを強調し、次回はさらに発展させた精神モデルについて解説することが予告されました。

フロイトの無意識論と氷山モデルの復習
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回はフロイト第3回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回ですね、「無意識とは何ぞや?」というような話をさせていただいて、 いわゆるなんとなくね、僕らが思う意識が及ばないところとか、そういう感覚じゃなくて、
この突き上がる身体的な欲望みたいなものと、それを抑えようという社会的なというか、人間的な欲望、社会的に認められたいとか、それも一つの欲望だから、
そういうような葛藤というものが意識にずっと昇っているとしんどいので、それをある種、見なかったことにするというか、見なかったことにするんだけど、でもそのゴミまだ残ってますよみたいな、そういうような場としての無意識という話をしたかなと思うんですよね。
いやー、だからちょっと言い過ぎかもしれないけど、前回ハヤトが言ってたさ、やっぱ天動説、地動説ぐらいのインパクトがあったんじゃないかという意味では、当時やっぱその理性めっちゃ最高というか、理性こそが人間である、人間の本質であるぐらい思ってたとすると、
いや、実は理性じゃなくて、本能というか無意識側だよーみたいなさ、えーみたいな、そのぐらいの実はインパクトがあったんじゃないかっていうイメージでいいんだよね、なんならというか。
うん。だから、第1回とかで氷山モデルみたいな話をしたと思うんだけれども、氷山ね、氷の山、海に浮いてるやつって、海の上に浮かんでるのって一部で、その奥にもっと大きい氷の塊があって、だからこそ浮力と釣り合ってちょこっと上に見えてるみたいな、そういう話があると思うんですよね。
結構このモデルはよく扱われて、要は意識っていうのはまさに氷山の海の上に出てるもので、全体の一部なんだと、その奥底とか見えない部分にもっと大きな無意識というより強力な働きがあるよっていうふうな発想だから、早く言っておく通り意識中心じゃなくて無意識中心というか、そういうふうな構造を考えるんですよね。
おー。ちょっと勝手に言うんだけどさ、最近やったから、ベルクソンの持続とかイメージしても面白いかもねーってちょっと思ったね。
そうそうそう、実際それはね、引きつけてる人もいて、ベルクソンとフロイトは交流はなかったらしいんだけれども、ベルクソンに言わせると現在だよね、今生きているこの時間、持続っていうものは過去の記憶とかそういったものに裏打ちされてるみたいな話をしたじゃないですか。
雪だるまが膨れ上がるみたいな。そこと近いって近い発想だなって確かに思うんだよね。
あーそうなんだね。
これは同じような時代に生きた人たちとか、同じような課題感を持った人が別々に発想したときに、それを後から見た僕らはそこに共通点を感じやすい。
学術的に分析したら本当はどうかってわかんないけれども、それに読み取ることができるっていう話かなと思うんだよね。
なるほど。
なのでベルクソンは現在よりも過去を中心というか、これまで積み上げてきたものを中心だし、フロイトは意識じゃなくて無意識中心っていうふうなものを考えましたよって感じなんだよね。
なるほどなるほど。たまたま近い時期にやったから、勝手につなげられてるだけやけど。
なるほど。面白いね。
そうそう、時代的な近さってすごくあると思うんだよね、これは。
これでね、まさに人間の悪い思うように悪いありというデカレットの時代があってから、そこから数百年経ってるけれども、悪い思うって思うことすら別に自分の働きではないというか、それを超えているみたいなことをフロイトが言ったんですよっていう感じなんだけれども。
なんでこういった無意識みたいな構造、もっと言うと動物的な身体的な快楽って欲望が根っこにあって、それを押さえつける人間的な欲望っていうふうなことを考えたのかというか、そもそも人間がなんで育ってるのかっていう話なんですけれども。
これも赤羽のフロイトに言わせるという感じなんだけれども、いわゆる人間が赤ちゃんとしてちっちゃく生まれて育っていくっていう、そのプロデュースがまさにこの無意識の構造にある種リンクしてるんだというか、繋がってるんだっていうような話をするんですよ。
なるほど。その過程で無意識が作られていくとかじゃなくて、構造が似てるというかって話。
そうだね、その構造を表しているかな。
表してる。
だっていう話があるので、ちょっと今日はそれを皆さんが聞いて、確かにって思うのか、ちょっとそれはどうなんって思うのか、そこも含めて話を聞いてみて欲しいなと思ってますという感じなんですよね。
赤ちゃんの無力さと生存の条件
はいはいはい。
じゃあ今日は早速いくんですけれども、フロイトが人間を理解しようというときに、生まれ落ちた赤ちゃんから発想するんですけれども、「赤ちゃんの本質は何ですか?」ということを書かれるんですよね。
そういうときに、何か兄貴が言われたらどうする?赤ちゃんの本質って何だと思いますか?みたいな。
うわー難しいね。
ちょっと哲学ラジオっぽく、エリース経験論でやったときの白紙みたいなイメージにしようかな。
なるほどね。まだ何も書き込まれてない純粋無垢なみたいな感じ。
みたいなイメージでいこう。
はいはい、OKです。それはもちろんあると思うんだけれども、フロイトはまさに生々しいというか、要は赤ん坊とは無力なものであると。
無力ね。もういきなり間違ったね。
別に間違ったってこともないんだけれども、それは力がないです。
つまり、よく言われてると思うんだけどさ、例えば鹿の赤ちゃんとかって生まれてすぐ自分で立ち上がるじゃないかとかさ、
他の動物も別に親がいなくても自分で狩りの仕方を覚えて、例えば食べ物を食べたりするじゃないかというときに、
人間の赤ちゃんは何もできませんと。
めっちゃ泣く。
泣き叫ぶけど、泣き叫ぶけれども、
それによって親、母親、特に母親からの関心を得てお父ちゃんをもらうっていうのがあるから、それぞれ一個の生存の仕方ではあるんだけれども、
別に自分で食べ物を取りに行くとか、何か自分で寒さをしのぐとか、そういうことがそもそもできないわけですよね。移動もできないわけだから。
っていうときに、いわゆる人間の子供っていうものが他の動物よりもある種未熟な状態で生まれてくるのだみたいな。
そこまでフロイトンのときには科学的な判断なかったとは思うけれども、それやっぱり無力だっていうことをベースに考えるんですよね。
もっと言うと、つまり生きるっていう条件が欠けていると、このピンチっていう中で生まれてくるんだというふうな話をフロイトンは考えるんですよ。
そうするとどうなるかっていうと、さっきのとおり泣き叫んでバタバタしたときに、多くの場合は母親だけれども、そういわゆる保護者みたいな人?
存在が出てきて、お父を与えたりとか、おむつをかえたりとか、服を着せてあげたりとか、そういうことをしてくれるわけですよ。
そうすると、これフロイトンが言うことだけど、赤ちゃんはここに満足を覚えますと。
お腹がいっぱいになったとか、なんか温かいとか心地よいとかね、いうようなところがあったときに、この赤ちゃんがなので一番最初に感じることは、
この無力さと、与えられた満足っていう、この二つなんだっていうふうに捉えるんですよね。
なるほど、もう面白いな。
もう面白い。
もう面白い。
赤ちゃんが、いやいやいや、生まれたときにさ、俺はなんて無力なんだって思いながら、
あー、温かいってさ、この温かいわけでもね、俺はなんて無力なんだって感じてたら面白いなって思っちゃったなって。
そうそうそう、それを本当に赤ちゃんが感じるかわからない、それを理解できるような精神構造があるかわからないけれども、
客観的に見たらそうでしょうねと。
で、当然またお腹が空いたら、うわもう苦しい、自分では何もできないのにどうしたらいいんだみたいになって、
で、わーってしたらまた満たされて、あー良かったみたいな。
だからそういう満たされると欠乏足りないっていう、これを繰り返しているのが赤ん坊であると。
あーはい、なるほどなるほど、それはわかるね。
そうそうそうっていうふうに考えるんだよね。
そう、で、なった時に、なのでフロリドに言わせると人間の根本は無力さですと。
で、この無力な状態っていうことが実は人間の要求とか、あるいは道徳とか、そういうことの基盤にある根源にあるんだというふうに考えるんですよ。
やっぱり、まあよく言われるけどね、人間は一人では生きていけませんねとかっていう時に、
それが、いわゆるお題目じゃなくって本当に生きられませんと赤ん坊は一人ではね。
で、他者の助けが必要なので、だからこそ他者を求めるとか、愛情を得ようとするとか、あるいは社会的な絆を結ぶみたいな、そういう社会性に繋がりますと。
なので、なぜ人は社会的な動物かとか、人との繋がりを求めるのかっていろんなアイディアがあるんだけれども、
フロリドに言わせると、なぜならそれはこの赤ん坊の時に全員が経験している自分の無力さとか、あるいは頼りなさというものが根本にあるんだよというふうに考えるんだよね。
なるほどね。
ここまではどんな感じ?
ストーリーとしては大丈夫だね。
だから人間が社会を作るのは、この赤ちゃんの時の原体験が元なんだろうねっていうふうにフロリドは考えていると。
そうですそうです。
ここまでは多分いいと思うんだけれども、ここからね、ここからちょっとん?ってなる人もいるかもしれないんだけれども、
口唇期:身体的快楽(リビドー)の追求
ちょっと赤ちゃんが成長していくじゃないですか、そうすると当然いろんなことが起き上がっていくんだけれども、
でもさっきお父を飲むという、授乳みたいなことを考えた時に、一番最初の赤ちゃんって、個人差あると思うんだけれども、基本的にはお腹を満たすと。
お腹がいっぱいになったら、その乳首を離してもう飲まないみたいな、そういうことが多いと思うんだけれども、
やがて赤ちゃんって、お腹空いてなくてもおしゃぶりしたいとか、お腹いっぱいなんだけど乳首離さないとか、あれ指を吸うとかさ、そういうことって起きるじゃないですか。
これは、ある種フロイト化に合わせると、なんで?って話なんですよね。だって、お腹が満たされたっていう意味では、その欲求が満足したわけじゃないですか。
指を吸っても別にお父は出てこないから、吸うという行為に本来意味はないはずなんだよね。でも吸ってると。
しかもそれって共通で見えるから、どうやらこれって赤ちゃん一人一人の個性というよりも人間に備わってるらしいと。
これをフロイトがどう捉えますかというと、なるほどと。赤ん坊は生存の欲求、つまり自分が欠けている頼りない存在だっていうところを乗り越えると、
その吸うということ自体の心地良さ、これって前回言った身体的な快楽じゃないですか。
つまり欲望、フロイトで言うと性欲なんだけどこれが。その性欲というものに突き動かされて、指を吸うとかおしゃぶりを吸うとか、そういうことをしているんだというふうに捉えるんだよね。
これが前回言った利尾道、性欲道みたいなことを言われたりするんだけれども、いわゆるセックス的な異性を求めましょうとか、別に同性でもいいんだけど、そういうふうなものっていうのをちょっと広い概念で言ってはいるんだけれども、
そういう身体的な快楽を求めるっていうのが赤ちゃんのこの時期から出てるんだというふうな話を考えるんですよね。
なるほど。
どう?この感覚。
ここまではわからなくもないというか、実際あるもんね。それをどう定義するかは別として、おしゃぶり、吸ってるとかね、何かしかの癖みたいなものはあるかなと思う。
そうそうそう。でもさ、それをフロイトに横からトコトコ、赤ちゃんが指しゃぶったりとかおしゃぶりして可愛いとかって言う時にさ、これは赤ん坊が身体的な欲望を満たそうとしているのだとか言われたらさ、ちょっと嫌じゃない?
いやー、そうだね。でもフロイトさんがそれ言いますか?みたいな感じはするよね。
っていうのが、それって身体的な欲望を満たしてるのか、精神的な欲望を満たしてるのかわかんないよね、とは思うけどね。
なるほどね。
たまたま指をしゃぶるとかさ、そのお母さんのチクビをしゃぶって離さないみたいなことがあるとして、それがね、どっちだ?みたいなのがあるね。フロイトさん、あなたなら別れでしょ?みたいな。別れでしょ?ってどっち目線だったら。
確かにね、いきなり批判しだすみたいな感じだけど、やっぱりこのフロイトはあくまでも身体的快楽っていうものに集中するんですよね。その精神的な快楽っていうのは確かにあんまりなくて。
そしたらこの赤ちゃんの時期のことを口に唇って書いてあるの、口心。口って口を止めるじゃないですか。皇后陛下の口に唇は心、独身術の心。口を媒介にして周囲と関わるというか、そういうふうな時期だよっていうふうに言うんですよね。
なので、精神的な発達以上に、身体のどこで周囲と関わりますか?とか、自分の欲望、まあ欲望って言っちゃうか、そういうリビドを満たすときに何を注力して使いますか?っていう、そういう発想で見るんですよね。
まあでもそうか。当時の科学というか、ここで精神的な満足とかって言っちゃっても、学術的に証明できないというか、周りを説得できないだろうしね。
うんうんうん。っていうのもあると思う。なので、ちょっと繰り返しになっちゃうんだけれども、やっぱりこうね、じゃあ赤ん坊がおしゃぶりをする。で、要は、なんでそんなことにエネルギーを使うんだってなっちゃうんだけれども、生存ってことだけから考えるとね。
でもある意味それは、身体的な快楽を得るってこともそうだし、というと、その一番根本の、自分が無力として生まれたこの世にあるときに、他者に世話をされて、愛されて、自分というものが満たされていたっていう、そういう体験とか記憶、これを再現しようとしているんだと、いうふうにフロイトは見るんですよね。
再現ね。うんうん。そうするとなんかわかるね。
うん。っていうふうにして、要は人間というものは根本にある、まさにそういう身体的な快楽、もっと言うとその根本にある、無力な自分でも他者に支えられて生きているっていう、こういうところからいろんなものが実は出てるんですというふうな発想をするんですよね。
はいはいはいはい。
肛門期:トイレトレーニングと愛の交渉
でね、ちょっとその年齢が上がって、まあ大体こう2歳、3歳くらいになりましたと。で、2本足だけになったときに、今度はですね、僕らの言葉で言うとトイレトレーニング。よくあるさ、おむつからおむつを外すっていうことが出てくるじゃないですか。
うん。
で、これが実は次の大きなステップだっていうふうに言うんですけど。
なんかあれだね、育児会みたいになってるね。
いや、そうなのよ。やっぱり人間の成長に重ね合わせてるので、そういうふうな感じになるんだけれども、ここはね、拷問器、まさに拷問です。拷問家の拷問。
お尻?
お尻。
で、言われますと。
ほいほい。
で、これを何を学んでるのかというか、何の身体的な快楽を満たすのかっていうと、要は、他者といかにして愛の交渉を行うかっていう、それコミュニケーションなんだって言うんですよ。
もう分かんなくなった。早いな。赤ちゃんのときはいいけどさ、もう分かんないわ。
なんでトイレトレーニングが愛の交渉なのかってなるじゃないですか。
なるなる。
で、これはどういうことかっていうと、これはちょっと自然に考えると、親と子供がいたときに、親は子供に対して、このくらいの年齢になったらそろそろおむつ外さなきゃなとか、
自分でトイレでおしっことかうんしとかできなくなってほしいなってことを求めます。
で、それは、いわゆるしつけとか教育っていうふうな発想で僕らは思ってると思うんだけれども、実は大人が子供に求めているのは、自分の排泄するという欲求とか身体的な動き、これをコントロールせよということなんだっていうふうにフロイター捉えるんだよね。
つまり、それまでは寝たいときに寝て、出したいときに出して、飲みたときに飲んでっていう、それでよかったんだけれども、それをコントロールしなさいということを子供は期待として受け取ります。
なるほど。
そうすると子供はどうなりますかっていうと、子供って自分のおしっことかうんちっていうものはフロイトに言わせると自分の一部なんだと。
つまりそこ分けてない時期があるんだというふうに考えるんだよね。
はいはいはい。
そう、そうなった時に子供は自分の一部なんだけれども、それを親に言われてコントロールする、要は出すとか出さないとか、今出したか、これまではもうそのこと考えて垂れ流しだったものを今は出さないようにしようとか、我慢して後で出そう、そうすると親が喜んでくれるなみたいな、そういうものと結びつけて考えるんですと。
はいはいはいはい。
つまり本来はその身体的な排説っていう自分だけの行為だったものが、親からの承認とか、あるいは愛情とか、あるいはねうまくできなくて叱られたらそれはさ嫌だとか、そういうコミュニケーション道具になっちゃうんだと。
はいはいはい。
ということをフロイトは見てとるんですよね。
おー先生。
面白くない?
おーすごいすごい。そう言われるとなんかわかる気がする。
ね。僕ら普段ね、普段というかね、お子さんがもしいらっしゃる方、するとね、トイレに行くなんていうのはもう自然にそういう風にするものとか、やらないと保育園とかで困るからみたいなそういう風に思ってるんだけれども、フロイト先生に言わせるとそんなことが見えちゃうんですよね、トイレに行くということから。
なるほどなるほど。
なので、フロイトはいわゆる子供がするうんちがあるじゃないですか。
あれを親への愛の贈り物だって言うんだけど、他者かな、自分の周りにいる人それが保育園の先生かもしれないし、周囲の人に対して自分の体の一部というものを他者のコントロールしようという期待に応えてちゃんとそれをやるっていう意味で。
それでトレーニングがね。
トレーニングというか、そこから生まれて、そこで出したうんちというもの。そのものがそういう自分の身体の一部を明け渡すっていう、そういうことまでいってるんだよっていうような話をするんだよね。
なるほど。今のはちょっとよくわかんないけど、ただトレーニング的な感じで言うと、確かにそういうやりとりというか、そこに本能と社会というかさ、そういうのは始まってるねっていうのは前回からのイメージで言うと繋がるかな。
そういう話があるので、これが前回言った欲望のもう一個の部分だよね。ちゃんと認められたいとか、自分も社会的な存在として価値を持ちたいとか、そういう欲望とやいや、今すぐ出したい、おしっこしたいとか、気持ち悪いからすっきりしたいとか、欲望ってもうすでにこの場で葛藤しあってるじゃないですか。
いやー、早いね。
ね。っていうふうに、このくらいの時期から人間の欲望っていうものは葛藤して反発しちゃって無意識に取り込まれてるんだっていう、そういうことを考えるんですよね。
いやー、面白いね。そっかそっか。なんかね、なんとなくちゃんと言葉であれ我慢しなさいとかっていうところからのスタートな気がしたけれども、こういうトレーニングはまさにでも同じようなもんだね、確かにね。
おー、面白いわ。
結構ね、これはね、面白い。ちょっと本当を神で話あるんだけれども、でもね、理解できるかなと思いますと。
男根期:ペニスへの興味と喪失の恐怖
で、実は僕理解できない台本から消しちゃったんだけど、その次に男婚期っていうのがあるんですよ。男婚っていわゆる男性の盛期ね。
そう、そういうのがある。さらに先にも先鋒期とか盛期期とかいろいろあるんだけれども、だいたい5歳ぐらいにやると男婚期っていうのがあって。
早いね。
これ何かっていうと、男の子が、これ男の子の親御さんならあるかもしれないけれども、自分の盛期、いわゆるペニスに興味を持ち出すみたいな、いじるとかなんだこれって思うみたいな。
あるでしょ。別にちんちん触ってるでしょ。普通に触ってるでしょ。
そうね。そういうのがあるんだけれども、それをフロイトが捉えるとどうなるかっていうと、あれだな、男とかちんちんって言わないと抵抗があるな。
ああ、そっか。かやとは娘しかいないからあんまちんちんって言葉も使わない。
ちょっと使わないんじゃない?
これは面白いね。家の文化が、2人ともね、たぶん子供1人しかいなくて、そっちは娘しかいなくて、そっちは息子だから、もうあれだ、別に母親も父親も全然ちんちんっていうことに対して何の抵抗もないね。
いや、そうだよね。
これは文化だね。面白い。
うちオマタって言うからさ。
ああ、はいはいはい。
確かにそれは家族のあれかもしれないね、ちんちんでよ。
ちんちんを見た時にフロイトがどうなるかっていうと、男の子はそれをなくす、拒成されることへの恐怖を持つんだって言うんですよ。
今度聞いてみようかな。そうなんだ。
なくなったらどうする?
いや、なくなると怖いって思ってるんだよ、普段って。
ちょっと聞いてみて。
それは多分当時の状況とかフロイトの周囲のあれがあると思うんだけども、どうやらこれもどこまで一般化できるかわからないんだけども、
例えばお母さんとか親が男の子、そのぐらいの男の子を叱るときに、そんなことやってたらお父さんがちんちん取っちゃうよみたいな。
そういうふうに言って、それは嫌だって言って、こういうことを聞かせるみたいな、そういうことがあったらしいんだよね。
なるほど、ありそうだね。
しかも自分の母親もそうだし、同年代の女の子の裸を見たときに、ちんちんがない存在があると。
なくなっちゃうんだ、みたいなことを思って、自分が持っているものを失うっていう、そういう恐怖っていうものが生まれてくるんだ、みたいな、そんなことを言うんですよね。
なるほどね。当時ならではなのかもしれないけれども、ちょっと男性みたいなのは気になるけどね。
そうなんだよね。女性はどうなのみたいな話もあるんだけれども、女の子はそもそもないじゃないですか。
っていうときにね、ないことに対するコンプレックスというか。
それはそれでフロイトはちゃんと検証というか考えてるんだ。
そうそうそうそう。これはでも本当?って思うんだよね。
フロイトの仮想で言うと、女の子が逆に男の子にはちんちんがあるってことに気づきますと。
そうすると、自分もそれが欲しいと感じますと。
確かにでもあるのよね。なんで自分にはないの。
男の子はこうやっておしっこしてるのに、みたいな話は確かに出てくるから。
確かに確かに。
そうするとね、どうかっていうと、自分ちんちんなくて嫌じゃないですか。欲しいじゃないですか。
よくよく見たら、お母さんもないじゃないですか。
ないね。
もしかしてお母さんって何か足りてないんじゃないみたいな、そういう不満を感じるんだと。
はいはいはいはい。
いうふうなことを言うんだよね。
で、自分にちんちんが欠けているのは、自分が足りない存在なのは、そういうふうに自分を産んだ母親のせいだ、みたいな。
そうなの?
そういうことを考えるようになるのだと。
へー。
いうふうにフロイトは言うんだよね。
フロイトは、あ、でも、そっかそっか。いわゆるちょっと男性見せっぽい気はするけども、ちゃんと男女それぞれに対して考察はしてるんだね。
一応ね、そうそうそう。だからその男婚、ちんちんっていうものを象徴にして、身体的なサインにして、そういう欲望とか不満とか、そういうものに向き合うのがこの5歳ぐらいだよと。
はいはい。本来台本から消してたんだね、この話を。
だいぶしたね。
あんまりこれ言ってもなって思ってたんだけど、でも話の流れ的には、赤ちゃんのときには唇、口だよね、っていうものが象徴されて、
3歳ぐらいは肛門、お尻っていうものは象徴されて、5歳ぐらいになるとちんちん、団子っていうのが象徴されるっていう。
なんか、小学校の男の子が好きそうな話をプロイトは一生懸命するんですよ。
一生懸命してね。
一生懸命して、それは子供にも性欲があって、それを5歳の頃から感じているからだ、みたいなことを言うんですよね。
はいはいはいはい。
そうするとどうなるかっていうと、当時の人は、子供っていうのは、まさに兄貴が言ってくれた、ちょっと純粋無垢というか、
そんな子供に性欲があるなんて、結構そういう風な異論眼鏡もあるわけなんですよね。
性欲の取り扱いも多分宗教的になってるとか、いろいろありそうだしね。
そうそうそうそう。
そういうのがあった時に、やっぱちょっとそれ受けられにくいなとか、
もっと言えば別にうちの子はそんなんじゃないしとか、いろいろ言えちゃうじゃないですか。
はいはいはい。
そういう意味で、これは正直受け入れがたいとか、ちょっとイメージが湧かないっていうことも多いんですよね。
ちょっとそうだね、テーマが良くないんじゃない?
あんまり口に出して言うようなことじゃないでしょ?みたいなさ。
はいはいはい。
例え話間違ったんじゃないの?フロイトは。
これはね、いろいろ実面的なところもあって、面白いんだけど、
フロイト理論の誤用と科学的批判
僕らも例えば何か人の悩みとか困れ事を聞いてる時に、
それって結構家庭環境じゃないとかさ、小っちゃい頃の出来事が影響してるんじゃない?みたいな、
そういう話ってあるじゃないですか。
あるね。
そういう意味では、フロイトは前回言ったような無意識の構造の中に、
それは人間に共通する赤ん坊から生まれて育っていくっていう流れの中に、
身体的な欲望、さっき言ったような無力な自分が活かされているっていう風な、
お母さんのおっぱいを吸いたい、お父さんのおっぱいを飲みたいっていうような欲望と、
でもそれをずっとやってるとちょっと恥ずかしいとか、
さっき言ったうんちするのもいつまでの垂れ流しではダメだみたいな、
っていう風なものが攻め合っているっていう、
これとリンクさせて考えることで、
やっぱり根本的な人間の発達の中に、
そういった無意識のいろんな問題とかが起きるんだということを言いたいわけなんだよね。
たとえじゃなくて、事実を話してるだけというかね。
そうなんだけれども、これすごい面白いっていうか怖いのが、
そういう話をふろいで言えば患者さんから聞くわけですよ。
いろいろ話をされたときに、実は子どものところにこういう風な欲望があったとか、
例えばね、お父さんに対してすごい苛立ちがあったとか、
第一回言ったけどフロイト自身が、
すごい年上のお父さんと若いお母さんがいたときに、
お父さんがいなくなったときに、
お母さんを自分のものにしたいっていう欲求があったというふうに気づいたみたいな。
お父さんに対する愛情とか尊敬もあるんだけど、
いなくなったことを喜んでいる自分みたいな、
そういうふうに気づいたみたいなことがあったわけなんだよね。
っていうふうに、いろんな人の話を聞いても出てくるから、
人間というものは、そういう異性の親、
男の子なら母親、女の子なら父親と結ばれたいみたいな、
そういう欲望をみんな持ってるんだみたいな、
そういうことまで言っちゃうんですよ。
だいぶあれだね、そこはだいぶ主観的なんだね。
そうなんだよね。
主観でもあり、実際そういう患者さんがいたからなんだけども、
そっかそっか、自分と同じの人結構いんじゃんみたいな。
そうそうそう、いたからなんだけれども、
これがね、すごい怖いのが、
そういうのをヒロイトがやったので、
なるほどと、そうやっていろいろ話を聞いて、
親との確立とかそういう決められた欲望とかっていうものが、
ちゃんと見えるとその人の症状が回復するんだっていう、
そこを切り取っていろんな人がやり始めましたと。
どうなったかっていうと、
いろんな人が子供の頃に親から性的虐待を受けていたっていう、
証言をしだしたらしいんだよね。
アメリカとかがそういうところであったらしいんだけれども、
で、子供が親を訴えますと。
裁判をすると、その事実が認められなかったっていうふうな結果がいっぱい出て、
今度は逆に親の方が名誉毀損というか、
そんな事実がないのに訴えられたっていうふうに、
その精神科の人たちとか、
そういう人たちを訴えるみたいな、
そういうことが起こりましたと。
子供を訴えるわけにいかないからね。
いかないというか、そこじゃなくてそういうことを言わせたとか、
そういうことに嘘の証言をさせたみたいな感じで、
いろんな問題を受けちゃったんだけれども、
これが前回言った化学的とか、
どうしても主観にならざるを得ないっていう話で、
例えばこっち側、要は僕が仮にお医者さん側だったとして、
絶対にこの人には子供の時の親との性的な関係が問題にあると思ったとするじゃん?
ああ、はいはい。
こういうふうな症状でこういうことをしてるからには、
絶対あるはずだっていうふうになっちゃう。
そうそうそうそうそう。
で、好きなことを話してくださいって言った時に、
例えば実はお父さんのこういうことが気になってとか、
女性だとした時に気になってとかって言った時に、
あ、それですと。
そのお父さんへの気になるっていうことは、
実はお父さんのことは好きだったのかもしれませんとか、
多分言っちゃうとするじゃん?
だいぶ誘導呪文感がするね。
でもそう言われたら患者さん側も、
確かにそういう気持ちってもしかしてあったのかも、
無意識で抑圧されてから見れなかっただけで、
もしかしてそういうことがあったかもしれませんとかって思っちゃったりするじゃない?
っていう時に、これがやっぱりその難しさというか、
フロイトがそうやったわけじゃないんだけれども、
これに全部結びつけすぎたことによって、
ある種、本当は全然わからない、
もちろんそういった親子の関係性が影響を与えた人もいたかもしれないけれども、
そうじゃない人にも、もしかしたら自分はそれが原因でこんな苦しいのかもしれないとか、
そういう症状が起きてるかもしれないって思わせるような、
そういうことがやっぱり実際に起きちゃったらしいんだよね。
なるほど。まあ起きるだろうね。これを方法論として使っちゃうとね。
そうそうそうそう。
で、その発想とか思想として、そういった無意識という構造が、
赤ん坊から繋がる成長というものがリンクしてるんじゃないかということは、
ある種一つのアイディアとして、仮説としてはすごく役立つねという感じなんだけど、
それをもう、ある種絶対の正解だとして、これ見たことがみたいな、
やっちゃうとよくないよねっていう、まさにその典型例みたいな、
結構そんな感じなんですよね。
そっかそっか。だからフロイトがそういうめちゃくちゃをやりまくったっていうわけでもなくて、
まあやったかもしれないけれども。
そっか、それが不朽というか、した時に意外とそういう不具合というか、
もう起こっちゃったねっていうのはあるのか。
そうなんだよね。
フロイト理論の意義と現代への影響
これはやっぱあくまでも、やっぱり無意識というものがやっぱり難しいさ。
さっき言ったよくわされた見えないものなんですって言われた瞬間に、
やっぱそれを見ることが、より自分の本質に気づくとか、
そこに今のこの苦しさとか病の原因があるって思ってたじゃないですか。
だから当然それを知りたいんだけれども、
それってあくまでも、なんだろうな、もっかい語り直すというか、
自分で意味づけし直すってことでしかないから、
それが事実かどうかって正直わかんないし、
フロイトも別にそれが事実じゃなくてもいいんだと。
つまり、本当は自分はもっと親を愛したかったということが出てきたとして、
それが本当かどうかは別にどうでもよくって、
今この人がそういう言葉を口にしたとか、
そういう思いを持っているっていう、そっちが大事なんだと。
っていう話はやっぱできなくはないんだよね。
まあまあそうね。
だからそれを、ある種うまく取り扱えられればいいんだけれども、
だから過去のそういう関係性がダメなんだとかって、
直接言っちゃうと、取り扱い注意だよねみたいな感じになりますというようなところなんだよね。
そうね。
みたいな感じで、その後進期というものと、訪問期と残婚期というものがありますというところが、
前回やった無意識の欲望の葛藤にひも付いているんですという話をさせてもらったんですけど、
どうかな、今日の話を聞いてフロイトのこの分析というか発想、発見はどうですか?
お兄さん的には。
だから面白いね。
私、この続きもっと何とか期、何とか期っていろいろあったと思うけど、
操作ってちょっと次回?それとも別にいいかな?
別に今日はね、まあいいかなって感じ。
要は、10代とかってくると、いわゆる思春期に入ってくるので、
直接的にイスエイトの性交渉を求めるよねとか、結構そういうふうな感じではあるんだよね。
ある意味より生々しくなっていくだけみたいな。
そうそうそうそう。だからそれはもういいかなみたいな。
はいはい。
いやー、だからなんだろうね。
思ってたのがフロイト自身が、いわゆるその性欲的なものだったりとか、
そういう生々しい感じと結びつけすぎてて、ちょっと軽温感だったりとか、
ちょっとやりすぎでしょうみたいなイメージを持たれてるのかなっていう偏見というかね、
はあったんだけど、逆にそれはちょっと外れたかなとは思う、むしろ。
今回の話で。
確かに結びつけすぎなんだけど、
一応ここまでの、今日は聞いたまでの話は一応筋が通ってるから、
それをもとに、ちゃんと患者さんと向き合えば、
確かに一定の成果を得られる可能性は十分にあるんじゃないかみたいな、
そういう意味でのちゃんとした感みたいなもの、
フロイトが適当に自分の感覚で適当にやっちゃった感みたいなのは意外とないんだなとは思ったの。
ちゃんと真面目に、学術的だよね。
だから第三者が見ても再現可能な法則、ルールとして構築したかったんだろうなっていうのがちゃんと伝わるし、
だからこそ、それをやっちゃったからこそ、さっき今日ハヤトが言ったさ、
他のお医者さんだったり他の人も、その手法っていうものを取り入れて、結構やっちまってるみたいなさ。
もしくはちゃんとそれを活かしてる人もいたみたいな感じなのかなーっていうのは感じたね。
そうだね。フロイト自身は自分のやってることは科学だと。
学術的にも正しいものっていうふうに言っているし、
やっぱ周囲からするとそうではない。要は反証可能性とか客観的にそれを証明できるかってやっぱり難しい。
それはもう当時から言われてたんだね、たぶんね。
そうだね。もっと言うと批判、要は根本から批判もできないのよ、フロイトがやってることって。
天動説、死動説だったら別の論があればそれをひっくり返すというか、間違ってたっていうふうに言えるんだけれども、
フロイトが100%間違ってますとも言えないんですよ。
それは科学じゃないというか、証明できないって話なんだよね。
面白いね、そっかそっか。なのに科学みたいなとこにいるから難しいというか、確かにな。
怪しく見えちゃう。
今日思ったのはそうなんだよね。フロイトもここまで知名度があるとか、賛否別れるみたいな話っていうのは、
やっぱすごい置きどころが良かったのかなっていうのを感じたよね。
なるほどね。
議論が生まれるね。
そうそうそうそう。今の科学でも証明できない無意識の部分みたいな、
そこだからこそここまで長く議論される。
これがある意味天動説、死動説だと、ある程度技術だったりとかさ、いろんなものが揃ったらもう証明されちゃうじゃん。
そうだね。
それはされないっていうとこに自分の場所を置けたというか、どうかそういうセンスというかね。
結果論かもしれないけれども、良いとこ置いてたなぁとは思うね。
まあ確かにね。そうだね。だからそういう意味ではやっぱり分かりにくいとか分からないからこそ議論されたこともあると思うからね。
っていうのはね、今日の話でもあるんですけれども。
なので、やっぱり愛媛って言う通りで、これをもう科学として絶対正しいものとしてやっぱりちょっと怖くなる。
要はさっきさ、例えばその訪問期で、その周囲の期待に応えて我慢するっていうことと、自分の出したいっていう欲求とっていう話をしたと思うんだけれども。
やっぱりプロイトに言わせると、それが大人のコミュニケーションのパターンとか、大人になった時、他者との交流のパターンにも直結してるんだみたいな話になっちゃうんですよね。
そうするとさすがに言い過ぎというか、他にもいろいろあるっしょみたいな感じになると思うから、なかなか一個だけってわけにはいかないんだけれども。
やっぱり前回と同じような形で、人間の今の行動、前回と言い間違いとかあったと思うけどさ、
なんかうまくいかないなとか、人とのコミュニケーションがかみ合わないなっていう時に、その幼少期の経験があるんだよとか、
そこで溜め込まれている分威識に落とし込まれているそういった葛藤とかなんだろうな、そういったものが実は今の大人のあなたにも影響を与えてるんですよっていうことが、
やっぱり安心材料にもなる。理由がどっかに求められるからね。
っていう意味で、前回も言ったように、説明の物語というか、それを説明できるそういった語り口を与えてくれたものなんだっていうのは間違いないなっていう感じなんだよね。
間違いとか、それを与えてくれたのは間違いないんだけれども、その与えたものが正しいか間違ってるかはわからない。
っていうのが難しいところ。
いやー、無責任とは言わないけれども、とんでもないものを作ってくれたなって感じはするね。
フライトは大間違いだし、責任を持って出してるから、やっぱりそれを僕らがどう受け取るかかなとは思うんだけどね。
という感じでですね、前回の無意識っていうものと、今回子どもの発育とか発達っていうものがリンクしててっていう話をさせていただきましたような感じなんですよね。
はいはいはい。いやー面白いね。
そこらへんって結構自分の子どもとの触れ合い方とかさ、見方も変わるっていうか。
どうなんだそれは。
でもこの子がね、今自分の子どもとか、別に大人でもいいんだけれども、
どういう欲求、欲望、身体的な欲望とか、そういう欲望と社会的な欲望の狭間にいるのかみたいな。
そういうふうなモデルで人を捉えるってこと自体は全然役立つかもなとは思うんだよね。
まあそれは適応されるケースだったりとかね、確かに。
結局あれだもんね、今の心理学だったりとか、カウンセリングっていうのは、こういうね、これを世に洗練させたものではあるみたいな感じなんでしょ、おそらく。
まあ、うーん。
どうなんですか、心理学。
一口に洗練させたとも言いにくいかな。
いろんな手法もあるし、うん。
ああ、そっかそっか。
うん。
でもやっぱりそれより根本的な発想として、やっぱりそのね、今僕らが見えている意識、扱えるものの奥に、やっぱりそういった意識で扱えない領域があって、
それが影響を与えているとか、そっちの方に何か問題がありそうだみたいな。
うんうんうんうん。
そういう発想自体は結構受け継いでいるかなって思うよね。
ああ、だからまあ、本当にその概念作ったぐらいの感じなのか、その土地開拓見つけましたぐらいの、その新大陸見つけましたぐらいの感じか。
ああ、なるほどね。
洗練って言うとおかしいけど、確かにその場所は作ってくれてるみたいな。
ああ、そうそうそうそう。っていうような、やっぱり人間理解のめちゃめちゃ根本をやっぱり作っている。
ああ、そうするとやっぱり本当にすごい人なんだね。
かなと思うね。だってそれまではさ、人間って機械論でさ、人間とは動く機械であるみたいなさ。
はいはい。
そういう風な発想があったわけだよね。
ああ、そうなんだね。
うん、そうそうそう。でも僕らはやっぱりそうじゃなくて、人間っていうものは何かその、その人の背後にある何かその、経験とか積み重ねとか、価値観とかっていうものがその人に影響を与えているってすると、
そういったような無意識っていうものをなんとなく日々もう信じちゃってるって話だから、
うん、はいはいはい。
やっぱそれなしで人間を捉えてる。逆に僕らはもう難しくなっちゃってるよね。
ああ、確かに確かにそうだね。
次回予告:第二局所論と自我・超自我
そういう風な話があるんですが、次回はね、ちょっとこれをさらにもう一歩深めますって感じなんだけれども、
まだあるんだ。
そうそうそう。もうちょっと長く実は話すんだけど、前回さ、その氷山モデルみたいな感じで、その意識、まあ全意識はあんまりやってないけど、と無意識っていう3つがありますって話をしたと思うんですよ。
うんうんうん。
これを一般的に第一局所論って言ってて、第一があるってことは第二があるんですよね。
そう。
で、それはある種フロイトがより鮮明させた人間の精神とか、心のモデルなんだけれども、聞いたことあるかな、その異動とか、あと自我、超自我みたいな。
まあ自我とかはね、あの一般的な話としてあるけど、フロイトなんだ、なんかその辺。
フロイト、そうそうそう。超自我とか聞いたことないかな。
ないね。
っていうのは実は三層構造にもう一回捉え直してるんですよね。
ほうほうほう。
なんでそういう別の構造を作ったのかみたいな話とか、もうちょっと前回とか今回とかで話を経て、もうちょっとフロイトが晩年というか、思考を進めた先に何を考えてたのかとか、
っていうところがまだあるので、それをですね、ちょっと次回お伝えしていきたいというふうに思っておりますというような感じなんですね。
おー面白そうだね、そっかそっか。ここまで考える人が一体さらに何を考えたんだっていうのはね、単純にもう予想もつかないので。
ね、どこまでいくのかみたいな。
そうそうそう。
フロイトもね、5回とか6回くらいもいくかもしれないなと思ってます、今の感じでいうと。
はいはいはい。
次回ですね、このフロイトをさらに見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
51:56

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